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# by cute-qp | 2020-12-31 00:00 | 春風堂のご案内

この所、自身や周囲を見回し、想うのは、

「え⁉ 次の章なの」

回り舞台で場面や状況が大胆に転換し、登場人物の組み換えやストーリーの移行が起こっている様な …。

はたまた、映画や小説でもある「青春編」や「望郷編」的展開の様な …。

そして、それが、まぁ、着々と流れとしてやって来て、どうも対応せねばならない様な … 。

知らんけど。

だ・け・に、とりあえず、飛び込み、泳ぎながら考えてみるか ~ と。

分からんけど。

ひとつの大きな幕が下り、一抹の寂しさはありますが、

今までの旧態依然な有り様は問答無用、すべて終わった様です。

ある種、個人的には「次元」が変わっちゃった感さえあります。

長かった「空白の時間」を終え、

いきなり自分の気持ちや行動が既に新しい所に飛んで行ってしまって、

少なくとも、今までより楽しいちゅうか、生き生きとしている自分がいて、もう、戻れません。

ま~ったくよう分からんけど、良さげです。

と言う事で、諸事「準備中」であります。

何が⁉ … まだ、よう分かりません(笑)。

いずれ、表現出来る様になるかと思います。

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バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂

# by cute-qp | 2019-08-21 00:30 | 山小坊主通信

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大峯行きまであと半月を切りました(「大峯入峰企画 進行中‼」)。

いや~何度登拝させて頂いても緊張し、前日にはまともに寝られたことがありません(笑)。

初めての時など、まともに「台風直撃」で … 先達様達の顔が引きつっていた事を思い出します。

なぜなら、30人余りの団において、私の様な新客(初参加の初心者)が半数以上いる状況でしたので。

こんな時、普通、旅行や行事なら、順延か中止ですよね。

でも、これは「行」なので「行不退」 … 関係・問題ない訳で、

それでどうなろうとOK~って参加前に誓約書も書かされている次第です。

それでも、ビビりますよね。ビビりの私なら余計です。

でも、当時、私は「人生の迷いの底」にいて、これを最期の見切りとする為、参加していたので

残念だけど、まぁ運が尽きているのなら … 、

でも、最期にやれるだけやるべえ~と、むしろ、とても鼻息が荒かったのを覚えています。

そして、不思議な体験をしました。

暴風雨の中、その行程や行場に周囲が疲労困憊、ヘロヘロ・ズタズタになって行くのに対し、

私は身体の底からは喜々として力が湧いて来て、ただただ嬉しさ一杯でした。

そして、下山後も「スキップランラン」で帰った事を思い出します。

私にもまだ何かやる事、やれる事がありそうだ … と知った瞬間でした。

そして、日頃、登拝しているお山の力を思い知り、感謝しました。

標高は大峯の 1/4弱 ですけれど、ここで年中どれだけ泣いたか(笑)。

正に、相撲部屋の「ぶつかり稽古」そのものでしたから …

でも、それで、少しずつ、生きる力がついていたんですね。

以後、大峯は私の「実力テスト」の場となりました。
(いつものお山は相変わらず「相撲部屋」です:笑)

「実力テスト」ですから、ここでただ修行したり、力を貰いに来るのではありません。

ここに来るまでの364日を積み上げ、それをお山で出し切り、反省、新たに学び、来年への行を開始となります。

そして … 昨今「先達」を目指そうと思い至りました。

自分の才能や性格から「行者」に適しているとは到底思えません。

しかし、今まで多くの先達さんのお姿を見てきたのですが …

何を何回やった、どこに行った、苦行した、何を知っている・出来る …

そんな事は、どこまで行っても「自分の為」にやっている「私事」ですから「至極当然」で、

そこに立ち止まり、終始するのは、所詮「自己満足」… 目指す道と乖離しているのではないか?と。

それより、例えば、新客さんをどれだけ安全に誘導するか?って事だけでも、どれだけ大変・大事な事か …

そして、それが結局「自分の行」をさせて頂いている事になるのだなぁと気づいたんです。

なので、微力ながら、自分が学びながら、何か人の役に立つことがあれば、お手伝いさせて頂こう?と。

そんなこんなで今回に至ります。

しかし … 現状、「先達」としては未熟過ぎる位、未熟。

なので、いつも 5 ~ 10月の週末は洞川にいるのですが、

今年は沢山の方々に助けを求め、教えを請い、ご協力をお願いしています。

またもや「初めてのお使い」状態です。

更に、今回参加して下さる方々も度衆(経験者)がメインで、色々、助けて下さいます。

本来「神輿を担ぐ」立場が担いで頂いています。

ただただ、恥ずかしく、恐縮の至りですが、頑張らせて頂こうと思っています。

そして、今までお世話になった方々には、

遅ればせながら、やっとここまで来ました~と言う感じです。

ありがとうございました。

(追伸)

来年は大峯山上で一泊する予定です。

その為、今年もいろいろ勉強し、個人的に山上一泊するつもりでおります。

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バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
# by cute-qp | 2019-08-16 00:00 | 山小坊主通信

「"木っ端微塵" 灌頂」

たぶん、今日のことは一生忘れないでしょう。

私の50年は木っ端微塵、灰燼に帰しました。

が、嬉しいのです。

いらぬものをデトックスし、

そこに漏れ入る様、ようやく自分の目指した道に手を触れる事が出来たので。

今までの50年がようやく生きてきそうなので。

私にとって正に「伝法灌頂」でした。

それにしても … これをずっと分からんと言うのは、私は相当な朴念仁ですな … 。

でも、それに気付けたのも、伝えて下さった師あっての事で、本当に運が良かったのだと思います。

ここからが本当の修行の始まりですね … 正に「山小坊主」

あと3年を我武者羅ではなく、熱く・ゆっくり・じっくり・丁寧に・大切に過ごしたいと思います。

それにしても … 私はホント、運がいいんだと最近思います。

登拝も5年目に入り、もう、すべて自分のことは「お上」にお任せしてあります。

あとは人事尽くして天命を待つ。

そして、いつか何か、人の役立つ事が出来る様になれば嬉しく思います。

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准 提 仏 母


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バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂


# by cute-qp | 2019-08-07 00:00 | 山小坊主通信

「制作雑記Ⅱ」

「見たものを感じて彫り続ける」でご紹介しました「子龍と如意宝珠」の塑像です。


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彫り始めで、ホントにザクッとですが、姿が見えますでしょうか?
(珠にしがみついております:笑)

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掌に収まるサイズで「根付風 香合仏」の様なものをイメージしています。

こう言うミニサイズはとっかかり易く、イメージも自由なので楽しいですが、

小さい分、ちょっとの事でバランスが狂いますし、修正が難しく、
(「彫る」事の修正は「縮尺」ですから…)

まだまだだなぁ~と感じる今日この頃です。

ちなみに「如意宝珠」は本来、龍でも「高位のものが持つ」ものらしいのですが、
(珠を持ってお空を飛んでいる絵がありますよね)

この構図の方が、今の私っぽくって良いんじゃないか?と思っています。

一方、こちらは型取り中の「勝軍地蔵」様です。

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ハードルが高い …。

あまり慈悲深くない私に(笑) 観音様に続き、地蔵様とご縁が出来 …

ただただ思いっ切り胸をお借りするしかありません。

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バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂


# by cute-qp | 2019-07-31 00:00 | 山小坊主通信

今日から「勝軍地蔵」様の制作にかかる予定が資材がまだ届かず(言葉に出来ない)、

待ちぼうけの合間に、ふと、ちっちゃな「如意宝珠」を作ることを思いつきました。

ただ、紋切型の桃型は面白味がないので、そこに子供の龍がしがみついている仕様です。

龍は宝珠が大好きですから。

その旨、仏師の先生に申し出ましたら面白がって下さって早速スタート。

今回は、飛び切り良い材料を用意しました。
(サイズが小さいので私でも買えた訳です)

実に、サクサク滑らかに彫れます … が、ちっちゃいので繊細に行かないと失敗できません。
(縮尺を縮めて修正出来ませんから)

全体のバランスや刀の入れ方に細心の注意を払い、彫り進めます。

そして今日 … 先生に手直しして頂いている時、あっ!って思いました。

木の中に何となく宝珠と龍の姿が見えるんです。

そんな話は聞いたことがあるのですが、個人的に初めての経験でした。

今までだと、先生はパッと見て、説明なしにどんどん手を入れて行くので、

何をどう段取りしているのかさっぱり分からず、それが悩みでした。

聞いたら答えて下さるんです … が、刻々と起こっていることに逐一質問のし様がありません。

先生にとっても「見せる事が最大限」でしょう。

それが今回、少しずつ手筋が見えたり、読めたのです。

そして、読めない所も目に映る像を見ていると

そこに仏師が何を見、どうアプローチしているのかを垣間見る事が出来、

よく分からなかった刀の使い方も何となく叩き台も見え始めました。

へ~~~って感じで … 今日の稽古時間の半分はいろいろな作品の「見取り」をしていました。

なんで見えたのか?資材が遅れたのか?よく分かりませんが、実に濃いひとときでした。

ちなみに、これで良かったのか悪かったののか不明ですが、

工房で唯一、私は分もわきまえずテキストには不準拠、

先生の許可を得てですが、変わったものばかり彫っているので(笑)、

参考資料や設計図があまりありません。

その上、先生の指導方針が方針なので、

当初、かなりの技術書や資料は集めたものの、

それは「彫る事のベース」ではありませんでした。
(後に役立つ資料ではありますけれど)

「見たものを感じて彫り続ける」が全ての様です。

結局、先生の指針と自分の選択、不器用さが加味され、

まぁ、失敗も多く、毎回、周囲の何倍もの工数が掛かっています。

でも、了解頂いているので当面、これで行こうと思います。面白いので。

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バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
# by cute-qp | 2019-07-24 00:00 | 山小坊主通信

「言葉に出来ない」

この所、大変シンプルですが、様々な情報を感覚として受け取り、

それで身体や感覚がどんどん変化。

とうとう、今、自分に「何がどう起こっているのかよく分からない」状況にまで陥り、

昨夜など、6時間ほど思いっきり体調不良になりました。

ここ一か月位そうですが、身体のデフラグと毒出しがまったく追い付かない様です。

それは、治療や神経訓練上の「好転反応」の様ですし、

素人なのでよく分かりませんが、

「面授」からの「懺悔滅罪行」の最中の様にも感じています。

天候もあり、まぁ、よく分かりませんが、苦しいなりにその状態を諦め、静養・静観していると、

身体や意識にもの凄い余韻を感じています。

そんな状況下、体調的に無理出来ない事もありますが、

その感覚に浸り、ゆっくりじっくりお稽古していると、

実にいろいろと、己の中に「ふわ~ぁっ」と浮き出てくるものがあります。

当たり前と言えば当たり前、妙と言えば妙、書いてあると言えば書いてある … のですが … 何とも言えません。

嬉しいのですよ … でも、それを越えて感嘆なのです。

「響き」と言うか … まぁ「言葉に出来ない」
(オフコースか⁉)

丁度、先月「空海」と「最澄」の書簡のやり取りとその後を読んだ所なので、余計に響きます。
(ウチは高野山真言宗なのですが、個人的にどちらも尊敬しています)

なかなかに … なかなかに。

ちなみに、明日から「勝軍地蔵(愛宕権現)」様の制作に掛かります。

お名前と鎧兜を身につけ、馬に乗っておられるお姿から昔から誤解があるお地蔵さまですが、
(戦勝祈願とか)

「さぁ~行くよ~っ」と鼓舞激励するするアクティブなお地蔵様だそうで、

煩悩魔を退け、勇気の欲しい人やくじけそうな人をお助け下さるご利益があると聞いております。

何気に選ばせて頂いたのですが、私にはバッチリ!ありがたいことです。

追記

勝軍様の鎧は「随求陀羅尼」、兜は「畢竟空寂」だそうです。

何気に手にはめていたシリコンブレスが「随求陀羅尼」で驚いた。

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バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
# by cute-qp | 2019-07-23 00:00 | 山小坊主通信

自分なりにお稽古したい内容があり、目下、その稽古道具を模索・制作中なのです。

ひとつは試作にかかっていますが、

もうひとつはイメージに見合う材質や大きさ、質量、重さの資材がなかなか見つかりません。

時間を見ては、100均やホームセンターなどをふらつくのですが、

イメージや感覚との些細な誤差が稽古に使えない理由になってしまって、なかなかに難しいものです。

更なる工夫や試行錯誤が必要なのでしょう。

そう言えば、先日、素晴らしい道具を拝見しました。

制作させたのはなく、どうも自ら手を加えたもので、

会ったこともない、その人の実力と感覚に驚嘆しました。

そして、どことなく、その方の心持ちの様なものも伝わって来ました。

面白いのは、それがまた「持つべき人の所」へと渡って行くらしく … 非常に興味深かったです。

御仏像などは正にその様ですね。

ひょっとすると「準備が出来た時、師が現れる」と言うことなのかもしれません。

下手な素人の趣味の範囲を超えませんが、

木彫など「モノ作り」を経験して気付き始めた感覚の様に想います。

常に「準備」の様です。

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バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
# by cute-qp | 2019-07-18 00:00 | 山小坊主通信

「”観"自在」

昨日、面白い経験をしました。

目の前の風景を見ているんですが、モノを正視していないんです。

目を使って「なにがしかを感じている」と言う感じでした。

ちょっと表現が難しいのですが、

例えば、目の前に綺麗な花があって、それを絵にかく … なんて時、

花を克明に観察し、写実的に書く … と言うより、

それを見て感じ、心に映る花を書いている … そんな感じに近い気がします。

そのインプレッションのまま、朝の勤行をしていたのですが、

今までの姿勢や意識では「繋がらない」とハッキリしたので、少し工夫をしました。

結局「全身全霊の合掌」が出来ないとす・べ・て、お話になりませんでした。

そこの気づけただけで、今、何をどんな風にやれば良いのか?随分、見えた気がします。

早速、稽古道具を用意し、発注出来るものは仕様を細かく指定し発注。

一気呵成に実現できる事ではないのでコツコツ稽古します。

しかし … 菩薩さんは「"見"自在」ではなく「"観"自在」ですもんね ~ 凄いや!

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バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
# by cute-qp | 2019-07-14 00:30 | 山小坊主通信

ここしばらく「会陰」を意識して立ち居振る舞いしていましたら(「心と身体、意識の起点」)、

ハッと「お仕舞」の感覚にシンクロし、今更ですが感動しました。

それはあたかも、剣の折敷や立替を丁寧に、でも、鈍らない様サイクリックさせつつ、

静かに、でも、鋭く動く感じです。

そう言えば … 昔、お師匠様と京都の能楽堂にお能を見に行かせて頂いた事があります。

一般公演とは異なる特別な会でシテ方や囃子方の共演(一種、戦いでした)を拝見し、

ただでさえ静けさの中に緊張感の漂う舞台は凄まじい密度と空気感であった事を思い出します。

最中、ティーンの演者が一通りの段取りを終え、舞台上で控えていたのですが、

そこでふと心に「ひと息をついた」のだと想います。

彼の居る空間だけ緩み、舞台や演目の違和感となり、いや~怖いものだな~と想いました。

一方で、そうした心と体の究極の一致の中で、

年配の男性である演者が華やかな乙女の気を纏って演じていたのがとても印象的でした。

おじいさんですよ‼ おじいさんが 花爛漫の10代の少女にしか見えないんです。

あれにはびっくりし、凄い世界があるなあと想いました。

そんな印象もあってのことですかね … 後年、お仕舞を習う訳ですが …

本人だけ一生懸命その気でやっているだけで、まぁ様にならない(笑)。

これだけ形にも出来ない経験ってなかった様に想います。

それが「会陰」を意識する事で「とっかかり」が出来てきたのですね … びっくりしました。

これも気づけば「当たり前」って言えば当たり前で、

「会陰」を意識して、○○するとそう言う動きにしかならないと言うものでした。

そして、独特の集中と浮揚感(俯瞰)、全体感が出てくるんですね。

これで視界が殆どなくなる「面(おもて)」を付けるんですから、

更に「肚」・「軸」・「会陰」感覚を磨く必要がある訳で、

結果「一足一見」になりますね … やっと体感として感じました。

勿論、そこに気づいただけなので、これからの身体づくりのテーマです。

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バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
# by cute-qp | 2019-07-04 00:00 | 山小坊主通信

「制作雑記」

木彫を始めてみて痛感するのは、常に「自分」がもろに出る恐ろしさです。

技量が至らないのは仕方がありませんが、

そこに自分の心や体、意識の有り様が生々しく現れ、凄く怖いです。

人間と言うのは不思議なもので、

鏡を見ても、そこに思い込みや想い癖があれば、時として、目に映るものが正しく見えません。

対して「モノ作り」の場合、

見たくなくとも、見ないようにしても、

その有り様が時間が経つほど鮮明になって来ます。

多分、プロの作り手にとっては、これが生涯のテーマで、

刀鍛冶さんが精進潔斎されるのも分かる気がします。

彫刻家の立場やスタイルによって考えはいろいろあるのでしょうが、

私が学ぶ、仏像彫刻の仏師さんの仰るのは … 「自分を籠めるな」

それは僧侶や持ち主の仕事 … との事らしいです。

でも、それって不可能じゃないの⁉ … って偉そうにも想ってしまいます。

ただ、ああでもない、こうでもないと、

修正・反省しながら無心になって行くと、

その時の「自分の実力なり」に、「まぁまぁ」と言う所に落ち着く気がします。

無理をした時、ほぼ間違いなく失敗です。

結局、「自分本来」が映し出される事は仕方がないし、それが当たり前。

そこに余計なものを「籠めるな」 … と言う風に今は理解しています。

籠めると多分、本来の自分も歪み、ひずむのかもしれません。

「それがモノに現れるよ」 … と言う解釈に落ち着いています。

そして「作仏」が修行のひとつであったり、

芸術が人間を育てる活動であると言う言葉が、何となしにしっくり来ます。

「登拝」や「彫刻」は私の「動禅」の様です。

今、ある像の仕上げに掛かっているのですが、下手な分、どこまでやっても気にかかります。

今日は「肩こり」を見つけて修正しました(笑)。

ただ、前のめりになる性格なので、ここらで終えようと想います。

〖本覚讃〗

帰命本覚心法身(きみょうほんがくしんぽっしん)
常住妙法心蓮台(じょうじゅうみょうほうしんれんだい)
本来具足三身徳(ほんらいぐそくさんじんとく)
三十七尊住心城(さんじゅうしちそんじゅうしんじょう)
普門塵数諸三昧(ふもんじんじゅしょさんまい)
遠離因果法然具(おんりいんがほうねんぐ)
無辺徳海本円満(むへんとくかいほんえんまん)
還我頂礼心諸仏(げんがちょうらいしんしょぶつ)

〖回向文〗

願以此功徳 普及於一切 我等與衆生 皆共成仏道
(かんにしくどく ふぎゅうおいっさい がとうよしゅじょう かいぐじょうぶつどう)

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バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
# by cute-qp | 2019-07-01 00:00 | 山小坊主通信

ここ数年、登山に加え「トレイル・ラン」なるものも流行りらしく。

国内レースで凄いものでは日本海側から太平洋側へ日本アルプスを踏破する過酷なレースもあり、

そこを5日かからず走破する人がいらっしゃって … ひゃ~です。

その背景には「自分との戦い」や「山の踏破(征服)を目指す」ひたむきな姿が見られ、

体つきも「アスリート!」と言う感じ。

一方、山の中を生業にする人や回峰行者なんて方々もいて、

こちらも、さぞ、ムキムキなのかな? … と実際、お体を触らせて頂きましたら、

優れていると言われている方は、一応に「生麩」の様な柔らかい体 … びっくりしました。

何故なんだろ? … 数年、歩きながら思いを巡らしてみた所、

● 自然や山を敬い、心や身体、意識がまったく抵抗していない。

●「競技」と言う「限られた、非日常」ではなく、「継続・変化」する「日常生活」がベースになっていて、

そのベースの中、365日山や自然に対応出来ねばならない。

大きくこの二点ある様に想われます。

実際、ある有名な冒険家の方のインタビューでは、

「我々は山や海を暮らす人のたった数日を体験しているだけで、それを日常としている人の生活は凄い!」

と仰っていました。

何が正解と言うことはないのですが、私としては後者を目標として、今日に至ります。

ただ、なかなか、柔らかい歩きと言うのが難しく、ど~してもどこか、固まってしまいます。

それは何でか?と言うと、やはり「太ももの前」を使ってしまうからで。
(特に「下山」)

じゃあ、なぜ前を使うのか?と想うと、結局「会陰」が効いていないってことに回帰。

「足首回し」同様、いろいろ、観察していくと、

いや~参りました … 「会陰」ってバランスが整うと自然と締まるんですね~。

そして、そこから全身の運動や意識が統合され・・・いやぁ~そこから確実にズレておりました。

慌てて、ズレをセンタリングすると、身体と心、意識が途端に変わり、びっくりです。

例えば、剣を持ってみるとその「出来なさ加減」が良く分かります。

「折敷」は勿論、「袈裟」、「猿廻」、「クネり」などの「立替系」はブレブレで繋がりません。

軸が定まりませんからね。

また、動作をコマ送りにする、各定式における、各関節の芯が取れない。

まぁ、気づいてみると実に当たり前の事ばかりでした。

しかし、もしこれを解説せよと言われても表現のしようがなく、

自分でも「そう言う身体にして行く」事に必死で、そこを模索するのに精一杯。

ただ、それは非常に面白く、楽しい事でもあるので、

今週、新たなデータも沢山取り込んだ事もあり、心と身体、意識の起点を定めつつ、

どんどんモデルチェンジして行きます。

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バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
# by cute-qp | 2019-06-30 00:00 | 山小坊主通信

「バッチョコ」

気づいてみると「抜長」とは実に当を得て妙な表現だと想います。

抜けて、長く伸びる」 実に分かり易い。

それがどうしても「緊・張」や「抜・弛」になったりします。

その意味で「道具を持った呼吸法」「抜長」を体感・経験し易い方法かもしれません。

初学者には「非日常的」で「固定概念」を持ち難く、

「固定点」や「負荷」、「制限」などが自ずから「指標」を示してくれ、

何より楽しみ易いかもしれません。

今更ながら、古今東西、すべからく全ての徒手武術は武器術の延長線上にある事実も頷けます。

ここに気づけりゃ10数年違ったなぁ … そう想うものの、

これだって「形」や「手順」のみ追えば、永遠に「抜長」には気づけない。

更に「剣の手の内」の感覚を想えば、やはり最低「十二年籠山」+α コースとなる気がします。

それでも!これ程贅沢な「叩き台」があり、「可能性に満ち満ちている」訳ですから、

まぁ、随分違うハズです。
(私が初心者の頃は今あるメニューの断片のみ存在する段階だったので)

それにしても … 「合気における手」「剣の精華」であり、正に「手の内「妙の中の妙」と想います。
(ただ、剣も流派、人それぞれの有り様があり、すべての「手の内」とは言い難いですが)

また、「神経訓練」の側面から見ても「手を作る」ことは、

「運動器」のみならず「感覚器の開発」として、その人の「意識や感覚をも変え得る」と想われます。

多分、「密教の三密」もその付近の智恵なんだと想います「ムドラ」

ある意味、「…かもしれない体操」は「動的三密訓練法」かも … それだけに難しい。

しかし、そこに気付けてさえいれば、後は、地道に稽古と落穂拾いで楽しめます。

そのベースの感覚、要素が「抜長」なのです。

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バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
# by cute-qp | 2019-06-17 00:00 | 山小坊主通信

「気まま人生」

やっと終わったのであります。

3月からチャレンジしていることがありました。

自分の意志とは関係なく、寧ろ、御遠慮したい事でもあったのですが、

ものの流れでやる事になったのであります。

もそっと抗う事も出来たのですが、

流れのある時にはどうしてもそこに引き戻されるし、

ない時はどうあがいてもそこに辿り着けない。

ならば、乗ってみましょかね? … って想いました。

それにしても … この事にどんな意味があるんだろう?

私は何でこんな事するんだろう?

果たして、どこに辿り着くのだろう?… なんて事を、まぁ、じっくり自問自答してみようと想ったのです。

ただ、生来「飽き症」で「気まぐれ」… どうしようもない人間ですので、

この大きな流れに乗ってしまい、遅くとも半年位と計画を立て、

即興・直観で行動しながら、何とか3月半で終えました。

さすがに、それ相応のエネルギーと集中がいりましたので、その間、ブログを書く余裕はありませんでした。

「動禅」と言うか「波乗り禅」状態 … ただただ、フラフラ、ひたすら眠い。

まぁ、それでもやれている自分を感じ、4年の登拝で鍛えられたんだなぁって感じました。

ところで … 私は「わがまま」でかなり「癇癪持ち」です。

この流れの中、そこかしこで「カチン!カチン!」来てました。

ですが … 今回、孫悟空の輪っかがハマってるんです「頭」に。

あれ?えっ!とそれに気づき、何とか我慢、自問自答し続けました。

そうして、さぁ、何がどこでどうなったのか?今の所分かりませんが、

何かの風向きや軌道が少し変わった気配は感じています。

万事そんな感じなので、ブログ再開は早くて8月位を考えていました。

一通りの落ち着きや纏まり、邂逅を迎えたかったのです。

ところが、終わってみれば、更にボ~っとしていて、今回のことは数年経たねばハッキリしない様子。

一方で、なにがしか?色々バックグラウンドで始まっている感じもあり、

… まぁ、とりあえず再開した次第です(「手を見て想う」)。

もし、また止まったら「お籠りモード(Up Date 中)」と思し召し下さい … 何かしているハズです。

更新プログラムをインストールし、再起動までちょっぴり時間がかかります。

それが終わるか、自然と何か沸いて来るものがあれば、また、気ままに書きます。

流れのまま、思いのまま、気まぐれに参ります。

はて、どこに流れて行くのやら?

我は木偶なり、使われて踊る。

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バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
# by cute-qp | 2019-06-14 00:01 | 山小坊主通信

「声出し実況中継」

自分を観察するってなかなか難しいです。

自分にとっての「当たり前(普通)」は世間の「非日常」 … ホント「灯台下暗し」です。

今日もなかなか、そんな自分を見られないと言う方とお会いしました。

そこで、何となく立位でのセンタリングを「実況中継」でお見せしたんです。

しかも、実際に「声をしっかり出した形」で。

重心を前にずらす時、

(今、自分が想っている)「真ん中」⇒「ちょっと前へ」⇒「母指球の付け根」⇒「母指球」⇒「指の付け根」

⇒「指の腹」⇒「つま先」など …

自分の表現できる最小の細かさを「声に出して実況中継」し、これを一緒に真似して頂きました。

あたかも、自分自身を指さしつつ、その自分に深く丁寧に語り掛ける様に …

最初は、ただ声を出すだけで自分にフィードバックする意識として行われておらず、

動作と中継がズレたり、動作が荒くなったりしました。

しかし、次第次第に、そんな所を自覚して頂く事で、動作と意識が変わり、体が変化しました。

「自己観察」や「実況中継」が上手く行くと変わるんですね。

「実況中継」は、常々、師匠が仰ることですが、私が自得できた切っ掛けは「読経」です。

一応、家族が信仰深い人達であり、お経や祝詞は幼少から「習わぬ何とか」でした。

しかし「登拝」を始めるにあたり、経本を見て、声をしっかり出す所からやり直しました。

基本的にあげているものに相違はございません。

ただ、実際、始めてみると、読み方やその意味、バックグラウンドなどはさっぱりでしたので、

実にいい加減なものだと気づきました。

そこからゆっくり、しっかり声に出し、自分の状態や意味、イメージを試行錯誤して行くことになりました。
「総身合掌のお稽古ムドラ」などもしましたねぇ)

するとそれが「自己観察」になり、やっている事の理解へと繋がりました。

以来、ジャンルによっては「声を出して実況中継」します。

一度、太極拳を「声出し実況中継」でやったことがあります。

なかなか、面白いですよ。

中身や原理が分かれば、無言で、動きの少ない形(座位)でやっても内容は変わりませんが、

初心者であれば、ひとつの方法として「動きながら、声だし実況中継」をおススメします。

少なくとも「自己観察の稽古」にはなるか?と想います。

そういえば … 有史以来、分かっている範囲の実況中継の大家は「お釈迦様」‼

改めて、凄いなと想いました。

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バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
# by cute-qp | 2019-06-14 00:00 | 山小坊主通信

「回る~回る~」

足首や手首回しに夢中になっていたら(「情報と五首と私」)、

何とはなしに「短棒回し」や「廻刀」の感覚が掴めて来ました。

当たり前と言えば当たり前ですが、面白いです。

幾らモノが重くても手や指に力を込めなくて良いんですねぇ …

寧ろ、脱力していないと動けないし、怪我をする … 目指した所だけれど驚きました。

そりゃ、これで工夫し、お稽古していたら「手のオバケ」になりますわ。

「ムドラ(手)」と「アサナ(身勢)」、「意識」も更に一致しそうです。

「労宮」や「湧泉」、「会陰」の感覚や気付きも増すことと想われます。

少しでも「ソフトなアクティブタッチ」に近づければ嬉しいです。

気づいただけで、身に付いていないので、

自分なりの稽古法を考え、せいぜい検証し、体を作って行きます。

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バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
# by cute-qp | 2019-06-11 00:00 | 山小坊主通信

「十二年籠山」

ふと「オープン陳列」について想いを馳せました。

稽古のメニューのお話です。

そして、なぜ「なれるかもしれない」と書いてあるか?です。

この真意に気付くことが、とても大事なのかもしれません。

少なくとも、私には大事でした。

ここに気付いて50点が51点になる「可能性」が出て来たのだと想います。
(千日回峰 北嶺大行満 様の言葉 )

ところで … 伝教大師様は「十二年籠山」と言う制度を定められました。

「どんな人でも十二年懸命に励めば、必ず一見を得る」とのお考えからだそうです。

オープン陳列は、おおよそ3年を掛け、全ての陳列を一巡三周で「体験」する所から始まり、

後、それを「叩き台」に10年程かけ、独自にいろいろ紐解いて行く感じとなります。

びっちりやって、早くてざっと13年 … 大師様のお話でも最短距離だと分かります。

十二年を一巡三周の4セットと考えると、

「現状把握」・「修正」・「改善」・「補正」 … やっぱり最小限だ。

しかも、それで「"一見"を見出したのなら、"そこから後が本当のスタート"」と大師は説かれている訳です。

更に、補足として大師は「ただし、情熱を失わなければ」と説かれます。

私は何度も失いかけました(笑) 。

今にして想えば、なかなかこの真意に辿りつけず、

自前で「オプションの陳列」増やす必要もあり、更に年数が掛かったのですね。

そんな事から …「"一見"を目指し四の五の言わず進め」と言うのが「51点のお話」だと解釈しています。

これ「なれるかもしれない」と読めませんか?

もしここに鈍牛が付け足せる事があるとすれば、

「教われば分かると想っているのは"幻想"」

「感覚は伝えられるが教えられない」

「感じ方は受け手次第」


でしょうか? … すまんの ~ 笑えよ~ 分からんかったんじゃ~(追悼を込めて)。

それにしても、比叡山が日本仏教の母山と呼ばれるのは、

この「オープン陳列」「なれるかもしれない」故かもしれませんね。知らんけど。

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バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
# by cute-qp | 2019-06-10 00:01 | 山小坊主通信

「情報と五首と私」

しつこい様ですが … 「足首回し」(「ちょこっとずつ」が今、面白いのです。

人それぞれの個性・状況、課題で、様々な捉え方が出来、表現に困るのですが、

どの取り組み方にしても … それで自分の感覚や精神状況、立ち位置、背景が「劇的に変わる」からです。

そして、これも最近良く言います「阿弥陀籤」の如く、

ホンのちょっとしたことで全く異なる「結果」と「視座」を生む事になり、 ホント驚きです。

なので、これまでは見えぬ道の足掛かりを探す「虱潰し」としてでしたが、

今は「その微差や変化をじっくり感じ取れる様」

自然と「丁寧に、ゆっくり、少しずつ」の観察となっています。

さて、変わると言えば、昨夜、「手首」について体感させて頂きました。

その観点と繊細な感覚を体で享受する中、脳がどんどん書き換わる感じで …

一挙手一投足を感じる中、自分に Up Date用 の 修正プログラムを放り込まれて行く様で、

その都度、自分の享受するデータ量が増え、内容に濃さが増して行く気がしました。

必然、自分に内在するデータを精査する細かさや内容が変わる訳で、

より「ちょこちょこ」になるなぁって感じです。

一方、そのデータを処理するプロセッサやメモリ、ソフトが旧型で処理しきれないので、

これまたひとつづつ改良して行く事になると想います。

合気の面白さ、不思議さ、凄さを感じる学びになって来ました。

そして、意図せず、今回、「五首」の特性と凄さを学ぶ流れとなりました。
(「五首」については師匠ブログを御参照下さい)

気づいてみれば「四足さん」達の「五首」がもし死んでいたら、

日常の活動は出来ないし、データが感受出来ませんから生きていけませんよね。

当たり前と言えば当たり前なんですが、

それに気づかないってのは、立ち上がって以来、私達はその意味、退化しちゃったってことでしょうか?

何にしても、「自分を介在した情報のやり取りから己を見て行く」と、

誠にシンプルだけど、やたらダイナミック、そして至極、当たり前な世界が見えてきます。

笑われそうですが、個人的には、映画「マトリックス」で主人公がラスト、自覚した瞬間を彷彿としました。

「あれ⁉ えっ⁉ ふ~ん」…って感じで。

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バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
# by cute-qp | 2019-06-10 00:00 | 山小坊主通信

「ちょこっとずつ」

私が今、面白がっていることのひとつに「足首回し」があります。

見た感じが「準備体操」に想えるからか?、市販されている、殆どのヨガの本でも載っていません。

それにページを割くより、「売れるキャッチーな内容」を説きたいからの様です。

載っていても、やはりアサナ以前の最初の章立てに登場するので、

読む人からするとどうしても、単なる「準備体操」の様に感じてしまいます。

ただ、尊敬する成瀬先生はこれを凄く大切にされ、「丁寧に観察していくこと」強調されている訳で、

分からぬままも、何か深いことがあるんだろうと想っていました。

実際、「基礎のキ」に足がかりをつけて行くにあたり、
「手を見て想う」「ムドラ」

これら「準備に見える系」の研究が威力を発揮し、随分驚きました。

そこを振り返り、とても印象深いのが、

成瀬先生が「足首回しを"行う"ではなく、"観察していく"」と仰っている点です。

例えば、この「足首回し」にとっつける様になった段階で分かった事ですが、

果たして回していると想っている「足首」は本当に動いているでしょうか?

私は動いていませんでした。

一見、動いている様に想うのですが、自分の思い込みがそう見させているだけなんですね …

意外と足先(指)だけちょこっと動いていたり、底屈だけで背屈出来なかったり、

踝から下だけ動いていて連動していなかったり … 気づいてみると人それぞれ色々あります。

そこを毎日ちょこちょこ観察して行くと、それが「痛み」や「不具合」のある部分であったりして、

その状態に気付き、また、ちょこちょこ意識・工夫して動かして行くと、

単に、動きが改善していくだけでなく、

足首をだけ回しているつもりが、いつしか全身が連動・バランスしていて「あれっ⁉」って気付くハズです。

大体、いつも私は「あれっ⁉」ばっかりで、

体が変わっている事にも気づかず、後で動いてみて、「ん⁉」ってこともしばしば。

まぁ、気づいてしまえば、至極「当たり前」のことですが、

それが自分の普通じゃなかったから「あれっ⁉」⇒「へ~っ‼」と感動するし、面白くなる。

そして、ついつい、またちょこちょこやるっている感じです。

そんな経験があって後、

どうしても焦ったり、生真面目になって結果を出しに走り、大失敗、壊したり、

観察することなしに回数・時間・能書きに走って脱線したりする事に対し、

自分自身や患者さんに「ちょこっとずつ」を提唱しています。

ホントに「ちょこっとずつ」の事が「阿弥陀籤に一本線を入れる」になって、途端、変わります。

「"ちょこっと"で"大違い"」なんです‼

その楽しさが分かるまでは「急がば回れ」… 焦らず、ゆっくり観察してみて下さい。

「諦めず、今日も "ちょこっと" やってみよう!で "可能性"の種が育まれます」

時として、変化は「自分より他人の方が先に気が付く」場合があり、びっくりするかもしれません。

何にしても「自分が面白くなって来ます」

「関節」と言うのは体の連動とエネルギーの循環と関わっているらしく、

そこが「体の硬い人のヨガ」と言う言葉を現実のモノとさせてくれています。

楽しいです。

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バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
# by cute-qp | 2019-06-06 00:00 | 山小坊主通信

「ムドラ」

50にもなるとどこか不思議と信心深くなり、

朝晩、御先祖や神仏に手を合わせる、なんて習慣が出来てしまう今日この頃。

信心だけでなく、このひとときを以て、

自分を観察していたり、整えるなんて習慣が始まりました。

何となく、今日はやけに気持ちや声がすっと通るな~と思う日もあれば、

今日は心も体調もダメダメですね … なんて日もありまして。

いつしか、バッターボックスに立つバッターのチェック動作の如く、

声の音程、頸の位置、骨盤の締り、重心などにそれとなく気を払う様になりました。

そして、朝晩二回ですが、それを毎日微妙に変えて行いながら、

出来るだけ、体や心がす~っと通る状態が保てればいいなぁと思っています。

中でも「合掌」には拘っています。

コレ、一見、簡単に思うのですが、

合掌には私なりには「手だけの合掌」と「総身の合掌」があって、

まず、この「総身の合掌が "あ・る" 」と言う事に気づくのが難しかった。

そして、それを実現するのがと~っても「む・ず・か・し・い」って事に気づきます。

合気で言う「"手だけ"で、"技"をするな」って所と同じですね。

だから、体が出来ておらずと積み重ねもないと「合掌」も同じく出来ない。

そして … しばらくして、手の使い方にも工夫がいる … と気づき始めました。

ところで … 私はお坊さんではないので印契は存じませんが、

ヨガに「ムドラ」と言うものがあり、そこから手の使い方やその他の研究をしていました。

昨今、出版界も「ネタ切れ」らしく「ムドラ」をフォーカスしたマニアなスピ本もチョコチョコ出ていて、

それぞれの図解と能書きが乗っています。

ただ、それだけを真似しても、鈍感でまっことに!懐疑的な私にはな~んにも起らないし、変わらない。

でも、古人が見出したものには必ず何かあるハズだと思っていました。

そんな中、師匠のお教えもありますが、ヨガを通じて大切な事に気づきました。

それは「(呼吸を以て)総身で緩みを取る」と言う事です。

「手を見て想う」に書きました「当たり前と言えば当たり前」のひとつで、

「抜長」や「張力」、「伸張・伸展」も同じではないかと?

ヨガのアサナも呼吸もムドラ、バンダも全てこのシンプルな原則を元にし、それに終始しています。

あっそうか!と想いました … でもこれがなかなか難しい。

呼吸を使い、緊張せず、ギリギリまで緩みを取る … その為のスタートすら出来ませんでした。

その上、ちょっとした指の表情、体の作り方が違ったり、甘いだけで、心と体に緩みがまったく取れず通らない。

まぁ、それが研究としては面白いのですけれど。

そうして悪戦苦闘する中、まぐれでも上手く行った時は、

意識がクリアに、イメージも自由になり、体の締まってきます。

神仏を前にして、何気に気持ちが通って行く感じです(あくまで、主観ですが)。

自分の内外に緩みが取れ「糸電話ネットワーク」が出来るんでしょうか?

それとも「パラボラアンテナ」?

よく分かりませんが、密教でやっている事ってこんな感じなのかなぁ~と想いました。

真偽は存じませんが、日本に請来した中期密教から更に発展した後期密教の核心が「ヨガ」だとか。
(後期密教については誤解も多いようですが…)

修行中、迷ったり、悩んだり、偏差に入ったりする問題が多く起こった為、

最終手段として、己の体を総身、精一杯伸ばしたり縮めたりしながら観察・観照し、

己と物事の真意を知れと言う事らしいです。

専門家じゃないし、ホント真偽の程は分かりませんが、

私には腑に落ち、いろいろな事に気付かせて頂きました。

いや~誰がこんな事に気づいたんでしょうねぇ。

「手を見れば」… と言うのは、合気だけではなかったです。

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バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
# by cute-qp | 2019-06-04 00:00 | 山小坊主通信

「手を見て想う」

「波乗り」の様に、

何がしかの流れの中にある時、

意味も分からず、それに懸命に乗り、

ただただ、状況を感じながら自分を冷静に見つめ、

ひたすらコントロールする以外、身も心も余裕はまったくありません。

なので、さぁ、この流れが何なんだ?などと、今の段階で分かるはずなく、

ひょっとして、一生分からないかもしれない。

なのに師匠は「実況中継しろ!」って言うんです。

はて、何を中継できるのだろう?

気を取り直し、今、机に向かうこの心境から浮かぶ事と言えば、

「合気とそれに伴う治療」において、「手」は非常に大切だということ。

かつて、武田先生や佐川先生も「手を見れば…」と仰ったそうですが、

「合気の手」にはそれだけ、特異性や真理があり、

手の学びにして、手のみにあらずと言うものがある様です。

良く分からないのですが … そこに少し触れ、彷彿とした時、

かなりオーバーかもしれませんが、突然、おめめがパッチリ開くとか、世界観が変わるとか、

まぁ、内心ビックらこいた … それまでが、八方塞がり、五里霧中でしたからねぇ。

門に入り、ようやく、ここからが本番なんでしょう。

どうやってその辺を感じられたのか? … 実の所、よく分かりません。

多分、運よく漂着って事ではないかと?

ただ、一晩振り返り、何となく想うのは、

説かれている事と自分のレベルの差をまず徹底的に確認し、

少しでも、その差を埋める為、一歩一歩その足がかりを作る作業はして来ました。

ホント驚きましたけれど、4年前はその差があり過ぎ、

どこまで降りて行けば良いんだろう?と愕然・落胆しました。

余裕で、義務教育レベルを越え、伝い歩き、ハイハイを通り過ぎました。

とにかく、基礎のキにまったくとっかかれません。

最終的に分かった事は「稽古を始める」事すら出来ないレベルで、そこからのスタートだったと言う事でした。

「それ基本ですよ」、「それ当たり前でしょ」 … そう人から言われる事がま~ったく出来ず、とっかかれない。

随分、笑われましたし、自分でも惨めなものでした。

ところが、しばらくして分かったのが、

自分にとって「当たり前じゃなかった」基本は実に面白いし、感動があるんです。

そうして、体感を伴い、既成概念がどんどん潰され、更新されて行きました。

すると次第に「シンプルな真理」を体感出来る様になり、それをガイドに歩む様になって行き来ました。

そこと「同行二人」しながら、今も一歩一歩「自分なり」の足場を作って登っている感じです。

その過程で、合気に必要な感性や身体の作り方を感じる様になり、

それが「手に現れる」のかもしれない?と感じています。

その為の合気の重要な教育法・伝授法が「啐啄同時」の様です。

技を伝えられる師匠が存在し、

その師匠の「啄」をいかに受け取る事が出来るか?が大切な様です。

なので「技を掛けて頂く」事でもう十分すぎる程のものを既に!受け取っている訳です。

そこに「気づけたが「手」の最大の特徴かもしれません。

とにかく、この「手」が出来て来ないと「師匠の心や技が受け取れない」様です。

私の恥を申せば、それまでは例え教えや技を受けてはいても、その大半は手から漏れ、

自分の芯に入ってこず … それを痛感しています。

それ以前でも、師匠のお力で情報はある程度、自分の脳幹に入って行き、一時的に変化もします。

しかし、そこに自分が「本質的に繋がらない」ので己で導き出すことが出来ません。

元より何より、受け取る「圧倒的な情報量と内容が違う!」と感じます。
(例えれば「のろし」と「光ファイバー」位…いや、もっとですね)

なので「手」は「繋がりの証」(自分自身・自他との)とも言えるか知れません。

だからこそ、ヒナは「啐」し続けなくてはならない。

その為にも、合気の独自の学び方を感じ、それをまた、各位独自に工夫する必要がある様です。

大変ですが、当初よりその「可能性」をその身に頂く訳ですから、それだけでもまったく違います。
(門派により直伝と非直伝の伝授があった … と言うのも何となく分かる感じです。)

当たり前と言えば、当たり前、でも「ミソ」はある … そこなんだと想います。

余談ですが、私が今まで山から学んだ事は、

● 自ら感じ、学び、工夫をし続ける事 。

師匠は自然ですから、こちらが至った分しか答えてくれませんし、感じられません。

● 常に体を動かし、心は冷静に、刻々と変わる自分や状況を俯瞰し、対応し続ける事。

お陰様で「考えるヒマ」、「偏差を起こすヒマ」が少なくなって来ました。

落ちてくる「ぷよぷよ」にひたすら対応していく訳ですので。正解不正解は別として。

● 答えが比較的直ぐ現れる ⇒ そこにどう対応していくか?

自分の行為が比較的直ぐ現象として現れます。そこをどう対処するか?

● 直ぐでない答えは一旦保留して、進み続ける。

直面した流れや問いは直ぐに理解できない事があります。

気にせず、即応し、乗って行きます。

いずれ、何かは分かります。

● とにかく、何か、自分でやってみること。

分からないままでも、

他人に笑われ、理解されなくても良いと思います … 自分が自分を分かっていて、楽しく、ワクワクしていれば。

「やってみる」事に可能性が生まれます。

● 意図しないことも、やってみること。

自分の意志とは別に何かをやらされる事もあります。

公序良俗に反せず、可能なら、乗っかってみます。

意味は後から分かるかもしれないし、分からないかもしれない。

総じて、とにかく、「阿弥陀籤」に自ら一本「線」を入れに行くってことです。

… と言う事で、「手は深い」のお話でした。

まだ知らないことばっかりです。

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バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
# by cute-qp | 2019-06-01 14:00 | 山小坊主通信

「"玄"関」

私のここ数年は数々の苦手との対峙と言っても過言ではない。

「ヨガ」もそのひとつだ。

ただ、ヨガは嫌いではなく、寧ろ、憧れ ... でも、まったくとっつけず高嶺の花であった。

恥を話せば「アサナ プラナヤマ ムドラ バンダ」の草稿は17年前に頂いている。

その素晴らしさを直ぐに分かるも、その基本のどれひとつとっつけず、

K野先生の「クダキ」すら取り組む以前の状態でお話にならない。

仕方なく、自分なりにいろいろやるものの、却って怪我や故障をし続けている状況であった。

今にして思えば、元々、身体は硬かったのだが、

身体への意識のなさや使い方の不味さ、誤解に加え、

ヨガの本旨を正しく感覚的に捉えておらず、

それが硬い体質に輪をかけていたとも言えよう。

とにもかくにも、人生のどん詰まりに来て、

この大苦戦したヨガを「百尺竿頭進一歩」せねばならぬと想った。

でも、案の定、問題の外堀をどこからも突き崩せない。

振り返るに、それだけ「基礎」は厳格で、ブレ様のないものだと想う。

なので徹底してレベルを下げ、自分が動き始める所を模索する所から始まった。

でも、それは一向に見つからず、これだけ動けないと実にミジメ ...

精神的に、蜘蛛の巣や蟻地獄、底なし沼にいる様で最悪だった。

でも、これがブレイクスルーに間違いはなく、

「登拝」で身に着けた諦めの悪さと

拾う神の助けでひーひー言いながらのスタートだった。

結局、自分なりにも微々たる変化を感じるまで10か月位掛かった様に想う。

その根底に流れるものは、至極当然だが、徹底したセルフ・モニタリング。

それを、己の「つもり」や「想い」、「焦り」、「拘り」などが邪魔をする。

そこをただただ一個一個「灰汁取り」し、曇りを取る作業だった。

最も回りくどく、遠回りだが、きっと、王道なアプローチだった様に想う。

そして、その指針は「つながり」・「バランス」・「肚・会陰」・「ゆるみをとる」

これを真っ暗闇の「コンパス」...「判断基準」とした。

と言えると恰好がいいが、

「つながり」ってなんじゃ、「バランス」ってなんじゃ、「肚・会陰」って ...

ことをどう身体で感じ、学んでいくか?って所からのスタートだった。

これは未だに自問自答中。

なので、まだ「え、そんなことできないんすか⁉ その程度ですか⁉」って言われるレベルやね(笑)。

でも、時折、変わらぬ硬い身体に意識出来る所や条件が揃うと劇的に何かのポーズになったりする。

それに正直、自分が毎回驚いてしまう訳で、ヨガ良くできてんな~~~と。

成瀬先生の仰る「硬い人のヨガ」が理解できた瞬間だった。

思うに、ベースとして身体が柔らかいに越したことはないけれど、

硬い分、きっちり条件が揃わないと身勢が取れない事で、

実の所、「体内操作」が分かり易い。

今にして想うと、以外と軟体さんの方が「繋がりのない外の動き」をしており、

それを「私できるねん」と誤解してしまう傾向にある様だ。

正に「怪我の功名」... ダメで助かる時もあんねんね~~~。

あと、硬い分、焦らなくなる。

年齢もあって無理できないし(壊れる)、一遍に出来ないから。

柔らかい人がワンモーションなら10モーション位は最低必要。

ひとつひとつ落ち着き、自分を観察しながら条件を組み上げて行くことが普通になる。

これで「コマ送り」が上手くなるんやろね。

後、感心する程、よく見えているに、自分が動くとガサツで外の動きが目立つ場合がある。

昨日までの学びで思うに、内からの動きって早くとも「たおやか」で「ガサツ」にはならない。

たぶん、自分を見ているつもりで「想い」や「やる気」が勝つんだろうなぁ。

まぁ年齢が40以下なら仕方ないけれど ... 。

とにもかくにも、ようやく、とっつける様になった嬉しさを味わっている所だす。

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バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
# by cute-qp | 2019-04-08 00:01

やっとこ、「ゆっくり」・「丁寧に」動ける所まで来た。

非常に感慨深い。

呼吸に伴う、身体の動きをモニタリング・補正しながらやると、ごく普通にそうなってしまう ...

そんな自分の現状に自身で「ほ~~~~っつ」と想う。

例えば、「でんでん太鼓」の様な躍動的な表現においても

ゆっくり、でも鈍る事無く、たおやかに動ける。

やっと「足りない操作」発 ⇒ 「体内操作前」に下車出来そうだ。

「意識」と「呼吸」と「体内運動」のびみょ~な差が面白いねぇ。

正に「ピカッ、ゴロゴロ ドか~ン」だわ。

本来、太極拳や気功などはそうある訳だが、

まあ、己勝手に、青臭く、それらしくやってただけですな。

それが「年齢」・「故障(病気)」・「経験(失敗)」を経て、

そ~~~言う誤魔化しや無理無茶が出来んようになり、諦め、

発想や動き方、感覚が変わって来たんでしょうなあ~~~多分。

ま、結果、良しとしとこう。

お陰様で、これからはひたすら・徹底的に「落穂ひろい」ですな。

落穂ひろいと言えば ... 嫌で避けて来た事や苦手な事へ道がついてきていること。

「すべからく中身はひとつ」 ... とすれば、苦手は「不完全」を示すものなんで嬉しい限り。

印象深いのは ... 出来てしまえば、なんでこんな事に苦労してきたのか?さっぱり分からない。

でも、振り返ってみると、難しいのは確かに難しく、予想外であった。

そう言えば、先週、怖かったのが、会陰の調子が少し緩んだせいか?、

身体、意識、性エネルギーっぽいもののテンションが落ち、

なんかほわ~っと白~~~~く、満遍なくなってしまいそうになったこと。

慌てて、必死に締め締め、昨夜は更に、朱を入れて頂き、

どうにか下半身からピンク色とバックビートが戻ってほっとする。

ついでといっちゃ~なんだが、なんか知らんが、会陰がヒクヒクして背骨に伝わるのが面白い。

昨夜のレクチャーの内容は、体操からでも何からでも多面的に確認・学べるけれど、

個人的には「八段錦」でそのベースが押さえ易い気はしている。

何より、出来んことの多かった自分に出来ること増えて嬉しい限りだ。

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バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
# by cute-qp | 2019-04-08 00:00

「先達さん」

故障や不調の際「なんでこうなるの?」と想い、

その原因に気付き、治ると「なんでこんなことしちゃったんだろう?」って想う。

予測だにしない動きを見て「すご~い、なんであんなことできるの?」と想い、

悪戦苦闘の末、どうだか動ける様になると「なんでこれ出来(気付け)なかったのだろう?」と想う。

小恥ずかしい様な、嬉しい様な、なんともむず痒い感じ。

不思議なのは ... 動けたら動けたで、その「感じ」を掴めてはいるが、

それをどう説明したらいいか? ... 実によく分からない。

自分が迷っていた時以上の難問。

当然、自他の感じ方・経験に差がある訳ですし、

掴めた感覚も、ある側面、一部に過ぎない ...

じゃあ、どれだけ自分の感覚を開けるか?

どんな風にこの感覚を共感・共有できるのか?日々、想いを巡らす ...

そんな事が、日常、仕事、楽しみになりました。

身体って、心って、自分って、ホント面白いなあって感じです。

なので、仕事のスタイルや看板は「施術」や「運動処方」...

いわゆる「猫の手」で、皆さんの「手の届かない所」を補助・補正・アドバイスする訳ですが、

そこから、なにがしか?の感覚を通じ、一抹の心地よさと共に、

自分を見つめ、知る嬉しさ、

自分が変化し、無限である不思議さ、楽しさ

年だ!病だ!と言って、想ってもいなかった目標や夢、臨界にチャレンジ出来るワクワク感 ...

そんなものを共感・共有して頂くのが私の仕事 ... 生き方の理想だと想い至りました。

なので、「先生」や「指導者」と言うより、私は「先達」さんが一番しっくり来る気がしています。

自分が自己探求・修錬し続けながら、「ガイド」を務める人。

あくまで「ガイド」 ... そんな風になりたい。

お陰さまで「最初は患者さん」として出会った方々も、

徐々に「チャレンジャー」や「探究者」になって来て下さっている感じで、有り難いです。

年齢と共に、自分のスタンスが整理され、

その軸やベース、専門も纏まりつつある一方、

「先達」として、今まで以上に、ジャンルを問わず、フリースタイルになりそうです。

「自己観照」と「視野を広げる」は相対性で同根ではないかと?

生来、生きている内に、出来ることはすべて経験したいし方だし、

「哲学」って意味じゃぜんぶ一緒ですし。

今、50目前で、自分にとって予想外のとても難しい課題に直面中。

当惑とは裏腹に、刻々と、そちらへと誘導されつつある感じです。

ホント、そんな風になれるのか?戸惑いつつ、

これを纏めてみて、やっぱり、そうならねばならんのか ... と諦め。

ヤダなぁ~~~。

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バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
# by cute-qp | 2019-04-05 00:00

「会陰感覚」

「締めた途端に緩む」 ... そう成瀬先生からお伺いしていた訳だが、

自分が「会陰感覚」を掴める様になってようやく、それを実感。

とにかく、直ぐに緩みだすし、油断すれば、「会陰感覚」すら簡単に無くなって行く。

コレ、航海に出るのに、コンパスや海図、目星になる星を見失う感じに似ていて、

自分をモニターしたり、誘う「感覚」をすっかり失う。

苦労して見つけた星を一瞬にして、それもどんなだったかも分からん位。

今にして思えば、そう言う「人の振り」を見て来た訳で、実にこわ~い。

スキルどうこう以前に体調が瞬時に崩れる。

だ・か・ら これ維持するのがあちきのベースでありんす。

で、これを目星にして、毎日、いろんなことをしている。

が!すぐ抜けんのね ... 動くと。

シリンダーの圧力漏れちゅううか、ジッパーの締り損ないっちゅうか、

体位の変更やバランスの変化、連動に対応出来ていない。

「蛇の卵飲み」や「ミミズの蛇行」みたいに上手に行かなくって ... 彼らは凄いわ。

「前後左右」は勿論、「捻り」なんか実に難しい。

それ、実に細かい必要条件不足の存在があって、

己が想いでただただ締めりゃ良いってもんじゃない‼

それ、締めてるつもりでまったく締まっておらず、しまった~~~なのだ。

逐一、都度、会陰感じながら補正し、条件を満たして行くしか方法がない。

それ、順次、段階的に締まって行く過程と言える。

ま、そんな毎日ですわ。

ひとっ跳びに行く作業じゃないのに一瞬に消える ...

まるで、海岸の砂のお城や賽の河原の石積みみたいじゃ。

でも、まぁ、ちょっと剣振れる様になってきたし、鉄棒もね。

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バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
# by cute-qp | 2019-03-31 00:00

「かんぜんへんたい」

この所、自身や周囲の状況、仕事で「生・老・病・死」を感じる。

言葉自体は知っていたけれど、これ程身に染みるとは。

これまで多少、生きて来たとは言え、至極、当たり前だが、

50は50の初心者、60は60の初心者 ... その時々に対処して行くしかない。

ただ、お陰さまで、仕事柄「学ばせて頂ける」事が多く、

その心持ちや準備、チャレンジをさせて頂いている。

自分のスタンスの様なものも纏まりつつあり、もっぱら、それを深化させているのだが、

生来の性格もあり、自分の臨界と視野を常に広げたくも想う。

とにもかくにも、もう人生半ば過ぎだと言うのに、

この所、全身筋肉痛と痙攣の日々だ。

中坊か!とも思うが、自分を根本的に変えようと思えば、

年齢は関係なく、この位は最低、必要なのかもしれない。

青虫 から 蝶々 へと完全変態するべさ~~~‼
(この「ヘンタイ」って表現って:笑)

そう言えば、先生の年末から春までの身体の変化は興味深かった。

脱力の度合いや身体の全体的な締り、軸の細さは勿論のこと、

個人的にふと「歩き方」の変化に興味を持つ。

その辺を自分なりに稽古している今日この頃だが、

徐々に私の歩き方にも変化が表れ、

気づけば当然、でも、己のことながら、へぇ~~~と感じてしまった。

この春から、以前に増して坂・階段を行く機会が増えたのだが、

その際の重心感覚やバランス、身勢は今まで感じたことがないものだ。

持久力がないからひ~ひ~言いながらも、その負担の軽さに驚いている。

日ごろ、いろいろ教えて頂いている訳だが、

一番の教えは、その背中(生き様)かもしれない。

残念ながら、あたしゃ「反面教師」しかなれんわ。

かんぜんじゃなく、ただのヘンタイ⁉

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バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
# by cute-qp | 2019-03-26 00:00

明日早いから、ぴゃぴゃと纏めよかね。

もう数か月で50と来ると毎日「緩く」・「脆く」劣化していく自分を感じる。

ちょっと油断すりゃ、際限なく「だだ漏れ」状態。

元々、強くない身体のバランスがいとも簡単に崩れる。

何も分からない時、だだ漏れ全開で居られたのは、正に「若さ」と「運」か⁉

必然的に、 物理的・精神的に出来ないことも増えて来る。

まったく根性も無理も通じん。

そこで一般的には「諦める」か「頑張り続ける」訳だが、

幸い、私は「合気的方向性・発想」に出逢えた。

前者が、「降伏」・「抵抗」に対し、後者は「自覚と調和」の歩み。

「出来ない」事が自分を見直し、気付き、再構築する切っ掛けや発想になる。

往々にして「無理ができる時」自分の現実を知ったり、改善のイメージや発想が湧き様がないのかも。

例えば、段々、手で剣を振ることができなくなる。

それすると途端に固まり、歪み、身体が壊れるので。

なのに、重い真剣を自在に扱わなくてはいけない ... 。

そこで「諦め」っちゃ~諦めだが、「撤退」ではなく「明らかに自覚」するってことが始まるのかも。

この場合、まず「手で振れん」とありのまま自覚することだ。

そこを「明らかにした」時、焦りを越え、己を「俯瞰」・「分析」・「発想」する余裕が生まれるのかも。

これ大きい。非常にね。

「年齢を重ねる」って「自覚を重ねる」って事にかもねぇ。

稽古も「鍛錬」ちゅうより「自覚を誘い、重ねる」って方向になるかも。

すると緩くなってんのに、今まで以上に締りの良く、統一性・自由度の高い身体になれるのかも⁉

目もいろいろと開けるかもね。

面白い限りじゃ。

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バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
# by cute-qp | 2019-03-24 00:40

「もし亀 後日談」

昨夜、自分なりの纏めをした訳だが(「もしもし亀よ」

今日は、それを確認させて頂く内容となる。

改めて「調整」は「ポジショニングの補助・誘導・センタリング」と確認。

それには自身の「ポジショニング・ロッキング・センタリング」の精度だす。

まぁ、私は、まず「腰の廻り」からだすな。

柔術の古称を「腰之廻」と言うが、今、それを体にイメージできる。

また、古来「柔術」と「居合(小具足)」は相互補完関係であったことも頷ける。

途中、K野先生に朱を入れて頂く中「zipper」のイメージと感覚が閃く。

ごく個人的な感覚なので、軽く無視して頂いて結構。

解説する頭も文章力も、元より内容もないんでま~ったく参考にはならない。

私のサイクリック的ポジショニングに「今」、そんな感覚があるっちゅうだけのこってす。

大事なのは!この段階的・サイクリック的ポジショニングですわ。

そして ... それは既に先生が書いてあるし、仰っている ... が、自分なりの表現が出てきて嬉しい限り。

その場でいろいろ、今まで出来なかったポジショニングをしてみて、

それが「太陽礼拝」みたいに繋がって行って実に面白かった。

これで頂いたものを生かすすべは見えて来た訳だし、

自分なりも加え、余生を自己の補正と改良に費やすとしよう。

は~~~っすきりした。

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バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂


(参考)不可得
# by cute-qp | 2019-03-18 00:00

「もしもし亀よ」

「鳥」と「亀」で言えば、圧倒的に「亀」が苦手。

今にして想えば、多分、構造的にも「亀」の方が難しい。

いろんな前提が揃って「亀」に到るし、「亀」がベースなのかもしれない。

気功の歴史を紐解き、そのベースを見ても、やっぱり「亀」だ。

「円運動」・「命門」的にそれっぽく動いてみせることは出来るけど、

当然、似て非なる動きだから、道具を持ったり、活歩でやってみればダメさは歴然。

何より、自分の感覚や心が違和感を感じ「それ違う!」って言い続ける。

どうしたものか?どこからとっついたものか? ... 随分、長く悩んだ。

それが、この所「四股」やヨガの動きを見直してみて、

「L5」や「会陰」に繋がって行くポジションがうまく取れる事で、

体に自然と「亀の動き」が現れ、

全体の動きの感覚やイメージ、「分け目と搦」なんてことが体感として感じ取れることを認識する。

面白いのは、

例えば、なにがしかのヨガのポジションを取った時、

それをどの様に組み上げて行くか?動きの流れやイメージが湧き出てくること。

コレ非常に大切で、

かつて、成瀬先生が「体の硬い人のヨガ」があると仰り、それがなかなか感じ取れなかったのだけれど、

体が硬い分、ストライクゾーン、スウィートスポットがはっきりする為、

体のポジショニングが上手く取れ、全身に繋がりや流れが出来れば

体が硬くとも、びっくりする位、アーサナ(身勢)は組み上げれる様になる。

そして、この組み上げの精度が上がれば、必然的に柔軟性も増す。

対して、柔らかい方は余程注意しないとポジショニングの感覚と重要性を意識し難い様だ。

柔らかさでアーサナが作れても、それ「体内操作」とは限らない。

イコール、古人がアーサナに込めた智恵に到らず、ただの柔軟となる。

余りにも体が硬い私は、かつては、柔軟性を想い過ぎ、勘違い、方向性を誤った。

大切なのは「ポジショニング」とそれに伴う「ロッキング」、「センタリング」だ。

柔軟をする事自体、決して、マイナスではないが、それだけでは「体内操作」に意識が到らない。

「開脚本」が流行り、故障者続出なんかはその顕著なものでは?

勿論、硬い人はポジショニングの前提すら取り難い欠点がある。

しかし、どの様な前提が必要か?時間は掛かるが

ひとつひとつ、試行錯誤しながら柔らかくすることは出来る。

もとい ... 「亀」は「体内操作で自分に合気上げし続ける動き」だ。

自分に「相架け」し続けているでも良い。

ヨガなら「マハ・バンダ」 ... 自分で自身に突っ込み、交わる動き ... いや~~~凄いなあ。

すると「新陰流」とか「無刀」の理合の凄さや

「合気」と「剣術」の関係を彷彿する。

隠居直前にしてようやく道が見え、でもまぁ、その道の遠いことよ。

なのに、気付いたことを身に着けるのに時間は掛かる。

諦め、亀は亀らしく「亀の歩み」で行くとするか。

「兎と亀」の後日談になったら悲惨だけど ... 信じる道を行くべさ。

世の人は われをなにとも ゆはゞいへ わがなすことは われのみぞしる by 坂本 龍馬

ホント、良い歌だ。

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バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
# by cute-qp | 2019-03-17 01:30

「萬金飴」

大峯と言えば「陀羅尼助」

越中富山と言えば「反魂丹」

そして、伊勢には「萬金丹」ってのがある。

今でも伊勢や神宮付近でやたらと売っているし、通販もあるのだが、

名称の使われ方が残念過ぎるし、

私には余りにも身近でほとんど意識して来なかった。

それが、たまたま、スピンオフ商品に「萬金飴」ってのがあって、

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能書きにも「のどによし おなかによし」とあり、

「へ~ぇ、そこまで言うなら」と衝動買い ... 話はそこに端を発していて、

花粉の嵐の中、喉に重宝しているのだ。

誰にでもそうか!?は存じ上げないし、ス~~~っとする系ではない。

ただ、個人的に喉の不快や発作が予想に反し、楽になった。

宜しければお試あれ。

元々、漢方薬テイストが好きな人間なので、嫌いな人の嫌い感は分からないけれど、

噛まず、ありのまま、なめなめして頂ければ宜しいかと想う。

すると、のっけから漢方味は攻めて来ず、黒糖の甘みが口に広がり切った後に纏めてやって来る。

この「纏めてやって来た時」に「大人の味が分かる」感に浸りながらなめなめしたい。

意外と私にはこの薬効が効いて、喘息発作が随分と緩和された。

他に「芍薬甘草湯」も売っている。

私自身はほとんど使わないが、

山行きにはいつも携帯し、同行に飲ませることが多い。

この所、こんな民間レベルに浸透していた和漢に助けられたり、

山麓のお菓子、食べ物をひそかに楽しむ生活が続いている。

この8月末の大峯行きで皆さんにも体験して頂こうと想う。
「大峯入峰企画 進行中!

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バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
# by cute-qp | 2019-03-15 00:00