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 昨夜は「フサオマキザル」のお話を致しましたが、今日は聖心女子大学キリスト教文化
研究所研究員で、「エニアグラム」(自分と他人を知るための知恵の人間学)の日本での
第一人者でいらっしゃる「鈴木秀子先生」の著作より引用させて頂きます。

 当ブログをご覧頂いている皆様にとっては、突然、「武道家」や「舞踏家」、「お坊さん」
に加え、「お猿さん」のお話まで出て来て、さぞ「当惑」なさっている事と思いますが(笑)
カテゴリー「なりたい自分になる為に」では「春風堂の理念」に基づき、様々な角度や
側面、スタンスから「なりたい自分になるヒント」を学ばせて頂こうと思っています。

 とにかく、色々と学びたい春風堂でございますので、どうか付き合い下さい。

 それでは、シスターの鈴木秀子先生の著作より引用させて頂きます↓

 ...一瞬でいいから、もうひとりの自分の目を持って、自分自身を客観的に見ること
です。

 そのときに大事なのは、自分を批判したり、分析したり、責めたりしないこと。まず
は温かく、ただ見ているだけです。

 「あ、今、私は怒っているな」
 「イライラして、頭の中で批判しているな」
 「緊張のあまり、パニックになっているな」
 「体も硬直しているな」

 などというように、具体的に見つめます。
 
 ある日、大学近くの道端でこんな風景を目にしました。大きな犬が子どもに近づく
と、子どもは「怖い」と言って、体を硬直させたのです。
 口だけではなく、ほんとうに怖がっていることが、その子の体を見ていると、よくわ
かりました。
    
 犬を怖がっている子は、以前に吠えられたことがあったのかもしれません。その
ため、危険を察知したのでしょう。

 人間は恐怖心を抱くと、体が硬直して思考能力が低下します。

 恐怖心というのは、危険を察知するために、その危険を回避するよう起こってくる
ものです。
 だから、それを無理に取り払おうとせず、まず受け容れること。何が原因かを探
ってみます。

 自分の体はどうなっているか、子どもを見るように観察してください。そして、「あ、
この恐れも自分の一部なんだ」と受け容れて、無理に治そうとしない。そこがコツ
です。すると、恐れや不安は自然に薄らいでいきます。

 自分の体、頭、感情、気持ちを、ただじっと、今どんな状態だろうと調べてみるの
は、瞑想のひとつです。すると、自分と仲よしになれるのです。

 人から愛されるようになるには、自分自身と仲よしになるのがいちばん大事です。

 自分のいいところを認め、悪いところも認める。自分の悪いところを笑いながら
認められるような人になると、なぜか人気が出てきます。

 ところが、「自分は、いいところはいいけれど、こういう欠点は受け容れられない。
どうしてそうなるのだろう」と、繰り返し自分を非難していると、周りにもイヤなもの
を投影してしまうため、隔たりを強く感じさせてしまいます。

 ですから、若いときから、自分自身と仲よしになる訓練が必要なのです

 自分自身と仲よくする方法を、私は「天使の観察」と呼んでいます。

 天使が自分の肩あたりにいると思って、天使の温かいまなざしで自分自身を
見つめてみるのです。

 「今、怒っている」
 「今、しよげている」
 「今、落ち込んでいる」

 というように、天使のまなざしを持つと、冷静に軽やかに自分を見ることができ
ます。

 「観察」とか「点検」という行動は、瞑想の一種です

 浮き立っているのでもなく、沈んでいるわけでもなく、心の中に何もない、ただ
静かな感じ。観察や点検は、そういうときにするといいのです。

 「観察」「点検」という言葉は、何かを調べるように聞こえますが、赤ちゃんや
小さい子どもが、これはなんだろうと、手で触ってみたり、いろいろな角度から
見てみたり、ほうぼうを見回したりする。
 そういう行動が観察とか点検で、評価や批判をせずに、ただ純粋に見ること
なのです


 天使のまなざしで自分自身を見つめる練習を繰り返すと、だんだん、自意識
過剰や、不安感、緊張感が少なくなります。つまり「ふり」をしなくなります。

 「緊張してはいけない。不安がらない。心配しないように」などと、自分に言い
聞かせると、かえって、それが大きくなってしまいます。
 そんなときは、肩のあたりから天使が見ていると思って、そのまなざしで自分
自身を点検するといいのです。

 天使のまなざしで自分を冷静に点検していると、不安に思う要素で頭がいっ
ばいの自分が見えますが、そんな自分を責めたりせずに、点検を続けると、し
ばらくは少しこだわっている状態が続き、次の段階に入ると、すっかり今までの
こだわりが消え、不安感までも軽くなっていることに気づくでしょう。

 そういう訓練を日頃から続けていると、自然と周りにいい人が集まってきます。

 また、自分が人と接するときにも、周りの人からプラスの気を与えてもらえる
のです。

 ふだんから、肩のあたりにもうひとりの自分を置いて、自分は何を考え、何を
言っているのか、相手とどんなふうに関わっているのかということを、客観的に
見る訓練をしましょう。

 自分自身を自然体で「あ、今、緊張している」「今、疲れている」と、温かく見つ
めてみる。
 そうすると、自分と仲よしになれて、ふりをすることや、自意識過剰、不安、あ
るいは恐怖から逃れることができるのです。

↑以上、引用終わり。

 この文章を見た時、「ヴィパッサナー瞑想」や「フォーカシング」などを彷彿と
致しましたが...結局、真理の基本は全て同じなんですね。

 ちなみに、ロルフィングのロルフ女史の弟子で、彼女のレシピにエニアグラム
を導入し、「シンインテグレーション」を創始したマーク・カーフェル氏を思い出し
ました。
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by cute-qp | 2008-08-31 00:00

 唐突ですが...今日は「フサオマキザル」をご紹介致します。

 「フサオさん」は「南米のチンパンジー」と呼ばれる程、頭の良いサルで、ペットとしの
みならず、その高い知能を生かして「介護ザル」として訓練されています。

 通常、「フサオさん」はアマゾンなどの熱帯雨林で暮らし、果物を主食にしていますが、
乾燥した森に住む固体は、果物の代わりにヤシの実を主食としています。

 しかし、ヤシの実は、堅い殻に覆われ、そのままでは食べることが出来ません。

 そこで、「フサオさん」達は知恵を働かせ、石を道具として使いヤシの実を割る行動を
進化させました。
 石の重さは約1㎏。2本足で立ち上がり、自分の体重の1/3程もある石を使って実を
割ります。

 こちらはボスの実の割り方ですが、朽ち木の凹みに実を固定し、自分の体重に匹敵
する位の石を上手く持って実を割ります↓
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 流石に、ボス...綺麗なスローです。

 しかし、この方法は一様ではなく、群れの個々が自分特有のスローイングを編み出
しています。例えば、このフサオさんは「飛び込みスロー」です。
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 そして、こちらはボスを真似ようと必死なプチ・フサオ君達です↓
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 ボスの傍でスローイングを見ながら、自分で色々と真似や工夫をして自分のスロ
ーイングを身に付けて行きます。

 この目なんて真剣そのもの...何せ、親から餌を貰えないので自分で椰子の実を割
れなければ生きていけないのですから↓
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 そして...凄い事に、小さい頃から「立って」重い石を運び続けた結果、人間の様に
腰椎が前彎し始めているようです。
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 この現象は「猿回しのお猿さん」にも見られますが、人に訓練された訳でもなく、
石と言う「負荷」を利用してここまで来たのです。
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           (初代ジローの骨格 出典:構造医学 吉田勧持著)

 反面、人間は「どこでもしゃがみ込んだり」、「猫背・がに股」で歩くなど、どんどん
お猿さんに「先祖返り」している模様...実際、重心位置もどんどん後ろに行っている
とか。

 やれ、「2012年」、「フォトンベルト」など色々言われますが、それ以前に「生活習
慣」に「創意工夫」しないと「猿の惑星」が現実味を帯びている?!と思う春風堂で
す(笑)。

(補足)

 猿回しのお猿さんは、小猿の頃から「根切れ」と言う訓練を受けます...具体的には
、前足を付かない様に訓練され、合わせて、早い内から腰や背中のマッサージを受
けるのだそうです。

 その影響か?成長したお猿さんの腰をレントゲンで見たり、亡くなったお猿さん
の脊柱を解剖すると腰に「前彎」が出来、脊柱がS状にカーブします。

 更に、代々、猿回しに関わったお猿さんには生理曲線がすでに「遺伝子情報」
として次の代へと受け継がれるような進化がみられるのだそうです。
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by cute-qp | 2008-08-30 00:00

 先ずは、コチラをご覧下さい↓。

生活習慣病予防、個別指導の受診17%増 07年度

 全国32カ所の労災病院に併設された勤労者予防医療センターなどで2007年度
に生活習慣病予防の個別指導を受けた人は前年度比17%増の6万9418人にの
ぼったことが、独立行政法人「労働者健康福祉機構」(本部・川崎市)のまとめで27
日、分かった。受診の急増について同機構は「メタボリック症候群への関心が高まっ
たことが背景にある」と分析している。
 個別指導の内訳は、喫煙や飲酒、睡眠不足などの習慣の改善を促す「生活指導」
を受けた人が06年度比38%増の1万9922人。理学療法士が健康状態や体力に
見合った運動を指導する「運動指導」が同3%増の1万8256人、医師による栄養、
運動、生活など総合的な「保健指導」が同17%増の1万7815人など。

[2008年8月28日/日本経済新聞 朝刊]

 ↑以上、引用終わり。

 先ず、世間が「ご自身の健康や生活を見直す」傾向にあるのは非常に良い傾向
だなと思いました。
 但し!、あくまで「生活習慣の病」な訳ですから、特別な場合を除いて、「喫煙」
や「飲酒」等の為に医療費や保険料を割いている...と言う点には疑問が残ります。

 どこか「何でも救急車」の甘えのノリや「自分の健康は自分で守る」意志の希薄
さを感じずにはいられません。

 と辛口な事ばかり言っても仕方がありませんので、今日は、「睡眠とメタボリック」
の関係を「ホルモン」の観点からお話したいと思います。

 さて、最近のお話ですが、「食欲」や「エネルギー消費」を通して肥満を調べた結果
、「グレリン」と「レプチン」という2つのホルモンの存在と関係が明らかになって来まし
た。

 ここで「肥満」の原理をおさらいしますと、「身体にエネルギーを必要以上に摂取す
るか、逆にエネルギーの消費が少ない為、体脂肪が過剰に蓄積された状態」を指し
ます。

 そのエネルギーの出し入れに「食欲」が関係し、その「食欲」をこの2つのホルモン
調節していると言う訳です。

 「グレリン」はまだ発見されて10年も経たないホルモンで、しかも、「内分泌系」では
なく、「消化器系」の「胃」から空腹時や食前に分泌され、「食欲」をかき立てます。
 これが習慣として「1日3食」であれば「グレリン」は3回放出されますが、夜更かし
して、空腹を感じればそのたびに分泌される様になり、一日当たりの「食欲」を増やし
てしまいます。
 しかも、「グレリン」は人間の成長に関わる「成長ホルモン」も不必要に増加させる
ので「肥満」が加速する訳です。

 対して、「レプチン」は、脂肪細胞から分泌され、「摂食の抑制」や「エネルギー消費
を高める」働きがあり、この2つのホルモンは相反しながら、バランスを取って作用し
ています。
 しかし、「睡眠不足」になると、なぜか「レプチン」が利かなくなり、バランスがくずれて
しまうと言う現象があります。

 その原因は未だ不明ですが、少なくとも、身体に必要な平衡バランスを壊している
のは確かの様で、結果、「食欲が抑えられない」のみならなず、「エネルギーの消費
を高める」ことも出来なくなり、「グレリン」主体の「メタボな身体」になって行きます。

 では、どうすれば心地よい睡眠を得ながら「メタボ」を防げるのか?...春風堂なり
の考えをお話致します。

 ① 先ず、「夜食」は控え、「睡眠薬」や出来れば「寝酒」に頼らず、自然に眠る。
   その代わりに、眠りを促す、「トリプトファン(睡眠誘発物質)」が含まれた「温め
   た牛乳」の摂取や「ハーブティー」等をお薦め致します。

 ② 「ぬるめの風呂にゆっくりとつかる」とか、「半身浴」をして心身を温め、「副交感
   神経優位」状態に持っていく。

 ③ 寝る前に「激しい運動は控え」、「呼吸法」や「神経訓練法」、「ヨガ」などを用い
   全身の歪みや偏り疲労と取ってこれまた副交感神経優位状態に持っていく。

 非常に大まかで単純ですが、身近で効果的な方法として以上の3つを上げてみま
した。

 とにもかくにも!自律神経(交感神経と副交感神経)の様に、人間に様々なバラン
ス機能があるのだな...とつくづく感動します。

 それに「おんぶにだっこ」ではなく、上手く付き合えれば「生活習慣病」のみならず
、様々な愁訴や病気が予防出来るものと思います。

 (参考)
 「身体の声の聴く ~自律神経による治癒反応~」
 「神経訓練法としてのセンタリング呼吸法 」
 「もう1つの調整法 ~身体を温める~」
 「先ずは自分が変わる」
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by cute-qp | 2008-08-29 00:00 | 現代医療に想う

 この8/31(日)に春風堂の先生であるK野師の「センタリング呼吸法・初級セミナー」
が開催されます(申し込みは締め切られております)。

 それを受けまして、以前の記事を脚注に添付し(参考)、今日は、春風堂が「調整」や
「ボディーワーク」のベースとしている「神経訓練法」の基本的な原理についてお話した
いと思います。

 さて...私達は生まれながらに「呼吸」・「消化」・「循環」・「代謝」と言ったあらゆる機能
を持っており、構造的にも「重力」に対応出来る様に出来ています。
 また、「視覚」・「聴覚」・「嗅覚」・「味覚」・「触覚」と言ったセンサーが皮膚や筋肉など
の「感覚器」として存在し、自分と外部の関連性を脳に伝えてくれます。
 そして、それらは絶妙な神経の機能により、私達は一定のバランスを保ちながら統合
・管理されて生きています。

 例えば、私達の足の裏には七千余りのセンサーがあり、歩く度に地面が硬さや平衡
、摩擦などを伝えてくれてます。
 これらのテータが自動的に脳で処理され、内耳の平衡中枢へ送られ、身体はその状
況に応じて微調整されます。

 この様に、身体は無意識のうちに何度も微妙な調整を行い、バランスの平衡を保っ
ています。

 そして、人間がこのバランス機能を習得するのは生後9~18カ月頃...赤ちゃんは、
腕を伸ばし、這い、転がり、身体の協調性と骨格の支持性を体感して立ち上がり、続け
て、歩き、走り、跳びながらバランスの取り方を覚えて、それを無意識な「習慣」や「能力」
として修得して行きます。

 その「プロセスの差」によって、「上手・下手」が出来、ある人は「スポーツ」に、ある人は
「芸術」等にその能力を見出します。
 しかし、その大半の人間は自分の中に眠る可能性に気付かず、それを「他人事」として
見る側に甘んじています。

 勿論、「身長の高い低い」や「体重の軽重」などが前提条件として影響しますが、「心身
のバランスを保ち、協調させる」事に差はありません。

 ただ、ご自身が「自分」になるプロセスに「差」があったのです

 例えば、子供が何かに取り組む時、「こうすれば愉しい、嬉しい」...その繰り返しの
「パターン」が「自分のなりの方法、習慣、イメージ」を作り上げ、最終的に「自分」と言う
存在が作り上げられて行きます。

 更に、そこに外的要因(社会環境、文化、経験、ケガ、トラウマ)等が不可され、心と身
体のイメージや姿勢が不可・形成され、例えば、物理的に、赤ちゃんの頃にはなかった
「側彎」や「猫背」などを産む原因にもなります。

 これは、身体的にはバランス・協調させ、「より効率的に動かす術」を、心理的
には「自分を見詰め改善する術」を学べなかったことが大きな原因だと思われます。


 現に、発展途上国においては人力に頼る部分の多さが、機械やコンピューターによっ
ての「身体能力」や「創意工夫」の去勢を防いでいますし、アスリートなどは、自らの運
動の質を高める為に日々、自らの心身の精度を高めています。

 対して、普段、私達はこの様な「意識」や「目的」の「必要性」や「重要性」を自己
認識していません。

 更に、私達が「無意識化」させてしまった「重力」という絶え間ない「負荷」は、
私達を押し潰し、身体を歪め、健康状態に悪影響を及ぼしています。


 従いまして、車をメンテナンスする様に、私達は自分の身体や習慣をメンテナ
ンスする必要があります。
 もし、それを怠りますと、体調が悪くなるだけでなく、無意識に「悪習慣」や
「消耗」が進み、私達の「寿命」を縮める事になります。
 恐ろしいのは、「習慣」と言うのは「オートマティック機能」なので、その分、より
良い方法を考えたり・工夫する意識や行動、好奇心を産みません。


 そんな自分を認識し、改善する迄に至っていないのが私達の現状です。

 従いまして、逆に、身近な自分を知ることは自分の「可能性を広げる」事に繋がり
、大きな喜びや好奇心に繋がります。

 その可能性をキーとなるのが、私達を管理している「神経」です。

 脳自身が殆ど使われていない様に、「習慣」の裏に隠れた「神経」の活躍の場は
沢山あり、その「学習能力」が私達の認識している可能性を広げます。

 つまり、私達が生きている間、「限界は広がり続ける」のです。

 従いまして、赤ちゃんの頃に持っていた機能を再び、「意識的に」目覚めさせる
こと
が大切なのです。

 具体的には、「バランス機能に影響を与える」ことで、姿勢や身体の使い方はも
とより、心身に、その影響が及びます。


 例えば、いつもの「立ち居振る舞い」を超スローペースにしたり、「非日常的な動き」
に挑戦する事で、脳に「刺激」と「変化」、「イメージ」、「想像力」、「重力感覚」等を与え
、私達の制御システムを「再プログラミング」・「再編成」するのです。

 その基礎として、人間の基本機能と呼べる「呼吸」を「運動」の起点とし、脳や神経
への「細やかな語りかけ(小さな変動・低刺激)」をしながら心身の機能が高め
る事で、私達の可能性が広がります。

 この時、「大きな動き」や「刺激の強い動き」は控えます。何故なら、「習慣」を超える為
には、無意識に習慣化した動きを発見し、観察する必要があり、より精密な再プログラミ
ングを行う為には絶対であるからです。

 また、そうした動きは「副交感神経優位」の「調和した」動きとなり為、より良い行動パタ
ーンを神経回路に覚えさせる事にもなります。

 こうして「呼吸が変わる 姿勢が変わる 生き方が変わる」方法が「神経訓練法」
です。

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 (参考)
 「呼吸が変わる 姿勢が変わる 生き方が変わる」
 「身体の声の聴く ~自律神経による治癒反応~」
 「神経訓練法としてのセンタリング呼吸法 」
 「相対神経訓練法 ~治療や介護から日常へ向かって~」
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by cute-qp | 2008-08-28 00:00 | バランス運動療法・調整法

 現在、自分への課題として定期的に70歳以上の方を拝見させて頂く機会を積極的
に作っているのですが、「老化」と言うのは本当に個人差があり、60歳そこそこでかな
り「お疲れ目」がいらっしゃると思えば、90歳近くても、私が太刀打ち出来ない程お元気
な方がいらっしゃいます。

 そんな風景を通じ、元気な方の「元気の素ってなんだろう?」...とつらつら見て行くに
多少のご病気やご不調があっても「自分の意志で何かをやる!(やらねばならぬ!)」
と言う意識や言動が共通して見える様に思いました。

 対して、「お疲れ目」の方々は、ご不幸にも「大きなご病気」があったり、「事故」に会わ
れた結果、その「意識」や「言動」が持てなくなっておられる気がしました。

 具体的には「身体が思うように動かないともどかしさ」が先ずあって、それが「ストレス」
になったり「身体が利かないのは仕方がない」と諦めを生じさせ、「意志や意欲」を減退
させ物理的にも精神的にも「行動力」を奪って行くのだと思います。

 そう言う場にあって、何がベストな「治療」や「介護」なのか?春風堂なりの考えをお話
したいと思います。

 唐突ですが、私の学ぶ「センタリング呼吸法」で大切なのは「様々な動きや体位を単に
こなせる」事ではありません。
 それは「道具」や「手段」の1つであって、大切なのは「自分の心身の動きを観察し
、自分の現状を見据え、しっかり知ること」
にあります。

 先ず、自分自身の身体の動きをよく観察し、今の自分の身体の「現状」や「限界」を知
ります。

 その状況下、自分の身体(と心)の細部まで意識を向け、どうすれば現状を変え、限界
が広げられるか(どれだけ動かせるか?)を探求して行きます。

 同時に、自分の動きの「無理・無駄」も省いて行きます。

 そうやって自分自身を「体感」しながらセッションを進めて行く事を「センタリング呼吸法」
では大切に考えます。

 具体的には、「骨盤を丸めたり、反らしたり」する際、「量や回数をどれだけやったか?」
ではなく、「自分は今、骨盤を丸め、反らした」、「それで心身が変化した」などを「体感」す
る事です。

 そうして、自分の中に1つ1つ「確かな体感」を作って行く事が「センタリング」の大前提
となります。

 それが「治療」や「介護」、「リハビリ」にも言え、「意識や意欲、言動の減退」と言う現
象は自分の中にある「確かな体感の減少」だと感じます。

 従いまして、最初は、「受動的な形」になるかもしれませんが、「治療家」や「介護士」
の手を借りて「相対神経訓練」を行う事によって、「確かな体感」を自分に取り戻せる
切っ掛けとなると考えています。

 実際、歩く事がお辛く、日常生活に支障が出ている方に対し、誘導しながら「骨盤時計」
と「足首運動」を中心に「神経訓練」と「調整」を行いますと「意識」や「行動」がはっきりし、
改めて、人間の心身って凄さに感想します。

 また、「後遺症」等で「沢山動けない」、「満足に動けない」と仰る方も多いと存じま
すが、その事自体が「センタリング呼吸法」を実践する支障とはなりません。

 何故なら、「身体が思うように動かせない」=「自分自身を丁寧に観察出来る」事でも
あり、実は、健常者よりも「体感し易く」、「上達も早い」のです(そう言う例を沢山見て
来ました)。
 また、「センタリング呼吸法」は呼吸を中心に「必要最小限」で「最短距離」、「余分な
カを使わず丁寧に動き」、「動ける所から動きを作り・繋げて行く」事が基本であるから
です。

 従いまして、「美しく、パーフェクトを目指す」のでなく、「確かな体感」を増やし、
「ご自分の心身を自分に引き寄せて行く(センタリング)」事によって、自然と回
復が図れると思います。


 勿論、ご本人の「たゆまぬ努力」と「根気」が必要ですが、それ次第で結果や可能性
も大きくなり、どんな状況にあろうと「生涯、自分自身を創意工夫出来る!」
と言う自信と体感を持って頂ける!と思います。

 従いまして、介護者の方も要介護の方々の現状を見て「○○出来ない!」と
どうか決めつけないで頂きたいのです
(却って「負の連鎖」にもなりかねません)。

 一方、「相対法」ですから、「介護者の体調管理も図れます」(「正の連鎖」ですね)。

 これは「ペアダンス」や太極拳の「推手」などと同様ですが、自分自身の心身の有り
様がそのまま「お相手」に映る...と言うのが「相対法」の特徴で、要介護者の補
助を通じ、自身の意識と運動を正しく伝える努力を通じ、自らの心身を整えて行
くことが出来ます(それが絶対必要十分条件になりますので)。

 そうして、自分自身を相手に写して観察する習慣が身につくと、身体のバランス
が少し崩れただけでも、事前にそれを関知・対処出来る様になり、要介護者の心身
のバランスを細やかに見られる事にもなります。


 本来、「治療」...マクロに言えば「人間の営み」は全てそう言うものではないか?と思う
春風堂です。

 その為にも、目下、色々なアクセスの仕方や方法を試行している所であります。
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by cute-qp | 2008-08-27 00:00

 「なりたい自分」や「センタリング」、「中心」をイメージする時、私達は何か「絶対的
なモノや存在、姿勢や信念」を意識してしまいがちです。

 ごく身近な例で言えば、「こうあらねば!」と言う想いやトレーニングなどの本に、
人間を串刺しにした様な線があって、これをして「人間の中心軸」と思う事など。

 しかし、日常における身体のバランスは刻々と変わる為、「不動の中心」と言うもの
は存在し得ず、まして、その対象が「心」となると、その中心は常に移ろいます

 従いまして、何かに「拘ってしまう」と私達は身動きが取れなくなります。

 そこで「セレンディピティ」の姿勢が大変有効なポイントとなります。

 「セレンディピティ(serendipity)」とは、何かを探している時に、探しているも
のとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉で、何かを発見したと
言う「現象」ではなく、何かを発見をする「能力や姿勢」のことを言います。 

 極論すれば、「ふとした偶然」を切っ掛けに、何かを掴む能力の事です。

 これは「行き当たりばったり」とか「適当」と誤解され易いのですが、例え、失敗
を繰り返しても、柔軟な発想で出会いや釣り合いの切っ掛けを膨らませて行く
様な歩みや過程を言い、「セレンディピティ」と言うと舌がもつれそうな春風堂は
「過程力」なんて呼んでいます(笑)。

 従いまして、道草しつつ、気長に気楽に自分を楽しみながら、「セレンディ
ピティ」を体験してみて下さい。「物事は結果でなく、その”過程”が面白い」
のです。


 ちなみに以下は「セレンディピティ」の実例です↓(Wikipediaより引用)

・アレクサンダー・フレミングによるリゾチームおよびペニシリンの発見

  フレミングが培養実験のときに誤って、雑菌であるアオカビを混入させたこと
 が、後に世界中の人々を感染症から救うことになる抗生物質発見のきっかけ
 になった。

・ウィルヘルム・レントゲンによるX線の発見。(1895年)
・ハンス・クリスチャン・エルステッドによる、電流と磁気の関係の発見。(1820年)
・アルノ・ペンジアスとロバート・ウィルソンによる、宇宙背景放射の発見
 (1964年~1965年)
・ルイス・アルヴァレズ、ウォルター・アルヴァレズ、フランク・アサロによる、恐竜
 滅亡の小惑星衝突原因仮説。(1978年~1979年)
・アントニー・ヒューイッシュ、ジョスリン・ベルによる、パルサーの発見(1967年)
・アルフレッド・ノーベルによるダイナマイトの発明
・ポリエチレンの発見
・ポストイットメモの発明
・アルバート・ホフマンによるLSDの幻覚作用の発見
・田中耕一による高分子質量分析法(MALDI法)の発見
・スモーリー、クロトー、カールによるフラーレン(C60)の発見
・飯島澄男によるカーボンナノチューブの発見
・江崎玲於奈らによるトンネルダイオード,トンネル効果の発見
・白川英樹らによる導電性高分子の発見

 (参考)
 「発想法カルタ抄」
 自分への「無限の命令」
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by cute-qp | 2008-08-26 00:00

自分への「無限の命令」

 昨夜の発想法カルタ抄を受け、更に、私達の「好奇心」から物事を見ていきたいと
思います。

 絵を描く(えがく)ということは、紙に絵の具で、絵を描くことだけじゃない。
 刺激を受けて、イメージを持つことが、絵を描くこと。
 イメージを持って、行動することも、絵を描くこと。
 行動しながら、ワクワクすることも、絵を描くこと。
 時間が経って、あの時のことを思い出すことも、絵を描くこと。
 だから、いつだって、誰だって、どこだって、絵は描けるんだ。


 これは、以前、本屋で何とはなしに取った本の背表紙にあった言葉で、著者は
画家の日比野克彦さん。題名は「100の指令」とあります。

 「指令」と言っても、「ねばならない」などと言う、なにがしかの強迫観念や使命感
、義務からものではなく、「やってみよう」と言う、自発的で好奇心旺盛、自由奔放
な「自分への指令」の事です。

 大人になり、社会に出てしまうと、どうしてもこう言う「感性」や「捉え方」を無くし
がちだな...と感じます。

 そこで、「なりたい自分になる為に」、この「100の指令」から、幾つか印象深かっ
たものを抜粋・引用させて頂きます↓。

 ・色の名前を考えよう。
 ・形の名前を考えよう。
 ・赤色と黄色の間の色を集めよう。
 ・目を閉じてまぶたの裏を見てみよう。
 ・口の中をベロで触って、どんな形があるか探ってみよう。
 ・いつもと違う道で家に帰ろう。
 ・りんごはなぜりんごと言うかのかいろいろな人に聞いてみよう。
 ・椅子を椅子じゃないものとして使ってみよう。
 ・走りながら後ろを振り返ってみよう。
 ・右足と左足がかわりばんこに前に出てくることを考えながら歩いてみよう。
 ・歩きながら右に曲がるときにどうやって右に曲がっているのか、自分の足
  をよく観察してみよう。
 ・お風呂のお湯で噴水を作ってみよう。
 ・自分の影と握手をしてみよう。
 ・自分の影を切り離してみよう。
 ・虫が言葉を喋れたらなんて言うか想像してみよう。
 ・何分じっと止まったままでいられるか一人で時計を見ながら計ってみよう。
 ・昨日家に初めてやってきたものがいつまで家にいるか予想してみよう。
 ・家から学校に行くまでに何種類の感触があるか、触りながら学校に行こ
  う。
 ・布団の中に入ってお風呂の中を想像してみよう。
 ・外に出て、一番遠くから聞こえる音を探そう。
 ・外に出て、何種類の音が聞こえるか数えてみよう。
 ・一番遠くに見える小さなものの中にある一番大きいものを想像してみよ
  う。
 ・いろいろなものを見ながら、誰がどうやって作ったか想像して話し合って
  みよう。
 ・今日の気持ちを食べ物にたとえてみよう。
 ・秒針のついた時計を見て、60秒間秒針をジーと見て、その間に考えてい
  たことを言葉にしてみよう。
 ・蚊のスピードを計ろう。
 ・鉄棒を毛糸で巻いて、暖かい鉄棒にしよう。
 ・ボタンとボタンの穴を違うものでくっつけてみよう。
 ・一日で見た生き物を全部覚えておこう。
 ・知らない人の名前を100人書いて、その人がほんとうにいるか電話帳で
  調べよう。
 ・斜めなところに水をたらして、どんな形を作りながら流れるか見てみよう。
 ・お弁当を食べながら、家にある冷蔵庫の中を想像してみよう。
 ・ガラスはなぜ透明なのか、ガラスを触りながら考えてみよう。
 ・洗濯物がいつ乾くのか、時々洗濯物を触ってみよう。
 ・木にとまっている鳥を自分と目が合うように心で呼んでみよう。
 ・帽子の中に秘密の言葉を書いた紙を入れて街を歩いてみよう。
 ・飛行機雲を見つけたら、飛行機の中でみんなどうしているか想像してみ
  よう。
 ・ご飯のお米は「種」なんだと思いながら食べてみよう。
 ・うちわの風がどこまで届くか挑戦してみよう。
 ・空から落ちてくるものを空を見上げながら探してみよう、もしくは想像し
  てみよう。
 ・車の中から隣の車は何処から来て、何処に行くのか、運転している人
  を見ながら、推測してみよう。
 ・テレビの緑色と本の緑色と自然の緑色を比べてみよう。
 ・ゴムはなぜ伸びるのか。ゴムを引っ張りながら考えてみよう。
 ・1は何色だろう?3は何色だろう?8は何色だろう?数字と色をつなげ
  てみよう。
 ・ボールを遠くに蹴る人の形はどんな形をしているのか観察しよう。
 ・拍手をするとなぜ音が出るのだろう、拍手でいくつの種類の音が出る
  のだろうか試してみよう。
 ・指を使って自分の好きな形を作って、名前をつけて自分のマークにし
  よう。
 ・陽だまりで目をつぶって、暖かいのがどこから来るのか感じてみよう。
 ・ラジオを聞きながら、喋っている人の顔を想像して描いてみよう。
 ・似ている形同士を集めよう。
 ・逆立ちをして逆さ言葉を言ってみよう。それがどういうふうに聞こえた
  か、聞いてみよう。
 ・自分がジャンプしている間に地球が何メートル回ったか想像してみ
  よう。
 ・魚屋さんと文房具屋さんを混ぜてお店を出してみよう。洋服屋さんと
  八百屋さんを混ぜてお店を出してみよう。
 ・透明人間を描いてみよう。
 ・野良猫に名前をつけてやろう。
 ・ドアの取っ手がもしなかったらどうなるのだろうか、取っ手を使わず
  に生活してみよう。
 ・駅で誰かが来るのを待っている人を誰かが来るまで待ってみよう。
 ・靴の裏には今日一日歩いてきたものが全部くっついてきていること
  を想像しよう。
 ・目と目を間にもうひとつ秘密のめがあるのだけれど、その第3の目
  は自分では見れません。けどその第3の目でいろいろなものを見
  てみよう。


 また、あとがきで日比野氏はこう書いています。

 なんだか時間がゆっくりしていたある日のこと、せっかくだからどうでもいいこと
を想像してみた。そうしたら、一日がいつの間にか過ぎていた。そしてノートに書き
留まっていたのがこの「100の指令」です。
 どうでもいいことは結構どうでもよくなくて、何にも役には立ちそうにないけれど、
自分の中にうろうろしているのは表には、はっきり出てこないけれど、結構役に立
っているようで・・・。
 私の日常の中でどうしようかなーなどと考えているとき、頭の中では100の指
令の仲間がズバリと答えは出さないのだけど、こんなことがあったりして、あんな
感じもしたりしてみて、などと関係ないところでウロウロしている。
 私は無責任な奴等だなあと相手にしないのだが、彼等が通ったあとに吹く緩や
かな風が、アッ!そっかー!という展開になったりする。
 100の指令を読み返しながら、あなたの100の指令の仲間を呼び集めてみて
ください。

 ↑以上、引用終わり。

 他人がどう思うか?は別として、自分が愉しければ私は良いと思います(笑)。
どうか、皆様もご自身への「無限の指令」を愉しんで下さい。
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by cute-qp | 2008-08-25 00:00

発想法カルタ抄

 昨夜の夢の途中 08/08/23を受けて、今日は、発想の仕方について板倉聖宣先生著
「発想法カルタ」より抜粋、引用させて頂きながら観ていこうと思います↓。

押してだめなら引いてみな それでも駄目なら回すんだ

 テレビをつけることなど誰でもできることです。ところが、旅先でテレビをつけようと
思っても、機種が使い慣れているものと違うと、電源を入れることさえできないことが
あります。
 機種によってはスイッチを押すもの、引き出すものがあるかと思うと、回してオンに
するものもあるからです。
 ちょっとやってみてうまくいかないと、すぐに「できない」とあきらめてしまう人がいま
すが、いろいろ試行錯誤的にやってみることが必要なのです。

 このことわざ、本来は人間関係、とくに恋の駆け引きの話でした。それも、「試行錯
誤的にいろいろやってみろ」というわけです

なんとなくも理屈のうち

 「なんとなく」ということで何かを選ぶことがあります。「そんなの理屈じゃない」とい
われても、まったくデタラメに選んだのでなければ、それは立派に理屈のうちに入る
ものと認めなければなりません。

 じつは、大発見・大発明というのも、たいていは、発見者・発明家の 「なんとなく」
という気持ちが元になっているのです。
 どうして自分には 「なんとなくそう思える」 のか、その理由がわからないのに「な
んとなくそう思える」というときには、やはりそれなりの根拠があるとみたほうがいい
のです。

 そういうことを大事にしてはじめて大発見ができるのです。

予想を選んで知る自分の心

 「自分の心は自分が一番よく知っている」-大抵の人はそう思っています。

 ところが、「ある未知の問題の答えについて予想を立てて下さい」といわれて予
想を選んでみると、そのとき「ああそうか、自分はこういう考えをもっていたんだな」
とわかることが少なくないのです。
 小学生でも、授業の中でそういう発見をして驚くことが少なくありません。食堂に
入って、他人が選んだ食べ物を見てはじめて、「ああ、あれが食べたかったんだ」
と思うこともあります。

 選択肢が目の前に現れてはじめて、自分の考えがまとまるというわけです。「わ
れ考えるが故にわれ在り」という哲学的な話です。

「わからない」と言うのが謎解きの第一歩
 
 自分のわからないことを「わからない」というのはとても勇気のいることです。

 へたにそんなことをいうと「こんなことも知らないのか」と馬鹿にされることが少な
くないからです。
 しかし、捨身の戦法で「わからない、わからない」といい張ってくれる人がひとりい
ると、まわりのみんなは助かります。

 ときには「じつは、優等生や先生もみんなわかっていなかったんだ」とわかること
があります。

 そうなったら、みんなで考え直してみて、新しい発見ができるかも知れないので
す。だから、ときにほ捨身の戦法で「わからない」といってみましょう。

 私は小学生時代に教わったことも片端からわからなくて、大学に入った後まで、
「自分の頭は特に悪いのではないか」 と心配でならなかったのですが、勇気を出
してそのことをロにしたところ、ほかの人たちもまるっきりわかっていないことがわ
かったことが何度もあります。

 そして、安心したというか、「わからないことに気づかずにただ覚えこんだ人よりも
、わからないことにこだわり続けた自分のほうが優れている」というようにも思えて、
それまでになく自信をもつことができるようになりました。
 そこで、私は学生時代に「わからないことはわからないと言おう」という言葉を唯
一の合言葉として、とても活気のある研究会を組織することに成功したのでした。
 
予想変えるも主体性

 人間というものは、メンツがあってなかなか一度公表した自分の意見・予想を変え
られないものです。他人の前で予想変更を公言するのはとても勇気がいります。

 それは、他人から「予想を変えるのはずるい」とか、「主体性のないやつだ」といわ
れるのがいやで、自分でも何となくそう思っているからです。
 政治的な転向・裏切りと真理認識の問題とがごちゃまぜになっているのです。

 しかし、予想を変えるのは自分自身なのですから、「予想を変えるのも主体性のう
ちなのだ」と確信をもてるようになると、予想変更へのこだわりがうんと減るようにな
り、自分の進歩に飛躍をもたらせてくれます。

どちらに転んでもシメタ

 何か変わったことが起こると何時も「悪いほうに転んだ」と思う悲観的な人がいま
す。

 剣道で立ち会っていて、相手が少し動いたらいつも「打ち込まれる」と思うようなら
、その試合は負けに決まっています。
 相手が少しでも動いたら「しめた、すきができたぞ」と思えるようになったら、試合
に勝てるようになるでしょう。

 何か変化したときは、負ける恐れもある代わりに、その変化をうまく利用して勝つ
チャンスでもあるのです。いつも悲観的に考えているとそのチャンスを見過ごして
しまいます。

 どんな変化のときも、必ず自分に都合のいいチャンスにもなっていることを忘れ
ないことです。

ビニールも切り込みがあれば切れる

 ビニールの袋はなかなか破けなくて、中の食品などを取り出すのにとても苦労する
ことがあります。
 ところが、そんなビニール袋でもどこか一個所にちょっとした切り込みがあれば、簡
単に破れるようになります。

 「ちょっとした工夫で場面が大きく展開する」ということを示す新しいことわざとして
どうでしょうか。

 そういえば、「水は百度で沸とうする」といっても、そのきっかけがないと百五度くら
いまで過熱されてしまいます。そこで、化学者は<沸とう石>を入れて、沸とうのき
っかけを作ってやります。
 そうしないと、(突沸)といって、過熱した熱湯がいきなり容器から飛び出して危険
なのです。

できないお陰でできもする

 ほんらい「能力」というのは、何かが「できる」ということです。しかし、車の運転が
できない人は「他人を轢き殺すことができない」という能力があることになります。

 ファラデーは、小学校もろくに行かなかったために、数学がまるでできませんで
した。そこでその時代の電気力学の研究には落ちこばれたのですが、そのため
却って、当時の数学ではちょっと処理のできないような数学的なアイデアを開発し
て、「電磁気学」という新しい科学の分野を開くことができました。

 「何かができないというのも能力のうちだ」という逞しい生き方もあるのです。

最後にだますのは自分

 「他人にだまされた」と思うとき、よくよく考えてみると、「それを信じたい自分が、そ
れを疑おうとする自分をだました」といえるのが普通です。
 だから、昔から、詐欺師はなかなか捕まらないといいます。だまされた人も恥ずか
しくて訴え出られないのです。

 自分にだまされないようにするのが一番なのです。

 「自分で、真理だ正義だと確信できたことでも、それが間違っていることが少なく
ない」ということも知っていないと、とんでもない間違いを犯しかねません。
 自分が真理・正義を主張していると信じているときほど人を傷つけ易いことはない
ので、くれぐれも御用心。

 ↑以上、引用終わり。

 板倉先生は「仮説実験授業」の提唱者として有名な理学博士・教育学者です。

 抜粋に当たり、他にも色々ご紹介したいものもございましたが、泣く泣く、これ
だけに絞りました。私としては「最後にだますのは自分」がお気に入りです。
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by cute-qp | 2008-08-24 00:00

 先日、伊藤先生や成瀬先生のお話をご紹介致しましたが...同じく私達が、自分
自身を観照し、楽しく暮らすにはどんな事が必要か?アレクサンダーテクニークの
考え方から検証したいと思います。

 以下は、「からだを解き放つアレクサンダー・テクニーク」地湧社 谷村英司著か
らの引用です↓

 アレクサンダーは、私たちには固定観念にとらわれて内面の自由を見失ってしま
う心理状態があると指摘し、それを「エンドゲイニング」と名付けています。

 これは、目的に至る手段やプロセスをよく吟味しないで、目的の達成や結果を得
ることに駆られている心理状態のことを言います。
 例えば、″私は○○にならなければ安心できない″とか″私も○○を獲得すれ
ばきっと満足する″といった固定観念がエンドゲイニングの心理状態を強く呼び起
こし、誤った方向の努力に私たちを駆り立てるのです。

 私たちは人生において、小さなものから大きなものまで、さまざまな目的や夢をも
ちます。そしてその実現に向かって邁進するわけです。そのこと自体は悪いことで
はありません。それどころか、それは個々人に生きるカを与えるものだと思います。
 しかしエンドゲイニングは、そのときにあまりにも目的に固執し結果を急ぐため、自
分にとって何か良くエンドゲイニングないことをしていてもそれに気づかず、目的だけ
を達成しようとしてしまうのです。

 アレクサンダーの例で言えば、彼はシェークスピアの朗唱家として名声を上げるこ
とが夢でした。
 しかし、その夢に向かって猛進したために、声が出なくなるという″犠牲″を払って
しまったのです。そしてその結果、朗唱家としてやっていけなくなるかもしれない危機
に遭遇してしまうわけです。

 彼にとっては意外な落とし穴だったかもしれません。

 そこで彼はもう一度そのプロセスを見直す旅に出ました。そうして、このアレタサン
ダー・テクニークというものが生まれたわけです。

 エンドゲイニングによるこうした″犠牲″は、私たちの内面でいろいろな問題を起こ
しているように思います。すぐに表に現れてくるわけではありませんが、知らぬまにそ
れに浸食されていくのです。

 だから、そのことには気づきにくいのです。

 特に、目的が表面的にはうまく成し遂げられた場合、自分が払った″犠牲″に気づ
かず、それを置き去りにしてしまいます。
 しかし、やがてそれが限界点に達すると、からだや心に問題が現れたり、外の現象
(人間関係がうまくいかないなど)として現れたりするのだと思います。

 このエンドゲイニングというものは、人間の意識の一状態で昔からあると思います
が、現代社会では、これが一原因となっている病理が特に顕著に現れているように思
えます。
 個人個人の内面がますます無視され疎外されるようになり、表立った成果のみが評
価されて結果、それに払われた内面の犠牲がさまざまな形で表に現れてきているの
が、現代の社会病理のような気がするのです。

 ですから、今こそ私たちは、自分の中のエンドゲイニングについてよく調べてみるべ
きだと私は思っています。

エンドゲイナー(エンドゲイニング的意識に駆られている人)の特徴(是非、皆様も
チェックしてみて下さい。)

□ エンドゲイナーは「今」を見ない

 エンドゲイニングにとらわれているときは、その目的や結果に意識が集中してし
まっているので、「今」自分の中で何が起こっているのか、「今」自分の周辺で何
が起こっているのか見ていない。
 しかし、私の問題は「今」起こっているのだ。それゆえ私は、自分自身の問題に
対して無自覚である。

□ エンドゲイナーは鈍感である

 したがってそのときは、「今」自分の中で起こっていることにも、周辺で起こって
いることにも鈍感である。
 いや、もっと正確に言うなら、おそらく感覚はそれをとらえているのだろうけれど
も、その感覚からの情報を聞くことができないのだろう。

□ エンドゲイナーは急いでいる

 私は最近、なぜかわからないが、理由もなく急いでいる。私はなぜそんなに急い
でいるのだろう?その先に何があるというのだろう?それは「今」からの逃避だろう
か?だとすれば「今」の何から逃避しようとしているのか...何を恐れているのだろう
か?おそらく「ありのままの自分」を恐れているのだろう。
 だから「ありのままの自分」から「あるべき自分」「ありたい自分」へあわてて変わ
ろうとするのだ。

□ エンドゲイナーの意識は部分的である

 私がある問題に気づいたときには、その問題だけを解決しようと邁進する。部分
的なものに葛藤が集中しでしまう。
 だから、その問題の背景まで含めた全体的な見方ができない。

□ エンドゲイナーは過去(既知)に生きている

 私が想像できる結果や設定できる目的は、今まで生きてきた経験(過去のデー
タ)から導さ出したものだ。
 したがって、私が追求しているものは過去の産物であり、私の歴史の残りカスで
しかない。

□ エンドゲイナーは新たなことに無力である

 自分の中で新たなことが起こったとき、エンドゲイナーにはそれをとらえることが
できないだろう。たとえとらえることができたとしても、過去のデータからそれを即
断してしまうだろう。
 したがって、せっかくの新しい出来事が古いものに変質してしまう。それを正しく
とらえることができるのは、私がエンドゲイナーでないときだけだ。

□ エンドゲイナーは幻想をいだいている

 エンドゲイナーは幻想をいだいているが、その自覚がない。したがって、夢ばか
り追う夢想家のように、現実を見つめて冷静に自己を再検討することができない。

□ エンドゲイナーは断定する

 私は断定する。断定するということは、結論を出すことであり、もう再吟味しよう
としないことだ。
 つまりそれで「終わり」ということだ。「end(終わり)をgain(獲得)する」とはうま
く言ったものである。
        
□ エンドゲイナーは傲慢である

 私は断定的に物事を評価するので傲慢になる。その傲慢さから否定的な感情
が生まれ、結果としてそれが自分自身を苦しめることになる。

□ エンドゲイナーは身心を固める

 私はレッスンに集中しようとしてからだを固め、意識を固める。しかしそれは自
分自身を邪魔している行為であり、自分自身を縛ることでしかない。

□ エンドゲイナーは準備する

 私は良いレッスンをすることができるようにと、レッスンのための準備をする、
これもひとつのエンドゲイニングだ。
 良いレッスンをするという目的に向かって突っ走っている自分に気づく。こんな
精神状態で良いレッスンをできるわけがないことにやっと気づいた。

□ エンドゲイナーは不安である

 私はいつも安全無事であることを望んでいる。そのために準備する。しかし、
そうして安全を求めて準備すればするほど、かえって私の不安が強くなるような
気がする。それは飲めば飲むほど喉が渇く水のようなものだ。
 このエンドゲイニングの活動自体が不安を大きくしてしまうのか軋じしれない。
あるいは、この不安感がエンドゲイニングの活動源なのかもしれない。

 ↑以上、引用終わり。

 「エンドゲイナー」の特徴について、皆様の「エンドゲイナー度」は如何だった
でしょうか?私は全部当てはまりました(笑)。
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by cute-qp | 2008-08-22 00:00

 今日は私の大好きなピアニストMARIA JOaO PIRES(マリア・ジョアン・ピレシュ:
1944年ポルトガルのリスボン生まれのピアニスト)についてご紹介致します。
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 7歳でモーツァルトのピアノ協奏曲を弾き、9歳でポルトガルの『若き音楽賞』を受
賞するなど、早くから注目され、70年にはベートーヴェン生誕200年記念コンクール
で優勝し、国際的名声を得、「モーツァルト弾き」として有名。 
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      モーツァルト生誕250年記念BOX モーツァルト:ピアノソナタ全集

 ソロ活動と共に室内楽も積極的に行なっており、その演奏は作品と親密に対話し
つつ、自発性に富む表現を散りばめ、細部まで美しく練りあげたものとなっていま
す。
 手の怪我等で休養をした時期もありましたが、後年復活。感情豊かな演奏は今
も健在です。

 そして...この8/23~12/13まで、彼女のレッスンが定期的に放映される事も
あり、彼女の「ヒミツ!とドリョク!」に迫ってみます。

 以下は、スーパーレッスン 巨匠ピレシュのワークショップより引用致します↓。

 ピレシュさんに、彼女の持つピアノの音色について聞いたことがあります。彼女
自身によれば、ピアノに興味を持った時点での体験が答えだと感じているようです。
 彼女がグランド・ピアノの鍵盤に触り、弾き始めたのは3歳頃のことで、その頃は
鍵盤の押し方、弾き方で変わるピアノの音色に魅了されたそうです。一人で、鍵盤
の押さえ方や鍵盤を弾く速さを変えたり、強い音やごく弱い音を出してピアノの音色
が様々に変化するのを楽しんでいたそうです。
 また、グランド・ピアノの左側のペダル(シフトペダル)を必死の思いで(なにせ3歳
の幼児)様々に踏んで音を出し、音色の変化に耳を傾けたのだそうです。

 (中略)

 「左手の音を出すタイミングが遅れない」のは何故かと聞いたのですが(中略)
「私のフォルテ、ピアニッシモも鍵盤に指が触れてから底に至るまでのスピード
で出しているものね」。

 (中略)

 ピレシュさんは、背丈は160㎝に満たず、手もとても小さいのです。(中略)
この秘訣は先に述べた弾き方ともう一つは身体の使い方にあります。腰から
上の状態はなるべくリラックスし、演奏の支点は腰、両足はペダルに集中し、
決して床を踏みしめない。おなかとピアノの間に宇宙を(エネルギーを集中させ
る場所)常に感じて演奏することなのです。

 (中略)

 「私のピアノの指使いは、手の小さな私専用で、楽譜に書いてある指使いと
は違うのよ」
 「結構な努力をして(腕、指の横の移動、ペダルの使い方など)ここに至って
いるのよ」

 ↑以上、引用終わり。そんな、彼女のレッスン風景を再度引用・ご紹介致しま
す。
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 スカルラッティのソナタを演奏するシルビアに筋肉の入れ方を教えるピレシュ。
「力の抜き方」だけでなく「力の入れ方」を教えていた。
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 演奏中ずっと口元を動かしているあるトゥール。左肩も上がっています。
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 演奏するために必要な腹筋を意識して、左肩と口に集中が意識しないようにしま
しょう。両脇を閉じると左肩が上がり口も動き出すので、両脇に空気を挟む様にし
て、無理に力を入れず、両ひじを自然に上げて身体につかないようにしましょう。
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 ピアノに鍵盤の上に額をつけるように前かがみになり、ゆっくり上体を起こしなが
ら頭・首を脱力して、頭を背より後ろに反らせる光(のけぞる姿勢)と影(前かがみ
の姿勢)の体操です。腰のあたりを強く意識して、痛くないところまで反ってみまし
ょう。深呼吸して肩の力を完全に抜いてから演奏しましょう。
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 演奏中に誰かに肩をふれてもらってもよいでしょう。
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 ルーカスの場合。モーツアルトはまるで手の平を上に向けているような気持ちで
演奏すると軽い音になります。ソフトペダルに頼らずに弾きましょう。
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 ピアノの鍵盤を見ないで上体を反らして脱力して弾きましょう。
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 「ピレシュの身体全体の意識を高める体操」...足を肩幅に開いて立ち、上体を脱
力させて両ひざを軽く曲げ、かかとを少し浮かせます。この状態で頭を出来るだけ
後ろに反らせて前後に歩いてみましょう。できない人はしゃがんだ姿勢でかかとを
上げ、頭だけ後ろに反らせて見ましょう。

 ↑以上、引用終わり。一流でもここまで「身体」について分かっている人は多分
そうそう他にはいないと思います。

 私事ではございますが...春風堂も小さい頃からピアノが習いたかったのですが
、ピアノが買えなかった事と(笑)、「手が小さい」との理由で習うことが出来ません
でした。

 しかし、ピレシュ先生のお話をお聞きすると、私でも、努力や工夫次第で「アマチ
ュア」として楽しむ位は出来そうだと嬉しく思いました。

 一方で、日本において、芸術や演劇、スポーツはまだまだ「文化」としての底が
浅く、それを支える背景や基盤も脆弱な為、皆さん色々な意味で苦労されている
と思います。
 春風堂としては、身体と心の面でそう言った方々のお手伝いやご助力を
行っております。

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by cute-qp | 2008-08-21 00:00 | 温故知新