カテゴリ:温故知新( 134 )

「マトリックスする」

 凄いなあと想う人やモノに常に出逢いたいと想う。

 人はそこまで出来るんだ。

 そんな凄いモノがあるんだ。

 そして、「じぶんの中」にもそれがあるんじゃないか?と想う。

 そこに少しでも「リンク」したいと想う。

 ちょっとでも、じぶんの中で「リアル」にしたいと想う。

 リンクしたいのは「現代」のものばかりでない。

 その意味で、「本」は凄いし、ありがたい。

 古代の叡智や賢人と繋がることが出来る。

 「臨書」などは、古人の息遣いや心をなぞることが出来る。

 ある鍼灸師さんは、古典の中に、その時代背景をありありとイメージすると聞く。

 「臨書」をする様になって、そのお話に頷けた。

 「マトリックス」も案外、フィクションじゃない。

 じぶんは「どう繋がるか?繋げるか?」だ。
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 バランス運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
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by cute-qp | 2011-11-11 00:00 | 温故知新

「リンク」

 先日、K野先生から「草書学習のポイント32則(草書の秘訣 草訣百韻歌)」を見せて頂く。

 まいった。

 すべてに通じると想う。

 早く見たかったと想う。

 早く見た所で、その時点では分からなかったとも想う。

 書には、とても長い間「言いようのない?」が付きまとい、先に進めなかった。

 「その理由」と「スタンス」、「愉しみ方」がようやく見えて来る。

 仕事の合間、臨書する。

 書の稽古であり、気分転換。

 リズムや流れ中心の日や、

 運筆・バランスに拘る日。

 日によって、気分次第でテーマを決め、行う。

 字をみつめ、一線を紙におろす感覚。

 患者さんに接したり、タッチしたりする「呼吸と間」、「立ち位置」に通じる。

 運筆とその緩急。

 治療の際の指や手、体の遣い、診断とシンクロする。

 ある日、笛の運指につながり、ひらめく。

 名人の謎が解ける。

 先生もびっくり、お褒めの言葉を頂く。

 水泳指導に応用。

 患者さんの故障が減り、泳ぎが良くなる。

 「居合」...「条幅」じゃんと想う。

 様々なものにリンクし、また字に返る。

 その逆もまた真。

 バランス運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
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by cute-qp | 2011-11-09 00:00 | 温故知新

「道具」

 「道具探し」や「道具選び」、「道具の手入れ」は愉しい。

 「筆」や「木刀」、「スイムウェア」、「CD」など。

 「このひとつ」...に出会うため、どれ程手間暇かけただろう。

 その過程がまた愉しいのだけど。 

 「真剣」など、簡単に買えないものは、何年にも渡りお店に脚を運び、道具と触れあう。

 運ぶ内、「素人」だったのが、段々と区別・分別が付き始める。

 その内、買うべきものがイメージでき、あとは「ご縁」。

 そう言えば、龍笛の本管の場合、今のを作って頂く(「育ててくれる道具を持つ」)前後、

 京都・奈良・三重・島根の製作者を回り歩き、沢山吹かせて貰う。

 買えるかは別として、数万円から数百万円の笛を吹く。

 残念ながら、すべて「笛以前」だった。

 需要が少ない。

 材料がない。

 作り手も少なく、その上、作者が「笛」を知らない(吹けない)。

 こんな状態だから仕方もない。

 にしても、人間国宝のY氏最高級品が上っ面で「ぴ~ひゃら」なのにびっくり。

 「商売」だとしても、作者がそれで「良い」と思っている。

 それをお客さんが「良い」と刷り込まれる...残念なことだ。

 すべからく、商品には「価格帯」があり、それに従い「価値」が異なるのは自然。

 しかし、良いものとの「ご縁」には「価格」に限らないモノがある。

 それは欲する人の「手間暇」と「研究心」ではないか?と想う。

 「道具探し」や「良い道具を扱う」ことはじぶんを育ててくれる。

 「ご縁に生かされている」と想う。

 ありがたいと想う。

 だから、ご質問を受け、何かをお話したり、おススメする時、

 その「入り口」や「切っ掛け」、「方法論」をご提示する。

 「ご縁」は「回り持ち」。

 そこからは「ご本人次第」。

 曲は「北庭楽」(じぶんを深める)から「新羅陵王急(しんらりょうおうのきゅう)」へ。

 バランス運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂

(参考)
 「ベースはセルフコーチング」
 「まなび3段活用」
 「道の歩き方」
 「じぶんの教科書を作る」

 (解説) 「新羅陵王急」
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by cute-qp | 2011-11-02 00:00 | 温故知新

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        「コーチング―言葉と信念の魔術」 落合 博満 著 より引用・掲載↓。

 [目次]

 第1章 教えるのではなく、学ばせる―押しつけない。ヒントを与える。
      「自分で育つ」ためのコーチング

      コーチは教えるものではない。見ているだけでいいのだ
      選手が勝手に育つまで、指導者はひたすら我慢すべき ほか

 第2章 指導者とは何か―成果主義時代の今まさに必要とされる、真のコーチ像

      あくまでも主体は選手。相手の感覚でしか物事は進められない ほか

 第3章 選手(部下)をダメにする選手言葉の悪送球―上司失格。若き才能や可能性の芽
      をつむ禁句集

      「そんなことは常識だ」と言う前に、納得できる理由を示せ
      「なんだ、そんなこともわからないのか」は上司の禁句 ほか

 第4章 組織の中で、「自分」を生かす術―三冠王はこうして生まれた。結果を出し、自身を
      高める方法

      “俺流”をアピールすることは、組織から外れることではない
      まず「個人」があって「組織」がある時代。明確な目標設定でモチベーションを持て
      ほか

 第5章 勝ち続けるために、自分自身を鍛えろ!―仕事のプロとしての自覚と自信を手に
      入れるための「思考」

      勝負を急ぐな。避けられるリスクを負うな
      誰のためにやるのか。余分なプレッシャーを背負う必要はない ほか

 ↑以上、引用終わり。

 「自己管理」・「セルフコーチング」し続けた人。

 そのベースあっての「コーチング」。

 とかく、「個人主義的」イメージが強調され、

 好き嫌いや評価が分かれる人だと想うが、

 「練習嫌い」と呼ばれた裏で、コツコツ積み重ね、

 投手がピンチに陥ればすかさずアドバイスをしにマウンドに駆け寄ったり

 打者がスランプに陥っていれば相談に乗ったり、

 現役時代からコーチあるいは兄貴分としても重要な働きをし、「落合効果」とも呼ばれた。

 だから、「選手」としても「監督」としても一流だったのだと想う。

 野球にあまり興味はないが、イチローと並んで私には興味深い人。

 そろそろ来年に向け、準備に入る。

 単発セミナーなど色々考えている。

 そのためにも、「セルフコーチング」と「ビジョン」を明確にして行く。

 バランス運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
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by cute-qp | 2011-11-01 00:00 | 温故知新

「合し打ち」

 今日は笛の先生が同士と行う雅楽ライブの日。

 早めに伺い、楽屋あいさつ。

 他の演奏者ともお会いしたかったからだ。

 楽屋入りすると、先生曰く「左肩と左首が痛い」。

 お任せあれ~っ。

 装束を付ける時間まで20分ほどあったので、出来るだけのことをさせて頂く。

 演奏は2時間半。

 無事終了し、ほっとする。

 演奏を拝見しつつ、他の奏者の技術を幾つかパクる。

 先生とは異なる奏で方。

 頂き~っ!!

 バランス運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
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by cute-qp | 2011-10-31 00:00 | 温故知新

「龍を起こす」

 竹と漆、桜樺から出来た龍笛は「生き物」。

 我々の体同様、コンディションがあり、管理とウォーミングアップが必要。

 練習は、20分位のロングトーンや呼吸から始め、笛とじぶんの調子を見、折り合いをつける。

 笛を「起こす」とか「温める」などと言う。

 そして、今日は全く鳴らない。

 かなりあせる。

 あせればあせる程、じぶんも固まるので、まず「諦める」。

 諦め、のんびり「基本動作」と「基本練習」、「ちょっとした工夫」に徹する。

 50分ほど経ち、やっと鳴りだす。

 患者さんが次第次第に緩んで行く感じにちょっぴり近い。

 ま、こんなこともあるだろう。

 お陰で、また、ひとつ「龍笛」の鳴り方を会得。

 笛は「自発動」する。

 そこを誘導すると、他の笛にない「"龍的"な音」が出る。

 「鳴らす」のではく、上手く誘導すれば「鳴く」。

 それが「本来の音」。

 口伝に「息の玉を込める」と聞く。

 イメージが湧き、後、納得。

 「息遣い」、「手の使い」と通じる。

 まだ、ピンポン玉位の息しか作れない。

 でも、歩むステージは変わる。

 日常、治療にも通じる。

 曲は「竹林楽」(力抜きの技術)から「林歌(りんが)」へ。

 バランス運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂

(参考)
 「じぶんの教科書を作る」
 「育ててくれる道具を持つ」

 (解説) 「林歌」
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by cute-qp | 2011-09-27 00:00 | 温故知新

「背伸びしてみる」

 龍笛は「蘇莫者破」(「一念三千」) を終え、「輪台(りんだい)」へ。

 「盤渉(ばんしき)調」の曲が続く。

 その前にやっていた「壱越調(レ)」が非常に動的で明るいかんじだったのに対し、

 「盤渉調(シ)」は、静かで非常にしっとりして大好きだ。

 だけに、誤魔化しが効かない。

 幸運にも、わがまま言って挑戦した盤渉の名曲「白柱」(「なにごとも奥は深い」) や「蘇莫
者破」のお陰で、かなり余裕が出来、取り組み易い。

 「身の程知らず」かもしれないが、「精一杯、背伸びもしてみるもの」だ。

 言った以上は頑張らないといけないし、

 今のじぶんの臨界を少し越える挑戦が出来る。

 とことん「背伸び」して行く。 

 バランス運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂

 (解説) 「輪台」
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by cute-qp | 2011-08-24 00:00 | 温故知新

「手の作り」

 呼吸と共に、「手の作り」に励んでいる。

 やればやる程、手の表情の豊かさ、感性、感覚、能力を感じる。

 「前足」が「手」になり、「お猿」が「人」となった凄さを想う。

 「手がおもむくところ、目がおもむき

 目がおもむくところ、心おもむく」。

 インド舞踊の口伝だが、正に。

 その使い方で、目や意識、体の使い方も変わる。

 手は「運動器」でありながら、「感覚器」や「脳神経」でもある気がする。

 身体づくりの中に丹念に組み込んで行く。
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 バランス運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂

(参考)
 「指力」は「脳力」
 「手を鍛える 感覚を鍛える」
 「「人間の感覚」と「触覚の本質」へ

 (参考)インド舞踊 画像
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by cute-qp | 2011-08-20 00:00 | 温故知新

「気持ちだけ平安貴族」

 「夜に笛を吹くのは良くない」...そんなイメージがあり今まで避けてきた。

 が、早朝から余りにも暑く、日蔭では蚊に集られる。

 そこで「月夜の笛」とも言うし、花火見物も兼ね、今日は夜に練習。

 夜風は涼しく、響きを良く伝え、なかなか風情がある。

 「狩衣」でも着たい気分。

 それにしても、前回やった「白柱」(「なにごとも奥は深い」)は気持ちの良い位ボロボロ。

 「完敗」、「箸にも棒にもかからない」。

 正に「呼吸」と「間」が織りなす音楽だと思い知る。

 半年積み上げて来たものを思いっ切り崩し、気持ちよく再出発。

 丁度「7段階呼吸法」や「小周天」の練習と並行し、バッチリだ。

 曲は「長慶子」に進む。

 有名な源 博雅の作。と言うかパクリ(「鶏徳」の改作(「笛吹き童子」))

 でも、平安の大先輩、天才に敬意を表し練習する。

 練習場所はスタジアムの入り口。

 コンクリートのドームが音響効果になる。

 気持ちだけ「平安貴族」。

 数人の方が立ち止まって聞いて下さる。

 緊張して間違える。

 譜面、暗くて見えないし。

 夕刻は、やっぱり、雰囲気や響きが出るのかもしれない。

 帰宅し、「夜はダメ」の起源をたどる。

 夜に口笛を吹くと泥棒が岡引の笛と勘違いをして身を隠す為に家の中に入ってこないように
泥棒よりもっと現実的な蛇にしたとか、神事・霊的な都合もあるようだ。

 キチンと出来、いろいろ分かるまで夕刻までにする。
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バランス運動療法(Balance Movement Therapy)春風堂♪

 (解説)「長慶子」
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by cute-qp | 2011-08-02 00:00 | 温故知新

「止観と観自在」

 「悟りの教科書」 荒 了寛・苫米地英人 著より引用↓。

 荒 まず心を静かに見つめ、そこからこの世間における自分の存在を見きわめ、しかも、そこ
    にとどまらずに自在に行動を起こすことができるようにする。
    そのための修行方法が止観なのです。

 苫 止観はつねに一体のもので、止と観とを別々に考えてはいけない。そこが大事ですね。
    これを日常生活の次元の話に置き換えると、自分自身の現状、あるいは問題点を
    きちんと認識する。でも、そこで反省ばかりしていては何も起きない。かといって行動
    さえすればいいと勘違いして、無闇に動き回っているのも愚かなことである。

 荒 サンスクリット語では「止」はサマタsamatha 「観」はヴィパッサナーvipasyanaと言いま
    す。
   サマタは外界に左右されず、心を静止させることであり、ヴィパッサナは世の中を正しく
   見ることとされます。初期仏教でもこのサマタとヴィパッサナは重要な瞑想法として修行
   の中に組み込まれていました。

 (中略) 

 荒 しかし、それ以前の考え方ではこの二種の瞑想法は別種の修行法だと考えられてきまし
    た。
   だが、智顗は「そうではない。この二種の瞑想法は二つにして一つなのだ」と『摩訶止観』
   の中で教えています。

 苫 それが先はどの「暗証の禅師」「文字の法師」に対する批判につながってくるというわけ
   ですね。

    この「暗証の禅師」や「文字の法師」というタイプの人はいつの時代にもいます。
   「自分はいったい何者なのだろうか」と世界中を当てもなく旅をしている、いわゆる「自分
   探し」の旅をしている人たちは、暗証の禅師です。
 
   この人たちは「私は何がしたいのだろうか」と自分に問いかけたりはしない。それよりも
   「こことは違うどこかに行けば、私は生まれ変われるはずだ」という根拠のない期待をも
   って世界中を旅行したり、あるいはボランティアに参加したりしています。

   彼らはアクティブに動き回っているように見えますが、朝から晩まで修行に没頭さえして
   いれば「やがては悟れるはずだ」と勘違いしている僧侶の姿とどこも変わりませんね。

   それとは逆に、インターネットなどで情報収集をして、いっぱしの情報通ぶってはいても、
   現実には何の行動にも移せない、いわば「引きこもり」的な若者も多い。こういう人た
   ちは情報を集めれば集めるほど、ますますその情報に縛られてしまって、身動きが取れ
   なくなっているわけで、まさに文字の法師です。

   本当に必要なのは先ほど荒先生が「観自在菩薩」でおっしゃったように、自分自身を見る
   ことと、自由自在に行動できることが両立させられるようにすることですね。

 荒 すべての人間には悟りに達することができる潜在能力があるわけです。その自分の中
   の「仏性」なり可能性なりを引き出すための手段として智顗は「止観」という方法を私たち
   に教えてくれているのです。

 ↑ 以上、引用終わり。

 「暗証の禅師」や「文字の法師」を経て、「門前の小僧」に。

 40にして、ようやく、自分やその立ち位置の様なものを見る。

 じぶんとの付き合い方が分かってきたのだと思う。

 60歳位まで、様々なじぶんを検証・実験する。

 以降は、検証しつつ、じぶんを濃縮?スリム化?する、予定。

バランス運動療法(Balance Movement Therapy)春風堂♪
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by cute-qp | 2011-07-28 00:00 | 温故知新