癒しの音色

 今日はコチラの記事からご紹介致します↓。

カリヨンの音色に癒やし効果 病院や福祉施設で導入
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 病院や福祉施設などで、時を告げるカリヨン(組み鐘)の活用が広がってきた。軽やか
な音色が心身に安らぎをもたらすのでは、と注目されている。

 カリヨンは中世のヨーロッパで生まれた。複数の鐘をハンマーで打って、メロディーを
奏でる。最近のものは、コンピューターで制御され、設定された時間に、自動演奏される
仕組み。現在、日本には、数百のカリヨンがあるという。

 高度専門医療を行う長野県安曇野市の県立こども病院は、昨年11月、オランダ製の
ブロンズ鐘16個を時計台に設置した。朝夕は作曲家・三善晃さんの曲「母子のための
音楽」が流れ、昼は、季節ごとに民謡などの曲が演奏される。NPO法人「いのちと平和
の森」(同県松本市)が「子どもたちを元気づけたい」と寄付を募ってカリヨンを購入、寄
贈した。病院には約140人が入院しており、演奏は子どもたちに好評という。

 滋賀県甲賀市の水口病院には12月中旬、筒状のベルを並べるチューブラー・カリヨン
が設置される=写真=。鐘形のものより音量が小さく、優しい音色を奏でる。病院敷地
の中央に位置する介護老人保健施設の壁に設置される。筒状のベル12本で約20曲
を演奏する。「やすらぎを与える音楽を提供できれば」と同病院。

 カリヨンの輸入販売を行っているカリヨン・センター(東京)の田村紘三さんは「カリヨン
はこれまで、商業施設や公園、駅前広場で主に時報のために使われていた。病院など
での設置が増えてきたのは、鐘の音色の癒やし効果が期待されているからだろう」と話
している。(2008年11月27日 読売新聞)

 ↑以上、引用終わり。

 春風堂より補足させて頂きます。先ずはコチラをご覧下さい↓。
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        自動演奏装置の歴史と分類(アンティーク・オルゴール物語より引用)

 この資料でご覧頂けます様に、エジソンによる「蓄音機」の登場に至るまで、「時計」
を起源として、「自動演奏装置」が発達しました。

 「カリヨン」はその初期から見られるもので、鐘楼の時計に組み込まれ、「鐘」を使用
して時報を告げるものです。

 そして、その年代や性質上、最初は主に「教会」等で見られたものです。

 春風堂は個人的に音楽好きが高じて、一般的な音楽に加え、「民族音楽」や「宗教
音楽」、「オルゴール」にも興味があります。

 その中で唯一、「人工的」と呼べるものがこの「オルゴール」属のもの達ですが、
その起源は「民族」・「信仰」にあり、また、職人達の「魂が籠もった」ものである為か?
その演奏を聴くと本当に心が癒されます。

 但し、これらは当時としても高価なもので、個人蔵でも「貴族」、若しくは「大商人」の
モノ...ごく現代に近い時代でようやく「ジュークボックス」としての存在でした。

 メーカーは新旧混ざりますが「シンフォニオン」・「レジーナ」・「ロッホマン」・「タンホイ
ザー」・「トーレンス(今はリュージュ)」・「ポーター」などがあり、今でも高価ですが作ら
れています(場合によっては「アンティーク」方が安い時もあります)。

 現在、日本でも様々な場所でオルゴールミュージアムがありますので、是非、その
美しい音を聞いてみて下さい。

 また、海外旅行などでは、お買い物や観光も良いですが、一般の方でも参加出来る
「ミサ」の様なものにも足を運んでみて下さい。

 「その建築」・「その音楽」・「その合唱」を肌で感じ、人々の求めた「癒し」や「安静」を
感じられると思います。

 そして、「音楽」でも何でも結構ですので、皆様の生活に「平安」や「癒し」を与える様
な「自分だけのモノ」や「習慣・方法」を是非見付けてみて下さい。

 そのお手伝いを春風堂はさせて頂いています。

 今回、初めてお話致しますが、子供の頃の夢として、なりたいものが2つあったの
ですが、1つは「医療人」、そして、もう1つは「オルゴール職人」でした(笑:凄く本気
でした)。
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by cute-qp | 2008-11-28 00:00

 今日はコチラの方からお話を始めたいと思います↓
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 春風堂は余りテレビを見ないのですが、夜寝る前に「ニュース」は見ます。その際、
この方の出ておられるものも見るのですが、あれれ?と思ったことがあります。

 いつも極端に右肩が下がって辛そうなのです↓。
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 この状態が毎日ですから...可哀相だなと思いました。

 と言いますのも、このニュース番組の演出上、彼女は机に対して斜めに座っており、
プロデューサー・スタッフが「モナリザ」を意識し、彼女が美しく見えるように45°の角度
を採用したらしいのです。

 確かに、彼女が「印象的に映る」見せ方ですが、いつも、この状態だとちょっと不味いの
では...と思っていたら、案の定、ご本人は「骨盤が歪みそう。できれば正面を向いてニュ
ースを読みたい。」・「本番中に首がつったことがある。」と語っておられているそうで...有
名人も大変ですね(報酬が高くても「健康」に釣り合う対価はありません)。

 しかし、これは他人事では無く、皆様も仕事や日常でこんな思いをされている事と
思います。

 良くお見かけしますのは、電話やマウスを持った状態で固まっているとか(笑)。

 そして、こんな風に、それが「習慣」や「癖」として「日常生活」に影響してきます↓。
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               ジョセフ・ヘラー著 「ボディーワイズ」より引用

 引用同著はこう説明します↓

 日常的活動の最もありふれた動作が身体のアライメント(繋がり)を狂わせる。原因が
取り除かれても、その作用は身体に残ることがある。

 身体の不整列は、バランスを保とうと重力と戦っているうちに慢性的なものになる。そし
て新たに全身に不整列を引き起こすため、さらに重力と戦うはめになる。

 つまり、身体が整うまでずっと重力に引っ張られながら、負け戦を続けなければならな
い。重力との闘争をやめきえすれば、重力はまっすぐに立つ助けをしてくれるのに。

 ↑以上、引用終わり。

 勿論、ある意味「仕方がない」とは思いますが、適度な休憩や仕事環境の整理や配置
換え等を、是非、工夫してみて下さい。

 そのお手伝いを春風堂は行っております。
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by cute-qp | 2008-11-27 00:00

 本日は、横田観風先生 著 「万病一風論の提唱」より「風を観ること」を引用
ご紹介致します↓。

風を観ること
                                                            万病一風論の眼目の一つは、「こころ」に風を観ることであった。

 風とは、二章で述べた如く、正常に機能した無の状態からの変位であり、しかも
、体内において、ダイナミックに変化流動している。未だ混沌として何も病気として
感じられない状態から、明確に病気として自覚できる段階のすべてを含む。

 風は、病気そのものであり、生命そのものと直接かかわりを持ち、我々人間の
思惟を超越したところではじめて感得しうる故、「こころ」に観ずるものであった。

 従って、風は、いくら五感の一つである眼で見ようとしても見えない。

 これまで、常に「観」と「見」という文字を使い分けてきた。それには理由がある。

 剣聖、宮本武蔵は『五輪書』の中で、「観の眼つよく、見の眼よわし。」と書いて
いる。これについて、大森曹玄著「心眼」によれば、

 「観の眼というのは、深くものの実相、真相を見破るまなこ、物の内側に秘めら
れた本質を見抜く眼である。見の眼というのは、科学的知識というか、物の表面
を見る眼、物の表面に表われた現象を見る限である。」という

 これによれば、「見」は、肉眼、或いは、思惟により頭で理解する眼であり、
「観」は、まさに「こころ」の眼でみることになる。

 武蔵は、剣道において、この観の眼によってのみ、その極意に達することが可
能である故、この方の眼、即ち「心眼」の修行が、最も大切であることを力説した。

 剣のみにあらずして、あらゆること、特に求道においては、最も重要なことである。

 禅の摂心において、私がはじめて風を観た因縁についてはすでに二章において
記した。

 風を観るとは、どういうことであろうか。

 自然科学的知識によれば、風は、空気の粒子が移動することにより起る。我々
人間の肉眼では、風の実体としての空気の拉子を見ることができない。
 しかし、ひとたび風吹けば、木々を揺がし、葉を落とし、土ばこりをまき上げ、水
面に波をたて、更にヒユーヒューと音を出して、我々に目に見えぬ空気の存在を
気づかせてくれる。  

 従って、風を観るとは、五感によって感じられる現象を通して、その背後にある肉
眼では見ることのできない世界を観ると言うこともできる。

 肉眼で見ることのできない世界とは、「大いなるもの」の世界である。医学的立場
に限れば、「本来の生命」である。
 しかし、宗教や哲学、その他民族、習慣などの相違によって、「空」「仏性」「神」
「道」「霊」「大宇宙」「天」「気」等々、さまざまに表現されている。
 「大いなるもの」は、広大無辺、永遠無限の存在である故、絶対平等の世界であ
り、人間の思惟による認識を超越した世界である。

 故に、風を観ることは、肉限によって見ることも不可能なだけでなく、頭でいくら理
解しようとしても無理なのである。

 それは、東洋的「坐」による内観を行ずることを基本(管理人です:「坐」について
は、座ると言う行為でなく「内観する姿勢」と捉えれば如何でしょう)とし、日々求道
的生き方を実践して、はじめて自覚、体得できるものである。

 これ以上の説明は、本来出来ないのである。不立文字、以心伝心の世界である
故、師のもとで修行し、自得するしかない

 ↑以上、引用終わり。

 しかしながら「私の所に勉強に来る外国人や西欧医学の医者、ならびにほとんど
の東洋医学者でさえ「なぜそうしなければならないのか?」の理由が理解出来なけ
れば、安心して修行し、実践できぬと」と言う理由やを以て横田先生はこのご本を
奏上されたそうです。

 お陰様で、先生の貴重なヒントを私達は垣間見ることが出来ますが、結局は「自得」
するしかないのだと思います。

 その為に、どんな事が「必要十分条件」になるのか?...その観点から「お智慧
を拝借」して行きたいと思います。
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by cute-qp | 2008-11-24 00:00

 さて、唐突ですが...春風堂は「潜在意識教育」と言うものを常に大切に考えております。

 何故なら、「医療人」として幾ら皆様を調整・誘導させて頂いても、ご本人の「日常生活」
や「習慣」、「意識の方向」が変わらねば、皆様をずっと「私に頼らせる」状況になり、愁訴
の「回復」どころか、「心身の自立」や「今後の夢や目標」すら奪ってしまう事になると思い
ますからです。

 正直、「ビジネス」としては「それで良い」部分もあるのでしょうが(対処療法:根っ子を残
して草を刈る感じ)、それは「本質的(根治療法的)」ではないですし、何より私も皆様も
「成長がなく」、お互い愉しくありません(少なくとも、私は愉しくないです)。

 身体と言うものに関わって思いますこと...それは、どこまで行っても「不思議だな」、「面
白いな」と思うことが尽きないこと...それが、皆様の「心」や「意識」の働きとも密接に繋が
っていて、かつ、ご自身も気付いていないような「潜在意識」がその2つを繋いでいる感が
あります。

 例えば、「病気が治らない」のが、知らず知らず患者さんが「家族の気持ちをずっと引き
付けたい気持ち」に起因しているとか。

 そう言う意味で、野口晴哉先生が「治療」から「潜在意識教育」にシフトされたり、心理学
の先生である成瀬悟策先生が、クライアントさんの潜在意識を「身体動作から導く」方法を
採られたり、ミルトン・エリクソン先生が綿密な前提作りと性善説的で、包み込む様な誘導
でクライアントさんの「無意識の方向を光ある方へ導いた」...そんなアプローチに共感と
感動を覚えます。

 この「心と身体を繋ぐもの」...「潜在意識教育」を大切にしたいと考えます(「変性意識」
をお話していますのも、その一貫です)。

(参考)

 ●春風堂の理念
 「はじめに ~ 春風堂のご挨拶 ~」
 「呼吸が変わる 姿勢が変わる 生き方が変わる」
 「ホームセラピスト&アドバイザーを目指して」
 「柔術整復の復興」
 「未来の子供達のために」
 「ヒポクラテスの精神 ~科学性と倫理性~」
 「健康と美容は最優先!」
 「神経訓練法が可能性を開く ~その基本原理~」
 「夢を形に ~春風堂の挑戦~」
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by cute-qp | 2008-11-21 00:00 | 春風堂の想い

 今日は小林正佳 著「踊りと身体の回路」より引用させて頂き、私達の「立ち居振
る舞い」を見直して行きたいと思います。少々長いですがお付き合い下さい↓。

 自分自身のからだを感じとる。緊張を解きほぐし、重心のありかを確かめながらし
っかり動きだす。

 歩くことの練習には、こうしたあらゆる動きの基本が含まれています。

 しかも、自分自身のからだを感じとるためには、心澄まし、気力を充実させなけれ
ばなりません。
 からだを解放することは、心を解き放つことと不可分です。その意味で、「歩く」と
いう日常的な動作がわたしには、単なる準備運動という以上の根本的な意味をもっ
ていたように思われます。

 何はともあれ、歩く措古。などといっても、今さらそんな、と思われる方もあるでし
ょう。
 そんな方は、試しに後ろ向きに歩いてみて下さい。前向きとまったく同じ、とはい
わないまでも、ほとんど前へ進むのと大差なくスムーズに歩けないようなら、それ
は、これからお話するどこかに無理があるからです。

 おおむねそれは、不必要な力を抜くことに関連しています。

 第一に、歩く姿勢。これは、背筋が伸び、しゃんとしていなければなりません。と
いって、通常の「気をつけ」というのとは違います。

 もっと楽に、しかも、背骨の軸が一本びいんと通っている。

 もう少し具体的に書いてみましょう。

 普通わたしたちの背骨は、肢からわずかに弓形を描く形で湾曲しています。背中
丸いとか、逆にお尻が出ているとかということではありません。
 これ自体は悪い姿勢でも何でもなく、いわば極々あたりまえの姿勢なのですが、
いざ動きだそうとすると、このままでは腰からの波動を各部に直接伝えることが出
来ません。

 背骨を腰の真上にしっかり受けとめてこそ、それが一本の軸となり、軸ごとからだ
を動かすことが出来るのです。

 立ったままでは分かりにくいので、仰向けに横になってみて下さい。

 仰向けに横になり、軽く限を閉じ、両手はからだの横。手の平を床において……。
力を抜き、からだ全体に意識を巡らします。

 「カを抜く」といっても漠然としているので、からだの部分部分、余計なカが入って
いないかどうか、楽な状態になっているかどうか、一カ所一カ所静かに意識を巡ら
して観察してみるのです。

 次いで、膝を立てるように、静かに片足ずつ、両足をからだに引きつけます。こう
すると、背中と床との接触面が緩み、腰と肩甲骨との問がわずかに床から離れて
きます。
 片手がさし込めるほどの、アーチ状の隙間が出来るでしょう。特に女性の場合、
この隙間は、男性より大きくなっているはずです。

 ここから背中全体を真っすぐ床面に降ろしてゆくのですが、どすんと背中を押し
つけたのでは、両肩や胸など他の部分にカが入ってしまいます。
 力でからだを動かすというのではなく、あくまでからだの中心から力を及ぼして、
それとの連続で姿勢を変えてゆく。

 ひとつの方法として、まず、臍と、両脚のつけ根のリンパ腺とを結ぶ二等辺三角
形を、からだの中に思い描いてみて下さい。

 三角形を思い描いたら、ふたつのリンパ腺を結んだ三角形の底辺を、ゆっくりお
臍の頂点の方に近づけます。すると、背骨は自然に尾てい骨の方から首筋に向か
って直っすぐ伸び、全体がぴったり床面に接触するはずです。
 これが文字通り背骨が一直線になった状態で、この時の、底辺を引きあげる感
じ、腰、あるいはもっと正確には下腹部、いわゆる丹田と呼ばれる部分で吸い込
む感じが、これからお話するすべての動きの出発点、発動の原動力にもなってき
ます。

 この「吸い込み」をさらに強めると、次第に最初の幾分反り型の靡から丸型の腰
に体型が変わってゆき、少しずつお尻が床から離れます。
 さらに続けると、背骨は再度丸腰から直線に戻り、最後は反り腰になって行き止
まりになりますが、今は最初の、背骨を真っすぐ床面に押しっける感じだけ分かっ
て頂けは結構です。

 この腰の形、極々軽く丹田で吸いあげ、背骨を腰の上に真っすぐ伸ばした姿勢
で立つのです。膝は、幾分緩んでいます。

 さて、この姿勢で歩き始めます。

 両足は、踝がわずかに触れあうかあわないかというほどの平行線。爪先の方向
は、ほぼ前方。
 足裏をしっかり感じとるために、最初はほんのわずか腰を落とし、肩のカを抜き、
とはいえ、前屈みになってはいけません。
 逆に、胸を出すと、背骨はまた元の弓形に戻ってしまいます。気持ちとしては、
幾分やや南扇を落とし気味に、肩甲骨と肩甲骨の間を感じるという位。
 両腕は、からだの揺れにまかせます。歩く、といっても、足を出すというのではな
く、背骨の軸ごと運ぶ感じ。

 思い切りよく、腰から進みます。動きの起点は、あくまで腰。

 腰で歩くつもり。腰の移動につれ、右足から左足へ、左から右へ、からだを支える
支点が交互に移動するだけです。一歩一歩に、確かな重心の移動を感じながら・・・。

 ところで、一歩一歩を踏みしめてゆくという、この際肝心なのは、重みのかかった
足よりも、実は、宙に浮いている足のカが抜け、自由になっているかどうかということ
です。
 重心移動が滑らかに流れるには、次の足、すなわち、重心のかかっていない足が
、腰の移動にぴったり寄り添っていなければなりません。
 敢えて引きつけるわけでも、蹴りだすわけでもない。力みのない自然な足は、着地
の時以外、常に腰のほぼ真下にきているはず。

 不必要なカを抜き、からだの移動にまかせます。

 それでこそこの足は、地面におかれた足にかかった重心が爪先を通過するその間
際、容易に次の一歩となることが出来るのです。
 踵から床面に接触し、実際には幾分外側から内側に包み込む感じで踵から爪先
へ、重心が転がるように移動します。
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               懐かしのバネのおもちゃ「スリンキー」

 ちなみに、普段わたしたちは、自足袋をはいて生活しています。実際の民俗舞踊
の多くが自足袋で演じられるからということもありますが、そればかりではありませ
ん。
 おそらくわたしたちの足裏の感覚自体相当鈍くなっているはずですから、裸足の方
がいいのか、足袋をはいた方がいいのか断定は出来ないのですが、少なくともわた
しには、この方が足裏にかかる重心の在りかを大局的にとらえることが出来る、とい
うのが今のところの印象です。

 ↑以上、引用終わり。

 実は、春風堂も家で石目足袋(滑り難い)を履いています。

 とても、温かく、また指の感覚や足のバランス、重心の位置が分かり易いのがメリ
ットです。
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by cute-qp | 2008-11-17 00:00

 今日は少し思うことがあり、「身体の柔らかさ≠繋がり・バランスの良さ」と言うお話を
少しさせて頂きます。

 昔、私が衝撃を受けた事の1つに、ヨガの成瀬先生の「身体の硬い人のヨガ」と言うお
話があります。

 当時、まだ身体のことについて良く知らない私は「ヨガ」と言うものを極論、「アクロバテ
ィックなストレッチ」位にしか捉えられておらず、「身体が硬いのにヨガが出来るの?」と
大変びっくり致しました。

 更に、びっくりしましたのは成瀬先生ご自身が「余り身体が柔らかい方ではない」と仰
っている事...じゃあ、先生のその凄いアーサナ(体位)は何なんですか?...と思ったも
のでした。
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                成瀬雅春先生の著作より

 そんな私も数年後、ようやく、大切なのは先ず、「全身の繋がりとバランス」なのだと言
う事を実感しました。

 その為に、自分自身の心身を丁寧に観察し、その上で、実際に丹念に自分を動かし、
徐々に、センタリングしたり、改善する事が「ハタ・ヨガ」の要点なのだと気付いたのです。

 しかも、そこがある意味「入り口」で、それを以て「自己管理・観察」する事が、多分、
「ヨガ」と言うものの本質なのではないか?と春風堂は感じています。

 その「結果」、若しくは「付加価値」として、身体の各関節が硬くとも、その連携やバラン
スが良くて「鞭」がしなる様に動ける様になったり、現状が改善され、関節の可動域が広
がったり...その人なりの「柔らかさ」と言うものが出てくる様に思います。

 そう言えば、「イチロー」さんや「北島康介」さんは身体が硬いのだそうです。

 しかし、身体の可動域や位置を正確に「芯出し」しつつ、全身を上手く「連動」・「バラン
ス」させる事で外見的表現がそのイメージと相反する印象と素晴らしい身体運動を作り
出しています。
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 対して、脚を耳に触れるほど上げてそのままピタリと止める「6時のポーズ」や200度
は開いていそうな開脚・ジャンプが特徴のプリマ「シルヴィ・ギエム」ですが...柔らか過
ぎるからか?彼女のアチチュードは「背骨のしなり」や「胸の開き」が少なく、足の長さ
に対し、いつも「胸が縮む」特徴があり、誠に惜しいな...と思っています。
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 つまり、関節の「ストライクゾーン」が広過ぎて、「芯」が感覚として捉え辛いのだと
思います。

 実際、調整や誘導を行う際、身体の硬い方は「ストライクゾーン」が狭く、なかなか運
動を「形」に出来ませんが、その分、全身の繋がりを作る「芯」を明確に出来る利点を
生かし、その前提を丁寧に、段階的に作って行くことで正しい動きを導き易いのです。

 一方、身体の柔らかい方は、正しい繋がりなしに身体が「動き過ぎてしまう」ことで全
身の連動に沢山の「バイパス」を作ってしまう嫌いがあり、自分の「出来ていないこと」
にも気付けない不利な点もあります。

 従いまして、「私は身体が硬いから」とか「腹筋がないから」とお思いの方!...大丈夫
です。皆様の身体には動ける仕組みが既に揃っています。

 それを「発見」し、「使い方」を学ぶ事で皆様の秘めた可能性にきっと気付いて頂ける
事と思います。

 そのお手伝いを春風堂はさせて頂いています。
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by cute-qp | 2008-11-16 00:00

私は「主人公」

 先日、自分とどう付き合うか?お話し致しましたが、今日はそれを禅語の「主人公」
に見ていきたいと思います。

 元々、「主人公」と言う言葉は「無門関」の十二則に見られる言葉で、以下がその
原文です↓

 「瑞巌(ずいがん)和尚、毎日自ら主人公と喚(よ)び、復(ま)た自ら応諾(おうだく)す。
及ち云く「惺惺着(せいせいじゃく)や、喏(だく)。他時異日、人の瞞(まん)を受くること
莫れ、喏喏(だくだく)」

 これを現代語で要約致しますと

 瑞巌和尚という方は、毎日自分自身に向かい「主人公」と呼びかけ、また自分で
「ハイ」と返事をしていました。
 そして、「はっきりと目を醒ましているか」「ハイ」「これから先も人に騙されなさんな
や」「ハイ」と毎日独り言を言っておられた...となります。

 ここでいう「主人公」とは、人間一人ひとりの「主体的な人格」のことです。

 とかく、私達は、本当の自分というものを見失いがちで、とりまく環境がどんどん
と刺激的になって来る昨今、それに囚われ(目を奪われ)、自己喪失し易いのが
現状です。

 そこで、常に、「主体的な自分」をはっきりと自覚する必要がある訳で、それをして
「おい、主人公、目を覚ましているか」と言う事になります。

 また、盤珪(ばんけい)禅師は「主(ぬし)と申さば一切に自在なるところの名じゃ。
自在とは自ずから在るということではござらんか」と仰っています。

 主体的な自己である主とは、すべてのものに束縛されず自由自在でいることを
言い、また、自在ということは、「自ずから在る」と言うことで、力まず、自然に無心
な己れ自身であることです。

 とは言え、それはなかなかに難しい...そこを自分の心身の両面から日々整えて
行く事が大切と言えます。

 そのお手伝いを春風堂は致しております。
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by cute-qp | 2008-11-13 00:00

 昨夜に引き続き、成瀬先生の著書より引用させて頂きますが、今日はこのテーマに
関し、「要介護者」と「介護者」の両面から見た部分を引用させて頂きます。

 どちらも「自分自身」に起こりうる状況と言えます↓。
 
 日々ヨーガの練習を続けていると、それまではできなかったポーズでも、ある日
気づいたらできるようになっていた、ということが多いものです。

 本人の様子を見て大丈夫なようだったら、(介護者は)できるだけひとりでおこなう
ように誘導してみましょう。

 また、可能であれば、介護者も一緒にヨーガをおこないましょう。

 身体を動かして血行をよくすることは、ストレス解消になるだけでなく、介護者の宿
命ともいえる腰痛の予防になります。

 さらに、お互いのポーズを見ることで、ポーズのイメージがより明確になりますし、
自分の身体のクセも知ることができます。

 これは、普通のヨーガ教室と同じレベルで練習することになります。

 ヨーガの練習は、“体感”することが大切です。たとえばひねりのポーズで身体を
ひねるとき、「どれだけ身体をひねったか」ではなく、「自分は今、たしかに身体をひ
ねったな」ということを実感することが重要なのです。
 そうした体感が自分の身体の内部から感じられれば、かなり高いレベルに達してい
るといえます。

 たくさんひねったり、たくさん倒したりすることよりも、確実な体感があるほうが、
より充実したヨーガなのです。

 その意味で、身体の柔軟な一般の方と比べて、ハンデのある要介護者が不利とい
うことはありません。

 むしろ、身体が思うように動かせない分、自分の身体の動きを深く丁寧に観察する
ことができる要介護者のほうが、より体感しやすく、上達も早いといってもいいかもし
れません。

 介護者は、まずそのことを理解してください。

 柔軟体操とヨーガの大きな違いの一つはそこなのです。しっかりと自分を見つめて
、自分のなかで起きるいろいろな変化を見つけだし、確かな体感を感じとるようにする
のがヨーガなのです。

 ↑以上、引用終わり。

 今現在、皆様は「要介護者」や「介護者」でいらっしゃらないかもしれません。

 しかしながら、先ず間違いなく「来たるべきモノ」をご自身で想像・イメージして頂くこ
とで、「今」、そして「これから」の「自分」について感じ・考えて頂けるのではないか?
と思います。

 そして、それを意識する事で、少なくとも、その「時」を「良い形」で、「ベストを尽せる」
「前向きな」ものと出来るのでは?と考えております。
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by cute-qp | 2008-11-12 00:00

 今日は「自分自身」とどの様に付き合えばベストなのか?...その1つのヒントとして
、成瀬雅春先生著「実用介護ヨーガ」より引用させて頂きます↓。

 症状や後遺症の具合にもよりますが、排泄が一部介助や支援を受けながらも
おおむねひとりでできるようになれば、自力で生活できるようになるまではあと一
歩です。

 (中略)

 ここから先は、本人の努力しだいで結果も大きく変わります。本人のやる気と
根気があれば、あきらめていた機能の回復も不可能ではありません。

 「身体が利かないのは仕方がない」とあきらめず、自分のできる範囲でヨーガ
を続けましょう。

 たしかに身体が思うように動かないともどかしく、ストレスを感じることも多いで
しょう。
 しかしそのことは、ヨーガの実践のためには、大きな障害ではないと思ってく
ださい。

 キレイで完璧なポーズを目指す必要はありません。自分の身体の動きをよく
観察することで、自分自身を知ることになるのがヨーガなのです。

 ヨーガは基本的に、形ができればよいのではなく、自分の状態をどれだけしっ
かりと見据えられるかにかかっています。
 今の自分の状態を知り、その中でどれだけ身体を動かせるかを探っていくの
です。
 自分の身体の動きの細部に至るまで意識を向けることで、内容のよい、レベ
ルの高いヨーガになります。

 「自分を知る」ことは、奥が深くて限りがありません。

 まずは身体の動きに注目して、自分の身体はどこまで動かせるのか、自分自
身の限界を知りましょう。
 そして、その動きをしたときに、無駄な力を使っていないかどうかチェックします。
 自分ではまった意識せず、身体のカを抜いたつもりでも、必ずどこかに余分な
力が入っているものです。よく観察して、余分なカを抜きましょう。

 動き自体に無駄がないことも重要です。

 必要最小限で最短距離を余分なカを使わず丁寧に移動するように心がけまし
ょう。

 身体の動きをしっかりと見極められるようになったら、動いていない状態のときに
も同じように観察します。

 ポーズの完成型で身体が止まっていても、身体の内部ではいろいろな動きがあ
ります。

 またそのときの呼吸の状態や心の動きも含めて観察すると、いろいろなことが
わかるようになります。

 そうやって、自分自身を観察する習慣が身につくと、身体のバランスが少し崩れ
ただけでも、すぐにわかるようになります。

 すると、具合が悪くなる手前で気づくことができます。

 自分の体調を知ることができれば、たとえ生命の危機に陥るような大きな病気
になっても手遅れになることなく、危機を回避することができますし、病気の回復
も早まるのです。

 ↑以上、引用終わり。

 コチラに参考として今までの記事を集めてみました。お気に召す話題なりともござい
ましたらご覧下さい↓。

(参考)
 ”揺らぎがあって健康がある ~自律神経のお話~”
 ”お医者様も”予想外” ~自律神経失調症~”
 ”神経訓練法としてのセンタリング呼吸法”
 ”身体の声の聴く ~自律神経による治癒反応~”
 ”もう1つの調整法 ~身体を温める~”
 ”先ずは自分が変わる”
 ”「どうしたらできるのか?」”
 ”身近な薬の正体 ~消炎鎮痛剤~”
 ”「楽しい捻挫話」”
 「エンドゲイナー度」チェック!
 発想法カルタ抄
 答えは自分の中にある ~自己中心観照~
 自分への「無限の命令」
 バランス感覚と修正力
 「セレンディピティ」と「過程力!」
 フサオさんも努力し工夫する
 そもそのも2足歩行って?
 相対神経訓練法 ~治療や介護から日常へ向かって~
 もうひとりの自分の目で見る
 自分をサボらない
 日々のメニュー作り ~コーディネイト力~
 「中心」を観じる
 自己管理の秘訣
 「呼吸法」に「道具」を用いてみる
 「明鏡止水」はイメージ受容感性
 自分に寄り添う心 相手に寄り添う心
 ”「正しい・正しくない」でなく、「感じる・感じない」”
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by cute-qp | 2008-11-11 00:00

 先日、カエル通信 08/11/02でご紹介致しました、TI(トータル・イマージョン)泳法の
HPより非常に素晴らしい考え方がありましたので引用・ご紹介致します↓

●「正しい/間違っている」ではなく「感じる/感じない」

 テニスやゴルフであればボールが考えていたところに飛ぶか飛ばないかで、自分の
スイングが正しいかどうか確かめることができます。またジョギングやサイクリングで
も、手や足の動きの多くを目で見て確かめることができます。

 一方水泳では、残念ながら自分の目で確かめられるところが限られています。この
ため泳いでいて「自分は正しい泳ぎ方で泳いでいるのかな?」と不安になりがちです。
コーチや他の人に見てもらうこともできますが、見る人が変われば意見も異なるので
さらに不安になるかもしれません。

 トータル・イマージョンの練習法では、目で確かめられないところは「感覚」で確かめ
るようにします。「○○のような感覚」を感じるかどうか、それが正しく練習が行われて
いるかどうかの判断基準になります。もちろん本人の感覚と、他人が見たときの実際
の手や体の動きは異なることがあります。このため練習相手となるパートナーを見つ
け、パートナーにまずサポートしてもらったときの感覚を一人で練習するときにも再現
するようにします。

 あるドリルを練習していて、そのドリルで得られる感覚がその通り感じられるようにな
れば、そのドリルは卒業して次のドリルに移ります。このように感覚、すなわち体で覚
えたバランスや姿勢は、コーチが口頭で説明したことを頭で理解するのに比べて忘れ
ることがありません。

●フォーカル・ポイント:一つのことに集中する

 トータル・イマージョンのワークショップでは、ドリルを練習するときに必ず「フォーカル
・ポイント」を決めます。注意しなければならない点はたくさんありますが、全てを思い出
そうとしても混乱するだけです。そこで例えば25mを泳ぐときに、注意する点(フォーカル
・ポイント)を一つだけ決めて、25mを泳いだ後で、その一つが達成できたかどうかを評
価するのです。フォーカル・ポイントが達成できれば、新しいフォーカル・ポイントを決め
ます。もしうまくいかなければ、もう一度同じフォーカル・ポイントで泳いでみましょう。

 このように重要なポイントを一つずつ確実に達成することで、そのドリルを短期間でマス
ターすることができます。

 ↑以上、引用終わり。

 この文章を読んだ時、「凄い」と思いました。

 ここにも書かれています通り、水泳では「見ること」は出来ませんが、「見ること」から
意識を「感じること」切り替えた時、日頃、私たちにとって当たり前過ぎて感じ難い「重力」
や「浮力」、「流れ(物体や力の)」、「バランス」等を感じる事が出来ます。

 そして、それらが「今、どうか?」、「どんな風に変わったか?」、「どうすれば変わる
か?」を観照することで、自分自身を多角的・多感的に捉える事が出来ます。

 一度、この感覚や習慣が自分に身に付きますと、「あるジャンル」に関わらず、日常生
活のほんの些細な事柄や当たり前も新鮮なものとなり、毎日の生活感覚が開け、自己
管理力も増して行く事を感じて頂ける?と思います。

 その為のサポートをさせて頂くのが春風堂でございます。

 そう言えば...本日、芦屋の中心塾(センタリング呼吸法の講習会)は、温灸器を用いた
体のケアがテーマであったのですが、どうしても初めは皆様「ツボの名前」や「目で見て
考えた」事に左右されてしまいがちでした。

 ここで大切な事は「自分に触れたり」、「熱感」を通じ、皆さんご自身の「現状」と「変化」
を「感じて」頂く作業です。

 そして、「感じて」頂く所からご自身の中にある「鍵」を見付けて頂きたいのです。

(参考)
 ”神経訓練法としてのセンタリング呼吸法”
 ”呼吸が変わる 姿勢が変わる 生き方が変わる”
 ”筋肉は「感覚系」?!”
 「水の中で骨盤時計」
 「水の中の瞑想」
 「日々のメニュー作り ~コーディネイト力~」
 「日々の前提作り」
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by cute-qp | 2008-11-06 00:00