カテゴリ:温故知新( 134 )

 今日の「智慧に学ぶ」は、野口晴哉先生の「晴風抄」より引用させて頂きます。これ
は、先生が書かれ、話されたものの中から、整体論の基本的な考え方に触れるもの
を抜粋した内容になっています↓。

 健康の原点は自分の体に適うよう飲み、食い、働き、眠ることにある。そして、理
想を画き、その実現に全生命を傾けることにある。
 どれが正しいかは自分のいのちで感ずれば、体の要求で判る。これが判らないよ
うでは鈍っていると言うべきであろう。
 体を調え、心を静めれば、自ずから判ることで、他人の口を待つまでもあるまい。
旨ければ自ずとつばが湧き、嫌なことでは快感は湧かない。
 楽しく、嬉しく、快く行なえることは正しい。人生は楽々、悠々、すらすら、行動すべ
きである。

                          ●

 最初に感ずるということがある。そして思い考えるのである。

 あらゆる行動の出発は感ずることによってなされる。考えているうちは行動にはな
らない。

 右か左かトータルサムをとっても、どっちにしても五十歩百歩である。行くか戻る
か、いつまで思案していても、思案で決まるものではない。

 感ずることだけがそれを決める。

 然るに多くの人は思い考え工夫することを尊んで、感ずることのカを感じないで
いる。
 如何にドレスの形を工夫しても、その室が散らかっている人には美しい形のドレ
スはできない。

 美を感ずる人にだけ美は生ずる。

 最初にあるものは感ずるということである。最後における力も亦感ずるということ
なのである。感ずることを失った生活は死だ。

 生きておらねば新しきものは産まれない。感ずることがなければ、知識が如何
に豊富でも、その記憶の倉が満ちていても、新しきものは産めない。

 生きておらねば死んでいる。死んでいるものに創造はない。

 感ずることを豊かにする為にはその頭のなかをいつも空にし、静かを保たなけ
ればならない。頭を熱くしていては感ずるということはない。
 自分の顔を考えていても、利害を思っていても、毀誉を想っていても、感ずる
ということはなくなってしまう。

 感ずるということは頭ではない。感ずるということは生命にある。

 感じているが行動できないという人がある。感じていないのである。もし感じて
できないことがあれば、それは頭で感じている時だけだ。頭を空にして感じたこ
とは、そ打まま行動になる。

 頭の中の先入主に感ずるということを乱されていることがよくある。その上その
先入主的考えを感じることと間違えていることがある。

 しかし、感ずるということは頭から生ずるものではない。

                          ●

 健康を保つことは、どんな方法であっても、そのことが美として感ぜられねば、自
然とは言えない。技術が真に行なわれれば美である。
 それ故、薬が苦く、注射が痛いことは間違っている。腹を割いて盲腸を切り取るこ
とも美しく感ぜられない。治療することが美しい現われであるのに、何故その手投
が美しく感ぜられないのだろう。

 自然でないからである。

 自然は美であり、快であり、それが善なのである。真はそこにある。しかし投げ
遣りにして地っておくことは自然ではない。
 自然は整然として動いている。それがそのまま現われるように生き、動くことが
自然なのである。

 鍛練しぬいてのみ自然を会することができる。

 懐手で知った自然は自然ではない。頭で造った自然はもとより人為のものであ
る。

 ↑以上、引用終わり。

 「自律神経」云々が一般的になるずっと前に、野口先生を始め、古人は「予想外」
な心身との付き合い方を良く知っていたのですね。

 そして、それは「知識」や「技術」の問題でなく、先ず「感じる」事が大切で、その
「主人公」は自分自身であると仰っている様に私は感じます。

(参考)
 「お医者様も”予想外” ~自律神経失調症~ 」
 「身体の声の聴く ~自律神経による治癒反応~」
 「先ずは自分が変わる」

 今日はおまけがございます。宜しければお付き合い下さい↓。
[PR]
by cute-qp | 2008-08-14 00:01 | 温故知新

 昨夜の「奇跡のリンゴ」を受けて、今日は「西洋の智慧」をから拝読して行きたいと
思います。引用は「ヒポクラテス全集」からです↓

 病気を引き起こす原因は「変化」である。

                        ●

 人間が病気になるのも、自分自身を修復するのも自然の働きであり、病気を
治すのは患者自身が本来持っている自然治癒力である。

                        ● 

 一日の生活の「リズムと規則性」のバランスを確立することによって、対立関係
にある体機能の均衡をはかることが大切である。

                        ●

 病気は超自然の力によってではなく、自然の力によって生じる。たとえば、悪霊
や気まぐれな神々の怒りによってではなく、蜃慌や食生活の急激な変化によって
生じる。健康とは、体と心を含む内的な力と外的な力の調和的バランス状態を表
現したものである。

                        ●

 人間と自然とは切り離せないもので、人間が自然界のなかで生きていく以上、
そこには一定の法則が存在する。人間の体は、温め、冷やし、乾かし、湿らせる
という複数の働きにより構成されている。その相互のバランスが崩れたときに、さ
まざまな病気が生じる。また、自然界における生命の誕生について考えると、同
類で異なる性質を持っているものが互いに交わらなければ「生まれる」ことは不
可能である。そして、両者は互いがほどよく対等の状態にないならば、生まれる
ことは起こらない。

                        ●

 人間は健康こそが最も価値があるものと考え、病気のときには自分自身の考
えによって体のためになる方法を見出さなければならない。

                        ●

 外的な要因だけでなく、悲しみや怒り、神経を使う仕事、苦労を堪え忍ばなけ
ればならない事情など、心や精神の状態も大きな問題である。

                        ●

 誰もが自分に合った健康維持法を実行しなさい。そうしなくて病気になった患
者に対しては、医師は生活する人間として扱い、相互の信頼関係のもとで、患
者も医師と同じ熱意で病気と闘いなさい。それが本来の医療の姿である。

                        ●
            
 人間の体には、血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁があり、これらがバランスよく混ざ
り合った状態が最も健康な状態である。一方、これらの体液が多すぎたり少なす
ぎたり、あるいは1カ所に溜まった状態が病気であり、そこにさまざまな疾病や
痛みなどの症状が生ずる。

                        ●

 本来の医療とは、病名をつけることが重要なのではなく、その病状に合わせて
いかに治療するかが大切である。病気の診断をわずかな症状の違いごとに区別
していたら、病気の数は数え切れなくなる。病気の名前の多さは、単に病気の症
状の多様性を示すだけだと考えたほうがよい。

                        ●

 患者の体から発する信号を注意深く聞け。

                        ●

 およそ人間が何であるかを知らないものは医術を知ることができない。人間を
正しく治療しようとするものは、これをしっかり知っていなければならない。

                        ●

 人体は疾病に対して自然に回復する。医師はその回復する自然の力を補佐
するのが天命である。

                        ●

 医術とは、病気による痛みや苦痛を取り除き、病気の勢いを鎮め、病気に負け
た人を救うこと。そして、医師とは、医療者としてふさわしい資質を備えたうえで
実地の経験を積み、医術の知識を自分のものとするために、さらに厳しい修業を
積んだ者にのみ与えられる資格である。

 ↑以上、引用終わり。

 前回、「ヒポクラテスとガレノス ~科学と倫理~」でもご紹介致しました「ヒポク
ラテス」の考えの一部をご紹介致しました。

 彼とその弟子が病気の原因やその治療法のみならず、予防法、医師の資質や
行動指針について述べたのがこの本です。

 そんな彼は医学に大きな影響を与えましたが、その後、西洋医学は「アロパシー」
に基づく注射や投薬、手術が多用されるようになり、「病気の本質的な原因」や「自
己治癒力」を忘れてしまいました。
b0159328_206118.jpg

               現代医学と自然医学の流れ(西洋医学)
          中島文保:著 「ヒポクラテスが教える癒す力50」より引用

 しかしながら、近年、「根治治療」を目指す「自然医学」や「補完代替医療」が再び
見直され、紀元前の智慧が今に生きていると言えます。
[PR]
by cute-qp | 2008-08-12 00:00 | 温故知新

 カテゴリー「智慧に学ぶ」では、古今東西の資料の中から私達が「なりたい自分に
なる為」の智慧の一部を抜粋し、皆さんとご一緒に拝聴・拝読させて頂こうと思います。

 今日は、室町・安土桃山時代の医師、曲直瀬道三(まなせ どうさん:永正四年~
文禄三年:1507~1594)の「養生誹諧」です。

<文武>
 かねてより 身をつつしむハ 文の道 病でくすすハ 物のふのわざ (2)

  常日頃から病気に罹らないように体をいたわるのが学問や芸術を究める道であ
 り、病気になったら、病を治す術を心得ておくのも武士たる者のつとめである。

<保胃>
 食ハ只 よくやハらげて あたたかに たらハぬ程に 薬にもます (6)

  食べ物は、よく温めて柔らかく調理するといい。そして、食べ過ぎず足りないくら
 いの量の食事は薬以上の効果がある。

<四休>
 さむからず 飢ることなき たのしみハ たる事を知の さひハにぞかし (9)

  寒さも飢えも凌げる程度の生活が、人生の楽しみ、幸福に浸るにはちょうどよ
 い。足ることをしったほどほどの生活が何よりだ。

<湛浩>
 老いぬるハ 立てミ居てミ 身をつかひ 心ハ常ニ やすむるぞよき (10)

  歳をとったら、立ったり座ったりして身体を使い、心はいつもやすらかにしてい
 るのがよい。

<和中>
 常の食 四時に順じ 五味を和し 飽ニ及バず 又ハうゑざれ (11)

  日頃の食事は、季節に応じて旬のものを味付けも適度にして、かたよらず食べた
 いものだ。食べ過ぎはいうまでもなくよくないが、、腹の減り過ぎもよくない。

<勧懲>
 性をわれ 常ニすなほに ためなをし よきを志たふや 養生のもと (12)

  自分の正確や生活が正しくなかったら、曲がったところを直して、健全な精神を
 獲得するのは養生のもとだ。

<不薬>
 何となく 形と心 つつしめばバ 薬なくても ゆらく玉のを (13)

  身体のことを常に気をつけ、いたわって、心おだやかに、ふつうに生活していれ
 ば薬の世話にならなくても、楽しく長生きできる。

<順レ衣>
 水にぬれ 汗にうるおふ 衣かえ また夏冬ハ よき程にせよ (17)

  水に濡れたり、汗でぐっしょりとなった衣服はすぐに着替えよ。また、夏や冬や
 、暑さ、寒さに適した衣服を身につけなさい。

<弁医>
 医しをハ 兼て手がらを わきまへて それを親しミ 脈も見すべし (18)

  日頃、医師の力量を知っておくべきだ。そうしておけば病気のかかったとき、安
 心して診察を受けられる。

<揀択>
 はかなくも 善悪思ふ 苦しミの 何ハにつけて 身を尽くしけり

  はかないものだ、よいこと、悪いことの取捨選択で思い悩むのは苦しく、身体に
 よきこととはいえない。だからどんなことでも悩まずに一生懸命励むのが一番だ。

<汗瀉>
 汗おしみ くだるものいとへ をのが身に それや内外の あるじならまし (33)

  汗も下痢もおろそかにせず、大切なものと考えるのがよい。それが、自分の身体
 の内側と外側から病気を教えてくれる中心になるのだから。

<謹薬>
 効ある 薬にさとれ 何事も なきおりからハ いかがのむべき (34)

  自分に効いた薬が何か知っておくべきだ。病気でも何でもないときはどうして飲
 もうか、飲むべきでない。

<攣レ筋>
 ゑせ馬と つよ弓すまふ ちからわざ 積れハ筋の 中風とぞなる (36)

  無理な労働が重なれば筋肉を傷め、ひいては健康を損ねるぞ。

<怨他>
 医しせめ 効をいそぐ 身の病 作り出せる 我ハうらミず (44)

  患者は医者を責めて、早く治せしてくれとせかすが、その原因を作った自分のこ
 とは棚にあがている例が多いものだ。

<以レ怖治>
 なへて人 胸の思ひハ 乱碁の 死するをこうに たててやむべし (46)

  耐えがたい万難の苦しみも、死を覚悟すれば立ちなおることができるものだ。

<預謹>
 さしも草 もゆる思ひと 針薬 くるしまんより かねて謹しめ (53)

  お灸をして熱い思いをしたり、鍼を打って痛い目をして苦しむくらいなら、ふだん
 から身体をいたわっておくのがよい。

<禁レ久>
 いねをきも 起居見聞て 行事も 皆久しくて 病とそ成 (65)

  行住坐臥、起居動作はすべててきぱきとこなせ。のんべんだらりと生活をしてい
 ると病になってしまう。

<持与避>
 をのか身に たもちてよきハ 只たもて 避けてやすきハ 常ニさくへし (112)

  自分の身にとって、良いと思うことはそのまま続け、悪いと感じるものは常に避
 けるよう心がけるべきだ。

<遂レ欲>
 限りある 露の身をもて はかりなき 胸ニまかセバ はやくこぼれん (113)

  はかなく、短い、露のような人の命なのに、何も考えず、思いつくままに欲を追う
 と早く死んでしまうぞ。

<難レ行>
 謹ミを 耳ニ聞分 心にも 得ておこなハぬ 人ハかひなし (114)

  心身をひきしめ、控えめな生き方が大事と、人からきき、心にも留めていても、
 それを実行しなければ何の意味もない。

 ↑以上、各症状に対しての詳しい説明を含めると、道歌は計120にもなるので
すが、ここで「基本」となるものを抜粋しました。

 ちなみに、本書は「毛利輝元」に贈られたものです。

 ご興味のある方は 山崎光夫 著 「戦国武将の養生訓」 新潮新書 をお読み下
さい。

 また、本日は(おまけ)がございます。宜しければお付き合い下さい↓。
b0159328_20113841.jpg

                       曲直瀬道三先生
[PR]
by cute-qp | 2008-08-09 00:01 | 温故知新

 ご紹介致しました「曲直瀬道三」先生につき、ちょっとした逸話がございますのご
紹介致します。

 以下は、東洋医学史研究会様のHPより引用・掲載させて頂きました↓。

 道三が数人の弟子を連れて諸国を遍歴したときのこと・・・道三師弟一行がある海
岸沿いの漁村に差しかかったとき一人の少年に出会い、その少年の顔を見て道三
は驚いた。

 と言うのも、その少年の顔にはっきりと「死相」が現れていたからである。

 少年の顔色は青白くくすんでいた。たち振る舞いには特別変わったところはなか
ったが、道三から見ればそれはまさに死期の迫った病人の顔であった。

 そこで、道三はその少年に「宿を問い」少年は道三一行を自分の家に案内した。

 弟子は直ぐさま、宿場町に泊まる手筈している旨を伝えたが、今宵はこの子の家
にどうしても泊まらなければならと語った。道三以外は、だれもこの少年の異変に
気づいていなかったのである。

 村中に足を踏み入れると、道三は周囲に漂う異様な気を感じとった。すれ違う村
人の中に少年と同じように顔に死相が現れている者が幾人もみうけられたからで
ある。
 そして・・・少年の家でも、両親や幼い兄弟達の様子をみると皆その顔に死相が
現れていた。

 このように人の顔色の変化をみて診断(望診)することは中国から渡来した医術
の奥義であって、まさに名医の優れた技量を意味するものであった。当時は、直
接脈を診て病状を知る術さえも、そうした高度な診断法には及ばない技量とされ
ていた。


 道三はいよいよ不審に思い、その少年と家族全員の脈を弟子たちに診させたが
いずれも精気が失われようとする死脈であった。

 何人もの者が一様に死脈というのは有り得ないことである。死相が出ていながら
、病人のように床に伏せっているわけでもなく・・・これには道三も考え込んでしまう。

 道三はそのまま屋外に出ると浜辺へとゆっくりと足を進め、絶え間なく浜辺にうち
寄せる波を一心に見つめ、一瞬閃くものがあった。

 道三は意を決すると漁師の家族はもとより、村中の者に近くの山へ非難するように
すすめた。
 村中は騒然となり、旅医者の狂言として嘲笑する者、怯えて座り込んでしまう者と
上へ下への大騒ぎ・・・それでも村人の半数近くは道三の言葉に従って近くの山へ
避難した。

 非難した村人は不安げに山の上から村の様子を窺っていたが、穏やかな海や村
の眺望には何の変化もなかった。が・・・

 「大きな波がやってくるよー!」

 突然の子供の叫び声に一同は海の彼方に目をやった。遥か彼方に水平線に黒々
とした巨大な波の壁が見えた。

 果たして不気味な海鳴りがしたかと思うまもなく泡立つ大波が周辺の海岸に襲い
かかってきた。小さな村は一瞬のうちに大波の渦に飲み込まれ一たまりもない。

 山上から、道三は一部始終を見ていた。大波がすべてを押し流し飲み込んでいっ
たのである。

 そして・・・道三の足下で震えている少年の顔にはもはや死相はなかった。津波か
ら逃れた村人達の顔からも死相がすべて嘘のように消え去っていた。

 ↑以上、引用終わり。

 「逸話」の真偽の程は私には分かりかねますが、「望診」はとても大切な事で、
それに優れた曲直瀬先生だったからこそ、この様な逸話が残っている様に思いま
す。
[PR]
by cute-qp | 2008-08-09 00:00 | 温故知新