「 おっさん すっかり カタ なし 」
2020年 05月 12日
あくまで、比較論ですが … 何となく早朝から午前中、昼過ぎまでの閃きが良い感じがします。
夕刻からのそれは、個人的には 妙に面白いのですが、
一応、メモや文章化し、一晩放置、早朝、見分してみると、
往々にして「 深夜のヘラヘラ タイム 」の 要諦を醸し出していたり(笑)、
はたまた、「 表に出すのに 差し障りがある 」感じで、ブログに上げることはありません。
一方、本来、あまり宜しいことではないのでしょうが、
「 勤行中 」に うわ~ぁっ とインスピレーションが沸く事が割にあります。
事の主旨としては「 雑念 」でしょうが … まぁ、「 お陰 」と理屈を言うのであります。
生来、文章力がないもので、何かネタがあってもそれを文章にするのに最低一日。
一晩寝かし、朝昼晩、何度もプレビューをかけ、
他人様の視点に立って俯瞰した上で、最短、2日少し掛かります。
「 お筆先っつ ~ 」っぽい事も ありはしますが、 若かりし日の様にそれを速記せず、下書きへ。
もはや「 何かを述べたい・伝えたい 」気も 皆目なくなり、力みがない状態で、
頭から湧き出すものが まだ「 関心事未満 」、「 ネタ未満 」の状態から、
とりあえず、全て メモ・記述として保管、文章化する試みをしています。
書くことは「 伝達( 伝播 ) 」の為 ではなく「 自己整理 」です。
そうして「 纏まる 」場合もありますし、
「 纏まるのに 難産 」… 数日・数か月掛かることもあって、事実、その 半分は「 ボツ 」
ブログにアップしても、最低、半日は「 修正 」をかけていることが多いです。
また、基本、「 ひとつに集中 」して物事を探求するタイプではなく、
「 飽き症 」や 「 視野の狭さ 」、「 好奇心旺盛( 気が多い ) 」性分としては、
( 典型的な「 問題児 」タイプです )
複数の事柄を「 同時進行 」させている方が 湧き出しは多いんです。
事実、ある課題が、別の課題から解ける事が圧倒的に多い傾向にあり、
連想力 や リンクのし易さ、縁結び … と言った自分の特徴には合っている様です。
そんな感じですので、日々の模索が「 型 」から入ることは無くなりました。
何がしかテーマがあって、
それに リンク しそうな「 オープン陳列 」に一応の当たりは付けていますが、
その前に、もっと自然な流れと感覚にその探求の大半を費やします。
例えば、ケーススタディーの様に、猫背や肩こりに、いきなり何がしかの「 ヨガ の アーサナ 」をやるのではなく、
「 テーマ 」 や「 体調 」を意識しつつ、まず、身体を曲げたり、伸ばしたり、ひねったり。
その状況とインスピレーションで、さぁ、今日は何をどこから始めようか?連想・妄想を繰り広げます。
そして、あ、もうちょっと側屈! … なんて感覚が行き着く先に、何かの「 アーサナ 」が組み上がって来る訳です。
そこから、この「 アーサナ 」への理解が少し進んだ上に、更に「 しりとり 」は続く … そんな感じです。
外目には超なりゆき・脈絡なく見えます … でも、これ、私の文章の「 推敲 」とまったく同じ。
山科の教室においても、一応の段取や方向性はつけるのですが、
その時の個々の状況 や 流れ、ノリがすべてなので、テーマは自由変更 で セミ個別指導の様相。
同じ方向性をやっていても、外目には、個々、それぞれ違う …。
だけに、指導者としても素晴らしい、八卦掌 の 董大師 の凄さを今更ながら感じます。
ちなみに、董大師は自分の武術を「 八卦掌 」と名乗った事がなく、
( 八卦の思想に基づいていたのではありましょうが… )
ただただ、自分の中にある身体や意識の使い方を個別に伝えておられたのだそうです。
よって優れたお弟子さん達の拳技は見事にその技の個性や外見がバラバラ。
でも、そこに 董大師の教えが生きている。
後にこれらが編纂・体系化され各派の「 八卦掌 」となって行きます。
名前 も 体系 も 組織 も すべて「 後付け 」ということですね。
その辺を抑えておかないと
「 師の教えたかったこと 」と「 伝承したい人 」の意識差は埋まる事はないようです。
これはどのジャンルでも同じ様に想います。
どちらにしましても、「 学ぶこと 」は「 感受・共感 」で「 体系化 」ではない … それ「 邪魔 」
だから「 オープン陳列 」な訳ですね。
そこから、カタひじはらず、カタなしで、いま、そこにあるものを感受、成長したいと想います。
それにしても … 今日一日「 肩 」 が面白かった 。
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バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
夕刻からのそれは、個人的には 妙に面白いのですが、
一応、メモや文章化し、一晩放置、早朝、見分してみると、
往々にして「 深夜のヘラヘラ タイム 」の 要諦を醸し出していたり(笑)、
はたまた、「 表に出すのに 差し障りがある 」感じで、ブログに上げることはありません。
一方、本来、あまり宜しいことではないのでしょうが、
「 勤行中 」に うわ~ぁっ とインスピレーションが沸く事が割にあります。
事の主旨としては「 雑念 」でしょうが … まぁ、「 お陰 」と理屈を言うのであります。
生来、文章力がないもので、何かネタがあってもそれを文章にするのに最低一日。
一晩寝かし、朝昼晩、何度もプレビューをかけ、
他人様の視点に立って俯瞰した上で、最短、2日少し掛かります。
「 お筆先っつ ~ 」っぽい事も ありはしますが、 若かりし日の様にそれを速記せず、下書きへ。
もはや「 何かを述べたい・伝えたい 」気も 皆目なくなり、力みがない状態で、
頭から湧き出すものが まだ「 関心事未満 」、「 ネタ未満 」の状態から、
とりあえず、全て メモ・記述として保管、文章化する試みをしています。
書くことは「 伝達( 伝播 ) 」の為 ではなく「 自己整理 」です。
そうして「 纏まる 」場合もありますし、
「 纏まるのに 難産 」… 数日・数か月掛かることもあって、事実、その 半分は「 ボツ 」
ブログにアップしても、最低、半日は「 修正 」をかけていることが多いです。
また、基本、「 ひとつに集中 」して物事を探求するタイプではなく、
「 飽き症 」や 「 視野の狭さ 」、「 好奇心旺盛( 気が多い ) 」性分としては、
( 典型的な「 問題児 」タイプです )
複数の事柄を「 同時進行 」させている方が 湧き出しは多いんです。
事実、ある課題が、別の課題から解ける事が圧倒的に多い傾向にあり、
連想力 や リンクのし易さ、縁結び … と言った自分の特徴には合っている様です。
そんな感じですので、日々の模索が「 型 」から入ることは無くなりました。
何がしかテーマがあって、
それに リンク しそうな「 オープン陳列 」に一応の当たりは付けていますが、
その前に、もっと自然な流れと感覚にその探求の大半を費やします。
例えば、ケーススタディーの様に、猫背や肩こりに、いきなり何がしかの「 ヨガ の アーサナ 」をやるのではなく、
「 テーマ 」 や「 体調 」を意識しつつ、まず、身体を曲げたり、伸ばしたり、ひねったり。
その状況とインスピレーションで、さぁ、今日は何をどこから始めようか?連想・妄想を繰り広げます。
そして、あ、もうちょっと側屈! … なんて感覚が行き着く先に、何かの「 アーサナ 」が組み上がって来る訳です。
そこから、この「 アーサナ 」への理解が少し進んだ上に、更に「 しりとり 」は続く … そんな感じです。
外目には超なりゆき・脈絡なく見えます … でも、これ、私の文章の「 推敲 」とまったく同じ。
山科の教室においても、一応の段取や方向性はつけるのですが、
その時の個々の状況 や 流れ、ノリがすべてなので、テーマは自由変更 で セミ個別指導の様相。
同じ方向性をやっていても、外目には、個々、それぞれ違う …。
だけに、指導者としても素晴らしい、八卦掌 の 董大師 の凄さを今更ながら感じます。
ちなみに、董大師は自分の武術を「 八卦掌 」と名乗った事がなく、
( 八卦の思想に基づいていたのではありましょうが… )
ただただ、自分の中にある身体や意識の使い方を個別に伝えておられたのだそうです。
よって優れたお弟子さん達の拳技は見事にその技の個性や外見がバラバラ。
でも、そこに 董大師の教えが生きている。
後にこれらが編纂・体系化され各派の「 八卦掌 」となって行きます。
名前 も 体系 も 組織 も すべて「 後付け 」ということですね。
その辺を抑えておかないと
「 師の教えたかったこと 」と「 伝承したい人 」の意識差は埋まる事はないようです。
これはどのジャンルでも同じ様に想います。
どちらにしましても、「 学ぶこと 」は「 感受・共感 」で「 体系化 」ではない … それ「 邪魔 」
だから「 オープン陳列 」な訳ですね。
そこから、カタひじはらず、カタなしで、いま、そこにあるものを感受、成長したいと想います。
それにしても … 今日一日「 肩 」 が面白かった 。
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バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
by cute-qp
| 2020-05-12 00:00