「見仏」

 先週から急に温かくなり始めたからか?

 予想外のアレルギー症状に。

 鼻は時として詰まり、また滝の様に(笑)...。

 不思議だったのは、

 「登拝 シーズン2」を開始した日、

 中腹以降、急に霧が立ち込め、

 その中を歩いて行く内、症状が劇的に軽減したこと。

 自然の「ネブライザー(吸入器)」に感謝感謝です。

 お陰で少し調子が良くなり、

 予定していた「快慶展」「木×仏像 展」へ。

 最近、私は仏像をこんな風にカテゴライズしているのですが ⇓

 ① 大寺院にある、芸術性の高い仏像

 ② 地域に根差した、ひっそりおわす仏像

 ③ 行場や行者に拝み込まれた、バリバリな仏像

 「快慶」はおおよそ①、「木×仏像」は②と言う感じです。

 現物を前にし、快慶は流石に凄い、段違いです

 が...この所、②や③に向かう機会が多いからか?

 以前ほどの手放しの感動はありませんでした。

 一般的に、鎌倉仏は「写実的」と言われますが、

 実は、寧ろ逆...もの凄くポップでデフォルメ一杯。

 ちょっと盛り過ぎ感もあります。
 (ある種「工芸品」に感じてしまいます)

 その分、「平安仏」の方が人に近く、

 個人的には、親しみや気持ちを込め易い気がして...

 その意味で、快慶が無冠や初期の頃の作品に心が動きました。

 ディスプレイの仕方が不味く、

 見上げる仏を水平に観なくてはならないのもちょっと残念でした。

 その分、併設しています「なら仏像館」の仏さん達が愉しかった。

 「何でそんな格好、そんな顔してんですか?」

 ...思うんですが(笑)、気持ちが入る。

 段々と形よりも無形・心に関心があるので、今はそれが良いのかもしれません。

 同時に見られますので、お越しなら一緒にご覧下さい。

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                 八葉蓮華寺 快慶初期の作 「阿弥陀如来立像」 

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 バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
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# by cute-qp | 2017-04-15 00:00 | 一陽来復

「積み重ねと信」

 「味わいと積み重ね」からの繰返しですが...

 特に、「東洋」の「伝統的」、「継承的」な道を学ぶ場合、

 ほぼ間違いなく、最初に一番大事で、難しい事を学ぶ様です。

 門をくぐれば、いきなり「本質」があり、

 以後、繰返し繰返し、極めてシンプルなそれが、

 手を変え品を変え、さも違う顔をして、

 実は、同じ顔で出て来る。

 ...ってことに体感・体験で気付いて初めて、

 その漠然とした姿や方向性、視座が見えてくる気がします。

 そこまでの「積み重ね」を経て、

 ようやく、その玄に入る(入門)...本当の「積み重ね」が始まる様です。

 とは言え、初心者にとって「何があるか?」全く分からないし、

 「何年やっても分かる保証はありません」

 しかし、「取り敢えず、やる、やり続ける」事にしか、

 入門に至る道は開かれない様です。

 その不確定さが「面白味」でも「不安」でもあり...。

 そこで、多分「信」が必要になって来るのでしょうね。

 「信頼(信仰)」と「自信」

 その両建でバランスするあり様が「積み重ね」の妙と思います。

 でも、どうすれば...!?

 「同じ事を繰り返し行う」

 「同じ内容が元となり展開される」

 「原理がシンプルである」

 そんなモノに注目し、「自分で」どう付き合っていくか?

 それがひとつの方法かもしれません。

 今週は「無形以前」や「居合」の「それ以前」をやっていました。

 「呼吸で緩む、呼吸で伸びて行く、呼吸でバランスする」...基本中の基本です。

 リラックスし、自分を俯瞰して行うと、

 「如何に、自分が我の固まりであるか?」に気づきます。

 それに付き合わされ、固まり・歪む身体や心はホント大変。

 私自身がそれに気付くことで、心身が解放されて行く様が印象的。

 「あ、そうだったんだ~」と気付く事で、

 以前より少し、自分を身近に、信じることが出来ます。

 そんな繰返しが全てなのでは?と感じています。

 ヨガや様々な行も本来、そう言う歩みなのではないかと?
 (却って「我」や「大人の事情」...「魔境」が入ることもある様です)

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# by cute-qp | 2017-04-08 00:00

「挨拶の稽古」

 「地球と繋がり歩く」の続きですが...

 許可を頂き、登拝は早朝に行わせて頂いています。

 ありのままの自然を感じ、自分に集中させて頂ける貴重な時間です。

 一方、下山時、登って来られる一般受付の方達とお会いします。

 そんな時、必ず「挨拶」する様にしているのですが、

 反応は実に人それぞれ様々で、

 感心しきりであったり、不躾にもムカっと来る時もあり(笑)

 どちらにしても、「反省」タイムになります。

 そして、今日も今日とてなのですが、

 ふと、「どう思われようと、その人を拝する気持ちで挨拶しよう」と想いました。

 何故なんだろ?思うんですが...心がそう思ったので。

 帰る道すがら「これって、な~んかあったよな~」と感じ、

 法華経の常不軽菩薩のお話を想い出しました。

 「我あえて汝らを軽しめず、汝まさに作仏すべし」と

 いかなる者にも仏の姿を見出し、ただ礼拝して歩いた...と言うお話です。

 何故か?突然、自分が拝まれるので、

 不審者と間違われたのか?

 心ない人から石をぶつけられたり、棒でぶたれたりする菩薩さんに、

 「ひゃ~!」って思ってました。

 でも、今回、ちょっと響きました。

 菩薩さん程、凄い事は出来ないんですが、

 自他共に気持ち良く過ごせれば良いなぁと想います。

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# by cute-qp | 2017-04-03 00:01 | 一陽来復

「地球と繋がり歩く」

 今日から心新たに出発。

 地下足袋も新調し、4足目。

 今回は、底が薄目でコハゼ6枚。

 足裏感覚が分かり易く、足首の保護出来る仕様です。

 流石に、細かい地面の変化や重心の移動、

 自分の身体のバランスやブレ、癖が分かり易い。

 だけに、素足同様、衝撃度合いは強くなり、

 今まで以上の「バランス」と「センタリング(芯出し)」の行となります。

 俄然、「無形以前」や「居合」、「閉脚尊据」(「味わいと積み重ね」)の感覚をフル活用です。
 (他、「青竹踏み」メニューや「あやとり足編」も大活躍!!)

 「芯を捉えた時の感覚」は、例えば、

 「ブレが少なくなる・バランスがとり易くなる」

 「力が抜ける・力まなくなる」

 「重さを流せる・重さが消える」

 「全身が協調する・全身の繋がりが良くなる」

 「場と兼ね合う・周囲と交流する」

 そんな側面がある様に思います。

 それとは別に、

 前回、K野先生と登拝しました時(「歩こう歩こう」)、

 今まで掴めなかった「地球霊王に繋がる」....と言う点にハッとしました。
 (何故だかさっぱり分かりません:笑)

 2年前、「懺悔六根清浄を心に唱えつつ、地球霊王と繋がって歩くんですよ」

 ...そうお教え頂いたのですが、

 その文字面、イメージは推察出来るものの、

 実際、どんな有り様なのか?雲を掴む感じでした。

 それが、何となく、兆して来た感じです。

 もの・物体としての「地球」と兼ね合うのではなく、

 「地球」と言う「存在」と繋がる...。

 その存在の生々しさ、生気を感じ始めた事で、

 ようやく、そこと一歩一歩繋がる(交流する)練習が始まりました。

 何となくですが、「刀を邪魔しない操刀」同様、

 「重力を邪魔しない」とか「バランスを邪魔しない」、

 結果、「地球の邪魔をせず、地球と繋がる」歩き方になる様です。

 工夫すれば、少しずつ、自然と調和・一体になれそうでワクワクします。

 そんな訳で...今日も課題と気付きを一杯担いで帰宅。

 ただただ積み重ねであります。

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                        上原 行照 師

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# by cute-qp | 2017-04-03 00:00

 「同じ事を繰り返し行う」

 「同じ内容が元となり展開される」

 「原理がシンプルである」

 こんな感じのモノには必ず大切な事柄が詰まっています。

 そして、その味わいは、繰返し繰返し、積み重ねなければ、

 自分の中に味としてにじみ出て来ません。

 そう言う意味で、

 「無形以前」

 「居合(剣の素振り)」

 「登拝(実践歩法)」

 は、私の三本柱、大基本...

 K野先生や修験道の先生から頂いた「財産」や「宝物」と言って良いです。

 ひつこく、やればやる程、色々、学びがあります。

 正直、申し上げますと....今日の稽古の内容は、

 「無形以前」と「居合」を積み重ねていない限り、とっつけるハズがありません。

 それがハッキリした感じでした。

 大切な「財産」を頂いている事を忘れてはいませんか?

 遠回りした自己反省ですが、

 凄い先生の凄い工夫や道具...

 それに、取り敢えず、取っ付いたこと、

 取り敢えず、直ぐ手に入れたこと、

 取り敢えず、数回習ったこと、

 そこで「積読」・「満足」するのではなく、

 自分のモノにせねばな...と想うのです。

 その点に気づくと、とても大事なものを最初に頂いている事が分かります。

 そして、伝統・本質的な道ほど、最初に「一番難しい事を授かる」と言う事も...。


 私事ですが...「登拝」も一度登った位で分かるものではありません。

 「ちょっと登っただけ」って言うのが一番勘違いし易い...。

 その真相・真理と問いつつ、心身を作るのには「継続」が必要です。

 そして、御指摘やヒントは頂けますが、

 結局、「実修実験」し「自得して行く」ものだと思います。

 同じく「大基本」となる稽古にはそれが共通するのです。

 だから、大切に繰返し、積み重ねです。


 【追記】 周利槃特(しゅりはんどく)

 私を支えてくれた事柄の中に、この逸話があり、ご紹介致します ⇓

  周利槃特は、『仏説阿弥陀経』に、お釈迦様の七番目の弟子として
 出て来る「周利槃陀伽(チューダ・パンダカ)」のことです。

  十大弟子に数えられる方ですが、この人は勉強が出来ず、
 それどころか、自分の名前も書けません。

  名前を呼ばれても周りの人から言われて自分のことだとやっとわかる
 ほど。

  なので、お釈迦様の教えを聞いても理解できず、すぐに忘れてしまう。

  でも、悟りを求める心は人一倍でした。

  槃特は兄に誘われてお釈迦様の弟子となったのですが、この兄は
 聡明で、一方、彼は一つの句さえも記憶できず、修行の作法や方法も
 覚えられません。

  何年も修行を続けるのですが、彼は自分の才能の無さに絶望し、教団
 を去ろうとします。

  しかし、お釈迦様の「自らの愚を知る者は真の知恵者である」という言葉
 を聞いて思いとどまります。

  ただ、彼にはどの修行も無理で、お釈迦様は彼に掃除を修行として与え
 ます。

  一本の箒を与え、「垢を流し、塵を除く」と唱えさせ、精舎を掃除させ、彼は
 一心に掃除をします。

  唱える言葉さえ、忘れますが、彼は必死です。

  そんな修行を何年も続ける彼を周囲の弟子は馬鹿にします。しかし、彼は
 ひたすら修行に励みます。

  何年もたったある日、彼はお釈迦様に「きれいになったでしょうか?」と尋ね
 ます。

  しかし、お釈迦様は「駄目だ」と仰います。どれほど隅から隅まできれい
 にしてもまだ駄目だといわれ、それでも黙々と掃除を続けました。

  ある時、子どもたちが遊んでいてせっかくきれいに掃除をした所を汚して
 しまいました。

  彼は思わず箒を振り上げ怒鳴りました。その瞬間...彼は本当に汚れている
 所に気がつきます。

  以来、汚れが落ちにくいのは人の心も同じだと悟り、ついに仏の教えを理解
 し、阿羅漢果を得たとされます。

 ⇑ 以上、引用終わり。

  ホント?と想う位強烈な逸話で、賢い人なら絶対やらない事でしょうが、

  だからこそ、愚直にひとつのことを懸命に積み上げる意味と

  その信念が胸に響くものがあり、

  以来、私もそうありたいと思いました。


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 バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
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# by cute-qp | 2017-04-02 00:00

「原風景を歩いて行く」

 有り難い事に「歩こう歩こう」以来、新しい展開に入る様です。

 文や言葉にすること、それ自体、無理があり、誤解も生じ易い...

 そこを恐れず、敢えて、纏める事で、次へのステップとします。

 荒唐無稽かもしれませんが、お付き合い頂ければ嬉しいです。

 以前にも書きましたが、「登拝」と「登山」は異なると感じます。

 例え、同じ山に登り、そのスタートが「形」からであっても、

 「祈り」や「行」として行い、続けて行く内、

 それとなく、感じ方や方向性に変化が現れる様です。

 例えば、私は「白衣」を着て「登拝」しています。

 そうしなくてはならない「事情」があったからです。

 しかし、それで登って行く中で

 自然と「気持ち」と「行動」が決まって来ました。

 自分でも不思議な経験で、

 それをご覧になった神社側のご厚意で、今の形があります。

 体験は、人によって、その形や感じ方は様々ですし、

 ただ、続けて「必ず変わるか?感じるか?」の保証はありません。

 しかし、「やらないと可能性はない」と言う事だと思います。

 また、途中、様々な出来事があり、

 「続けられるの?」...自問自答する時期がありました。

 私自身、体力と気力、登り方が身に着くまで、

 ただただ、しんどく、辛いだけでしたし、

 身近に助言をくれる人もなく、
 (今は、「自得すること」と腑に落ちましたが)

 猛暑や雪の中を歩くに至っては、恨み事や泣き事まで込み上げ、

 「こんな事をいつまですれば良いのか?」...途方にくれた事もあります。

 そう言った「毒出し」・「ガス抜き」・「修練」の様な時期を過ぎ、

 何回かの関門があって、

 ヒーヒー言いながら、仕方なく(笑)、続けた先に、

 様々なモノに「支えられている」事に気づき、

 「感謝の気持ち」が生まれ、

 次第に、見聞きするものの視界が晴れて来ている感じがあります。

 そして、自然と頭が下がり、手を合わせる様になりました。

 最近は、とても「自然崇拝・信仰」的...「祈りの原風景(本質・原型)」です。

 山河に入り、ただただ、一木一草、石から感じ、学び、拝むのですが、

 自分のとお~く・えら~い祖先との面会の様で、

 それは人や時として形のあるものではない「形而上」的存在。

 なので、不思議だと感じる物事もありますが、

 次第にそれは当たり前、日常となり、向き合う姿勢は、

 スピ系特有の「不思議体験期待症・依存症」と対極にあります。

 例えば、木に抱きついたりしません(笑)。

 「凄いなぁ」と感じるものは、その根底に「畏怖心」や「尊敬」があり、

 寧ろ、「近付き難い」存在です。

 そこに、古来から行者が拝み込んでたりすると、

 結界の外からもビンビン感じる位の存在で...。

 都度、それらと向き合い、刻々と自己観照させられます。

 ある意味、「登拝」は「人付き合い」です。

 私達の暮らす日常の形式・言葉尻のものでなく、

 無言であっても、心と心の「お付き合い」です。

 そこから響くものを感じ取り、祈りを返す中、

 「反省」・「感謝」・「思い遣り」、「畏怖」や「尊敬」の心が沸いて来ます。

 そんな「”心”と”行”の欠如」からか?

 昨今のネット社会やスピ系の影響もあり、

 厳しい管理をしても、場を荒らす人や事が絶えないそうです。

 「宗教から”行”が無くなって、頭ばっかり、絵空事、スピ系蔓延」...

 そんなお話も最近、伺いました。

 私は基本「頭人間」です(笑)。

 でも、山を登る、海に潜る、剣を振るのは「感性」です。

 その「感性」を磨くことで、「頭」や「身体」が変わり、

 結果、生きるチョイスや現実の見方も変わるみたいです。

 それがどんどんバーチャルになりおかしくなりつつある...。

 そう言えば...有名な「奥駆道」は登山に慣れている方なら十分登れますし、

 最近は旅行社のシニア向けウォーキングツアーのコースになる程です。

 しかし、これも「祈り」と「行」が入る事で全く別物に変わります。

 誤解し易いのは、「行」は単に「苦しい」ことや「危ない」こと、

 「特別・宗教的」なことではなく、

 それらを無謀に行うことでもありません。

 「非日常的」・「身体的」・「ループ的」な中に、

 必ず「段階」や地道な積み重ね時期があり、

 そこから「自己観照」や「感性を磨く」作業や、

 行く道の「原風景(本質)」を見定め、

 ひとつひとつ「実修実験」する営みが存在しています。

 そして、その非日常(山の行)に没頭し過ぎる事も本分ではなく、

 それが、何気ない「日常」に活かせる事こそ大事だと感じています。

 ...と言う感じで、人の嗜好や道はそれぞれですが、

 合気も祈りも、日常も、

 その「原風景」を「行」として歩いて行こうと思います。

 
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 バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
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# by cute-qp | 2017-03-31 00:00

「抜刀と納刀」

「刀を邪魔しない操刀」は「自在に伸びる身体と意識」がベースとなり、

 そこからの「立替・円転」に妙があります。


 そんな事を意識させて頂く大事な稽古でした。

 今日で全部終わっちゃった感があります(笑)。

 後は、道具を通じ、身の「鞘」と「真剣(C1-L5)」を感じつつ、

 これを居合する稽古を「自分」でどれだけ地道に行うか?です。

 うち、最も大事な部分が「抜刀」と「納刀」

 武道で使える事があくまで大前提ですが、

 「斬る」ことと「技」に拘り過ぎると「魔境」に入ります。

 身体と意識が伸び、そこに道が出来、結果「斬れる」

 ...そこに真(芯)があります。

 故に、「抜刀」と「納刀」が重要。

 「自分の”我”と”力”を取り、刀を邪魔しない」...地味だけど重要な稽古です。

 これなしで、「立替」や「円転」の本当の意味は分かりえません。

 居合で「規矩準縄(みのかね)」と表現しますが、本当そうだと思いました。

 一度、「L5」じゃなく、「命門」で「抜刀」と「納刀」をやってみて下さい。

 たちまち、「規矩準縄(みのかね)」が消えます。

 そして昔、「居合」と「柔術」がセットになっていた意味が今、凄く分かります。

 今週はずっと「居合」と「閉脚尊据」ばかりやっていまして、
 (制剛流1本目から3本目の稽古です)

 急に、登拝が変わりました(「歩こう歩こう」)。

 「ブレなく」なり、これって多方向への連続居合だなって感じました。

 本質的な稽古が出来ると全てに繋がって行くのですね。 

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# by cute-qp | 2017-03-26 00:10

「歩こう歩こう」

 本日、K野先生を登拝にご案内しました。

 天候や様々なタイミングに恵まれ、

 やっぱり、先生、持ってるっ(笑)。

 お山は低いですが急勾配が続く「短距離走的登拝」

 ペースを1/2にし、休憩を挟みましたが、

 自分がヒーヒー言い続けた場所ですので...頑張って頂き感謝しています。

 私はと言えば...この2年弱を振り返り、

 「体力がつき、今は登拝好きかぁ~」とか

 「随分、生きるのも楽になったなぁ~」って呑気に思っていました。

 そして、御案内をしながら、

 大して変わりも、成長もしていないけれど、

 今まで自分だけの稽古だった「登拝」が、

 これからは、ちょっぴりでも、何か、誰かの役に立てば良いなぁと感じました。

 また、ある意味、「登拝」は「生活」の方便で、

 本番である実生活自体が「登拝」になって行けばと想いました。

 これからも「登拝」は続き、

 今までも、小さな変遷期はありましたが、

 課題と心境が変わり、

 「気持ちを新たに、一から」です。



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# by cute-qp | 2017-03-25 00:00 | 一陽来復

「刀を邪魔しない操刀」

 昨夜の稽古はなかなか難易度が高く、

 腰や背骨使いが硬い私は、上手く表現し切れませんでした。

 早速、今日、K野先生に動きを観て頂き、

 左肘の位置取りや手の内、

 胸腰移行部の脊椎の硬さや落ちなど、

 いくつもの「操刀を邪魔する自分」に気づかせて頂きました。

 なかなかに、思い込みや我は手強く(笑)、

 目下「刀を邪魔しない操刀・立替・円転」を課題に稽古中です。

 そこで、改めて思いましたのは「命門」ではなく、やはり「L5」だと言うこと。

 本日、その辺を検証させて頂いたのですが、

 刀をただ振り下ろす観点ならば、「命門」でも良いのですが、
 (中国武術の操刀などの様に)

 日本刀の精妙な本質や操刀、そこから合気への繋がり、

 「脱力」を検証して行きますと、

 やはり「L5」でしか表現出来ません。

 「C1-L5」、「肚を通じ」

 「真剣」を使い、刀を邪魔しない操刀をゆっくり繰り返したり、

 剣や鞘をガイドに「居合」する時、

 たった一か所、そこしかない、太刀筋(仙腸関節の立替の筋)が観えます。

 そこを「命門」で表現すると途端、体軸が伸びず、太刀筋が消え、

 刀を邪魔する動きが沢山産まれ、

 中華包手で「折り敷く」様な荒っぽいスタイルになってしまいます。 

 時間はかかりましたが、そこがハッキリし、

 諦めずやってて良かったと想えました。

 合気にも様々な志向性があるとは思いますが、

 日本刀の操刀・合気への変遷を本質として、

 真(武術)・善(医術・宗教)・美(芸道)に通じる心身操法を目指します。
 

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# by cute-qp | 2017-03-20 00:00

「無形の深み」

 「床に置いた剣を”無形”の状態へと取り(吊り)上げる」

 この一挙動にどれ程の意味や大切さがある事か...

 剣の重さやバランス、形状を感じ、

 ゆっくり、少し、丁寧に動いてみます。

 時に、鏡に自分を映し、自分の現実と向き合ってみるのも良いです。

 その分、様々な支障(固まり・捻じれ他)に気づきます。

 そこをひとつひとつ落ち穂拾いして行くと、

 「分け目・搦」や「肘肩」、「峰谷」...様々、浮き出て来ます。

 すると、肋骨や指のもっと細かく、柔らかい動きも感じられる様になります。

 今日、ふとお話していて、バイオリンのボーイングの動きが頭に広がりました。

 全身で弦の緩みをアップボウ・ダウンボウ...刻々と取って行く。

 先日の浦川先生のお姿がバーッと蘇ります(「ひとつの響き...その深さ」)。

 「心の綱を弦(頸)に掛け」って感じで、

 操刀・廻刀のイメージと繋がりました。

 先生が小さく柔らかく、細かい動きで素晴らしい響きを出される...

 その中身と触れ合った気がしました。

 「労宮」と「湧泉」のリアルなイメージがまだ弱い為、

 「マカバ」も用い、

 「無形以前」と「真剣振り下ろし」の精度をもっと上げて行きます。


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# by cute-qp | 2017-03-12 00:10

「明珠は手の内にあり」

 人それぞれ、何が課題で、何で気付くか?は異なりますが、

 昨夜の稽古を振り返り、確認出来たのは、

 まず、「肩の力を抜く稽古と工夫」、

 そして「手の内の稽古と工夫」...

 総じて、そこが「最初」で「大切」な事と思います。

 結局、「肋骨の操作や立替」、それ以前に「脱力」を行おうとしても、

 それに抜きには、感覚や妙味を感じられません。

 じっくり丁寧に、日々、真剣を振り降ろし、徐々に手の内が練れて来ると、

 少しずつ手とその使いが柔らかくなり、

 感覚が開けた分だけ、都度、剣の妙味に触れ始め、

 身体の使い方や「剣から合気」へ込められたものが沸いて来ます。

 そこを意識し、新年からKM君と手の内を工夫して来たのですが、

 硬かったKM君の肋骨は、昨夜俄然、動き始め、操刀が変わり、

 その検証・裏打ちが出来た気がします。

 「脱力」と「手の内」...

 ここから「体操」や「歩法」、全てが変わり、繋がって行きます。 

 また、この所、武田惣角先生のお写真や

 「腕のお化け」

 「片手斬り(片手持ち替え斬り)の名人」

 「鉄の杖の付き方」

 などが稽古のイメージに入って来ているのですが、

 その影響で、合気における剣の背景の有無の差が明瞭になって来ました。

 どれだけ、天才的でも、ベースの有無でその技とその後がまるで違う...

 凡人なら尚更だなぁ...と痛感します。

 嬉しかったのは、K野先生のお陰で「マカバスター」も立証出来た事。

 しかし、これも「手の内あっての”マカバ”」と

 「マカバだけ」、では、かなり感覚とベース(発想)が異なります。

 「マカバ」のポテンシャルが「手の内」で開かれる感じです。

 昨夜の「手合わせ」チェックでは、

 ちょっとで大違いな感覚的修正を頂きました。

 面白いですね...瞬時に感覚が書き変わり...後は自己責任です。
 (「手の内」の交流!?)

 そう言えば...数年前、先生からの年賀状で「明珠在掌」の言葉を頂きました。

 「珠は君の中にあるのだ」と言う事ですが、

 それに加え、「珠は手の内にあり」と更なる稽古に励みます。

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 バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
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# by cute-qp | 2017-03-05 13:30

「パナマ運河」

 先週の日曜日、大椎と腰椎5番の有り様の不味さを気付かせて頂き、

 以来、「無形以前」と「真剣素振り」の日々。
 (「手が離れなくなる感覚」

 積み重ねの大切さと愉しさを感じる日々です。

 今日はその自己採点の日。

 良かった点は、「相架け」がようやくまともになって来たこと。

 白井先生の「腹」・「真空」・「赫機(のび)」を実感します。

 手も少しずつ柔らかくなって来ていて、

 総じて、「肩の力を抜く」所が全ての始まりだなぁと感じます。

 課題は、右手の労宮の意識の希薄さと左肩の硬さ、

 両肘のバランスと搦、

 胸骨・膻中と頸・肩・肘の柔軟なバランス。

 ひたすら積み重ねです。

 ちなみに、最近、身体のシリンダーに

 相手や道具他との伝わりのバランスを加味してイメージするのに、

 「パナマ運河」に意識しています。

 自分が運河となり、

 船を「七段階」や「サイクリック」を用いて行き来させる...。

 う~ん、「脱力」って大切。

 「時計盤」や「引きと攻め」、「分け目・搦」も何となく見えて来ます。

 ちょっと面白いです。



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# by cute-qp | 2017-02-26 00:20

 「総身続版付」「ねばって、付いて行く」の続きなのですが...。

 丁寧に素振り繰り返していると、

 手が剣にひっついて離れなくなります。

 この感覚は、

 合気を掛けられ、こちらから持ったハズの手が離せない感覚。

 俄然、剣と合気の関係性がひとつひとつ明らかになって来ます。

 個人的感想ですが、

 この手が張り付く感覚が出て初めて、

 「和卜」や「クネリ」、

 そもそも...「相架」や「操刀」の感覚や理解に繋がる気がします。

 その為に、色々な条件がある様ですが、

 武田先生が「豚あぐら」と言ってあぐらをかかれず、

 佐川先生が高齢までシャンとしておられたのは、

 どこまでも「剣」がベースにあり、

 その上の合気であったからと思われます。

 少なくとも、顎が出たり、猫背では

 剣が手に貼りつく事はあり得ません。

 と言う事で、「無形以前」や「真剣素振り」をベースに、

 自分の苦手や欠点を落ち穂拾いしています。

 無刀剣・立位無形以前としての「体操」研究も面白いです。 

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# by cute-qp | 2017-02-22 00:00

 「総身続版付」に続き、纏めます。

 既に、師匠に纏めて頂いている内容で、その引用・参照がベースですが、

 再度、自分で纏める⇒稽古⇒纏める⇒稽古の繰返しです。 

 「ねばりをかくる」(「宮本武蔵『五輪書』の哲学」前田英樹著より引用)

  「ねばる」と「もつるる」の違いは、身体のわずかな移動が太刀に乗っているか
 いないかにあります。

  移動が太刀に乗るとは、つまり移動する時の身体の移動軸が、太刀の刃が向かう
 方向に一致している、一致して体重の自在なかけ方を可能にさせている、ということ
 です。

  太刀と太刀とが「もつるる」時は、相互が腕だけを使ったなまの力で勝手なことをし
 合っている。これでは偶然の勝ち負けしか生まれません。

  太刀が相手の太刀に「ねばる」時は、ただ粘りつくだけではない。

  こちらの太刀は、相手が太刀を動かそうとする方向を敏感に、事前に察知して、
 その動きを崩す方向に身体の移動軸と太刀筋とを微細に変化させている。

  太刀の接点で柔らかくかかった体重は、相手の動きをその起こりで吸収し、
 封じてしまいます。

 ♯ 春風

  この「ねばるる」の解説が当意即妙で凄い!と思っていまして、

  「続飯付け」や「付ける拍子」をイメージした、

  真剣の振り下ろしの参考にしています。

  納豆好きですが、ホントに粘って来るのが不思議です。

 新陰流本伝の「付ける拍子」

  (中略) 中でも「本伝」と呼ばれる技術体系は、古伝の甲冑着用の上に成り立つ
 技術であると渡辺師範は語る。

  それは本来、甲冑組討に通じる間合いの深い攻防を制する技法であったようだ。

  「新陰流本伝の最も特徴的な部分となるのが『付ける拍子』です。

  これに対して、一般的な打ち合うような技法を『当たる拍子』と呼びますが、これは
 あくまで鍛練の型であると考えます。

  付ける拍子は、まさに相手に触れる程度でもって相手を抑えてしまう技術ですから、
 通常言われる無刀取りのような、相手を掴まなければならない技術は当たる拍子であり
 、その鍛練によって養われたものをベースとして奥の太刀取りでは掴むも掴まぬも自在
 の技術となるわけです」

 ♯ 春風

  昔、W先生に剣や杖であっと言う間に絡めとられたり、合気的に崩され、この文章
 そのものであった事を今でも想い出します。

  当時、私は初心者でしたが、それを体験させて頂けた事が財産です。

  お陰さまで、そこから「無刀取り」や「合気」が生まれた事を彷彿としたものの、

  なかなか、自分の腑に落とす事が出来ませんでした。

  全て自己責任ですが、

  型や竹刀に惑わされた部分もかなりあった気がします。

  今は真剣に教わり、日々、付いて行くお稽古。

  その都度、凄いなあ~と想う毎日です。   

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 バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
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# by cute-qp | 2017-02-21 00:00

「総身続飯付」

今週の確認・課題など。

 「合気金平糖」の使い方

  ・ いい加減に扱わず、まず、全指を均等圧にし、芯を抑える

    まずは、固まっても良いから、均一に。

  ・ 親指と各指の「複合2点取り」ではなく、基本「3点取り」

    3点取りだから中心が出来、引きと攻め、ズラしが可能。

  ・ 金平糖は「マカバスター」?

    マカバスターは三角の立体的相対性・螺旋現象。

    MAR...回転するエナジー

    KA...精神

    BA...身体・魂

    相対するエナジーのスパイラル、ローテーション様。

  ・ 均一にした所から、接点だけを実にし、後を虚(脱力)にする。

    虚にする=馴染む感覚。

  ・ 静的(動きの少ない)状態からの力の出し入れ。

  ・ 動的状態で常に芯を掴む稽古。

  ・ あらゆる状態、状況で馴染む⇒肚を中心に、全身に金平糖が出来る。

    芯を「骨盤時計」する。

  ・ 「総身」で「金平糖」を把持する。

    「総身」とは肚を中心に全身と全霊を接点に集中すること。

 素振りへ

  ・ 要は、「金平糖」をどう素振りに活かせるか?が課題。

  ・ 重さに従い、「総身」で剣を保持、素振りする。

    剣との「総身」とは、まず、剣と自分が「即意付け」となること。

    「続飯付」とも表現される如く、剣が張り付いて取れない感覚。

  ・ 武田惣角先生の片手斬り、片手持ち替え斬り。

    何故、剣から感覚が生まれたのか?

  ・ 真剣を使うこと。

    鍛えられたものにしかない感覚

    そこからしか授からない感覚がある。

  ・ 剣・薙刀を続飯付する。

 大椎(頸椎7番)

  ・ 大椎がクレニオセイクラル、ひいては、全身に与える影響。

  ・ 水泳の仕事で「背浮きさせながら調整する」時の感覚と「3点取り」

    水の中での揺れとアンバランス(浮き・沈み・揺れ)のイメージと大椎

 纏め

 「神力徹眼心」と「続飯付」がリンクしました。

 「無形」にハタとし、「無形以前」が一層腑に落ちました。

 全身全霊、己を「続飯付」する形で「無形以前」に励みます。

 多分、体操など全て変わります。

 型を腑に落とし、型に拘らず。

 (資料) 一刀流極意より

  第三項 即意付・続飯付

  一、そくいの心 

   敵の意を見てその意に即しつきまとい、敵が嫌ってのがれようともがく所を意表
  にはずし、その転機に生じた虚を捉えて勝つのはそくいの心である。

   そくいつけは即意付とも続飯付とも書く。

   そくい付けは敵の意の赴く所を見て先ずその通りにくっついてゆく事である。

   糊をもつてくっつけてゆくことである。敵の太刀にわが太刀をぴたりと付け、敵の
  意に添うてどこまでも付いて行って敵に技をかけさせないことである。

   (中略)

   この即意付を続飯付とも書くのは、わが意を糊にし糊をもって敵の太刀に添うて
  付け廻わして離さないことである。

   しかし付けるのにはよく付けるが付けるのは付けるためでなく、離す好機を生む
  のがその目的である。離す途端に生じた機会を捉えここに勝つのが主旨である。

  二、漆膠の付 

   そくいよりはうるし、にかわにつけるように更に堅くつける。

   またはがす時には十字に捩じてがくりともぎ取るような手心を養う教である。

   漆膠で二つのものを一つにくつつけると容易に離れない。無理に二つのものを
  離しても漆膠はなお付いて離れない。

   わが眼明らかで気力盛んで太刀筋健やかで敵の太刀に漆膠の付をかけると、
  わが太刀はただでは離れない。

   漆膠に付けるのは敵の意の実体につけることである。

   一度漆膠に付くと敵が右に動くとその頭に伴ない、左に移るとそれに乗り、
  敵の太刀に付き技に添い心にまつわり、敵の進退強弱につきまとい、先へ先へ
  とからみついてゆく。
 
   かくすると敵は煩わされ嫌って何とかして引き離しのがれようともがいて必ず替る
  力みの働らきを出す。この機会を見計らいわれから同時に強烈にがくりと離し敵の
  抜けた虚にそのまま打って勝つのが漆膠の付の教である。

  三、不即不離 

   敵から即意付に来たら、われは敵の技に付いてその意に付かず、不即不離を
  以て表裏をかけて押込むか引余すかしてその付きをわれから離すのである。

   敵が付けた太刀はわが太刀に付いているから敵は切角付けたと思うが、太刀
  が付いていてもわが心は一向に付いていないから、初めから離れていると同様で
  ある。

   よって敵は煩わされているがわれは少しも煩わされていない。

   さて敵意の付をわが手心で太刀から離してもわが意の付を敵につけてゆき、敵の
  変りぎわの虚に思う存分仕うのである。

   即意の極則はわが心を敵の心に結び付けて敵を仕うことである。
   (即意の極則はわが心をまず己自身、そして患者さんの心に結び付けることである?

   敵は緑を断って切れぎれに遁れたと思っても、われから結んだ心の綱で縛ってい
  るから、送り出すのも引き寄せるのもわが心のままであり、敵の離れて崩れた所に
  乗取って楽々と勝つのである。

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 バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
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# by cute-qp | 2017-02-20 00:00

 本日から剣術の稽古...ですが、

 ホント「合気以前」と「歩法」のベースあってのことですね。

 今日は集まった参加者の木刀を廻して、何度か素振り。

 「サイコメトリー」じゃないけれど、

 持つ度、各位の個性や拘り、工夫を感じ、面白い。

 また、他人の道具を手にすることで、

 「自分の日常感覚」で上げない、とても良い稽古になりました。

 たった剣を上げて降ろす...これが簡単ではありません。

 「上がらない」・「浮かない」が分かった所からホントの稽古。

 肚を効かせ、下から順にバランスを取りつつ身体を頸まで浮かして行く...。

 それは、「サイクリック的」で「多段的」

 一個一個の定式(決め所)を意識したり、

 チェックポイントを確認して決めて行くと、

 段々、「あ、こんな風に繋ぐんだな、浮くんだな」と見えて来て、

 どうしても丁寧になって行きます。

 この所、KMさんとOAさんは素振りが格段上手くなりました。

 総じて「器用」な方ではありません。

 でも、「着実に積み重ねている」

 だから、抜けが少なく、とても上手。

 一方、小器用な人は要領は良いけれど、

 大切な基本に気づかず、ぼかっと抜かしている。

 思わず人の振り見てでした。

 その意味で、「合気以前」は凄いし、大事な稽古です。

 噛めば噛むほどじゃないですが、

 丁寧にやればやる程、日々、色んなことに気付きます。

 それを踏まえ、時間と年数、工夫を掛け、

 姿勢や動作を「組み上げ、積み上げて行く」感があります。

 テストの様に要領をかませるものではありません。

 だけに、積み上がった先に見えなかった風景が見えて来て、

 人生観も変わるし、俄然面白くなります。

 ちなみに「定歩」の稽古ですが、

 感覚が開けて来れば、活歩(歩法)も見えて来ます。

 やってて良かった「合気以前」

 反省は、今週、水泳の仕事で体調を崩し、一時、肚の感覚を失い、

 課題の「労宮感覚」が無くなってしまったこと。

 これでは「西江水の学び」「神力徹眼心」を満足出来ません。

 手の硬さを気にして、ソフトタッチに寄り過ぎ、

 「集中と拡散」・「緊張と緩和」・「引きと攻め」...

 を真に感じられていなかった事もあります。

 K野先生に「手合わせ」して頂き、感覚を補正、

 意識出来ていない感覚と観点を体感させて頂きました。

 正に「手の合気以前」です。

 「芯と焦点」、「被写界深度」の感覚を合気金平糖で鍛えます。

 【追記】

 今日、久々にOAさんとお稽古しましたが、

 気の柔らかさ、抜け感・大きさ・紫の入りが印象的でした。

 積み重ねは勿論こと、「親」として成長している凄さを見ました。

 勉強になります。

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# by cute-qp | 2017-02-05 00:40

「礼法と所作」

 お茶の先生の施術の際、「礼法」のお話になり、

 その後、一時間程時間がありましたので、

 一緒に「礼法」を稽古してみることにしました。

 「立った姿勢で一礼、正座になり一礼、そこから立ち上がって一礼」

 これだけでも、脚力頼りであったり、

 バランスが崩れていると身体が辛い上、固まり、ズレます。

 お茶の先生には「年のせい」と言う自己暗示があり、

 変に脚力を使って立ち座りされていました。

 そこで、定式(動作の過程での決め所)をきっちり定め、

 関節の折れ、重心の移動、呼吸など...

 それぞれのバランスを俯瞰しながら、

 脱力した立ち座りが出来るポイントや方法を探って行きました。

 すると、段々と下半身が引き締まり、

 動きも滑らかになって、

 一緒に100回以上動作したのですが、予想以上の軽さでした。

 「小笠原流礼法」では、

 立ち上がりは「風のない日に、煙が一筋、空へ立ち昇っていくように」

 座るときは「静かな湖に意思が沈んでいくように」

 そう教わるそうですが、的確な表現だと思いました。

 勿論、最低限の脚力は必要だと想いますが、

 日常での正しい振る舞いでその分は鍛えられる事と想います。

 大切なのは立ち居振る舞いの「技術力」と「嗜み」です。

 それなしに、変に、スクワットや指を固める運動をしますと、

 良くない方法で場違いな筋力がつき、

 身体は歪み、固まって、一利もありません。

 私も自分の弱点がいろいろ露わになり、

 居合と共に、稽古の一つになりました。

 この動きに「合気以前」を組み合わせますと、

 「五体投地」や「太陽礼拝のポーズ」なりそうです。

 「礼拝行」と言うのがありますが、

 それを行う理由のベースに

 「身体を作り(身を社にする)、自他を俯瞰出来る」...

 「礼拝できる身体」を作る側面がある様に感じました。

 「礼に始まり礼に終わり、礼に終始する」...大事ですね。
 (ご縁があれば、いつか「三千仏礼拝」をさせて頂きたく思っています)

 「立つ」・「座る」・「歩く」...三位一体。

 これらで、日常を所作を修めることから始めます。
 (「日常を修める」


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 バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
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# by cute-qp | 2017-02-03 00:00

 「座の稽古」は私に勧められたものではありません。

 稽古法は聞いていませんし、

 どんな意味があるのか?見当もつきません。

 でも、心が動きました。

 両膝を怪我する前まで、正座で1時間位は平気でした。

 今は体重が重くなった事もあって、ヒーヒーです(笑)。

 また、通信簿に「落ち着きがない」と書かれた子でもあり、

 寝てる以外、基本「じ~っとしてたら死ぬ~」タイプ。

 なので、稽古以前の「取っ付き方」から検証して行きました。 

 初めに、正座で瞑目し、身体と心のチェック、

 次に、「正座法」や「合気以前」などでバランスを整えます。

 そこから、正座へ。

 私にとって、意拳の「站椿功(立禅)」+「試力」の様な稽古。

 未熟さに加え、性格的にも辛く...

 足は痺れ、痛くなって来て、

 集中力が途切れ、姿勢が崩れます。

 山の稽古も最初の一年はとても辛かったですが(笑)、

 全身を動かすし、風景が変わる分、精神的に楽です。

 「どうなるんだろ~~」と想いつつ、

 手を変え品を変え、自分を見ています。

 そして、「あれっ!?」&「おお~っ!」と思ったこと...

 下半身の関節が少しずつ柔らかくなって来たこと。

 骨盤の開閉を意識し易くなったこと。

 足がしびれにくい姿勢を探していたら、肩の力が抜け始めたこと。

 山の登り降りで受ける衝撃に対し、

 段々と筋肉が固まり難くなって来たこと。

 少しずつ集中力が増して来たことなどです。

 「静中の動」と「動中の静(歩法)」の稽古が繋がって来ました。

 稽古を始め、まだ、ひと月ちょっとなので、

 雰囲気や大筋も見えていませんが、出て来たことを都度、抑えて行きます。

 稽古を勧めた方の想いを100%推し量ることは出来ません。

 でも、やってみる事で、ひとつ位、垣間見れるだろうと想っています。

 何より...やってる途中の「あれっ!?」&「おお~っ!」が面白く、

 最近、それ「専門」です(笑)。
 (「インスピレーションに導かれ」) 


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 バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
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# by cute-qp | 2017-02-02 00:00

「点の記」

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 「登拝」や「トレッキング」をしていなかったら、

 まず、見なかったであろう映画です(笑)。

 映画の長さに比較し、物語が平坦と想われる方もおられると想います。

 舞台となっているのは、明治時代の末期...

 明治政府が成立後、陸軍参謀本部の機関「陸地測量部」が発足。

 「陸地測量部」では、日本各地で未踏峰だった山々に三角点を設置し、

 日本地図を正確に作成することを進めていました。

 一方、民間では皇太子も名誉会員として名前を連ねる「日本山岳会」が発足。

 日本山学会も未踏峰の「剣岳」の登頂を目指しています。

 「陸地測量部」は威信にかけて、日本山岳会よりも先に剣岳の山頂に登頂し、

 三角点を設置せよ...という命令が下されました。

 剣岳は信仰の山...弘法大師空海が、草鞋三千足または六千足を費やしても

 その厳しく尖った複雑な尾根を登頂することができなかったとされる、

 「死の山」、「針山地獄」と言われました。

 その日本地図で最後の空欄地帯の「剣岳」を踏破して、

 山岳測量するために取り組んだ男達のお話です。

 CGや空撮を使っていない絶景と音楽が素晴らしいと想いますし...

 宜しければ、その「まくら」から「オチ」をお楽しみ下さい。


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# by cute-qp | 2017-02-01 00:00 | 本・CD・映像のご紹介

「日常を修める」

 朝起きて、腰の痛みを感じました。

 取り敢えず、「正座」をし、状況を俯瞰。

 昨日の往診で上手く姿勢を取れなかった部分を見つけました。

 恥ずかしながら、怪我の功名...意識出来ていない所でした。

 早速、体位を色々変え、「応用合気以前」で整復。

 大変、勉強になりました。

 それ以上に気持ちを強くしたのは「日頃・日常」についてです。

 修験道の先生は日頃の立ち居振る舞いなどを全て、

 きっちり決めながら行われるそうです。

 多分、その「一挙手一投足」に何年も掛けておられます。

 私なら、数秒の事でも決められないと想います。

 今まで色々な方を観て来ましたが、

 才能や天性のある方でも、日頃が定まらず、日常を定めず、

 結果、ボロボロになって行く風景を沢山見ました。

 だけに、修験道の向かう姿勢と里の行の大切さを想いました。

 どれだけ良い先生についたとしても、

 自分で実修実験しなければ、

 色んな意味で、その梯子が外された時、

 頼っている時間が長ければ長く、密度が濃ければ濃い程...。

 だけに、師匠にそう言う姿を見せて頂いている内に、

 例え、見よう見真似でも、

 感受と工夫で、日頃を決め続ける大切さを感じます。

 まず、「合気以前」、「七箇所」(「七座を納める」)から10年単位で続けて行きます。


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# by cute-qp | 2017-01-31 00:00

 「観想を学ぶ ~夢想願立~」を受け、学びを整理し、次へ進みます。

 ● 「共鳴力の研究」 栗田昌裕 より引用 ⇓

  [共鳴力に恵まれた人の十六の特徴]

  (1) ものわかりがよい (理解力)
  (2) カンがよく、ひらめきやインスピレーションで成功する (直観力)
  (3) 運やツキや良縁に恵まれ、思いがけない援助がある (福徳力)
  (4) 協調性がある (協調力)
  (5) 説得力があり、賛同者が多い (説得力)
  (6) 言動に無駄がない (効率力)
  (7) 人の和に恵まれ、人間関係が円滑・円満である (親和力)
  (8) 不思議な偶然の一致や意外な出会いを数多く体験する (共時力)
  (9) 本質を見抜く力があり、発見や気づきが多い (洞察力)
  (10) 固定観念を抜けた新しい発明をする (創造力)
  (11) 環境の変化に敏感で時代の変化や流行にも鋭敏である (感受力)
  (12) 親切で思いやりがある (共感力)
  (13) 自然のメッセージを聴き取る力がある (感応力)
  (14) その場その場の順応性があり、臨機応変の才がある (適応力)
  (15) 新しいことに意欲的で、速やかに学ぶ力がある (速習力)
  (16) 自分の限界を超えた発想力がある (発想力)

  内外の共鳴力現象の分類とそのレベルが低いときの状態

   内部共鳴力

    運動形系  運動系の不調、凝り痛み、制御困難
    自律系   自律系の失調、内臓不調
    感情系   感情系の葛藤、情緒不安定
    感覚系   感覚の鈍麻、未成熟、アンバランス
    心象系   心象の曖昧さ、制御困難
    言語系   想起力、理解力、表現力の不足
    潜在系   洞察力、直感力、発想力の不足

   外部共鳴力

    対人間   人間の無理解、疎外・孤立
    対環境   無知な状態、環境への不適応

 ● 「エドガー・ケイシー 超チャネリング」 より引用 ⇓

  超意識を目覚めさせよ

   直感には、次の三つの現われ方がある。

   1) イマジネーションを通した現われ方
     イメージ、ビジョンなど象徴的な形で現われる。

   2) 感情やフィーリングを通した現われ方
     それは、突然感じとして内から湧きあがってくる。

   3) 観念、思想を通しての現われ方
      それは、内部の声、インナーボイスとして現われる。

  (中略)

   1) 直感を受けるためには、もっと自分の生命に近づこうとすることだ。
      あなたが生きている生命の根源と同じレベルから直感がやってくるからだ。

   2) 自分と直感の相手に波長を合わせること。
      波長があったときに生まれる直感こそ、愛である。

   3) 目標を持つこと。
      自分を守る、または、本当の導きを得るとき、直感が発動しはじめる。
      あなたのニーズにあわせて、直感は現われる。

   4) 直感は、あなたの内側から現われる。だから、内面を見つめる習慣を持つ。

   5) あなたの内面からやってくるものを、信頼して受け入れる。

   6) 最初の直感が、一番正しい。
      本当の直感は、あなたの持っているすべての常識と一致する。

   7)  直感のとおりに行動する。
      なぜなら、直感は、行動することによって、より正確さを極めるからだ。

  (中略)

  直感は、避雷針のようなものだ。あなたの中に避雷針がある。
  空の雷が、インテリジェンス、必要なエネルギーだとする。
  神のような知識が、雷を通じて避雷針に入ってくる。
  だが、雷をアースとつなぎあわさなければならない。
  応用する準備をすることが、アースをつなげることである。

 ● 「洗脳護身術」 苫米地英人 より引用 ⇓

  止観  座禅を組んで瞑目し、リラックスした状態を保つ。

       川のせせらぎや、小鳥のさえずりから自分の心臓の鼓動まで
       身辺の事象のすべてを受け入れる。

       さらに自身が生きている宇宙から、自分の存在理由など
       哲学的な概念を認識する。

  遮那1 リラックスした姿勢を保って瞑目する。

       想像上に巨大なビルを建立する。

       鉄骨の仕組みやテナントなど、ビルの内部構造から概観まで
       緻密にイメージする。

  遮那2 ビルをイメージしたときと同様、今度は車をイメージする。

       エンジンルームからタイヤのゴム質まで車体の各部を
       緻密にイメージ。

       イメージしたすべてを稼働させ、想像上で車を走らせる。
       このとき、実際に車が走る整合性を保っていなくてはならない。

 ● 「こころを鍛えるインド」 伊藤武 より引用 ⇓

  「あらゆる様態をイメージする」

  「わが身は無である」

  「強力にイメージする」

  「相手の心の裡に入り込み、その脳に自分の描くイメージを直接映し出す」

 ● 「吉野修験 大先達の遺訓」 五條順教 より引用 ⇓

  一木一草を深くみる

   一木一草といえども、深くみることが大切です。
   自然を深くみることは、すなわち人生を深くみることなのです。
   それは自分の心を観る、すなわち自己観照につながるものでしょう。

  いつも明るく希望せよ

   楽しいことを考えていると、楽しいことが訪れてくるものです。
   思いというものが、現実を呼び寄せるのです。
   密教の修法においては、「観想」をとても大事にしますが、
   それは結果を呼び寄せるからなのです。
   ですから、いつも明るく希望せよ、というわけです。

  おのれこそ おのれのよるべ

   「おのれこそ おのれのよるべ おのれを措きて 誰によるべぞ
   よくととのえし おのれにこそ まこと得がたき よるべをぞ得ん」

   『法句経』にそういう教えがあります。
 
   「自分こそが、頼りにできるものである。この自分以外に誰が頼りになる
   といえようか。よく鍛錬された自分こそが、ほんとうに得がたい“拠りどころ”となる。」
 
   私達はみずからを「よるべ」とするために修行するのです。
   そのためにこそ、祈り、瞑想し、山に入って修行するのです。

  迷いを去り、けがれを除く修行

   修験者が野や山で修行することを抖擻(とそう)修行といいます。
   抖擻とは、水に濡れた犬などが、身体を激しく身ぶるいさせて水滴をはじき
   飛ばすさまを見ますが、あれが抖擻なのです。
   迷いを去り、けがれを除く修行ということです。
   そこには激しく身ぶるいさせるような、心の奮い立ちがなければなりません。
   しかし行者たる者、抖擻を心に秘めながら、しかも心は平安でなければなりません。
   ここが大事なところです。

  修験者の払うもの

   修験者の払うものといえば執着心であり、我執であり、罪障です。
   ぐっしょりと身体を濡らした水分を払い飛ばすためには、
   非常に激しい力が必要です。
   山の修行も、滝の行も、座禅も、その他いかなる行でも、
   この大筋を離れたら、外道の行になってしまうのです。

  実修実験

   修験道の教えの根源は実修実験にあります。
   まずは実践してみることなのです。
   沈思黙考するのは、もちろんよいことです。
   実修実験といっても何も考えずに行動ばかりが先走るということではありません。
   考えた結果、よいと思えばとりあえず実践することなのです。

  真の功徳力

   建築するとき、棟梁が施主によろこんでもらうには、
   誠実と親切はもちろんですが、卓越した技量と美的な感覚がなければなりません。

   これらの総合が、功徳力なのです。

   真の功徳力は、如来の加持力(神仏の助け)と、法界衆生力(大勢の人の助け)を
   自然に呼び込むものでしょう。

   功徳力はすべての根源です。伝教大師は「道心のなかに衣食(えじき)あり」と
   説かれましたが、同様に「功徳力の中に衣食あり」ということもできましょう。


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 バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
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# by cute-qp | 2017-01-30 00:00

 「睡眠」は心身の休憩と共に、

 「デフラグ」や「繋がる」時間の様で、

 このブログに向かうのは、その準備です。

 昨夜は遅くまで纏めていたので眠かったのですが、

 早々に兆しが来て飛び起き、腑に落ちました。

 「観想って大事だな」と。

 例えば、よく使われた道具には存在感があり、

 場合によって、触っただけで誰のものか分かるものや

 どんな想いや使い方をするのか感じられるものもあります。

 スポーツ選手などは、道具を触られるのを嫌がる人もいるとか...。

 道具にある感覚やデータが変わるからだそうです。 

 これは、ただ、「使い尽くした」と言う事ではなく、

 使う人の中に道具がリアルにあり、

 道具の中にその人がリアルに映る...その結果の様です。

 昨夜、頂いた「座」を感じ、その有り様をリアルに観じて行きます(「七座を納める」)。

 肌触り、色、形状、響き...受けるインスピレーションをどんどん感(観)じる。

 そこから、道具や剣を持つと、リアルさが増しています。

 そして、よりリアルに道具や剣を観じ、使い、

 道具を身体に入れ、

 私を道具に同化させて行きます。

 すると「座」の情報量が増し、また少しリアルになります。

 その繰り返しが「稽古」の様です。

 宗教における「観想法」や「護身法」、「三密加持」、

 「伝法(教えを受け継ぐ)」や「感応」の芯や原理がバッと腑に落ちました。

 そりゃ時間も空間も超えます。

 そう言う表現に抵抗がある場合、

 苫米地先生の「洗脳護身術」やミルトン・エリクソンはどうでしょうか?

 原理は同じ...それを明解に解説されています。

 しかし...昔、私はこれを真に読めませんでした。

 理解ではなく、感じ、リアルに読めなかったからです。

 「パントマイム」や表現の世界でも良いです。

 「形態模写」ではなく、その人の中にある「リアル」が、

 観衆が観る虚空の舞台に「リアル」を見せます。

 何にしても...やっと「無双巌流」が「夢想願立」になります! (「神力徹眼心」

 ヤッホーです。

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 バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
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# by cute-qp | 2017-01-29 12:00

「七座を納める」

 今日は「七箇所...」をK野先生に体験させて頂きました。

 両手から「一座一座」の位置や道筋、存在感が伝わり、

 それが自分の身体や意識へと転写されて行く...。

 自分の中に「座」を作るだけでも大変なのに、

 それを外へと繋げ、映せる...その積み重ねが凄い。
 (それが「合気」とは言え...)

 当然、まだ、小さい足場と獣道だけれど、

 脳幹と細胞はそれを感じ、刻んだので、

 時間を掛け、しっかり「座」を育てます。

 さて...話は「座」に何をどう納めるか?と言う事に。

 自分の成長と共に、それは入れ替わるのでしょうが、

 シーズン毎に、まず「肚」を押さえ、諸々納めて行くのが良い様です。

 それこそ「画竜点睛」と言うか、

 心身に重心が出来、安定した収まりとバランス、繋がりが出来ます。

 私の場合、「肚」が決まって、直ぐ他6箇所が決まりました。

 すると...ここからは主観ですが、

 今までの直感が「ワイヤレス」で「ダイヤルチューニング」だったのが、
 (「インスピレーションに導かれ」

 肚に「サーバー」が出来、

 繋がるプロバイダやサイトも明確になって、

 その間を束になった光ケーブルが繋ぐ感じ...

 イメージの仕方や納め方、送り方、処理・情報量が俄然上がった感覚です。

 これで、「疾雷刀」と「礼拝(合気以前)」が変わると想います。

 手は少し柔らかくなりましたが、労宮の意識が希薄でした。

 この感覚下では余計それを感じます。

 「湧泉」と合わせ、これも「座」とし、

 相手と自分が交流するコネクタとします。

 交流と言えば...今日は久々にZ君とお稽古しました。

 元々、真面目な性格故にやや緊張気味。

 技術云々より、

 我を捨て、相手を感じ、交流する大切さをお伝えしました。

 お話もしましたが、感覚的な事で伝えきれません。

 微力ながら、私の実力の範囲で「手合わせ」を繰り返しました。

 身体操作や意識もありますが、

 最もお伝えしたかったのは「信」です。
 (「自分を信じる」・「相手を信じる」)

 それは、私を救ってくれたもので、

 「心身の脱力」や「合気」、「祈りの力」に通じる気持ちだと感じています。
 (「静中の動」の付記を参照)

 「七段階呼吸法」を「七箇所」にする要素かもしれません。

 稽古後、彼の柔和な笑顔が印象的で、私も嬉しかったです。

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 バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂

(おまけ)「天型・地型」
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# by cute-qp | 2017-01-29 02:00

 年末以降、「インスピレーション」中心の生活です。

 今まで同様、論理的思考もありますが、

 その先を「インスピレーション」が先導している感があり、

 上手く私のバランスを取ってくれています。

 私の場合、「インスピレーション」は、

 「理由は分からないが、ふと、確信が持てること」と

 「意味不明だが、ふと、心が動くこと」

 「予測不能だが、ふと、波や風が吹き、時や流れ、縁が見えること」などです。

 勿論、それが正しいとは限りません。

 でも、不味ければ「微調整」...お気軽な感じです。

 そもそも「インスピレーション」には、

 結果が「即決」するものと、「タイムラグ」があるものがあり、

 その上、こちらの予想やビジョンを超え、

 「眼からウロコ」、

 「ステージやフェーズを変えられる」経験も多く、

 「正誤」と言う観念で抑えるものではない様です。

 「波乗り」の如く、ただただ、バランス良く乗って行く。

 それが次第次第に上手になって来たりして、

 非常に愉しくもあります。

 唐突ですが、自宅が仕事場となり、通勤時間が無くなって、

 体力や持久力ががくんと落ちました。

 ここ2年弱、登拝他で少し体力を取り戻しましたが、

 それでも直ぐ息が上がります。

 なので、登拝での祝詞は未だに息も絶え絶え...

 鼻の穴があと8つ欲しいと想います(笑)。

 今週もそんな感じでしたが、

 ふと、I畑先輩のイメージが入って来て、

 「ぶっ倒れるつもりで大声出してみよう!」と想いました。

 当初、鳩尾をどつかれた様に声も出ないのですが、

 そこを心で絞り出しました。

 すると、自分の中に声が出る場所が見つかり、

 そのまま乗って行くと声の出る姿勢が分かって、

 胸がガバッと開いて息詰まりが収まり、

 眼がシャッキりして、肚から声が出ました。

 「合掌」も「この位置」と言う場所がある様です。

 水の中で声を出す要領ともシンクロしました。

 沖縄唐手のある流派では、

 海に頸まで浸かり、歌を歌う稽古がある事を想い出したのですが、

 同じ効果かもしれません。

 帰宅し、笛で試してみましたが、呼吸が改善していました。

 面白い経験でした。

 しかし、この経験も絶対でなく、「Betterの更新」されるはずです。

 これからも「インスピレーション」の赴くまま参ります。

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 バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
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# by cute-qp | 2017-01-28 00:00

「胸を開き、学ぶ」

 先日、山科でのセッションの前半、オイルを使いました。

 オイルの起こし方から

 オイルで優しく緩みを取る手技を実演し、

 皆さんと共に手のケアを致しました。

 予想以上に、自分の手を固め、緊張して使っている事。

 意識した事のない部分が固まっていたりする事。

 手の隅々から先まで意識が通る事で、全身が意識し易くなる事。

 意識が通ると身体や心が緩み出し、気付きが訪れる事。

 頸や肩、肋骨など、他の部位とのバランスも大切な事。

 ...などに気付いて頂く事がテーマです。

 そこから、霊術的アプローチ(ヘタレ)で、

 頸の位置を定め、胸を開き、二の腕の捻じれを取り

 肚を緩めて伸ばすアプローチから、身勢を整えて行きました。

 年末年始の間に凝り・固まった身体がスッキリ伸び、

 やっぱり、「神力徹眼心」だな...と感じた次第です。

 また、個人的に「胸を開く」テーマを深めようと思いました。

 「肚(根っ子)を作る」、「鳩尾を練る」

 「喉・眉間・頭頂を開く」など...大切な事は満載ですが、

 「胸を開く」事は「肚」と共に、他を開く大きな鍵だと想われます。

 また、「人間性の深みと真価」、「慈悲愛の発露」と言う点で

 「肚」と共に大切なコアの様に思います。
 (「下座の心」について付記している時に気づきました:「静中の動」

 有り難い事に、そう言う時、学びが参ります。

 今朝、酷い「漏斗胸」のクライアントさんが来られました。

 腰も全く座りません。

 そこで、一緒にセンタリングしながらの「正座法」を行ってみました。

 骨盤が締まってソケイ部が緩み、

 関節の折り畳まりが深く改善されて、腰が入る様になって来ると、

 胸が開き、背骨と頸が伸び始めました。

 それに従い、肚や胸を中心に鬱滞していたエネルギーが解放され、

 気持ちや取り巻く場が明るくなるのが観て取れました。

 すると、迷ったり、固執していた考えも通り、纏まって来ます。

 凄いものだなと思いました。

 痺れも感じず、この方には合っていた様です。

 坐を得た事で、嬉しそうにお帰りになられたのが印象的でした。

 また、ヨガを体の柔らかさだけに頼り、

 バランスをズラし、しょっちゅう身体を壊す方も来られました。

 そこで、「何故、太陽礼拝のポーズが大切なのか?」をテーマに、

 「合気以前」や私なりの「五体投地」を実演・解説。

 祈りのポーズに込められた感覚的意味合いと、

 それを積み重ね、自分を俯瞰し続ける大切さを感じて頂きました。

 終了時、心身に「芯」が出来、

 何気に「太陽礼拝って、シンプルだけどすっごく深いんですね~」

 感じて頂け嬉しかったです。

 私もとても良い勉強になりました。

 これからも、「感じて頂ける施術・セッション」が出来る様、

 深みある人間を目指して頑張ります。


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 バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
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# by cute-qp | 2017-01-27 00:00

「静中の動」

 「歩法」の稽古と並行して行っているのが「坐の稽古」です。

 一見、「動く稽古」に対する「動かない稽古」ですが、

 「体内操作」の見地で見れば、

 「動中の静」と「静中の動」...互いに相関関係にあります。

 「合気以前」や「居合」の稽古に組み込み、

 「肚の座り」や「頸の伸び」、「肩の浮き落ち」、「関節の折れ」、

 「下半身の締め」、「重心」など...色々、観察点があり、

 ヨガの「プラランビク・スティティ(基本姿勢)」が取り難い場合、

 その別法、前段階の稽古にもなります。

 また、どことなく、座り込んで行かないと感知できない、

 行法的ニュアンスも感じ、色々、試行錯誤中です。

 他の稽古以上に、日々、どんな感覚が出てくるか分からない、

 地味ですが、気付けば面白い稽古です。

 ここに参考にしている、平田内蔵吉先生の「正坐法」を確認します ⇓。

 腰の張り方

  腰は第一腰椎から第五腰椎まですべて前に張る。

  そのために臀部をうんと後方に置き、会陰部が丁度支へる右足裏の中心(足心)に
  合ふやうにする。

  腹は腰をうんと張り、脚、足の構へが正された結果、自然に腹壁が張るに任せ、
  努責して腹を張らぬやうにする。

  但し、足、脚、腰の構へが正しければどんなに気合を入れてイキンでも努責には
  ならぬが無理はしないこと。

  普通には第五腰椎のところだけを、またはせいぜい第四、第三腰椎あたりまでを
  腰と思ってゐるが、腰とは第一腰椎のあるところ(鳩尾の後方)からが腰である。

  臀を出すだけでなく第一腰椎のあるところをうんと張って決めるのである。

  この第一腰椎の左右に腎臓がある。腰の張がここまで及ばないままで腹に力を入
  れると、たとへ胃腸その他には効果があっても、長年月のうちには腎臓、脊髄等に
  害があらはれて、他は健康であるのに死を早めることがある。

  腹も出、胸も落ち健康で肥満してゐて突然亡くなるのはこの第一腰椎の張りの足り
  ないためである。ここが決らないためである。

  ここが決らないでも気合呼吸をしないでおれば大して害もないが、眞に心身統一の
  気合を入れ、又労働や肉體の大活動をするためにはここの決定が第一である。

  ここは丁度、第一胸椎から尾骨端に到る躯幹脊柱の正中點にあたる。

  但、第一腰椎を張り出すと、鳩尾が突出し易い。鳩尾は肝臓のあるところである。

  肝臓部の突出は呼気を止めて正中心部への垂直腹壓の下降を阻止する。そで腎臓部
  を前に張りつつ肝臓部を下に落すといふことが、一番肝腎なこととなる。

  この肝腎要めの決定には腹前に組んだ両手の手首をしっかりと弾力をもたし両肘を
  定めて下に引く心持で決め、首肩の境を落し、首は第一第二頸椎のざかいでぐっと
  立て、さて、鳩尾(胸骨劍尖突起)と臍の上を落すのである。

  腰は人體の牀(ゆか)である。

  牀のない人體は崩れる。素直でないと腰が曲る。竹は素直だから伸びる。

 胸の落し方

  (前略)胸を落すとは肩を落すことである。

  肩の付け根が痛い程腕を下に引く心持で胸を落すのである。
 
  但し前屈しないで胸を落す。即ち肩を落すのである。

  頭を使ふ人は自分では知らないでゐて肩背胸、首に凝があるものである。

  肩を落すとは凝を除くことである。胸を落すのは胸を狭めるのでなくて呼吸を
  楽にすることである。

  安心した時誰でも胸をやれやれと撫で下す。あの胸の下し方である。

  胸を張って威張るといふことは弱いといふことである。

  肩を落すといふことは肩の重荷を下すといふことである。

  苦労を荷ふ肩は小さく縮まり重任を負ひうる肩は大きく伸びてゐるのである。

 首の立て方

  肩をぐつと巻き落しに落すと頤が前出しやすい。

  それを防いですつと首を正しく立てるためには首全體を耳根乳嘴突起部に
  吊り上げる心持で首をすーつと上に伸ばす。

  肩のつけ根は下に引っばられるに加へて上へも引つばられることになるから
  一時は益々痛むことさへあるが、やがで首が正しく立つやうになれば首肩の
  凝はすつかり無くなる。

  首を立てるといふことは禮の體が決まることである。

  最敬禮をする時にも首がぐつと伸びてゐないと禮の態をなさないものである。
  首立つて眼が定まる。

  眼の利く鳥は皆首を立て大観する人は首を立てる。

  首を立てるのは視線を水平にして最も遠く良く観ると共に、
  眼の開閉ともに、深く内観しうるためである。

  たとへ下體の正が保てない時も首を立て肩を落とすことはできるのである。
  又寝る時も無枕仰臥で熟睡しうるやうになるのである。

 頭の支へ方

  頭は足、胸、腰腹、胸肩、首が決まればあとは視線を水平の空間に放てば
  自然に正しく支へられる。

  かくして脳髄の眞中心部(脳の幹部)腰腹の眞底の正中心部をつらねる線は
  地平面に対して垂直線となつて足心を貫く。

  この時おのづからにして精神の統一と身體の統一がさらに統一されて人格體驗
  の統一が内直観しうる。これが眞に國體に捧げうる人體の體驗である。

 ⇑ 以上

 ここまで無駄なく的確に解説出来るんですね!凄いです。

 個人的に、やればやる程、歩法に還るので興味深いです。

 【付記】

  稽古し、平田先生の本を読み返してみると、

  「へり下る(下座の心)」と言う表現が沢山出て来ます。

  以前の私には真に理解できなかった表現です。

  唐突ですが、「登山」と「登拝」の違いは、

  その名の通り、「祈り」があるか?です。

  これだけで同じ山に登る事が大きく変わって来ます。

  単に「宗教的」と想わないで頂きたいのです。

  初めは、無信心、意味不明、形式的であったとしても、

  それを意識し、形からでも繰り返す内、

  身体や心が次第に様々に変化、成長し、

  自分が思っていたイメージや思い込みを越え、

  自然と「祈り」や「懺悔」、「へり下る」身体や心になってきます。

  所作が美しくなって行くのは、多分、その結果です。

  なので、実は登拝や修行に限った事ではありません。

  平田先生も仰る様に、

  「へり下らないと出来ない体勢・心境」があり、

  それは、自身で体験しないと説明のしようがありません。

  しかし、心の持ち様が身体に与える影響から、

  それは想像がつきます。

  そして、そうした稽古や山の行は

  里の行(日常生活)に行かせてこそ本物。

  主観的には、「画竜点睛」...日常に「眼」が入った気がしました。

  その辺りを的確に突き、

  可能な限りの表現や鍛練法を以って、

  日常に伝えんとされた平田先生に驚きを隠せません。

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 バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
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# by cute-qp | 2017-01-26 00:00

「神力徹眼心」

 昨夜、長歌にした「鶏に習いて」(「鶏歩登拝」)の中

 「心”徹”して」と表現した部分について。

 当初、「通して」や「透して」と書き掛け、

 タイプする瞬間、手が「徹して」と打ちました。

 「合気以前」、「鎮魂帰神」、「西江水」...

 共通原理の輪の中へ、ズコン!と「神力徹眼心」がハマった瞬間でした。

 ここに、再度、「神力徹眼心」を確認してみます ⇓ 

 夢想願流松林無雲「願立剣術物語」より

  中央と云う事有り、心の中央也。右へも寄らず、左へも寄らず、
  上へも下へも付かず、本より敵にも付けず、太刀にもたれず、
  十方を放れて心の中道を行く事也。

  像有る処を計らねば、心の中道にてはなし、敵味方の間、太刀
  を打ち合う間也。

  間は空中なれば像なし。

  此の像なき所を推量才覚を以て積む事成るまじきぞ。

  一尺の間或いは、一分一毛微塵の内にも、その大小に随って中央有り。
  一刹那の内にも中央有り。(中略)唯中央を取る事肝要也。(後略)

  (前略)先に其の侭の慾の備え、ろくにして項の筋を張り、
  肩の付け根より落とし下げ、前え押しかけ、両手を成るほど指延ばし、
  木尺を継ぐ如くにして、骨のくさり動かさず。

  亦、手を延ぶと及ぶとの二つ有り。

  敵の方へ計り長く及び延びたるにはあらず、それは身の外也。
  身の内を―杯に滞りなく指延ばす也。延ばせば向こうへ行くより外なきぞ。
  心も身も手も所作も少しも弛みなく、物に一杯の気に叶う剣術を性の位と云う也。

  縦ば明鏡の如く敵の所作、我が心の鏡に向かうと等しく所作の廣明なる事、
  ものを云わんと思へば我知らず舌の自由をなす如く也。

  或いは、長さ竹の本を少し動かせば、竹の末、葉の先まで一度に動く如く也。

  ⇑ 以上、引用終わり。

 ここまで表現出来るか?と言う位、懇切丁寧、恐ろ凄い内容です。

 今にして思えば、心眼・実修の上で読めていなかったと言う事です。

 「手を延ぶと及ぶとの二つ有り」

 「身の内を一杯に滞りなく指延ぱす也」

 「心も身も手も所作も少しも弛みなく、物に一杯の気に叶う」

 「長き竹の本を少し動かせば、竹の末、葉の先まで一度に動く如く也」


 など、その「妙」をまた妙なる表現で表し、

 「唯中央を取る事肝要也」

 「先に其の侭の體の備え、ろくにして項の筋を張り、
  肩の付け根より落とし下げ、前え押しかけ、両手を成るほど指延ばし、
  木尺を継ぐ如くにして、骨のくさり動かさず。」

 など、具体的表現が付記されています。

 どうしても、この具体的表現に注目が行きがちですが、

 夢想願流は、この「妙(神力徹眼心)」...あ・り・きのものと私は感じています。

 この名文を読んでいつつ、

 「頸がすくむ」、「猫背」、「骨盤がばがば」、「手を固める」など、

 内容と異なる実際が現れるのは、

 そこを踏まえ、本当に、感じ、検証していないからかもしれません。

 そして、これを違った感性・角度・味から語ったもののひとつが

 新陰流の「西江水」や「神妙剣」と位置付けています。

 お陰さまで、稽古において「本当に大事な部分は何か?」が続々と見え始め、

 都度、師の想いに触れる想いです。

 ここに「神力徹眼心」を再確認し、

 その上で「水」を検証致します。

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 バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂  
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# by cute-qp | 2017-01-25 00:00

「鶏歩登拝」

 今日、午前中時間がありましたので、早朝、登拝へ。

 「大寒」に相応しいなかなかのお天気...吹雪いておりました。

 ま、そんなのは関係ございません。

 今日のテーマは「芯を作って柔らかく」

 ビジュアルテーマは、「昨日の鶏が登拝したら?」(「西江水の学び」)です。

 
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 項を伸ばし、肩と膝、足首、股関節、指の力を徹底的に抜いて行きます。

 ペースはいつもより若干遅め...

 その代わり重力の当たりを徹底的に緩みを取って吸い込んで行きました。

 ちなみに、脳天大神様に行った時の(「発心門をくぐる」

 K野先生の階段の降り方が印象的だったのでそれもイメージしていました。

 すると、スタミナ・衝撃共にストレスが軽減され、疲れがとても少なくなり、

 一歩一歩のブレも格段に軽減、

 その分「集中と俯瞰」の度合いが上がった気がします。

 「活歩鎮魂法」と言っても良い感じです。

 誤魔化しやブレ、想念を修正しながらなので、

 定歩(その場)のものより、私には良いんじゃないかな?と思います。

 降りて来ましたら、あらびっくり、下半身がより締まっていました。

 どんだけ幅広く歩んできたか...今となってはびっくり。

 ただ、癖はそんな簡単に取れると思わないので、

 じっくりこのレベルを常態化して行きたいと思います。

 鶏に習いて...

  「我を祓い 肚腰据えて、頸伸ばし 

    力を抜きつつ 隅々に 心徹して ふるべゆらゆら」


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 バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
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# by cute-qp | 2017-01-24 00:00

「西江水の学び」

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 本日、石上神宮にて、禁足地の拝観をさせて頂きました。

 コチラは三輪山の北隣、龍神山の麓にあり、

 物部氏ゆかりの七支刀で有名な神社です。

 鎮魂帰神の行法でも有名な所でもあり、

 大神神社の柔らかで包容力のある雰囲気に対し、

 凛とし、時として厳しい雰囲気を感じます。

 駅から徒歩で30分ほどあります。

 昨日、ちょっと工夫をし、朝起きると膝が締まり、

 膝小僧が今までにない状況でした。
 (「やっと門前」) 

 寒い事もあり、これ幸いと歩法の稽古で参りました。

 やはりこれ位締まらないとダメなんだと感じました。

 石上神宮に着きますと放飼いの鶏達...

 自由奔放、元気でつやつやしています。

 そして、この子、常に項伸ばしまくりです(笑)。

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 形意拳の基本は、

 「鶏腿」・「龍身」・「熊膀」・「鷹爪」・「虎抱」・「雷音」ですが、

 この子が全部再確認させてくれました(笑)。
 (今ならその意味を身体で表現出来ます)

 そして、拝殿・禁足地へ...。

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 神官さんが「ひ・ふ・み・よ~」とされると

 肚から手へ自発動が起こり、声が出そうに...

 「布留部 由良由良止 布留部」...あぁ~成る程~、

 やはり基本は同じ様です。

 こちらでは定期的に行法講習が行われ、

 全国から希望者が殺到し、2、3年待ちはざらだとか...

 でも...直伝頂いたので満足です。

 以前、感じていましたが、様式の中に埋もれてしまったものを頂きました。
 (「三種の稽古」

 ちなみに、富士山は「圧倒的広大な愛」で一杯でしたが、

 コチラは刀を持って瞑想する様な静けさと芯の締まりを感じました。

 静かな湖面をどこまでも深く広く遠く見ている感じです。

 鳥居を潜って2時間弱、どんどん身体が締まって来るのですが、

 禁足地で更に、心・芯を絞られた気がします。

 そこでハッとしました...「西江水」です。

 ありがとうございます...勉強になりました。

 ここまで来ないとそれが本当に感じられないのですね。
 (「鎮魂帰神」と「西江水」、「合気」は正に同根でした)。

 自分で維持出来る様頑張ります。

 本当に良い機会・経験をさせて頂きました。

 よって、ここに大切な事を付記し、確認とします ⇓

 「一口吸盡西江水 洛陽牡丹新吐蘂」
 ”西江の水を一口に吸盡すれば、洛陽の牡丹 新に蘂を吐く
 (「新に蘂を吐く」の部分が事の妙です)

 柳生宗矩兵法答書集他

 しまる心持の事

 西江水をひくいきにて、ほそめたる心持よし、つめて、せめたてては、
 かたくいつく心有、ほそめてせめたてる心持よし

 西江水の事

 下へつむる悪し、上へつむる悪し、中へつめたるよし

 いづくにも西江水ある心持専ら也、指の数々、爪先、毛の先までも
 それになる事肝要也、しかしながら、みなもとをよく用得れば、それに成る也、
 ただそれになさんとおもへば、皆本がぬけるなり

 心の置き所を定めて、心を一度一度にその所へ返して、其の置き所より十方へ
 くばるべし、此の心の置き所、是を西江水と秘し、或いは神妙剣とも秘したる也

 心の持ちどころというは、腹、背中、西江水と三つなり。腹を張るにてはなく、
 腹を押し落す心持ちなれば、背中の中筋に力わたるなり。その二つに凝り
 固まらぬように、総身へ心のたんぶとわたって、力みもなく、ぬけた所もないを
 、西江水というなり

 ⇑ 以上

 ここに形式や様式、古伝や本伝、勝口の云々なし。

 これを感じ、表せることのみ全て。

 万法帰一。

 頑張ります。

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 バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
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# by cute-qp | 2017-01-23 00:00

「やっと門前」

 肩の力を抜くベースを確認。

 その分、手のポテンシャルを生かしきっていない事がクリアに。

 「鷹」の様に鋭く、しなやかな羽ばたきを意識したい。

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 その為、手をもっともっと意識し、開発。

 精妙に肚と繋いで行きます。

 仙腸関節から動き、歩法するベースを確認。

 まだ、そのストライクゾーンぎりぎりの幅で行っているので、

 もっともっと骨盤を締め、膝の力を最大限抜き、

 肚と体内操作による立替のブレをなくし、

 足と肚の精度を上げます。

 この2つの基礎をして、「合気以前」や「ルーチン」を活歩で行うレベルにして行きます。

 更に、武器術にてベースを研ぎ上げます。

 「門に入り 玄に達して 堂に入る 目差して励み やっと門前」

 ようやく「合気の門」へ。

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 バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
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# by cute-qp | 2017-01-22 01:00