わたしはわたしの看護師

 今日はフローレンス・ナイチンゲール著の「NOTES ON NURSING」(邦題:「看護覚え
書き」)より引用しつつ、健康の責任者としての「わたし」について考えて行きたいと思いま
す↓。

●”はしがき”より

 以下の覚え書は、看護婦に看護を学ばせるための考え方の規範を示そうとしたもので
は決してなく、まして看護婦に看護の仕方を教える手引書でもありません。
 この書は他人の健康に直接の責任を負っている女性たちに、考え方のヒントを与える
ためにのみ書かれたものなのです。
 イギリスにおいては、すべての女性、少なくともほとんどの女性は、一生の間折りにふ
れて、子供にしろ病人にしろ、誰かの健康を預かることになります。言い換えれば、すべ
ての女性は看護婦だということです。
 日常の衛生知識や看護の知識、すなわち身体を、いかにして病気にならないような、
また病気から回復できるような状態におくかといった知識は、世の人々が考えている以
上に重要な位置を占めています。

 これは誰もが持つべき知識であって、専門家のみが持ち得る医学的知識とは
全く別のものなのです。
(管理人:そう言う意味では、皆さん全てが、先ず自分自身
の「看護師」と言えそうですね。)

 さて、すべての女性が、生涯のどこかの時点で看護婦の役を果たさなければならな
い、すなわち誰かの健康に責任を負わなければならないのであれば、女性たちがいか
に看護すべきかを考える際に、女性の体験を集大成したものがあるとしたら、どれほど
貴重で有用なものとなることでしょう。

 私は女性たちに、いかに看護するかを教えるつもりはありません。彼女たちに自ら学
んでほしいと願っています。
そのために、あえてここにいくつかのヒントを与えたいと
思うのです。

● ナイチンゲールの考える「病気」

 ① まずは、病気について、一般原理を以下のように認識することから始めましょうか。
  -およそ病気というものは、その経過のここかしこで程度の差こそあれ、修復の作用
  過程なのであり、必ずしも苦痛が伴うとは限らないのです。

   「つまり、何週間も、何ヶ月も、時には何年も前から気づかれずに起こっていた、毒さ
  れ衰弱する過程を改善しようとする自然の業であり、したがって、(神が定めた本来は
  治るものである)病気の終結は、それに先行して刻々と進行していた病気とその修復
  作用(にかかわる看護の過程)のなかで決まってくるのです(序章より)。

 ② 大自然が定め、また私たちが病気と呼んでいる修復の作用過程は、今述べられ
  たこれらのうちの一つあるいはすべての知識や注意の欠如によってさまたげられて
  おり、そこから痛みや苦しみが生じたり、修復の作用過程全体が中断してしまったり
  します。(看護覚え書き2頁)

 ③ 人間は、ある範囲内においてみずからの性質の創造者となります。(真理の探究
  178頁)

 ④ 精神世界においても物質世界においても、最終的なものは何一つありません。
  -あるのはただ方向性であり、成長なのです。(真理の探究349頁)

 ⑤ 病気というものは、このような見方をしていく方がよりわかりやすく、正しく、実際
  的ではないでしょうか?なぜなら、あらゆる経験が物語るように、病気とはある状態
  を指す形容詞のようなものであり、名詞的な実体など存在しないからです。(看護覚
  え書き37頁)

● ナイチンゲールの考える「看護」

 ① 看護という言葉を私は使っていますが、これは他に良い言葉が見つからないから
  なのです。
   看護といえばこれまでは、薬を与えたり、湿布を施したりという程度の意味しか持ち
  ませんでした。しかし看護とは、新鮮な空気や陽光、暖かさや清潔さや静かさを適正
  に保ち、食事を適切に選び管理する-すなわち、患者にとっての生命力の消耗が最
  小になるようにして、これらすべてを適切に行うことである、という意味を持つべきな
  のです。(序章)

 ② 家庭で家族の健康を守る営みもこれと全く同じことで、健康な人の生命力を最大限
  に保たせるように、...自然の要素を活用するということなのです。(序章)

 ③ 看護婦に教え得る最も重要かつ実用的なことは、何を観察すべきか、どのように
  観察すべきか、何が好転への、また悪化への兆候か、何が重要で、何が重要でない
  のか、看護の怠慢を示す事象は何で、それはどういう怠慢を物語るのか、を教えるこ
  とです。(121-12)

   看護婦を天職とする私たちにとっては、この観察ということが必須条件となるのです。
  なぜなら、これは断言できると思いますが、正確な観察力さえ身につけていれば有能
  な看護婦であるということにはなりませんが、正確な観察カを抜きにしては、どんなに
  献身的であろうと看護婦の役目は果たし得ないからです。(129-8)

   看護婦はさらに、患者の個人的特性を見分けなければなりません。(134-19)

 ④ しかし看護には「神秘」など全く存在しません。優れた看護というのは、すべての
  病人に共通することがらと、個々の病人に固有のことがらを、共につぶさに観察する
  ことのみで成り立っているのです。(135-5)

 ⑤ 内科的治療が病気を癒す方法だと考える人は多いのですが、そんなことはありま
  せん。内科的治療というのは機能に対する外科的治療であって、これは本来の外科
  的治療が、手足や諸器官に対して行う治療と同じなのです。どちらも障害を取り除く
  ことができるだけで、癒すことはできません。それができるのは自然だけです。
   外科的治療は手や足から治癒の障害になる弾丸を取り出しますが、傷を癒すのは
  自然です。内科的治療の場合もこれと同じです。器官の機能に障害が起きた時に、
  内科的治療は、私たちの知る限りでは、自然がその障害を取り除くのを助けはします
  が、それ以上のことはしてくれません。そしてどちらの場合にも、看護がなすべきこと
  というのは、自然が患者に働きかけるのに最も良い状態に患者を置くことなのです。
  (153-13)

 ↑以上、引用終わり。

 正直、長い間、子供用の「伝記」よろしく、「白衣の天使」としてのナイチンゲールしか
知りませんでしたので、この本を読んだ時、非常に驚嘆しました。

 そして、彼女が「はしがき」に書いてある如く、これらのヒントは「看護師」さんだけの
ものではなく、皆様のご家族やご自身に大変有用な視点・考え方だと思います。 

 ちなみに、医師にとっての「ヒポクラテスの誓い」にならい、看護師の戴帽式や卒業式
に、「ナイチンゲール誓詞」があるそうです(彼女は「ギリシャ哲学」や「統計学」、「病院
建築」等にも造詣が深かったとか)。

(参考)
  ヒポクラテス 「ヒポクラテス全集」より
  曲直瀬道三 「養生誹諧」より
  『ウィキペディア』 フローレンス・ナイチンゲール
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by cute-qp | 2008-10-23 00:00 | 温故知新