昨夜の「明鏡止水」はイメージ受容感性を受け、今日も少しお話致します。

 これは「医療人」としてだけでなく、全ての意味で大切にしたい事で、以下のお話
は鈴木秀子先生の著書より引用させて頂きました↓

 生まれたばかりの赤ちやんを育てている若いお母さんが、こんな話をしてくれま
した。

 彼女のもとには、若いときにブラジルに移住し、最近帰国した元看護師の日系
人が、子育てのお手伝いに来てくれていました。

 その人は、子どもを健やかに育てる方法としてお母さんにたった1つのことを実行
するようにアドバイスしたそうです。

 「おっばいをあげるときにも、寝かしつけるときにも、いつでも赤ちやんに 『いま
それをしようと思うけど、いいかしら?』 とたずねてあげてください。きちんと、てい
ねいにね」。

 彼女は実行しました。「もう寝たいのかしらと思うけど、ねんねの準備をしていい
ですか?」。まるで大人の都合を開くように、何をするにも問いかけました。

 はじめはぎこちなかったけれど、続けるうちにお母さんは、子どもがはっきりと
反応しているのに気づいたのです。

 それをして欲しいとき、赤ちやんは全身で喜びを表現してくれました。気が乗ら
ないときは反応は鈍くなりました。

 「何よりも、母である私の心が整ってきたのです。ていねいにたずねることで、
たとえ赤ちゃんであっても一人の大切な人として壊する心もちになれて、してあ
げようと思うことに一層心を込めることができるのです」とお母さんはいいます。

 人に寄り添うとは、相手の状況を把捉し、相手が一番望んでいることは
何かを察すること。さらに自分の心を整えるということなのですね。

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 小さな子どもであっても、他に一人といない、その子だけの人格をそなえた、か
けがえのない存在です。

 気持ちを尊重し、ていねいに寄り添ってくれる人に育てられた子どもは、きっと
″相手を大切にする人″ へと成長してくれるのではないでしょうか。

 ↑以上、引用終わり。

 いつも私としては、イメージする「こうありたい将来の自分像」と言うものを見据えて
いる訳なのですが、その中の1つがこの鈴木先生の表現で明確になったのです。

 そして、相手に寄り添う為に、先生のお言葉をお借りするならば、「自分の状況を
把握し、自分が望んでいることは何か観察し、これを整える事が大切」
だと思い
ます。

 それが、春風堂なりの「診察」や「治療」、ひいては私のこれからに繋がる気がしてい
ます。
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by cute-qp | 2008-10-31 00:00

 今日は最近、富に大切だと想いますことをお話致します。

 お恥ずかしい話ですが...わがまま一杯に育った春風堂は「人の話を聞く」タイプでは
なく、更に、「思い込み」と言うか、「先入観が強い」人間でありました(笑)。

 しかしながら、それなりに「痛い目」に会ったり、「年齢を重ねた」事に加え、「人の心と
身体」を見据える職業を選び、「人の話を素直に聞く」事や「先入観を捨てる」事の大切
さを身を以て知りました。

 その為にも、先ずは自分自分自身の姿をキチンと写せる「鏡」にならねば...と想って
おります。

 その上で初めて皆様のお姿の一面でも「写せる」様になると。

 そう言えば、「荘子」徳充符(とくじゅうふ)の項に「明鏡止水」と言う言葉があります。

 その意味は「一点の曇りもない鏡や静止している水のように、よこしまな心がなく明
るく澄みきった心境」を指し、勝海舟「氷川清話」の一文にも「ただただ一切の思慮を
捨ててしまって妄想や邪念が、霊智をくもらすことのないようにしておくばかりだ。すな
わちいわゆる明鏡止水のように、心を磨き澄ましておくばかりだ。」とあります。 
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 そこで、今日は先ず、「明鏡止水」を目指す私の練習の一つ...「傾聴」をご紹介致し
ます。

 「傾聴」とは、何らかの問題・苦しみのなかにいる人たちの心を共感をもって受け入
れ、その人たちが再び生きる意欲を取り戻せるように、「側面から」サポートする事を
言います。

 シンプルに言いますと、様々な場面での「聴き上手」です

 但し「聴く」ということは、単に言葉だけではなく、その深いところにある、何かそ
の人が表現したいことを汲み取ることで、その人が伝えたいと思う、溢れる想いを
受けとめ、その人の内面のに触れる営みです。

 その内面...胸のなかにつまっていた想いをはき出してすっきりすると深いところ
から自然に解決に向かう「鍵」が出て来る訳で、ここから聴き手の本領は発揮され
ます。

 従って、本来の「聴き方」は、自分を無にして、相手のいうことに批判や評価を
せず、受けとめたものを的確に打ち返してあげることと言えます。

 「センタリング」ですね。

 この事はとても小さな行為かもしれませんが、そんな聴き方をしてもらえた人
は、「自分の存在価値や重要性」を回復して行きます。

 そして、そういう聴き方が出来た事で、聞き手も自分自身の成長の大きな「鍵」を
手に入れることが出来ると言えます。

 しかしながら...人間はどちらかと言えば、「話す事」の方が好きで、なかなか、
「聞き手」に廻るのは難しいです。

 更に、「核家族化」し、「井戸端会議」がなくなり、家族内にも「会話」が無くなりつ
つある現在、「聴く」技術がどんどん退化している様にも想います(欧米同様、お金
を支払い、「カウンセラー」に話を聞いて貰う風景がそうれ象徴している様に見えま
す)。

 ところが、本や講座で「話し方」はあっても、まだまだ「聴き方」と言うものは少なく
、しかも、「聴く」事は「話す」事以上に経験と技術が必要。

 だからこそ、専門家でなくとも、私たちは「聞く力」を身に付けなくては!と想う春風
堂です。

 そう言えば、最近のお笑いでも息の長い芸人さんは「司会」が出来る人で、彼等は
よく「人の話を聞き、それに的確なアクション・リアクション」を取っています。

 彼等を見て思うのですが、「聴く」と言うのは決して「受け身になる」事でなく、「人が
何をどう考えているかイメージ」し、その考え方を「学んだり」、「思い遣る」等ではない
かな?と感じています。

 そんな「イメージの欠如」が現在の様々な社会問題に繋がっている様に思えて
なりません。

 反面、それが例え一部でも「思い遣る」事が出来る事で、「他人を認め、自分も認
める」
事に繋がるのではないか?...と思います。

 それが、私自身や私のお仕事にはとても大切で...私にとって、「聴く」事を含む「五
感(+α)」は単なる「身体感覚」でなく、「イメージ受容(器)感性」...それを研ぎ
澄ます事(明鏡止水)が大切だと思っております。
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by cute-qp | 2008-10-30 00:00

 唐突ですが、春風堂が「センタリング呼吸法」を練習致します際、「太極棒」と呼ばれる
短棒や木刀、杖などを用いて行う事もあります。

 これは「武道」出身と言う事もあるのですが、「モノを持つ」と言う「制約」や「条件」、
「視点」を持つことで、自分一人の単独練習を出来る限り客観的に行いたい気持ち
からです。

 そう言えば、中国武術でも「拳術だけでなく、気功(心身の作り方や使い方、見詰め方
)や武器術」を総合的に出来て初めて「一人前」...と言うお話を聞いた事があります。

 実際、フリーハンドで簡単に出来る事も、モノが持つ「軽重」や「長短」、「硬軟」や「形
状」が加わることで、「出来ていたつもり」の自分に気付く事が多々あります。

 そこで、もの持った呼吸法として、私が参考にさせて頂いている「白井 亨」先生の剣
術について少しご紹介致します。

 白井 亨(しらい とおる:1783年-1843年)先生は、江戸時代後期の剣客で、天真
一刀流二代目にして、天真伝兵法の開祖。白井流手裏剣術の開祖とも伝えられてい
ます。

 先ず、先生の剣術の技は「腹」・「真空」・「赫機(のび)」の3つから構成されています。

 具体的には練丹の法によって丹田(腹)に充満させた気を、下腹部から鞠のように膨
らませて巨大な球形(真空)を作り、敵をその中に包み込んで身の自由を奪い、目や耳
など五感の働きに頼らず、丹田の力で外界の動きを察知し、剣の切っ先からほとばしる
エネルギー(赫機)で刺し貫くというものです。

 白井先生はこの3つを、「硫黄」と「硝石」と「木炭」に例え、この3つがうまく調合され
たときにはじめて、火薬としてものすごい威力を発揮すると表現しておられます。

 これを私は自動車などの「エンジン」と同じイメージで捉えていまして、呼吸に伴う
「シリンダー運動」が爆発的に全身に伝わる様子を想像致しました。

 そう言えば、同時代の勝海舟の白井先生評は「白井亨といふ達人に就いて教えを受
けたことがある。己れはその時、頗(すこぶ)る心に利得したことがある。この人の剣法
には大袈裟に言へば一種の神通力をそなえていたよ。とても犯さざる神気、刀尖より
ほとばしりて、真に不思議なものであったよ。己れらはとても真正面には立てなかった」
とあります。

 また、平野元良という医師は、白井 亨から錬丹の法を伝えられており、彼曰く、「白井
鳩州翁の技は、その師(寺田宗有)を超えて、動中の工夫を凝らし、空中大気のはたら
きがあるのを察し、鋒尖の赫気を自分で体得した。それは、身心の力を抜いて、天真無
為の道をもって相手を制する法である。師の優れたところは、幼い子供でもいろいろな
方法を用いて導き、短い期間で全体の要旨を会得させることである。」

 そんな錬丹の法の驚くべき効能を知った白井先生は、針谷夕雲、小田切一雲、金子
夢幻、山内蓮心といった不世出の名人たちが、自らの体験から得た剣の極意を述べて
いながら、錬丹について論じていないことに不満を漏らしています。

 この事からも、白井先生は「神経訓練法」や「催眠誘導」、「意識」的な側面から呼吸
法を剣術に用いていた様にも思えます。

 ちなみに、晩年のご本人曰く「俺の剣からは日輪が出る」と門弟たちに語っておら
れたそうです。

 仮に私がそれを真似ても、「日輪」どころか、木刀が割れて「花」が出そうな感じで
すが(笑)、個人的に、「呼吸に伴う剣の振り」のイメージが良く分かった逸話でした。
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 また、最近、お話しております「水泳」も私にとっては「骨盤時計」をフルに用いた
「呼吸法」で、「水中」と言う陸上よりも「呼吸の重要性」に気付き易い環境の元、
「浮力」や「重力」等の条件の下、練っております。

 是非、皆様もご自身の健康法やトレーニングの中に「道具」を導入してみたり、
道具を用いられている(または、道具を使う練習)方は「道具を呼吸で導く」事を
オススメ致します。

 参考に、私の道具をご紹介致します↓
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(上から2番目の長い棒は「鍬の柄」で、中程より下にある白い3本の大小は「鉄棒」です)

(参考)
 ”神経訓練法としてのセンタリング呼吸法”
 ”呼吸が変わる 姿勢が変わる 生き方が変わる”
 ”筋肉は「感覚系」?!”
 「水の中で骨盤時計」
 「水の中の瞑想」
 「日々のメニュー作り ~コーディネイト力~」
 「日々の前提作り」
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by cute-qp | 2008-10-29 00:00

わたしはわたしの看護師

 今日はフローレンス・ナイチンゲール著の「NOTES ON NURSING」(邦題:「看護覚え
書き」)より引用しつつ、健康の責任者としての「わたし」について考えて行きたいと思いま
す↓。

●”はしがき”より

 以下の覚え書は、看護婦に看護を学ばせるための考え方の規範を示そうとしたもので
は決してなく、まして看護婦に看護の仕方を教える手引書でもありません。
 この書は他人の健康に直接の責任を負っている女性たちに、考え方のヒントを与える
ためにのみ書かれたものなのです。
 イギリスにおいては、すべての女性、少なくともほとんどの女性は、一生の間折りにふ
れて、子供にしろ病人にしろ、誰かの健康を預かることになります。言い換えれば、すべ
ての女性は看護婦だということです。
 日常の衛生知識や看護の知識、すなわち身体を、いかにして病気にならないような、
また病気から回復できるような状態におくかといった知識は、世の人々が考えている以
上に重要な位置を占めています。

 これは誰もが持つべき知識であって、専門家のみが持ち得る医学的知識とは
全く別のものなのです。
(管理人:そう言う意味では、皆さん全てが、先ず自分自身
の「看護師」と言えそうですね。)

 さて、すべての女性が、生涯のどこかの時点で看護婦の役を果たさなければならな
い、すなわち誰かの健康に責任を負わなければならないのであれば、女性たちがいか
に看護すべきかを考える際に、女性の体験を集大成したものがあるとしたら、どれほど
貴重で有用なものとなることでしょう。

 私は女性たちに、いかに看護するかを教えるつもりはありません。彼女たちに自ら学
んでほしいと願っています。
そのために、あえてここにいくつかのヒントを与えたいと
思うのです。

● ナイチンゲールの考える「病気」

 ① まずは、病気について、一般原理を以下のように認識することから始めましょうか。
  -およそ病気というものは、その経過のここかしこで程度の差こそあれ、修復の作用
  過程なのであり、必ずしも苦痛が伴うとは限らないのです。

   「つまり、何週間も、何ヶ月も、時には何年も前から気づかれずに起こっていた、毒さ
  れ衰弱する過程を改善しようとする自然の業であり、したがって、(神が定めた本来は
  治るものである)病気の終結は、それに先行して刻々と進行していた病気とその修復
  作用(にかかわる看護の過程)のなかで決まってくるのです(序章より)。

 ② 大自然が定め、また私たちが病気と呼んでいる修復の作用過程は、今述べられ
  たこれらのうちの一つあるいはすべての知識や注意の欠如によってさまたげられて
  おり、そこから痛みや苦しみが生じたり、修復の作用過程全体が中断してしまったり
  します。(看護覚え書き2頁)

 ③ 人間は、ある範囲内においてみずからの性質の創造者となります。(真理の探究
  178頁)

 ④ 精神世界においても物質世界においても、最終的なものは何一つありません。
  -あるのはただ方向性であり、成長なのです。(真理の探究349頁)

 ⑤ 病気というものは、このような見方をしていく方がよりわかりやすく、正しく、実際
  的ではないでしょうか?なぜなら、あらゆる経験が物語るように、病気とはある状態
  を指す形容詞のようなものであり、名詞的な実体など存在しないからです。(看護覚
  え書き37頁)

● ナイチンゲールの考える「看護」

 ① 看護という言葉を私は使っていますが、これは他に良い言葉が見つからないから
  なのです。
   看護といえばこれまでは、薬を与えたり、湿布を施したりという程度の意味しか持ち
  ませんでした。しかし看護とは、新鮮な空気や陽光、暖かさや清潔さや静かさを適正
  に保ち、食事を適切に選び管理する-すなわち、患者にとっての生命力の消耗が最
  小になるようにして、これらすべてを適切に行うことである、という意味を持つべきな
  のです。(序章)

 ② 家庭で家族の健康を守る営みもこれと全く同じことで、健康な人の生命力を最大限
  に保たせるように、...自然の要素を活用するということなのです。(序章)

 ③ 看護婦に教え得る最も重要かつ実用的なことは、何を観察すべきか、どのように
  観察すべきか、何が好転への、また悪化への兆候か、何が重要で、何が重要でない
  のか、看護の怠慢を示す事象は何で、それはどういう怠慢を物語るのか、を教えるこ
  とです。(121-12)

   看護婦を天職とする私たちにとっては、この観察ということが必須条件となるのです。
  なぜなら、これは断言できると思いますが、正確な観察力さえ身につけていれば有能
  な看護婦であるということにはなりませんが、正確な観察カを抜きにしては、どんなに
  献身的であろうと看護婦の役目は果たし得ないからです。(129-8)

   看護婦はさらに、患者の個人的特性を見分けなければなりません。(134-19)

 ④ しかし看護には「神秘」など全く存在しません。優れた看護というのは、すべての
  病人に共通することがらと、個々の病人に固有のことがらを、共につぶさに観察する
  ことのみで成り立っているのです。(135-5)

 ⑤ 内科的治療が病気を癒す方法だと考える人は多いのですが、そんなことはありま
  せん。内科的治療というのは機能に対する外科的治療であって、これは本来の外科
  的治療が、手足や諸器官に対して行う治療と同じなのです。どちらも障害を取り除く
  ことができるだけで、癒すことはできません。それができるのは自然だけです。
   外科的治療は手や足から治癒の障害になる弾丸を取り出しますが、傷を癒すのは
  自然です。内科的治療の場合もこれと同じです。器官の機能に障害が起きた時に、
  内科的治療は、私たちの知る限りでは、自然がその障害を取り除くのを助けはします
  が、それ以上のことはしてくれません。そしてどちらの場合にも、看護がなすべきこと
  というのは、自然が患者に働きかけるのに最も良い状態に患者を置くことなのです。
  (153-13)

 ↑以上、引用終わり。

 正直、長い間、子供用の「伝記」よろしく、「白衣の天使」としてのナイチンゲールしか
知りませんでしたので、この本を読んだ時、非常に驚嘆しました。

 そして、彼女が「はしがき」に書いてある如く、これらのヒントは「看護師」さんだけの
ものではなく、皆様のご家族やご自身に大変有用な視点・考え方だと思います。 

 ちなみに、医師にとっての「ヒポクラテスの誓い」にならい、看護師の戴帽式や卒業式
に、「ナイチンゲール誓詞」があるそうです(彼女は「ギリシャ哲学」や「統計学」、「病院
建築」等にも造詣が深かったとか)。

(参考)
  ヒポクラテス 「ヒポクラテス全集」より
  曲直瀬道三 「養生誹諧」より
  『ウィキペディア』 フローレンス・ナイチンゲール
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by cute-qp | 2008-10-23 00:00 | 温故知新

 先ずはコチラをご覧下さい↓

シニア男性「ちょい太」お勧め 死亡率低下、茨城で調査

 長生きのためには、高齢の男性に限っては「少し太め」がお勧めなことが、茨城県
の約9万人を対象にした調査でわかった。高齢女性ではほぼ標準的な体形だと亡く
なる人の率が低かったが、それでも日本肥満学会が理想とする体形よりは「太め」だ
った。

 高齢になると、若いころより太めの方が望ましい、と海外の研究で指摘されていた
が、日本人の大規模調査で確認されたのは初めて。

 調査したのは県や筑波大、独協医科大などのグループ。93年度に健診を受けた
40~79歳の男性3万2千人、女性6万2千人を03年まで追った。

 この間に男性3930人、女性3164人が死亡。喫煙や飲酒の影響を除いたうえで、
どの体形の人が病気などで亡くなる確率が最も低いかを、年代別に算出した。体形
は、体重(キロ)の値を身長(メートル)で2回割った体格指数(BMI)でみた。

 その結果、男性は40~50代ではBMI23.4、60~70代では25.3の人が、死亡
率が一番低かった。

 BMIは18.5以上25未満が普通体重。25以上で肥満となる。高齢男性では少し
太めな方が、栄養状態が良いといった利点があり、死亡率が低くなっている可能性
がある。若い世代では、肥満によって上がる心臓病リスクなどが利点を上回るらしい。

 女性で死亡率が一番低かったBMIは、40~50代で21.6、60~70代で23.4。
高齢で高めになるのは男性と同じだが、全体に男性より細めだった。

 肥満学会はBMI22を理想とする。男女約4600人の調査で、この体形のとき病気
の確率が最低だった。ただ、調べたのは30~50代で、高齢世代はみていなかった。

 調査の中心だった独協医科大の西連地利己(さいれんち・としみ)助教(公衆衛生学)
は「望ましい体形は年代ごとに分けて考えた方がいい。ただ同じ体形でも、脂肪が多く
て筋肉が少なければリスクは高まるので注意して」という。

2008年10月20日 asahi.com より

 ↑以上引用終わり。

 そう言えば、会社員時代に様々なプレゼン資料や分析資料を作りましたが、その為
の「統計」をどの観点から集め、それを「視覚的に見易く」し、「納得に導くか?」に苦労
した覚えがあります。

 実は、「理解して貰う」必要はありません(笑)。そんなもんなんだと「納得させる」事が
何よりも重要でした。

 従いまして、往々にして、グラフの目盛りを大きくしたり、小さくしたり、用いるデータの
幅を広げたり、狭めたりしたものです(笑)。

 お陰様で、それを聞く身に立った時は、如何に、「数字」や「表」に騙されず、その実情
は何か?を可能な限り注意して聞いていました。

 さて...今回の記事に関して思いましたのが、年齢に比例した「代謝率」はどうなった
のかな?と言う事。

 例えば、年齢に従い、同じ運動をしても痩せ難くなる事でもお分かり頂けます通り、
身体の「代謝」は年齢を経る毎に落ちて行きます。

 それが今回の統計言う、「シニア標準」=「多少、太め」と出た?と感じました。

 但し!本来の目的や意味に立って「肥満」を考えますと、どちらにしても、「それで、
太っても良い」と言う事ではない...と春風堂は思います。

 そう言えば、「脂肪の吸収を抑える」食品も色々出ておりますね。

 そのCMを見ますと、「それでたっぷり食べても大丈夫!」と思い違いを起こしそうな
ものがあったり致します。

 そして...そこに、「学会」や「教授」、「特定○○」と付くのが「統計」と似ておりますね。

 ...等々、色々、その背景を様々に想像してみるとその「実像?」が見えて来るかもし
れません。
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by cute-qp | 2008-10-22 00:00 | 現代医療に想う

自己管理の秘訣

 本日は、オステオパス(オステオパシーの施術者)である、フルフォード博士の「いの
ちの輝き」より引用し、「自己管理の秘訣」を見ていきたいと思います↓。

 わたしの経験では、運動のなかでいちばんいいのはストレッチである。呼吸のリズム
とからだの動きに注意をくばりながら、毎日10分間のストレッチをつづければ、心身が
ととのい、健康的な運動パターンが身につく。

 そのパターンは神経系に刷りこまれ、終生の習慣となる。それは週四回のエアロビクス
よりもずっと効果的だ。

 わたしはその簡単な運動を五〇年間つづけている。よくやっているのは、つぎのよう
なものである。

 (中略)

 ストレッチをおこなうとき、わたしはつねに自分の呼吸に注意を集中し、その音に耳を
かたむけ、両方の鼻孔からでていく空気の量が同じかどうかをたしかめている。
 また、胸郭にも注意を払い、胸が音もなく楽にふくらんだり縮んだりしているかどうか
をたしかめている。

 息を吸うときにやや窮屈さを感じるときは、どこかに緊張があることかわかる。
どこの緊張であれ、もっとストレッチをすればそれがゆるんでくる。


 たとえは首の左側に緊張があることがわかったとしよう。そんなとき、わたしは椅子
に座り、左慌は椅子のうえかひじあてに置いて、右腕であたまを右にかたむけ、首
の左側の筋肉をストレッチさせる。
 そのまま二、三分ストレッチしつづけてから、吐く息とともにゆるめる。こんどは左手
であたまを左にかたむけ、左右のバランスがとれたと感じるまで、それをくり返す。

 わたしがその日のストレッチ運動をやめるのは、両脚や足先にあの心地よい、チリ
チリした生命力を感じたときだ。それを感じるまではストレッチをつづける。


 わたしのような老人に、いや、わたしより五〇歳も若い連中に、ウォーキングこそ最高
の運動だという医師が多い。
 たしかに歩くのがいいことはわかっているのだが、わたしは忙しくてウォーキングなど
している暇がない。

 第一、世の中に最高の運動、完全な運動などというものはあるはずがない。人には
個人差があり、からだが要求しているものはそれぞれみんなちがう。


 ただし、だれもが必要としているものがある。それが呼吸とストレッチングを促進
する運動である。


 ときどき、愚者がどこかで仕入れてきたあたらしい学説を教えてくれることがある。

 週に五回、一日三〇分の激しい運動をすべきだ、汗をかくまで歩け、心拍がいくつ
になるまで休むな云々である。

 わたしはそうした新説を聞き流すことにしている。それらはみんな、わが国の欠陥
教育システムの産物だからだ。

 無数の研究者が就職に必要な博士号をとろうとして苦労している。そのためには、
あたらしい学説をひねりだし、論文にしてつぎからつぎと発表しなければならない。

 だが、そんな論文に読むにあたいするものがあるとは思えない。

 研究機関ではたらいている医師たちも、たえず論文を書いて名前を売りこまなけ
ればならないというプレッシャーのもとにある。
 半世紀以上もそうしたいわゆる「先駆的」な研究が脚光をあびるのを見てきたわ
たしは、その大半が遅かれ早かれ、従来の学説かつぎの新説によって否定される
運命にあることを知っている。

 フィットネスの新説には惑わされないことだ。自分が楽しんでやれるかどうか、
いちばん大切な基準はそこにある。


 楽しくないことをやってもいやになるだけであり、いずれは運動の効果に劣らず
大きな否定的感情からの悪影響を受けることになる。

 その人に向いてさえいれば、激しい運動も悪くない。しかし、向いていない人がや
っているケースが多いのだ。


 膝が故障しかかっているのにジョギングをつづけ、やめようとしない人たちを、わたし
はたくさん知っている。
  
 そんな人に「心配することはない」という医師がいる。膝がだめになったら人工関節
つけてあげようというわけだ。

 しかし、そもそもそんなことが走る目的だったのだろうか?

 人工関節だと?...人工膝関節のつぎは人工股関節をつけるつもりなのか?そんな
ことをしたら全身の骨組みに影響をあたえ、消耗し、悪化し、手術以前の痛みよりも
ひどい痛みに悩まされることになるにきまっている。
 
 運動をする時間についても気にやむことはない。わたしは1日10分のストレッチで
九〇歳まで元気に生きてきた。

 運動でもっとも重要なのは量ではなく持続である。毎日、わずかでも運動のために
時間をさき、節度をもってつづければそれでいい。

 毎日きまった時間に食事をとるのと同じことだ。

 神経系をそれに慣らすことが大切なのだ。規則的なパターンをつくってしまえば、
考えなくてもからだが動くようになる。


 ↑以上、引用終わり。

 自分自身をここまで管理している施術者と言うのはなかなかいらっしゃらないのでは
ないか?と思います。

 しかし、施術者としては、本来的に、自分の心身の自己管理を出来ず、どの経験や
どの感覚を以て他人様に対処するのだろうか?とも春風堂は思っております。

 何故なら「教科書通りの身体」など1つもありませんし、「人の心と身体がどんな風に
動くのか?」...感じる事なしに、目の前に生々しく存在する生命と対峙出来るのか?
と思うのです。

 従いまして、まだまだではありますが、日々、反省・試行錯誤している所です。

 そして、これは「専門家」だけの営みではなく、皆様にも大切なことと思っておりま
す。

 生きるのが難しくなっている昨今、「自分探し」とか「自己分析」等の本や講座などを
良く見かけますが、結局、何に寄りましても、「自分」と言う「生々しい存在」を先ず「じっ
くり」と、次第に「刻々」と感じ、これをあるべき方向に「イメージ」し、「管理」して行くこと
が大切ではないか?と考えております。

 その基本を「健康と美容」と感じる春風堂です。

(参考)
 ●春風堂の理念
  「呼吸が変わる 姿勢が変わる 生き方が変わる」
  「身体の声の聴く ~自律神経による治癒反応~」
  「先ずは自分が変わる」
  「神経訓練法としてのセンタリング呼吸法 」
  「相対神経訓練法 ~治療や介護から日常へ向かって~」
  「神経訓練法が可能性を開く ~その基本原理~」
  「夢を形に」 ~春風堂の挑戦~

 ●なりたい自分になるために
  「エンドゲイナー度」チェック!
  発想法カルタ抄
  バランス感覚と修正力
  「セレンディピティ」と「過程力!」
  フサオさんも努力し工夫する 
  もうひとりの自分の目で見る
  自分をサボらない
  日々のメニュー作り ~コーディネイト力~
  中心を観じる
  「美容と健康」には「ヒミツ!とドリョク!」が必要
  「質問にお答えして ~補正下着について」
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by cute-qp | 2008-10-21 00:00

「中心」を観じる

 今日は野口昭子 著 「時計の歌」 全生社 より引用・掲載致します↓。

 「どんな石でも、石をじっと見ると、石の中心が見えます。中心が分かれば、余分
な力を使わずに、石を動かせます」寺石さんは私の質問にこう答えた。
 
 寺石さんは京都和室の庭を造った庭師である。今、箱根記念館の庭を造り直して
くれているが、三日間で、庭の風情が全く変わり、遠い金時山まで、我が庭に入っ
てきたような気がする。

 私が驚いたのは、五人で裏山の林の奥から一日で二トン前後の石を三つもさんま
たで掘り出し、最も原始的なコロビキの方法で、裏庭と前庭に運び入れてしまったこ
とだ。
 大きな石が、山林を縫うように、スルスルと動いてゆくのを、私は目をみはる思い
で見ていた。

 寺石さんが遠慮深げに語るところによれば、石の中心が見えるようになるには、石
を扱い出してから十年はかかるという。

 私はふと自分が如何にうかつに物を持ち上げていたかを思った。そこで傍らのポッ
トを持ち上げて見た。同じポットでも、手をかける位置で持ち上げる重さの感じが違う。

 一番軽く安定した感じがするのは、やはり重量が平衡する一点なのだ。

 大発見とばかり得意になってオタカ(四男)に言うと、「ママ、今ごろそんなことに
気がついた?」と言われてしまった。

 しかし石の中心が見えても、動かす人の腰がきまっていなければ、石は自由にな
らない。

 整体操法でも、お茶の点前でも、又どんな技芸でも、腰がきまって中心で動作して
いる人の姿は、自然で美しい。余分な力を使わないからだ。

 この間、何十年ぶりかで誘われて歌舞伎を見たが、ある俳優が舞台の中央で、み
えをきる型がきまらないのが気になった。

 動作の最後が、ピタッと止まらないのである。

 だから止まることによって生きる裡なる動きや、空間が生きない。先生(野口晴
哉先生)が、「操法の上手下手は、その人の坐る位置と、構えを見ただけで分か
る」と言っていたが、やはり中心のあり方を見ていたのかもしれない。

 最近、新札が出て、その銅板を彫る名人といわれる押切さんの詰が、朝日新聞
に出ていた。かつては「聖徳太子」と「博文」を、今回は「諭吉」と「漱石」を彫ったと
いう。

 銅板に彫刻刀(ピュラン)で、一ミリの中に十二、三本の線を入れてゆくような精
度を要求される彫刻を、どうやって彫ってゆくのかという質問に、「四、五キロの物
を持ち上げる気持で腹に力を入れ、息を止める(「保息」だと思います:管理人)。
 そして静かに、静かに息を吐きながら一点に神経を集中する」と押切さんは答え
ている。

 やはり彼自身の中心が下腹にきまっているからこそ、精神集中の持続が出来る
のではないだろうか。

 私が自分に中心があることを自覚したのは、もう十何年も前になるだろうか。排泄
の鈍りから、全身が象のようにむくんで、生死の境をさまよった時だった。

 コマが勢いのあるうちは、まるで静止しているが如く立って廻っているが、一旦勢
いがなくなると、中心がフラフラして平衡を失い、遂に倒れてしまう。
 それと全く同じように立てなくなり、ピノキオみたいな手と足と胴が、バラバラな感
じになって寝込んでしまった。
 そんな状態が二ヶ月ほどつづいたろうか、或る時、そのバラバラになった手足が
すーっと吸いよせられるように一つにまとまった感じがして、中心に息が深く入って
来たのである。

 私は今でも、その瞬間から自分が生きる方向に向ったような気がしている。

 人間の無意動作を丁寧に観察していた先生は、個人個人にょって動作の中心が
腰椎一番にある人、二番にある人、四番にある人というように、それぞれ違うことか
ら、体癖ということを追求して行った。

 従って、客観的に見れば、私のような上下型の人間は、腰推一番に力が集って
動作している時は中心が安定して全力を出し易いというが、私自身の感覚では、
あの時、すーっと一つにまとまった感じを、体が未だに記憶しているのだろう、中心
というとその感じが蘇ってくる。

 すると、しみじみと″生きているんだ″という実感が湧いてきて、これだけでもう
何も要らないというような気になってしまうから不思議である。

 ↑以上、引用終わり。

 「治療」や「ボディーワーク」と言うものに関わるに当たって、先ず、「自己観察」
や自身の「センタリング(コーディネイト)」をとても大切に思う今日この頃。

 「どんな風に自分を”中心(その時々で色々な意味があると思いますが)”と言うも
のに近付けるだろうか?」...そんな歩みが日々ございまして、その経験に比例して
、皆様とのひとときや様々な場面・側面で勉強させて頂いている気が致します。

 本当にありがとうございます!
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by cute-qp | 2008-10-18 00:00

筋肉は「感覚系」?!

 唐突ですが...通常、解剖学などでは「筋肉」は「運動系(器官)」とされていますが、
春風堂の感じ方はそれとは少し違います。

 何故なら、筋肉は先ず「感覚系」であって、その上で「運動系」だと感じているから
です。

 一般的に、「力や運動を作り出す源」を私達は「筋肉」だと考えています。そして、
その大きさや強さを「腕力(筋力)」と感じています。

 しかし、実際は「重力」と「バランス←→アンバランスのベクトル」が力を作り出してい
ます。

 ならば、筋肉の役目は何か?と言いますと「力の方向性」や「力の時間軸」を調整す
る作用を担っていると考えています。

 例えば、手に水を入れたコップを持って立っているとします。

 この時、私達はどうやっても水の動きを「止める」事は出来ません...せいぜい、水面
を静かに「保つ」事が出来るに過ぎないと思います。

 この現象は私達自身の心身にも言える事で、例えば、私達は「じっと立てる」様に思い
ますが、「重力」や「外力(ストレス)」に対し、「弥次郎兵衛」の様に、常に微妙なバランス
を取りながら、その場に「留まっている」のが本当の所です。

 その事実は実際、「目を閉じて立ってみる」と良く分かります。

 ちなみに「目」は「感覚系」で「モノを見る」働きをしますが、「内耳」共々「姿勢の維持」
に関わっています。

 同様に、姿勢の保持には「触・圧覚」や「深部感覚(位置・運動感覚)」も関与しており
、「筋肉」はそれを感じ取る「センサー」や「サーモスタット」の様な機能があると言え、
それをして「運動系」である以前に「感覚系」でなくてはならない...と思う訳です。

 そこで、筋肉を「感覚系」として用いながら「神経訓練」を行っていく事により、大脳
の動きを支え、姿勢や運動の維持を受け持っている「小脳」に正しい運動をプログラミ
ングして行くことが出来ます。

 ちなみに、ロルフィングなどでは、「筋肉を包む「筋膜」は「運動や生活習慣」や「ストレ
ス」を記憶する」との説明がありました。

 この様な観点に立って、自分を取り巻く状況から日常生活を捉えてみますと、私達が
思ってきた「常識」が変わって来て、生活上のごく基礎的な所で「ボタンの掛け違え」が
起こっている事に気付きます。
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              増永静人先生 著 スジとツボの健康法より

PS

 「重力を感じる」...って意外に難しいものですね。

 そう言えば、初めて「重力」を感じた時、私は、その場に立っていられない程の重みを
感じ、凄い衝撃を受けました。

 その追体験と申しますか...春風堂の現在の水泳のメニューの中に、「30分泳いだら
トイレ休憩」と言うのがあります(笑)。

 以前お話致しました様に、水の中ですから「重力・浮力」や「バランス」は感じ易いの
ですが、一度、水から出て、フルに「重力」を感じてみます。

 これが多少の疲れもあって、もの凄く重くて歩くのも結構辛いのです。

 ところが、「蹴のび」中心の練習の後、暫時、この時間を設け、「重力感覚」を持って
水に戻るとよりスムーズに「伸びる」感覚が増し、リラックスして泳げます。

(参考)
 「水の中で骨盤時計」
 「水の中の瞑想」
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by cute-qp | 2008-10-15 00:00 | バランス運動療法・調整法

 今日のお昼間、AEON杯の新体操が放映されていましたが、北京オリンピックに
続き、エフゲニア・カナエワ(ロシア)が優勝しました。
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 常にロシア勢と鎬を削っているウクライナからアンナ・ベッソノワも出ていましたが
、演技の安定感や高度なテクニックの数々はやはり頭1つ出ている感じがありました。
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 彼女の凄い所は、難度の高い運動と難度の高い手具(リボンやロープ等の)操作を
同時に出来る技術と柔軟度・表現力ですが、見た所、今日の体調は必ずしもベストと
は言えず、途中、失敗もあった様に見受けられ...にも関わらず、その失敗が「失敗に
見えず」、安定感を保って優勝した所にトップにいる凄さを感じました。

 その凄さを支えているのは日頃の練習で、かつて、新体操の教科書と言われたエレ
ーナ・ビトリチェンコも有名な「練習嫌い」でしたが(笑)、彼女は若干18歳にも関わら
ず、練習に掛ける姿勢も非常にストイック...本当に感心しました。

 そう言えば...新体操は15年程見させて頂いています。

 あれだけ美しく、アクロバティックに動けるだけでも素晴らしいのに、その上、様々
な手具を操る姿が素敵だし、ボディーワーカーとしてはとても興味がありずっと見続
けて来ました。

 他にも先日、ご紹介致しました、Rachel・Briceやアニメーション、他に意拳の創始
者の王郷斎先生や...時として「動物や植物」など...私には沢山の「憧れ」や「先生」が
存在します。

 勿論、私がどんなに頑張ってもそんな「一級」な能力を持てるとは思いませんが、
「良いものを見て」、「そうなりたい!」と楽しみながら努力する事で、昨日の私よりも少
し面白い事になるのでは...そう思っております。

 一方、チャンスがあれば、可能な範囲で「武道」や「水泳」、「サルサ」等...自分で体験
出来るものはチャレンジさせて頂いています。

 「自分の心と身体ににどんな可能性が潜んでいるのか?」が知りたいからです。

 唐突ですが...元々、私は虚弱体質の子供でした。

 アレルギー性鼻炎に喘息、皮膚炎に結膜炎、両半月板に足副靱帯断裂やら(笑)
...まあ、様々な病院や治療院に参りました。

 しかし、どれも全て一向に治らない...好奇心旺盛な私としては、延々と「夢へのスタ
ート地点」にも立てない気持ちでおりました。

 そこで「自分でなんとかしなきゃ!」...と思った事が今へ続いています。

 従いまして、「ただ、マッサージと機械を当てるだけの治療?」や「保険を使い、毎朝
、もんで~(人任せ)の患者さん」を見ていると、確かに「需要と供給」の関係は成り立
っているけれど、結局、両者に「本当の意味」や「進歩」があるのかな?と思いました。

 そんな経緯で、治療家やボディーワーカーと致しまして、ただ、皆様の「調子が悪い」
に関わるだけでなく、皆様がご自身で「美容と健康」を維持出来たり、回復から更に「こ
んな事がしたい!」とか「こんな風になりたい!」のお手伝いをさせて頂き、私も更に成
長させて頂くのが「私の夢」でもあります。

 「夢を形に...」が公私ともの春風堂のビジョンです

(参考)

 ●春風堂の理念
 「はじめに ~ 春風堂のご挨拶 ~」
 「呼吸が変わる 姿勢が変わる 生き方が変わる」
 「ホームセラピスト&アドバイザーを目指して」
 「柔術整復の復興」
 「未来の子供達のために」
 「ヒポクラテスの精神 ~科学性と倫理性~」
 「健康と美容は最優先!」
 「神経訓練法が可能性を開く ~その基本原理~」

 「自分をサボらない」
 「日々のメニュー作り ~コーディネイト力~」
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by cute-qp | 2008-10-14 00:01 | 春風堂の想い

 今、春風堂にとって一番大切!と言うか、大事にしているのが「日々のメニュー作り」
です。

 と申しましても、何か壮大な目標があり、何某かの基準に則い、計画表を作って...と
言うノリのものではありません。

 短くて「1時間」ほど、長くても今日1日の単位の「私のビジョン」?で、極めて行き当
たりばったりのものです。

 その程度のちっぽけなものですけれども、自分を愉しくセンタリングするのに良い
習慣となっています。

 先ず、その中で最も大切で、のキーになる事柄は、自分自身に対する「現状認識」
です。

 しかしながら...これ程捕らえ所がなく、人それぞれの方法が存在するものはないと
思います。

 例えば、K野先生は「起床時の布団の中」や「出勤前の歩み出す3歩」とお聞きして
いますし、私も「起床時」と「洗面台に立った時」、「泳ぎ始め300M」を「現状把握タイム」
と言うか、「一日の起点」にしている部分があります。

 勿論、これが「答え」と言うものではなく、あくまで一例で、何でもOKです。

 その時に行われる事というのが、自分にとって「極めて習慣的になっている行動や動作」
なのですが、それを淡々と行って行く自分の中に何とはなしに「チェックポイント」があって
、そこを基準として「今日の私」を把握します。

 この部分は皆様比較的共通性がある様です。

 その「現状」と照らし合わせた上で、「ここをどうにかしたい!」とか「こんな事をやってみ
よう!」、「ここまで行ってみようかな?」等の目標や欲求が出て参ります。

 そして、そこに至るまでの「イメージ」とか「ビジョン」を大雑把に想像し、何でも良いから
先ず、取っつきやすい所から行動に移します。

 但し、「イメージ」や「ビジョン」と言っても、自分の頭の中だけの「仮想」や「妄想」、「形態
模写」でなく、具体的に「実現・表現したい事」があり、「それに至る具体的な働きのイメージ
と試行」をする「起点や展望」です。

 それを具体化・具象化する方法として、私は自分のやりたい事を大好きな「パントマイム」
や「アニメーション(ダンス)」感覚に作り込みます。

 「ない」から「ある」を作り込む作業です。

 例えば...今日、背泳をやっていた時、「頭と肩の位置関係が悪い」事に気付きました。

 しかしながら、立位や座位と違い、鉛直方向に頭を吊す姿勢や状態でなく、浮力との
関係もあって、イマイチ最適な感覚が導き難い。

 そう言えば、「頭と肩の関係」については、テーブルを利用した座位センタリング呼吸法
が分かり易かった...あの感覚を背泳に引いてくる方法はないか?

 あ!あれが居た(笑)↓
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 早速、この子を参考にしたり、プールにあった子供のおもちゃを額に乗せて背泳した
りしてみました。

 そうしますと求めていた感覚が出て来て、次に「股関節や会陰の締め」や「膝の位置」
と言うビジョンや課題が浮き出てきました。

 そんな風に、即興で、現状認識を随所に入れながら、ビジョンを具象化して行くと、自分
のやっている事に「面白味」や「味わい」が出て来ます。

 これは非常に大切なポイントではないか?と思います。

 だからこそ、何でも結構ですが、皆様が「身近に楽しめる」もの、ところから始めるのも
ミソです。

 但し、自分を「客観視」出来る方法を工夫する事も大切です。

 例えば、私の場合、「武道」や「治療」、「水泳」、「ペアダンス」などの視点や方法があり
ますが、これらは具体的に「相手」や「道具」、「重力や浮力」など存在する為、ある種、自
分を映し出す「鏡」となる訳です。

 また、その営みを可能な限り短いスパン、タームで「区切る」とか「終了」させる事も
大切です。

 それにより、刻々と「現状認識」と「方向修正」を行う事が出来、目標や意識のすり替わ
りを予防・防止出来ます。

 こんな風に、「ひっそり」自分の日々のメニューを楽しみながら作って行くことで何とは
なしに、毎日の生活も整理され、「変わって行く自分」も実感出来、「なりたい自分」を自身
でコーディネイトして行く大きな「急がば回れ」になると思います(個人的には、そこから
「診察」と言うものも学んでいる気もしています)。

 そう言えば、ウィリアム・W・アトキンソンさんの著作にこんな事を書かれていました↓。

 オウムのように同じ文句を繰り返していれば望む結果が得られる、と思い込んではなり
ません。ただの言葉にカがあるという話には辟易しています。
 「ニューソート」と称する人々と付き合うようになって以来、この種の戯言をさんざん聞か
されて、「宣言」や「アファーメーンョン」という語を使うのさえ嫌になりました。

 彼らは同じ文句を反復すれば奇跡が起きると思い込んでいますが、ナンセンスにも程
があります。あなたは同じようにアファーメーションを作り、「何も起きない」と絶望してい
ませんか?起きるわけがないのです!

 何度も言ってきたことですが、もう一度繰り返しましょう。「言葉そのものには何もカは
ありません。言葉に込める気持ちに本当の価値がある」のです。

 気持ちがなければ結果は出ません。結果を出すためには、言葉を骨格として、気持ち
と、期待と、視覚化 (ビジュアリゼーション) で、肉付けを行う必要があります。

 それが方法です。言葉は骨格に過ぎません。血と肉を与えるのが、気持ちと視覚化で
す。

 ↑以上、引用終わり。「視覚化」は「具体化・具象化」と捉えても良いのではないか?と
思っています。

 やはり基本は「己こそ己の寄る辺」なのですね。

(おまけ)

 私が大好きなアニメーション・ユニット「無名(うーみん)の心」の動画です↓勉強
させて頂いています! 
 「core of Woomin 無名の心」
 「Japanese popping comp; [ウーミン] 」
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by cute-qp | 2008-10-10 00:00