昨夜の「明鏡止水」はイメージ受容感性を受け、今日も少しお話致します。

 これは「医療人」としてだけでなく、全ての意味で大切にしたい事で、以下のお話
は鈴木秀子先生の著書より引用させて頂きました↓

 生まれたばかりの赤ちやんを育てている若いお母さんが、こんな話をしてくれま
した。

 彼女のもとには、若いときにブラジルに移住し、最近帰国した元看護師の日系
人が、子育てのお手伝いに来てくれていました。

 その人は、子どもを健やかに育てる方法としてお母さんにたった1つのことを実行
するようにアドバイスしたそうです。

 「おっばいをあげるときにも、寝かしつけるときにも、いつでも赤ちやんに 『いま
それをしようと思うけど、いいかしら?』 とたずねてあげてください。きちんと、てい
ねいにね」。

 彼女は実行しました。「もう寝たいのかしらと思うけど、ねんねの準備をしていい
ですか?」。まるで大人の都合を開くように、何をするにも問いかけました。

 はじめはぎこちなかったけれど、続けるうちにお母さんは、子どもがはっきりと
反応しているのに気づいたのです。

 それをして欲しいとき、赤ちやんは全身で喜びを表現してくれました。気が乗ら
ないときは反応は鈍くなりました。

 「何よりも、母である私の心が整ってきたのです。ていねいにたずねることで、
たとえ赤ちゃんであっても一人の大切な人として壊する心もちになれて、してあ
げようと思うことに一層心を込めることができるのです」とお母さんはいいます。

 人に寄り添うとは、相手の状況を把捉し、相手が一番望んでいることは
何かを察すること。さらに自分の心を整えるということなのですね。

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 小さな子どもであっても、他に一人といない、その子だけの人格をそなえた、か
けがえのない存在です。

 気持ちを尊重し、ていねいに寄り添ってくれる人に育てられた子どもは、きっと
″相手を大切にする人″ へと成長してくれるのではないでしょうか。

 ↑以上、引用終わり。

 いつも私としては、イメージする「こうありたい将来の自分像」と言うものを見据えて
いる訳なのですが、その中の1つがこの鈴木先生の表現で明確になったのです。

 そして、相手に寄り添う為に、先生のお言葉をお借りするならば、「自分の状況を
把握し、自分が望んでいることは何か観察し、これを整える事が大切」
だと思い
ます。

 それが、春風堂なりの「診察」や「治療」、ひいては私のこれからに繋がる気がしてい
ます。
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# by cute-qp | 2008-10-31 00:00

 今日は最近、富に大切だと想いますことをお話致します。

 お恥ずかしい話ですが...わがまま一杯に育った春風堂は「人の話を聞く」タイプでは
なく、更に、「思い込み」と言うか、「先入観が強い」人間でありました(笑)。

 しかしながら、それなりに「痛い目」に会ったり、「年齢を重ねた」事に加え、「人の心と
身体」を見据える職業を選び、「人の話を素直に聞く」事や「先入観を捨てる」事の大切
さを身を以て知りました。

 その為にも、先ずは自分自分自身の姿をキチンと写せる「鏡」にならねば...と想って
おります。

 その上で初めて皆様のお姿の一面でも「写せる」様になると。

 そう言えば、「荘子」徳充符(とくじゅうふ)の項に「明鏡止水」と言う言葉があります。

 その意味は「一点の曇りもない鏡や静止している水のように、よこしまな心がなく明
るく澄みきった心境」を指し、勝海舟「氷川清話」の一文にも「ただただ一切の思慮を
捨ててしまって妄想や邪念が、霊智をくもらすことのないようにしておくばかりだ。すな
わちいわゆる明鏡止水のように、心を磨き澄ましておくばかりだ。」とあります。 
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 そこで、今日は先ず、「明鏡止水」を目指す私の練習の一つ...「傾聴」をご紹介致し
ます。

 「傾聴」とは、何らかの問題・苦しみのなかにいる人たちの心を共感をもって受け入
れ、その人たちが再び生きる意欲を取り戻せるように、「側面から」サポートする事を
言います。

 シンプルに言いますと、様々な場面での「聴き上手」です

 但し「聴く」ということは、単に言葉だけではなく、その深いところにある、何かそ
の人が表現したいことを汲み取ることで、その人が伝えたいと思う、溢れる想いを
受けとめ、その人の内面のに触れる営みです。

 その内面...胸のなかにつまっていた想いをはき出してすっきりすると深いところ
から自然に解決に向かう「鍵」が出て来る訳で、ここから聴き手の本領は発揮され
ます。

 従って、本来の「聴き方」は、自分を無にして、相手のいうことに批判や評価を
せず、受けとめたものを的確に打ち返してあげることと言えます。

 「センタリング」ですね。

 この事はとても小さな行為かもしれませんが、そんな聴き方をしてもらえた人
は、「自分の存在価値や重要性」を回復して行きます。

 そして、そういう聴き方が出来た事で、聞き手も自分自身の成長の大きな「鍵」を
手に入れることが出来ると言えます。

 しかしながら...人間はどちらかと言えば、「話す事」の方が好きで、なかなか、
「聞き手」に廻るのは難しいです。

 更に、「核家族化」し、「井戸端会議」がなくなり、家族内にも「会話」が無くなりつ
つある現在、「聴く」技術がどんどん退化している様にも想います(欧米同様、お金
を支払い、「カウンセラー」に話を聞いて貰う風景がそうれ象徴している様に見えま
す)。

 ところが、本や講座で「話し方」はあっても、まだまだ「聴き方」と言うものは少なく
、しかも、「聴く」事は「話す」事以上に経験と技術が必要。

 だからこそ、専門家でなくとも、私たちは「聞く力」を身に付けなくては!と想う春風
堂です。

 そう言えば、最近のお笑いでも息の長い芸人さんは「司会」が出来る人で、彼等は
よく「人の話を聞き、それに的確なアクション・リアクション」を取っています。

 彼等を見て思うのですが、「聴く」と言うのは決して「受け身になる」事でなく、「人が
何をどう考えているかイメージ」し、その考え方を「学んだり」、「思い遣る」等ではない
かな?と感じています。

 そんな「イメージの欠如」が現在の様々な社会問題に繋がっている様に思えて
なりません。

 反面、それが例え一部でも「思い遣る」事が出来る事で、「他人を認め、自分も認
める」
事に繋がるのではないか?...と思います。

 それが、私自身や私のお仕事にはとても大切で...私にとって、「聴く」事を含む「五
感(+α)」は単なる「身体感覚」でなく、「イメージ受容(器)感性」...それを研ぎ
澄ます事(明鏡止水)が大切だと思っております。
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# by cute-qp | 2008-10-30 00:00

 唐突ですが、春風堂が「センタリング呼吸法」を練習致します際、「太極棒」と呼ばれる
短棒や木刀、杖などを用いて行う事もあります。

 これは「武道」出身と言う事もあるのですが、「モノを持つ」と言う「制約」や「条件」、
「視点」を持つことで、自分一人の単独練習を出来る限り客観的に行いたい気持ち
からです。

 そう言えば、中国武術でも「拳術だけでなく、気功(心身の作り方や使い方、見詰め方
)や武器術」を総合的に出来て初めて「一人前」...と言うお話を聞いた事があります。

 実際、フリーハンドで簡単に出来る事も、モノが持つ「軽重」や「長短」、「硬軟」や「形
状」が加わることで、「出来ていたつもり」の自分に気付く事が多々あります。

 そこで、もの持った呼吸法として、私が参考にさせて頂いている「白井 亨」先生の剣
術について少しご紹介致します。

 白井 亨(しらい とおる:1783年-1843年)先生は、江戸時代後期の剣客で、天真
一刀流二代目にして、天真伝兵法の開祖。白井流手裏剣術の開祖とも伝えられてい
ます。

 先ず、先生の剣術の技は「腹」・「真空」・「赫機(のび)」の3つから構成されています。

 具体的には練丹の法によって丹田(腹)に充満させた気を、下腹部から鞠のように膨
らませて巨大な球形(真空)を作り、敵をその中に包み込んで身の自由を奪い、目や耳
など五感の働きに頼らず、丹田の力で外界の動きを察知し、剣の切っ先からほとばしる
エネルギー(赫機)で刺し貫くというものです。

 白井先生はこの3つを、「硫黄」と「硝石」と「木炭」に例え、この3つがうまく調合され
たときにはじめて、火薬としてものすごい威力を発揮すると表現しておられます。

 これを私は自動車などの「エンジン」と同じイメージで捉えていまして、呼吸に伴う
「シリンダー運動」が爆発的に全身に伝わる様子を想像致しました。

 そう言えば、同時代の勝海舟の白井先生評は「白井亨といふ達人に就いて教えを受
けたことがある。己れはその時、頗(すこぶ)る心に利得したことがある。この人の剣法
には大袈裟に言へば一種の神通力をそなえていたよ。とても犯さざる神気、刀尖より
ほとばしりて、真に不思議なものであったよ。己れらはとても真正面には立てなかった」
とあります。

 また、平野元良という医師は、白井 亨から錬丹の法を伝えられており、彼曰く、「白井
鳩州翁の技は、その師(寺田宗有)を超えて、動中の工夫を凝らし、空中大気のはたら
きがあるのを察し、鋒尖の赫気を自分で体得した。それは、身心の力を抜いて、天真無
為の道をもって相手を制する法である。師の優れたところは、幼い子供でもいろいろな
方法を用いて導き、短い期間で全体の要旨を会得させることである。」

 そんな錬丹の法の驚くべき効能を知った白井先生は、針谷夕雲、小田切一雲、金子
夢幻、山内蓮心といった不世出の名人たちが、自らの体験から得た剣の極意を述べて
いながら、錬丹について論じていないことに不満を漏らしています。

 この事からも、白井先生は「神経訓練法」や「催眠誘導」、「意識」的な側面から呼吸
法を剣術に用いていた様にも思えます。

 ちなみに、晩年のご本人曰く「俺の剣からは日輪が出る」と門弟たちに語っておら
れたそうです。

 仮に私がそれを真似ても、「日輪」どころか、木刀が割れて「花」が出そうな感じで
すが(笑)、個人的に、「呼吸に伴う剣の振り」のイメージが良く分かった逸話でした。
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 また、最近、お話しております「水泳」も私にとっては「骨盤時計」をフルに用いた
「呼吸法」で、「水中」と言う陸上よりも「呼吸の重要性」に気付き易い環境の元、
「浮力」や「重力」等の条件の下、練っております。

 是非、皆様もご自身の健康法やトレーニングの中に「道具」を導入してみたり、
道具を用いられている(または、道具を使う練習)方は「道具を呼吸で導く」事を
オススメ致します。

 参考に、私の道具をご紹介致します↓
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(上から2番目の長い棒は「鍬の柄」で、中程より下にある白い3本の大小は「鉄棒」です)

(参考)
 ”神経訓練法としてのセンタリング呼吸法”
 ”呼吸が変わる 姿勢が変わる 生き方が変わる”
 ”筋肉は「感覚系」?!”
 「水の中で骨盤時計」
 「水の中の瞑想」
 「日々のメニュー作り ~コーディネイト力~」
 「日々の前提作り」
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# by cute-qp | 2008-10-29 00:00

わたしはわたしの看護師

 今日はフローレンス・ナイチンゲール著の「NOTES ON NURSING」(邦題:「看護覚え
書き」)より引用しつつ、健康の責任者としての「わたし」について考えて行きたいと思いま
す↓。

●”はしがき”より

 以下の覚え書は、看護婦に看護を学ばせるための考え方の規範を示そうとしたもので
は決してなく、まして看護婦に看護の仕方を教える手引書でもありません。
 この書は他人の健康に直接の責任を負っている女性たちに、考え方のヒントを与える
ためにのみ書かれたものなのです。
 イギリスにおいては、すべての女性、少なくともほとんどの女性は、一生の間折りにふ
れて、子供にしろ病人にしろ、誰かの健康を預かることになります。言い換えれば、すべ
ての女性は看護婦だということです。
 日常の衛生知識や看護の知識、すなわち身体を、いかにして病気にならないような、
また病気から回復できるような状態におくかといった知識は、世の人々が考えている以
上に重要な位置を占めています。

 これは誰もが持つべき知識であって、専門家のみが持ち得る医学的知識とは
全く別のものなのです。
(管理人:そう言う意味では、皆さん全てが、先ず自分自身
の「看護師」と言えそうですね。)

 さて、すべての女性が、生涯のどこかの時点で看護婦の役を果たさなければならな
い、すなわち誰かの健康に責任を負わなければならないのであれば、女性たちがいか
に看護すべきかを考える際に、女性の体験を集大成したものがあるとしたら、どれほど
貴重で有用なものとなることでしょう。

 私は女性たちに、いかに看護するかを教えるつもりはありません。彼女たちに自ら学
んでほしいと願っています。
そのために、あえてここにいくつかのヒントを与えたいと
思うのです。

● ナイチンゲールの考える「病気」

 ① まずは、病気について、一般原理を以下のように認識することから始めましょうか。
  -およそ病気というものは、その経過のここかしこで程度の差こそあれ、修復の作用
  過程なのであり、必ずしも苦痛が伴うとは限らないのです。

   「つまり、何週間も、何ヶ月も、時には何年も前から気づかれずに起こっていた、毒さ
  れ衰弱する過程を改善しようとする自然の業であり、したがって、(神が定めた本来は
  治るものである)病気の終結は、それに先行して刻々と進行していた病気とその修復
  作用(にかかわる看護の過程)のなかで決まってくるのです(序章より)。

 ② 大自然が定め、また私たちが病気と呼んでいる修復の作用過程は、今述べられ
  たこれらのうちの一つあるいはすべての知識や注意の欠如によってさまたげられて
  おり、そこから痛みや苦しみが生じたり、修復の作用過程全体が中断してしまったり
  します。(看護覚え書き2頁)

 ③ 人間は、ある範囲内においてみずからの性質の創造者となります。(真理の探究
  178頁)

 ④ 精神世界においても物質世界においても、最終的なものは何一つありません。
  -あるのはただ方向性であり、成長なのです。(真理の探究349頁)

 ⑤ 病気というものは、このような見方をしていく方がよりわかりやすく、正しく、実際
  的ではないでしょうか?なぜなら、あらゆる経験が物語るように、病気とはある状態
  を指す形容詞のようなものであり、名詞的な実体など存在しないからです。(看護覚
  え書き37頁)

● ナイチンゲールの考える「看護」

 ① 看護という言葉を私は使っていますが、これは他に良い言葉が見つからないから
  なのです。
   看護といえばこれまでは、薬を与えたり、湿布を施したりという程度の意味しか持ち
  ませんでした。しかし看護とは、新鮮な空気や陽光、暖かさや清潔さや静かさを適正
  に保ち、食事を適切に選び管理する-すなわち、患者にとっての生命力の消耗が最
  小になるようにして、これらすべてを適切に行うことである、という意味を持つべきな
  のです。(序章)

 ② 家庭で家族の健康を守る営みもこれと全く同じことで、健康な人の生命力を最大限
  に保たせるように、...自然の要素を活用するということなのです。(序章)

 ③ 看護婦に教え得る最も重要かつ実用的なことは、何を観察すべきか、どのように
  観察すべきか、何が好転への、また悪化への兆候か、何が重要で、何が重要でない
  のか、看護の怠慢を示す事象は何で、それはどういう怠慢を物語るのか、を教えるこ
  とです。(121-12)

   看護婦を天職とする私たちにとっては、この観察ということが必須条件となるのです。
  なぜなら、これは断言できると思いますが、正確な観察力さえ身につけていれば有能
  な看護婦であるということにはなりませんが、正確な観察カを抜きにしては、どんなに
  献身的であろうと看護婦の役目は果たし得ないからです。(129-8)

   看護婦はさらに、患者の個人的特性を見分けなければなりません。(134-19)

 ④ しかし看護には「神秘」など全く存在しません。優れた看護というのは、すべての
  病人に共通することがらと、個々の病人に固有のことがらを、共につぶさに観察する
  ことのみで成り立っているのです。(135-5)

 ⑤ 内科的治療が病気を癒す方法だと考える人は多いのですが、そんなことはありま
  せん。内科的治療というのは機能に対する外科的治療であって、これは本来の外科
  的治療が、手足や諸器官に対して行う治療と同じなのです。どちらも障害を取り除く
  ことができるだけで、癒すことはできません。それができるのは自然だけです。
   外科的治療は手や足から治癒の障害になる弾丸を取り出しますが、傷を癒すのは
  自然です。内科的治療の場合もこれと同じです。器官の機能に障害が起きた時に、
  内科的治療は、私たちの知る限りでは、自然がその障害を取り除くのを助けはします
  が、それ以上のことはしてくれません。そしてどちらの場合にも、看護がなすべきこと
  というのは、自然が患者に働きかけるのに最も良い状態に患者を置くことなのです。
  (153-13)

 ↑以上、引用終わり。

 正直、長い間、子供用の「伝記」よろしく、「白衣の天使」としてのナイチンゲールしか
知りませんでしたので、この本を読んだ時、非常に驚嘆しました。

 そして、彼女が「はしがき」に書いてある如く、これらのヒントは「看護師」さんだけの
ものではなく、皆様のご家族やご自身に大変有用な視点・考え方だと思います。 

 ちなみに、医師にとっての「ヒポクラテスの誓い」にならい、看護師の戴帽式や卒業式
に、「ナイチンゲール誓詞」があるそうです(彼女は「ギリシャ哲学」や「統計学」、「病院
建築」等にも造詣が深かったとか)。

(参考)
  ヒポクラテス 「ヒポクラテス全集」より
  曲直瀬道三 「養生誹諧」より
  『ウィキペディア』 フローレンス・ナイチンゲール
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# by cute-qp | 2008-10-23 00:00

 先ずはコチラをご覧下さい↓

シニア男性「ちょい太」お勧め 死亡率低下、茨城で調査

 長生きのためには、高齢の男性に限っては「少し太め」がお勧めなことが、茨城県
の約9万人を対象にした調査でわかった。高齢女性ではほぼ標準的な体形だと亡く
なる人の率が低かったが、それでも日本肥満学会が理想とする体形よりは「太め」だ
った。

 高齢になると、若いころより太めの方が望ましい、と海外の研究で指摘されていた
が、日本人の大規模調査で確認されたのは初めて。

 調査したのは県や筑波大、独協医科大などのグループ。93年度に健診を受けた
40~79歳の男性3万2千人、女性6万2千人を03年まで追った。

 この間に男性3930人、女性3164人が死亡。喫煙や飲酒の影響を除いたうえで、
どの体形の人が病気などで亡くなる確率が最も低いかを、年代別に算出した。体形
は、体重(キロ)の値を身長(メートル)で2回割った体格指数(BMI)でみた。

 その結果、男性は40~50代ではBMI23.4、60~70代では25.3の人が、死亡
率が一番低かった。

 BMIは18.5以上25未満が普通体重。25以上で肥満となる。高齢男性では少し
太めな方が、栄養状態が良いといった利点があり、死亡率が低くなっている可能性
がある。若い世代では、肥満によって上がる心臓病リスクなどが利点を上回るらしい。

 女性で死亡率が一番低かったBMIは、40~50代で21.6、60~70代で23.4。
高齢で高めになるのは男性と同じだが、全体に男性より細めだった。

 肥満学会はBMI22を理想とする。男女約4600人の調査で、この体形のとき病気
の確率が最低だった。ただ、調べたのは30~50代で、高齢世代はみていなかった。

 調査の中心だった独協医科大の西連地利己(さいれんち・としみ)助教(公衆衛生学)
は「望ましい体形は年代ごとに分けて考えた方がいい。ただ同じ体形でも、脂肪が多く
て筋肉が少なければリスクは高まるので注意して」という。

2008年10月20日 asahi.com より

 ↑以上引用終わり。

 そう言えば、会社員時代に様々なプレゼン資料や分析資料を作りましたが、その為
の「統計」をどの観点から集め、それを「視覚的に見易く」し、「納得に導くか?」に苦労
した覚えがあります。

 実は、「理解して貰う」必要はありません(笑)。そんなもんなんだと「納得させる」事が
何よりも重要でした。

 従いまして、往々にして、グラフの目盛りを大きくしたり、小さくしたり、用いるデータの
幅を広げたり、狭めたりしたものです(笑)。

 お陰様で、それを聞く身に立った時は、如何に、「数字」や「表」に騙されず、その実情
は何か?を可能な限り注意して聞いていました。

 さて...今回の記事に関して思いましたのが、年齢に比例した「代謝率」はどうなった
のかな?と言う事。

 例えば、年齢に従い、同じ運動をしても痩せ難くなる事でもお分かり頂けます通り、
身体の「代謝」は年齢を経る毎に落ちて行きます。

 それが今回の統計言う、「シニア標準」=「多少、太め」と出た?と感じました。

 但し!本来の目的や意味に立って「肥満」を考えますと、どちらにしても、「それで、
太っても良い」と言う事ではない...と春風堂は思います。

 そう言えば、「脂肪の吸収を抑える」食品も色々出ておりますね。

 そのCMを見ますと、「それでたっぷり食べても大丈夫!」と思い違いを起こしそうな
ものがあったり致します。

 そして...そこに、「学会」や「教授」、「特定○○」と付くのが「統計」と似ておりますね。

 ...等々、色々、その背景を様々に想像してみるとその「実像?」が見えて来るかもし
れません。
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# by cute-qp | 2008-10-22 00:00

自己管理の秘訣

 本日は、オステオパス(オステオパシーの施術者)である、フルフォード博士の「いの
ちの輝き」より引用し、「自己管理の秘訣」を見ていきたいと思います↓。

 わたしの経験では、運動のなかでいちばんいいのはストレッチである。呼吸のリズム
とからだの動きに注意をくばりながら、毎日10分間のストレッチをつづければ、心身が
ととのい、健康的な運動パターンが身につく。

 そのパターンは神経系に刷りこまれ、終生の習慣となる。それは週四回のエアロビクス
よりもずっと効果的だ。

 わたしはその簡単な運動を五〇年間つづけている。よくやっているのは、つぎのよう
なものである。

 (中略)

 ストレッチをおこなうとき、わたしはつねに自分の呼吸に注意を集中し、その音に耳を
かたむけ、両方の鼻孔からでていく空気の量が同じかどうかをたしかめている。
 また、胸郭にも注意を払い、胸が音もなく楽にふくらんだり縮んだりしているかどうか
をたしかめている。

 息を吸うときにやや窮屈さを感じるときは、どこかに緊張があることかわかる。
どこの緊張であれ、もっとストレッチをすればそれがゆるんでくる。


 たとえは首の左側に緊張があることがわかったとしよう。そんなとき、わたしは椅子
に座り、左慌は椅子のうえかひじあてに置いて、右腕であたまを右にかたむけ、首
の左側の筋肉をストレッチさせる。
 そのまま二、三分ストレッチしつづけてから、吐く息とともにゆるめる。こんどは左手
であたまを左にかたむけ、左右のバランスがとれたと感じるまで、それをくり返す。

 わたしがその日のストレッチ運動をやめるのは、両脚や足先にあの心地よい、チリ
チリした生命力を感じたときだ。それを感じるまではストレッチをつづける。


 わたしのような老人に、いや、わたしより五〇歳も若い連中に、ウォーキングこそ最高
の運動だという医師が多い。
 たしかに歩くのがいいことはわかっているのだが、わたしは忙しくてウォーキングなど
している暇がない。

 第一、世の中に最高の運動、完全な運動などというものはあるはずがない。人には
個人差があり、からだが要求しているものはそれぞれみんなちがう。


 ただし、だれもが必要としているものがある。それが呼吸とストレッチングを促進
する運動である。


 ときどき、愚者がどこかで仕入れてきたあたらしい学説を教えてくれることがある。

 週に五回、一日三〇分の激しい運動をすべきだ、汗をかくまで歩け、心拍がいくつ
になるまで休むな云々である。

 わたしはそうした新説を聞き流すことにしている。それらはみんな、わが国の欠陥
教育システムの産物だからだ。

 無数の研究者が就職に必要な博士号をとろうとして苦労している。そのためには、
あたらしい学説をひねりだし、論文にしてつぎからつぎと発表しなければならない。

 だが、そんな論文に読むにあたいするものがあるとは思えない。

 研究機関ではたらいている医師たちも、たえず論文を書いて名前を売りこまなけ
ればならないというプレッシャーのもとにある。
 半世紀以上もそうしたいわゆる「先駆的」な研究が脚光をあびるのを見てきたわ
たしは、その大半が遅かれ早かれ、従来の学説かつぎの新説によって否定される
運命にあることを知っている。

 フィットネスの新説には惑わされないことだ。自分が楽しんでやれるかどうか、
いちばん大切な基準はそこにある。


 楽しくないことをやってもいやになるだけであり、いずれは運動の効果に劣らず
大きな否定的感情からの悪影響を受けることになる。

 その人に向いてさえいれば、激しい運動も悪くない。しかし、向いていない人がや
っているケースが多いのだ。


 膝が故障しかかっているのにジョギングをつづけ、やめようとしない人たちを、わたし
はたくさん知っている。
  
 そんな人に「心配することはない」という医師がいる。膝がだめになったら人工関節
つけてあげようというわけだ。

 しかし、そもそもそんなことが走る目的だったのだろうか?

 人工関節だと?...人工膝関節のつぎは人工股関節をつけるつもりなのか?そんな
ことをしたら全身の骨組みに影響をあたえ、消耗し、悪化し、手術以前の痛みよりも
ひどい痛みに悩まされることになるにきまっている。
 
 運動をする時間についても気にやむことはない。わたしは1日10分のストレッチで
九〇歳まで元気に生きてきた。

 運動でもっとも重要なのは量ではなく持続である。毎日、わずかでも運動のために
時間をさき、節度をもってつづければそれでいい。

 毎日きまった時間に食事をとるのと同じことだ。

 神経系をそれに慣らすことが大切なのだ。規則的なパターンをつくってしまえば、
考えなくてもからだが動くようになる。


 ↑以上、引用終わり。

 自分自身をここまで管理している施術者と言うのはなかなかいらっしゃらないのでは
ないか?と思います。

 しかし、施術者としては、本来的に、自分の心身の自己管理を出来ず、どの経験や
どの感覚を以て他人様に対処するのだろうか?とも春風堂は思っております。

 何故なら「教科書通りの身体」など1つもありませんし、「人の心と身体がどんな風に
動くのか?」...感じる事なしに、目の前に生々しく存在する生命と対峙出来るのか?
と思うのです。

 従いまして、まだまだではありますが、日々、反省・試行錯誤している所です。

 そして、これは「専門家」だけの営みではなく、皆様にも大切なことと思っておりま
す。

 生きるのが難しくなっている昨今、「自分探し」とか「自己分析」等の本や講座などを
良く見かけますが、結局、何に寄りましても、「自分」と言う「生々しい存在」を先ず「じっ
くり」と、次第に「刻々」と感じ、これをあるべき方向に「イメージ」し、「管理」して行くこと
が大切ではないか?と考えております。

 その基本を「健康と美容」と感じる春風堂です。

(参考)
 ●春風堂の理念
  「呼吸が変わる 姿勢が変わる 生き方が変わる」
  「身体の声の聴く ~自律神経による治癒反応~」
  「先ずは自分が変わる」
  「神経訓練法としてのセンタリング呼吸法 」
  「相対神経訓練法 ~治療や介護から日常へ向かって~」
  「神経訓練法が可能性を開く ~その基本原理~」
  「夢を形に」 ~春風堂の挑戦~

 ●なりたい自分になるために
  「エンドゲイナー度」チェック!
  発想法カルタ抄
  バランス感覚と修正力
  「セレンディピティ」と「過程力!」
  フサオさんも努力し工夫する 
  もうひとりの自分の目で見る
  自分をサボらない
  日々のメニュー作り ~コーディネイト力~
  中心を観じる
  「美容と健康」には「ヒミツ!とドリョク!」が必要
  「質問にお答えして ~補正下着について」
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# by cute-qp | 2008-10-21 00:00

「中心」を観じる

 今日は野口昭子 著 「時計の歌」 全生社 より引用・掲載致します↓。

 「どんな石でも、石をじっと見ると、石の中心が見えます。中心が分かれば、余分
な力を使わずに、石を動かせます」寺石さんは私の質問にこう答えた。
 
 寺石さんは京都和室の庭を造った庭師である。今、箱根記念館の庭を造り直して
くれているが、三日間で、庭の風情が全く変わり、遠い金時山まで、我が庭に入っ
てきたような気がする。

 私が驚いたのは、五人で裏山の林の奥から一日で二トン前後の石を三つもさんま
たで掘り出し、最も原始的なコロビキの方法で、裏庭と前庭に運び入れてしまったこ
とだ。
 大きな石が、山林を縫うように、スルスルと動いてゆくのを、私は目をみはる思い
で見ていた。

 寺石さんが遠慮深げに語るところによれば、石の中心が見えるようになるには、石
を扱い出してから十年はかかるという。

 私はふと自分が如何にうかつに物を持ち上げていたかを思った。そこで傍らのポッ
トを持ち上げて見た。同じポットでも、手をかける位置で持ち上げる重さの感じが違う。

 一番軽く安定した感じがするのは、やはり重量が平衡する一点なのだ。

 大発見とばかり得意になってオタカ(四男)に言うと、「ママ、今ごろそんなことに
気がついた?」と言われてしまった。

 しかし石の中心が見えても、動かす人の腰がきまっていなければ、石は自由にな
らない。

 整体操法でも、お茶の点前でも、又どんな技芸でも、腰がきまって中心で動作して
いる人の姿は、自然で美しい。余分な力を使わないからだ。

 この間、何十年ぶりかで誘われて歌舞伎を見たが、ある俳優が舞台の中央で、み
えをきる型がきまらないのが気になった。

 動作の最後が、ピタッと止まらないのである。

 だから止まることによって生きる裡なる動きや、空間が生きない。先生(野口晴
哉先生)が、「操法の上手下手は、その人の坐る位置と、構えを見ただけで分か
る」と言っていたが、やはり中心のあり方を見ていたのかもしれない。

 最近、新札が出て、その銅板を彫る名人といわれる押切さんの詰が、朝日新聞
に出ていた。かつては「聖徳太子」と「博文」を、今回は「諭吉」と「漱石」を彫ったと
いう。

 銅板に彫刻刀(ピュラン)で、一ミリの中に十二、三本の線を入れてゆくような精
度を要求される彫刻を、どうやって彫ってゆくのかという質問に、「四、五キロの物
を持ち上げる気持で腹に力を入れ、息を止める(「保息」だと思います:管理人)。
 そして静かに、静かに息を吐きながら一点に神経を集中する」と押切さんは答え
ている。

 やはり彼自身の中心が下腹にきまっているからこそ、精神集中の持続が出来る
のではないだろうか。

 私が自分に中心があることを自覚したのは、もう十何年も前になるだろうか。排泄
の鈍りから、全身が象のようにむくんで、生死の境をさまよった時だった。

 コマが勢いのあるうちは、まるで静止しているが如く立って廻っているが、一旦勢
いがなくなると、中心がフラフラして平衡を失い、遂に倒れてしまう。
 それと全く同じように立てなくなり、ピノキオみたいな手と足と胴が、バラバラな感
じになって寝込んでしまった。
 そんな状態が二ヶ月ほどつづいたろうか、或る時、そのバラバラになった手足が
すーっと吸いよせられるように一つにまとまった感じがして、中心に息が深く入って
来たのである。

 私は今でも、その瞬間から自分が生きる方向に向ったような気がしている。

 人間の無意動作を丁寧に観察していた先生は、個人個人にょって動作の中心が
腰椎一番にある人、二番にある人、四番にある人というように、それぞれ違うことか
ら、体癖ということを追求して行った。

 従って、客観的に見れば、私のような上下型の人間は、腰推一番に力が集って
動作している時は中心が安定して全力を出し易いというが、私自身の感覚では、
あの時、すーっと一つにまとまった感じを、体が未だに記憶しているのだろう、中心
というとその感じが蘇ってくる。

 すると、しみじみと″生きているんだ″という実感が湧いてきて、これだけでもう
何も要らないというような気になってしまうから不思議である。

 ↑以上、引用終わり。

 「治療」や「ボディーワーク」と言うものに関わるに当たって、先ず、「自己観察」
や自身の「センタリング(コーディネイト)」をとても大切に思う今日この頃。

 「どんな風に自分を”中心(その時々で色々な意味があると思いますが)”と言うも
のに近付けるだろうか?」...そんな歩みが日々ございまして、その経験に比例して
、皆様とのひとときや様々な場面・側面で勉強させて頂いている気が致します。

 本当にありがとうございます!
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# by cute-qp | 2008-10-18 00:00

筋肉は「感覚系」?!

 唐突ですが...通常、解剖学などでは「筋肉」は「運動系(器官)」とされていますが、
春風堂の感じ方はそれとは少し違います。

 何故なら、筋肉は先ず「感覚系」であって、その上で「運動系」だと感じているから
です。

 一般的に、「力や運動を作り出す源」を私達は「筋肉」だと考えています。そして、
その大きさや強さを「腕力(筋力)」と感じています。

 しかし、実際は「重力」と「バランス←→アンバランスのベクトル」が力を作り出してい
ます。

 ならば、筋肉の役目は何か?と言いますと「力の方向性」や「力の時間軸」を調整す
る作用を担っていると考えています。

 例えば、手に水を入れたコップを持って立っているとします。

 この時、私達はどうやっても水の動きを「止める」事は出来ません...せいぜい、水面
を静かに「保つ」事が出来るに過ぎないと思います。

 この現象は私達自身の心身にも言える事で、例えば、私達は「じっと立てる」様に思い
ますが、「重力」や「外力(ストレス)」に対し、「弥次郎兵衛」の様に、常に微妙なバランス
を取りながら、その場に「留まっている」のが本当の所です。

 その事実は実際、「目を閉じて立ってみる」と良く分かります。

 ちなみに「目」は「感覚系」で「モノを見る」働きをしますが、「内耳」共々「姿勢の維持」
に関わっています。

 同様に、姿勢の保持には「触・圧覚」や「深部感覚(位置・運動感覚)」も関与しており
、「筋肉」はそれを感じ取る「センサー」や「サーモスタット」の様な機能があると言え、
それをして「運動系」である以前に「感覚系」でなくてはならない...と思う訳です。

 そこで、筋肉を「感覚系」として用いながら「神経訓練」を行っていく事により、大脳
の動きを支え、姿勢や運動の維持を受け持っている「小脳」に正しい運動をプログラミ
ングして行くことが出来ます。

 ちなみに、ロルフィングなどでは、「筋肉を包む「筋膜」は「運動や生活習慣」や「ストレ
ス」を記憶する」との説明がありました。

 この様な観点に立って、自分を取り巻く状況から日常生活を捉えてみますと、私達が
思ってきた「常識」が変わって来て、生活上のごく基礎的な所で「ボタンの掛け違え」が
起こっている事に気付きます。
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              増永静人先生 著 スジとツボの健康法より

PS

 「重力を感じる」...って意外に難しいものですね。

 そう言えば、初めて「重力」を感じた時、私は、その場に立っていられない程の重みを
感じ、凄い衝撃を受けました。

 その追体験と申しますか...春風堂の現在の水泳のメニューの中に、「30分泳いだら
トイレ休憩」と言うのがあります(笑)。

 以前お話致しました様に、水の中ですから「重力・浮力」や「バランス」は感じ易いの
ですが、一度、水から出て、フルに「重力」を感じてみます。

 これが多少の疲れもあって、もの凄く重くて歩くのも結構辛いのです。

 ところが、「蹴のび」中心の練習の後、暫時、この時間を設け、「重力感覚」を持って
水に戻るとよりスムーズに「伸びる」感覚が増し、リラックスして泳げます。

(参考)
 「水の中で骨盤時計」
 「水の中の瞑想」
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# by cute-qp | 2008-10-15 00:00

 今日のお昼間、AEON杯の新体操が放映されていましたが、北京オリンピックに
続き、エフゲニア・カナエワ(ロシア)が優勝しました。
b0159328_19271146.jpg

 常にロシア勢と鎬を削っているウクライナからアンナ・ベッソノワも出ていましたが
、演技の安定感や高度なテクニックの数々はやはり頭1つ出ている感じがありました。
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 彼女の凄い所は、難度の高い運動と難度の高い手具(リボンやロープ等の)操作を
同時に出来る技術と柔軟度・表現力ですが、見た所、今日の体調は必ずしもベストと
は言えず、途中、失敗もあった様に見受けられ...にも関わらず、その失敗が「失敗に
見えず」、安定感を保って優勝した所にトップにいる凄さを感じました。

 その凄さを支えているのは日頃の練習で、かつて、新体操の教科書と言われたエレ
ーナ・ビトリチェンコも有名な「練習嫌い」でしたが(笑)、彼女は若干18歳にも関わら
ず、練習に掛ける姿勢も非常にストイック...本当に感心しました。

 そう言えば...新体操は15年程見させて頂いています。

 あれだけ美しく、アクロバティックに動けるだけでも素晴らしいのに、その上、様々
な手具を操る姿が素敵だし、ボディーワーカーとしてはとても興味がありずっと見続
けて来ました。

 他にも先日、ご紹介致しました、Rachel・Briceやアニメーション、他に意拳の創始
者の王郷斎先生や...時として「動物や植物」など...私には沢山の「憧れ」や「先生」が
存在します。

 勿論、私がどんなに頑張ってもそんな「一級」な能力を持てるとは思いませんが、
「良いものを見て」、「そうなりたい!」と楽しみながら努力する事で、昨日の私よりも少
し面白い事になるのでは...そう思っております。

 一方、チャンスがあれば、可能な範囲で「武道」や「水泳」、「サルサ」等...自分で体験
出来るものはチャレンジさせて頂いています。

 「自分の心と身体ににどんな可能性が潜んでいるのか?」が知りたいからです。

 唐突ですが...元々、私は虚弱体質の子供でした。

 アレルギー性鼻炎に喘息、皮膚炎に結膜炎、両半月板に足副靱帯断裂やら(笑)
...まあ、様々な病院や治療院に参りました。

 しかし、どれも全て一向に治らない...好奇心旺盛な私としては、延々と「夢へのスタ
ート地点」にも立てない気持ちでおりました。

 そこで「自分でなんとかしなきゃ!」...と思った事が今へ続いています。

 従いまして、「ただ、マッサージと機械を当てるだけの治療?」や「保険を使い、毎朝
、もんで~(人任せ)の患者さん」を見ていると、確かに「需要と供給」の関係は成り立
っているけれど、結局、両者に「本当の意味」や「進歩」があるのかな?と思いました。

 そんな経緯で、治療家やボディーワーカーと致しまして、ただ、皆様の「調子が悪い」
に関わるだけでなく、皆様がご自身で「美容と健康」を維持出来たり、回復から更に「こ
んな事がしたい!」とか「こんな風になりたい!」のお手伝いをさせて頂き、私も更に成
長させて頂くのが「私の夢」でもあります。

 「夢を形に...」が公私ともの春風堂のビジョンです

(参考)

 ●春風堂の理念
 「はじめに ~ 春風堂のご挨拶 ~」
 「呼吸が変わる 姿勢が変わる 生き方が変わる」
 「ホームセラピスト&アドバイザーを目指して」
 「柔術整復の復興」
 「未来の子供達のために」
 「ヒポクラテスの精神 ~科学性と倫理性~」
 「健康と美容は最優先!」
 「神経訓練法が可能性を開く ~その基本原理~」

 「自分をサボらない」
 「日々のメニュー作り ~コーディネイト力~」
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# by cute-qp | 2008-10-14 00:01 | 春風堂の想い

 今、春風堂にとって一番大切!と言うか、大事にしているのが「日々のメニュー作り」
です。

 と申しましても、何か壮大な目標があり、何某かの基準に則い、計画表を作って...と
言うノリのものではありません。

 短くて「1時間」ほど、長くても今日1日の単位の「私のビジョン」?で、極めて行き当
たりばったりのものです。

 その程度のちっぽけなものですけれども、自分を愉しくセンタリングするのに良い
習慣となっています。

 先ず、その中で最も大切で、のキーになる事柄は、自分自身に対する「現状認識」
です。

 しかしながら...これ程捕らえ所がなく、人それぞれの方法が存在するものはないと
思います。

 例えば、K野先生は「起床時の布団の中」や「出勤前の歩み出す3歩」とお聞きして
いますし、私も「起床時」と「洗面台に立った時」、「泳ぎ始め300M」を「現状把握タイム」
と言うか、「一日の起点」にしている部分があります。

 勿論、これが「答え」と言うものではなく、あくまで一例で、何でもOKです。

 その時に行われる事というのが、自分にとって「極めて習慣的になっている行動や動作」
なのですが、それを淡々と行って行く自分の中に何とはなしに「チェックポイント」があって
、そこを基準として「今日の私」を把握します。

 この部分は皆様比較的共通性がある様です。

 その「現状」と照らし合わせた上で、「ここをどうにかしたい!」とか「こんな事をやってみ
よう!」、「ここまで行ってみようかな?」等の目標や欲求が出て参ります。

 そして、そこに至るまでの「イメージ」とか「ビジョン」を大雑把に想像し、何でも良いから
先ず、取っつきやすい所から行動に移します。

 但し、「イメージ」や「ビジョン」と言っても、自分の頭の中だけの「仮想」や「妄想」、「形態
模写」でなく、具体的に「実現・表現したい事」があり、「それに至る具体的な働きのイメージ
と試行」をする「起点や展望」です。

 それを具体化・具象化する方法として、私は自分のやりたい事を大好きな「パントマイム」
や「アニメーション(ダンス)」感覚に作り込みます。

 「ない」から「ある」を作り込む作業です。

 例えば...今日、背泳をやっていた時、「頭と肩の位置関係が悪い」事に気付きました。

 しかしながら、立位や座位と違い、鉛直方向に頭を吊す姿勢や状態でなく、浮力との
関係もあって、イマイチ最適な感覚が導き難い。

 そう言えば、「頭と肩の関係」については、テーブルを利用した座位センタリング呼吸法
が分かり易かった...あの感覚を背泳に引いてくる方法はないか?

 あ!あれが居た(笑)↓
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 早速、この子を参考にしたり、プールにあった子供のおもちゃを額に乗せて背泳した
りしてみました。

 そうしますと求めていた感覚が出て来て、次に「股関節や会陰の締め」や「膝の位置」
と言うビジョンや課題が浮き出てきました。

 そんな風に、即興で、現状認識を随所に入れながら、ビジョンを具象化して行くと、自分
のやっている事に「面白味」や「味わい」が出て来ます。

 これは非常に大切なポイントではないか?と思います。

 だからこそ、何でも結構ですが、皆様が「身近に楽しめる」もの、ところから始めるのも
ミソです。

 但し、自分を「客観視」出来る方法を工夫する事も大切です。

 例えば、私の場合、「武道」や「治療」、「水泳」、「ペアダンス」などの視点や方法があり
ますが、これらは具体的に「相手」や「道具」、「重力や浮力」など存在する為、ある種、自
分を映し出す「鏡」となる訳です。

 また、その営みを可能な限り短いスパン、タームで「区切る」とか「終了」させる事も
大切です。

 それにより、刻々と「現状認識」と「方向修正」を行う事が出来、目標や意識のすり替わ
りを予防・防止出来ます。

 こんな風に、「ひっそり」自分の日々のメニューを楽しみながら作って行くことで何とは
なしに、毎日の生活も整理され、「変わって行く自分」も実感出来、「なりたい自分」を自身
でコーディネイトして行く大きな「急がば回れ」になると思います(個人的には、そこから
「診察」と言うものも学んでいる気もしています)。

 そう言えば、ウィリアム・W・アトキンソンさんの著作にこんな事を書かれていました↓。

 オウムのように同じ文句を繰り返していれば望む結果が得られる、と思い込んではなり
ません。ただの言葉にカがあるという話には辟易しています。
 「ニューソート」と称する人々と付き合うようになって以来、この種の戯言をさんざん聞か
されて、「宣言」や「アファーメーンョン」という語を使うのさえ嫌になりました。

 彼らは同じ文句を反復すれば奇跡が起きると思い込んでいますが、ナンセンスにも程
があります。あなたは同じようにアファーメーションを作り、「何も起きない」と絶望してい
ませんか?起きるわけがないのです!

 何度も言ってきたことですが、もう一度繰り返しましょう。「言葉そのものには何もカは
ありません。言葉に込める気持ちに本当の価値がある」のです。

 気持ちがなければ結果は出ません。結果を出すためには、言葉を骨格として、気持ち
と、期待と、視覚化 (ビジュアリゼーション) で、肉付けを行う必要があります。

 それが方法です。言葉は骨格に過ぎません。血と肉を与えるのが、気持ちと視覚化で
す。

 ↑以上、引用終わり。「視覚化」は「具体化・具象化」と捉えても良いのではないか?と
思っています。

 やはり基本は「己こそ己の寄る辺」なのですね。

(おまけ)

 私が大好きなアニメーション・ユニット「無名(うーみん)の心」の動画です↓勉強
させて頂いています! 
 「core of Woomin 無名の心」
 「Japanese popping comp; [ウーミン] 」
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# by cute-qp | 2008-10-10 00:00

 唐突ですが、春風堂は「車」とか「機械」よりも「生物」が好きです。そして、動植物の
生態が興味深いだけでなく、いつも何らかのヒントやイメージを貰う事も多くあります。

 先日の「フサオさんも工夫する」を受けつつ、話題の切り口を少し変えてお話致します。

 先ずこちらなどをご覧下さい↓
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 この方は「マングース」さんですが、実に立派な立ち姿をしていらっしゃいますね。
特に「視線」や「首や肩、肘の位置」が素晴らしい。
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 お次は「猫」さんですが、何かに飛びかかる姿(姿勢)や視線、しっぽなんて凄いと
思いませんか?

 凄いなあ...と思い、次に下の絵を比較して見ました↓
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 理論うんぬんはさておき...腰回りに注目しますと、人間は体の「自由度」は増してい
る様に思いますが、「腰が据わる」感じが薄いと思いませんか?
 それだけに、可能性豊かな身体を獲得した我々は「骨盤の締め」や「仙骨の角度」、
「股関節のありよう」に「工夫」が必要である事が感じられます。

 そんな風に...私は4足さん達の立ち居振る舞いに興味がありました。

 そして、我々と生き物の間を繋げる存在がコチラです↓
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 ここまで見てきますと、何とはなしにこの辺が大事なんだな...と言う事が分かって
来ますね(アレクサンダー・テクニーク:W・バーロウ著より引用)↓
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# by cute-qp | 2008-09-24 00:00

自分らしさは、「外見」でも「中身」でもなく、「中心」だ。

 よく「自分らしく」と言います。それはむずかしいことです。自分らしさとは、自分の
軸に合っていることです。

 軸に合っていると、バランスがとれるのです。

 バランスのとれている状態が、最も自分らしい状態です。プラスもマイナスもない
ということではありません。
                                                   ′
 プラスとマイナスのバランスがとれて、軸に沿っている状態です。

 自分らしさを感じるためには、あなたの中心がどこにあるかを感じる中心感覚が
必要です。

 中心感覚を感じることができないのに、自分らしく生きるとか、自分らしさを感じ
ることはできないのです。
 「自分らしさ」は抽象的な表現です。自分らしい仕事や、自分らしいファッション
というのは、結局はいかに自分の中心感覚を感じることができるかということです。
表面上の問題ではありません。

 「自分らしさ」というと、どんな服装を着るか、どういう仕事をするか、この仕事が
合っのか合わないのか、人間関係で合っのか合わないのかなど、表面上の議論
にばかりいってしまいます。
 末端ばかりにとらわれていると、いつまでたっても、自分らしさに出会ことがで
きないのです。

 一見、そりが合いそうにない人同士がうまくやっていることがあります。それは
中心感覚を持つ人同士の波長が合っているのです。

中心があると、カが抜ける。

 カを抜くため心は、まず体に中心の軸を1本持つことです。肩が凝っている人は
、体がS字形に曲がっています。前後にも曲がっています。

 丸くなった背中を元に戻そうとして、骨盤が後ろ側へ倒れて体が「く」の字形にな
ります。温泉の大浴場で座っている感じです。
 この状態は、リラックスしているようでいて、実はリラックスしていません。体が曲
がっているので、常に体にカがかかっているのです。

 椅子に座る仕事で疲れやすい人は、座り方が間違っています。背中を丸めて座
っていると、壊れるのです。
 だらしない姿勢で、「退屈だ」と言いながらひじをついていると、体がますます丸
くなって、よけいに疲れます。
 つまらない授業や会議では、つい姿勢が悪くなります。時計を見ても時間がなか
なかたちません。疲れるので、時間のたつのがよけい遅く感じます。

 体の中に軸のある人は、座っていても疲れません。座っている状態で、軸に体を
乗せたイメージを持てるのです。

 体をねじる動作は、軸の存在を確認しています。体を揺らした時に、頭まで動い
てしまうのは、軸がない状態です。

 体を揺すって柔らかくまわすことができるのは、体の中に背骨があるからです。
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# by cute-qp | 2008-09-22 00:00

筋肉は、日常生活の姿勢を直すことで変えられる。

 筋肉が最も活躍するのは、縮まる時ではなくて、伸ばす時です。伸ばすことので
きる筋肉が、最も活用できる筋肉になるのです。

 ジムでは、縮める練習ばかりやっている人が多い。これでは筋肉がどんどん硬
くなります。

 筋肉は、骨と骨を動かすために、骨のまわりにあるものです。骨をより柔軟に、
いろいろな方向に動かしていくには、そのまわりの筋肉を柔らかくして、自由に動け
るようにしておくことです。

 股関節のまわりや内側のももの筋肉が硬くなつていると、股関節も硬くなります。

 電革の中で股を広げで座ったり、隣りの人に靴の裏が見えるような足の組み方
をする人は内側の筋肉が縮んでいるのです。
 内側の筋肉が緩んでいると、軸がますます揺らぎます。股関節が硬くなって凝
ってくると、どうしても足を組みたくなります。

 足を組むと、骨盤群が歪み、背骨も曲がります。レストランでも、ごはんを食べ
る時に足を組んでいる人がいます。

 これは、股関節が硬くなつているからです。股関節が柔らかくなると、足を組ま
なくてもラクに座れます。
 足を組まなくても同じ効果を得るには、つま先を立てて座るといいでしょう。股
関節が持ち上げられてラクになるのです。
 つま先立ちすると、自然と体が前へ出て背骨が伸びます。つま先を立てること
で、骨盤が「立ち上がる」のです。
 また、体が前に出ることで、あえて胸を張らなくても体が真っすぐになります。
腰もラクになります。つま先立ちになると、自然と背筋にカが入ります。

 背筋は、腹筋のようにトレーニングをしなくても鍛えられます。

 ふだんの姿勢を直すだけで、筋肉は鍛えられていくのです。

筋肉は、学習する。

 筋肉を鍛えることは、学習です。筋肉と開くと、練習という言葉をイメージしがちで
す。
 今までキーボードを使ったことのなかった人が打てるようになるのは、実は練習し
ているからではあリません。指の筋肉が、学習しているのです。
 やがてタッチタイピングができるようになるのも、指が学習しているからです。あら
ゆる常は学習できます。

 今までできなかったことができるようになるのは、筋肉が学習しているのです。最
初のうちはなかなかうまくできません。

 でも、「私には才能がない」とあきらめないことです。そのうちに学習効果があらわ
れて、できるようになります。

 自転車に乗れるようになった時のように、気ついた時にはできているのです。意識
の持ち方を変えることでも、筋肉を動かせるようになります。

 筋肉は、学習と意識で動いているのです。自分の意識に合わせて体は動いてい
るのです。
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# by cute-qp | 2008-09-20 00:00

体の中心でするのが、エネルギーの腹式呼吸だ。

 呼吸は、古い空気と新しい空気を入れかえていく作業です。それは酸素の入れか
えではなく、エネルギーの入れかえです。

 呼吸は、末端ではなく体の中心で行います。

 腹式呼吸で「空気をおなかまで入れる」と言いますが、場所の問題ではありませ
ん。自分の中心で空気の交換を替っイメージを持つようにしましょう。

 そうすると、吸った空気を体の奥深くまで入れることになります。

 1つ1つの呼吸動作が大きくなって、ムダがなくなります。そして、呼吸の回数が
少なくてすむようになるのです。
 大気中にあるエネルギーや「気」を、体の中心まで持っていかなければそれを吸
収することはできません。

 ほとんどの人が思っている体の中心は、本当の中心より高い位置です。体の中
心は、本当はもっと低いのです。
 「腹式呼吸」と言いますが、体の中心は、おへそよりも下にあるのです。呼吸の
浅い人は、胸のところで新しい空気がとまっています。胸は体の中心ではありま
せん。

 それは、酸素の足りない水槽にいる金魚が、バタバタしているような状態です。

 ヨガの呼吸法では、鼻から吸って鼻から吐きます。そのほうが体の中心まで呼
吸が入りやすいのです。日本式の呼吸法は、鼻から吸って長く口から吐く形です。
 インドのヨガで鼻から吸って鼻から吐くのは、のどの奥に意識を向けるようにする
ためです。

 その時、のどの奥で音が鳴っていることを意識するようにしましょう。のどの裏側
に中心感覚を感じるのです。

 そこに軸が通っている意識を持つのです。呼吸をする時、のどの奥に意識を向け
る人はいません。

 ヨガも禅も、中心感覚を意識しなおすトレーニングなのです。

体の中心から、エネルギーの波紋が広がる。

 呼吸によって外から入ってきた「気」が体のエネルギーになって、体中に流れてい
るというイメージを持つことが大切です。
 体のどこにカを入れるかを考えるよりも、自分の体の中にエネルギーが循環してい
るというイメージを持つのです。

 これが中心感覚です。

 中心感覚は、実は中心であって中心でないのです。中心感覚は、エネルギーが
流れているという感覚です。

 「これが私の中心」という点があるわけではありません。体中にエネルギーがみ
なぎっている状態が中心感覚なのです。

 体中にエネルギーが広がっていくのは、エネルギーが体中をグルグルまわると
いうことではありません。

 池に小石を投げた時に、中心から外へ波紋が広がっていくイメージです。そう
すると、自分の体をどこまでも大きくすることができます。エネルギーを末端ま
で浸透させ、次から次に広げていけるのです。  ′

 「古池や 蛙飛び込む水の音」というのは、今カエルが飛び込んだところが中
心で、その中心から池の波紋が広がり、昔の波紋がお寺中に広がり、自分の体
を通り越えて、宇宙にまでどんどん広がっていく中心感覚を感じている歌です。

 中心から発せられたエネルギーは、どこまでも遠くへ達することができるし、
どんな硬いものも通過できます。

 「しずかさや岩にしみ入る蝉の声というのは、セミから発した声というエネル
ギーが岩を貫通しているイメージです。松尾芭蕉の歌は、エネルギー感をとら
えています。

 「五月雨を集めて早し最上川」というのは、エネルギーが通過していくイメー
ジです。
 「夏草や 兵どもが 夢のあと」は、エネルギーが通過したあとのイメージで
す。

 絵画や書道など、すべての芸術品は、その中心感覚を味わうところに価値が
あるのです。
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# by cute-qp | 2008-09-18 00:00

姿勢がいいというのは、中心感覚があるということ。

 文字を書くときも、中心感覚を感じて書くといい字が書けます。習字はまさにそうで
す。
 筆をどう持つか、どういう角度で書くか、どういうレイアウトで書くかは、あまり関係
ありません(管理人:私はそうは思いません・中心を保つために必要なことです)。

 いい字を青く人は、いい姿勢をしています。

 中心感覚を感じながら軸を持って書いていると、いい姿勢になるのです。筆で書
いているのではなく、軸で書くのです。

 私は子供の時に、習字の先生に字ではなく姿勢を直されました。書いている時の
姿勢が字に出るのです。悪い姿勢で軸がグラグラしたまま書くと、字がグラグラして
しまいます。
 1人1人が違う軸を持っているのですが、軸を持って書くと、その人なりのいい字に
なるのです。

 絵を描く時もまったく同じです。描く人がいい姿勢でなければ、いい絵は掛けませ
ん。

 子供が渡っころがって、夢中で絵を描いている時は、意外に軸があるのです。そ
れは夢中になっているからです。夢中になると、どこにもカが入りません。

 「一生懸命やります」と一育っ人と、夢中でやっている人は、違うのです。一生懸
命やっている人は、表面にカが入って、汗をかいたりします。
 夢中でやっている人は、汗もかかないし、顔は淡々として、かすかに微笑んでいる
ような感じです。

 笑っているのではなく、無心でやっているのです。

 無心でやると、周辺にカが入らず、中心感覚とその人の意識が同調します。面白
い本を読んでいる時は、ページをめくつている意識もないし、どういう姿勢で読んで
いるかという意識もありません。

 面白い映画を見ている時は、自分がどういう座り方をしているか」を意識しないの
で、疲れないのです。

 中心感覚に権限を委譲している状態です。

 あなたの中心感覚に、すべてのバランスを権限委譲することです。もっと姿勢を
よくしなくちゃとか、もっとラクな寝転がり方をしなくちゃと考えると、よけいに疲れる
のです。

 ムリしてつくったいい姿勢は、疲れます。姿勢のことなど忘れているのが本当の
いい姿勢です。だらけた姿勢をとることが、ラクになることではありません。

 リラックスとは、自分の中心感覚を感じて、その軸に沿っていることです。

 立っていても、座っていても、歩いていても、動いていても、寝ころがっていても
リラックスはできるのです。

(つづく)
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# by cute-qp | 2008-09-16 00:00

中心は、かすかに揺れている。

 中心感覚は固定されたものではありません。固定されたものは、弱くて不安定で
す。
 揺れない綱渡りはありません。微妙に揺れることで、安定度を持っています。揺
れているから危ないのではなく、揺れることによって安定度を保っているのです。

 最も安定しているものは、かすかに揺れています。じっとしようとすればするほど
、安定度を失っていきます。

 自分の中心感覚に、内側で微妙に揺れた状態のイメージを持つことです。完全
にピタッととまっでしまうと、次への動きができなくなるのです。
 スポーツ選手が動き出す直前は、静止しているように見えますが、中心感覚は
かすかに揺れています。

 「中心感覚を持ちなさい」「軸を持ちなさい」と言うと、「固めよう、固めよう」とする
方向へ行きがちです。

 でも、そうすると、よけいに不安定な中心感覚になってしまうのです。

「体がいい」というのは、筋肉ではなく、中心感覚のある骨格だ。

 「いい体しているね」というほめ言葉があります。

 ジムにトレーニングに来る人は、夏が近づいたら水着が着たいとか、Tシャツが似
合う体にしたいとか、スリムなジーパンがはけるようにしたいと言います。

 でも、筋肉を鍛えることでいい体になることはできません。筋肉は骨に付随してい
るものです。

 本当にいい体は、骨格がつくるのです。

 一流のコーチが選手の素質を見抜く時には、筋肉ではなく骨格を見ます。骨格は
、半分は遺伝です。

 そして、もう半分は遺伝的な骨格をいかに活用しているかです。

 せっかくいい骨格をもらっているのに、それを縮めて、台無しにしている人が多い
のです。
 筋肉をいくら鍛えても、骨格を意識せずに鍛えた筋肉は邪魔になるだけです。
骨格を縮めていくような筋肉の鍛え方は間違っています。

 筋トレがいいのか悪いのか、という議論ではありません。

 骨格を意識した筋トレは効果がありますが、骨格を意識しない筋トレはマイナスに
しか働かないのです。

 中心感覚を保つようにすれば、いい骨格をつくりあげることができます。

 0脚、Ⅹ脚、猫背になるのは、中心感覚を感じることができないからです。本当の
いい体は、中心感覚のある骨格を持った体です。その骨格を支えるためには筋力
が必要です。

 いい骨格があれば、それに必要な筋肉はおのずからついてきます。

 食事制限をするだけで、おなかの脂肪はとれません。おなかやわき腹の脂肪を
とりたいと思ったら、中心感覚を取り戻して、骨盤を立てるのです。

 これは背骨の曲がりを直すことです。猫背のままいくら食事制限をしても、おな
かの脂肪はとれないのです。
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# by cute-qp | 2008-09-14 00:00

軸からズレている時、ストレスを感じる。

 中心には、軸が通っています。その軸どおりに動いている時は、ストレスは感じま
せん。

 軸からズレていると、体では肩凝りが起こります。仕事の場合では、ストレスを感
じて、疲労がたまります。
 労働時間が長いから疲労を感じるのではありません。軸からズレている時に、スト
レスを感じて、疲労を感じるようになるのです。

一般に、「好きな仕事をしている人は疲れない」と言われます。

 好きな仕事はその人の軸に合っているので、動きが軸からズレていないのです。
軸は1人1人違います。

 他人から見ると楽しそうな仕事をしている人が、ある日突然自殺してしまうことが
あります。その仕事は、自殺した人の軸からズレていたのです。
 まわりから見ると楽しそうなのですが、やっている本人の軸にはズレが生じていた
のです。

 すべての人の軸にマッチする仕事はありません。自分の中心感覚がわからなけれ
ば仕事を探すことはできません。
 仕事を探すというのは、結局は自分の軸と仕事の軸がどれぐらい一致するかを探
すことです。

 自分の軸と仕事の軸のペアを探していくことが、「仕事を探す」ということです。表
面上楽しそうとか、表面上きつそうとかは、閑係ありません。
 
 表面を見ているうちは、自分の軸に合った仕事を見つけることはできません。

 自分の軸も相手の軸もわからずに、自分に合った仕事を探すのはムリがありま
す。そこでストレスを感じるのは当たり前です。

 でも、自分がなぜストレスを感じているかもわからないはずです。ストレスは、人間
関係や金銭関係や条件の問題だと言われます。

 本当は、自分の中心感覚がわからないからストレスを感じるのです。

 「自分が何をやりたいのかわからない」「夢が見つからない」と言う人がよくいます。
 「夢」と言うと、抽象的で、ずいぶん速いところにあるような気がします。でも、中心
感覚を感じることができたら、夢は今ここに存在しています。

 そこから先に軸が伸びていて、そこにも夢が存在しているのです。

(つづく)

 更新のペースが遅れており申し訳ございません。9月一杯身動きが取れない状況
でございます。

 10月より「身体運動」などに関して色々とお話しして行く予定でおります。
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# by cute-qp | 2008-09-12 00:00

筋肉を鍛えるのではなく、体の中心感覚を目覚めさせる。

 私はよく、「ジムに行っているんですか」とか「ウェイトトレーニングはどうやっている
んですか」と開かれます。でも、まったく何もやっていません。

 ボウリングをする時は、ゲームを通して必要な筋肉を使っています。ボールルーム
ダンスをする時は、それに必要な筋肉を使っているのです。

 それは、「鍛える」という感覚ではありません。

 筋肉の場合は、「鍛える」という表現を使います。中心感覚は、「目覚めさせる」と
いう言葉が一番適切です。

 中心感覚は、ほとんどの人が本来持っているはずのものです。いつの間にかそれ
が寝ぽけてしまっています。
 寝ぼけた中心感覚を再び目覚めさせるために、トレーニングが必要なのです。そ
れは、筋力を鍛えることではありません。

 筋力をつかさどる中心感覚を、それぞれの種目に応じて目覚めさせていくのです。

 ある種のスポーツで中心感覚に目覚めた人は、別のスポーツをやってもそれなり
にうまくできます。

 すべてのスポーツは、中心感覚でやるものだからです。

 ところが、筋肉だけを鍛えている人は、1つのスポーツがうまくできても、ほかの
スポーツはうまくできません。種目によって、筋肉の使い方が違うからです。

 「鍛える」よりも、「目覚めさせる」という意識を持つことです。

 女性で腹筋運動のできない人がよくいます。それは、腹筋がないからではありま
せん。腹筋をどう目覚めさせていいのかわからないのです。

 腹筋が痩ばけたままの状態だから、腹筋運動ができないのです。

 晩立て伏せができない女性も多いです。それも、筋力がないからではありません
。腕立て伏せをする時に、中心感覚をどこへ持っていけばよいのかわからないので
す。

 一時、私は腕立て伏せに凝っていました。どうしたらもっとハードな腕立て伏せが
できるかと考えていました。
 片手腕立て伏せをしたら、それはできることがわかりました。次に、片手・片足で
腕立て伏せができないかと考えて、これも「できないことはない」と感じるようになり
ました。
 そして、逆立ちで腕立て伏せができないかと考えて、それもやがてできるようにな
ったのです。

 それは筋力がついてきたからではありません。

 「中心感覚をどこへ持っていけば、腕立て伏せが最も軽くできるか」というコツがわ
かったのです。

 腕立て伏せは、顔をしかめて、カでエイッとやるものではありません。自分の中心
感覚をどこへ持っていけば最も軽く上がるか、というイメージを持つことが大切です。
筋力はそれほど必要ではありません。今持っている筋力を使うだけで十分です。

 寝ぼけた筋肉を目覚めさせるだけで、たいていの動きができるようになるのです。

(つづく)
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# by cute-qp | 2008-09-10 00:00

 春風堂の理念でも申し上げましたが私は「己こそ己の寄る辺」が大切だと思って
おります。

 その為に「自己の中心を観照する」事がキーとなって来ます。

 この2つに関し、中谷彰宏さんがその著作「答えは自分の中にある」に明解にお
書きになっておられますので、全8回に渡り、その抜粋を引用、連載させて頂きた
いと思います。ここまで書きになれるのは流石だと思いました↓。 

中心を感じると、体の中にスペースが生まれる。これが余裕だ。

 疲れている人は、骨も筋肉もギューギューに詰まっています。

 本来はもっと柔軟に動けるはずなのに、詰まりすぎることで、スムーズに動けなく
なるし、力も出せなくなるのです。

 人間の体の中には、たくさんのスペースがあります。

 中心を感じることができれば、骨の間隔が広くなり、筋肉も凄くなって、より柔軟
度が生まれて、スペースを生かすことができます。

 体の中にスペースが生まれると、精神的にもスペースが生まれます。

 これが「余裕がある」という状態です。

 「フトコロが広い」というのは、体の中に広いスペースを持っているということです。

 中心感覚があれば、体の中にスペースが生まれます。中心感覚がなくなると、
周辺に力が入ります。

 そうすると、自分の体の中心がどんどん小さくなってしまうのです。

迷うのは、中心を見失っているからだ。

 迷うというのは、孝え方が堂々めぐりをして、同じところをグルグルまわっている
状態です。

 結論は焦点にあるのに、外側ばかりグルグルまわっていて、どこまでいっても結
論が出ないのです。
 「どうしていいかわからない」と言っているうちに、グルグルまわっている円がどん
どんしぼんでいきます。

 これが追い詰められた状態です。外側をグルグルまわっているのが堂々めぐり
です。

 答えは、円の外側にはありません。

 どうしていいかわからない時にいろんな人に意見を開いても、結局は結論が出
ないはずです。
 Aさんは「右」、Bさんは「左」と言うことで、あなたの考えが左右に揺れるので
はなく、グルグルまわつてしまうのです。

 情報化社会は、外部情報の多い社会です。そういう社会では、ますます周辺
にカが入ってしまいます。

 今は、外部情報があまりにも多いので、中心感覚を意識しないと感じることがで
きなくなっているのです。

 情報化社会であればあるほど、あなたの中心感覚をもう一度取り戻す必要があ
るのです。

(つづく)
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# by cute-qp | 2008-09-08 00:00

バランス感覚と修正力

 本日は「バランス力と修正力」と題し、桜井章一氏の著「運に選ばれる人選ばれな
い人」より引用・ご紹介させて頂きます↓

 現代社会はバランスの悪い社会です。一方、人間社会と違って自然界はバランス
が取れています。

 今、多くの人が生活を送る中で違和感を覚える機会が増えているとすれば、それ
はさまざまなところでバランスが乱れているからにほかなりません。
 価値観の移り変わりなど変化の激しい時代状況も影響して、バランスを取ること
はますます難しくなってきています。

 バランス感覚がしっかりしていれば、何がよくて何がダメかがすっきりと見えます。

 バランス感覚があれば、ミスをしたり、調子を崩してもすぐに修正が出来ます。
何があっても修正する修正力が大事なのです。
 よくないことは結局、バランス感覚がないために起こるのです。戦争やおかしな
事件、人間関係のトラブル、すべてがバランス感覚の欠落から来ます。

 バランス感覚がしっかりしていれば、何か違和感があっても敏感に感じ取れます。

 体の傷だとすぐにわかるのに、心の違和感にはみんな鈍感です。

 たとえば指の先をちょっと傷つけたらイヤな感じがするはずです。それが違和感
です。
 体に違和感があれば治そうとしますが、心の違和感はあっても治そうとはあまり
思いません(「感じる力」が去勢されつつある昨今、体の違和感を感じることも難し
くなって来ているように思います。また、心の違和感をある程度感じられていない
と体の違和感も感じられないと言う事もありますね:笑)。

 それは、違和感があってもあまり自覚がなかったり、あるいは気づいていてもな
んとなく放っておくからです。
 放っておくとそれは意識の底にたまっていって、やがて傷となり、治りにくいトラ
ウマになったりします。

 また困ったことに、傷はその人だけで終わりません。それは他の人にも傷を与え、
ネズミ算式に世の中の傷を増やしていきます。
 インターネットの世界を見れば、そう言った現象をはっきりととらえることができま
す。

 心の中の違和感は、体の傷と同じように速やかに修正しないといけないのです。
バランス感覚があればそれが可能になります。

 バランス感覚は、物事の中心を的確にとらえる感覚、すなわち的を射る感覚で
すが、考えすぎると中心を外します。

 逆に言うとバランス感覚とは、心を真ん中に置くことにほかなりません。真ん中
に心があれば、バランスを崩してもすぐに動いて修正が出果ます。

 つまり、バランス感覚とは、素早い修正力のことでもあるのです。違和感をサッ
ととらえて速やかに解消に向かうカなのです。

 ↑以上、引用終わり。

 流石、厳しい勝負の世界を生き抜いて来た方...しかし、これは我々の生活全般
に応用出来る事と思います。

 そして、それには「違和感を感じられる」事が非常に大切となります。

 (参考)
 「身体の声の聴く ~自律神経による治癒反応~」
 「神経訓練法としてのセンタリング呼吸法 」
 「先ずは自分が変わる」
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# by cute-qp | 2008-09-06 00:00

健康と美容は最優先!

 春風堂日記の開始当初、「春風堂の理念」について少し申し上げましたが、「健康
は全てに優先する」
...と言う事柄も春風堂が身を以て知った、大切な理念の1つ
です。

 そして、それを実践している方々のお姿や立ち居振る舞いは「心身の均整が取れ
た美しさ」・「内面から輝く何気ない、自然な美しさ」があります。

 本当に「その場にいらっしゃるだけで美しく」凄いなと思いました↓。
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                   ベリーダンサー Rachel・Brice
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                     意拳創始者 王郷斎先生

 一方、センタリング呼吸法のアシスタントをさせて頂いて気付いたのが、「相対的」
に「男性よりも女性の方が遥かに進歩が早い」と言う事(笑)。

 参加の皆様は一様に「健康になりたい」と言う「切実な願い」と「問題意識」がスター
トでいらっしゃいますが、女性の方が「見られる事を意識した自分や周囲の変化に
大変敏感」で「好奇心も旺盛」...しかも、良い!と思った事は直ぐやる「進取の精神」
がある様にお見受けしました。

 そうして、自覚を伴って「愉しく健康」になられますと、それが自分という「素材」の
「レベルアップ」になり、そこから何かに「挑戦」されるお姿が非常に印象的です。

 そう言った経緯もありまして、「健康と美容は最優先!」と考えております。

 今日は、そう言う観点から「春風堂風”オシャレ視点で自分作り”」をお話致します。

 三面鏡テクニック (Triple mirror technique)

  「見られる」と言う概念を上手く利用しますと「自分自身を客観的に観る」方法
 に繋がります。

  その中でも効果的ものを 「三面鏡テクニック (Triple mirror tech-nique:
 )」
と名付けてみました。

  先ず、「鏡を見て」ご自身の「現状」を今まで以上に「丁寧に」確認・観察しま
 しょう。「両目の大きさ」、「両肩の高さ」、「皮膚や髪のつや」など...ご自身が
 「どう映っているのか?」と興味を持つ範囲で色々見て行きます。

  また、出来れば「三面鏡」を使ってご自身の「左・右・後」の表情を観察してみて
 下さい。「耳の位置と肩の位置」は一致していますか?「顎は前へ」出ていません
 か?「服のしわ」の感じは左右同じでしょうか?「背中は広い?狭い?丸い」でしょ
 うか?  

  今まで観ることの少ない自分の姿は結構表情豊かで、得てして、そう言う部分
 を人はよく観ています。

  今度はそんなご自身を「床で観て」行きます。畳か適当な硬さのある床に「仰向
 け」や「伏臥位」、「横臥位」になり、床と滑らかな接触を保ちながら、呼吸を様々な所
 に入れたり、身体の重さを移しながら、動いてみて、ご自身を立体的に「体感」してい
 きましょう。

  例えば、「両肩や腰は均等に床について」いるでしょうか?「両脚の開き方」は如何
 ですか?動いている時に緊張しやすい場所や力が入らない場所はありますか?

  こんな風に、ご自身を「他人目線」で客観的に、最初は「視覚的」、徐々に「体感」や
 で立体的に観て行く方法を「三面鏡テクニック」としてみました。是非、お試
 し下さい。

 そう言えば...デビューしたての俳優さんなどを見ますと、どうも「垢抜けない」感じ
がするのですが、暫く経って見ると、「一皮向けた」感じがする事があります。

 多分、「人に見られる」経験とそれに対する技術を身に付けた結果なのでしょう。

 例えば...以前、お知り合いになった宝塚の女優さんとクラブで待ち合わせをした
事がありました。
 会場は、しゃべり・踊る人達で溢れ返っていたのですが、彼女がエントランスから
現れた瞬間、会場とお客さんの雰囲気が一瞬にして変わってしまいました。

 彼女が特別、目立ったコスチュームや言動をしていた訳ではないのですが、日頃
、ピンスポットを浴び、3階席まである大きなホール全体に向かって演技して来た結
果、かなり大きな会場が「スミレ一色」になりました(笑:びっくりしました)。

 この話だけですと「俳優さんだから特別」と思われてしまうのですが、「プロ」として
自分と言う「素材」を日々「自己管理」し、「鍛え」た結果だと思います。

 そして、私達も「自分に対してのプロ」になれると思うのです。

 (参考)
 「美容と健康」には「ヒミツ!とドリョク!」が必要
 「質問にお答えして ~補正下着について」

◆お知らせ◆

 9月一杯、ちょっと行事が立て込んでおりましてブログの更新が遅くなりますがどうか
ご了承下さい。

 ちなみに、10月からは様々な「身体運動」を通して「身体と心に面白良さそう!」な事
を見詰めて行きたいと思っております。
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# by cute-qp | 2008-09-05 00:00 | 春風堂の想い

 実は...つい数ヶ月前、身内が手術を受け、入院していました。

 その際、付き添いとして「カンファレンス」を受けたのですが、自分が素人の時と
比較して、「カンファレンス」は極論、医師側の「説明しましたよ」と言う「形」や「証明」
だなと感じました。

 確かに、「数値」や「映像」を沢山見せて解説して頂きますが、ある瞬間の結果
を「数値」として「ある分野の統計的視点」で述べられても「そうなんだ~」ですし、
「映像」を拝見しても一般の方にすれば「ふ~ん」と言う感じだと思います。

 それでサインをするのですから、ある意味「保険の契約」を彷彿としました(笑
:これもまた約款が細かい字で)。

 そこで、今回は、自分の学んだ事に加え、それ用の勉強と準備をし、担当医の
先生に勉強の為、目一杯ご質問させて頂きました(勿論、真面目な気持ちです)。

 お陰様で、とても丁寧に内容を教えて頂け、当人にそれを咀嚼し、特に、「こ
れからやろうとしている事について」、「メリットとデメリット」、「術後の計画とケア」
を平易に説明する事が出来ました。

 「法律は知っているものの為にある」と言いますが、実際、医学を学び、その世界
に入って「医学も知っているものの為にある」とつくづく思った出来事です。

 その時、特に印象的だった事が、患者当人が「医師任せ」の態度であった事...
私の居ない時に、何かやりとりがあった際、「何故、そうする事になったの?」
と聞いても「先生を信用している」とか「さあ」と言う返事(笑)。

 如何せん、「昭和初期」の人間で「先生」や「医師」と言う存在に対する捉え方が
私と違い、また、自分は「専門家」でないからと言う気持ちがあって、その想いは察
するものの...さすがに、医学の現状を思うとプロでなくとも「何故?」と思った事は
漏らさず聞いておくべきだと感じました。

 今は、「セカンドオピニオン」が推奨される時代ですし、専門家でなくとも、「ご自
身でお分かりになる範囲でお調べになったり、疑問があれば必ず聞く」...と言う
「お気持ち」が大切だと思います。

 でも、「正直、どうして良いか分からないし、難しいし」と仰る場合、私は”COML”
をご紹介しています。

 「COML」とは(Consumer Organization for Medicine & Law(医療と法の消費者
組織)の略)「ささえあい医療人権センター」の事で、医療を消費者の目でとらえよ
うと、1990年9月に活動をスタートしました。

 自分は「いのちの主人公」、「からだの責任者」をモットーとした市民中心のグル
ープです。

 「COML」では「賢い患者になりましょう」を合言葉に、患者の主体的な医療への
参加を呼びかけ、患者と医療者が、対話と交流のなかから、互いに気づき合い、
歩み寄ることのできる関係づくりを始め「患者中心」の開かれた医療の実現を目指
しておられます。

 そこで紹介されていました「医者にかかる10箇条」をご紹介致します↓。

 あなたが"いのちの主人公・からだの責任者"

  1. 伝えたいことはメモして準備
  2. 対話の始まりはあいさつから
  3. よりよい関係づくりはあなたにも責任が
  4. 自覚症状と病歴はあなたの伝える大切な情報
  5. これからの見通しを聞きましょう
  6. その後の変化も伝える努力を
  7. 大事なことはメモをとって確認
  8. 納得できないときは何度でも質問を
  9. 医療にも不確実なことや限界がある
 10. 治療方法を決めるのはあなたです


 尚、様々な医療に関する相談も受け付けておられる様です。

 更に、内容によっては、ちょっとした物の見方や勉強、レッスンを受ければ「セ
ルフケア」出来る事がとても多いのです。

 例えば、よく「椎間板ヘルニア」等を見るのですが、その多くは「姿勢」や「運動
の質」を変えれば、「予防」、「治療」、「現状維持」出来るものでした。

 そこに「病名」を付けられるとそれが「お札」や「名札」、「憑依霊」になってしまう
事が多く、反面、以前、申し上げました様に、日本で「病名」は「保険請求の為」に
付けられる傾向が非常に強い...と言う皮肉な傾向があります。

 どうか「あなたが"いのちの主人公・からだの責任者"」 と言う事を大切
に心に置いて下さい。

 そのお手伝いを「春風堂」は行っています。
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# by cute-qp | 2008-09-04 00:00

 昨夜の、「基本に立ち戻って ~神経訓練法の実際~」を受け、今日は「習慣を超え、
体験に学ぶ」と題し、「脳」について春風堂の考えをお話致します。

 唐突ですが、30歳を過ぎると物忘れも激しくなり、その理由(言い訳)として「脳の神経
細胞は、1日に10万個死滅するから!」なんて話を私達はよく致します。

 確かに、脳細胞の「死滅」は「事実」でありますが、「記憶力が減退する理由」としては
正確ではありません。

 良く我々の記憶力と比較されるのが「子供」の物覚えの速さですが、子供達の「脳」は
「まだ空っぽの書庫」であり、先ず、情報がどんどん入って行く段階である為、情報吸収
が早く、様々な経験を経て、ある程度、「書庫として充実した」私達の「脳」は、その情報
の「検索」や「整理」に必然的に時間が掛かると言う部分に差の実体があります。

 実際、私達が「あ、ド忘れ!」と言っても自分の中にはその明確な「情報」や「イメージ」
はあるので、情報自体が「消去」された訳ではありませんし、子供も「宿題」や「体操服」
などを良く「ド忘れ」していますね。

 それを「気にしていない」し、大人ほど「気にされない」所が子供の特徴です(笑)。

 ただ...子供と私達では「記憶」や「修得」の方式や形態が少し変わって行くのです。

 例えば、子供がチラ見で覚える事を我々は苦労します(笑)。

 しかし、自発的に「対象物を書き写したり」、「何回も動いてなぞる」などして、「丸覚
え」でなく、経験や工夫を通して覚えることで、大人は、より正確に物事を吸収出来る事
が分かっています。

 つまり、「体感に学ぶ」ファクターに「脳」がシフトして行くのです。

 実際、我々の脳は身体へ摂取する全エネルギー量の20~30%を消費しますが、
活動量は全体の2%程度に過ぎない存在で、子供の頃は「生きる」為に必要なベース
をとにかく「早急に吸収するに足りる脳」として、その「余力」が有効だったかもしれませ
んが、成長の後は、これを「効率的」に使える為、「消費電力型の運営」に移行して行く
と見ることが出来ます。

 また、「脳」は刻々と「情報を更新し、関連付け、整理する」基本機能があるので、
その為にも「手足を動かし、体験を通じて脳を使う」事が大脳全体から心身へ大きな
影響を与えると言えます。

 ここで、昨夜の「手足」のお話を図示した模型をご紹介致します↓
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      「ホムンクルス」3Dモデル(The Natural History Museum.London)

 これはカナダの脳神経外科医ペンフィールドの実験から有名になったモデルです
が、人間の身体を「神経細胞の量の分布の比率」を現したもので、モデル上、その
形態の大きい所は神経細胞も多く、その動きが脳の活動を発火する度合いも高い
事を示しています。

 昨夜お話致しました様に、先ず「口」、そして「手足」が大きいですね。

 従いまして、「神経訓練」や「介護」において、これらが非常に重要な「ファクター」で
ある事をお分かり頂けるか?と思います。

 さて、ここで再度、子供と私達の違いについて述べますと、子供にとって世界はと
ても好奇心に満ちたものでありますが、私達にとって、それは「マンネリ化」したもの
になっているのではないか?と感じます。

 つまり、自分自身に対しても「マンネリ化」し、「感心を失った」結果、「刺激」
や「体験」が急激に減り、「脳力が減退していっている」...それが根本的な「記
憶力や心身の減退」原因の1つではないか?と思うのです。


 だからこそ!「神経訓練法」は生涯を通じ、我々の心身に有効な「脳力開発」も
視野に入れているのです。
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# by cute-qp | 2008-09-03 00:00

 先日、センタリング呼吸法の初級セミナーがありましたのでそのお話を少しさせて頂
きます。

 今回の様に(K野さんによる記事はコチラ→「基礎中の基礎を自分で試みてから」
「最初の最初」から立ち上げて行く取り組みは、私自身、「気持ちを新たに、基本を学び
直す」とか「自分のモチベーションコントロール」、「新たな学びへの切っ掛け作り」になり
誠にありがたいことだと感じております。

 さて...今回、K野さん工夫によるセミナーの取り組みは、私にとっては、非常に「神経
訓練法」的な側面を基本時から前面に押し出した、興味深いものでありました。

 セッションは、先ず、呼吸を軸に「手の平」や「足の裏」で畳を「なぞる」事より始まりま
した。

 以前、「神経訓練法が可能性を開く ~その基本原理~」で「足の平のセンサー」に
ついて少しお話を致しましたが、元々、動物が「重力」に対して自分を支える「最前線」と
なっているのが、これら「手足の平」です。
 そして、「重力」と「運動」との間で様々なバランスを取る為、私達の「手足の平」には沢
山のセンサーがあり、そこからの情報を「触覚」・「温度覚」・「位置覚」・「深部感覚」等とし
て、受け取り日々を過ごしています。

 如何せん、人間は他の動物の様に「嗅覚」等の脳の旧皮質的な機能が発達しなかった
反面、二足歩行によって新皮質が発達し、「手は歩行から解放され」、「足は逆に重力を
一手に引き受けた」事で、より繊細な感覚と運動を獲得しました。

 結果、人間の子供は頭が重く、産まれて暫くは二足歩行に対し、脊柱が未発達で、直ぐ
に自分で立つことは出来ませんが、「口」の触覚(食行動中心の触覚)に続き、様々なも
のに「手足で触れる」所から、運動に必要な高度な「平衡覚」や「重力感覚」、「連動感」を
脳にインプットし、身に付けて行く過程を採りました。

 丁度、その過程を「追体験」している感覚でしょうか?

 当初、初めての皆様は何故手や足をそうして動かすのか?分かりません。その状況
は本当に「赤ちゃん」と同じ立場です。

 その「非日常的な体験」の中、私共が「呼吸」や「動作の流れ」を補足、補正させて頂き
ながら、共に皆様の「神経」や「感覚」に働き掛ける事で、「脳」や「神経」に「あるべき姿に
補正しよう」と言う「平衡欲求」が生じ、それが「心地よい感覚」を伴って皆様の「動きの変
化」や「回復・改善」として発露致します。

 その「変化」や「感覚」を手掛かりに、様々な「体位」や「条件」を加えてセッションは展開
されます。

 例えば、先ず、「左半身」と決めましたら、暫時、「左」のみの動作に取り組みます。そし
て、左半身を通じて「感覚が開かれた時」...「右半身」に取り組むとあら不思議!...簡単
に出来てしまったりします。

 「左半身」を通じ、「脳」の神経訓練が1つクリア出来たからです。

 よって、状況にも寄りますが、私の担当させて頂いた方には「やり易い方」からやって
頂きました。

 何故なら、感覚が開き易い方向から「神経回路を開き」、その「感覚」を生かして「やり
辛い方」を補足する意味と、「動き易い」部分から運動を誘導・改善し、私達の神経活動
(全身のバランス)の改善に弾みをつけようとの狙です。

 また、補正やご指摘を通じながら、畳のヘリや視線を決めて頂き、「習慣」と言う「自己
基準」の見直しや改善も行って頂きました。
 その方が、場合によっては、「触っている実感が増し」、「自分自身の立ち居振る舞い
もご自身で観照して頂き易い」利点があるからです。

 合わせて、「スキャニング」の時間も「スキャニング」はニュートラルな視座」を受けて
出来るだけ取らせて頂きました。
 この事で「自分の変化への認識」や「次の変化に向かっての現状把握」、「神経訓練
の安定化(安静にする事で心身への刺激を減らし、大切な情報・刺激を脳へ定着)」
が図って頂けます。

 ちなみに、各動作に対してのK野さんの模範動作の際、直ぐに真似をしようとされる方
には、先ず、「しっかり見て頂く」事をお願い致しました。

 何故ならば、出来るだけ「自分の経験や習慣からの推測」で動くのではなく、「模範
動作」を「手足」同様、「ご自身の目で!なぞって」動いて頂きたいからです(目も「触覚」
になり得ると春風堂は考えます)。

 総じて、私としては今までの反省もあり、殆ど「説明」はしないで、「神経訓練」のお手
伝いに徹した感があります。
 その事で、自然にあるべき変化が皆様の中から導き出され、その後、必要最小限の
「説明」や「ヒント」が私の「相づち」や「笑い話」として出て来ている感じでした。

 勿論、たった1回で皆様が数年掛けて築いた「習慣」が改善される訳ではございませ
んが、「変われるんだ!」と言う「変化」と「意識」、「実感」が「神(シン:目力とでも言って
おきましょうか?)」に現れていたのが誠に印象的でした。

 次回、いつこの様な機会が持てるか?未定ですが、それに向けて一歩一歩楽しみ
ながら進ませて頂きます(業務連絡:K野先生。次回は必ず!3人で「ナン」までお付き
合い致します:笑)。

 最後に、毎度ながらにひつこい様ですが、今までに掲載致しました、春風堂の考える
「神経訓練法」についてをコチラ↓に総集し、添付させて頂きます。

(参考)
 「呼吸が変わる 姿勢が変わる 生き方が変わる」
 「身体の声の聴く ~自律神経による治癒反応~」
 「先ずは自分が変わる」
 「神経訓練法としてのセンタリング呼吸法 」
 「相対神経訓練法 ~治療や介護から日常へ向かって~」
 「夢の途中 08/08/23」
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# by cute-qp | 2008-09-02 00:00

 先日、「もうひとりの自分の目で見る」をご紹介致しましたので、今日はそれに関して、
治療やボディーワーク、日常生活で自分を振り返る際の「間」や「スキャニングタイム」
についてお話したいと思います。 

 以下は、大下大圓さん著書より引用・掲載させて頂きました↓。

 人生を長いスパンで考えてみることです。現在の悩みを引き伸ばしてみる。そうする
ことで、こころがふっと軽くなることがあります。

 もしくは、本当にそれが悩みなのか深く考えてみる。そのうえで、悩むことをいったん
やめて、立ち止まってふり返ってみる。すると、「待てよ、こんなことは本当は、どうで
もいいじゃないか」ということが見えてくることがある。

 一度ふっと視線を外してみる、前に進むだけでなくちょっと引いて見てみる。これが
、仏教の「止観」の教えです。「止観」とは、サンスクリット語の「シャマタ」と「ヴィパシ
ャナー」を訳したもので、「こころの乱れたものの見方を止めることによって知恵を起
こし、その知恵でもって対象を正しく観察する」という教えです。

 ↑以上、引用終わり。

 この「止観」と言う考えが、「スキャニング」の原理の1つではないか?と春風堂は
感じております。

 「ボディーワーク」でも「調整」でもまだまだ「行ってしまえ~!」な部分がある私です
が、「詰め将棋」の様に、自分が指した一手がどんな影響を産んだか、その度、立ち
止まって、丁寧に見ることの大切さを日々痛感しています。

 勿論、ある一定のリズムが出来ている時は、それに上手く乗る事が大切ですが、
リズムの命は「息と間」...結局、そこに行き着きます。

 そして、そのリズムが乱れている時こそ、果敢に何度も「間を作り」、自分自身を
立て直す事が重要だと思います。

(参考)
 「呼吸が変わる 姿勢が変わる 生き方が変わる」
 「身体の声の聴く ~自律神経による治癒反応~」
 「先ずは自分が変わる」
 「神経訓練法としてのセンタリング呼吸法 」
 「相対神経訓練法 ~治療や介護から日常へ向かって~」
 「神経訓練法が可能性を開く ~その基本原理~」
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# by cute-qp | 2008-09-01 00:00

 昨夜は「フサオマキザル」のお話を致しましたが、今日は聖心女子大学キリスト教文化
研究所研究員で、「エニアグラム」(自分と他人を知るための知恵の人間学)の日本での
第一人者でいらっしゃる「鈴木秀子先生」の著作より引用させて頂きます。

 当ブログをご覧頂いている皆様にとっては、突然、「武道家」や「舞踏家」、「お坊さん」
に加え、「お猿さん」のお話まで出て来て、さぞ「当惑」なさっている事と思いますが(笑)
カテゴリー「なりたい自分になる為に」では「春風堂の理念」に基づき、様々な角度や
側面、スタンスから「なりたい自分になるヒント」を学ばせて頂こうと思っています。

 とにかく、色々と学びたい春風堂でございますので、どうか付き合い下さい。

 それでは、シスターの鈴木秀子先生の著作より引用させて頂きます↓

 ...一瞬でいいから、もうひとりの自分の目を持って、自分自身を客観的に見ること
です。

 そのときに大事なのは、自分を批判したり、分析したり、責めたりしないこと。まず
は温かく、ただ見ているだけです。

 「あ、今、私は怒っているな」
 「イライラして、頭の中で批判しているな」
 「緊張のあまり、パニックになっているな」
 「体も硬直しているな」

 などというように、具体的に見つめます。
 
 ある日、大学近くの道端でこんな風景を目にしました。大きな犬が子どもに近づく
と、子どもは「怖い」と言って、体を硬直させたのです。
 口だけではなく、ほんとうに怖がっていることが、その子の体を見ていると、よくわ
かりました。
    
 犬を怖がっている子は、以前に吠えられたことがあったのかもしれません。その
ため、危険を察知したのでしょう。

 人間は恐怖心を抱くと、体が硬直して思考能力が低下します。

 恐怖心というのは、危険を察知するために、その危険を回避するよう起こってくる
ものです。
 だから、それを無理に取り払おうとせず、まず受け容れること。何が原因かを探
ってみます。

 自分の体はどうなっているか、子どもを見るように観察してください。そして、「あ、
この恐れも自分の一部なんだ」と受け容れて、無理に治そうとしない。そこがコツ
です。すると、恐れや不安は自然に薄らいでいきます。

 自分の体、頭、感情、気持ちを、ただじっと、今どんな状態だろうと調べてみるの
は、瞑想のひとつです。すると、自分と仲よしになれるのです。

 人から愛されるようになるには、自分自身と仲よしになるのがいちばん大事です。

 自分のいいところを認め、悪いところも認める。自分の悪いところを笑いながら
認められるような人になると、なぜか人気が出てきます。

 ところが、「自分は、いいところはいいけれど、こういう欠点は受け容れられない。
どうしてそうなるのだろう」と、繰り返し自分を非難していると、周りにもイヤなもの
を投影してしまうため、隔たりを強く感じさせてしまいます。

 ですから、若いときから、自分自身と仲よしになる訓練が必要なのです

 自分自身と仲よくする方法を、私は「天使の観察」と呼んでいます。

 天使が自分の肩あたりにいると思って、天使の温かいまなざしで自分自身を
見つめてみるのです。

 「今、怒っている」
 「今、しよげている」
 「今、落ち込んでいる」

 というように、天使のまなざしを持つと、冷静に軽やかに自分を見ることができ
ます。

 「観察」とか「点検」という行動は、瞑想の一種です

 浮き立っているのでもなく、沈んでいるわけでもなく、心の中に何もない、ただ
静かな感じ。観察や点検は、そういうときにするといいのです。

 「観察」「点検」という言葉は、何かを調べるように聞こえますが、赤ちゃんや
小さい子どもが、これはなんだろうと、手で触ってみたり、いろいろな角度から
見てみたり、ほうぼうを見回したりする。
 そういう行動が観察とか点検で、評価や批判をせずに、ただ純粋に見ること
なのです


 天使のまなざしで自分自身を見つめる練習を繰り返すと、だんだん、自意識
過剰や、不安感、緊張感が少なくなります。つまり「ふり」をしなくなります。

 「緊張してはいけない。不安がらない。心配しないように」などと、自分に言い
聞かせると、かえって、それが大きくなってしまいます。
 そんなときは、肩のあたりから天使が見ていると思って、そのまなざしで自分
自身を点検するといいのです。

 天使のまなざしで自分を冷静に点検していると、不安に思う要素で頭がいっ
ばいの自分が見えますが、そんな自分を責めたりせずに、点検を続けると、し
ばらくは少しこだわっている状態が続き、次の段階に入ると、すっかり今までの
こだわりが消え、不安感までも軽くなっていることに気づくでしょう。

 そういう訓練を日頃から続けていると、自然と周りにいい人が集まってきます。

 また、自分が人と接するときにも、周りの人からプラスの気を与えてもらえる
のです。

 ふだんから、肩のあたりにもうひとりの自分を置いて、自分は何を考え、何を
言っているのか、相手とどんなふうに関わっているのかということを、客観的に
見る訓練をしましょう。

 自分自身を自然体で「あ、今、緊張している」「今、疲れている」と、温かく見つ
めてみる。
 そうすると、自分と仲よしになれて、ふりをすることや、自意識過剰、不安、あ
るいは恐怖から逃れることができるのです。

↑以上、引用終わり。

 この文章を見た時、「ヴィパッサナー瞑想」や「フォーカシング」などを彷彿と
致しましたが...結局、真理の基本は全て同じなんですね。

 ちなみに、ロルフィングのロルフ女史の弟子で、彼女のレシピにエニアグラム
を導入し、「シンインテグレーション」を創始したマーク・カーフェル氏を思い出し
ました。
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# by cute-qp | 2008-08-31 00:00

 唐突ですが...今日は「フサオマキザル」をご紹介致します。

 「フサオさん」は「南米のチンパンジー」と呼ばれる程、頭の良いサルで、ペットとしの
みならず、その高い知能を生かして「介護ザル」として訓練されています。

 通常、「フサオさん」はアマゾンなどの熱帯雨林で暮らし、果物を主食にしていますが、
乾燥した森に住む固体は、果物の代わりにヤシの実を主食としています。

 しかし、ヤシの実は、堅い殻に覆われ、そのままでは食べることが出来ません。

 そこで、「フサオさん」達は知恵を働かせ、石を道具として使いヤシの実を割る行動を
進化させました。
 石の重さは約1㎏。2本足で立ち上がり、自分の体重の1/3程もある石を使って実を
割ります。

 こちらはボスの実の割り方ですが、朽ち木の凹みに実を固定し、自分の体重に匹敵
する位の石を上手く持って実を割ります↓
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 流石に、ボス...綺麗なスローです。

 しかし、この方法は一様ではなく、群れの個々が自分特有のスローイングを編み出
しています。例えば、このフサオさんは「飛び込みスロー」です。
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 そして、こちらはボスを真似ようと必死なプチ・フサオ君達です↓
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 ボスの傍でスローイングを見ながら、自分で色々と真似や工夫をして自分のスロ
ーイングを身に付けて行きます。

 この目なんて真剣そのもの...何せ、親から餌を貰えないので自分で椰子の実を割
れなければ生きていけないのですから↓
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 そして...凄い事に、小さい頃から「立って」重い石を運び続けた結果、人間の様に
腰椎が前彎し始めているようです。
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 この現象は「猿回しのお猿さん」にも見られますが、人に訓練された訳でもなく、
石と言う「負荷」を利用してここまで来たのです。
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           (初代ジローの骨格 出典:構造医学 吉田勧持著)

 反面、人間は「どこでもしゃがみ込んだり」、「猫背・がに股」で歩くなど、どんどん
お猿さんに「先祖返り」している模様...実際、重心位置もどんどん後ろに行っている
とか。

 やれ、「2012年」、「フォトンベルト」など色々言われますが、それ以前に「生活習
慣」に「創意工夫」しないと「猿の惑星」が現実味を帯びている?!と思う春風堂で
す(笑)。

(補足)

 猿回しのお猿さんは、小猿の頃から「根切れ」と言う訓練を受けます...具体的には
、前足を付かない様に訓練され、合わせて、早い内から腰や背中のマッサージを受
けるのだそうです。

 その影響か?成長したお猿さんの腰をレントゲンで見たり、亡くなったお猿さん
の脊柱を解剖すると腰に「前彎」が出来、脊柱がS状にカーブします。

 更に、代々、猿回しに関わったお猿さんには生理曲線がすでに「遺伝子情報」
として次の代へと受け継がれるような進化がみられるのだそうです。
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# by cute-qp | 2008-08-30 00:00

 先ずは、コチラをご覧下さい↓。

生活習慣病予防、個別指導の受診17%増 07年度

 全国32カ所の労災病院に併設された勤労者予防医療センターなどで2007年度
に生活習慣病予防の個別指導を受けた人は前年度比17%増の6万9418人にの
ぼったことが、独立行政法人「労働者健康福祉機構」(本部・川崎市)のまとめで27
日、分かった。受診の急増について同機構は「メタボリック症候群への関心が高まっ
たことが背景にある」と分析している。
 個別指導の内訳は、喫煙や飲酒、睡眠不足などの習慣の改善を促す「生活指導」
を受けた人が06年度比38%増の1万9922人。理学療法士が健康状態や体力に
見合った運動を指導する「運動指導」が同3%増の1万8256人、医師による栄養、
運動、生活など総合的な「保健指導」が同17%増の1万7815人など。

[2008年8月28日/日本経済新聞 朝刊]

 ↑以上、引用終わり。

 先ず、世間が「ご自身の健康や生活を見直す」傾向にあるのは非常に良い傾向
だなと思いました。
 但し!、あくまで「生活習慣の病」な訳ですから、特別な場合を除いて、「喫煙」
や「飲酒」等の為に医療費や保険料を割いている...と言う点には疑問が残ります。

 どこか「何でも救急車」の甘えのノリや「自分の健康は自分で守る」意志の希薄
さを感じずにはいられません。

 と辛口な事ばかり言っても仕方がありませんので、今日は、「睡眠とメタボリック」
の関係を「ホルモン」の観点からお話したいと思います。

 さて、最近のお話ですが、「食欲」や「エネルギー消費」を通して肥満を調べた結果
、「グレリン」と「レプチン」という2つのホルモンの存在と関係が明らかになって来まし
た。

 ここで「肥満」の原理をおさらいしますと、「身体にエネルギーを必要以上に摂取す
るか、逆にエネルギーの消費が少ない為、体脂肪が過剰に蓄積された状態」を指し
ます。

 そのエネルギーの出し入れに「食欲」が関係し、その「食欲」をこの2つのホルモン
調節していると言う訳です。

 「グレリン」はまだ発見されて10年も経たないホルモンで、しかも、「内分泌系」では
なく、「消化器系」の「胃」から空腹時や食前に分泌され、「食欲」をかき立てます。
 これが習慣として「1日3食」であれば「グレリン」は3回放出されますが、夜更かし
して、空腹を感じればそのたびに分泌される様になり、一日当たりの「食欲」を増やし
てしまいます。
 しかも、「グレリン」は人間の成長に関わる「成長ホルモン」も不必要に増加させる
ので「肥満」が加速する訳です。

 対して、「レプチン」は、脂肪細胞から分泌され、「摂食の抑制」や「エネルギー消費
を高める」働きがあり、この2つのホルモンは相反しながら、バランスを取って作用し
ています。
 しかし、「睡眠不足」になると、なぜか「レプチン」が利かなくなり、バランスがくずれて
しまうと言う現象があります。

 その原因は未だ不明ですが、少なくとも、身体に必要な平衡バランスを壊している
のは確かの様で、結果、「食欲が抑えられない」のみならなず、「エネルギーの消費
を高める」ことも出来なくなり、「グレリン」主体の「メタボな身体」になって行きます。

 では、どうすれば心地よい睡眠を得ながら「メタボ」を防げるのか?...春風堂なり
の考えをお話致します。

 ① 先ず、「夜食」は控え、「睡眠薬」や出来れば「寝酒」に頼らず、自然に眠る。
   その代わりに、眠りを促す、「トリプトファン(睡眠誘発物質)」が含まれた「温め
   た牛乳」の摂取や「ハーブティー」等をお薦め致します。

 ② 「ぬるめの風呂にゆっくりとつかる」とか、「半身浴」をして心身を温め、「副交感
   神経優位」状態に持っていく。

 ③ 寝る前に「激しい運動は控え」、「呼吸法」や「神経訓練法」、「ヨガ」などを用い
   全身の歪みや偏り疲労と取ってこれまた副交感神経優位状態に持っていく。

 非常に大まかで単純ですが、身近で効果的な方法として以上の3つを上げてみま
した。

 とにもかくにも!自律神経(交感神経と副交感神経)の様に、人間に様々なバラン
ス機能があるのだな...とつくづく感動します。

 それに「おんぶにだっこ」ではなく、上手く付き合えれば「生活習慣病」のみならず
、様々な愁訴や病気が予防出来るものと思います。

 (参考)
 「身体の声の聴く ~自律神経による治癒反応~」
 「神経訓練法としてのセンタリング呼吸法 」
 「もう1つの調整法 ~身体を温める~」
 「先ずは自分が変わる」
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# by cute-qp | 2008-08-29 00:00

 この8/31(日)に春風堂の先生であるK野師の「センタリング呼吸法・初級セミナー」
が開催されます(申し込みは締め切られております)。

 それを受けまして、以前の記事を脚注に添付し(参考)、今日は、春風堂が「調整」や
「ボディーワーク」のベースとしている「神経訓練法」の基本的な原理についてお話した
いと思います。

 さて...私達は生まれながらに「呼吸」・「消化」・「循環」・「代謝」と言ったあらゆる機能
を持っており、構造的にも「重力」に対応出来る様に出来ています。
 また、「視覚」・「聴覚」・「嗅覚」・「味覚」・「触覚」と言ったセンサーが皮膚や筋肉など
の「感覚器」として存在し、自分と外部の関連性を脳に伝えてくれます。
 そして、それらは絶妙な神経の機能により、私達は一定のバランスを保ちながら統合
・管理されて生きています。

 例えば、私達の足の裏には七千余りのセンサーがあり、歩く度に地面が硬さや平衡
、摩擦などを伝えてくれてます。
 これらのテータが自動的に脳で処理され、内耳の平衡中枢へ送られ、身体はその状
況に応じて微調整されます。

 この様に、身体は無意識のうちに何度も微妙な調整を行い、バランスの平衡を保っ
ています。

 そして、人間がこのバランス機能を習得するのは生後9~18カ月頃...赤ちゃんは、
腕を伸ばし、這い、転がり、身体の協調性と骨格の支持性を体感して立ち上がり、続け
て、歩き、走り、跳びながらバランスの取り方を覚えて、それを無意識な「習慣」や「能力」
として修得して行きます。

 その「プロセスの差」によって、「上手・下手」が出来、ある人は「スポーツ」に、ある人は
「芸術」等にその能力を見出します。
 しかし、その大半の人間は自分の中に眠る可能性に気付かず、それを「他人事」として
見る側に甘んじています。

 勿論、「身長の高い低い」や「体重の軽重」などが前提条件として影響しますが、「心身
のバランスを保ち、協調させる」事に差はありません。

 ただ、ご自身が「自分」になるプロセスに「差」があったのです

 例えば、子供が何かに取り組む時、「こうすれば愉しい、嬉しい」...その繰り返しの
「パターン」が「自分のなりの方法、習慣、イメージ」を作り上げ、最終的に「自分」と言う
存在が作り上げられて行きます。

 更に、そこに外的要因(社会環境、文化、経験、ケガ、トラウマ)等が不可され、心と身
体のイメージや姿勢が不可・形成され、例えば、物理的に、赤ちゃんの頃にはなかった
「側彎」や「猫背」などを産む原因にもなります。

 これは、身体的にはバランス・協調させ、「より効率的に動かす術」を、心理的
には「自分を見詰め改善する術」を学べなかったことが大きな原因だと思われます。


 現に、発展途上国においては人力に頼る部分の多さが、機械やコンピューターによっ
ての「身体能力」や「創意工夫」の去勢を防いでいますし、アスリートなどは、自らの運
動の質を高める為に日々、自らの心身の精度を高めています。

 対して、普段、私達はこの様な「意識」や「目的」の「必要性」や「重要性」を自己
認識していません。

 更に、私達が「無意識化」させてしまった「重力」という絶え間ない「負荷」は、
私達を押し潰し、身体を歪め、健康状態に悪影響を及ぼしています。


 従いまして、車をメンテナンスする様に、私達は自分の身体や習慣をメンテナ
ンスする必要があります。
 もし、それを怠りますと、体調が悪くなるだけでなく、無意識に「悪習慣」や
「消耗」が進み、私達の「寿命」を縮める事になります。
 恐ろしいのは、「習慣」と言うのは「オートマティック機能」なので、その分、より
良い方法を考えたり・工夫する意識や行動、好奇心を産みません。


 そんな自分を認識し、改善する迄に至っていないのが私達の現状です。

 従いまして、逆に、身近な自分を知ることは自分の「可能性を広げる」事に繋がり
、大きな喜びや好奇心に繋がります。

 その可能性をキーとなるのが、私達を管理している「神経」です。

 脳自身が殆ど使われていない様に、「習慣」の裏に隠れた「神経」の活躍の場は
沢山あり、その「学習能力」が私達の認識している可能性を広げます。

 つまり、私達が生きている間、「限界は広がり続ける」のです。

 従いまして、赤ちゃんの頃に持っていた機能を再び、「意識的に」目覚めさせる
こと
が大切なのです。

 具体的には、「バランス機能に影響を与える」ことで、姿勢や身体の使い方はも
とより、心身に、その影響が及びます。


 例えば、いつもの「立ち居振る舞い」を超スローペースにしたり、「非日常的な動き」
に挑戦する事で、脳に「刺激」と「変化」、「イメージ」、「想像力」、「重力感覚」等を与え
、私達の制御システムを「再プログラミング」・「再編成」するのです。

 その基礎として、人間の基本機能と呼べる「呼吸」を「運動」の起点とし、脳や神経
への「細やかな語りかけ(小さな変動・低刺激)」をしながら心身の機能が高め
る事で、私達の可能性が広がります。

 この時、「大きな動き」や「刺激の強い動き」は控えます。何故なら、「習慣」を超える為
には、無意識に習慣化した動きを発見し、観察する必要があり、より精密な再プログラミ
ングを行う為には絶対であるからです。

 また、そうした動きは「副交感神経優位」の「調和した」動きとなり為、より良い行動パタ
ーンを神経回路に覚えさせる事にもなります。

 こうして「呼吸が変わる 姿勢が変わる 生き方が変わる」方法が「神経訓練法」
です。

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 (参考)
 「呼吸が変わる 姿勢が変わる 生き方が変わる」
 「身体の声の聴く ~自律神経による治癒反応~」
 「神経訓練法としてのセンタリング呼吸法 」
 「相対神経訓練法 ~治療や介護から日常へ向かって~」
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# by cute-qp | 2008-08-28 00:00

 現在、自分への課題として定期的に70歳以上の方を拝見させて頂く機会を積極的
に作っているのですが、「老化」と言うのは本当に個人差があり、60歳そこそこでかな
り「お疲れ目」がいらっしゃると思えば、90歳近くても、私が太刀打ち出来ない程お元気
な方がいらっしゃいます。

 そんな風景を通じ、元気な方の「元気の素ってなんだろう?」...とつらつら見て行くに
多少のご病気やご不調があっても「自分の意志で何かをやる!(やらねばならぬ!)」
と言う意識や言動が共通して見える様に思いました。

 対して、「お疲れ目」の方々は、ご不幸にも「大きなご病気」があったり、「事故」に会わ
れた結果、その「意識」や「言動」が持てなくなっておられる気がしました。

 具体的には「身体が思うように動かないともどかしさ」が先ずあって、それが「ストレス」
になったり「身体が利かないのは仕方がない」と諦めを生じさせ、「意志や意欲」を減退
させ物理的にも精神的にも「行動力」を奪って行くのだと思います。

 そう言う場にあって、何がベストな「治療」や「介護」なのか?春風堂なりの考えをお話
したいと思います。

 唐突ですが、私の学ぶ「センタリング呼吸法」で大切なのは「様々な動きや体位を単に
こなせる」事ではありません。
 それは「道具」や「手段」の1つであって、大切なのは「自分の心身の動きを観察し
、自分の現状を見据え、しっかり知ること」
にあります。

 先ず、自分自身の身体の動きをよく観察し、今の自分の身体の「現状」や「限界」を知
ります。

 その状況下、自分の身体(と心)の細部まで意識を向け、どうすれば現状を変え、限界
が広げられるか(どれだけ動かせるか?)を探求して行きます。

 同時に、自分の動きの「無理・無駄」も省いて行きます。

 そうやって自分自身を「体感」しながらセッションを進めて行く事を「センタリング呼吸法」
では大切に考えます。

 具体的には、「骨盤を丸めたり、反らしたり」する際、「量や回数をどれだけやったか?」
ではなく、「自分は今、骨盤を丸め、反らした」、「それで心身が変化した」などを「体感」す
る事です。

 そうして、自分の中に1つ1つ「確かな体感」を作って行く事が「センタリング」の大前提
となります。

 それが「治療」や「介護」、「リハビリ」にも言え、「意識や意欲、言動の減退」と言う現
象は自分の中にある「確かな体感の減少」だと感じます。

 従いまして、最初は、「受動的な形」になるかもしれませんが、「治療家」や「介護士」
の手を借りて「相対神経訓練」を行う事によって、「確かな体感」を自分に取り戻せる
切っ掛けとなると考えています。

 実際、歩く事がお辛く、日常生活に支障が出ている方に対し、誘導しながら「骨盤時計」
と「足首運動」を中心に「神経訓練」と「調整」を行いますと「意識」や「行動」がはっきりし、
改めて、人間の心身って凄さに感想します。

 また、「後遺症」等で「沢山動けない」、「満足に動けない」と仰る方も多いと存じま
すが、その事自体が「センタリング呼吸法」を実践する支障とはなりません。

 何故なら、「身体が思うように動かせない」=「自分自身を丁寧に観察出来る」事でも
あり、実は、健常者よりも「体感し易く」、「上達も早い」のです(そう言う例を沢山見て
来ました)。
 また、「センタリング呼吸法」は呼吸を中心に「必要最小限」で「最短距離」、「余分な
カを使わず丁寧に動き」、「動ける所から動きを作り・繋げて行く」事が基本であるから
です。

 従いまして、「美しく、パーフェクトを目指す」のでなく、「確かな体感」を増やし、
「ご自分の心身を自分に引き寄せて行く(センタリング)」事によって、自然と回
復が図れると思います。


 勿論、ご本人の「たゆまぬ努力」と「根気」が必要ですが、それ次第で結果や可能性
も大きくなり、どんな状況にあろうと「生涯、自分自身を創意工夫出来る!」
と言う自信と体感を持って頂ける!と思います。

 従いまして、介護者の方も要介護の方々の現状を見て「○○出来ない!」と
どうか決めつけないで頂きたいのです
(却って「負の連鎖」にもなりかねません)。

 一方、「相対法」ですから、「介護者の体調管理も図れます」(「正の連鎖」ですね)。

 これは「ペアダンス」や太極拳の「推手」などと同様ですが、自分自身の心身の有り
様がそのまま「お相手」に映る...と言うのが「相対法」の特徴で、要介護者の補
助を通じ、自身の意識と運動を正しく伝える努力を通じ、自らの心身を整えて行
くことが出来ます(それが絶対必要十分条件になりますので)。

 そうして、自分自身を相手に写して観察する習慣が身につくと、身体のバランス
が少し崩れただけでも、事前にそれを関知・対処出来る様になり、要介護者の心身
のバランスを細やかに見られる事にもなります。


 本来、「治療」...マクロに言えば「人間の営み」は全てそう言うものではないか?と思う
春風堂です。

 その為にも、目下、色々なアクセスの仕方や方法を試行している所であります。
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# by cute-qp | 2008-08-27 00:00