カテゴリ:春風堂の想い( 29 )

「マイム的履歴書」

 小さい頃、「できるかな?」(子供番組)に夢中だった。

 大好きな「工作」に加え、「マイム」的な進行がお気に入り。

 ものが出来て行く過程、ものを作り上げる喜び、

 じぶんもやってみよう!と言う興味や関心...

 そんなものが「マイム」を通じ、「肌で」感じられた気がする。

 小学校高学年期に「表現運動」と出会う。

 「体育」は嫌いじゃなかったが、「運動神経」は良くなかった。

 ところが、「表現運動」に出会い、「目覚める」

 成績は「少し」底上げ、

 「じぶんにとっての運動や表現」が分かり、

 人前で発表する愉しさを覚える。

 正に「水を得た魚」の気分。

 初めて「じぶんに気付いた経験」ではないか?と思う。

 中学から大学にかけ、マイムや表現の具体的な技術に興味を持つ。

 じぶんの成長が「ストリートダンス」や「PV」の勃興と重なり、

 ダンスしたり、表現するカッコよさを追い求める。

 大学以降、子供の頃から興味があった治療やボディーワークと邂逅。

 人の「体と心」への興味が深くなって行く。

 まだ、ネットも普及していない時代。

 ひと通り経験したり、資料や情報を探すことに10年位かかる。

 そうする内、治療とボディーワークの「プロ」になる。

 「パワーで押しきれる」年齢を過ぎ、「プロ」としての現実に直面、

 「見てくれの格好よさ」や「頭でっかち」も維持できなくなり、

 素のじぶんで、人間の奥深さに直面...驚き、笑い、呆然、感動する日々。

 最近、ようやく、マイムにおける「体」と「心」、「意識」と「イメージ」、「表現」と「情動」

 その辺りが見えてきた気がする。

 ある時、小学生の時に「目覚めたあの瞬間」が走馬灯の様によぎる。

 数十年を経て、ふたたび「ハッと」する。

 びっくりだった。

 「治療」や「ボディーワーク」、「日常」がより活き活き、愉しくなる。

 バランス運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
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by cute-qp | 2012-04-13 00:00 | 春風堂の想い

 現在、春風堂はK元君を中心とした若手の皆さんの練習会のお手伝いをしております。

 会の開始当初は私が「牽引役」を務めさせて頂きましたが、ここ数カ月はその座をK元君に
譲り、また集まった方々の自主性にも任せて一歩引いた立場で、要所を抑えるスタンスで参
加させて頂いています。

 今朝もその集まりがあったのですが、ポイントを適宜にアドバイスする事で変化や展開が
早くなり「ようやく、誘導の入口に来た」手応えとここ数年のK野先生のアシスタントをさせて
頂いて来た経緯をフラッシュバックしていました。

 K野先生の中心塾のお手伝いをさせて頂いて多分5年目位になると思います。

 先生が周囲のご要望もあり、「一般」の方を対象に「健康・養生」などを意識した「センタリン
グ呼吸法」を展開され、「治療」や「健康・美容」などに興味があった私は「アシスタント」をさせ
て頂く事をお願いしました。

 そして、初回...それなりに年数を重ね、経験も積んだ「つ・も・り(笑)」の私は自信満々で
会に参加。

 結果、「初心者」・「素人」の皆さんのレベルにも至らない自分が居て「冷や汗」・「脂汗」でし
た。

 その上!実際、その場所に参加されている方々はなにがしかの方面で「先生の先生」と呼
ばれている方ばかりで...恥じ入り、恐れ入る事甚だし(笑:世間は広いし、自分は本当に小さ
いです)...でございました。

 実質、私は「アシスタント」どころか「先生」と「参加者の皆様」の完全な「お荷物」でした(未
だにこの教室だけは緊張します:笑)。

 どれほど、私の学んだことが「薄っぺらく」、「教科書をくってのお話」だったか...今もつく
づく感じています。

 しかし、変にしみついた「自信」とか「知識」、「考え方」、「習慣」を「漂白」するのは難しく
...結局、「己から始めよ!」とのことで今に至ります。

 N山君も仰っていますが、「自分自身の仕込み」が大切ですね。

 実感として、その大切さを一番感じられた出来事がこのお仕事で「プロ」になる道を選ん
だ事だと思います。

 「会社員」として「たかが、15年」...しかし、一応、会社の中枢で勤めて来たのですが、
ふと「個人事業主」、「一人の男性」になってみて自分の「商品価値が0(ゼロ)」であること
に気付かされた事が大きいと思います(笑)。

 恥ずかしながら、元々、勘も悪く、器用でもない私ですので、「そのように」実感し、「自己
形成」するに至るまで随分、時間が掛ってしまいました。

 しかしながら、K野先生を始め、懇意にして下さった方々、クライアントの皆様の温かく
、根気よいお力添えのお陰で、今も何とか「修行」を続けさせて頂いております。

 その上で、私がこの所大切にしているもう1つの「仕込み」が「K野先生の会の仕込みに
ベストを尽くす」と言う事。

 以前、先生が「(君が)前提を作ってくれるから、後の仕上げが出来る」と仰って下さった
事があります。

 多分、何かと落ち込み易い(笑)私を気遣ってお言葉で有り難く嬉しい出来事でしたが
、その気持ち以上に「あ!そうか!」と言う気付きがあったんです。

 丁度、私のイメージでは、先生が「料理長」で私が「皿洗い」や「食材の下処理」、「配膳」
などさせて頂いている感があります。

 料理長は限られた状況でもベストを尽くせる実力があります...しかし、それを「より生か
せる方向に持って行くのも、殺してしまうのも弟子次第」だな~って感じたんです。食材
についてもしかり。

 そして...「どうしたらあんな風になれるのかな?」と言う好奇心ももの凄く...。

 「季節や時節(天候・時間)」はどうで、「食材(皆様の状況など)」はどう、「今日の献立
(今日のテーマ)」がこうで、「配膳のタイミング(皆様の変化に従う)」はこう、「お客様の雰
囲気(皆様の心身の変化)」は?...などを意識し、感じ、イメージしながら行う事で、「今、
何をするべきか?次は?」などが少しずつ分かる様になって来ました。

 具体的には...

 ・ 今日の参加者の方々の精神や身体の状況はどうか?
 ・ 参加者お1人お1人、そして、全体的に留意すべきポイントはどこか?フォーカスをど
   こにするか?
 ・ 先生のテーマとその流れ。
 ・ 参加者の「お体」や「意識」、「無意識」の方向と変化。
 ・ 参加者のどの部分に「可能性」が生じているか?
 ・ 先生の心身の変化、意識の方向。
 ・ どこまで「挑戦」して頂くか?
 ・ 皆さんとどこまで学びを「愉しめるか?」  
 ・ 次回へ「どう繋げるか?意識付けするか?」

 それを感じ続ける経緯で、色々と「観えて来る」ものがあり、日々、「ふ~ん、人間ってそう
なのか!」と思う今日この頃です(笑)。

 そして、それが「神経訓練」や「呼吸」に取り組むキーポイントだとも思いました。

 さて...K野先生の生徒(弟子?)はそれぞれ様々な特徴や得意を持って、各位なりに
その「教え」を感じ、日々頑張って創意工夫しております。

 私としては...皆様に「安心」や「信頼」を感じて頂ける様頑張っていきたいと思います。

ご興味のある方はコチラもどうぞ...(おまけ)↓
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by cute-qp | 2009-11-23 00:00 | 春風堂の想い

心が動けば 人生は動く

 唐突ですが、テレビで藤原茂さんと言うOT(作業療法士)の方のドキュメントを拝見しました。
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 お仕事の関係上、沢山のPT(理学療法士)やOTの方と接する機会がありますが、医学
書や医師、病院との間にあって、余りにも機械的で無機質なリハビリが多く、そのお立場
を理解するものの、随分と残念に思っておりました。

 それでなくても...リハビリの実際は、心身の機能を回復させようと一生懸命リハビリをし
てもなかなか回復できず、あきらめてしまう人は決して少なくありません。

 そこで藤原さんは、娯楽や趣味など、「やってみたい」「楽しそう」と思わせるような活動
をリハビリのメニューに盛り込み、やりたいことに一生懸命打ち込んでいく中で、自然と体
をどんどん動かすようになり、結果的に機能の回復につながっていくと
、考え、実践して
おられます。

 そして、体の機能を回復するだけでなく「人生を回復し、障害を抱える前よりも、もっと
輝かせる」
と言うのが藤原さんの目指すリハビリです。

 以下は「群馬県作業療法士会 GOTブログ」様からの引用です↓

 意思を引き出す力が作業療法だ 藤原 茂

  ○イントロダクション

  ・機能を訓練しているOTが多い。
  ・自信ないけど、知ったかぶりのOTが多い。
  ・2~3年で何だかわからないけど「先生」呼ばれる始末…
  ・このようなことが7~8年続いたら最悪…

  しかし、現実にはこのようなOTがたくさんいる(らしい)

  作業療法士は機能回復ではなく生活・暮らしの視点で対象者をみる。

  つまり「どうやって生活をするか、人生の生きがいをどうやってつくっていくか」という
 視点でみる。


 ○評価の視点

  参加・活動レベルから考える。心身機能から見てはいけない。参加・活動のために
 心身機能をみる。(もちろん心身機能の把握は大切)

○介入の視点

  素早く、何ができるのか引き出すのが作業療法士

  そのためには意思がすべてである。

  自立とは一人でADLができるということではなく、「自分でやってみようという意思」を
 持つことが自立である。


 OTの介入によって、意思が

  「いいよ→いいね→みよう」

 このようなプロセスを積み重ねて、

 達成感→有能感→生きがいの形成を図る。

 ↑以上、引用終わり。素晴らしいと思いました。

 私の立場では「治療法」や「神経訓練法」、「呼吸法」などの「切り口」・「道具」を用いて
皆様とお付き合いさせて頂く訳ですが、実際、皆様の「主治医」は「皆様ご自身」で、そこ
を如何に「専門家として」バックアップして行くか?を常に意識しています。

 そうすると必然的に野口晴哉先生の仰る「潜在意識教育」やK野先生の仰る「神経訓
練」がテーマとなり、その方の「モチベーション」も含め、お1人お1人の「意識の方向」を
見据え、これを誘導する事を大切に思う様になってきました。

 本当に「身体と心」は表裏一体...「何故、そうなったのだろう?」、「どうすれば現状を改善
できるかな?」と言うイメージを持ちながら皆様と心身と接する時、その「意識の方向」を観
ていると「ハッと」気付く事があったり、現状が劇的に、瞬間的に変わったりします。

 そして...その時点で自分と皆様の今後がちょっぴり、でも大きく変わっている事に
気付きます


 昨夜も自分を育てる 3題で少しお話致しましたが、その方向性は対象が「子供」でも「大人」
でも、「治療・リハビリ」、他の分野でも全て同じだと感じています。

 それをして、私なりに「心が動けば 人生が動く」と思うに至りました。

 藤原さんは「プロフェッショナル」を「いろいろな可能性を推測できる、と同時に、優先順位が
パッと直感的に観えて、走りながら考え、修正し、また考えるということができる人」
と仰って
おられました。

 それには、まだまだ程遠いですが(笑)、そうありたいと思う春風堂です。

(春風堂の理念)
 ● 春風堂のご挨拶
 ● 呼吸が変わる 姿勢が 変わる 生き方が変わる
 ● ホームセラピスト & アドバイザーを目指して
 ● 柔術整復の復興
 ● 未来の子供達の為に
 ● ヒポクラテスの精神 ~科学性と倫理性~
 ● 健康と美容は最優先!
 ● 神経訓練法が可能性を開く ~その基本原理~
 ● 夢を形に...
 ● 心と身体を繋ぐもの ~潜在意識教育を大切に~
 ● "意味"や"原因"を"どこに"観る
 ● "心と身体の響き"を通じて...~春風堂の大切にしたいもの~
 ● "盲点"に気付く "盲点"を探る
 ● 共に"呼吸"する ~"手作り"感覚を大切に~
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by cute-qp | 2009-11-18 00:00 | 春風堂の想い

三船蔵言(三船十段記念館資料より)

 今日の行は只今、今日の楽しみは明日、

 柔道の修行は寝ても、醒めても、(夢の工夫)

 速さの極限は無、

 夢にうなされてはいけない、

 夢にでも勝つやうでなければ、

 技は無限、新しい技の発見、

 最悪の中、最善を見出す、

 空想は実現のもと、

 内円の動が外円を支配する、

 相手の気を奪ふ工夫、

 実力は自分がつけるもの、段位は人がつけるもの、

 重心は体の位、位を失へば敗れる、

 一瞬に相手の意志を捉へること、

 相手の意表に出ること、
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                     「隅落とし(空気投げ)」

 こちらはその動画です↓


 唐突ですが...柔道の昇段試験に行ってきました。

 でも...私は、元々、柔道が好きではありませんでした。

 大体、オリンピック以降の柔道は実質「"剛"道」や「レスリング」ですし、整復に必要な活殺術
は完全に失われ、ついでに、もっさい男同士が汗まみれになって組み合うのが生理的に好き
になれない(笑)...と言うのが理由でした。

 そんなイメージを払拭して下さったのが「三船久蔵十段」の存在・・・ご縁があり、私は「治療
家」の道を進み、「柔道」も習う機会を得ました。

 そして、国際化し、益々、「形骸化」して行く柔道を目の前にして、どんな風にすれば「三船先
生」の様な動きが出来るのだろう?...そう日々思いながら、「合気」や「呼吸法」をベースに研究
中です。

 今回、「初段」を頂きましたが、三船先生の道の入り口がまだ少し見えただけ...つづけて
、研究しながら、「治療」・「調整」に生かせる身体作りを目指したいと思います。

 その意味を込め、「三船蔵言」をご紹介しましたが、その内容は色々な事に通じると思う春風
堂です。
 
(参考)
 柔術整復の復興
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by cute-qp | 2009-09-29 00:00 | 春風堂の想い

 岡野雅行著「世界一の職人が教える 仕事が面白くなる発想法」より引用・ご紹介致しま
す↓。

 俺がいつも口にする言葉に「雑貨」がある。日用雑貨という言葉があるように、口紅のケース
とかライターとか鉛筆のクリップとかね、要するに昔から町工場が手がけてきたもののことだ。

 日本人には今でも相変わらず、コンピュータ部品がすごくて、がま口のような雑貨をつくるの
なんて簡単だと思っている人がいる。「うちはコンピュータをやっているんだ」と言えば「すごい
なあ」と感心するのに、「うちはあの真鎗の鈴をつくっているんだ」と言えば、「あっそ」 ってね。

 本当の物事が見えていないよな。ハンドメイドの時計が何百万円で、クォーツは千円で買え
るってことの意味がわからない人間もいる。そういう勘違いを直さないと、商売でもきっと損を
してしまうんだけどね。

 あるときにこんなことがあった。

 ある大手電機メーカーに講演に行った帰りに、中国担当の事業部長の人と話をしたんだ。
するとその人が、「今日はいい話をしてくれましたね」と。「どの話?」って聞くと「雑貨の話」
と言う。

 その人は年中、中国に仕事で行っている。それで、「中国語で『雑貨』を置き換えると『完
成された技術』と書くんです。とくに南の地方では『成熟した技術』と書くんですよ」と言うん
だ。

 つまり雑貨は技術的な終着点にあるもので、半導体みたいにどんどん変わっていくもの
とはわけが進うんだ。たとえば鉛筆のキャップにしても、鈴にしても、もうあれ以上変わり
ようのない形をしてるだろう? 進化しつくした究極の形という感じがする。完成されている
というのはそういう意味だ。俺が今まで思ってきたことはやっぱり正しかったと、あらためて
思ったものだ。

 金型だって、樹脂のような一発でできてしまうものならいざしらず、金属製品を何工程に
もわたって変形させてつくる金型は、人の手による微妙な調整がなければ完成しない。

 最後の「もう気持ち薄く」なんていう微調整こそが、本当のキモの部分なんだ。

 だからCAD(コンピュータ援用設計システム)で金型の図面をにいて、図面通りつくれ
ばいいなんてのは、ありえない話なんだ。なんでも「ピッポッパッ」とコンピュータの人力
でできてしまうなんて、勘違いもはなはだしいっていうんだよ。最後は人間のアナログな
、手の力がなければできない。

 なぜだか、わかるかい?いつも言っているんだけれど、「気持ちは図面に書けない」か
らなんだ。だから、図面だけもらっても完成までいけないんだね。

 皆さんの仕事だって、マニュアルには書けない部分こそが、他人にはできない、あなた
だけの発想が生きるところなんじゃないかな。
 金型屋とは関係ない人でも、ここのところをよく理解しておくといいよ。ほかのことにも
応用が利くはずだからね。

 俺が「金型は最初から最後までひとりの人間がやらなくてはだめなんだ」って言う理由
はここにある。"気持ち"は図面に書けない」以上は、ほかの人ではそこがすっぽり抜け
落ちてしまうだろう。だからうまくいかないんだ。

 だからこそ、どんな仕事だって「自分じゃなくても、誰がやっても同じ」なんていうことに
はならないものだよ。
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         今はあまり見かけなくなった「がま口」の留め金部分。留め金を閉
        じるとき、「パチン」という音がする。この「音」がどうすれば出るかは
        、図面には書けない。感覚で覚えていくしかないが、今はこの音を
        出せるようにつくれる職人が減った。

         一見ローテクに見えるが、じつは「完成され、成熟した技術」の結
        晶である雑貨。それをつくってきた経験と、そこから生まれる発想
        こそ、世界一のものをつくる確かなベースになっている。

 ↑以上、引用終わり。

 最近は、どの製造業の製品もCADで設計されているので、例えば、「車」などはどの
業者の製品も対して変わらないフォルムに見えます。

 さて、春風堂が会社員の頃、新入社員研修を航空機の製造ラインで過ごしました。

 航空機はその安全性を非常に重視される為、その金型を作る時、「万分の5インチ」以
上の誤差を許されません。

 そこで最新機などでは最新のコンピュータとソフトで金型の位置関係を計測します。

 ところがなかなか上手く行かず皆さんお手上げ。

 そんな時、もう直ぐ定年の叩き上げの職人さんが金づちで「トン!」...1発で検査OK
となりました。

 また、研究所にいた時期、バリバリの研究者が設計した製品図面を職人さんがチラッ
と観て一言「これ潰れるよ」。

 経験や積み上げ、工夫もさることながら、頭の中に製品イメージがあり、それを形に
出来る凄さを身近で感じさせて頂きました。

 そして...私は「人間の身体」と言う、もっと複雑な存在に向き合うこととなりました。

 その為の「教科書」や「メソッド」はありますが、生きている人の身体や心、そのバラン
スは文字や図面に表す事ができません。

 まだまだ駆け出しですが、「○○に書けない気持ちを生かせる」様私も励んでいきたいと
思っております。
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by cute-qp | 2009-08-27 00:00 | 春風堂の想い

 先ず、以下の記事をご覧下さい↓。

一心に彫る匠の技
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 目の前に一枚板。木づちでのみをたたき、下絵を縁取る。欄間(らんま)職人、坂本逸臣さん
(55)=洲本市桑間=の匠(たくみ)の技が続く。

 のみを利き腕の右手に持ち替えた。小指と薬指の間にはさみ、包む込むように握る。微妙な
力加減。一心に彫り進むうち、下絵が見事に浮かび上がった。

 「同じ職人に会うと、まず手を見比べる」

 差し出した右手。見れば、小指の付け根に赤いたこがある。「四十年間、仕事をしてきた証
しや」

 中学を卒業後、父親に弟子入りした。ヒバ、ベイマツ、ヒノキ…。扱う木をどう彫るか。約百種
類ののみを自在に使い分ける。

 障子と鴨居(かもい)の間に取りつけ、和室を演出する欄間。大工からの注文がほとんどで
、客先もどんな家かも分からないが、のみに職人の誇りを込める。

 「だから、同じ構図は彫らんことにしとる」

 神戸新聞 (2003/10/04) (高田康夫)

 ↑以上、引用終わり。

 ふと、いつも自分の手を見詰めてしまいます。そして、「まだまだ、"手"になってないな」と思
います(笑)。

 なので、身体に加え、「この人の手凄いなあ」と思う人は思わずじ~っと見てしまいます。

 そして、どうやったら「あの手になれるのだろう?」とイメージしたり、工夫したりして愉しませ
て頂いています。

 勿論、お仕事柄、「手」だけではダメなのですが、そこが満たせて初めて全体も見えて来る
気がしています。

 実際、「"手"から"身体"」、「"身体"から"手"」へとフィードバック、関係づけられて行く感覚
が日々沢山あります(「手」を通して分かった「身体」と言うものもありました)。

 また、「1つとして同じものがない"手作り"な人間の心と身体」に携わるのですから、自分の
「手作り・身体作り」は大切にしたいと思う春風堂です。

 そう思うと、改めて「ボール」や「短棒」、「杖」などを使ったO宗師は凄かったな...今更ですが
、色々なボールや短棒などを持ち出し遊んでいる途中です。

 そう言えば...「透明な力」にこんな記事がありました↓。

 大正十三年頃、武田惣角先生の所へ行ったら朝日新聞に載った植芝盛平の写真があった
が先生がそれをみて「こんな手をしてやっていたら百年たっても合気はわからない」と言われ
た。
 その時は変な事を言うと思っていたが三十歳代の後半になってやっと意味がわかった。ま
た、そのとき「でも一応合気をやったのでしょう」というと「植芝には合気は教えていない」とは
っきり言われた。

 ↑以上、引用終わり。

 昔は「ふ~ん」位にしか思っていなかったのですが、最近では「他人事じゃない!」って痛
感する様になりました...頑張ります!!

(参考)
 ① 共に"呼吸"する ~"手作り"感覚を大切に~
 ② 心と身体の響きを通じて... ~春風堂の大切にしたいもの~

ご興味のある方はコチラをどうぞ↓
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by cute-qp | 2009-04-28 00:00 | 春風堂の想い

 今週の日曜日、センタリング呼吸法の芦屋セミナーがあり、初心者の方を担当させて頂き
ました。

 初心者の方を担当させて頂く事は、春風堂にとりましては、自分の「既成概念」を打ち破り
、「気持ちも新たに」自分の「歩み」を確認出来る絶好の場でありますが、同時に、初めの
「印象」が皆様の「変化」や「気付き」、「今後」に「大きく」影響するものでもある為、いつもに
増して、気を引き締めるひとときでもあります。

 中でも「呼吸」と言うものの、「ご自身との位置づけ」や「大切さ」を体感して頂く事に、日々
、苦心している所です。

 ところで...改めて「呼吸」を大辞林で調べてみると

 ・息を吸ったり吐いたりすること。 「きれいな空気を―する」「―を整える」
 ・生物が、外界から酸素を取り入れて二酸化炭素を排出すること。外呼吸。
  また、そのために行う筋肉の運動。
 ・細胞が、取り入れた酸素によって有機物を分解してエネルギーを獲得する過程。酸素
  呼吸。細胞呼吸。内呼吸。
 ・生物が無酸素状態で有機物を分解してエネルギーを獲得する過程。解糖・発酵等。無
  気呼吸。

 との説明に加え、

 ・動作の間の取り方など、物事を巧みに行う要領。こつ。
  「スタートの―をつかむ」「ひと―置く」
 ・共同で作業をする者どうしの、互いの調和。「二人の―がぴったりと合う」

 ...などとあります。

 しかしながら、知れば知るほど、感じれば感じるほど、なかなかに、それだけに納まらな
い感があります。

 増して、先日、"盲点"に気付く "盲点"を探るでお話し致しました通り、「自己認識」は人
それぞれであり、だからこそ、それをご紹介する「面白さ」と「難しさ」を思います。

 その為にも、皆様の「呼吸」を拝見し、呼吸を「合わせ」、感覚を「響き合わせ」ながら「バラ
ンスする方向に導いて行く」調整やセッションを大切に感じております。

 その「息」を学んだもので、「武道」や「水泳」の他に「ダンス(ペア)」の経験があります。

 以下は、中谷彰宏さんの著作からの引用です↓。

 ダンスは、相手と一緒にする呼吸だ。

  二人で呼吸を合わせて揺れているだけで、究極のダンスです。これはステップではあ
 りません。

  「一緒に踊りましょう」と言ってフロアに出ていって、いきなりステップを踏み始めてしま
 う人がいます。その人は、「ダンスはステップ」と、まじめにお勉強してしまった人です。

  受験勉強の延長で、ダンスを覚えようとするからです。これは日本人の勉強の仕方に
 もかかわっています。お年を召した方でも、若い人でも、共通して言えることです。
  まじめすぎる人や優等生の人ほど、お勉強をしすぎて、一人の世界に入ってしまいま
 す。

  勉強は一人で身につけるものですが、ダンスは二人でしなくてはいけません。相手と
 一緒に楽しむことが大切です。

  きれいなステップを踏むよりは、まず相手と呼吸を合わせることが大切です。呼吸を
 合わせるには、最初は揺れているほうがいいのです。
  実際、ダンスのうまい人は、フロアへ出ていって踊り始めるまでの時間が長いのです。
 ビギナーほど「早く踊らなければ」とあせります。

  これはなんでもそうです。

  スピーチの上手な人ほど、壇に上がって、すぐにはしゃべりません。聞いている人との
 呼吸を合わせます。これは、本人の自信と余裕にもかかわってきます。
  スピーチに余裕のない人ほど、壇に立つと、用意したことを早くしやべろうとして、早口
 になります。

  ダンスの基本は、一緒に呼吸して、一緒に揺れるだけでいいのです。

  音楽にのりながら、相手と呼吸を合わせます。相手のムープメントを感じることです。
 相手と一緒のイメージを持つことです。

  ビギナーの女性と踊ったとき、3分の曲の最初の2分で踊れるようにして、完全に踊って
 回転するところまで行っているようにします。
  最初の1分は揺れているだけです。相手がリラックスするまで、最初は揺れています。
 これでもうちゃんとできているというところまで行くと、カが抜けます。最初は緊張して体中
 にカが入っているのです。

  ①ダンスは初めて。
  ②みんなが見ている前に出て凄てしまった。
  ③知らない人と一緒に踊っている。

  余裕のある女性はほぐれるのも早いです。余裕のない女性でも、最初の1分間でだいた
 いほぐれます。
  3分目には、これでいいのだと自分でわかってきます。その間に呼吸が合うようになりま
 す。
  女性は、踊っている相手の男性と一緒に息を吐いて、一緒に息を吸うようにすれば、相手
 とリズムが合います。ばらばらなのは、呼吸が合っていないからです。

  これはマッサージ師にも言えることです。マッサージ師で気持ちのいい人は、一緒の呼吸
 をする人です。これは大切なことなのです。

 ↑以上、引用終わり。流石、中谷さん...大切な事をここまで文章にされます。

 「ダンス」も「治療」も「一期一会」...だからこそ、皆様「お一人お一人」との「一時一時」を「呼
吸」を通じ、「響き合い」ながら「手作り」で行っていこうと思う春風堂です。

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by cute-qp | 2009-03-04 00:00 | 春風堂の想い

 唐突ですが...「解決志向アプローチ」と共に、最近、春風堂が大切に想っているのが
「"盲点"に気付く・"盲点"を探る」と言う事です。

 私達はそれぞれに「家庭での"躾"」や「義務教育」、様々な「経験」などを通して、「自分」
や「"常識"と呼ばれるもの」を身に付けて行きます。

 しかしながら、「年齢」や「経験」を積み重ね、何かを「知れば知る程」、「器用に」生きる事
は出来ても、様々な事に「気付かない」自分が居たり、それが「足かせ」や「呪縛」になる事
も多々あり、それが心身の「ストレス」となります。

 時に、「常識」と「非常識」って何なのでしょう?

 昔「非常識」だった事が、ある「時代」と「発想」を経て「天動説」が「地動説」になり、人は
「"空"や"月"へ飛べる」に至った事もあり、すっきりとした答えは出ませんが、そんな事を
思いますと、日々の生活の中で、如何に自分の「"盲点"に気付けるか?・探れるか?」が
私の楽しみとなりました。

 また、皆様に対しましても、その「調整」や「セッション」の際、皆様の「盲点」を如何に「見
出し」、その中から「"今、一番大切"であろうか?」と思う事について「気付いて」頂ける様
心掛けております。

 正直な所...以前、私は様々な「方法論」や「ケーススタディー」等を用い、皆様と接して
おりました。

 しかし、幾ら沢山のものをご用意したと致しましても、それは極論、「私だけに"有効"」な
方法であるかもしれませんし、皆様それぞれに「個性」や「経験」、「盲点」も異なり...お一
人お一人が「手作り」である皆様に対応仕切れませんでした。

 そして...「私自身」がどう足掻いても「ある枠」から出られなかった気が致します。

 従いまして、人間が生きて行く上で大切な「呼吸」・「神経運動」・「意識の働き」の3つの
要素だけは私の「大基本」とさせて頂き、そこからは皆様それぞれの「盲点」をターゲット
に、その場で1つ1つ「カスタマイズ」しながら皆様の「調整」や「セッション」を行わせて頂
いております。

 有り難い事に、その事で私自身も毎日ちょっとずつ「楽しく」、「健康」で「昨日よりちょっ
と賢くなった」喜びを享受させて頂いております。

 だからこそ...私がとても恐ろしいと思う事は、ちょっと「器用に出来る」事を「出来る」と
「勘違い」する事です。

 「勘違い」は自分の「未来("可能性"や"潜在能力"等)」を奪う所か、「今の自分自身」
さえも見失う事に繋がります。

 過去に...古今東西、様々な素晴らしい賢人や偉人がおられましたが、私達にはまだま
だ分からないことが一杯ございますね。

 その最たるものが「自分自身」だと思うのです。

 その「自分」と言う存在の「盲点」を日々皆様とご一緒に気付き、愉しんで行きたいと
春風堂は思っております。

(参考)
 "意味"や"原因"を"どこに"観る?
 先ずは自分自身を感じることから...
 再生医療の今 ~医療の原点を考える~
 カエル通信 08/12/02
 カエル通信 09/01/07
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by cute-qp | 2009-03-01 00:00 | 春風堂の想い

 今日は、春風堂が「大切にしたい」と思っている事について、増永静人先生 著 「経絡
と指圧」より引用・掲載致します↓。

 「この頃の医者は、ここが痛い、どこが苦しいと訴えても、そこへふれてみようともせず、
すぐレントゲンや血液検査をといって、機械器具を信頼し薬や注射にばかり頼っている」
と病人は嘆いている。

 鍼灸や漢薬にどのように偉大な治病効果があろうと、患者の悩み訴えるところへ、手を
もってゆかぬようでは、東洋医学の人間治療ということはできないだろう。

 「ここが悪いのか、どこが苦しいのか」などと患者に聞かねばわからぬようでは、患者も
信頼しかねるだろう。
 漢方では不問診断を非常に重視している。黙って坐ればピタリと当るというのは、何も易
者の宣伝文句とは限らない。患者自身の気付かぬところまで、黙って身体をみて指摘す
るだけの診断能力をもつことが東洋医学には大切なのである。

 人間の五感しか用いない漢方四診は、未発達のゆえに機械器具を用いないのではない。
人間をみるには人間の心をもった人間が必要なためである。

 その日、その耳、その口によって人間の心は伝わり、人間の心が知れるのである。そして
人間関係とは、文字通り肌のふれ合いのことであって、肌を合せることでその苦悩はうすら
ぐのである。

 鍼を刺す前に指先でツボを確かめるということは、たんにツポの所在を知ることではない。
そのツボのヒビキは指先を通して患者の心にひびき、術者はそのツポで病気の治る確信を
得るのである。
 このツボが効くだろうということは、科学的な実験の確率や古典の記載が保証しているから
確かなのではない。

 そのツボをおさえた指先が、相手との共感によるヒビキを伝えてくれるのである。

 そのヒビキの気持良さが、次に行われる刺鍼をここちよく迎え入れ、安心して受け入れるの
である。
 鍼を打たれるものは、被験者でも実験動物でも、また生理学的検体でもない。心をもった一
個の人間なのである。

 統計的には確率によって扱われる一つの数にすぎないかもしれないが、個人としてこの世
に存在する唯一の生命なのである。その心が鍼を待ち受けるのでなくして、どうして効果的な
刺鍼ができよう。
 指先がツボをとることには、このような重要な意味がある。そのツポのとり方だけで構成され
ている「指圧療法」なるものを鋭灸師は謙虚に習得してみようという心をもってもらいたいもの
である。

 按摩は医療の賤技といわれた時代もあったが、それは術者の態度にも青任がある。

 時間と労力をかけて全身くまなく、かゆい所に手の届くようにして施術をする指圧は、素人く
さくて面倒なことだと思われるかもしれないが、医療とはまさにこのような人間くさい行為によ
って、生きている共感を患者に対して得ることが大切なのだと経験されることも決して無駄で
はないと思う。
 漢方四珍の実感も、指圧によって育てられるものだということを私は確信している。湯液だ
けで治療を行う人にも是非その体験をおすすめしたい。

 ↑以上、引用終わり。

 先生がこのご本をお書きになったのは25・6年前だった?と記憶しておりますが、それ以
降、「健康川柳」に「お医者様 データー見ずに 私見て」等と評される如く、「人を診ない治
療」が益々加速している様に思われます。

 勿論、「検査」が「不要」とか「無効」とは思いませんが、「患者さんの"今"や"ありのまま"」
を見ずに「何が分かるのだろうか?」と思います。

 そう言えば...先日、膝を悪くされた方からご相談を受けました。

 医療機関では「X線検査等」を受け、「特に何もなし」との事で、何もして貰えなかったとか
...私がざっと見た範囲では、手術歴等も影響して左右の重心バランスが悪く、必然的に、
「骨盤」や「膝」が歪み、特に、膝関節から脛骨・腓骨にかけて捻れていました。

 そして、その旨、1つ1つご一緒に確認しながらお話して行く中から、そうなるに至った「生
活」や「習慣」、「根本原因」等が自然と像を結んで浮き上がって来るのです。

 私としては、そこまで「辿って」、「見えてきて」初めて「スタート」だと感じております。

 そんな「生命の響き」の様なものを大切にしたい...と思う春風堂です。

●ご興味のある方...続きはコチラです。
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by cute-qp | 2009-02-27 00:00 | 春風堂の想い

 昨夜の先ずは自分自身を感じることから...と関連し、少しお話申し上げます。

 唐突ですが...例えば、私達は物事を伝える「手段」や「道具」、「情報」として「言葉」を持
っています。

 そして、「言葉」には「辞典」や「辞書」にある様に、それが「通用する」為の「"ある"定義
付け」や「ある"約束"」があります。

 ところが、同じ「言葉」を用いても、その「定義」や「約束」の捉え方が異なれば、全く話
が噛み合いません。

 その酷い例が、「メール」で、会って話せば「分かる」・「推し量れる」内容が、単純な
「文字の羅列」になり、話が噛み合わないだけでなく、時折、もめ事の種にもなりかねま
せん。

 ところが、これが「手紙」になりますと、問題件数が減ります。

 同じ「間接的通信」にも関わらず、「どこが異なっているのか?」と申しますと、「手紙」
が送られて来る「状況」や「時間」、手紙にする「行程」、「筆跡」など、送り手が「心情」を
込められる「作業」や「過程」があり、その「心情」や「背景」を受け手である私達が「推し
量る」からだと私は感じています。

 それが「メール」では「無機質」なお互いの「一方通行」なのです。

 従いまして、「文字」の"意味"を私達がどこに感じているか?観ているか?と言うと、
「辞書」に書いている様な「定義」ではなく、その「文字」が使われる「状況」や「背景」、
「コミュニケーション」の中に観ていると言えるのではないか?と思っています。

 そこを見詰めて「初めて」、自分の中に「推し量れる」ものや「映ってくる」ものがある訳
で、単なる「文字面」の「データ」や物質的に見た「心や身体」、「過去」だけで何かを判断
したとしても、往々にして「群盲象を撫でる」になりかねません。

 例えば、「臨床検査」と言うものがあります。これを行う事は勿論、無駄ではなく、大切な
事だと思いますが、それは私達の「ある"日"のある"瞬間"」の情報で、検査結果を聞く時
の私達ではなく、何より大切なのは、それを参考にしつつ「今の私」を観て頂く事と思いま
す。

 ちなみに、身近で良く聞く話としては、「検査前だけ節制する」(笑)と言うのもあるそうな
ので、それでは意味ある「検査」も「無意味」になってしまいますね。

 従いまして、そこを見詰める「方向性」が「解決志向アプローチ」、その「能力」が「イメー
ジ力」
で、だと春風堂は考えています。

(おまけ) 「群盲象を撫でる」(「この世はすべて催眠術」より)

 こう聞くと「ゾウ」という「客観的に正しい世界」がどこかにあるような印象をうけるが、
これは間違いなのである。じつは、「客観的に正しい世界」なんて、どこにもないのである。

 もし、それが確かに存在するならわたしたちは、「ゾウという正しい全体」を、それぞれの
立場でまさぐって

 「ゾウはヒモのようなものだ」
 「ゾウは太い柱のようなものだ」
 「ゾウはザラザラしたカベのようなものだ」

 など、各人のデータを持ち寄り、それを総合することによって、「ゾウという正しい姿」に
到達できるハズである。

 だが、わたしたちは、世界を、無意識の働きによって、「じぶんの解釈したいように解釈」
してしまう。

 そのように「無意識によって選びとられたもの」が、その人にとって(全世界)なのである。
 だから「世界は人の数だけ無数にある」。

 それ以外に「客観的な正しい世界」というものが、人間の手にふれないようにサランラ
ップか何かにくるまれて、神様の大金庫にこっそり蔵われているということは、ナイ。

 そんなものは、どこにもない。ただ"解釈"だけがあるのだ。

 どう解釈するかによって、人はいいヒトにも、わるいヒトにも怒る。あの娘は美人にも
ブスにもなる。

 さて、このように、出来事を解釈し、その人なりの「世界」をつくっていくのは無意識の
役割りである。

 「晴れたね」・「腫れたね」・「バレたね」・「揆ねたね」

 たくさんあるイミのなかから「これでいこう!」と、たった1つのイミを選び出してくるのは
無意識のはたらきによっている。

 このことは少し考えてみると、すぐわかることだ。あなたは「ハレたね」のイミを読みとる
場合、どんな手順でそうするだろうか。

 あらかじめ考えうるかぎり多くの「ハレたね」のイミをリストアップし、それを1つ1つ、じっ
くり比較検討したうえで、「うん、やっぱり、ハゲたね、にしよう」といって決めるだろうか。

 そして、「これは、どうも私を侮辱しているようだ」と感じ、ケシカラン、では……と、おもむ
ろに″怒る″ことにするだろうか。

 だれも、そんなややこしい手順をふんだりはしない。1つのイミだけが、直観的に与え
られるのである。そのイミを選びとったのは無意識なのである。無意識のなかにある「コ
トバの素」(文法)の作用によって、意味を選びとっているのである。

 無意識の働き方、情報処理のしかたは人によってちがう。だから、「人がもっている世
界も、人それぞれちがう」ことになってくるのだ。

 その違いを無視して、いくら恋をささやき、セールス活動を展開しても、、イスカのくちば
し、ボタンのかけ違い、徒労と感情の行きちがいに消耗するだけである。

 したがって、人と良好なコミュニケーションをむすぼうと思ったら、まず、相手の無意識
が、どのように世界を解釈するのか、そのパターンを識ることが先決である。

 それが分かれば、次は、その無意識パターンに合わせた働きかけをすればいいのだ。
相手の無意識があなたを受け入れれば、相手は自分でも気づかないうちに変わってしま
うのだ。

(参考)
 「正しい・正しくない」でなく、「感じる・感じない」
 センタリング呼吸法HP 考え方と生き方を変える
 センタリング呼吸法HP 地頭力は日々の問題を解決する力
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by cute-qp | 2008-12-09 00:00 | 春風堂の想い