今日も超個人的妄想なんで、サラ~っとお読み下さい。

 昨日、「起き上がり小法師と極」を書いている時、

 もうひとつイメージにあるおもちゃがあるんだけどなぁ~と思っていました。

 だけど、名前が分からない(笑)。

 ようやく、「プレスアップフィギュア」と言う名前に辿り着く...。

 ステージ底を押すとへなへなになるあれです。

 ここに、ミーアキャット君他と共演して頂き、確認しましょう。

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 この多関節人形が頸まですっくりと立つのは、

 「体内からのアンカーが効いているバランス」故ですね。

 外側の力や外側のバランスではない。
 (例えば、単純な「シ―ソ」や「梃子」の様な)

 そして、底を押すと「鞭」の様に動きます。

 仮に、底がロッキングチェアの様になると「小法師」!?

 気功の「鉄橋」や「霊術」とイメージともシンクロします。


 あくまで、超個人的イメージですが。
 (やっぱ、私は「スピ系」じゃなくって、「サブカル系」:笑)

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     人が乗っかる程強いのではなく、乗っかられてもバランスが取れると言うことでは...

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 バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
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by cute-qp | 2017-04-25 00:00

 あくまで「主観」なんで、サラ~っとお読み下さい。

 「バランス運動探訪」の余談ですが...

 初めて、「アンカー」の感覚を得た時、

 自分が「起き上がり小法師」になった気がしました。

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                 「平田先生の正坐法」...ある意味、「起き上がり小法師」

 「体内から地中に繋がり、バランスよく揺れる」

 しかも、「常に、肚から地球にしっかりアンカーが掛かっている」

 ...この「大安心感」は何とも言えません。


 ちなみに、この感覚を「L5」ではなく、「命門」にしますと(「刀を邪魔しない操刀」

 途端、全身が「居着いて」しまい、

 実は「アンカー」が正しく掛けられておらず、

 余計な緊張や思い込みが多かった事に気づきます。

 何を「アンカー(根っ子)」と捉えるか?人それぞれですが、

 少なくとも「地球霊王」様の「地の極」には繋がらない。

 「地の極」に繋がらないから、霊王様が下さる力(反重力他)を体内に受け取り、

 それを天へと繋ぎ、自分を吊るす感覚や場所に繋げない...。

 「アンカー」や「重さ」に導かれ、

 どこから自分が吊るされていくのか?気付き、感じて行くと、

 その先に「天の極(吊るし先)」があります。

 吊るされ感覚は、「掛軸」や「一反木綿」、「ベル」の様です(作画してみました)。
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 「バランス運動」を観察する際、

 「可能な限り、ゆっくり・丁寧に・リラックスして」動いて行きたい。

 「急いて、誤魔化したり」、

 「息詰まり、なまり、力まぬ」様、

 静かな湖面の様に、感覚を研ぎ澄ませて行います。

 「太極拳」や「フェルデンクライス」にも通じる所と感じます。


 余談ですが...先日、修験道のA先生にお会いした際、

 その座り方・立ち方・振舞い方に特徴的なものを観じ、

 じ~っくり観察、全身で感じていたのですが、

 そこと「小法師」がちょっぴりシンクロした気がしました。

 お陰で「登拝」や「歩行行」が断然代わり、愉しくなって来ました。

 (おまけ)

  小法師をみていると、白蠟棍や中国槍の使い方が分かり易いです。

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 バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
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by cute-qp | 2017-04-24 00:00

「バランス運動探訪」

 常に、「地球霊王」様と繋がり、アンカーを掛け

 そのお力を借り、バランスする(「アンカーをかけ、繋り、バランスする」)...

 それ以降、随分「肚から歩ける・動ける」様になって来ました。

 同時に「吊るす」感覚がどんどん増して来て、

 様々なバランス表現を学習中。

 「アンカー」と「吊るし」は自分を通した相対・相補関係やね。

 「三才(天・地・人)」とは良く言ったものです。

 また、タイミングとは不思議なもので、

 今日、ふとした会話の中、「上に繋げ、吊るす」明確な場所・存在も出来ました。
 (生まれが「文曲星」なのでぴったりです!)

 イメージがとてもリアル・クリアになり、安定的に常時接続。

 「7ヶ所・各所時計」や「バランス運動」の学びが進みつつあります。

 情報やデータのやり取りで言えば、

 肚やバランスがない時と言うのは、

 チューナーやアンテナがなく、

 無防備、受動、一方的、

 色んな情報が入って来て、心身がアンバランスになり易かったのですが、

 そこに、アース(アンカー)やチューナー(肚)、

 アンテナやプロバイダ(天)が揃った感じです。

 双方向で交流出来るし...。

 チャクラで言えば、

 「1~7」を支え、交流する「0」と「8」が明確になった感じ?

 とにかく、自分だけで孤軍奮闘していた頃と比べ、

 自分を相対的にサンドする存在・世界が出来た事で、

 「任せる気持ち・感覚」は事実・実際になりました。

 とてつもない「安心感」です。

 故に、常に、そこに沿い、繋がり、バランスし続ける...

 そんな「バランス運動」の精度を日々、上げて行こうと思います。

 運動・治療・宗教他...「バランス運動」は全てに繋がりますなぁ。
 (「結縁」や「潅頂」、「加持」の真意が凄く腑に落ちて来ました)


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 バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
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by cute-qp | 2017-04-23 01:30

 文字にすると誤解や語弊があるのですが、纏めとして。

 「足の上げ方を科学する」・「腹直筋を伸ばす」を通じ、

 アンカーの意識と感覚がなかったと感じました。

 そりゃ「マッチョ」や「鉄」になりますわな。

 「体内操作により、肚を中心に、総身の内から地中に向かいアンカーを掛ける」

 「掛けたアンカーから体内、そして、体外へと自在に出入り、伸縮をする」

 「アンカーの精度により、力が抜け、肚が決まり、伸縮自在、頸が伸び、身も締まる」

 「アンカーとの相対様で、様々なバランスを取る事が出来る...云々」


 この精度と自在さ(バリエーション)の稽古ですな。

 「年間カリキュラム」に満載ですな。

 極論、「足の上げ方を科学する」で全部表現出来ますな。

 やっぱり、「基本」ですな。

 今日は地中深くまで繋がり感じる事が出来、

 これからは「地球霊王」様とご懇意になれそうです(「地球と繋がり歩く」)。

 個人的には、多分、自分自身で「登拝」や「居合」を続け、

 かつ、K野先生や修験のA先生に調整・感覚を頂いていないと気付かなかったでしょう。

 ありがたいです。

 K野先生にご指摘・補正して頂き、「無形以前」を稽古しましたが、

 アンカーを掛けてする、それは何とも言えず気持ち良く、

 「無形以前」...その命名の意味が良く汲み取れました。

 「五体倒地」や「礼法」なども実は同じなんでしょうね。

 地と天につながり、なんちゃって行者は参りますぞ!

 ◆ 再確認として

  平田先生はどんな風にアンカーを掛け、伸び、バランスしておられるのか?

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by cute-qp | 2017-04-17 00:00

「見仏」

 先週から急に温かくなり始めたからか?

 予想外のアレルギー症状に。

 鼻は時として詰まり、また滝の様に(笑)...。

 不思議だったのは、

 「登拝 シーズン2」を開始した日、

 中腹以降、急に霧が立ち込め、

 その中を歩いて行く内、症状が劇的に軽減したこと。

 自然の「ネブライザー(吸入器)」に感謝感謝です。

 お陰で少し調子が良くなり、

 予定していた「快慶展」「木×仏像 展」へ。

 最近、私は仏像をこんな風にカテゴライズしているのですが ⇓

 ① 大寺院にある、芸術性の高い仏像

 ② 地域に根差した、ひっそりおわす仏像

 ③ 行場や行者に拝み込まれた、バリバリな仏像

 「快慶」はおおよそ①、「木×仏像」は②と言う感じです。

 現物を前にし、快慶は流石に凄い、段違いです

 が...この所、②や③に向かう機会が多いからか?

 以前ほどの手放しの感動はありませんでした。

 一般的に、鎌倉仏は「写実的」と言われますが、

 実は、寧ろ逆...もの凄くポップでデフォルメ一杯。

 ちょっと盛り過ぎ感もあります。
 (ある種「工芸品」に感じてしまいます)

 その分、「平安仏」の方が人に近く、

 個人的には、親しみや気持ちを込め易い気がして...

 その意味で、快慶が無冠や初期の頃の作品に心が動きました。

 ディスプレイの仕方が不味く、

 見上げる仏を水平に観なくてはならないのもちょっと残念でした。

 その分、併設しています「なら仏像館」の仏さん達が愉しかった。

 「何でそんな格好、そんな顔してんですか?」

 ...思うんですが(笑)、気持ちが入る。

 段々と形よりも無形・心に関心があるので、今はそれが良いのかもしれません。

 同時に見られますので、お越しなら一緒にご覧下さい。

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                 八葉蓮華寺 快慶初期の作 「阿弥陀如来立像」 

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by cute-qp | 2017-04-15 00:00 | 一陽来復

「積み重ねと信」

 「味わいと積み重ね」からの繰返しですが...

 特に、「東洋」の「伝統的」、「継承的」な道を学ぶ場合、

 ほぼ間違いなく、最初に一番大事で、難しい事を学ぶ様です。

 門をくぐれば、いきなり「本質」があり、

 以後、繰返し繰返し、極めてシンプルなそれが、

 手を変え品を変え、さも違う顔をして、

 実は、同じ顔で出て来る。

 ...ってことに体感・体験で気付いて初めて、

 その漠然とした姿や方向性、視座が見えてくる気がします。

 そこまでの「積み重ね」を経て、

 ようやく、その玄に入る(入門)...本当の「積み重ね」が始まる様です。

 とは言え、初心者にとって「何があるか?」全く分からないし、

 「何年やっても分かる保証はありません」

 しかし、「取り敢えず、やる、やり続ける」事にしか、

 入門に至る道は開かれない様です。

 その不確定さが「面白味」でも「不安」でもあり...。

 そこで、多分「信」が必要になって来るのでしょうね。

 「信頼(信仰)」と「自信」

 その両建でバランスするあり様が「積み重ね」の妙と思います。

 でも、どうすれば...!?

 「同じ事を繰り返し行う」

 「同じ内容が元となり展開される」

 「原理がシンプルである」

 そんなモノに注目し、「自分で」どう付き合っていくか?

 それがひとつの方法かもしれません。

 今週は「無形以前」や「居合」の「それ以前」をやっていました。

 「呼吸で緩む、呼吸で伸びて行く、呼吸でバランスする」...基本中の基本です。

 リラックスし、自分を俯瞰して行うと、

 「如何に、自分が我の固まりであるか?」に気づきます。

 それに付き合わされ、固まり・歪む身体や心はホント大変。

 私自身がそれに気付くことで、心身が解放されて行く様が印象的。

 「あ、そうだったんだ~」と気付く事で、

 以前より少し、自分を身近に、信じることが出来ます。

 そんな繰返しが全てなのでは?と感じています。

 ヨガや様々な行も本来、そう言う歩みなのではないかと?
 (却って「我」や「大人の事情」...「魔境」が入ることもある様です)

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 バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
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by cute-qp | 2017-04-08 00:00

「挨拶の稽古」

 「地球と繋がり歩く」の続きですが...

 許可を頂き、登拝は早朝に行わせて頂いています。

 ありのままの自然を感じ、自分に集中させて頂ける貴重な時間です。

 一方、下山時、登って来られる一般受付の方達とお会いします。

 そんな時、必ず「挨拶」する様にしているのですが、

 反応は実に人それぞれ様々で、

 感心しきりであったり、不躾にもムカっと来る時もあり(笑)

 どちらにしても、「反省」タイムになります。

 そして、今日も今日とてなのですが、

 ふと、「どう思われようと、その人を拝する気持ちで挨拶しよう」と想いました。

 何故なんだろ?思うんですが...心がそう思ったので。

 帰る道すがら「これって、な~んかあったよな~」と感じ、

 法華経の常不軽菩薩のお話を想い出しました。

 「我あえて汝らを軽しめず、汝まさに作仏すべし」と

 いかなる者にも仏の姿を見出し、ただ礼拝して歩いた...と言うお話です。

 何故か?突然、自分が拝まれるので、

 不審者と間違われたのか?

 心ない人から石をぶつけられたり、棒でぶたれたりする菩薩さんに、

 「ひゃ~!」って思ってました。

 でも、今回、ちょっと響きました。

 菩薩さん程、凄い事は出来ないんですが、

 自他共に気持ち良く過ごせれば良いなぁと想います。

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by cute-qp | 2017-04-03 00:01 | 一陽来復

「地球と繋がり歩く」

 今日から心新たに出発。

 地下足袋も新調し、4足目。

 今回は、底が薄目でコハゼ6枚。

 足裏感覚が分かり易く、足首の保護出来る仕様です。

 流石に、細かい地面の変化や重心の移動、

 自分の身体のバランスやブレ、癖が分かり易い。

 だけに、素足同様、衝撃度合いは強くなり、

 今まで以上の「バランス」と「センタリング(芯出し)」の行となります。

 俄然、「無形以前」や「居合」、「閉脚尊据」(「味わいと積み重ね」)の感覚をフル活用です。
 (他、「青竹踏み」メニューや「あやとり足編」も大活躍!!)

 「芯を捉えた時の感覚」は、例えば、

 「ブレが少なくなる・バランスがとり易くなる」

 「力が抜ける・力まなくなる」

 「重さを流せる・重さが消える」

 「全身が協調する・全身の繋がりが良くなる」

 「場と兼ね合う・周囲と交流する」

 そんな側面がある様に思います。

 それとは別に、

 前回、K野先生と登拝しました時(「歩こう歩こう」)、

 今まで掴めなかった「地球霊王に繋がる」....と言う点にハッとしました。
 (何故だかさっぱり分かりません:笑)

 2年前、「懺悔六根清浄を心に唱えつつ、地球霊王と繋がって歩くんですよ」

 ...そうお教え頂いたのですが、

 その文字面、イメージは推察出来るものの、

 実際、どんな有り様なのか?雲を掴む感じでした。

 それが、何となく、兆して来た感じです。

 もの・物体としての「地球」と兼ね合うのではなく、

 「地球」と言う「存在」と繋がる...。

 その存在の生々しさ、生気を感じ始めた事で、

 ようやく、そこと一歩一歩繋がる(交流する)練習が始まりました。

 何となくですが、「刀を邪魔しない操刀」同様、

 「重力を邪魔しない」とか「バランスを邪魔しない」、

 結果、「地球の邪魔をせず、地球と繋がる」歩き方になる様です。

 工夫すれば、少しずつ、自然と調和・一体になれそうでワクワクします。

 そんな訳で...今日も課題と気付きを一杯担いで帰宅。

 ただただ積み重ねであります。

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                        上原 行照 師

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by cute-qp | 2017-04-03 00:00

 「同じ事を繰り返し行う」

 「同じ内容が元となり展開される」

 「原理がシンプルである」

 こんな感じのモノには必ず大切な事柄が詰まっています。

 そして、その味わいは、繰返し繰返し、積み重ねなければ、

 自分の中に味としてにじみ出て来ません。

 そう言う意味で、

 「無形以前」

 「居合(剣の素振り)」

 「登拝(実践歩法)」

 は、私の三本柱、大基本...

 K野先生や修験道の先生から頂いた「財産」や「宝物」と言って良いです。

 ひつこく、やればやる程、色々、学びがあります。

 正直、申し上げますと....今日の稽古の内容は、

 「無形以前」と「居合」を積み重ねていない限り、とっつけるハズがありません。

 それがハッキリした感じでした。

 大切な「財産」を頂いている事を忘れてはいませんか?

 遠回りした自己反省ですが、

 凄い先生の凄い工夫や道具...

 それに、取り敢えず、取っ付いたこと、

 取り敢えず、直ぐ手に入れたこと、

 取り敢えず、数回習ったこと、

 そこで「積読」・「満足」するのではなく、

 自分のモノにせねばな...と想うのです。

 その点に気づくと、とても大事なものを最初に頂いている事が分かります。

 そして、伝統・本質的な道ほど、最初に「一番難しい事を授かる」と言う事も...。


 私事ですが...「登拝」も一度登った位で分かるものではありません。

 「ちょっと登っただけ」って言うのが一番勘違いし易い...。

 その真相・真理と問いつつ、心身を作るのには「継続」が必要です。

 そして、御指摘やヒントは頂けますが、

 結局、「実修実験」し「自得して行く」ものだと思います。

 同じく「大基本」となる稽古にはそれが共通するのです。

 だから、大切に繰返し、積み重ねです。


 【追記】 周利槃特(しゅりはんどく)

 私を支えてくれた事柄の中に、この逸話があり、ご紹介致します ⇓

  周利槃特は、『仏説阿弥陀経』に、お釈迦様の七番目の弟子として
 出て来る「周利槃陀伽(チューダ・パンダカ)」のことです。

  十大弟子に数えられる方ですが、この人は勉強が出来ず、
 それどころか、自分の名前も書けません。

  名前を呼ばれても周りの人から言われて自分のことだとやっとわかる
 ほど。

  なので、お釈迦様の教えを聞いても理解できず、すぐに忘れてしまう。

  でも、悟りを求める心は人一倍でした。

  槃特は兄に誘われてお釈迦様の弟子となったのですが、この兄は
 聡明で、一方、彼は一つの句さえも記憶できず、修行の作法や方法も
 覚えられません。

  何年も修行を続けるのですが、彼は自分の才能の無さに絶望し、教団
 を去ろうとします。

  しかし、お釈迦様の「自らの愚を知る者は真の知恵者である」という言葉
 を聞いて思いとどまります。

  ただ、彼にはどの修行も無理で、お釈迦様は彼に掃除を修行として与え
 ます。

  一本の箒を与え、「垢を流し、塵を除く」と唱えさせ、精舎を掃除させ、彼は
 一心に掃除をします。

  唱える言葉さえ、忘れますが、彼は必死です。

  そんな修行を何年も続ける彼を周囲の弟子は馬鹿にします。しかし、彼は
 ひたすら修行に励みます。

  何年もたったある日、彼はお釈迦様に「きれいになったでしょうか?」と尋ね
 ます。

  しかし、お釈迦様は「駄目だ」と仰います。どれほど隅から隅まできれい
 にしてもまだ駄目だといわれ、それでも黙々と掃除を続けました。

  ある時、子どもたちが遊んでいてせっかくきれいに掃除をした所を汚して
 しまいました。

  彼は思わず箒を振り上げ怒鳴りました。その瞬間...彼は本当に汚れている
 所に気がつきます。

  以来、汚れが落ちにくいのは人の心も同じだと悟り、ついに仏の教えを理解
 し、阿羅漢果を得たとされます。

 ⇑ 以上、引用終わり。

  ホント?と想う位強烈な逸話で、賢い人なら絶対やらない事でしょうが、

  だからこそ、愚直にひとつのことを懸命に積み上げる意味と

  その信念が胸に響くものがあり、

  以来、私もそうありたいと思いました。


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 バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
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by cute-qp | 2017-04-02 00:00