過日、ご案内致しました通り、この秋、10月末に「春風堂♪ センタリング呼吸法セミナー」を開催させて頂く運びとなりました。

 これまで、「合気観照塾」と「呼吸法中心塾」のスタッフとして学ばせて頂きながら、現在、
「バランス運動療法 春風堂♪」として「センタリング呼吸法」と「バランス運動療法」を軸に
「治療」と「運動処方」を行わせて頂いています。

 そして、この度、「自己管理・観照・創造法」として「センタリング呼吸法」のセミナーを
行う運びとなりました。

 これまでも申し上げました様に、「美容と健康、夢の実現」には「少しの努力と創意工夫」
が必要
だと春風堂は感じています。

 なぜなら、私達にはそれぞれ異なった「癖」や「動作」、「感性」や「経験」、「夢」や
「目標」があり、その為の「問題」や「課題」が私達の日常に根付いているからです


 だからこそ、私達自身の「日常レベル」から、自分に見合った「やり方」を、日常の中
から1つ1つを「自己創造」して頂く事が「大きな鍵」
となります。

 その為の「モノの見方や感じ方」、「身体の動かし方やセンタリングの方法」を人間活動
の根本である「呼吸」と「センタリング(バランス運動)」を軸にレッスン
させて頂きます。

 日  時 : 10月24日(日)午後1:30 ~ 3:00

 場  所 : 大淀コミュニティーセンター
        〒531-0074 大阪市北区本庄東3-8-2
        地下鉄谷町線・堺筋線、阪急「天神橋筋六丁目」下車 徒歩8分
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 募集人数 : 5名(先着順で締め切らせて頂きます:見学は出来ません。)
        定員に達しました。ありがとうございます。
        
 会  費 : ¥3,000-

 スタッフ : 現「観照塾・中心塾会員」で「健康維持互助会」のK元・KM両氏が皆様をアシ
        ストさせて頂きます。

 ★ 参加ご希望の方は、ご氏名・ご住所・ご連絡先を明記頂きまして、cute-qp
    **@excite. co. jp(左記の**は抜いて下さい)までお申し出下さい。


 尚、来年に「定例セミナー」も企画中です。

 皆様とのセッションを愉しみにしております!!
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 バランス運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂   
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by cute-qp | 2010-08-28 00:00 | お知らせ

 昨日、K野先生をお訪ねしました際、小筆で指遣いとバランスを見せて下さいました。

 長く筆に親しんで来たはずなのに、私は全く、筆のバランスを取る事が出来ませんでした。

 根本的な認識を誤っていました。

 暫く悪戦苦闘した後、何とかバランス感覚が出て来ました。

 感覚が変わると観えるものが変わり、その目で先生の施術を拝見しました。

 手は人間の「運動器官」、そして「感覚器官」として最も優れた部位で、脳において「創造
性」を司る「前頭葉」とも密接な関係を持ちます。

 その「運動」と「感覚」が開かれて行く時、単なる「皮膚感覚」の意味での「触覚」ではなく
、視覚・聴覚・味覚・嗅覚などを統合する「触覚」が変わり、広がって行き来ます。

 そして「触覚」の拡大は「自分の意識する世界の広がり」となり、「創造性」も必然的に広が
りをみせます。

 従いまして「手を鍛える」事は単に「器用になる」事ではなく、「感覚を鍛える」事なんだと
思います(反面「手を酷使したり」、「無理に鍛える」事の結果は...推して知るべしです)。

 古今東西の「赤ちゃん教育」においても「手の運動」が重視されるのはそう言う理由がある様
です。

 参考に、大脳生理学者の久保田競の著書の目次を掲載させて頂きます↓。
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             叢書・脳を考える 手と脳 ― 脳の働きを高める手   

 第1章 手は外部の脳である
     手にみえる生活史
     手は外部の脳である
     ヒトの手の構造
     「つかむ」と「つまむ」
     手と脳のつながり

 第2章 感覚器官としての手
     手は感覚器である
     手の感覚受容器とはなにか
     最も敏感な皮膚が手である
     手の感覚はどのように伝わるか
     体性感覚野とはなにか
     頭頂連合野とはなにをするところか
     乳幼児の体性感覚

 第3章 手はどうして動くか
     赤ちゃんの「にぎにぎ」
     手は感覚情報から手の運動へ
     手の反射には二種類ある
     運動野はなにをするところか
     手を動かす経路を探る
     脳の機能局在の発見
     手の随意運動と運動野の活動
     運動の前にある運動準備電位

 第4章 脳の前頭前野と手
     前頭前野とはなにか
     前頭前野を失ったサルの話
     前頭前野に障害をうけた人間の話
     前頭前野の機能局在
     前頭前野はどのように活動しているか

 第5章 手の器用さ
     器用さとはなにか
     反応がはやいこと、おそいこと
     運動の学習と年齢
     運動能力と起用さ
     記憶障害者の運動学習
     赤ちゃんの運動学習
     運動単位には二種類ある
     運動の訓練効果をあげるには

 第6章 利き手と脳
     手の分業、右利きと左利き
     脳の左右差
     脳の言語優位と利き手
     利き手は遺伝するか
     言語脳と空間認知脳
     左利きの人は優秀か
     左利きの人の言語脳
     利き手はいつごろ始まるのか
     動物の「利き手」
     手を使い分けようう

 第7章 手と脳の進化
     手が先か、脳が先か
     手の化石と石器
     脳の大きさのもつ意味
     大脳化商とはなにか
     化石人類の脳
     サル類の道具使用
     狼少女「アマラ」の手
     手と脳の将来を考えてみよう

(参考)
 「人間の感覚」と「触覚の本質」
 「意識」についての「走り書き」
 くぼけんブログより 「施術基礎講習会」
 寒天好きの秘密基地より 「手創りレシピ」
 治療家になるためにより 「やりたい事、出来る事」

 バランス運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
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by cute-qp | 2010-08-26 00:00 | バランス運動療法・調整法

意識による運動

 「触感」や「響き」から思うと「治療」も「柔術」も「発声」も、全て「意識による運動」
だと感じます。

 その纏めなど。

 身体動作は意の外的表現に過ぎず、運動は「意識を以て」が必要です。

 「意識による運動」には「体内・神経的活動の過程」が内在されており、それが「表現」や
「態度」・「雰囲気」として現れます。

 「意識」で筋肉を動かし、そのうねりが「気(内的作用・運動)」を運び、「勁(力の使い方
・ベクトル)」として伝わります。

 「神(意識の発動)」は目から出て来ます。

 「目の表情」≒「顔の表情」(気持ちが表情を形作る)≒「雰囲気」

 「内意外神」・「用意不用力」

 「雷」の「光」が「神」、「音」が「気」、「電気」が「力」。

 「意」が達すれば「気」が達し、「気」が達すれば「勁」が達する(「内三合」・「電撃雷飛」)。

 「意識の伝達段階」↓

 「ワイヤレス」→「ダイアル・アップ」→「ADSL」→「光通信」→「意識先導の光通信」
(「意識」は「光」よりも早い:「雷」)。

 「意念」は「より正確な意識の認識」の元、「より正確な経路・ベクトル」で「より正しく
発露させる」事でその真価・精度を発揮する(「ワイヤレス」では正確性も再現性にも欠ける)。

 「自分の認識する世界」=「自分の世界・世界観」

 「アクティブタッチ」する事で意識・認識出来る臨界を広げ、「自分の世界を広げる」

 「自分の内的意識の広がり」=「自分の外的感受性の広がり」

 自分の内外を「引きと攻め」して繋ぎ、バランスさせる。

呼吸を盗む・息を掴む

 「発声」のレッスンにも様々な「段階」や「要素」があり、私の状況や成長に合わせてレッスン
を進めて頂いている訳ですが、不器用な私としては、全てM橋さんに模範を示して頂き、その上
をひたすらなぞると言う大変面倒な方法でお願いしています。

 M橋さんが発声される「意識」・「ポイント」・「ニュアンス」・「バランス」・「空間」・
「響き」を克明に、再生してみる。

 合間に今やっている練習の「意味合い」や「方向性」、「テイスト」を確認し、その「息と間」
の「雰囲気」が正確な形となるまで丁寧になぞる。

 感応が始まり、調和し、シンクロ、ユニゾン状態になるまで丁寧になぞる。

 「そうそう、その息(意気)」...そこまで来た時に、なる程と感得する。

 今度は「自分の息遣い」として組み立てて行く。 

 「呼吸を盗む・息を掴む」と言われるけれど、本当にそうだなと感じます。

 相手が「道具」なら、その「道具」と言う存在を目一杯感じながら正しく運動を導く。

 「臨書」なら「文字の形」から始まり、その「雰囲気」や文字を書いた人の「息遣い」を感応
出来そうな域を目指して書いてみる。

 バランス運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂

(おまけ)六合八法拳より「八法」
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by cute-qp | 2010-08-23 00:00 | バランス運動療法・調整法

人間を「形作る」もの

想念は人体を作る彫刻家 「新アダムスキー全集 3」より

 人間とは想念であるという点を明らかにしましょう。人間またはその他の動物のように形ある
肉体を作るためには、その形ある肉体の創造が何者のせいであろうと、創造される前に創造者
はその肉体の″想念による原型″を持つ必要があったのです。人間は思考する実体です。という
のは想念は人間の存在のための刺激的な力であるため、もし人間が考えることをしなければ
生きておられないからです。人間は歩いたり食べたりする前に考えねばなりません。それで、
何を行なおうとしてもガイドとして一つの想念を持つ必要があります。そしてこうした想念
は過去の体験の組み合わせ、他人との交際、または宇宙的印象としてやってきます。

 さて、いかに異なるタイプの想念が現れるかを観察しましょう。もし怒りの想念が心に入っ
てくると、顔付きは変化して怒りを表現します。楽しい想念が起こると顔は楽しくなってくる
などの変化が起こります。これは心中に持っている一つの想念を粘土で形に表現する彫刻家と
同じことです。

 したがって想念とは、それが何を表現しようとも彫刻家のようなものです。想念がみずから
を表現するために顔の表情を作るからです。したがって若々しく健康な、よく均整のとれた肉
体を望む知的実体たるわれわれは、常にそうした想念を持たなければなりません。その原型に
従って肉体を形作るからです。肉体が若さを保とうとすれば、特に宇宙的な線にそった新鮮な
想念が重要です。

人間は活動する想念 「新アダムスキー全集 11」より

 いずれにせよ人間は活動する想念です。彼は考えないかぎり動けません。彼は最初、創造主
の意識内の想念でした。創造主に思い描かれ、形作られ、息を吹き込まれたのです。そして今
や彼は歩き回り活動している想念です。彼は考えないかぎり生きられません。彼が考えるのを
やめるときはです。人間はまさしく想念なのです。

 そして、皆さんが自分の意識で知覚しうる生命の意識が存在していない場所がどこにあるで
しょうか。どこにもありません! ということは、皆さんは、同時にあらゆる場所にいるとい
うことになります。それを自覚できるかできないかは、皆さんの心の波長を、どんな波動に合
わせるかで決まってきます。それがすべてです。皆さんは一つの周波数帯にのみ波長を合わ
せていたのでは決して宇宙と1つにはなれません。でも、皆さんは、あらゆる周波数帯に波長
を合わせることができます。そうすることによって、全宇宙を皆さんのところに引き寄せるこ
とができます。そうです、皆さんにはそれができるのです!

人間は意識そのもの 「新アダムスキー全集 11」より

 皆さんは、はるかかなたの場所まで、どれはどの速さで移動することができるのでしょう。
意識が移動できるのと同じ速さです。では意識はどれほど遠く移動できるのでしょうか。皆
さんは今、意識になることができます。例えば、皆さんがスイスあるいはローマからこのカリ
フォルニアにやって来ているとしましょう。そこで皆さんは、アメリカに向けて旅立った港な
り駅なり空港に、意識的に、どれはどの速さで戻ることができるでしょうか。それはまさに一
瞬です! とても時間を計っている暇などありません。あっと言う間にそこに行ってしまいま
す。

 意識はいかなる限度も、いかなる距離も知りません。それはすべてを包み込んでいます。な
ぜならばそれは創造主そのものだからです。そして皆さんはその意識なのです! 

 (中略)

 この地球が生んだ、マルコーニやバーバンクその他のあらゆる偉大な科学者たちは決して心
には頼りませんでした。彼らはもちろん心を用いていました。しかし彼らは意識に頼っていた
ために、真実を自分たちのもとに引き寄せることができたのです。バーバンクはそのことを明
確に語っています。彼は意識を神と呼んでいます。

 もし皆さんが、神という言葉が好きであるならば、意識はまさしく神に他なりません。自然
のすべてが具現化している神です。神について学びたいのなら自然を観察することです。それ
以上に良い方法は1つとして存在しません。なぜならば、自然は神の作品だからです!

真の瞑想とは何か 「新アダムスキー全集 12」より

 何かがきわめて活発に動いているとき、我々の感覚器官は-ときには装置類でさえ-その
動きを感知できないことがあります。そんなとき我々は、その何かが完璧な停止の状態にあ
ると錯覚する傾向にあるのです。

 瞑想を行なっている人々の多くも同じ錯覚におちいっています。彼らは完璧な静寂の中に
入ろうと努力しますが、そんなことは到底無理です。心に考えることをやめさせることなど
絶対に出来ないのです。

 皆さんが瞑想しているとき、実際にはこんな状態にあるのです。そのとき、皆さんの個人
的な興味や願望などは、すべて心から排除されています。つまり、そのとき皆さんの心はニ
ュートラル(中立)の状態にあるわけです。

 そして実は皆さんの心がニュートラルな状態になるとともに、皆さんの心のスクリーン上
を無数の想念が通過し始めるのです! そのとき皆さんは、それらの想念を白分か観察でき
ないからといって気にする必要はありません。それらの想念はとてつもないスピードで通過
して行くのですから-。皆さんの心はそれらのすべてを捕らえることが出来るようには仕込
まれてはいません。ですから、それでよいのです。どんどん通過させてしまってよいのです。

 ただ皆さんはそのときに皆さんが認識する必要のあるいくつかの想念は、うまく捕らえる
ことができます。なぜならば、それらは通過するスピードをほんの一瞬ではありますが、そ
こで立ち止まることさえするからです。そしてもちろん、それらの想念もすぐに立ち去って
しまいます。これが真の瞑想です。

 ↑以上、引用終わり。
 ↓コチラはホログラムです。無数の光が立体的に像を結び、1つの画像が空間に浮かびます。
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 人間の身体と意識もこんな感じじゃないかな?と感じる事が多くあります。

 「悲しい気持ちが観える腹痛」や「怒りを抑えた様な腰痛」、「懸命頑張る様な歪み」
...身体を拝見しますとその背後にその方の意識のベクトルや像を感じます。

 そして、施術しながら、その意識の方向が変わった瞬間、身体のバランスが劇的に変わる
風景をいつも拝見しています。

 その為にも、先ず、自分から、出来うる限り「万事機嫌よく」でいたいと思っております。
 
 さて...3回に渡り、アダムスキーをピックアップして特集してみました。

 この他にも興味深いお話は幾つもございますが、スペースと私の主観・方向性との関係上
、その一部をチョイスさせて頂き、アダムスキーの「キーポイント」として3項目に分けて
ご紹介致しました。

(参考)
 「人間の感覚」と「触覚の本質」
 「感応」と「意識」

 バランス運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
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by cute-qp | 2010-08-18 00:00 | バランス運動療法・調整法

「感応」と「意識」

母親が感じる不思議な現象こそテレパシー 中央アート出版「新アダムスキー全集11」より

 子供を孕んだ母親は、ときおりある特殊な食べ物をむしょうに食べたくなります。なぜな
ら、それは母親の体内の赤ん坊が必要としている特殊な栄養を補うためなのです。

 また赤ん坊は母親の体内で体の向きを変えるとき、「ママ、体の向きを変えるよ」とは言
いません。しかし母親は赤ん坊が体の向きを変えることを前もって知っています。いったい
どのようにしてそれがわかるのでしょうか。

 さて、ここで非常に重要なポイントにさしかかっています。母親はおそらく「私はそのフ
ィーリングが起こった、なんとなくそう感じた」と言うでしょう。

  それこそが「宇宙の言語」として知られている声なき言語なのです。それは創造主があ
らゆる物に語りかけるときに用いる言語です。それと同じ言語を用いて、母親の体内の赤ん
坊は体の向きを変えるつもりであることを母親に伝えたわけです。それはこの世界では「テ
レパシー」または「予感」などと呼ばれています。それを何と呼ぼうと問題ではありません。
とにかくそれが創造主の知っている唯一の言語なのです。あらゆる生物はこの言語を知って
いるのですが、人間だけは知りません。

テレパシーとは何か 中央アート出版「新アダムスキー全集12」より

 たとえば私は今自分か考えていることを話しているわけですが、それらの想念は、最初は
「印象」として私にやってきます。つづいて私はそれらに音を与えます。そのようにしてそ
れらを表現するわけです。その結果、皆さんは私の考えを知ることができるわけです。私が
そうしなければ、皆さんはそれを知ることができません。なぜならば、皆さんが聞くことの
できるのは音のみだからです。皆さんが音に波長を合わせているからです。ですから私は自
分の想念に音を与えねばならないのです。

 でも、もし皆さんが、より高い振動数を持つ「印象」に波長を合わせていたとしたら、私
は自分の想念を音なしで、そしておそらく音を用いたときよりもずっと明瞭に皆さんに伝え
ることができるはずです。そのとき皆さんは私が考えていることを静かに受け取ります。印
象、あるいはフィーリングとしてです。皆さんはそれを、直感、ひらめき、あるいはその他
、どんな名前で呼んでもかまいません。ただし最近は一般にそれを「テレパシー」と呼ぶこ
とが多くなってきています。そして自然界の万物がそれを活用しています。ですから、皆さ
んが、それを応用したならば自然界のいかなる物とも、花や鳥その他のいかなるものとも、
会話することができるのです。

 皆さんは、木の年齢を知るために、それを切って年輪を調べたりする必要は、本当はない
んです。皆さんを遥じて流れているのと同じ英知が、本を通じても、その植物の生命を通じ
ても、異なったレベルではありますが活動しているのです。

 皆さんはそのように作られているのです。ですから皆さんの英知あるいは、皆さんを通じ
て英知が表現できるものには限界というものがないのです。

 皆さんはちょうど、ヴァイオリンのようなものです。あるヴァイオリンは、ひどい音しか
出せないかもしれません。皆さんはどんなに質の高い感覚を持っていても、そのできの悪い
ヴァイオリンでは、自分のその感覚を表現できません。でも、もし皆さんが、そのヴァイオ
リンを改良するための努力を粘り強くつづけたならば、それはやがて言葉では表現できない
ほどの深い感覚を表現できるようになるでしょう。そしてその表現された感覚が、おそらく
他の多くの人々を感動させることになるでしょう。

 皆さんは、いわば楽器のようなものなのです。そして皆さんは今、自分の楽器である肉体
を進歩させようと努めています。それをハイレベルの印象の数々が通過できる状態に、つま
り、それらの印象が皆さんを通じて、それら自身を表現することができる状態に高めようと
しているのです。

 その質の高い印象、すなわちフィーリングをどれだけ受け取り、表現できるかで、皆さん
の進歩レベルが決まります。ただしそのフィーリングは、やはり皆さんの「自分自身」であ
り、あの「意識」にほかなりません。

 フィーリングとは、何かに気づいている心の状態です。皆さんは、ハイレベルのフィーリ
ング、つまり「意識」を通じてもたらされるフィーリングが得られるようになることで、以
前には気づかなかった何かに気づくことになります。それは常に静かにやってきます。それ
は、いかなる音も伴っていません。音楽も鳴らなければ、ラッパの音も聞こえません。生命
の本質は常に静かなのです! しかしそれは、心の中に、皆さんがこれまでに聞いたどんな
雷鳴をもはるかにしのぐ振動を引き起こします。しかもそれは決して停止しません。決して
動きを止めません。生命は決して死ぬことがないのです。それは死ぬことはできません。も
し死んだりしたら、生きることができないからです。

花に呼びかければ動く理由 中央アート出版「新アダムスキー全集12」より

質    問 それは自由意思によって可能になることなのですか?
アダムスキ- もちろんです。あらゆる生命体がそれを持っています。その程度はそれぞれ
       異なってはいますがね。それぞれが異なった奉仕をするために存在している
       からです。
 
       たとえば、植物を考えてみて下さい。我々と植物との違いは、植物は我々と
       追って自由に歩き回ることができないという点だけです。もし機会があった
       らぜひ試してみて下さい。植物に話しかけてみるのです。そうすると、植物
       はきっと皆さんに答えるはずです。すぐにはうまくできないかもしれません
       が、何度も試みているうちに、きっと皆さんもできるようになるはずです。

       もし皆さんが特定の花に「こちらに顔を向けて下さい」とお願いしたならば
       、命令するのではなく、お願いしたならばです。我々はどうしても命令した
       くなってしまいますが、それではだめです。人間に対するのと同じようにお
       願いするのです。そのようにしてお願いしたならば、何度か試みているうち
       に、それはきっと答えてくれるはずです。自分は人間に向かって話している
       と信じるのです。そしてさらに、その植物が皆さんの話を理解し、それ自身
       の意思で皆さんに答えるということを信じることです。そうすれば、その植
       物はいつかきっと皆さんのほうに顔を向けてくるでしょう。

↑以上、引用・掲載終わり。

 野口晴哉先生が「逆子」を「君、逆さまだよ」と語りかける事で対処した...そのエピソー
ドを彷彿とさせる内容です。

 そして、どちらも「だからこそ!自他の”潜在意識”と”どう向き合うか?”」をテーマ
にされています。

 同じ事を違う個性が異なる立場や切り口から違った表現しているのですね(ミルトン・エ
リクソン先生も然り)。

 アダムスキーの場合、自分自身を良く見つめ、その「心(欲求や思い込み、知識)」で
なく、「意識(感じる・湧き起こる感覚)」で生きる事を第一に考えている様です。

 その為、「自分の想念を記録する方法」を提唱されています。

 しかしながら、この方法では余りにストイックになり過ぎ「ヒステリー」など「心の
魔境」に入る人も多い様です。

 春風堂の個人的な感覚や感想で申し上げますと、それこそ、アダムスキーが述べる様に
、今自分が想い・感じた事を先ず「触覚」で意識し・感じてみる。

 そして、感じたまま、何らかの行動を起こしてみる。

 その感受したものからの「選択」をまた「感じて」みる。

 すると、「結果」は「明確・明白」に出て来ますので、その中から「素直」で「良さげ」
な「経験」や「感覚」を積み重ねる...そうしますと「意識」が語りかけるものか?段々と
分かって来る様に感じています。

 私も最初の頃は不思議だったのですが、「頭でこう!」とある選択をしていながら、無
意識に「独り言が違う選択を語っていた」経験がとても多くありました。

 結果、「独り言」の選択は100%無難でした。

 以後、その「触感」を大事にしています。

 バランス運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂

(参考)
 「人間の感覚」と「触覚の本質」
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by cute-qp | 2010-08-16 00:00 | バランス運動療法・調整法

 中央アート出版「新アダムスキー全集2」より↓

 一般人が信じているところによれば、人間は五つの感覚、すなわち、視覚、聴覚、味覚、
嗅覚、触覚を持っているといわれており、そのいずれも他の感覚から独立して働く能力を
持つことを私たちは知っています。私たちは聴覚、味覚、嗅覚などを用いないで物を見る
ことができますし、酸っぱいものと甘いものを区別するのに聴覚、視覚、嗅覚は必要あり
ません。
 耳、目、口などの助けをかりなくても鼻はりっぱに働きますし、音声は聴覚器官によって
感受することができますので、他の三つの感覚は不要です。以上はみな四つの感覚器官
がそれぞれ独立して働くことを立証しています。

"感じ"を生み出す触覚は基本的生命力

 そうすると、いわゆる第五感とは何でしょうか? 私たちが視覚、聴覚、嗅覚などでや
ったように、もし人間から触覚を取り除いたら、ただちにどんな結果になるでしょうか?

 その人は無意識になり、触覚が回復するまでその状態をつづけるでしょう。この状態に
あるあいだも、各感覚器官は肉体の中にあって完全な状態を保っています。こうして目、
鼻、口、耳などは無傷のままにあるにもかかわらず、それらは見たり嗅いだり味わったり
聴いたりしません。そして、もし触覚が完全に肉体から取り除かれたら本人は死にます。
ですから、四つの感覚器官のどれもその存在を触覚に頼っていることはまったく明らか
です。

 さて、四つの感覚の一つ、たとえば視覚を取り除いたとしましょう。これは肉体内の生
命力に影響を与えるでしょうか。まったく与えません! これをさらにふやして二つ、三つ
、または四つの全部を取り除いたとしても、その人はなおも意識ある生き物です。実際
の感覚器官は機能を果たしていないのですが、本人は喜び、悲しみ、安らかさ、苦痛な
どを意識していて、さまざまの精神的な波動を感じたり、それらを完全に描いたりできま
す。

 テレパシーが働くのは、このいわゆる第五感(触覚)なのです。したがって私たちが触
覚なるものは肉体的感覚だという考えに固執するならば、テレパシーの定義はまちが
っており、科学は軌道をはずれていたということになります。想念伝達、透視、予知、そ
の他不可視の知覚作用にたいしてどんな言葉を用いても、これらの働きは心の協力に
よって脳を通じてあらわれる触覚要素のまったく正常な機能なのです。

 一般に理解されているように、第五感とは触覚から起こる感じでぱなく、接触によっ
て起こる感じであると多くの人が私に注意してくれましたが、これは以上に述べた理論
を変えるものではありません。四つの感覚器官のどれもこの触覚の能力、すなわちそ
れなくしては知覚性のない意識的接触の要素を持っているからです。触感というものは
肉体の神経反応ですが、一方、触覚は基本的な″生命力″です。″感じ″というものが生
み出されるのは、この″生命力″の意識的接触によるのです。

接触の法則で知覚が生じる

 私たちは比較の法則によって物の動きを知ることができるのですが、これは実際に
は接触の法則、すなわち一つの現象面と他の現象面とのあいだの関係です。私たち
はある物体に指で触れるとき、その物体の印象を感受しますが、これは大きな振動と
小さな振動の接触によって作り出される圧力のためです。同じように、私たちは目の
網膜または耳の鼓膜でもって光または音の波動と接触することにより、目に見える
波動または耳に聞こえる波動を受けます。また大気の分子と肉体の細胞との接触に
より、大気の状態や温度の変化に気づきます。これらの例によって、触感というものは
接触による神経反応にすぎないことがわかります。feeling とtouchは事実上同義語
ですから、いわゆる第五感を意味する場合には(原書では)feelingという語を用いつ
づけることにしましょう。

 この触覚の要素、すなわち自己表現のために意識的な状態において反応を示す
能力をもつ英知ある力、いいかえれば、存在する波動の接触すべてを記録する要素
を四つの感覚器官のどれも持りているがゆえに、私たちが認めねばならないのは、
テレパシーはたしかにいわゆる感覚器官の正常な働き以外の何物でもないという点
です。なぜなら受信経路の如何にかかわらず、想念が知られるようになるのは触覚
が経路になっているからです。

 疑問が起こるかもしれません。触覚を持たないで生まれたごくまれな人たちをどの
ように説明するか。この人たちは肉体的苦痛を感じないで、重傷を負っても苦しまな
いではないか。これは本人たちのテレパシーの能力を低下させることになるのでは
ないかと。

 絶対にそんなことはありません。これは神経組織が不完全なためにひき起こされ
たまったくの肉体的状態であって、その人が一本の指が欠けたまま生まれた場合
と同様に、”生命力の働き″すなわち真実の触覚とは何の関係もないのです。視覚、
聴覚、味覚、嗅覚などの感覚器官は右のような人々にも正常に働いています。人間
が苦痛を記録する度合は神経組織にかかっていますから、その組織が鋭敏であれ
ばあるほど苦痛はひどく感じられるのです。

 この不幸な人々は、うらやましい存在というよりもむしろ哀れむべき存在です。な
ぜなら、なにかの異常な状態が起こったとき、自然の配電盤である脳に警報を打電
するために、肉体の全体を通じてたえず見張っている小さな歩哨(神経)たちは私た
ちの忠実な友であるからです。

 たとえば手の中に破片が突き刺さったとしましょう。この歩哨すなわち神経はたち
まち大騒ぎを始め、周囲の組織に異分子が圧力を加えていることを脳に伝えます。
そこで破片を取り除いて圧力をなくしますと傷は治ります。しかし神経が正常な機能
を果たしていないために脳がこの情報を受けとらなかったとしたら、肉体が異分子を
追放しようとしてそのあたりを化膿させるまでは、本人は破片の存在に気づかないか
もしれません。しかしそれは肉体の状態ですから、この神経の感覚の欠乏はテレパシ
ーの感受力とは何の関係もありません。それは瞳の色がどんな色であってもこの感
受力との関係がないのと同様です。

 人間は小宇宙です。したがってその見地から人間を分析してみることにしましょう。

 ↑以上、引用・掲載終わり。

 アダムスキーの著作との出会いは本当に偶然でした。なぜなら、「全く興味のない
分野」でしたので。

 しかし、本屋のある書棚を観て、とても気になったので立ち読みし、一目見て驚嘆。

 以前、素晴らしい著作として、 「ウィリアム・W・アトキンソンの著書について」(セロン・
Q・デュモン:ヨギ・ラマチャラカ...全て同一人物)ご紹介しましたが、それに匹敵する
「簡潔・的確」...感動し、慌てて、K野先生にお話しました(ちなみに、この方も戦前・戦後
にかけての方です)。

 今だからその内容の凄さが分かりましたが、多分、数年前なら「普通過ぎて」分から
なかったと思います。

 多くの「訳本」の傾向ですが、「邦題」は全く頂けません(しかし、訳者である久保田
さんの翻訳は他にない程、「ピカイチ」だと断言いたします!)。

 そのままでは「売る為のインパクトに欠ける」からだと思います。

 直訳すると「テレパシー開発法」...でも、「感応力を開く」と読み替えてみれば極め
て「普通」な事と理解できます。

 「感応」とは、例えば、お母さんが「子供がお腹の中でどんな風に育つか?」その
仕組みは理解できなくとも、その成長を刻々と感じ、出産する事が出来、生まれた
赤ちゃんが「今、何を欲しているのか?」その心で感じる事...それそのものだと思
います。

 ですから、ただ「見る・聞く・匂う・味わう」のでなく、人は、その根本に「触覚」を
持ち、「感応」しているのだと述べている訳です。

 以前、上原大阿闍梨様にも「病の軽重は関係なく、”手当”する事ですよ」とのお
言葉を頂いた事があります。

 この場合の「手当」も「触覚」=「感応」だと思います。

 興味をお持ちの方は全集の「2・3」をお勧めします(纏めとして「7」。ちょっと深入り
するなら「11・12」をお勧めします。それ以外は私の許容範囲を超えていて分かりません)。
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 バランス運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂

(参考)
 「生命における体験の記憶はその身体の細胞内に記録される」
 「小春日和 10/08/13」
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by cute-qp | 2010-08-15 00:00 | バランス運動療法・調整法

「一隅を照らす」

 現在、「健康維持互助会」の相談役と「カスタード会」で指導員として治療家さん達に私の知
っている範囲で良さげな事を実技を交え、色々、お話しています。

 そう申しますとたいそうに聞こえますが、「これは大切じゃないかな?」と思う事を「どれだ
け丁寧に行うか?」...それを「指差し確認」しながら行っている風景を観て頂く機会です。

 ある程度、その時に集まって頂く方をイメージし、ぼんやりとした「テーマ」は意識しますが
、実際、集まられた時の状況と流れで「さて、何をやるのか?」はギリギリまで分かりません。

 皆さんとの掛け合いの中で、「こんなのはどうだろうか?」と湧いて来た「即興」が会の進行
と共に「形」になって行く事も少なくありません。

 「治療」や「運動処方」と同じく「何が出て来るか?」分かりませんし、常に自分の「予想外」
の事しか起こりませんので、常に「奮闘する姿」ばかりです。

 しかし、良い所も悪い所も含め、全て観て頂こうと思っています。

 それが一番「雄弁」で「ベスト」な有り様に思えますし、「真剣勝負」する事は私自身、とて
も勉強になります。

 以下は、この日曜日に拙宅で行いました勉強会につき頂きましたメールです↓

 M岡先生へ

  今日も、とっても体を楽にして頂き、ありがとうございました!

  私は視野を狭めて局所的に見てしまう傾向が強いので、全体を見れるようになりたいと思
 いました。

  体や経絡を立体的に捉える事を体感出来て、凄く良い経験になりました。

  あと、音楽って患者さんと同調するのに大切だなぁと思いました。

  練習中、治療室の音楽がとっても心地よく感じていました。

  練習後に先生が『患者さんのリズムが出てくる』って言われた時に、そうかっ!!と納得
 しました。

  相手に興味をもって同調する。

  その為にも治療家として自分の体を整えていかねば!と思いました。

  上手く表現出来ませんが、一年生のうちに先生に会えていて良かったです。これからも、
 よろしくお願い致します。

  K谷

 ↑以上、引用終わり。

 K谷さんは最近、KMさんがお連れになった治療家の卵さんで、現在、鍼灸学校に通って
おられる主婦の方です。

 それ以前は会社員をしておられたそうで、全くこの業界を知らず学校に飛び込んで来られ
、縁あって「互助会」等に参加されるようになりました。

 メールの通り、既に「観えている」し、感覚も鋭く、当初「初心者向け」勉強会の予定
が急遽、中級以上の内容になってしまいました。

 全く予想外の事でしたが、私は大変面白く、周囲は真っ青状態でした。

 それ以上に、メールを拝見し、自分がやって来た事の方向性や取り組みが今のところ、
間違っていなかった事に安堵し、有り難いと思いました。

 互助会も、どんどん、熱心で優れた方が集まって来て下さる場になって来ました。

 「ハードル」はどんどん高くなって行き、この秋には「センタリング呼吸法セミナー」
も始めますが、やらせて頂ける限り一生懸命学ばせて頂きます!
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         平凡社刊書道全集第十一巻 日本-平安1- より 最澄の書

 バランス運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
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by cute-qp | 2010-08-10 00:00 | バランス運動療法・調整法

 この秋、10月末を目途に「春風堂♪ センタリング呼吸法セミナー」を準備しております。

 これまで、「合気観照塾」と「呼吸法中心塾」のスタッフとして学ばせて頂きながら、現在、
「バランス運動療法 春風堂♪」として「センタリング呼吸法」と「バランス運動療法」を軸に
「治療」と「運動処方」を行わせて頂いています。

 そして、この度、「自己管理・観照・創造法」として「センタリング呼吸法」のセミナーを
行う運びとなりました。

 これまでも申し上げました様に、「美容と健康、夢の実現」には「少しの努力と創意工夫」
が必要
だと春風堂は感じています。

 なぜなら、私達にはそれぞれ異なった「癖」や「動作」、「感性」や「経験」、「夢」や
「目標」があり、その為の「問題」や「課題」が私達の日常に根付いているからです


 だからこそ、私達自身の「日常レベル」から、自分に見合った「やり方」を、日常の中
から1つ1つを「自己創造」して頂く事が「大きな鍵」
となります。

 その為の「モノの見方や感じ方」、「身体の動かし方やセンタリングの方法」を人間活動
の根本である「呼吸」と「センタリング(バランス運動)」を軸にレッスン
させて頂きます。

 現時点で、詳細は、未定ですが概略のみお知らせいたします。

 日  時 : 10月24日(日)を予定 午後1:30 ~ 3:00

 場  所 : 梅田 若しくは 難波 近辺

 募集人数 : 5名程度。

 会  費 : 会場によりますが3千円前後

 スタッフ : 現「観照塾・中心塾会員」で「健康維持互助会」のK元・KM両氏が皆様をアシ
        ストさせて頂きます。

 後日(遅くとも8月末までに)、詳細をご報告させて頂けると思います。

 尚、来年に「定例セミナー」も企画中です。

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 バランス運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂   
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by cute-qp | 2010-08-06 00:00 | お知らせ

 先日、「運動処方」をさせて頂いている水泳指導員のKさんからこんなお話をお聞きしました。

 ある日、クロールの講習で「バランス運動療法」で言う「骨盤時計 3時-9時」を「斜め」に
なって」と指導された所、後日、ご本人の絵が添付されたメールで「こんな感じで”斜め”にな
ってみましたが上手くいかない」旨のメールが届いたそうです。

 その熱心さに感心すると同時に、そこに描かれていた「斜め」がこちらの意図した「斜め」と
似ても似つかず、びっくりしてしまわれたそうです。

 Kさんの「表現の意図」が読み取れましたので、どんな絵であったのか?を教えて頂いたので
すが、確かに、「それでどうやって泳げるのか?」イメージ出来ませんでした。

 実際、Kさんの指導はとても懇切丁寧です。

 しかしながら、「どうしてそう感じてしまわれたのか?」をとても大切に感じました。

 私達はお互いの意思疎通を取る「道具」として、「言葉」を持っています。

 しかし、その「使い方」や「感じ方」は人それぞれです。

 異なる「背景」、「性格」、「経験」、「性別」の元、「感じる」事も、ある人は「直感的」
に、またある人は「感覚的」に、「思考的に」、「感情的に」捉える...イメージするだけで
様々。

 ですから、その方にとっての「斜め」はその絵の通りに間違いない。

 本当に、「捉え所のないもの」だと思います。

 そして...私自身がその事で過去に頭を抱えてしまった事が多くあります。

 「教科書(メソッド・ドリル)通りに行かない」
 「自分の経験や感性が伝わらない」
 「なぜ、そうされるのか想像すらつかない」
 「結局、何をどうして良いか分からない」

 随分と、悩みましたが、結局、私は目の前に展開される物事や人を良く観れていなかった事
に気付きました。

 そこで、「固定概念」や「完璧主義」、「(私の)常識」を捨てて、接する方々の「心と身体
の方向性と可動域」を観る事から始めました。

 「完璧に理解する」...と言うのは不可能ですが、「なぜ、そう言動するのか」をイメージし
、そこから浮き上がって来るものに「新たな視点や方向性、重心」を与えてみる。

 全てが上手く行くとは限らないけれど、何度も何度も修正し、「センタリング」しながら
「良さげ」な所へと「意識」を導いて行く。

 「器用でない」分、とにかく「丁寧に、かつリズム感良く」。

 そこで、「自分も意図しなかった」様な「伝え方」が出て来る事も少なくありません。

 「治療」の時もそうです。

 「気付き」も「回復」も、バランスが「センタリング」された瞬間に「像を結ぶ」のかも
しれません。

 その為にも、日頃、自分自身の「心と身体の方向性と可動域」を丁寧に見据えておかなけれ
ばと思う様になりました。

 先ず、「己」からです。

 バランス運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
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by cute-qp | 2010-08-04 00:00 | バランス運動療法・調整法

 この土曜日、久々にカッパ会(水泳同好会)を再開しました。

 下記は、そのメンバーで、ボイトレの師匠でもあるM橋さんからのメールです↓。

 河童会あとの予定が控えてるにもかかわらず
 ギリギリまでありがとうございました

 久しぶりの参加のため
 普段の練習の癖が取れずたいへん苦戦いたしました

 クロールのフォームにとらわれすぎて
 浮くことから離れていました

 水の中に入るとなかなかイメージどうりに
 動けずもどかしい思いをしました。

 親指、肘、胸鎖関節のつながりは今後も
 じっくり煮詰めて体感していきたいとおもいます
 頭と腕の落ちる方向とそれに乗っていく体の軸が
 途中何度かいい感触があったので今後煮詰めていきたいと
 思います。

 教えていただいた練習内容を充実させるための
 前段階の自己練習内容を考える楽しみも
 いただいたので、いろいろ工夫していきたいと
 思います。

 ありがとうございました。

 ↑以上、引用終わり。

 最近、思うのが、先ず、どの状態でも「如何に浮いていられるか?」...そこに全ての「入り
口」や「鍵」があると思っています。

 左右対称で「伏し浮き」をし、「骨盤時計」の「12時-6時」を行うと「平泳ぎ」や「バタ
フライ」になります。

 左右非対称(骨盤時計の3時-9時)にして「伏し浮き」すると「クロール」に、「背浮き」
すると「背泳ぎ」、「横や斜め浮き」すると「コンバットスイム」や「古式泳法」になります。

 「立位」・「臥位」・「座位」で行う「バランス運動」と原理は全く同じです。

 それを「畳の上」ではなく、不安定な「水」の中で行うので、最初は「心と身体のバランス」
がなかなか「纏まりません」。

 加えて、「頭のてっぺんの方向に動く」事で陸上と「全く違う事」をやっている気になって
しまいます。

 実は、「ただ浮く」事は「精神的な誤解(沈む・呼吸できない)」に気付いて頂ければ
簡単に出来ます。 

 本当に難しいのは「バランス」を取って浮く事...でも、逆に「バランス」と言うものが良く
分かります。

 そして、「推進力」は「手だけの掻き」や「足だけの蹴り」ではありません。

 「骨盤時計」が変換すると身体の中の「質量」のバランスが変化します。

 その変化と「水が私を沈める力(重力)」・「水が私は弾く力(浮力)」との関係性が
「推進力」となります。

 個人的には、陸上よりもその様な「外力」を感じ易く思います。

 それを受け、陸上でも「外力」を感じ、それと兼ね合える様な練習をしています。

 残念ながら、水は「決まった形」を持ちません。

 私達の「個性」・「経験」・「特性」も個々別々です。

 なので、ここでも「バランス運動」で「カスタマイズ」しながらお話しています。
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 バランス運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
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by cute-qp | 2010-08-02 00:00 | バランス運動療法・調整法