型をくり返すのは最悪!?

 今日はTHE HIDEN 10/4より成瀬正春先生と苫米地英人先生の対談を引用・ご紹介致
します↓。

- 先生ご自身も武術の経験があるそうですね。

苫米地 ええ、家がそうでしたから。爺さんがもともと柔術家で三船十段の弟弟子で。柔道
     八段で東京オリンピックの審判委員長も務めて。葬式は武道館でやったんですよ。
     私も子供の頃からありったけ武術、柔道、剣道、空手、古武道をやりましたよ。全部
     人れれば45年位やってます。

- 今でもお稽古されているんですか?

苫米地 やっています。稽古という感じじゃないですけどね。

- 武道の稽古というのは同じ型を繰り返すことが基本とされていて、その様式を日々くり
   返すという部分が宗教等の修行に近いように思えます。ある意味でそこには先生のご
   専門でもある、ある種の自分を洗脳するメカニズムがあるのでしょうか?

苫米地 それは最初だけですよ。同じ型を繰り返すのは武道の稽古としては最悪なんですよ。
    やればやるほど負けるから。基礎体力を作る為には良いけど、武術の本質は人間の
    持って生まれた動きの特性から如何に自由になるかが武術の稽古。同じ動きだけ
    やっていたら100パーセント負けますよ。スポーツじゃないんだから。スポーツは
    ルールがあって、皆が1200CCのエンジンでレースしている時に、私が5リットルの
    フェラーリを持ち込んで勝ったら怒るでしょ?

- レギュレーションが違いますからね。

苫米地 武術にはレギュレーションもないし、体重差もない。武器の種類も自由なんだから。
    勝てば良い。それが今は「突きはこういう形ね」「蹴りはこういう形ね」と全部決めて
    おいて、そのルールの外にあることは「覚えちゃいけない」と。あとはそのルールの
    なかで一番上手な人間を決めましょうと。それを武術だと思っていたら本当に武術を
    知らない。武術の本質は人間の筋肉と骨の形から生まれてしまう動きを、如何に超越
    するかですから。

- そのもともとある動きから脱却するための手段として、先人は型というものを作ったんじゃ
  ないか?と思うわけです。丁度ヨーガのアーサナ(ポーズ) のように。

苫米地 それは初心者のものです。

- ではそこから次の段階へいく時に何をすべきだと思われますか?

苫米地 そこが恐らく本末転倒になっていて、最初から型ではない部分から始めても良いと
      思います。ヨーガでアーサナから始める流派があっても良いし、最初から瞑想をす
      る流派があっても良い。それは教える先生の考え方だし、後は社会のなかでの
      必要性もあるかもしれませんね。

- 社会的な必要性ですか?

苫米地 体育と武術を一緒にするとか、スポーツ的な武道とか。戦争をやっている最中だっ
      たらとにかく相手の心臓を止めることだけを教えた方が良いかもしれない。ただ、
      そういう時に一つの動きじゃ相手に判ってしまうでしょ?如何に多くの動きを教える
      かが大事になる。一つの方法論として型を教えるというのがあっても良いと思う。
      でも、全く別の一切型を教えないという方法論があっても良いと思う。だから一つ
      に拘っては駄目。結局はどっちにしても人間の体の動きを超越しなければ駄目な
      んだから。例えばアーサナを徹底的にやって、成瀬先生の出ている本の型は全部
      出来るようになって、それでようやく成瀬先生の弟子に成れるかというのが実際の
      ところでしょう。

- 古流剣術というのは物凄く限定的な型、動きを繰り返すものが多くて、現代人の感覚か
   らすると「もっと色々やれば良いのに」と思う人も多いんですね。

苫米地 今の剣道は剣道じゃないんですよ。私も古武術の家だから言わせてもらうけど、あ
     れはフェンシング。明治時代に、フェンシングが日本に入ってきてあれを真似しちや
     ったんですよ。

- 現代剣道の形式というのは明治になってから榊原鍵吉という人が始めた撃剣興行が
   もとになっているとも言われています。ただそれ以前の剣術、香取神遠流や鹿島新当
   流、一刀流、新陰流などの古流剣術もやはり、突き詰めていくと五本しかないような型
   の世界から練り上げていくわけですね。それが何故なのか?という部分を聞きたかっ
   たんです。

苫米地 それはだから嘘を聞いているんですよ。敢えて五本しか教えてないんですよ。自分
      達が教えた人間が限定されればされる程有利に決まっている。「お前たちは五本
      の動きしか知らないんだから、どう攻められたって俺はたった五つの受けをやれ
      ば避けられる」と。それは教わる人間だちというのは外の人間だから。秘伝は
      絶対に教えない。大体は一の太刀、二の太刀までしか教えないんだから。「よく五
      本も教えるね」ですよ。それは外に金を取って教える生徒用の剣術であって、本人
      や本当の後継者は如何にその型から自由になるかだけを学ぶ。もちろんそんなこ
      とは百も承知ですよ。本当にいまだに五本しか型がないとか思っているんだったら
      本当にもう一度日本の武道を調べた方が良いでしょう。

- 口伝でそのあたりは明文化していない部分もあると思います。

苫米地 う~ん、書かれているものあると思います。

- こう伺ったのは宗教や禅と武道の構造が究極的には"自分のなかに求める"という構造
   で似ているからなんです。宮本武蔵も「神仏これ頼むに能わず」という言葉を道したと
   いいますが、結局、自分自身に答えを求めている。そのゴールを目指すプロセスに
   武術は型というものを持つのと同様に、ヨーガにはアーサナという構造を持っていること
   について先生にお聞きしたかったんです。

苫米地 武蔵は「神仏を信じるな」とは言っておらず、頼むなと言っている。彼は最後まで神
    仏を信じていたと思います。もちろん武蔵という人物のことがどこまで正確に伝わっ
    ているかは判りません。ただ彼の書いたものが本物であるという判断で言えば、恐ら
    く彼は当時の仏教を信じている。で、当時の仏教というのは仏教じゃないんですよ。
    釈迦の教えじゃなくて明らかに道教、一部儒教も入っている。そこにはいわゆるヨー
    ガの"ブラフマン"の概念が入っているんですよ、タオの概念ね。恐らく道教のタオは
    ヨーガのブラフマンから来ているんでしょう。で、仏教はブラフマンのタオですら
    「空である」という。だけど武蔵の時代の彼の言っている仏教というのは純粋な意昧
    での道教、ブラフマンなんですよ。だからブラフマンということは心から信じている
    。だから彼が仏像を彫るのも子供を殺したことへの頭罪ではなく、ブラフマンに近づ
    く為の修行だったんですよ。禅の坊さんがやっていることと同じ。で、それを決定的
    に最後までやり抜くことであって、どこかで中途半端に「神様御免なさい、助けてく
    ださい」と言うことは許されんぞということですよ。それと型は何の関係もない。ど
    うしてもそこに持っていきたがるけど(笑)。何の関係もない。ヨーガもアーサナが
    凄く重要だけど、それが最初で精々体を作るまで。瞑想する為の体、エネルギーを
    自由自在に動かす、プラーナを自由自在に使うクンダリニーを使う体を作る為の
    アーサナであってそこから先が長い。武道も、最低の型が出来ないのは論外だけ
    ど、そこから如何に先に行くかが一番重要なことですよ。

- 実際にいまも「五本の型が大事だ」とやり続けている方が多いんですよ。

苫米地 それは馬鹿ですよ。それは恐らくそういう人が欲しかったんですよ。宗家側から
      見ると。

成瀬 美味しいよね(笑)。

苫米地 美味しいよ。大体日本に伝わっている流派には決まった型があって、それさえ見
     ておけば「お、お前は何流だ」と見ただけで勝ったとなる、それ以外の動きが出て
     来ないんだから(笑)。そうでしょ?それと同じで。それは美味しいんですよ。それ
     はスポーツ的な意味合いで、単なるエンドルフィンを出して幸せになる、気持ち
     良くなるということであれば有りですよ。だったら朝から晩までスクワットしていれ
     ば良い。朝から晩までスクワットやっていればちゃんとべータエンドルフィンが出
     てきて最後にセロトニンが出て来ますから。

成瀬 教える、教わるというのは、決め事が多ければ多い程教わる側は楽なんですよ。何にも
   決めないで「勝手にやれ」となると一番大変なんですよ。だから、入門しました、「あ
   あじゃあ好きにしてろ」とズーッと1年2年放っとかれたら困るでしょう?だけど「素
   振りを今日は100回やりなさい。次にこれをやりなさい」と言われたらその通りやれ
   ば良いから楽なわけですよ。疲れるかも知れないけど楽は楽ですよ。「好きにしろ」と
   言われたら一番大変じゃないですか。だけど一番大変なもののなかに大切なものが
   見つかる道があるんだよ。だから最初はヨーーガでも同じなんだけど型を練習して
   守っていかなければならないかもしれないよね。「このポーズをやってこのポーズを
   やって」と言われたことを守っていかなければならない。それは彼が言った通り本当
   に最初のうちであって、極めていこうとしたらそういうものを取っ払って自分で見つけ
   ていかなければいけない。だから師匠とかグルっていうのはこの人が本当のものを
   見つける為の、本当のものを教えるんじゃない。本当のものを見つける為には「君
   こっちの方に行った方が良いんじゃないの?」というヒントだけを教える。そのヒント
   で判らない人は駄目なんだよ。だから免許皆伝の巻物を見たら白紙だとガックリす
   る人が居るけど、白紙を見た時に「ありがとうございます」という人は本物ですよ。


苫米地 本当ににわか作り、竹槍を持たせて人間をどうしても兵士に育て上げなければ
      いけない時は(型は)役に立つかもしれない。基本的な型は色々な工夫が込め
      られて作られたわけだから。手っ取り早く殺人者を作るというわけでしょう?
      相手が素人だったらね。だけど本当の武術は相手は素人じやないでしょ。とい
      うことは覚えたことを使ったら絶対に勝てない。それを如何に越えるかでしょ?
      「それを越えられるまではやり続けなさい」という意味かもしれないね。でもそれ
      は人生もったいないと思いますよ(笑)。

 ↑以上、引用終わり。

 今更ながらに想う事...

 学ぶ立場として...最初は、とにかく「真似」。与えられた事を一生懸命やってみます。でも、
         それだけでは足りないし、難しい。多分、「工夫の基礎と感覚」を練るの
         に「真似」する期間が必要なのだと思います。

         先生とは「背景」も「能力」も「個性」も様々に違うから「形態模写」に
         終始しても仕方がなかった。

         与えられた「感覚」や「ヒント」を手掛かりに、自分の中に、どうやって
         「再生・実現」出来るか?と言う事なのだと思います。

         時代により「型」がそのままでは通用しない場合もある?と思うのです。

         だから「型」に込められた意図や想いをイメージしています。
         
 教える立場として...自分が回り道したり、どん臭かった分、最初は、一生懸命お話してい
          ました。

          結局、「大きなお世話」で「受け身」な状況を作るだけ...相手も自分も
          上手くなりませんでした。 

          自分の学び方を変え、「実演」を以て説明とし、機を見て「ここ一番!」
          で「ヒント」を出せる様、「自分作り」する方向に変えてみました。

          また、相手が「聞いて来る」まで手を出さない決心もしてみました。

          K野先生がとても我慢強い事が身に染みて分かる(笑)...でも、それが
          一番早いのだと思います。

          お陰で互いに成長出来る様になって来ました。

(参考)
 練習相手を強くする
 ジャンルは関係ない
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by cute-qp | 2010-03-31 00:00 | 温故知新

ジャンルは関係ない

 ヨガの成瀬正春先生のメルマガに面白い記事がありましたのでご紹介致します↓。

 14日に「名古屋国際女子マラソン」があり、2時間30分のレースを、最初から最後まで、
つい見続けてしまいました。──といっても、私はマラソンが好きな訳ではないです。あえ
て何が好きといえば、ヨーガ……かな? だからテレビ放映されているマラソンを見続け
てしまったのです。

 ──とつなげると、皆様は(?)となるでしょう。ヨーガとマラソンにどんな関係があるの? 

 じつは、ジャンルは関係ないのです。私は身体の使い方に興味があるので、マラソン
でもダンスでも、格闘技でも別にいいのです。勝ち負けを争うようなものは、ほんのちょ
っとした身体の使い方で勝敗が左右されるのです。またダンスなどの芸術的身体表現
も微妙な身体の使い方で優劣がはっきりと分かれます。だから、身体の使い方を見る
のが面白いのです。

 つまり、その競技が面白いというのではなく、一流の人の身体の動きが面白いのです。

 そこで、「名古屋国際女子マラソン」の話ですが、私はそのレースの知識も情報も何も
ないまま、テレビを点けたらスタートした直後だったのです。しばらくは10数人の先頭
集団が続いていたのですが、その時点で一人の選手を見て、「この人が勝つだろう」と
思ったのです。

 ──と書くと、その通り勝ったのだろうと思うでしょ。ええ、その選手が優勝したのです。

 ゼッケンナンバー12番の加納由理選手が2時間27分11秒で2位の選手を1分以上
の差をつけてのぶっちぎり優勝です。
 それで、なぜ私がその加納由理選手の優勝を当てたのかというとですね、身体の使
い方に注目したのです。

 加納選手だけが、他の選手と違って身体の上下動がなかったのです。つまり上体が
一定の高さのまま走っていたのです。他の選手は、みな多かれ少なかれ上下動をしな
がら、走っていました。
 歩くのでも走るのでも、身体の上下動が少ないほど、エネルギーロスがないので、
疲労も少なく効率よく前進できるのです。私の普段の歩き方とほぼ同じ走り方をしてい
たので「この人が勝つだろう」と思ったという次第です。

 そして加納選手は、31キロ過ぎからスパートをかけて、一度も後ろを振り返らずに
ゴールテープを切りました。

 私が注目したのは、上下動がないということもあるのですが、ゴールだけを見据えて
走っていたことです。独走態勢に入ってからも、一度も後ろを振り向かないというのは、
あきらかに後続の選手は意識の中になかったのでしょう。

 彼女はただただ前方を見据えて、ひたすら走り続けていました。

 それは、私の実践しているルンゴム(空中歩行)のテクニックそのものだったのです。
ルンゴムは遠くの一点を見据えて、そこに吸い込まれるように走るのです。

 ルンゴムの達人は一日に160キロも走るそうです。加納由理選手は42.195キロを
2時間30分を切るタイムで走ったのですから、単純計算すれば10時間あれば、160
キロ走れることになります。もちろん単純計算というのは、無茶な話ですが、それで
も不可能な数字ではないです。

 トライアスロン競技には、アイアンマンレースというのがあります。スイム(水泳)3.8
キロ、バイク(自転車)180キロ、その後にラン(マラソン)42.195キロという過酷な
レースです。それを17時間(日本では15時間)以内に完走すると"アイアンマン"
(鉄人)の称号を受けられるそうです。皆さん、挑戦してみてはどうですか?

 私は……もちろん…………遠慮しておきます。

 だって私にアイアンマンは似合わない……でしょ。 私なら、ラバーマン! ──って、
恋する男? ゴム人間?

 ↑以上、引用終わり。

 とても嬉しい記事でした。ご覧になっている所も凄い。

 ジャンルは違えども、一流の方々の心身の動きを拝見するのは非常に愉しいです。

 「へ~凄い!」とか「ふ~ん、そうなるんだ!」、「どうやったらそうなれるのだろう?」
...「妄想族」になって色々イメージします。

 余りに愉しくて、一日中、「妄想」していると、ジャンルに違いがあっても、自分の中
に「!」を見出す事があり、「工夫」する...それが、また愉しくあります。

 勿論、私は「一流」でも「プロ」でも「鉄人」でもないのですが、短絡的に「特別」とか
「特殊」とも想いません(笑)。

 「すっげ~超人だ~」って想うんですが「愉しそうだから、やってみたい」んです。

 そう言えば、「〇〇は専門じゃないから」と言う場面があります。例えば、「野球」専門
だから「テニス」は分からないとか...。

 「野球が得意!」と言うのは分かるのですが、「専門じゃないから」...と言うのはプロ
として、ピンと来ません。

 関心を持ち、勉強すれば良いことですし、全部、人間のやる事では?...「テニス」を
やる人が「手が4本で目が3つ」なんて事はないはずです。

 勿論、「未知のジャンル」からのオファーもあります。

 しかし、クライアントさんの「ご希望」と「方向性」、「目標」をしっかり見据て行けば、
必ず「必要十分条件」は見えてきます。

 そして、クライアントさんと共に「人間の可能性」が広がって行くのを見るのが愉しく
、ありがたいお仕事をさせて頂いているなと思います。
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                        で、出来た~っ
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by cute-qp | 2010-03-30 00:00 | バランス運動療法・調整法

「中心」と「バランス」

 この土日の講習を受けて、再度、野口昭子:著 「時計の歌」 全生社より引用・ご紹介致し
ます↓。

 「どんな石でも、石をじっと見ると、石の中心が見えます。中心が分かれば、余分な力を使わ
ずに、石を動かせます」寺石さんは私の質問にこう答えた。
 
 寺石さんは京都和室の庭を造った庭師である。今、箱根記念館の庭を造り直してくれている
が、三日間で、庭の風情が全く変わり、遠い金時山まで、我が庭に入ってきたような気がする。

 私が驚いたのは、五人で裏山の林の奥から一日で二トン前後の石を三つもさんまたで掘り出
し、最も原始的なコロビキの方法で、裏庭と前庭に運び入れてしまったことだ。
 大きな石が、山林を縫うように、スルスルと動いてゆくのを、私は目をみはる思いで見ていた。

 寺石さんが遠慮深げに語るところによれば、石の中心が見えるようになるには、石を扱い出し
てから十年はかかるという。

 私はふと自分が如何にうかつに物を持ち上げていたかを思った。そこで傍らのポットを持ち
上げて見た。同じポットでも、手をかける位置で持ち上げる重さの感じが違う。

 一番軽く安定した感じがするのは、やはり重量が平衡する一点なのだ。

 大発見とばかり得意になってオタカ (四男)に言うと、「ママ、今ごろそんなことに気が
ついた?」と言われてしまった。

 しかし石の中心が見えても、動かす人の腰がきまっていなければ、石は自由にならない。

 整体操法でも、お茶の点前でも、又どんな技芸でも、腰がきまって中心で動作している人の
姿は、自然で美しい。余分な力を使わないからだ。

                           ●

 この間、何十年ぶりかで誘われて歌舞伎を見たが、ある俳優が舞台の中央で、みえをきる型
がきまらないのが気になった。

 動作の最後が、ピタッと止まらないのである。

 だから止まることによって生きる裡なる動きや、空間が生きない。先生(野口晴哉先生)が
、「操法の上手下手は、その人の坐る位置と、構えを見ただけで分かる」と言っていたが、や
はり中心のあり方を見ていたのかもしれない。

 最近、新札が出て、その銅板を彫る名人といわれる押切さんの詰が、朝日新聞に出ていた。
かつては「聖徳太子」と「博文」を、今回は「諭吉」と「漱石」を彫ったという。

 銅板に彫刻刀(ピュラン)で、一ミリの中に十二、三本の線を入れてゆくような精度を要求
される彫刻を、どうやって彫ってゆくのかという質問に、「四、五キロの物を持ち上げる気持
で腹に力を入れ、息を止める(「保息」だと思います:管理人)。
 そして静かに、静かに息を吐きながら一点に神経を集中する」と押切さんは答えている。

 やはり彼自身の中心が下腹にきまっているからこそ、精神集中の持続が出来るのではない
だろうか。

                           ●

 私が自分に中心があることを自覚したのは、もう十何年も前になるだろうか。排泄の鈍りか
ら、全身が象のようにむくんで、生死の境をさまよった時だった。

 コマが勢いのあるうちは、まるで静止しているが如く立って廻っているが、一旦勢いがなく
なると、中心がフラフラして平衡を失い、遂に倒れてしまう。
 それと全く同じように立てなくなり、ピノキオみたいな手と足と胴が、バラバラな感じにな
って寝込んでしまった。
 そんな状態が二カ月ほどつづいたろうか、或る時、そのバラバラになった手足がす-っと吸
いよせられるように一つにまとまった感じがして、中心に息が深く入って来たのである。

 私は今でも、その瞬間から自分が生きる方向に向ったような気がしている。

 人間の無意動作を丁寧に観察していた先生は、個人個人によって動作の中心が腰椎一番に
ある人、二番にある人、四番にある人というように、それぞれ違うことから、体癖というこ
とを追求して行った。

 従って、客観的に見れば、私のような上下型の人間は、腰推一番に力が集って動作している
時は中心が安定して全力を出し易いというが、私自身の感覚では、あの時、す-っと一つにま
とまった感じを、体が未だに記憶しているのだろう、中心というとその感じが蘇ってくる。

 すると、しみじみと″生きているんだ″という実感が湧いてきて、これだけでもう何も要ら
ないというような気になってしまうから不思議である。

 ↑以上、引用終わり。

 この3年間、やれ「論文」やれ「西洋医学」に追いまくられ、ひょっとすると、一生分の
脳を使って「考えたんじゃないか?」と思います(笑)。

 そのせいか?、かなり意識して来たつもりでも、無意識に「頭で考えてしまう」とか
本の口絵の様に「身体を平面的に見てしまう」傾向にありました。

 そして...怒涛の日々が終わり、脳と身体が「もう、生理的に本を見るのも、考えるのもイ
ヤ!」状況になって、開放された感覚で見る世の中や自分自身をとても「立体的で、生々し
く」感じました。

 野口先生が「レントゲンに身体や心の働きは写らない」と仰っておられましたが、今更な
がら納得...お恥ずかしい次第です。

 早速、「物の見方」や「取り組み方」、「前提の作り方」を全部切り替え、試行錯誤中
の春風堂。

 遅まきながら、「治療」・「体術」・「剣術」が有機的に繋がって来ました。

(参考)
 神経訓練法としてのセンタリング呼吸法 "改訂版"
 "私なり"の解決志向アプローチ
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by cute-qp | 2010-03-23 12:00 | バランス運動療法・調整法

 今日は、コチラからご覧下さい↓。

子どもが心肺停止…すぐの蘇生術有効 社会復帰2.6倍

 事故などで子どもが倒れて心肺停止となっても、そこに居合わせた人が蘇生術を試みること
で、社会復帰の確率が2.59倍高まることが、わかった。総務省消防庁のデータを石見拓・
京都大助教らの研究チームが解析した。一般の人による蘇生が子どもにも有効だと示せたの
は、世界でも初めてという。

 主な蘇生術には胸を押して血液を脳に送る胸骨圧迫(心臓マッサージ)と人工呼吸の二つ
がある。子どもでは大人と違って、胸骨圧迫だけよりも、人工呼吸を併せた方がいいことも
わかった。

 2005年1月~07年12月、病院外で心肺停止になった17歳以下の5千人以上の例
を検討。倒れた場所で、居合わせた人から心肺蘇生を受けたのは2439人。1カ月後、後
遺症をほとんど残さず学校などに復帰できたのは110人だった。

 蘇生を受けなかった2719人では同53人。病院到着までの時間といった要因を考慮す
ると、蘇生がある場合の復帰率は2.59倍となった。

 倒れた主な原因は、水におぼれるなど心臓病以外のトラブルで、全体の7割。この場合、
1歳以上の子に胸骨圧迫と人工呼吸を併せた時の復帰率は7.2%で、圧迫だけの時より
5.5倍高かった。心臓が原因の時は差がない。

 成人では、胸骨圧迫だけで人工呼吸を伴うのと同等の効果があることが、国内外の調査
でわかっている。石見助教は「教育関係者や家庭の親など、子どもと接する人には人工呼吸
を含めた蘇生法を身につけてほしい」と話す。結果は英医学誌ランセット電子版で報告した。
(田村建二)

 asahi.com 2010年3月17日 より引用・掲載。

 以前、バイスタンダーになりませんか? ~BLSを学ぶ~でご紹介致しましたが、今日
の記事を受け、再度、取り上げました。

 「バイスタンダー (by Stander)」 とは救急現場に居合わせた人(発見者、同伴者等)
のことで、適切な処置が出来る人員が到着するまでの間に、救命のための心肺蘇生
法等の応急手当を適切に行うことで、救命率を格段に伸ばせる人員の事です。

 突然、見知らぬ方がお倒れになり、その生命の危機に立ち会う事は、想像するだけで
ドキドキする事で、いざ行動を起こす事は想像以上に勇気がいると思います。

 ですから、「皆様のご家族・大切な人の万一に備えて」でも良いのでは?と思います。

 「一度、体験しておく、知っておく」だけで随分、心強いと思います。

 春風堂は「治療家」の意味もありますが、「自分の大切な人達に何かできる・伝える事を
したく」て、「インストラクター」を取りました。

 その為に、一般講習より長いレクチャーと、実技・筆記試験を受けましたが、正直、いざ
!緊急時にどれだけ冷静・適格に対応できるか?は分かりません(笑)。

 しかし、「経験・練習していないと何も出来ないだろうな...」と思いました。

 以前、ご紹介しました消防署でのステップアップした講習では、アウトドアでの外傷の対応
の仕方や怪我をした方の搬送の方法、子供やご老人の誤嚥の対処なども丁寧に教えて下さ
います。

 「あなたの大切な人の為に...」是非、体験してみて頂ければと思います。
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by cute-qp | 2010-03-19 00:00 | 現代医療に想う

 今日はコチラの記事からご覧下さい↓。

 毎日JP 2010年3月3日 広瀬香美の大人の音楽の時間 より引用・掲載。

◇歌唱ミニレッスン!

 さあ、いよいよ「歌唱ミニレッスン」の開始です! 今よりも声をビューーンと出して歌えるよう
になりましょう! これから説明する「三つのコツ」を意識して歌うだけで、あれよあれよという
間にビックリするほど気持ちよ-い歌声になりますよ。

0)まず、大好きな歌を歌おう!

 レッスンに当たり、歌いたい歌をご用意ください! 曲が用意できたらウオーミングアップがてら、その歌を歌ってみましょう! さあ、どうぞ。

コツ1) 歌声の出発点は「お尻」です!

 みなさん、「歌声の出発点」はどこにあるか、なんて考えたことありますか(微笑)? ないですよね。しかし今日からは、「歌声の出発点」は「お尻」だと意識しましょう。「ええ~?」と驚く方もいるでしょう。しかし、この「お尻が出発点」は、とっても理にかなったルールなのです。

 私たちは、歌を歌うとき、ついつい無理にのどで歌おうとしてしまいますね。そして、すぐに声をカラしてしまう。ですから今日からは、のどだけで歌う歌唱法とはサヨナラです! ちょっと「お尻」を意識するだけで、たちまちにして、以前よりも強くて張りのある大きな声が出ますよ! 体全体で歌を悠々と歌いましょう!

 やり方は簡単です!「お尻の穴を、キュッと!締めて」歌うだけです! あははぁ~~♪ 簡単でしょう? 広瀬香美のボイトレスクール「ドゥ・ドリーム」では、この歌唱法のことを、「お尻歌唱法」と言って大変好評いただいています(笑い)!

 さあ、みなさん、「お尻の穴をキュッと締めて」、「歌声の出発点はお尻!」という意識を忘れずに持ち続けながら、歌ってみてください。そして、歌声の変化を確認してみてください。

コツ2)歌声のゴール地点は、「頭上の風船」です!

 さて、歌声に「出発点」があるのなら、「ゴール地点」もあるに違いありません。コツ2は、「歌声のゴール地点」を「頭上の風船」にしよう!です。

 頭上にプカプカ浮いている風船の場所まで、歌声を運ぶ意識を持ちましょう。今までよりも、たくさんの息が必要になるはずです。なぜならば、歌声の出発点は「お尻」ですからね。その「お尻」から「頭上の風船」までの距離に見合うほどの、息の量が必要だということです。分かりますか?

 さあ、みなさん、コツ1と、コツ2の意識を同時に持って歌ってみましょう。「お尻をキュッと締めて」かつ、「頭上の風船」を割る意識を持って、たくさんの息を使って歌ってください! もしも途中、コツ1と2の意識を忘れてしまったら、紙に書いて目の前の壁に張り付けるなどして練習すると早く体が覚えるでしょう。

 ぜひこの機会に、今までののどだけで歌う歌唱法から脱却し、体全体で歌う健康的な歌唱法を身につけてくださいね。

コツ3)最高の笑顔で歌おう!

 最後のコツは、「笑顔で歌おう!」です! 歌唱時の顔を鏡に写してみてください。意外と「笑顔」で歌えていない自分に気づくでしょう。そして笑顔で歌った時の声と比べてみてください。最高の笑顔は最高の歌声を奏でることが分かるでしょう。あ、その「最高の笑顔」で歌う際も、もちろん「コツ1」「コツ2」をお忘れなく(微笑)!

 ↑以上、引用終わり。

 そう言えば...観照塾のご同輩のM橋さんは音楽関係に精通しておられ、「発声」も教えて
おられる事から、毎回、色々お聞し、納得・感心しています。

 発声もジャンルや個性で色々ありそうですが、キチンと「発声」するとなると、やはり身体
に共通の「必要十分条件」や「コツ」がある様で、とても勉強になります。

 一方、中心塾には様々なエキスパートが居られるのですが、その中に「声楽」の先生もい
らっしゃって...その呼吸のレベルの凄さにコチラが「すいません」(笑)。

 落ち着いたら、M橋さんから発声を教えて頂く予定なので、今から楽しみにしています!!

PS

 今回の掲載中の「お尻」と言う表現については、個人的に「会陰」や「骨盤の締め」と捉
えております。
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(参考)「広瀬香美の大人の音楽の時間」より
 ・腹式呼吸で、美声になろう
 ・実践 美声レッスン1
 ・実践 美声レッスン2
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by cute-qp | 2010-03-04 00:00 | 温故知新