岡野雅行著「世界一の職人が教える 仕事が面白くなる発想法」より引用・ご紹介致しま
す↓。

 俺がいつも口にする言葉に「雑貨」がある。日用雑貨という言葉があるように、口紅のケース
とかライターとか鉛筆のクリップとかね、要するに昔から町工場が手がけてきたもののことだ。

 日本人には今でも相変わらず、コンピュータ部品がすごくて、がま口のような雑貨をつくるの
なんて簡単だと思っている人がいる。「うちはコンピュータをやっているんだ」と言えば「すごい
なあ」と感心するのに、「うちはあの真鎗の鈴をつくっているんだ」と言えば、「あっそ」 ってね。

 本当の物事が見えていないよな。ハンドメイドの時計が何百万円で、クォーツは千円で買え
るってことの意味がわからない人間もいる。そういう勘違いを直さないと、商売でもきっと損を
してしまうんだけどね。

 あるときにこんなことがあった。

 ある大手電機メーカーに講演に行った帰りに、中国担当の事業部長の人と話をしたんだ。
するとその人が、「今日はいい話をしてくれましたね」と。「どの話?」って聞くと「雑貨の話」
と言う。

 その人は年中、中国に仕事で行っている。それで、「中国語で『雑貨』を置き換えると『完
成された技術』と書くんです。とくに南の地方では『成熟した技術』と書くんですよ」と言うん
だ。

 つまり雑貨は技術的な終着点にあるもので、半導体みたいにどんどん変わっていくもの
とはわけが進うんだ。たとえば鉛筆のキャップにしても、鈴にしても、もうあれ以上変わり
ようのない形をしてるだろう? 進化しつくした究極の形という感じがする。完成されている
というのはそういう意味だ。俺が今まで思ってきたことはやっぱり正しかったと、あらためて
思ったものだ。

 金型だって、樹脂のような一発でできてしまうものならいざしらず、金属製品を何工程に
もわたって変形させてつくる金型は、人の手による微妙な調整がなければ完成しない。

 最後の「もう気持ち薄く」なんていう微調整こそが、本当のキモの部分なんだ。

 だからCAD(コンピュータ援用設計システム)で金型の図面をにいて、図面通りつくれ
ばいいなんてのは、ありえない話なんだ。なんでも「ピッポッパッ」とコンピュータの人力
でできてしまうなんて、勘違いもはなはだしいっていうんだよ。最後は人間のアナログな
、手の力がなければできない。

 なぜだか、わかるかい?いつも言っているんだけれど、「気持ちは図面に書けない」か
らなんだ。だから、図面だけもらっても完成までいけないんだね。

 皆さんの仕事だって、マニュアルには書けない部分こそが、他人にはできない、あなた
だけの発想が生きるところなんじゃないかな。
 金型屋とは関係ない人でも、ここのところをよく理解しておくといいよ。ほかのことにも
応用が利くはずだからね。

 俺が「金型は最初から最後までひとりの人間がやらなくてはだめなんだ」って言う理由
はここにある。"気持ち"は図面に書けない」以上は、ほかの人ではそこがすっぽり抜け
落ちてしまうだろう。だからうまくいかないんだ。

 だからこそ、どんな仕事だって「自分じゃなくても、誰がやっても同じ」なんていうことに
はならないものだよ。
b0159328_209974.jpg

         今はあまり見かけなくなった「がま口」の留め金部分。留め金を閉
        じるとき、「パチン」という音がする。この「音」がどうすれば出るかは
        、図面には書けない。感覚で覚えていくしかないが、今はこの音を
        出せるようにつくれる職人が減った。

         一見ローテクに見えるが、じつは「完成され、成熟した技術」の結
        晶である雑貨。それをつくってきた経験と、そこから生まれる発想
        こそ、世界一のものをつくる確かなベースになっている。

 ↑以上、引用終わり。

 最近は、どの製造業の製品もCADで設計されているので、例えば、「車」などはどの
業者の製品も対して変わらないフォルムに見えます。

 さて、春風堂が会社員の頃、新入社員研修を航空機の製造ラインで過ごしました。

 航空機はその安全性を非常に重視される為、その金型を作る時、「万分の5インチ」以
上の誤差を許されません。

 そこで最新機などでは最新のコンピュータとソフトで金型の位置関係を計測します。

 ところがなかなか上手く行かず皆さんお手上げ。

 そんな時、もう直ぐ定年の叩き上げの職人さんが金づちで「トン!」...1発で検査OK
となりました。

 また、研究所にいた時期、バリバリの研究者が設計した製品図面を職人さんがチラッ
と観て一言「これ潰れるよ」。

 経験や積み上げ、工夫もさることながら、頭の中に製品イメージがあり、それを形に
出来る凄さを身近で感じさせて頂きました。

 そして...私は「人間の身体」と言う、もっと複雑な存在に向き合うこととなりました。

 その為の「教科書」や「メソッド」はありますが、生きている人の身体や心、そのバラン
スは文字や図面に表す事ができません。

 まだまだ駆け出しですが、「○○に書けない気持ちを生かせる」様私も励んでいきたいと
思っております。
[PR]
by cute-qp | 2009-08-27 00:00 | 春風堂の想い

 日頃、様々なご質問に頂くのですが、女性の方は、男性よりも熱心で好奇心旺盛!...その
時々に色々なお話をさせて頂きます。

 そこで、身近に出来る「自己ケア」の方法を今日は4つご紹介致します。

① 記録をつける

  女性の身体はひと月、そして生涯を通して色々な変化を繰り返し、だからこそ、ご自身の
 日々の状態を「感じ、観察」して頂く事が大切になります。

  例えば、最近、PMS(月経前症候群)と言う症状が良く聞かれますが、体調の変化に加
 え、ストレスなども症状を悪化させます。

  そこで!ご自身の状況を(本当に「PMSか?」)記録を付けてみます。

  実際、3か月ほど記録をつけ始めてみると、状況が落ち着いてきたり、ご自身の周期的
 な特徴や仮に「PMS」てあっても、その特徴を知り、対処する事が出来ます。

  本来、「病名」と言うのは、医療機関が保険適用する為の「定義付け」で、それをただ「知
 って不安や受け身」になるよりも、自分の状況を知り、どう対処していくか?が大切です。

② 冷やさない

  女性特有の愁訴(生理痛、PMS他)のみならず、様々な不調は身体を冷やす事が原因
 となっている場合が多くあります。

  そこで、体を温めます。基本は「シャワー」より「お風呂」。血流もよくなり、ストレス解消
 にもなります。

  「シャワー」は入浴後、温まっていない部分(例えば、赤くなっていない部分)を補強する
 する意味での「ピンポイント温浴」として使うと効果的デス。

③ ダイエットに気をつける

  女性の話題を小耳にはさむと「ダイエット」が良く聞こえてきますが、過度のダイエットや
 偏りのあるダイエットは後々まで大きな影響を残します。

  女性に多い「骨粗鬆症」も、若い時の骨の貯蓄が大事ですし、ホルモンバランスの崩れ
 で「月経」が止まる事も少なくありません。

  もし、ダイエットが必要な時も、急激な減量を目指すのではなく、徐々に体重を減らす
 ように心がけましょう。

  ダイエットに関しても記録を付ける事で、自分の太る原因(ストレスや過食)を見出せる
 事が多いです。

④ 「素材の美しさ」を追求する

  残暑と言う事でおおよその花火大会は終わりましたが、浴衣を着る男女の姿は私に
 は「お女郎さん」と「お稚児さん」の集まりに見えました(笑)。

  とにかく、おしゃれな「着こなし」のワザがないし、良いものを着ていない(知らない)
 ...それ以上に、着物を着られる「身体じゃない」のですね(しかも、身体に悪そうな姿
 勢で:笑)。

  さりげない「おしゃれ」を知る人には、水面下の努力があります。

  そして、それは「健康」繋がります。

  「健康」は「素材としての自分」の「美しさ」や「強さ」を引き出します。

 以上、4つ...いかがだったでしょうか?

 そのお手伝いを春風堂は行っています。

(参考)
 ① 「美容と健康」には「ヒミツ!とドリョク!」が必要!
 ② "骨盤底筋の締め付け"と"骨盤の締め"
 ③ "無かった事"で本当に良いの?
 ④ 今こそ「女」の「又」に「力」!
 ⑤ "オシャレ目線"と"健康"
 ⑥ 自分をサボらない
 ⑦ 「質問にお答えして ~補正下着について」
b0159328_22365159.jpg

[PR]
by cute-qp | 2009-08-26 00:00 | バランス運動療法・調整法

「ガムラン武者修行」

 皆川厚一 著 「ガムラン武者修行」 PARCO出版より引用・ご紹介させて頂きます↓。

 「アッ! ゴプロッ (馬鹿) ! 何でこんなのができない?」

 縁側にグンデルを二台置き、向かいあって座る。ロチェンさんは、何も言わず突然弾きはじめ
、ひとくさり弾きおわるなり、「やってみろ」と命令する。(そんな無茶な)と思いつつ、最初のとこ
ろを、見よう見まねで叩いてみる。

 「そうじゃない。こうだ」と、もう一度彼が見本を弾く。グンデル越しに、ロチェンさんの両手の動
きをじっと観察する。恐る恐るもう一度弾く。

 説明はいっさいない。一節できると次へ進む。ガイジンだからといって、手かげんはない。

 「違う! ここんとこはこうやって」。そう言われても・・・初めてなんだし…。
 「う-んと、こうですか?」

 (中略)

 グンデル・ワヤンは、バリ島に最も古くから伝わるガムランのひとつだ。影絵芝居の伴奏だけ
でなく、葬式、成人式、赤ん坊のための特別の儀式など、冠婚葬祭あらゆる場面で演奏され
る。儀礼的性格の強い音楽である。

 ふつうは四人で演奏する。大小二台ずつの鍵板楽器のみの小編成で、大二台と小二台が
ペアになって演奏するが、レッスンでは大きいほうを使う。

 ゴン・クビヤールのガンサ(春風堂註:一般的なガムラン演奏)は、右手にばちを持ち、左手
で音を止める。ところがグンデル・ワヤンは、両手にばちを持って弾かなければならない。しか
も右手と左手がそれぞれ別のリズムパターンを演奏する。
 さらに、叩きながら手の平の手首に近い部分を使って、前に叩いた音を次々と止めていか
なくてはならない。でないと、余韻が混じって響きが濁る。
b0159328_2134475.jpg

 少しでも音が濁ると、「アホッ!」だの「マヌケッ!」だのの罵声が飛んでくる。

 「すみません。あの、リズムがよく判りません。何拍で一周のフレーズなんですか?」。
するとロチェンさんはムッとしたように、「何だ、そのリズムとかフレーズとかいうのは。そうゆ
うふうな理屈で判ろうとしても駄目だ。わしがちゃんと見本を弾いてるじゃないか。何が″よく
判らん″じゃ。さ、もう一度弾かんかい!」

 スマンディ先生は最初は我慢して、やがて時には怒ったような顔になることもある。だがロ
チェンさんの場合は、いきなり怒る。そして必ず怒る。怒っているときが一番生き生きしている。

 左手は低音、右手は高音を演奏する。左右のリズムは複雑に組み合わさっている。ある時
は右手が先、ある時は左が先に叩く。ジョーン! シヤラララーン、デーン、ジョーンー・高音
と低音が絡みあい、追いつ追われつ、モザイクのようなフレーズが流れていく。

 深く震える柔らかい低音、金のしずくを思わせるような、輝かしく精気に満ちた高音、その両
者が混じりあった響きが、手元から立ちのぼる。難しいリズムが弾けなくても、そのふくよかな
響きだけで、なんとなく幸せな気持ちになってしまう。

 だが、「アッ! ゴプロッ! さっきもそこ間違えた」、少しでも音が濁ると「アッ!シンケトウ
(そんなんじゃない) !」

 まるで、お前なんか人間じゃないと言わんばかりに、目の前にロチェンさんの顔がアップで
迫ってくる。(冗談じゃないやい! こんなクソ難しい楽器がすいすい弾けるほうが、よっぽど
人間離れしている…)。

 音がきちんと止まっているかどうか、耳をキリキリ研ぎ澄まして注意しないと、即座に怒鳴
られる。叩く自分と止める自分。(いかんいかん! 人格が分裂しそうだ!)

 ロチェンさんは、レッスンの間中ずっと怒り続ける。ほめるときも怒っている。気が短いくせ
に忍耐強い。

 ただただ罵倒されながら、一週間が過ぎた。

 ロチェンさんは午前中アスティで教え、午後は私のレッスン、そして夜はワヤン(影絵芝居)
の伴奏という三本立ての生活だ。レッスンに行くと、たまに私以外のバリ人の生徒が習いに
きていることがある。近所の親戚に教えていることもある。

 やはり罵倒しながら教えている。怒鳴られるのは私だけではないらしい。

 (中略)

 レッスンの前に、ちょっとひとりで前回のおさらいをしようとする。するとたちまち、ロチェンさん
が走ってきて前に座り、いきなり一緒に弾きはじめる。「ア!また違うことやって!」

 ひとりで練習させてくれない。彼の頭の中には、個人練習などという概念はない。レッスン
即実戦なのだ。

 「あの-。さっきロチェンさんが弾いてたの、録音させてもらえませんか?」
 「録音してどうする」
 「家で聞きながら覚えます」
 「ダメだ!」
 「はあ・・・」
 「おまえにはまだ無理だ。第一おまえの先生は誰だ」
 「は、はい。ロチェンさんで……」
 「そうだろうが! だったらわしから直接習えばいい。テープレコーダーなんぞ
 に習うんじゃない」
 「は、え? ええ。はい」
 「おまえがちゃんと弾けるようになったかどうか、わしが確認したら録音を許す
 。キチンと身体で覚えるまでは録音などしちゃいかん!」
 「ヘヘー」。恐れ入りました。

 なんというプライドの高さだ。しかもそれは、芸に対する自信と真剣さからくるプライドだ。
ただ単に、教えてやるから言うとおりにしてろ、というのではない。

 コーヒーを飲みながら、ロチェン先生は話す。「そもそも人に聴かれて、すぐ真似される
ような音楽をやってはいかん」
 ロチェンさんに言わせると、本当に素晴らしい音楽、「凄い」と聴衆を感動させるような音
楽とは、簡単に盗まれない、つまり容易にコピーできないものだというのだ。

 彼は″盗む″という言葉を使う。

 彼によれば音楽は″勝負″の世界である。演奏するほうは、聴いている人間から簡単に
盗まれるような、やさしい演奏をしてはならない。
 「何をやっているのかわからないけど、凄い!」と言われるのが、最高の音楽なのだそう
でそうであればあるほど、聴くほうは真剣にその素晴らしさの秘密を″盗もう々とする。
 すると演奏するほうは、もっと頑張ってさらに高度なウルトラC、Dの必殺技を編みだそ
うと努力する。そうやって音楽は進歩していくというのが、ロチェン大先生の持論である。

 「そうか。それじゃあまるでプロレスみたいなもんだな」。

 練習を終えて、デンパサールヘの帰り道、バイクの上でぼんやりと考えた。「ひょっとした
ら、本当にそうなのかもしれない」。

 ガムランとは、心と身体を鍛えるための格闘技の一種なのかもしれない。「少なくとも、
お行儀よく鑑賞するための音楽ではないな」

 ロチェンさんの教え方は、気まぐれで、唐突で、非能率的で、わかりにくい。怒鳴られっ
ぱなしで、頭の中に整理する余裕がない。

 だが「バカ、アホ」と怒鳴られている間に、いつのまにか少しずつ弾けるようになっている。

 頭よりも先に手が動く。ロチェンさんが何か弾きはじめると、反射的にそれについて弾く
くせがつく。身体の中に、じかに音楽がたまっていく感じがするのだ。

 不思議なことに、そうやって覚えた曲は忘れない。最初は当然不安だった。(こんなやり
方で、録音もさせてくれないで、家に帰ってから忘れたらどうしよう)。だが、次のレッスン
の時、楽器の前に座り、ばちを握った瞬間に思い出す。

 やがて、やっとある一定の長さの曲が弾けるようになる。今度はそれを止まらずに繰り
返して覚える。(うん、これだな)。やっと少し判ってくる。か叩く″と″止める″のタイミング
が、ひとつの動作として身体にインプットされる。タタロタン、ジョラン、ジョラジョラ、タタロ
タン・・・。(うんうん、いい調子だ)

 するとロチェンさんは、全然違うもうひとつのパターンを、同時にいきなり弾きはじめる。

 「うわあ、ちょ、ちょっと待って、ロチェンさん。それやられるとワタシ、全然弾けなくなる」
 「なんで弾けなくなる? これとそっちが組み合わさって、初めてひとつの音楽になるん
 だぞ。コテカンだ。知っとるだろう。スマンディに習わなかったのか?おまえの好きな
 ″理屈々とはこれだ。ほれほれ」

 ロチェンさんは意地悪そうに目をぎょろつかせ、噛みタバコで真っ赤になった口元をと
がらせながら、私の方に顔を突き出す。どうやらロチェンさんは、相手の気に入らない
ところや弱いところを、容赦なく突いてくるタイプめ人らしい。なかなか油断のならない
じいさんだ。

 「それは判ってるんですけど、いきなり入ってこられると、自分がどっちだか判んなく
 なっちゃって」
 「だったら、とりあえずわしの音は聴くな。自分の音にだけしっかり集中しろ。わしがお
 まえに合わせる」
 「え-っ 聴くななんて、無理ですよ。だってお互いの音を聴きあわなかったら合奏に
 ならないでしょう?」

 私がそう言うと、ロチェンさんは少しハッとしたような顔をした。

 「なるほど。確かにおまえの言いたいことは判る。だが、わしが言うのはこういうことだ。
 相手の音を”じっくり″聴いてはいかんということだ。そうすると相手の音楽の波にさらわ
 れる。おまえはあくまで自分の演奏する波に乗って、わしの弾く音の″間合い″を聴くのだ」

 「間合い?」。なんだかよけい判らない。″聴かないようにして聴け”まるで禅問答だ。

 ロチェンさんは老眼鏡の向こうから、ニヤニヤと私の反応をうかがっている。ひょっとして
私は、この年寄りに単にからかわれているだけかもしれん。
 「まあ理屈を言えばそういうことだ。だが理屈が判っても演奏ができるとは限らん。演奏
がちゃんとできる人間だけが、理屈を云々する資格がある。演奏もできないのに、理屈だけ
言う奴のことなんか誰も信用せん!」。ロチェンさんは吐き捨てるように言う。

 「さあ、ミナガワ、もう一度だ!」。やれやれ、何がなんでも私がこの曲を覚えるまで、徹底
的に叩きこもうという態勢だ。

 再び「アホッ!」「ボケッ!」の罵声が飛んでくる。まるでバトルロイヤルだ。

 ちょっとでもこっちがカを抜くと、たちまちドッと攻め寄られる。こっちも常に同じカで攻めこ
んでいないと、音楽のバランスが保てない。連日大パニックだ。

 クビャールのレッスンでは、ガムランの全体像はいまひとつ見えなかった。それは二十人
あまりを要するクビヤールのアンサンブルの、ごく一部しか習っていなかったからだ。

 クビャールの合奏は、各楽器が強弱とかテンポとか、基本旋律とか形式とか、さまざまな
機能を分担しあって成立している。ガンサだけ、クンダンだけできても音楽の作り方は学べ
ない。

 だがグンデル・ワヤンはたった二人で、クビヤールにおけるガンサ、レヨン、太鼓などのす
べての楽器の要素を表現する。
 左右の手が別々に叩くリズムは、ある時は流れるようなガンサ風であったり、また強烈な
レヨン風のアクセントであったり、太鼓のように演奏上の合図を表わしていたりする。

 それらの要素が総合されて、グンデル・ワヤンの音楽はできあがっている。

 それをイメージしながら、自ら音楽を作っていかなくてはならない。たった二台、あるいは
四台の単純な編成だが、その単純さゆえに、合奏音楽としてのあらゆる要素が集約されて
いるのだ。

 ロチェンさんの言う″ガムランの最高峰″とは、そういう意味だったのか。

 それにロチェンさんの教え方は、スマンディ先生と根本的に違う。スマンディ先生は、生徒
の理解を第一に教える。音の仕組みが頭の中で把握できれば、それで一応合格になる。

 だがロチェンさんは、しつこくて厳しい。教養としての音楽、あるいは研究材料としての音楽
という考え方は、彼の中にはまったくない。

 グンデルは彼にとって生活そのものだ。

 それを人に教えるということは、すなわち相手の人格にまで、どんどん入りこんでくるという
ことに他ならない。
 私は、あれよあれよというまに、ロチェンさんの人格の一部にとりこまれてしまった。そうやっ
てなすがままに習ううちに、グンデルの音楽を、″ロチェンさんの言葉″として聴く習慣がつい
ていった。

 ↑以上、引用終わり。

 春風堂は音楽が好きで、民族音楽なども聞きます。その中でインドネシアの「グンデル・
ワヤン」も大好きだったので、この本を楽しく読んでいました。

 そこから十数年経過し、今、改めてこの本を読み返しています。

 如何に出来る様にするか?工夫するか?を思います。
[PR]
by cute-qp | 2009-08-24 00:00

 先日、鍼灸師のK上さんの治療院にお邪魔し、色々とお話したり練習したり致しました。

 以下は後日頂きましたメールです↓。

M岡さん

 昨日は身体操作のご指導、並びに身体調整をして頂き、ありがとうございました。

 お蔭で、自分自身の身体開発をする上でどこが課題であるかを具体的にアドバイス頂き、
今後、自己が何を具体的に鍛錬していけばいいのかの指針が立ちました。

 器用な方ではないので、たくさんの種目をやるというよりも、じっくり一つ一つの課題をクリア
していきたいと思います。

 癖として

 膝が内側に入る、骨盤が開き、それに伴い、大腿骨の大転子が外転する、があるとご指摘
を受けました。

 ここまで具体的に指摘されたことが無く、またそれを克服するための鍛錬法をご指導頂い
たことが、大きな収穫でした。

 課題が見つかっただけで大収穫であるのに、調整をして頂いている中で、今後の鍛錬の励
みとなる言葉も頂き、とても嬉しかったです。

 それはこれまで自分では鈍感な身体の持ち主とだ思っていたのに、実は敏感な身体という
ことに自分では気付いていないだけで、今後身体開発上、可能性がある身体であると、言っ
ていただいたことです。

 今までの自分自身の身体性を高めるために、外からの情報を寄せ集めて過ぎて、考え過
ぎて自分の身体の特徴を知ることを置き去りにする嫌いがあったように思います。

 既に自分の身体に備わっている敏感な身体に、今後の身体感覚を高める鍵があり、それ
を手掛かりに、鍛錬を積んでいけばいいということに気付けたのも大きな収穫でした。

 調整して頂いた後に、今までの自分の立ち方が全く変わり、その感覚をもっている状態で
、合気あげに近いことも出来たので、尚更、希望がもてました。

 行住坐臥のこころで、現在、認識している癖を修正をするということを第一目標に掲げ、
鍛錬に励みたいと思いますので、今後とも観照塾などでのご指導、よろしくお願い致します。

K上拝

 ↑以上引用終わり。

 K上さんには今まで2回診察して頂きましたが、丁寧かつ丹念な診断と様々な東洋医学の
知識にびっくりし、鍼灸と手技と言う立場の違いはありますが、治療の先輩としてお付き合い
頂いております。

 そして...先日は観照塾での一回目と二回目のレクチャーを再編した内容をご覧頂いたの
ですが、「敏感」と言うより、「感性のある身体と感覚」をお持ちなのだと気付き、またまたびっ
くり。

 この「身体」と「知識」がシンクロし始めたらとてつもない事になるな...と思っています。

 ちなみに、私と言えばまだまだ「頭でっかち」(笑)。

 しっかり、「照顧却下」したいと思います。何故なら「青い鳥」はこの身にいるのですから。
[PR]
by cute-qp | 2009-08-12 00:00

からだって面白い! 

 幼少より「美容・健康」、「武術」などに興味のあった春風堂ですが、人の心と体に興味を持
った大きなファクターに「ダンス」や「表現運動」もあります。

 「どうしたらあんな(面白い・素晴らしい・素敵な)動きが出来るのだろう?出来たら楽しいだ
ろうな~やってみたいなあ~」そんな思いがずっとありました。

 10代はバンドなどにも興味がありましたが、音が鳴ると身体が動く体質が(おもちゃか!)
講じ、「身体が楽器なら手っ取り早いし、楽しい」との理由から、ソロダンスはOld School
(古いスタイルのストリートダンス)・タップ・ベリーダンス・日舞・雅楽・民族舞踊、ペアダンス
はソシアル(スタンダード)・アルゼンチンタンゴ・サルサ・リンディホップなどをやれるものは
実際にやってみたり、研究したりしています。

 まさか自分自身が踊ることになる!とは思っていなかったのですが、「治療」や「ボディー
ワーク」同様、不思議なご縁と流れで今に至ります。

 好みは「綺麗」と「面白い」(ちなみに、お神楽も好きです)。

 K野先生同様、自分の行動に「オチ」を好む性格ですが(笑)、「スタンダップ(おしゃべり)
・コメディ」の才能に乏しいので、「ビジュアル(古くはチャップリンやキートンなどの)・コメ
ディ」に拘って日常を営んでおります!

 今日はその一部(ソロパート)を私好みの演者の映像でご紹介致しますのでお楽しみ下
さい!↓。

GoGo brothers' demo (Lock)


ACKY(画面:右) (Poppin')


MAIN STREET 2008 4.26 Sat. 無名の心 (Animation)


Rachel Brice (Bellydance)

[PR]
by cute-qp | 2009-08-08 00:00

資料 「正體術」

 先日の身体の使い方の調子発見法を受け、今日も「正體術」より引用・紹介致します↓

一番、手首(春風堂註:絵の下段は失敗例です。)
b0159328_19191320.jpg

 うつむきに寝て二、三回呼吸し、落ちついたところで、意識を手首に置き、両手首をあげようと
して見る。それにつれて思わず他の部分も動作し、図に類する形をとり得るようならば、この場
合手首が諸動作の先頭に立つことが判明する。これに反し、他の部分が動かず、息をつめて
努力しなければならないようならば、手首はこの際決して動作の指導者とはなり得ない証拠で
ある。依って一休みして次に移る。

二番、腰
b0159328_19192659.jpg

 うしろ腰の腰椎の部分を、下に押しつける気持ちで図の姿勢をとって見る。窮屈を感じる場合
には次に移る。

三番、肘
b0159328_19193822.jpg

 軽く肘を伸ばすような気持ちで上げようと試みる。他の部分がこれに伴わなければ中止。

四番、腹
b0159328_19194928.jpg

 臍と恥骨との間を、下に押しつけてこれを前後に押し伸ばすような気持ちでやって見る。
足も胸も首も手も、これにつれて自然に図の形になるようならば、今日一日はここに意識
を置けばよい。歩くにも立つにも坐るにも、常にここを念頭におけば、一切の動作が驚くば
かり軽快になり、気分も爽快を感ずるに違いない。

五番、足首
b0159328_192067.jpg

 つま先に力をいれず、足首をギュッと曲げて、床から上げようとして見る。ここが中心に
なっていない時には殆んど上げることができない程の窮屈さを感ずるであろう。

六番、脊
b0159328_19202719.jpg

 脊をそらすようにして上げて見る。息をつめなければ此の姿勢が保てないようなら早速
やめなくてはならない。

七番、腰
b0159328_19204258.jpg

 軽く膝を伸ばす気持ちで、わずかに膝の火に力を入れて膝を床から離して見る。思わず
全身がこれにつれて図のような形になり、平静な呼吸がつづくようならば、この際この膝が
全身的活動の首導者となっているわけである。依って常に膝を念頭に置いて行動すれば、
正しいからだの使い方が自然に行われることになる。

八番、頭または首
b0159328_1921031.jpg

 頭を頸椎と一直線にして、顔は下をむいたままの形で、床から上げて見る。顎をひく位
にした方が良い。足も手も丁回に行動を共にしないようなら、ここは今日の中心ではなか
ったわけである。

九番、臀
b0159328_19211687.jpg

 臀のふくらみを下に押しつける気持ちでやって見る。窮屈ならば中止する。

十番、胸
b0159328_19212646.jpg

 胸を床から上げようとして見る。妙に肩に力が入ったり、胃の部分を堅くしなければこれ
が出来ないようなら、すぐ中止した方が良い。

適用法解説

 図版によって第一から第十までの正体術を一通り試みて見た場合、人によってそのい
ずれもが多少の窮屈さを伴い、幾分無理な努力を加えなければ、図に示すような形にま
ではならない人があるかもしれない。

 これは本来無数といって良い程の調子発見法の中から、特に著者が十種だけを撰び
出し、これで恐らく一般的な場合は概括することができると信じ適当に組み合したもので
ある。しかし多数の中には、この十種以外の別の調子発見法が適する場合も在り得るは
ずである。
 こういう場合、もしその人が著者を訪ねて直接相談せられれば、その都度適当な特殊
な調子発見法を、その人のために見出して上げることは決して困難ではない。

 しかし地方在往者のため、直接指導の機会が得られない場合には、やはり本書に掲げ
た十種を順々に実行して見て後、よく落ちついてその難易の度合を反省し、いずれも完全
には行かないまでも、せめて五分通り乃至七分通り程度まで苦労なしに実行できて、例
えば足だけは上がらなかったが、他の部分の形は楽に図の形に適合できたとしたら、そ
れを先ずその時、その人に適したものと、決定すべきである。

 こうして例えば腹を主とし、腹に意識を置いた場合に最も基本の形に近かったとすれば、
一切の行動をここを中心とし、ここのみを意識して行えば、他のどの部分を主とする場合
よりも気安く、のびのびと楽に行動できることに、自分白身でも気づくはずである。

 正体術の基本の形に、からだを適合させることは、最初は馴れない仕事だけに、どこを
中心としてやって見ても、何となく勝手が違い同じ楽さ加減を感ずることが、例えば第一
と第五と同様で、自分では区別つけにくい場合があるかも知れない。

 しかしこの場合にも、他の日常の行動をその各々の部分に意識を置いて、行動しくらべ
て見れば、馴れた仕事だけに、忽ち難易の差がはっきりと自覚される。

 (中略)

 本来からいえば、人の行動動作には、それぞれ正しい自然の基本型があって、からだ
が正体になっていて何の言い分もなければ、その人の動作は常に無意識にこの基本型
に適合しているものである。従って或る部分を意識しそこを行動の先頭に立てるという注
文は、要するに其の場合の基本型に適合するように、その部分を持って行こうとすれば
良い。

 (中略)

 意識の置き場所により、果してそれ程までに同一行動に難易の差が生ずるものかしら
と、もし不審に思われる人々があったら、試みにその時中心とすべからざる点を、無理に
行動の中心として実験して見ることを御すすめする。

 それには十種のうち最もやりにくかった部分を特に意識して、わざと行動の先頭にして
見るが良い。どことなくギゴチなく、時には筋がつれたり意外の部分に痛みを感じたり、
とかく行動の円滑を欠くに違いない。しかもこうしたために生じた凝りや、痛みは、一旦
適合する部分を中心として行動すれば、一切の苦痛の箇所が忽ち解消してしまう。これ
は実に驚くべき事実であり、実験して見て、その意外の効果に、著者自身も目を見張っ
た程である。

 この原理に心づかない以前には、いかに矯正法に苦心して見ても、その場だけでは
見事になおりながら、今度来た時にはいつか再びもと通りの悩みを訴えていた。折角
の苦心が後から後から裏切られるような不愉快さは、到底堪え得られるものではなか
った。

 それがこの原理発見後に心づいて見ると、使い方を改めない限り、いかに姿勢や骨格
や重心の偏倚をその場でだけ矯正しても、使わない問こそ其のままでいたにしても、動
作すれば忽ちもと通りになってしまう。さりとて、からだの使い方を一々傍に随行してい
て指導するわけには行かない。

 即ち十種のためし方を創案して、各自にその時に必要なからだの使い方のコツを発見
させようと思い立った次第である。依って今度の方法は、従来のように各自がただからだ
を著者のところに運んで来ただけで、万事を任せ切りにして、こちらの忠言通りにすれば
良いという万法ではない。好む好まぬに拘わらず、ともかく各自が自分自身のからだの
調子を研究実行しなくてはならない。最初は面倒に感じられる人々も絶無とは言い兼ね
ようが、要するに各自の生活上の最も根本的な欠くべからざる責務といえよう。同じ働く
にしても、終日使いにくい思いをしながら、苦しみ悩みつつ、しかも能率の低い仕事しか
出来ないのと、最初ただ十番の簡単な調子発見法を行うだけで、あとは終日意のまま
に能率高い仕事を疲れを知らずに行いつづけ得るのに比べたら、恐らく誰一人これを面
倒がり捨て去る人はあるまいと思われる。

 況や正しい使い方によってのみ、人のからだは一層健康に進み、誤れる使い方によっ
て百般の不幸と苦痛とがつきまとう。しかもその正しい使い方は時により人により、決し
て一様ではない。ただ常にどこか一箇所が全行動の先頭に立ち他はただこれに追従し
てのみ全身の共同動作が可能である。その先頭の一箇所を探知するのが前記十番の
方法である。

 ↑以上、引用終わり。

 今までに復刻された「正體術大意」が大正15年、「正體術矯正法」が昭和2年、「から
だの使い方」が昭和3年、そして、この「正體術」が昭和11年発行となり、時系列でみて
行きますと著者の苦労や工夫を垣間見る事が出来ます。

 私の大切な本の一つです。
[PR]
by cute-qp | 2009-08-01 00:00 | 温故知新