カテゴリ:バランス運動療法・調整法( 588 )

"バランス"と"誘導"

 「ひとりでできるアレクサンダーテクニーク」(ジェレミー・チャンス:著 誠信書房)より
引用・掲載致します。

 春風堂の自身の勉強や纏めの一貫ではございますが、"バランス"と"誘導"について
皆様の参考にもなるかもしれませんので少々長いのですがご紹介致します↓。

 あなたの先生はあなたに触ります。絶え間なしに。それはどんな感じでしょう?このタ
ッチがどれほど特別なものであるかを示す話があります。
 何年問もわたしは実験として馬にアレクサンダー・タッチをしてみました。実際に、たい
ていの馬たちはこれが好きです-もっとやってほしいといわんばかりに鼻面を寄せてく
るのです。こころ温まる経験です。

 ところが、ひとつだけ変な抵抗をすることを観察しました。アレクサンダー・タッチを嫌が
る場所があってそれは傷をしたところです。

 おかしなことには、その同じ場所も普通になでたりさすったりするのはよいのですが、
アレクサンダー的な意図をもって触れるや否や彼らは引いてしまうのです。
 あたかも彼らは本能的に、こういったアレクサンダー・タッチは内側をひっかき回すの
であって、普通のなでたりさすったりとは異なることを知っているようでした。

 アレクサンダー・タッチは確かにあなたの内側をひっかき回します。それは協調作用の
自動的プログラミングを内側から測定します。
 じようずな先生にかかると、それがあなたとは関係なしに起こってしまうことが感じられ
ます。先生がうまければうまいほど、あなたは考えずにすみます。
 アレクサンダーは晩年、レッスンを終わって出て来るときに、自分の手を見ながら、もは
や生徒に考えさせなくてもよくなった、なぜなら彼の手がすペてをしてあげてしまうから、
といったそうです。

 わたしは長年アレクサンダー教師の訓練をしてきました。はじめて手で触れる練習をす
るようになったときにする、ひとつのレッスンは、生徒に触れる手の三つの使い方を区別
することです。

 一. 聞く
 二. 誘う
 三. 命じる

 これらをひとつすつ分析すると役に立ちます。生徒としても、先生が手で何をしようとし
ているか理解する助けになります。これは特別のものです。

手で聞く

 先生はだれでもこの訓練を受けなくてはなりません-レッスンを受けたことがないひとに
説明するのは困難ですが、たとえてみればこのようなことです。想像してほしいのはあなた
が手で、何かの物体をそれの中心軸によって立たせようとする、図のような場合です。
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 あなたはそれの重さを引き受けずに、しかもそれによりかかるのでもありません。そこで
あなたと物体は別々のバランスを保っています。
 矛盾するようですが、同時にバランスの相互依存関係があります。たとえば、物体がバ
ランスを失うごとに、あなたはやさしく修正します。
 あなたのほうが物体に重さをかけすぎ、それがまた倒れそうになったら、あなたはさらに
それを修正します。
 このような絶えざる修正は、物体のバランスを聞くことによってのみ可能になります。変
化に気づき反作用することが早ければ早いほど、あなたの努力は少なくてすみます。

 アレクサンダー教師はあなたの協調作用をこんな、せつに聞く訓練を受けています。あ
なたの協調作用に絶えず起こっているバランスの変化について無数の情報を受けとります。

 そしてその情報にもとづいて、彼らの技術の第二の側面を活用させることになります。

手で誘う

 第七章にくわしく書いてありますが、からだのいろいろな部分は、立っているときにも、い
ろいろな方向性をもって動いています。

 立つということは、調整と再調整のプロセスをともなう動きなのです。

 チャールズ・シェリントンというノーベル医学賞をもらった二十世紀初頭の生理学者がい
ました。彼はアレクサンダーの仕事に好意的な発言をしていましたが、かつてこんな指摘
をしました。
 「立つことをしているヒトは絶えず破局の絶壁にいる」というのです。よちよち歩きのはじま
りを見ればそれの真実がわかります。それはアメリカのモダンダンサー、スティーブ・パク
ストンがいったように「内なるダンス」です。

 というわけでアレクサンダー教師の手が耳を傾けているのは、あなたの絶えざる内なる
ダンスです。
 あなたの頭が後ろへ落ちます、首がめりこみます、胸が屈み、腰が反ります、お尻を前
に突き出し、膝を固めます、といったようなことです。
 これらの大きな動きのなかの徹妙なパリ工-ションについて巧まだひとこともいっていま
せんが。

 あなたが現在やっている協調作用のパターンがわかったら、こんどは先生は手を使って
直接あなたの神経組織に話しかけます。そして異なった種類の内なるダンスヘと誘います。

 それほど下向きの圧力をかけたり、緊張をしないですむような種類のダンスです。これは
複雑な誘いです。

 というのも、毎秒ごと何千何百万の運動ニューロンが絶えず変化しつつある何千何百万
の状況に反応して、何千何百万の筋腺維を興奮させているのですから。
 そのなかでアレクサンダー教師の手が何かいわせてもらえるなどとは驚くべきことです。
 アレクサンター教師がこの基本的技術を身につけるだけでも三年間の訓練がいります。

 なぜ先生は普通にことばで協調させるように言ったらよさそうなことを、手で誘うのでしょ
うか?手で触りまくったりするより、そのほうがずっとかんたんではありませんか?

 実際に、良い先生はそのようにします。ただし、手を使ってあなたの内部に先生が経験し
てほしい感覚を引き起こした、その後でします。
 この理由はかんたんです。あなたの協調作用は「あなた」が起こしているのでは、ありま
せん。というのは、考えてごらんなさい。あなたはほんとうに支配してはいない、あるいは
感じてさえいないのです。
 毎秒ごとに微妙な変化が、あなたの頭、首、胸、墓、腕、脚とアゴで起こりながら、あなた
はこの本を読んでいるのです。

 これらすべてが今起こりつつあることを感じることができますか?もろろん、できません。
 何が起こっているかはまったく知らないのです。実際、アレクサンダーはこういいました。

 「わたしたらが自分の状態を知らないでいるのは、イヌやネコが自分を知らないの
と同種だ」(アレクサンダー)


 何かがこの内なるダンスをみちびいていますが、それが「あなた」でないとしたら、それは
だれでしよう?それはあなた以外のだれでもありませんが、たいていの場合に自分だと思
っている意識的な自分ではありません。
 この内なるダンスを操っているのは大脳皮質よりも意識下のセンターによるもので、脳幹
神経節、中脳、後脳などの恐ろしげな名前がついています。
 幸いにも、これらのセンターは暗示を受け入れますから、アレクサンダー教師の手の誘い
によって統合的にダンスしてくれるのです。
 もしこれがうまくいって、あなたも先生の手の誘いとうまく協調すれば、まもなくからだの変
化を感じます。これをあなたに経験してほしいと、アレクサンダー教師は誘うのです。

手で命令する

 先生の手があなたの気をひくことができなければ、あなたは動くはずがありません。です
から、あなたの協力がどうしても必要なのです。

 アレクサンダーの手がもっていたほどの能力のある先生は、世界中にほとんどいません。
アレクサンダーは片手をあなたの頭のてっペんにおいて、イスからあなたを文字通り引っ張
り上げて立たせることが、彼の手にある方向性により、できたのです。
 それは(伝えられるところによると)まったく奇跡のように生徒を空中に吸い上げる感じで、
そのひとはどうしようもなかった、といいます。

 わたし自身はいまだにそのような経験はしたことがありません。しかし先生の手がほんとう
に効果的なときには、たしかにあなたの協調作用に何をするかを命じます。
 その結果あなたは何もしないみたいなのに、あなたのからだが変容しているのに、ただた
だ驚くのみでしょう。これはほんとうにすばらしい感じなので、多くのひとびとがレッスンをや
められなくなるのです。

 しかし命じる手は押しつける手にもなりますから、これはわたしの教師養成コースで警告
していることでもあります。

 教師があなたを操って、教師があなたにとって正しいと感じるパターンに入れてしまうこと
は、それはど心地よい緯験ではありません。アレクサンダー教師と詐称するひとたちはたい
ていこのようにやります。
 それらしくは見えるけれど、自分自身ではなくなるようなレッスンは避けるほうがよいのです。
 このことはまた先生があせるとか、偉そうにするとか、正しいことを知っていると思い込んで
いるときにも起こります。それはあなたが判断しなくてはなりません。

 レッスンは具体的に得ることがなくては、続きません。

 問題の核心は、よい先生はあなたにとって何が正しいのかは知りません-それは言いすぎ
ですが、悲しいことに、それを知っていると思いこんでいる各種の施術者たちがあまりにも数
多くいます。
 わたしたちアレタサンダー教師が知ることは、あなたにとって何が利益にならないかという
ことです。アレクサンダーはいいました。

 「自分がまちがっていることを知ること、世界中でわかることはこれだけだ」
(アレクサンダー)


 まちがったことが起こらないようにやめることの学習から、行動への正しい方向が解放され
てきます。
 このために先生の手が直接あなたの運動系に話しかけます。同時に先生のことばがあな
たの意識に訴えます。
 すると先生と生徒の両者が、不適切な動きのモザイクが起こるのを防ぐことを、いっしょに
学びます。
 いままではこれらもろもろの動きがいっしょになって不協調作用を引き起こし、それであな
たはレッスンに来たのでしたね。
 わたしの先生のマージはいったものです。「あなたが獲得するのは、いままで持っていた
ものの喪失です」。

 そして破女の自がキラっとするのです。
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by cute-qp | 2009-01-17 00:00 | バランス運動療法・調整法

 
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 こちらは「キューピー」の創始者「ローズ・オニール」の手になる「キャラクター」の描き
方についてのです。

 実は「キャラクターは丸で構成される」ことを世界で初めて実証したのがローズ・オ
ニールで、1936年「キューピーヴィレのスクートルズ」誌上、キューピーが丸から誕
生することを実際に絵にかいて実証しました。
 明快な顔の輪郭や小さな丸点の鼻、点のようなまゆ、一本の曲線で描かれた口...
キャラクターの基本である丸と単純化されたラインは20世紀の後期から世界中を巻き
込んだキャラクターの原型となりました。

 この特色は「手塚治虫」さんも同じで、丸が作品構成やキャラクターの随所に見えま
す。実際、フリーハンドでかなり正確な円や線も描けたそうです。(なお、逝去前年、林
家木久蔵に「木久蔵さん、僕はね、丸が書けなくなった」と体調の不良を語っていたと
言います。また、作品の志向性とこの丸構成が「時代遅れ」となった悲劇もありました。)

 現在、春風堂が「調整」や「呼吸」を誘導させて頂く際、如何に、骨盤や体幹を「丸く」形
成して行くか?が1つのポイントとなっています。

 面白いもので、皆様のお身体を拝見する際、「アンバランスな状況」と言うのは「扁平」
であったり、「角張ったり」、「捻れたり」、「偏ったり」して、全体の雰囲気が「丸く」立体的
(球体)に繋がっていない感じがあります。

 そんな場所を「うどんの生地」や「粘土」をこねる様に、1つ1つの「丸」を「部分から全体」
、「小さいモノから大きなモノ」、「表面から深部」に形成し、体全体を上手く「1つの丸」に
して行きますと全身のバランスが整って行く様に思います。
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 従いまして、自分自身で行う「骨盤時計」やその他の「運動」にもこの辺のイメージを
常に感じて動いています。

 宜しければ是非、お試し下さい。
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by cute-qp | 2008-12-30 00:00 | バランス運動療法・調整法

背骨で呼吸するとは...

 野口晴哉先生の「愉気法2」より引用、ご紹介します↓。

背骨で呼吸することについて

 背骨で息することについての昔の原稿が、六月の『月刊全生』に載りましたところ、こ
れを実行しょうとする人の質問が毎日、いく日たっても減りません。昔発表した時は、誰
からも質問もされず、実行したということも耳にしませんでした。私はそれ故、こういう
ことは話しても駄目なのだと思い、以後は口にしませんでした。しかし、私は実行してお
りました。

 相手や周囲が強大に感ずる時は、自分の背骨の気の抜けた時だけだと分かりましたの
で、気の弱い私には人と口をきくのにも、人に会うのにも、新しい場所に行くのにも都合が
よかったからです。それに疲れた時に行なえば、それこそ忽ち背中に汗が出、ポキポキ
音がして疲れは抜けてしまいます。心が統妄ると、バラバラの心では分からないことが
分かり、感じられないことが感じられるようになるので、私は随分便利をしました。

 食物を食べるにしても、絵を観るにしても、音楽を聴くにしても、私は背骨で息をしてから
にします。心が澄んできます。それに実行するのに場所を選びません。いつ、どこででも
、そのまま行なえます。歩いていても、話しながらでも、そのまま行なえます。私は忙しい
ので特定の時間を要することはできません。背骨で息することなら運転していてもできま
す。

 (中略)

 しかし、他に伝えるとなるとむずかしいし、説明困難です。ただ、合掌行気の時、手で呼
吸する如くするということしか言えません。気を鎮めようとする時は誰も無意識に行なって
いるのですが、いざやるとなるとむずかしい。しかし、人間の真中に気を充たすことは、考
えている以上に人間の行動を楽にするものです。感覚が敏になると世の中がこうも豊かに
美しく感ぜられるものかと自分で実行するたびに驚いております。

背骨で呼吸せよ

 呼吸は鼻でするものと決めてしまっている人がある。中でも大切なことは背骨で呼吸す
ることだ。特に心を背骨に集中して背骨で腰髄まで吸い込むことは、一切の健康問題を解
決する力を持っている。そして背骨から腰で息を調えると疲れない、老いない。いつも元
気に、活き活き生きられる。

 吾々は今まで健康法というと、いろいろの体操類似行為を連想し、養生法というと飲食
物の摂取方法の如く考え、修養法というと、いろいろの観念をこらすことの如く考えて、
心を無にし、呼吸を調えることの重要なことを閑却していたきらいがある。しかし息が乱
れては運動もスムーズにはいかない。足にカがあっても馳け続けるわけにはいかない。
人間という生活機関の原動力としては飲食より空気の万が一そう端的である。

 どんな観念をこらしても、心を無にするより他に呼吸を静かにする状態はない。

 東洋に於ける古来の養生修身の方法が、一致した如く、呼吸を深く調えることにつきて
いることは故なきでない。印度に於けるアナ・アバーナ、中国に於ける煉丹術、我が国に
於ける息長の術、その他は一つもない。剣をとるにも、華を活けるにも、茶をたてるにも
、息ということを無視して、その真髄はつかめない。養生修身の道に、心を無にし、息を
調えることが閑却されていることは、養生修身の道の不徹底なるを物語るものだ。

 あまりに外物に頼り過ぎて自分を失っていたのである。この辺で落ち着いて調息のこ
とを生活にとり入れる考えを持つべきだろう。

背骨で息する

 だるい時、疲れた時、身体に異常感がある時、心が不安定な時、気がまとまらぬ時、
静かに背骨で息をする。膿まで吸い込んで、吐く方はただ吐く、特別に意識しない。この
背骨で息することを、五回線り返せば心機一転、身体整然とすることが、直ちに分かるで
あろう。

 武藤博忠氏は「背骨に息を吸い込んだ途端、身体が充実することが分かりますねえ」
と、その実感を話されたが、山本有三氏も、背骨へ行気する方法をやっておられるとか、
確かに若くなられた。

 背骨で呼吸するといっても、捉え処がないという人が多いが、それを捉えた人は、皆活
き活きしてくる。顔がそれ以前と全く異なってくる。腰が伸びる。何故だろう。平素バラバラ
になっている心が一つになるからかもしれない。脊髄に行気されて、その生理的なはたら
きが克まるからかもしれない。

 ともかく、人間はこういうわけの分からぬことを、一日のうちに何秒開か行なう必要があ
る。頭で分かろうとしてつとめ、分かってから分かったことだけ行なうということだけでは、
いけないものである。自分の心が静かになった時、自分の心に開いてみるがよい。広い
天体のうちの一塵である地球の上の人間が、分かったことだけやろうとしているその寂し
さは分かるであろう。頭で分からなくとも、背骨で息をすることが、宇宙の心に通う道筋に
なるかもしれない。

 荒唐無稽にあこがれる心は、潜在意識の裡には誰も持っている。そのため、詩があり、
お伽話があり、宗教がある。疲れたまま眠るより、乱れたまま心を抑えるより、まず背骨
で息をしよう。その後でどうなるか、そういうことを考えないでやることが脊髄行気の方法
である。

 ↑以上、引用終わり。
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by cute-qp | 2008-12-16 00:00 | バランス運動療法・調整法

呼吸と伸張

 今まで「呼吸法を使って...」等述べて参りましたが、今回は、「呼吸法」と言うものを
実践する上で大切な「身体の伸張」について少し述べてみようと思います。

 「身体の伸張」は呼吸や意識に伴い、「全身の弾性」を強化することで体幹が必ず
伸張しなければならず、「弾性」があって初めて進み、「張力」となります。

 つまり「張力」が「弾性」を生み、「弾性」が「身体の伸張」を生むと言うことです。

 そこで、身体各部をどのように伸張させるかについて、中国武術の内家拳(身体の
内の働きを重視した拳法。その一つに太極拳があります)における基本的な要訣に
基づきお話します。

(1)虚領頂勁と気沈丹田

 いわゆる「虚領頂勁」とは首のカを頭頂へ向け、抜いて起こすことであり、「気沈
丹田」とは気をしたに向け丹田へ沈めることです。
 この2つが合わさって意識において相反する方向へ開く気持ちが出来、これが
身体を伸張させる感覚となります。

(2)含胸抜背

 含胸は胸部を張り出してはならず、また凹ませてはいけません。胸を背のカを
抜くための柱とするのです。

 なぜなら力学上の(支柱〉は湾曲してはいけないからです。背はこの支柱によっ
て力を抜き、これを背の「抜長」とか「通背」言います。

 これに関し、初学時にはラクダの背になることを抜背と間違え易いです。ラクダ
の背にすると前胸部は必ず凹み、前胸部の支柱作用は失われるだけでなく背に
「抜長」の弾性も失ってしまうはずで、同時に健康にも良くありません。

(3)沈肩墜肘

 沈肩の主な効用は上腕部と肩部を下げることによって上腕を立体的に引き締
め、鎖骨を吊り、上半身の「土台」を作ることです。

 同時に墜肘によって肘と肩の部分間が伸張します。前腕に螺旋の纏糸連動を
させようとする場合、墜肘を中心とします。
 同時に墜肘と坐腕(傾ける〉は肘と前腕の間に伸張を生むことか出来、沈肩墜
肘と坐腕を行うことで腕全体の伸張が可能となります。

(4)締鼠屈膝

 これは足の伸張のことで、足は地面に直立しており伸張は難しいです。

 この下半身の使い方の特徴を、「開股」(円月当)と言ったりしますが、この
表現が勘違いを生み易いので、私は「締鼠」としました。

 「鼠」とは「そけい部」の事です。

 何故なら、本質的な意味は「脚の外側を緩め、内側を充実させる」意味で「ガ
ニ股(外見上のアーチ形)」ではないからです。

 これに膝頭を緩めて旋転する「屈膝」を加え、この足の旋転に手、肩、体幹の
旋転をともない、全身の旋転を、徐々に上昇させます。

 そうすれば根は足にあり、腿に発しし、腰を〈エンジン〉として手指で形を表す
という全身一体の張力になります。

 少し、脱線ですが、人の身体は誰でも同じで、要点も同じ...とは言え、人種に
よってやはり身体の使い方や重心、特徴は異なります。
 例えば、同じ「腰腹を重要視する」とは言え、西洋人・インド人・中国人・日本
人では意識する位置や作り方も違います。

 そのそれぞれを実際、色々なジャンルで使い分け、研究した上で、私は師同
様「健康重視」と「日常回帰」の意味で「能・狂言」の姿勢に近い「腰腹」の作りを
採用しました。

 以上の四つの規則を総括すると、体運動は体幹、手、足と全身を伸張する
必要があります。
 伸張は弾性を生み出すだけでなく、体運動の基本である「張力」になり、精
神を自然に高揚させ、力みすぎて無駄なカを出してしまうような失敗を回避す
る大きなポイントになります。

(5)呼吸による「張力」の連動は人が固有に持つ運動ではない

 「張力」は弾性を生み、弾性を持った「張力」は筋肉自身の弾性だけでなく、
筋肉の弾性の基礎の上に骨格や靭帯などを筋肉と連合させ伸張させた中
で訓練され出来るものです。

 それは人が持つ固有の運動(力の出し方)ではなく長い間練って初めて生
まれるものです。

 無から有へ発展し、有から強に至る...このような弾性の「張力」を練れば、
以上の4つの要訣に従うことになります。

 キーポイントは先ず意識と呼吸、イメージを用い、身体を連動させ、順々に
動きの臨界点を繋げて伸張させて行く事です。

 ですから、呼吸と共に、太極拳は「ゆっくり滑らかに動き」、水泳は「蹴のび」を
大切に練習にし、ヨガは「前提条件とバランス、臨界点を刻々と作りながら」動き
ます(勿論、これだけでなく、全て同じです)。

 今日は(おまけ)がございます↓
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by cute-qp | 2008-11-01 00:01 | バランス運動療法・調整法

筋肉は「感覚系」?!

 唐突ですが...通常、解剖学などでは「筋肉」は「運動系(器官)」とされていますが、
春風堂の感じ方はそれとは少し違います。

 何故なら、筋肉は先ず「感覚系」であって、その上で「運動系」だと感じているから
です。

 一般的に、「力や運動を作り出す源」を私達は「筋肉」だと考えています。そして、
その大きさや強さを「腕力(筋力)」と感じています。

 しかし、実際は「重力」と「バランス←→アンバランスのベクトル」が力を作り出してい
ます。

 ならば、筋肉の役目は何か?と言いますと「力の方向性」や「力の時間軸」を調整す
る作用を担っていると考えています。

 例えば、手に水を入れたコップを持って立っているとします。

 この時、私達はどうやっても水の動きを「止める」事は出来ません...せいぜい、水面
を静かに「保つ」事が出来るに過ぎないと思います。

 この現象は私達自身の心身にも言える事で、例えば、私達は「じっと立てる」様に思い
ますが、「重力」や「外力(ストレス)」に対し、「弥次郎兵衛」の様に、常に微妙なバランス
を取りながら、その場に「留まっている」のが本当の所です。

 その事実は実際、「目を閉じて立ってみる」と良く分かります。

 ちなみに「目」は「感覚系」で「モノを見る」働きをしますが、「内耳」共々「姿勢の維持」
に関わっています。

 同様に、姿勢の保持には「触・圧覚」や「深部感覚(位置・運動感覚)」も関与しており
、「筋肉」はそれを感じ取る「センサー」や「サーモスタット」の様な機能があると言え、
それをして「運動系」である以前に「感覚系」でなくてはならない...と思う訳です。

 そこで、筋肉を「感覚系」として用いながら「神経訓練」を行っていく事により、大脳
の動きを支え、姿勢や運動の維持を受け持っている「小脳」に正しい運動をプログラミ
ングして行くことが出来ます。

 ちなみに、ロルフィングなどでは、「筋肉を包む「筋膜」は「運動や生活習慣」や「ストレ
ス」を記憶する」との説明がありました。

 この様な観点に立って、自分を取り巻く状況から日常生活を捉えてみますと、私達が
思ってきた「常識」が変わって来て、生活上のごく基礎的な所で「ボタンの掛け違え」が
起こっている事に気付きます。
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              増永静人先生 著 スジとツボの健康法より

PS

 「重力を感じる」...って意外に難しいものですね。

 そう言えば、初めて「重力」を感じた時、私は、その場に立っていられない程の重みを
感じ、凄い衝撃を受けました。

 その追体験と申しますか...春風堂の現在の水泳のメニューの中に、「30分泳いだら
トイレ休憩」と言うのがあります(笑)。

 以前お話致しました様に、水の中ですから「重力・浮力」や「バランス」は感じ易いの
ですが、一度、水から出て、フルに「重力」を感じてみます。

 これが多少の疲れもあって、もの凄く重くて歩くのも結構辛いのです。

 ところが、「蹴のび」中心の練習の後、暫時、この時間を設け、「重力感覚」を持って
水に戻るとよりスムーズに「伸びる」感覚が増し、リラックスして泳げます。

(参考)
 「水の中で骨盤時計」
 「水の中の瞑想」
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by cute-qp | 2008-10-15 00:00 | バランス運動療法・調整法

 昨夜の、「基本に立ち戻って ~神経訓練法の実際~」を受け、今日は「習慣を超え、
体験に学ぶ」と題し、「脳」について春風堂の考えをお話致します。

 唐突ですが、30歳を過ぎると物忘れも激しくなり、その理由(言い訳)として「脳の神経
細胞は、1日に10万個死滅するから!」なんて話を私達はよく致します。

 確かに、脳細胞の「死滅」は「事実」でありますが、「記憶力が減退する理由」としては
正確ではありません。

 良く我々の記憶力と比較されるのが「子供」の物覚えの速さですが、子供達の「脳」は
「まだ空っぽの書庫」であり、先ず、情報がどんどん入って行く段階である為、情報吸収
が早く、様々な経験を経て、ある程度、「書庫として充実した」私達の「脳」は、その情報
の「検索」や「整理」に必然的に時間が掛かると言う部分に差の実体があります。

 実際、私達が「あ、ド忘れ!」と言っても自分の中にはその明確な「情報」や「イメージ」
はあるので、情報自体が「消去」された訳ではありませんし、子供も「宿題」や「体操服」
などを良く「ド忘れ」していますね。

 それを「気にしていない」し、大人ほど「気にされない」所が子供の特徴です(笑)。

 ただ...子供と私達では「記憶」や「修得」の方式や形態が少し変わって行くのです。

 例えば、子供がチラ見で覚える事を我々は苦労します(笑)。

 しかし、自発的に「対象物を書き写したり」、「何回も動いてなぞる」などして、「丸覚
え」でなく、経験や工夫を通して覚えることで、大人は、より正確に物事を吸収出来る事
が分かっています。

 つまり、「体感に学ぶ」ファクターに「脳」がシフトして行くのです。

 実際、我々の脳は身体へ摂取する全エネルギー量の20~30%を消費しますが、
活動量は全体の2%程度に過ぎない存在で、子供の頃は「生きる」為に必要なベース
をとにかく「早急に吸収するに足りる脳」として、その「余力」が有効だったかもしれませ
んが、成長の後は、これを「効率的」に使える為、「消費電力型の運営」に移行して行く
と見ることが出来ます。

 また、「脳」は刻々と「情報を更新し、関連付け、整理する」基本機能があるので、
その為にも「手足を動かし、体験を通じて脳を使う」事が大脳全体から心身へ大きな
影響を与えると言えます。

 ここで、昨夜の「手足」のお話を図示した模型をご紹介致します↓
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      「ホムンクルス」3Dモデル(The Natural History Museum.London)

 これはカナダの脳神経外科医ペンフィールドの実験から有名になったモデルです
が、人間の身体を「神経細胞の量の分布の比率」を現したもので、モデル上、その
形態の大きい所は神経細胞も多く、その動きが脳の活動を発火する度合いも高い
事を示しています。

 昨夜お話致しました様に、先ず「口」、そして「手足」が大きいですね。

 従いまして、「神経訓練」や「介護」において、これらが非常に重要な「ファクター」で
ある事をお分かり頂けるか?と思います。

 さて、ここで再度、子供と私達の違いについて述べますと、子供にとって世界はと
ても好奇心に満ちたものでありますが、私達にとって、それは「マンネリ化」したもの
になっているのではないか?と感じます。

 つまり、自分自身に対しても「マンネリ化」し、「感心を失った」結果、「刺激」
や「体験」が急激に減り、「脳力が減退していっている」...それが根本的な「記
憶力や心身の減退」原因の1つではないか?と思うのです。


 だからこそ!「神経訓練法」は生涯を通じ、我々の心身に有効な「脳力開発」も
視野に入れているのです。
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by cute-qp | 2008-09-03 00:00 | バランス運動療法・調整法

 先日、センタリング呼吸法の初級セミナーがありましたのでそのお話を少しさせて頂
きます。

 今回の様に(K野さんによる記事はコチラ→「基礎中の基礎を自分で試みてから」
「最初の最初」から立ち上げて行く取り組みは、私自身、「気持ちを新たに、基本を学び
直す」とか「自分のモチベーションコントロール」、「新たな学びへの切っ掛け作り」になり
誠にありがたいことだと感じております。

 さて...今回、K野さん工夫によるセミナーの取り組みは、私にとっては、非常に「神経
訓練法」的な側面を基本時から前面に押し出した、興味深いものでありました。

 セッションは、先ず、呼吸を軸に「手の平」や「足の裏」で畳を「なぞる」事より始まりま
した。

 以前、「神経訓練法が可能性を開く ~その基本原理~」で「足の平のセンサー」に
ついて少しお話を致しましたが、元々、動物が「重力」に対して自分を支える「最前線」と
なっているのが、これら「手足の平」です。
 そして、「重力」と「運動」との間で様々なバランスを取る為、私達の「手足の平」には沢
山のセンサーがあり、そこからの情報を「触覚」・「温度覚」・「位置覚」・「深部感覚」等とし
て、受け取り日々を過ごしています。

 如何せん、人間は他の動物の様に「嗅覚」等の脳の旧皮質的な機能が発達しなかった
反面、二足歩行によって新皮質が発達し、「手は歩行から解放され」、「足は逆に重力を
一手に引き受けた」事で、より繊細な感覚と運動を獲得しました。

 結果、人間の子供は頭が重く、産まれて暫くは二足歩行に対し、脊柱が未発達で、直ぐ
に自分で立つことは出来ませんが、「口」の触覚(食行動中心の触覚)に続き、様々なも
のに「手足で触れる」所から、運動に必要な高度な「平衡覚」や「重力感覚」、「連動感」を
脳にインプットし、身に付けて行く過程を採りました。

 丁度、その過程を「追体験」している感覚でしょうか?

 当初、初めての皆様は何故手や足をそうして動かすのか?分かりません。その状況
は本当に「赤ちゃん」と同じ立場です。

 その「非日常的な体験」の中、私共が「呼吸」や「動作の流れ」を補足、補正させて頂き
ながら、共に皆様の「神経」や「感覚」に働き掛ける事で、「脳」や「神経」に「あるべき姿に
補正しよう」と言う「平衡欲求」が生じ、それが「心地よい感覚」を伴って皆様の「動きの変
化」や「回復・改善」として発露致します。

 その「変化」や「感覚」を手掛かりに、様々な「体位」や「条件」を加えてセッションは展開
されます。

 例えば、先ず、「左半身」と決めましたら、暫時、「左」のみの動作に取り組みます。そし
て、左半身を通じて「感覚が開かれた時」...「右半身」に取り組むとあら不思議!...簡単
に出来てしまったりします。

 「左半身」を通じ、「脳」の神経訓練が1つクリア出来たからです。

 よって、状況にも寄りますが、私の担当させて頂いた方には「やり易い方」からやって
頂きました。

 何故なら、感覚が開き易い方向から「神経回路を開き」、その「感覚」を生かして「やり
辛い方」を補足する意味と、「動き易い」部分から運動を誘導・改善し、私達の神経活動
(全身のバランス)の改善に弾みをつけようとの狙です。

 また、補正やご指摘を通じながら、畳のヘリや視線を決めて頂き、「習慣」と言う「自己
基準」の見直しや改善も行って頂きました。
 その方が、場合によっては、「触っている実感が増し」、「自分自身の立ち居振る舞い
もご自身で観照して頂き易い」利点があるからです。

 合わせて、「スキャニング」の時間も「スキャニング」はニュートラルな視座」を受けて
出来るだけ取らせて頂きました。
 この事で「自分の変化への認識」や「次の変化に向かっての現状把握」、「神経訓練
の安定化(安静にする事で心身への刺激を減らし、大切な情報・刺激を脳へ定着)」
が図って頂けます。

 ちなみに、各動作に対してのK野さんの模範動作の際、直ぐに真似をしようとされる方
には、先ず、「しっかり見て頂く」事をお願い致しました。

 何故ならば、出来るだけ「自分の経験や習慣からの推測」で動くのではなく、「模範
動作」を「手足」同様、「ご自身の目で!なぞって」動いて頂きたいからです(目も「触覚」
になり得ると春風堂は考えます)。

 総じて、私としては今までの反省もあり、殆ど「説明」はしないで、「神経訓練」のお手
伝いに徹した感があります。
 その事で、自然にあるべき変化が皆様の中から導き出され、その後、必要最小限の
「説明」や「ヒント」が私の「相づち」や「笑い話」として出て来ている感じでした。

 勿論、たった1回で皆様が数年掛けて築いた「習慣」が改善される訳ではございませ
んが、「変われるんだ!」と言う「変化」と「意識」、「実感」が「神(シン:目力とでも言って
おきましょうか?)」に現れていたのが誠に印象的でした。

 次回、いつこの様な機会が持てるか?未定ですが、それに向けて一歩一歩楽しみ
ながら進ませて頂きます(業務連絡:K野先生。次回は必ず!3人で「ナン」までお付き
合い致します:笑)。

 最後に、毎度ながらにひつこい様ですが、今までに掲載致しました、春風堂の考える
「神経訓練法」についてをコチラ↓に総集し、添付させて頂きます。

(参考)
 「呼吸が変わる 姿勢が変わる 生き方が変わる」
 「身体の声の聴く ~自律神経による治癒反応~」
 「先ずは自分が変わる」
 「神経訓練法としてのセンタリング呼吸法 」
 「相対神経訓練法 ~治療や介護から日常へ向かって~」
 「夢の途中 08/08/23」
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by cute-qp | 2008-09-02 00:00 | バランス運動療法・調整法

 この8/31(日)に春風堂の先生であるK野師の「センタリング呼吸法・初級セミナー」
が開催されます(申し込みは締め切られております)。

 それを受けまして、以前の記事を脚注に添付し(参考)、今日は、春風堂が「調整」や
「ボディーワーク」のベースとしている「神経訓練法」の基本的な原理についてお話した
いと思います。

 さて...私達は生まれながらに「呼吸」・「消化」・「循環」・「代謝」と言ったあらゆる機能
を持っており、構造的にも「重力」に対応出来る様に出来ています。
 また、「視覚」・「聴覚」・「嗅覚」・「味覚」・「触覚」と言ったセンサーが皮膚や筋肉など
の「感覚器」として存在し、自分と外部の関連性を脳に伝えてくれます。
 そして、それらは絶妙な神経の機能により、私達は一定のバランスを保ちながら統合
・管理されて生きています。

 例えば、私達の足の裏には七千余りのセンサーがあり、歩く度に地面が硬さや平衡
、摩擦などを伝えてくれてます。
 これらのテータが自動的に脳で処理され、内耳の平衡中枢へ送られ、身体はその状
況に応じて微調整されます。

 この様に、身体は無意識のうちに何度も微妙な調整を行い、バランスの平衡を保っ
ています。

 そして、人間がこのバランス機能を習得するのは生後9~18カ月頃...赤ちゃんは、
腕を伸ばし、這い、転がり、身体の協調性と骨格の支持性を体感して立ち上がり、続け
て、歩き、走り、跳びながらバランスの取り方を覚えて、それを無意識な「習慣」や「能力」
として修得して行きます。

 その「プロセスの差」によって、「上手・下手」が出来、ある人は「スポーツ」に、ある人は
「芸術」等にその能力を見出します。
 しかし、その大半の人間は自分の中に眠る可能性に気付かず、それを「他人事」として
見る側に甘んじています。

 勿論、「身長の高い低い」や「体重の軽重」などが前提条件として影響しますが、「心身
のバランスを保ち、協調させる」事に差はありません。

 ただ、ご自身が「自分」になるプロセスに「差」があったのです

 例えば、子供が何かに取り組む時、「こうすれば愉しい、嬉しい」...その繰り返しの
「パターン」が「自分のなりの方法、習慣、イメージ」を作り上げ、最終的に「自分」と言う
存在が作り上げられて行きます。

 更に、そこに外的要因(社会環境、文化、経験、ケガ、トラウマ)等が不可され、心と身
体のイメージや姿勢が不可・形成され、例えば、物理的に、赤ちゃんの頃にはなかった
「側彎」や「猫背」などを産む原因にもなります。

 これは、身体的にはバランス・協調させ、「より効率的に動かす術」を、心理的
には「自分を見詰め改善する術」を学べなかったことが大きな原因だと思われます。


 現に、発展途上国においては人力に頼る部分の多さが、機械やコンピューターによっ
ての「身体能力」や「創意工夫」の去勢を防いでいますし、アスリートなどは、自らの運
動の質を高める為に日々、自らの心身の精度を高めています。

 対して、普段、私達はこの様な「意識」や「目的」の「必要性」や「重要性」を自己
認識していません。

 更に、私達が「無意識化」させてしまった「重力」という絶え間ない「負荷」は、
私達を押し潰し、身体を歪め、健康状態に悪影響を及ぼしています。


 従いまして、車をメンテナンスする様に、私達は自分の身体や習慣をメンテナ
ンスする必要があります。
 もし、それを怠りますと、体調が悪くなるだけでなく、無意識に「悪習慣」や
「消耗」が進み、私達の「寿命」を縮める事になります。
 恐ろしいのは、「習慣」と言うのは「オートマティック機能」なので、その分、より
良い方法を考えたり・工夫する意識や行動、好奇心を産みません。


 そんな自分を認識し、改善する迄に至っていないのが私達の現状です。

 従いまして、逆に、身近な自分を知ることは自分の「可能性を広げる」事に繋がり
、大きな喜びや好奇心に繋がります。

 その可能性をキーとなるのが、私達を管理している「神経」です。

 脳自身が殆ど使われていない様に、「習慣」の裏に隠れた「神経」の活躍の場は
沢山あり、その「学習能力」が私達の認識している可能性を広げます。

 つまり、私達が生きている間、「限界は広がり続ける」のです。

 従いまして、赤ちゃんの頃に持っていた機能を再び、「意識的に」目覚めさせる
こと
が大切なのです。

 具体的には、「バランス機能に影響を与える」ことで、姿勢や身体の使い方はも
とより、心身に、その影響が及びます。


 例えば、いつもの「立ち居振る舞い」を超スローペースにしたり、「非日常的な動き」
に挑戦する事で、脳に「刺激」と「変化」、「イメージ」、「想像力」、「重力感覚」等を与え
、私達の制御システムを「再プログラミング」・「再編成」するのです。

 その基礎として、人間の基本機能と呼べる「呼吸」を「運動」の起点とし、脳や神経
への「細やかな語りかけ(小さな変動・低刺激)」をしながら心身の機能が高め
る事で、私達の可能性が広がります。

 この時、「大きな動き」や「刺激の強い動き」は控えます。何故なら、「習慣」を超える為
には、無意識に習慣化した動きを発見し、観察する必要があり、より精密な再プログラミ
ングを行う為には絶対であるからです。

 また、そうした動きは「副交感神経優位」の「調和した」動きとなり為、より良い行動パタ
ーンを神経回路に覚えさせる事にもなります。

 こうして「呼吸が変わる 姿勢が変わる 生き方が変わる」方法が「神経訓練法」
です。

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 (参考)
 「呼吸が変わる 姿勢が変わる 生き方が変わる」
 「身体の声の聴く ~自律神経による治癒反応~」
 「神経訓練法としてのセンタリング呼吸法 」
 「相対神経訓練法 ~治療や介護から日常へ向かって~」
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by cute-qp | 2008-08-28 00:00 | バランス運動療法・調整法