心身をつなげる ~ムドラーとは?~
2008年 08月 17日
昨夜、「夢の途中 08/08/16」で「手」のお話を致しましたので、今日はそれを受けて
「心身をつなげる」感覚について「ムドラー(印)」からお話して行こうと想います(あく
まで、「身体運動」的観点からの「印」のお話です)。
元々、この「ムドラー」と言うものの発生源は「ヴェーダ」を聖典とするインドの「バ
ラモン教」にある様で、神々の祭祀に当たり、音楽や踊りが重要な役割を果たし、今
日見る「インド舞踊」の中に、「仏像」等に見る沢山の「ムドラー」を見出す事が出来
ます。
インド舞踊では「手がおもむくところに目がおもむき、目がおもむくところに思
考がおもむく」と言われ、踊り手が「神」や「動物」になる時、この「ムドラー」が踊り
手を変容へと導く大きな鍵となっている様です。
「ムドラー」が「自分自身」を重ね合わせ(統合)と何某かの存在と重ね合わせるキー
になっているの気がします。
ちなみに、下記はインド舞踊に見る「ムドラー」です↓
そして、密教ではこの「重ね合わせ」が3つあり...
1 身密 自分と身体と神仏の身体との重ね合わせ
2 口密 自分と言葉と神仏の言葉との重ね合わせ
3 意密 自分と意識と神仏の意識との重ね合わせ
以上、「三密」と言われますが、「手印」はその中の1つに当たるのでは
?と感じています。
そして、例えば、気功や武術で動物の動きを模したり、ヨガで様々なアーサナ(体
位)を組むのは、正に、己に「三密」を作っているのだと思います。
従いまして、「重ね合わせ」と言う表現は「形態模写」や「イメージ」ではなく、あくま
で、「自らの心身をあるつながり、あるバランスの中で統合し、保つ」状況
を指すと思います。
実際、インド舞踊家はある「ムドラー」を取り、例えば「象」を表現する時、その
「ムドラー」を入り口やキーとして「象の身体」、「象の言葉」、「象の意識」を「ア
クティブ・タッチ」し、舞踏家は「象」になり、「象として」踊ります。
また、ヨガの「ムドラー」も、単なる「手の形」だけでなく、「ある体位」や「ある表情」
、「ある意識の状態」、「あるバランス状態」...総じて、「ある自分というつながり」を
表現している様です。
他、肥田式の「集約拳」や霊術やボディーワークの「呼吸」、「腰腹」等々、調べてみ
ますと身体表現には沢山の「ムドラー」が見られ、治療における「手技」や「鍼灸」等
も相対的ムドラーと言えるか?と思います。
以下は、成瀬雅春先生 著 「実践 魂を磨く」より引用です↓。
エネルギーの流れを体感する
ムドラーを組むときに、まず気をつけたほうがよいことは、体の中での流れと手の
ムドラーとの関係を感じることだ。
流れというのは、エネルギーの流れ、生命力の流れといってもいいだろう(「エネル
ギー」は、例えば、「筋肉」や「神経」、「意識」、「力」、「呼吸」の「流れや繋がり」と捉
えてみれば如何でしょうか:管理人)。
手のムドラーを変えたときに、その流れがどう変化するか、どういうふうに流れて
いくかを、自分で感じ取るようにする。
エネルギーが流れているのを肉体感覚として、はっきりと感じ取る様にする。その
感じは、電気的エネルギーでも時期的エネルギーでもよいし、振動として感じても
よい(「呼吸の伝わり方」・「身体の連動」もそうですね:管理人)。
体感としてつかめれば、私が説明した通りの感覚でなくても一向に構わない。
例えば、四つの印を組んでいったときに、自分はその内どの印が気持ちいいか
とか、違いは絶対にある。
人によって、いろいろな感覚があるのでそのあたりを手掛かりにしていくと掴み
やすいであろう。
法界定印(胎蔵界)
智拳印(金剛界)
今日も(おまけ)がございます。宜しければお付き合い下さい↓。
「心身をつなげる」感覚について「ムドラー(印)」からお話して行こうと想います(あく
まで、「身体運動」的観点からの「印」のお話です)。
元々、この「ムドラー」と言うものの発生源は「ヴェーダ」を聖典とするインドの「バ
ラモン教」にある様で、神々の祭祀に当たり、音楽や踊りが重要な役割を果たし、今
日見る「インド舞踊」の中に、「仏像」等に見る沢山の「ムドラー」を見出す事が出来
ます。
インド舞踊では「手がおもむくところに目がおもむき、目がおもむくところに思
考がおもむく」と言われ、踊り手が「神」や「動物」になる時、この「ムドラー」が踊り
手を変容へと導く大きな鍵となっている様です。
「ムドラー」が「自分自身」を重ね合わせ(統合)と何某かの存在と重ね合わせるキー
になっているの気がします。
ちなみに、下記はインド舞踊に見る「ムドラー」です↓
そして、密教ではこの「重ね合わせ」が3つあり...
1 身密 自分と身体と神仏の身体との重ね合わせ
2 口密 自分と言葉と神仏の言葉との重ね合わせ
3 意密 自分と意識と神仏の意識との重ね合わせ
以上、「三密」と言われますが、「手印」はその中の1つに当たるのでは
?と感じています。
そして、例えば、気功や武術で動物の動きを模したり、ヨガで様々なアーサナ(体
位)を組むのは、正に、己に「三密」を作っているのだと思います。
従いまして、「重ね合わせ」と言う表現は「形態模写」や「イメージ」ではなく、あくま
で、「自らの心身をあるつながり、あるバランスの中で統合し、保つ」状況
を指すと思います。
実際、インド舞踊家はある「ムドラー」を取り、例えば「象」を表現する時、その
「ムドラー」を入り口やキーとして「象の身体」、「象の言葉」、「象の意識」を「ア
クティブ・タッチ」し、舞踏家は「象」になり、「象として」踊ります。
また、ヨガの「ムドラー」も、単なる「手の形」だけでなく、「ある体位」や「ある表情」
、「ある意識の状態」、「あるバランス状態」...総じて、「ある自分というつながり」を
表現している様です。
他、肥田式の「集約拳」や霊術やボディーワークの「呼吸」、「腰腹」等々、調べてみ
ますと身体表現には沢山の「ムドラー」が見られ、治療における「手技」や「鍼灸」等
も相対的ムドラーと言えるか?と思います。
以下は、成瀬雅春先生 著 「実践 魂を磨く」より引用です↓。
エネルギーの流れを体感する
ムドラーを組むときに、まず気をつけたほうがよいことは、体の中での流れと手の
ムドラーとの関係を感じることだ。
流れというのは、エネルギーの流れ、生命力の流れといってもいいだろう(「エネル
ギー」は、例えば、「筋肉」や「神経」、「意識」、「力」、「呼吸」の「流れや繋がり」と捉
えてみれば如何でしょうか:管理人)。
手のムドラーを変えたときに、その流れがどう変化するか、どういうふうに流れて
いくかを、自分で感じ取るようにする。
エネルギーが流れているのを肉体感覚として、はっきりと感じ取る様にする。その
感じは、電気的エネルギーでも時期的エネルギーでもよいし、振動として感じても
よい(「呼吸の伝わり方」・「身体の連動」もそうですね:管理人)。
体感としてつかめれば、私が説明した通りの感覚でなくても一向に構わない。
例えば、四つの印を組んでいったときに、自分はその内どの印が気持ちいいか
とか、違いは絶対にある。
人によって、いろいろな感覚があるのでそのあたりを手掛かりにしていくと掴み
やすいであろう。
法界定印(胎蔵界)
智拳印(金剛界)
今日も(おまけ)がございます。宜しければお付き合い下さい↓。
by cute-qp
| 2008-08-17 00:01
| 健康談話