「バランス」と「構図」

 リニューアルされた興福寺の国宝館に行ってきました。
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 かの有名な「阿修羅」がおわす場所ですが、私の学生の頃は入場者もそんなにおらず、気楽
に訪れる事の出来る場所でした。

 ところが、ここ数年の創建1300年記念や阿修羅展の影響でしょうか?...平日でももの凄い
人出となっている様です。

 今回は、国宝館がお持ちの宝物や仏像を新しいレイアウト、ディスプレイで公開するとの
ことで、大好きな「八部衆」を中心に拝見する事にしました。

 新しい国宝館には様々な仏像がいらっしゃって、何気なく、その御前に立ち、お姿を「真似」
してみる...その「視線」、その「印」、その「お気持ち」になってみると、色々なバランスに
気が付き「仏教」のシステムや昔の「仏師」達の凄さを感じました。

「デフォルメ」≠「アンバランス」

 さて、こちらは皆様よくご存じの「阿修羅」です↓。
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 実際見てみても、その手の長さは身体に比べ、アンバランスに見えます。

 しかし、「3面体」として、また、本来、持っているはずの「弓矢」や「日輪・月輪」イメー
ジして「引き」の目線で見ると立体的にバランスを保っている事に気付きます。

 元々、有りえないお姿ですが(笑)、そこを「自然」に見せる「デフォルメ」と「バランス」
があります。

 一方、「ん?」と言う事も(笑)。
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                 興福寺 「金剛力士像 阿形」 国宝

 こちらの真似をしたのですが、このバランスでは全身に均しく「力が入らない」のです。

 また、シリーズ化した仏像が数体あったのですが、作った仏師さんの癖なのでしょうか?
全て右半身がアンバランスでした。

「切手」と「構図」

 更に、今回のディスプレイの位置には、見る側に「臨場感ある構図」を引き出せていない
もの?もあって...。

 「しゃがんだり」、「引いてハスに構えて」...「あ、ここだ!」と言う感じ。

 そんな時、ふと、「切手」の構図を思い出す...。

 普段、私達が身近に良く知る「切手」の題材には仏像も多く、ここ「興福寺」の仏像も沢山
採用されています。

 その「構図」の作り方、見せ方が印象深く。

 実際に仏像を拝見する時の「目線」や「構図」と異なるかもしれませんが、あの限られた
スペースに、「切手」を印象づける「題材選び」と「構図」取りがあります。

 その「視点」で実物の前に立ってみると、確かに「臨場感」がある。
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「臨場感」を大切にして

 唐突ですが...皆様を拝見する際も、春風堂は「臨場感」を大切にしています。

 今、どんな感じ・雰囲気か?
 それにはどんな背景・バランス・意識がありそうか?
 そのバランスがどうすれば良い方向へ変化するか?

 その為、数日前のある一瞬のデータ(検査数値)より、今、刻々と変化する皆様の存在をどれ
だけリアルに感じられるか?を大切にしています。

バランス運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
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              春風堂に似ている?との噂の「五部浄(天王)」
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by cute-qp | 2010-04-26 00:00

「モビール」を眺めながら...
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 現在、「バランス運動療法(Balance Movement Therapy)春風堂」のパンフレットには
「マリオネット」や「モビール」の画像を掲載しています。

 1つの「芯」や「重心」を持った幾つもの「自分」が「立体的なバランス」を取って今、刻々
と生きている...その様子をイメージした時、ふと、こう言うものの「たたずまい」が浮かび上が
って来たのでした。

 「風」は「呼吸」でしょうか?

 「センタリング呼吸法 バランス運動療法と呼吸」でK野先生はこんな風に表現されていま
す↓。

 身体のつながり方を、モビールのようなイメージにしてみませんか?

 でも、接点が固定されてしまったらモビールではありません。

 呼吸は風です。風でモビールを揺らせます。

 呼吸することで、身体のバランスを確認し、次にそれを調整します。

 息を吸いながら、体幹部を細くして均一に緊張させます。

 息を吐きながら力を抜き、重力を感じつつ身体の中をつなげます。

もつれた「モビール(自分)」を解く為に

 そう言えば...今朝も泳ぎながら、釣り合いとして「背泳」の腕を上げる位置がおかしい...
プールサイドに上がり、ゆっくりと腕を上げてみたら、前腕と上腕の「重心・芯」の位置が
おかしくなっていて「接点(この場合、関節)」が捻じれて固まっていました。

 そこで、この「バランス」が「どこで芯を持てるか?動くか?バランスするか?」観察...自分
が想像・意識していなかった「位置関係(「深さ」や「バランス」、「位置感覚」)」で自分自
身と繋がりました。

 正に「盲点」。

 そこに繋がりを再構築する為、「少しズラして」息を吐くと、「繋がり」と「運動」が改善し
ました。

 「紐」などがもつれた時の解き方に似ている気がします。

 もつれた部分の「少し緩む方向」を見つけて、ちょっとずつ「ズラし」ながら「芯」を保って
解いていく...。

「バランス運動療法」と「春風堂」

 全身は沢山の「分け目」が「搦まって」、「バランス」を保ち、「芯」を作って生きている。

 その「接点」が固まり「芯」にすり替わると身体に「アンバランス」が生まれる。

 「すり替わる」様にしている「癖」や「固めて使っている部位」は、自分だけではなかなか
弛められない。

 そこで、「固まっている部位」を直接攻めるより、「意識できない」、「使えない」部分を
皆様ご自身が「発見・認識・覚醒」し、これらが「バランスに参加出来る」様に誘導・調整す
るのが「春風堂」の役割であり、「バランス運動療法」の真価だと感じています。

余談

 先日、M橋さんに「ボイストレーニング」をして頂きました。とても面白かった!

 自分自身を「楽器」として、実際に「声」を出してみると...如何に自分の「呼吸」や「体内
操作」が拙かったか?(笑)解りました。
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 「剣」などの道具を持って練習する時、「素手」に比べて「作用反作用」、身体の「ベクトル」
が明確になり、「難しさ」と共に、自分の精度を深く知る事が出来ます。

 当たり前のことですが...「声」は自分の身体の中から出ます。

 それだけに、自分の体内操作が「チューニング力」や「振幅力」になり、「声色」や「声の
響き」、「トーン」、「ハーモニー」として、ダイレクトに出るので「出来不出来」や「実力」
が自分自身に返ってきます。

 想像していましたが、笑いました。

 そこに、M橋さんのご指導が進んで行くと、体内感覚が変わるに連れ、声が出て来る!
 
 「歌ったり踊ったり」はとても好きなのですが、キチンと声が出て来るととても「気持ちが
良い」し「面白かった」です。

 何でも同じなんですね!
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(参考)
 「バランス運動療法 春風堂」
 「バランス運動療法 春風(しゅんぷう)堂 の想い」
 「バランス運動療法 春風堂 プロフィール」
 「小春日和 10/04/12」
 「小春日和 10/04/13」
 「モビールを作ろう講座」

バランス運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
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by cute-qp | 2010-04-24 00:00 | 春風堂のご案内

 相対性の中から生まれる「中心」と「バランス」で野村萬斎さんのお話をご紹介致しました
が、今日はそこをもう少しクローズアップ。

 「狂言サーボーグ」からの引用・掲載です↓

狂言と「腰」

 日本には「腰を入れる」という文化がある。狂言のカマエにも「腰を入れる」という言葉を使う。

 私は一九九四年の九月から翌九五年の八月まで、文化庁芸術家在外研修制度で一年間
ロンドンにいた。シェイクスピアを中心に、演劇の勉強に行ったのだが、教わるばかりでぱ
「ギヴ・アンド・テイク」にならない。お世話になった演劇人にお礼奉公のつもりで狂言を教
えた。

 「狂言ワークショップ」と名付けて狂言独自の演技術を体験してもらったが、カマエなどは避
けては通れない。「先ず膝を曲げて、次に腰を入れて」などと日本語では言えるのであるが
、英語で「腰を入れろ」と直訳しても意味が通らない。そも「腰を入れる」とはどういうことな
のか。

 私が大学生の頃、香港のダンス・フェスティヴアルに参加した。日本の伝統的な「舞」のダ
ンサーとして「三番叟」を踏んだ。諸外国の若手ダンサたちと交流して和やかなものだった。
万人の香港代表のバレエ・ダンサーが人なつっこく話しかけてきた。「君は腰を下に向けて
立っているねぇ。僕らは上に向けて立つんだよ」。

 農耕民族である日本人ぱ、田植えのボーズがキマル。骨盤を下に向けて膝を析ったポー
ズである。お尻の肉を緩めた状態である。重力に洽った形で苗を植えていく。意識は「下
へ下へ」である。今時のクラブにも思わず「腰が入って」踊っているお兄さんお姉さんがい
るに違いない。少なからずディスコと言われていた時代にはいた。

 欧州の狩猟民族は獲物が上にいることが多いせいか、ぱたまた馬に来ることが多いせ
いか、尻を締めて骨盤を上向きにして、「上へ上へ」の意識である。故に劇場もバルコニー
から天井桟敷まである高層型のものが発達し、日本は古来平屋型だとは某ダンス雑誌
編集長の意見である。地震のある国とない国の事情もおるような気もするが、洋舞系の
ダンサーの尻が引き締まっていて良いなどと騒ぐ人がいるのは、彼らが思わず尻を締め
て歩いているからであろう。

 「跳ぶ」ということも実は裏がある。バレエなどは上に向かって跳ぶのだが、能楽では
下に向かって跳ぶ。一見矛盾する言葉だが、跳躍にぱ二段階あって、頂点を境に跳び
上がる部分と、降りる部分がある。

 「上へ上へ」のダンスでは当然跳び上がる方に意識があり、上にいる観客に対して近
付くのだから、演技のヴェクトルとしても有効である。一方観客が舞台の下から見上げる
能舞台では、降りる部分の方が観客に対して有効である。空中で一瞬静止し、岩のよう
に落ちてくる所にその醍醐味を見せる。

 一九九〇年に東京グローブ座で「ハムレット」を主演した。初めての洋物の芝居で、初
めて靴を履いて演技をしたデンマーク王子も「腰が入って」いては様にならない。爪先を
九〇度に開いてお尻を締め、カマエとスリ足を、バレエ立ち・モデル歩きに換えて舞台に
臨んだ。それ以降テレビドラマで赤いスカーフを首に巻き、車を運転する演技もしたが、
私の日常は従来通り、狂言の舞台に「本腰」入れて臨むことである。

 ↑以上、引用終わり。

 バランス運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
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by cute-qp | 2010-04-18 00:00

 今日はコチラからご覧下さい↓。
  
そげる、たわむ、流れる…ワコール、女性の45年追跡
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 日本人女性の加齢による体形変化に「法則」があり、胸の場合は「そげる」「たわむ」「外に
流れる」の順序で進行することが、ワコール人間科学研究所(京都市)の研究でわかった。一
度変化した体形は運動や食事制限などでも戻らないという。

 同研究所は1964年以降、45年間にわたって延べ4万人以上の女性の体を計測。このう
ち50年代生まれの約1800人の計測値などを分析した。その結果、全女性が三つの段階を
経て、体形が変化することが明らかとなった。

 胸では、上胸のボリュームが落ち脇が「そげる」→胸下部が「たわむ」→「外に流れる」。尻
は、下部が「たわむ」→全体が四角い形になり尻の頂点が「下がる」→尻の肉が「内に流れる」。

 順序は全員同じだが胸の方が加齢変化しやすかった。胸の場合は20代から下垂が始まって
いた。胸の変化について同研究所は、加齢に伴い乳腺や脂肪をまとめる「クーパー靱帯(じん
たい)」に負荷がかかり、伸びきってしまうためと説明する。

 また、20代後半が最も体が引き締まる年代で、20代と50代とを比べると、ウエストは
平均10センチ増、体重は5キロ増、50代になると胸と腹部が同じ太さになっていた。

 上家倫子研究員は「若いときの体形を維持している人は、活動的な日常生活を送り、規則正
しい食生活をしていた。普段からこまめに体を動かすことが大事では」と分析する。
(岡崎明子)

 asahi.com ライフ医療・健康健康・生活記事 2010年4月16日より引用掲載。

 この記事を見て「あっ!と」したのは「そげる、たわむ、流れる」と言う表現が「骨盤の扁
平になって行く過程」と同じだということ。
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 骨盤が「立体的なバランス」を取れなくなって「扁平」になると「膝や股関節」の関節の締
まりが無くなり、全身の靭帯や筋肉の衰えが「猫背」、「肩こり」、「o・X脚」、「腰痛」、
「膝・股関節痛」などを引き起こすし、加速させる様です。

 「土台」から崩れて行くのですね。

 記事中にあった「一度変化した体形は運動や食事制限などでも戻らないという。 」...と言
うのは「?」でした(「下着の研究」ですから必然的にそう言う「オチ」になるのかな?)

 確かに、女性は「出産」等の為、身体が「柔らかく・変化し易い」様に出来ていて、男性
と比較して、「靭帯」や「筋肉」の衰え易い様です。

 しかし、「骨盤を締め」、「膝も緩めて締める」ことで、その衰えスピードを「劇的」に
「自分で」コントロール出来るようになります。

 現に、70歳過ぎのご婦人が「ヒップアップ」し「腰のクビレ」が出て来るので、実は、
毎回、びっくりしています。

 顔も「小顔」で「卵みたいにツルツル」になるし...やっぱり「全身って微妙なバランス」
で繋がっているのだな...と想います。

 「たわむ・流れる」⇔「締まる・纏まる」...皆さんはどちらのバランスを選ばれますか?

 バランス運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
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by cute-qp | 2010-04-17 00:00

 自己紹介です。
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資  格: 柔道整復師
       宅地建物取引主任
       消防局 応急手当普及員
       普通自動車免許

特  技: 水 泳 (陸より愉しい:バタフライとクロールが得意)
       武 道 (大東流合気柔術・新陰流・河南派形意拳)
       サルサ (NYスタイル プエルトリコスタイル)
       タンゴ (サロンスタイルのアルゼンチンタンゴ)
        歌  (R&B・ブルース系)
       書 道 (懐素・趙孟頫・比田井天来・橘千蔭が好きです)
       龍 笛 (月夜に吹く笛は気持ちいい)

楽 し み:  「知る」、「気付く」、「発見!」。
       きままに「散歩・散策」し、「人」と出会い、お話すること。
       「温泉」でほっこり、「茶室」でまったり、「ねこ並み」に「日向ぼっこ」。
       生活の中に「音楽」と「本」、「カスタード系お菓子」があること。
       一日中「面白そうなこと」や「美味しそうなもの」、「イタズラ」を妄想すること。
       「愉しく踊り」、「凛と舞う」こと。
       「映画」や「観劇」、「落語」や「スタンダップ・コメディー(どたばた喜劇)」で思いっ
       きり「泣き笑い」すること。
       素晴らしい「職人さん」のお仕事に出会えること。       

想  い:  「万事機嫌よく」。
        「おもしろき こともなき世を おもしろく」(上の句:高杉晋作)
              「すみなしものは 心なりけり」(下の句:望東尼)
        「己こそ己の寄る辺」
        「美容と健康はすべてに優先する」
        「全ては“バランス”」

 日々、ほんの小さいことでも良いので、「面白い!・気持ち良い!・ご機嫌!・元気!」に
過ごせる目標や計画、工夫をして愉しく生活しています(笑)。

 そして、周囲の皆さんも交え「どうすれば愉しく・健康に過ごせるか?」…をイメージし続
け、このお仕事にたどり着きました。

 宜しくお願い致します。

バランス運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
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by cute-qp | 2010-04-15 00:00 | 春風堂のご案内

「春風堂」の名の由来
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  「春風駘蕩」からイメージしました。

  「春風駘蕩」とは景色ののどかな様や春風がそよそよと気持ちよく吹く様、また、温和で
 のんびりとした人柄を言うそうです(「駘蕩」は春ののどかなさま。のびのびしたさま。)。

  「万事機嫌よく」...「人として」かくありたいと思いました。

  そして...「春」に生まれ「春」にスタートします!

「バランス運動療法」について...

  以前、天井にぶら下がっている「モビール」を眺めている時、微妙な重心の「変化」に
 「立体的にバランス」を取っている様子を面白く感じていました。
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  そして、「プール」などに浮かんでみると、自分の身体も「立体的なバランス」を取って
 浮いたり、進んだりしている様に気付きました。

  しかも、それは単なる「バランス」と言うより「身体の中身」が「呼吸」に合わせて「立体
 的なバランス」を取っていました。

  ハッとして...目に見える世界も変わりました。

  私達を取り巻く環境は常に「変化」し、それが「身体の立体的なバランス」や「心と身体
 のバランス」に影響を与えます。

  その影響との「釣り合い(バランス)」が「神業」になったり、もつれて「痛み」や「不調」
 にもなります。

  そこで、「身体の使い方、考え方の癖に気づき、身に付いた癖を取り除く」事で「バラン
 ス」を整えて行く事が大切になってきます。

  その「主役」は「皆様」です。

  「バランス運動療法」は、「センタリング呼吸法」をベースに、「身体」を「入口」、「呼
 吸」を「切っ掛け」として私達の「バランス」を内側から調整して行きます。

免許は取得しているが保険適用しない理由

 ・ 皆様おひとりおひとりに「個性」がある様に、「バランス」にも「個々人」、その「時々」
   の「有り様」があります。
   
   そのひとつひとつに向き合いたいと思いますと「保険適用範囲」を超えてしまいま
   す。

 ・ 「施術時間」に制約が出てきます。

 ・ 「施術」に関する日々の「創意工夫」、「改善」、「目標達成」が出来ないからです。

「予約・紹介制」を採用している理由

 ・ 「一期一会」...一回一回の施術を大切にしたいと想っています。

 ・ 「バランス運動療法」は「施術者」の春風堂と「皆様」の「共同作業」です。

    ゆえに、皆様との「信頼関係」を大切に想っています。

    また、皆様の「治すぞ!」のお気持ちも大切にしたいと思います。

「より良い生活の為に」

 ・ 「柔道整復師」として、「治療」することだけをお仕事と考えておりません。

   皆様の「治すぞ!」をお手伝いする「生活習慣や体の改善」や「愁訴の予防」、

   「運動や技芸の向上」、「目標の達成」の為の「セミナー」や「個人レッスン」

   も行っております。

   よって、「バランス運動療法 春風堂」と称しています。

(参考)
 バランス運動療法 春風堂
 はじめに ~ 春風堂のご挨拶 ~
 呼吸が変わる 姿勢が変わる 生き方が変わる
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by cute-qp | 2010-04-09 22:34 | 春風堂のご案内

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バランス運動療法とは?

・ 私達を取り巻く環境は常に「変化」し、それが「身体の立体的なバランス」や「心と身体の
  バランス」に影響を与えます。

・ そこで、「身体の使い方、考え方の癖に気づき、身に付いた癖を取り除く」事で「バラン
  ス」を整えて行く事が大切。

・ そして・・・その「主役」は「ご自身」です。

・ その「入り口」として、「センタリング呼吸法」をベースに、「身体」をきっかけに「バランス」
  を調整して行くのが「バランス運動療法」です。

施術料
 初診:¥7,000-(約90分)/ 再診 ¥5,000-(約60分)
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by cute-qp | 2010-04-09 00:00 | 春風堂のご案内

 今夜もTHE HIDEN 10/4より成瀬正春先生と苫米地英人先生の対談を引用・ご紹介致
します。今日が最終回です↓。

- 確かに読者も、競技系の武道から非競技系の古武道に変る人は多いですね。

苫米地 どんなにガチンコって言ってもスポーツでしょ? ルールがあって時間制限があって
    、体重制限があるんだから。やっぱりそこには本来の武術との違いが、厳密なライン
    がある。だってただ相手を殺すんだったら原爆が最高の武技ですよ。どんなに稽古し
    たって原爆にはかなわない(笑)。

成瀬 あとは細菌兵器ね(笑)。

苫米地 そういうなかで最後はその原爆さえやっつけられる方法もある。結局、その原爆の
    発射ボタンを押す奴、その権力を持つ奴を支配すれば良いわけだから。それが情報
    空間を支配するということ。だから物理空間のなかの技を徹底的に覚えていくこと
    も良いし、それが役に立つこともあると思うけど、最後は情報空間に持っていかな
    ければならない。私白身、いまも情報空間で武術をやっているわけですよ。原爆の
    ボタンを押そうとしている奴と闘っているわけだから。「やめろ!っ」て。これ武
    術でしょ? ただやっぱりそれが最初のうちは判らない。まず体をそこまで使い込
    んでいないし。ただいまの方法で体を使い込んで、判るようになっている時は大体
    歳を取っている(笑)。それをもっと若い頃にヨーガとかで、そういう世界がある
    ということを判り変る。それは武術がこれからの社会のなかで、役割を持ってる重
    要な要因ですよ。

- 情報空間に対するアプローチの方法という意味ですか。

苫米地 徹底的に人殺しの方法論だからこそ、その逆が凄くよく判る。それを中途半端に排
    除してしまったスポーツだけをやっていると、お爺ちゃんになってからしか判らな
    い。その方法論として、武術は人間の身体がどういう風に出来上がっているかとい
    うことを徹底的に研究し尽くしているわけですからその工夫がある。その為には五
    つの型を覚えたら、今度は五つの型を破る方法を徹底的に考えないと。型を上手に
    なることだけ考えていても駄目ですよ。如何にその動きに対して対抗するか。それ
    は自分がその型から自由になることでしょう。出来ないで「自由だ!」と言っても
    それは自由じゃないんだよ。出来てこそ、そこから越えられるから自由なんですよ。

成瀬 その通りですね。

苫米地 自由と言うのは「~からの自由」で。まず何かがないと駄目。最初から自由は判ら
    ない。無を定義するには有がいる。

- 禅的なお話ですね。色即是空ということでしょうか?

苫米地 いや認否は無でも有でもなくその上位であるから面白いんですよ、逆に言うとね。
    だからプラーナは空だし物質も最後は空。粒子論的に言うと全く同じで、同じ抽象
    度は有と無という関係にありますから。

- 難しいですね。

苫米地 まあ、自由を知る為にはまず三つでも五つでも型をまず徹底的に教えるしかないわ
    けですね。徹底的に型を学ぶから有が判り無が判る。だから型からの自由を自分で
    徹底的に追求する。そして最後に今度はその両方を超越しなければならない。そこ
    で抽象度が違ってくる。型を知らない人に、空は教えられないんですよ。型を教え
    て初めて焦が判る。焦と有の両方が判って初めて一つ上の抽象度が判る。それが認
    否。プラーナもそう。プラーナは実は空なんだよ。でも最初はプラーナは有として
    教えてあげなければいけない「あるぞ!見えるだろう!」と。で、最後に、「いや
    判らない」と。もともとは無でもあるわけですから。ただ過程として、まず有にし
    てあげて、「ほら有でもあって無でもある」と「だから空である」と知らせる。で
    最後に「物質があると思い込んでいるでしょ?いや物質も有るとも言えるし無いと
    も言える」だから「空なんだ」と。実際に物理空間では真空は作れないんですよ。
    素粒子に成れたり成れなかったりする。結局、物質と無は同じなんですよ。だから
    「色即是空、空即是色」というのは間違っている。「色即是無、無即是色」なんで
    すよ。その色と無の両方の上位が空だから。だから般若心経は書き換えなければい
    けない。

- う~ん。

苫米地 恐らく漢語を訳した人ではなく、当時のインド人が判っていなかったんだと思う。
    それは現代科学で釈迦の時代の哲学を見るとちゃんと言っていますから。だからま
    さに武術の型にはそういう役割が存在している。人間の体という有を型を通じて
    徹底的に知る方法がそこにあるわけですから。だから型を徹底的に学ぶと無が判
    る。いかにそこから自由になるか。体という有から自由になることで無を知る。
    それが出来るようになると越えられる。その時に初めて本当に強い武術家に成れ
    る。

- 型に意味があるというお話でホッとしました(笑)。

苫米地 それは型には意味があるよ、当たり前ですよ(笑)。型が無ければ武道が成り立た
    ないから。道具があるということはその理想的な使い方がある。そうでしょ?剣が
    あるんだからその一番良い使い方がある。それはもう徹底的に研究し尽くされてい
    る。武器が自分の手だったら手というものを武器にする方法は研究され尽くしてい
    る。その集大成が型で、それに意味が無いと言っているわけではないですよ。それ
    に囚われてそこに止まることに意味が無いと言っているわけで。


成瀬 だからキーワードとしては瞑想力なんですよ。

苫米地 絶対そうですね。

成瀬 瞑想力というのは自分自身を見つめる能力、いま自分がどうなっているのか。自分自
   身を色んなパターンで、中から見たり外を見たりして。自分を見る能力がつくと、人
   を見る能力もつく。


苫米地 だからヨーガをやった方が良い、最低限。やっぱり四千年続いているだけのことは
    あって、システマティックに出来上がっていますよ。

成瀬 気功もそうだけどね。

苫米地 気功もそうで、まさに密教修行というのは、チベット密教とか、だから全ては悟り
    に至る道ですよ。それが目的だったら武道を幾らでもやっていいよ。

 ↑以上、引用終わり。

 剣術を学んだのは20歳後半の事でした。

 当時、まだ記憶力があり、若手でもあったので、先輩方が7年かかって覚えた型を約2年
で詰め込まれました。パッと見て直ぐ「当てぶり」が出来、記憶出来たんですね(今は朝
食べた食事も忘れる始末:笑)。

 しかし、全く、その「中身・内容」について消化する事が出来ず、完全に「パニック」
...つい最近まで色々、悩みました。

 そうする内に30歳を超え、40歳に至って「全く覚えられなくなり」、自然と「その意味」
についてゆっくり味わい・工夫する様になりました。

 「型」は「文化財」でもありますから、後世に残す義務があると思います。

 ただ、単純に「博物館」に飾るものでもない?とも思います。

 「本」や「型」は極論、先人・賢者の消化の結果...いわば「排泄物」...ただ、なぞって
も余り意味がない。

 自分なりに先人の歩んだ道を「追体験」してみて、それを自分の中に写す(再生する)
事で、長い時空を飛び越え、先輩たちが言いたかった事が蘇って来たり、自分なりに消化
出来たりするのではないかな?と感じています。

 最近、書で「臨書」を再開したのですが、「型」は自分を写す「鏡」かもしれない...
と感じています。
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by cute-qp | 2010-04-02 00:00

 昨夜に続きTHE HIDEN 10/4より成瀬正春先生と苫米地英人先生の対談を引用・ご紹介致
します↓。

成瀬 要は瞑想能力が大切だよ、という話ですよ。瞑想能力というのはイメージカではなく意識
   力。自分がどのくらいリアルに意識出来るかという。だからいま僕はコップを持っている
   けど、例えば実際に持っていなくても、コップを持っている感触があれば同じなんです。
   だけど人生で一度もコップを持っていない人にそれをやれと言っても出来なかったりする。
   体感がないから。だけど1回触れば判るからできる。だからイメージじゃなくて意識する。
   意識というのは自分の身体で本当に体感すること。瞑想で「宇宙の果てに行って戻ってき
   た」というのは本当に体感しているんですよ。宇宙の果てなんて現実には行けない。とこ
   ろが瞑想だと行けるわけです。「どうしてそんな事が言えるの」と言えば、その人が本当
   にそこを体感するからですよ。そこには自分のなかでは嘘はなく本当に体感している。だ
   から三田光一が月の裏側を念写した写真が、その後飛んだアポロが撮影したものとほと
   んど同じだったという話があるじゃないですか。事の真相は別にして、少なくとも彼の
   なかでは本当に体感出来ていた。だから重要なのは体感出来るか出来ないか。それを練
   るには例えば素振りを何万回やるとかが必要かもしれないし、瞑想能力を高めるのも必
   要かもしれない。実感することが重要。その枠をどこまでも広げていければ良いわけで
   すよね。


- その自分の実感がどうして他者に影響を与えられるかが分らないのですが?

成瀬 いまの苫米地君の話の繋がりを貰うとすると、世界とか宇宙というのは全部自分中心に
   回っているんですよ。例えば今僕が目を閉じれば世界は無くなっちゃうんですよ。僕のな
   かで目を閉じた瞬間にこの部屋や全てが無くなればOKなんです。でもほとんどの人は目
   を閉じた時に「本当は有るけれど見えないだけだな」と思っているから甘いんです。

- なんとなくは分ります。

苫米地 それは概念を使って説明しているわけであって、それそのものが宇宙そのもののこと
    だから。プラーナを存在させられるんだったら宇宙は存在させられる。だから人間は
    生まれながらにしてプラーナを扱っているということですよ。つまり「物が見えてい
    る」「音が聞こえている」ということは、全ては心のなかの世界ですよ。プラーナも
    心のなかの世界。ところが「物理的に存在している物は物理の世界で、イメージする
    ものはイメージの世界で」とどうしても分けて考える癖がついている。そうではなく
    て、実際には物理的な存在も脳が認識して情報処理している情報で、脳のなかでは全
    く同じでしょ?映画「マトリックス」で脳幹にインターフェースを付けているように
    全部データで、全部心の中で処理されている。その心のなかの世界をリアルにして互
    いで共有する。そこには共有する術が必要でしょ?それがプラーナですよ。視覚情報
    だってプラーナ。だからプラーナで伝える。プラーナという概念をわざわざ利用して
    もしなくても良いわけです。

成瀬 あとは知識。もちろんあっても良いんだけど、大抵の人は知識に惑わされちゃう。だから
   いま「僕が目を閉じたら見えないでしょ?」と言った時に、「でもいまここに居るよな」
   と思うことは知識なんですよ。この知識を取っ払った途端に誰も居なくなっちゃうんで
   すよ。知識を取っ払うとね。重要なのは知識じゃなくて自分のスタンス。自分が今どう
   なのか?自分は何なのか?自分は何を感じているのか?

- 先生が目を閉じて先生のなかで完璧に世界が無くなるというのは分かります。だけど外の
  人間にそれがなぜ繋がり共通認識となるのかが分からないんです。

成瀬 ちょっと待って、共通認識で繋がるというのはさっきの話?

― 例えば苫木地先生が仰った「こいつの人生は全部俺の掌のなかにあり、俺と試合をするの
  も、目の前で転けるのも決まっている」と。先生がそういう世界観で断定するのは分かり
  ます。でもどうして、その世界の外に居る人、この場合対戦相手にそれが伝わるのかが分
  からないんです。

苫米地 その世界じゃない人は居ないですよ。全部その世界の人。そうじゃない人は情報に鈍
    感なだけ。だから鈍感な人には無理矢理伝えなければいけない。そのために五つの型
    を覚えるのも自由。相手が鈍感な場合はね、それは鈍感用の技だから。ただそれを無
    理矢理敏感にしてあげる方法が有ると成瀬先生が「目を瞑れば世界が無くなる」と言
    われているのは、先生は本当に目を瞑った瞬間に死ねるからなんですよ。皆さんは目
    を瞑っても消えないでしょ?死んでないから。耳が動いちゃってるし、臭いを嗅いじ
    ゃっているし(笑)。見えなくても「世の中あるじゃん」と思っちやうでしょ?ヨ
    ーガの達人は目を瞑った時に本当に死んでいるんですよ。だから自分が死んだと思っ
    た時に本当に宇宙は消える。相手が「いや俺は消えていない!」といくら死人に言っ
    たって、死人は納得してくれないでしょ、判る?だから目を瞑って死ねる修行をして
    いるわけです。簡単に言えば「死ねる」という言い方かもしれない。要するに自分の
    感覚を完全にコントロールするということ。生きたまま感覚をシャットアウト出来る
    のであれば、死んだ人のようにシャットアウト出来るし、目を開くのであればまるで
    その人の体の中にいるかのように見ることも出来る。本当に見えて、本当に見えない
    と自由自在にコントロール出来ることがまさにヨーガの修行なんだよ。


- 感覚をコントロールする。

苫米地 それはどういうことかというと、逆に無いものを見せることも出来る。催眠の幻覚と
    同じだよね。ただ方法論が暗示ではなく、相手の五感そのものに入り込んで見せて
    あげる訳で。だから鈍感な人には本当に見せてあげるし、それを無理矢理敏感にする
    方法論もあるわけ。それは方法論の話。結局宇宙は全て情報なわけですよ。で、恐ら
    く重要なメッセージになるのはほとんどの人は光を見ず光の反射しか見ていない。例
    えば映画館で光を見た時に見ているのは光ではなく埃ですよ。

- なるほど。

苫米地 宇宙空間に行くと太陽の光は真っ暗なんですよ。でも光そのものが見えるようになる
    。光の反射じゃなくて、存在そのものを見る。ブッダが悟りの世界に触れたことを、
    法華経でも般若心経でも上座仏教でも何でもいい、それぞれが色々な言い方で悟り語
    り指差している。でも、それは「全部私の指しか見ていない」という。法華経で見る
    、密教で見る、般若心経で見る、現代科学で見る。だけどそれは埃を見ているのと同
    じ。「私の指を見るな、私の指差しているところを見ろ」と。それが悟りの世界。光
    を見ているようで光を見ていない。光の反射を見て光を見ているようなつもりになっ
    ている。光そのものを見る。目を瞑り、目を開けるというのはまさにそういうことで
    す。「何を悟ります、何か見えてます?」本当に見える人には見えている。

成瀬 だから感じるしか無いですよ。真理を語ると真理じゃなくなるからさ。真理というのは
   語った時に真理じゃなくなる。じゃあ、どうすれば良いの?となったら自分が納得する
   しかない。


苫米地 だから「指先を見るな。指している所を見ろ」で、指している所が何かは一度も言葉
    にしていない。

成瀬 「これが真理ですよ」と言った途端真理じゃなくなる(笑)。

苫米地 オカルト的な意味ではなく、見える感じる以上の宇宙が存在していて、それは広大で
    、全ての人が共通して持っているんだけど、鈍感な人はいくらやってもそれを感じら
    れない。折角色々なことをしても感動しない。「ああ、もったいない」と。だから折
    角技を掛けたのに飛んでいかないというのはもったいないんですよ(笑)。鈍感だと
    言うことでしょ?仕方ないから物理抽象度まで下げてあげるわけで。武道の本質って
    そうでしょ?相手が敏感だったら「ほら君たち死ぬよ」と教えてあげるだけで「すみ
    ません」と納得して帰るわけでしょ?鈍感だから殺すしかない。

― ただ現在武術をやっている方の多くは型を信じて、指先で指している物ではなく、そこに
  至るルートを気にして頑張っている人が多いように思います。

苫米地 それはそれで何の問題も無いですけど、その先があるということを知らないと。ヨー
    ガもアーーサナで終わりじゃない。成瀬先生が出来る不思議なポーズが全部出来るよ
    うになってもそこで終わりじゃない。それは悪いことじゃなくて、その為の方法論が
    伝わっているわけで、それぞれの流派の方法を否定しているわけではないですよ。た
    だし流派の本音で言うと「やり方を限ってくれると楽だな」という宗家の本音という
    のが絶対あるんですよ。一方でそれを信じてやるというシステムも出来上がっている
    のだからそれは何の問題も無い。ただその先があるということ。物理空間の先の情報
    空間。人間は足の裏は物理で足から上はほとんどが情報空間に存在しているんだから
    。その情報空間を知らないと。

- プロセスを越えて真理に辿り着けと。

苫米地 武道だって皆そうで、私が仲良くしている前田(日明)だってそうで、武道でも格闘
    技でもある程度徹底的にやると最後は情報空間の方へ興味を持つでしょ?それを歳を
    とってからではなく、最初から若い頃からそれを思いながらやることの方が全然上達
    が早い。もちろん先生の言われたことを確実にこなすのは大事だけど先があるという
    ことですよ。

成瀬 最近僕の所にも随分格闘家の人が来ているけど、そういう風になってきているね。

苫米地 格闘技も「何の為に?」という部分があるじゃないですか。取り敢えずプロのリング
    で勝って食えればいいやというレベルと、人生のなかの重要な役割としてやるのとで
    は意味が違うでしょ?それに「食えればいいや」というレベルでやっている人こそ辞
    めた後、急に本物の武術に興味を持ち始めるのが多い。だったら最初から両方やりな
    さいということで。

 ↑以上、引用終わり。

 それにしても、これだけ端的に言葉にされるお2人はやはり只者ではありませんね。

 そう言えば...身体のお仕事をして想うのが、所詮、人間は「自分の経験した範囲」でしか
「推し量れない」と言う事...その「範囲」が自分にとっての「世界」なんですね。

 しかも、「ただ何となく経験した」事と「意識して経験した」事では、その世界観に大き
な隔たりがあったりして。

 クライアントさんを拝見し、「う~ん良く観えて来ないな~」と思う所は往々にして、自
分が見えていない部分でもある訳で(笑)。

 論文を書いていた頃、教科書の平面図の様にしか見えていなかった身体が、最近、とても
立体的に見えたりもして。

 そう想うとお2人の対談の中に沢山のヒントを見る気がしています。
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                         瞑想中?
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by cute-qp | 2010-04-01 00:00