「くれてやるの心」

 このところ「くれてやる」ことの様々な意味を感じる様になって来ました。

 来月で40半ば...自信があった「瞬発力」は跡かたもなく消え、

 負けず嫌いの捻じれな性格も、「捻じれること」が自体が辛くなり、

 刺さった棘すら抜きたくても「老眼」で見えない...。

 そんな自分に妥協はせぬものの、受け入れざるを得ないことは沢山。

 ショックな半面、事実と向き合うことで、

 意外にも「余裕」や「違った世界観」が観え、

 かつて出来なかったことも出来る様になって来ました。

 多分、心身ともに少しずつ「脱力(くれてやれる)」出来る様になって来たのしょう。

 そして、日常を通じ、

 「くれてやる」⇒「ひとつになる」⇒「ずらす」⇒「ついていく」⇒「空」

 が感覚となって来ました。

 色々と観え、感じるから、やるべきことも極めてはっきりして来ます。

 お仕事におきましても、それに終始。

 随分と気持ちが楽に、愉しくなって来ました。

 「合気」と言う「術」や「生き方」に重要だと感じています。

 「くれてやるお稽古」のスタートです。

 ここから本番なんでしょうね。
 (「今頃かい!」と言う声が聞こえる気がします。)

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 兆して、何度目かの野口三千三先生の語録の読み返し中です。

 凄過ぎて、まったく読めてなかったな~と思います。

 全て掲載できませんので、「くれてやる」関連を引用させて頂きます⇓。

 信ずるとは、負けて、參って、任せて、待つことである。

 「信ずるとは任せることである。信ずるとは負けることである。
 信ずるとは參ることである。 信ずるとは待つことである」
 「任せるとは信ずることである。負けるとは信ずることである。
 參るとは信ずることである。待つとは信ずることである」

 本当に「からだ」に任せきっている動きは、
 本当に「こころ」を任せきった動きである。

 「無くする・消す・忘れる・抜く・空ける...」
 ...そこに生まれる新しい世界...

 すべてのことにおいて絶対的な基準は存在しない。
 すべての基準は、関係によって、
 相対的に・そのつど・今ここで・新しく・自分の裏に生まれるのだ。

 すべての「もの・こと」は循環する。
 循環しない「もの・こと」は存在しない。
 すべての存在は、循環過程の一つの姿である。
 これを、「万物流転」といい、「輪廻転生」という。

 自分のからだで直接感じとることのできるあらゆる自然現象は、自然の原理の現れで、
 自分もこの原理の裏で生かされているのである。

 豊かなイメージを生み出す源は、枠や型に収まりきらない。
 ...はみだし、落ちこぼれ、溢れだす...何かなのである。

 差異ということは、
 あらゆる「存在・認識・表現・動き・働き」の前提条件である。
 というより差異こそ存在そのものである。
 何かにおいて差異がなければどんな現象も起こらない。

 目的を意識したとき、感覚は汚染される。
 「目的意識に汚染されない感覚」で、
 いつも新しく素直に感じ取ることが大切である。

 動きのなかでは、分析的な知識や意識はそれほど役立たない。
 総合的直感だけが、よりよい動きに導いてくれる。

 力とは常に変化流動するなかで、
 そのときその場における「丁度よさ」が分かる能力のことである。

 力を抜けば力が出る。
 「力を抜く」ということを主題として教えられたことがなく、 
 「力を入れる」ということの本質を考えさせられたこともない。
 ただ「頑張れ」と言われ続けただけだ……という人が多い。
 「力を抜く」という事実とその実感が分からなければ、
 「力を入れる」という事実も実感も分かりようがない。
 この基礎的事実と実感のないところでは、どんな理屈も実技も空論となり、
 無意味なものとなる。

 力があるとは、大自然の原理に抵抗する量的な力が大きいことではなく、
 自分自身のまるごと全体が本来の自然そのものになりきる能力である。

 柔らかさとは、次の瞬間の変化の可能性の豊かさ自由さで、
 関係における差異を感じ取る能力である。

 自分の日常生活から出発し、自分の日常生活に帰着する。
 このことが最も大事だということを忘れてはならない。

 ほんの少しの進歩(自分が好ましいと思う自分に近づくこと)でも、
 素直に喜ぶことができる能力…
 それが長年生きていくうえで、いつも新しく貞き続ける能力である。
 大きな進歩は、どのような発達曲線をたどるにしても、
 ほんの少しの積み重ねの現われであり、結果でもある。

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 (参考)
  「バランス運動療法を紐解いてみる」

 バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
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by cute-qp | 2014-04-29 00:00

「御礼」

 今月、難波教室を皮切りに、

 第三日曜長堀、山科、第四日曜長堀にて「聞香風紐解き呼吸」をさせて頂きました。

 それに際し、K野先生を始め、Y川様やS様のお陰で貴重な香を体験させて頂きました。

 そもそも物事を「体験」、それを通じて「感じられる」のは当たり前ではありません。

 その「機会」と「経験」を頂けましたことは「財産」です。

 どれだけの「手間暇」、「気遣い」を頂いていることでしょう。

 この場を借りまして、心より御礼申し上げます。

 ちなみに、私は「白檀」と「カステラの端っこ」の様な「沈香の粉末」しか持っていません。

 その粉末すら、価格の急騰で手が出なくなり、

 観光客の大人買いでお店には一般向けの在庫もありません。


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 バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
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by cute-qp | 2014-04-28 23:59 | お知らせ

 今月の呼吸法セミナーメモです⇓

 H多

  先月の研究会で私は動きをはじめる前に緊張して終わってしまってるとご指摘を頂き
 ました。

  そして出来るだけりきまずに意識してますが、観照塾では相手に伝わったり、伝わな
 かったり自分が出来てるのか、出来てないのかわからず再現性がもてないでいます。

  力んでないつもりでも動いたらいつのまにか力んでるようです。

  そこで呼吸と動作の一致が一番足りない部分と思いますのでロッキングチェアを呼吸
 と動作の一致で解説していただきたいです。

 ZK(山科にて解説)

  体操や歩法の練習をしている際の呼吸で吐き切れていないに気がつきました。

  おそらく、身体の脱力が出来ていないのだと思います。

  最も基本的なところですが、呼吸と脱力についてヒントが頂けると有難いと思っており
 ます。

 N田

  体のつながりのについてのもう少し勉強したいです。

 OA

  体操の「ペンギン」や「朝顔」の動作を行うとき、重心の取り方の難しさを感じています。

  下肢を緊張させてバランスを保とうとしてしまっていることを感じており、改善できるよう
 御指導いただけると有り難いです。

 K元

  体幹の動きと四肢の連動を観察したいと思います。

 KM(観照塾にて解説)

  今の課題は呼吸で体の緩みをとることです。

 ⇑ 以上につき、互助会の内容を受け、「バランス運動療法」を念頭に
  以下のポイントを解説しました⇓

 ・ 足の内(足底腱膜と足の指、足首の作りなど)と膝・股関節の関わり。

 ・ 重心移動が体や呼吸、脱力、運動に与える影響の確認。
   (ef.各関節の太極図がロッキングチェアと呼吸を中心に連動する。)

 ・ 上記2点をもって「付ける・入れる・抜く」を体操で検証してみる。

 ・ 相互運動で共に脱力し、相対稽古にて様々なベクトルや負荷に対応してみる。

 ・ 「一足一見」と「西江水」の関係、「磯の波」

 後半

  皆さんに頂いた香炉を用い、

  リラックスした心と体、俯瞰する意識

  決まった首の位置、

  を作りつつ、聞香風紐解き呼吸法を行いました。


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 一日を通し、脳裏によぎったのは

 「くれてやる」と「つけて待つ」

 「くれてやる」から「つけて待てる」

 「つけて待つ」ために「どれだけくれてやりつつ動けるか」

 これって「ロッキングチェア」と「脱力と伸展」です。

 ずっと「待つわ♪」が頭に流れていたのが印象的でした。

 「つけて(くれて) ま~つ~わ いつまでも ま~つ~わ」

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 (参考)
  「体操についての自己指針」
  「呼吸と精神」
  「一足一見」

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by cute-qp | 2014-04-28 00:00

 呼吸に伴う、身体や意識の「脱力」と「伸展」の感覚

 身体を拘束する「思い込み」や「意識」の発見

 「不用な緊張」の解除や「関節」の開放

 身体の各部位の「独立性」と「再認識」

 関節を中心とした「相対バランス」の感覚と協調(カックン連動)

 関節や要所にある「隔壁(膜)的部位」の発見と呼吸との関係、連動

 (足・体幹) 足底腱膜と足芯⇔膝窩(ひかがみ)⇔骨盤底筋⇔横隔膜⇔声帯⇔硬膜

 (手指) 下半身⇔横隔膜⇔声帯⇔硬膜
                 ⇕
            腋窩(腋下筋群)⇔肘窩⇔手首⇔労宮⇔指眼

 (全体) 六方円・六面(膜)力
       天⇔人⇔地(三才)

 全身にある「クレニオセイクラルリズム」の視点

 身体の機能的再統合(身勢の構築)

 今、「足底腱膜(足の内)」や「労宮(手の内)」と「肚」の関係が面白いです。


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by cute-qp | 2014-04-24 00:00

「呼吸と精神」

 日曜の研究会は「体操」について取り上げてみようと思います。

 年間スケジュールの各メニューの節目に、

 自分なりに取り組んだ「纏め」をする様にしています。

 勿論「原作者」の意図を全てくみ取れる訳はありません。

 しかし、出来うる限りその「ストーリー」や「意図」を斟酌し、

 今の自分に出来うる解釈で纏めておきたいと思っています。

 演劇の「演出家」やオーケストラの「指揮者」の多くは、

 何がしかの「こだわりの原作」があり、

 これを何年も掛かって「解釈」、「工夫」されています。

 「どこまで原作を追求できるか?」

 「それによって自分を高められるか?」

 そこに多分「魅力」や「意味」があり、

 「自分の作品」に生きるものがあるのだと感じています。


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 先日、長堀教室で「香と姿勢、呼吸」を体験させて頂き、

 香の「焚き番」をさせて頂きました。

 とは言え、その知識も経験も全くございませんので、

 互助会で頂きました「電子香炉(「香気療養」)」を使わせて頂きました。

 ただ、不思議なことに

 様々な香を焚き、自分の呼吸と姿勢、精神が身の内から整い、

 場の雰囲気が出来上がって来ると、

 直観的に、

 「どの香木片をどう配置すれば良さそうか?」

 「この香木ならどの位の温度が適当なのか?」

 「(皆さんにお廻しする内に)どの辺で香りが変化するのか?」

 「皆さんの体調変化や精神状態はどうなのか?」

 「その為に、火加減をどうするか?」 など

 その捉え方の正しさはさておき、

 それとなく察知し、気配り出来るのが印象的でした。

 多分、この「精神状態」が大切なのだと思います。

 お陰さまで「身の内から呼吸する」ことを「感覚的」に体験し、

 そこから生まれる、貴重な精神状態に触れさせて頂きました。

 身が整えば、「直観」が働くとは本当です。

 特に「感じる力」と「想像力」が沸いてくる気がします。

 「感応力(観音力)」でしょうか?

 凄い体験が出来たと思います。

 これは私にとって大きな事だったと思います。

 そして、香道にて本物の灰や炭を使い、

 様々な種類の香木を焚くとなると、

 誠に繊細な感性や経験、技術が必要なのだと推察出来ました。

 恐れ入りました。

 
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 体験した感覚や直観を説明出来ませんが、

 「嗅覚」について少しお話いたします。

 「視覚」や「聴覚」などが視床や大脳皮質を経て大脳辺縁系へ達するのに対し、

 「嗅覚」は嗅神経から直接、大脳辺縁系へ入ります。

 よって「嗅覚」は五感の内、最も原始的・本能的な感覚と言われ、

 ダイレクトに感情や本能を支配する脳に作用します。

 また、感覚信号は大脳辺縁系から視床下部、下垂体へと伝わります。

 視床下部は「自律神経」の最高中枢と呼ばれ、

 生命活動に欠かすことのできない体温や水分、血圧、睡眠、

 消化や呼吸など様々な働きの調整を行っています。

 更に、視床下部は下垂体とも密接な連携をとり、

 各ホルモンの分泌量や時期をコントロールし、

 各臓器に働きかけて生命維持の安定に大きな役割を果たしています。

 香りが「治療」や「癒し」になるのも納得できますね。


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 (参考)
  「健香呼吸法」
  「あくびの稽古と観音力」

 バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
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by cute-qp | 2014-04-22 00:00

「一足一見」

 「手の内」における妙と呼べるものに「文を切る」がある様に、

 「足の内」の妙は「ロッキングチェア」ではないか?と思います。

 そして、この両者の間に「共通性」と「関連性」、「役割分担」を感じます。

 例えば「相掛かり」で「文を切り」つつ「合し打ち」に臨む際、

 両者の関連が「全身の協調」や「呼吸」、「拍子」や「間積もり」を決め、

 「一足一見」や「西江水」、「水月」の意識に繋がる様な気がしています。

 その「ロッキングチェア」に注目するに当たり、

 「重心の芯出し」

 「ベクトルの形成と位相」

 「足芯呼吸」 が重要ではないか?と思っています。
 

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 (参考)
  「呼吸とロッキングチェア」
  「私の真(武)・善(医)・美(舞)」

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by cute-qp | 2014-04-11 01:30

 「定歩(その場)」で行う「体操」などでは、その本質が見落とされがちですが、

 「歩法」など、状況に応じ「重心移動」しながら、適宜「芯出し」する運動にあって、

 「ロッキングチェア」がとても大事だと感じさせられます。

 それは「屈伸」などによる、単なる「シーソー・振り子運動」ではありません。

 何故、「歩法」は「無足(蹴らない)」で行えるのでしょう?

 それは、下半身を中心にベクトルを形成し、

 その相対性を更に「重力」と関連付け、

 「釣り合い」で「芯」を立てたり、

 「不釣り合い」を引き出して移動したりする為です。

 この「力」は「透明」で観えません。

 だから、昔の人は「無足」と称したのでしょう。

 「観えない力」は「自らの芯」となり、

 その「呼吸の力や質」に応じ、

 「足底」から「西江水」へと湧き出て、

 「芯」を支えるベクトル(「身勢(二星・嶺谷)」)を形成しながら全身を貫き、

 そのバランスを都度、変化・位相(「立替」)させます。

 「呼吸」と「ロッキングチェア」がその起点・基本なんでしょうね。

 「剣」や「相対稽古」は、その「観えない力」を感じさせてくれる練習です。

 それを「呼吸」と「ロッキングチェア」でどう表現して行くか?

 「体操」や「歩法」、「剣メニュー」にそのヒントがあると思われます。

 試しに、「体操」を全て「呼吸」と「ロッキングチェア」の視点で観て行って下さい。

 各メニューの求める事柄と、

 全体的に目指す所が観えて来るはずです。

 「ロッキングチェア」が腑に落ちず、

 「立替」や「ベクトル」は分かり様がありません。

 表現したい側面が異なるだけで、全て同じですから。


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 バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
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by cute-qp | 2014-04-10 02:00

 剣に取り組むに当たり、

 去年からの「歩法」の稽古がかなり効いている気がします。 

 丁度、10月からアルゼンチンタンゴを始めたこともあり、

 なかなか取っ付き難かった「歩法」の大研究がスタート。

 「最低、この程度位は出来るでしょ」...そう思った部分の崩壊から始まり、

 「ただ、歩く」ことに毎回、数時間を掛け、 

 「観照塾」の「歩法・剣メニュー」の枠を超え、

 かなりの数の個人メニューが産まれました。

 その過程で、様々なことに気付き、体現出来る様になったことも多く、 

 それに応じて、メニューは常時、更新され、進化しています。


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 タンゴでほとんどの女性が仰るのが「歩くだけで愉しい(心地良い)」と言うこと。

 当初、初心者の私にはそれが良く分かりませんでした。

 間が持ちませんし、そもそも「3分×3回歩くだけで何が愉しいの?」と。

 実際、ほとんどの男性、プロでも「ステップ(足形)」に終始します。

 でも、ショーでもない限り、女性はそんなことを望んでおられず、

 「アブラッソ(抱擁:繋がり)」

 「曲想表現」

 「カミナータ(歩法)」 と仰います。

 「女性と男性の嗜好の差かな?」と思っていました。

 ところが「歩法」に取り組み続けたある日、気付きました。

 「これは面白い、凄いって」

 的確な「重心移動」や「芯出し」、「立替」が出来て来ると、

 「足底」から全身に「音楽」と「女性の状況」が溢れんばかりに入って来ます。

 すると「外見上、ただ歩くだけ」で、

 「体内操作・内面的には凄く豊かな表現」になり、

 「意識」は内外に冴えわたる。

 所詮、「足形」はその延長線上だと気付きました。

 以後、日常の歩きがそのまま稽古や愉しみになりました。


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 私は「武術(体術+剣術)」・「医術(自己管理・施術)」・「舞踊(踏):ソロ・ペア」

 この3つが兼ね合う事を理想としています。

 「武」と「医」は良いとして、なぜ「舞」?

 実際、その関係・ご縁は深く、

 世界には「ダンス」の中に「武術」を隠し伝承して来たものや、

 「舞」を武術の「型」にしたものなどがあります。

 また、古今東西、多くの武術家が舞の名手であったり、

 舞の名手が武術の印可を得ている場合も多いのです。

 更に、マクロな視点で観ると、

 この3つは各宗教での「神事」や「人間の精神性」へと繋がります。

 私の中での「真(武)」・「善(医)」・「美(舞)」と言う事なのかもしれません。

 うまく説明出来ませんが、そこに拘っています。


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 その意味で、私の意識する人物に「金春七郎」がいます。

 その昔、新陰流の柳生石舟斎と金春流の金春七郎は、

 それぞれの流儀における奥儀の「西江水」と「一足一見」を交換教授し、

 それぞれの流儀を深め、完成させたと言われています

 この「一足一見」とは何なのか?...良くわかってはいません。

 が、何となく今回は感じるものがあります。


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 ちなみに、縁あって、たまたま学んだ「仕舞」も「タンゴ」も「歩行の芸術」と呼ばれます。

 究極は同じなのだと感じました。

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 「歩法」はなかなかに取っ付き難いです。

 しかし、間違いなく「歩法」のベースなしで「剣術」は観えて来ません。

 それがなかなか周囲に伝わりません。

 自分も長い間、悪戦苦闘した訳ですから当然かもしれません。

 教える方からしても一番教え難い様に思います。

 なので、教え方や切り口も考えて練習して来ました。

 仕事柄、患者さんの足を意識するからです。

 とても勉強になりました。


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 (参考)
  「柔術整復の復興」
  「歩行の芸術 ~先ず、足元から~」
  「最大公約数」・「最小公倍数」

 バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
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by cute-qp | 2014-04-01 00:00