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「どうしたらできるのか?」

 本日は「なりたい自分」を求められた先輩として、「胴体力」入門より故伊藤昇先生
の「胴体力への道」の記事を引用掲載させて頂きます↓。

「どうしたらその動きが出来るのかできるのか?」の探究

 伊藤昇師は、1947年、静岡県に生まれる。類い希なスーパーボディの持ち主
であった伊藤師も、幼少のころからスポーツ万能であったかといえば、そうではな
かったようだ。
 鉄棒の逆上がりはできない、跳び箱は跳べないし走れば遅いし、団体球技は苦
手で、体育の先生の中では「運動オンチ」にランクされていた観のある存在だった
と開く。生前の姿からは程遠いイメージである。

 しかし、一方で今こんな話もある。お母様の思い出話によれば、単なる運動能力
を問われる競技ではなく、いくつもの障害を計画的にクリアするという戦術的な要
素を問われる運動会の障害物競走では、いつもトップの成績をあげていたという
のだ。単なる運動ギライな子供ではなかったことがわかる。

 体育的な運動が苦手だった伊藤師。だがそのことが、後の伊藤師のものの考
え方を形作るきっかけとなる。

 当時の小学校の体育の先生はできない動きをひたすら繰り返して練習させる
だけで、どうしたらその運動ができるようになるのか、その方法を質問しても教え
てくれなかった。

 それゆえに伊藤師は、この時代、自分で考えることを余儀なくされたという。

 著書『身体革命』にも「うまくできない場合は、何が原因なのか、原因がわかっ
たら、解決する方法は何か。更に、もっと楽にできるようになるにはどういう方法
があるか?と考えました」と書かれている。
 できない動きに対して、それをクリアする具体的な方法を考え、物事に関して
常に工夫するクセはこの頃に形成されたらしい。

 (中略)

 こうして、人間の身体の動きに興味を持った伊藤師は、ある日、書店で一冊
の本と出会う、沖ヨガの創始者である、故・沖正弘師の書いた『ヨガの楽園』だ。
 この本によって、それまでヨガといえばアクロバティットなポーズをするもの・・
・と思われていたものが、ヨガは身体訓練のみならず、食事・呼吸・精神といっ
たありとあらゆる分野にわたるインド文化の集大成であることを知り、沖ヨガへ
入門する。

 そして伊藤師は、ヨガを学ぶにつれて身体に関してある明確な答えを得るよ
うになる。それは、人間の身体は気分の持ち方ひとつで、病気になったり、元
気になったりと機械のようにボタンひとつでデジタルに動くものではない、あく
まで原因があり結果があるということである。

 一説に、沖師と”姿勢均整保健法”の創始者である亀井進翁は親交があり
、沖ヨガにおける身体矯正のポーズに関して、関節の矯正は”上下左右、回
旋”の3つが重要であることを亀井氏が示唆した・・・という話がある。

少林寺拳法での「達人」との出会い

 そして20歳の頃、伊藤師が通っていた少林寺拳法の道院へ、60代後半の小
柄な老人が入門する。その老人は、稽古が終わると技を教わりに伊藤師のとこ
ろへやって来るものの、一旦教えると即座にその技をこなし、逆にその返し技を
教えてくれた。
 諸手で思いきり掴んでもチョットした身振りだけで身体を宙に浮かせられたり
、木製の錫杖で思いきり打ちこんでも手を添えられただけで倒されてしまう・…
(後略)」といった感じだったそうだ。
 
 (中略)

 こうした時に中内師が「伊藤さん、武道のコツはカを抜くことだ。カが抜ければ
、いまの何倍ものカが出せる・・・」と話してくれた言葉がキーワードとなり、後日
、胴体カを発案するきっかけとなった。

 その後″M坂式バランスボール″の発案者であるM坂文翁と出会う。鉄製
の楕円球のバランスボールを保持した動作で500回、1000という回数をこな
すためには腕や脚のカが抜けておらねばならず、これによって中内師のいう
「武道のコツはカを抜くこと」が感得された。

 (中略)

 訓練法の成否は突き蹴りの力量でハッキリするだけに、間違っていれば工夫
し、合っていればさらに効率の良い動きを研究する・・・といったフィードバックを
繰り返し、大学4年生の頃には、郷里の静岡にある三島道院長を務めるように
なる。

”動きの質”の再検討による「胴体力」メソッド開眼

 しかし、24歳の時、身体が動かなくなる。重度の腰痛と疲労感、髪はバサバサ
、顔色は土気色で生気を失い、視力はなくなり、爪からは出血が続くなど、周囲
の人からは「原因不明の病で死ぬのではないかとまでいわれる状態に陥る。

 伊藤師はその原因を、体力に任せての剛法の数稽古が手足や腰などの同一
の筋肉の酷使による疲労限界を起こしたこと、そして同じ動作の繰り返しが内
臓の働きを妨げたことにあると考えた。

 ヨガを学びながらも「身体を強くすること」のみに終始し、一番肝腎な「どうした
ら身体を無理なく効率的に動かせるか」を忘れていたことを反省した伊藤師は
、道場を後輩に譲ると、4年間にわたり身体に関するあらゆる訓練法を調べ、
それを自らの身体で試し、胴体カメソツドの基礎を構築する。

 昭和50年、その経験を活かした「更なる技の質の向上」を目指し、東京で代
沢飛龍道院を設立する。
 「年齢・性別を問わずに、体力・技術は向上できる」という考えから、自らの故
障の原因を鑑みて、稽古前の胴体トレーニングに30~40分といった時間を
掛けることで、各人の能力に合わせた身体作りを行った。
 その一方で、2ケ月に一度、10日ほどの日程で合宿を行い、技の稽古以外
にも基本的なトレーニングや身体調整法、分子栄養学に基づいた食事法など
を行った。

 その間も伊藤師は、武道では大東流の岡本正剛師範・正木流の名和弓埜
宗家家・気の研究会の藤平光一師範などを訪れ、身体運用ではフェルデン
クライスや、修正体操の原崎勇次師に師事するなど研究に余念がなかった
という。
 このほか伊藤師が研究実践したものに、なぎなた・居合・肥田式強健術・
アレクサンダーテクニーク・歌唱法などがあったことがわずかに伝えられて
いる。

 ↑以上、引用終わり。

 板東玉三郎のトレーナーとしても活躍された伊藤師ですが、その素晴らしい
感性はこの様な経緯をベースに産まれたのですね。

 勿論、人それぞれに個性や方向性が違うので、単純にその善し悪しを評す
る事は出来ませんが、自分自身を観照しつつ、「感じ、考え、工夫する」事の
大切さは共通である様に思います。

 今日も(おまけ)がございます。宜しければお付き合い下さい↓。
by cute-qp | 2008-08-16 00:01 | 健康談話

「 呼 吸 」が変わる             「 姿 勢 」が変わる             「 気持ち 」が変わる            「 生き方 」が変わる


by センタリング呼吸法 ・バランス運動療法 春陽堂
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