「自身の中に導師を見出せ」

 「時間と空間、物質を超える生き方」 成瀬雅春 著 より引用・掲載致します⇓

 「ヨーガの修行をするには、グル(導師)が必ず必要だ」といわれています。しかし本当に
チェラ(弟子)を悟りに導いてくれるだけの実力を持ったグルを探し出すのは容易ではない
です。

 たいていは本当のグルに巡り会えずに生涯を終えてしまう場合が多いので、ヨーガ経典
にも「グルに巡り会えなければ、自分自身の中にグルを見出せ」と書いてあります。

 私の場合も、今までに数十回インドヘ行き、いろいろなヨーガ道場を訪ね、有名なグル
(導師)やスヴァーミー(僧侶)に教えを受けたのですが、残念ながら本当に自分の生涯を
託せるという人には会えなかったです。

 私が体得した空中浮揚や心臓の鼓動を止めるテクニックや体温を自在にコントロールす
る方法などは、グルから教わったものではなく、自分で見つけ出したものです。

 私が「地上一メートルを超える空中浮揚」に成功した最大の要因は、ヨーガ経典と出会っ
たからです。私がそれまで体験してきたことや、手探りで見つけ出してきたことが、経典に
はしっかりと書いてあったのです。

 経典にいくつも空中浮揚に関する記述があるのですが、どれも具体的なテクニックは書
いていないです。たとえばマントラ(真言)を唱え続けると空中浮揚ができるとか、ムーラ
バンダ(肛門の引き締め)によって蓮華坐を組んだままで空中に浮くことがで方きる。高度
な呼吸法で空中に浮き上がる、というような表現がされています。

 通常は、これを読んだだけで「空中浮揚の力を開発できる」という人はほとんどいません
が、私の場合にはこの一巡の記述から空中浮揚を完成させることができたのです。

 経典に書いてあるマントラを唱え続けたり、高度な呼吸法や、ムーラバンダなどは、紀元
五~六世紀ごろのヨーガ行者が実践していたものです。私は瞑想能力を駆使して、その
時代の行者の意識に、自分自身の潜在意識、深層意識を同調させていくのです。

 そうすると空中浮揚をしていた、その時代のヨーガ行者が修行している様子が感じられ、
また経典の編纂者がどういう修行を目撃した結果、空中浮揚や空中歩行ができるという
記述をしたのかを、洞察することができるのです。

 そして経典から多くのヒントを得られたことが、私の空中浮揚の成功につながったの
です。

 以上、引用終わり。

 「空中浮揚」などの言葉がありますと「現実離れ」して聞こえますので、

 一旦、拙い私の青く・苦い経験を添えさせて頂きます。

 中国武術において「三年かけても、まず良師を探せ」と言う言葉があります。

 学ぶことの方向性や内容が不味ければ「石の上にも三万年」しても全く無意味。

 だから「時間を掛けて学ぶ師や学ぶ事柄を選びなさい」と言う意図だと思います。

 インターネットのなかった私の青春期、

 ひとりひとりの人に出会い、会って頂くことや、

 一冊の本を手に入れる手間や負担はとても時間と労力、根気が要りました。

 そして、一見遠回りに見える、その事を通じて、人や物を観る目、学び方が鍛えられ、

 人とのご縁や有りがた味を知った気がします。

 今はびっくりする程の情報がネットや社会に溢れていますね。

 だけに、こちらの「選択眼」や「センス」が必要な厳しい時代になった気がします。

 手軽に情報が入るので、それを精査せず「鵜呑み」にしたり、

 無意味な「机上の空論」を戦わせ、

 「ハンディー」や「効率」だけを有り難がり、

 本質的な人とのご縁や有りがた味を感じられない人が増えている気がします。

 幸い、私はそのご縁と有りがた味を知りました。

 ところが、そこで満足してしまったなと反省するのです。

 誰につこうが、基本的に、凄いのは「先生」や「本」で自分ではありません。

 それらが見せてくれるものや語るものの「背景」や「意図」をよく推し量る必要があります。

 そして、そう言った「自覚」が自分に芽生えることを前提に、

 「自分の能力以上」にそれらを観て行くことは出来ないと知ります。

 そこで、自分自身を観る(瞑想)作業が元となって行きます。

 つぶさに自分を観察・コントロールし、観え・感じられるものから「師」の歩みを想う。

 そこに「師」がいれば最高ですが、事情が許さないあらゆる場合、

 学ぶための資料や本を丹念に収集・検討し、

 自分なりの工夫・検証をしてながら、自分の中でそれを観て行く。

 それこそが、時代や空間を越え、先師や古人の智恵と対話する事だと思います。

 このご本には「場の残留想念」から学ぶことも書かれていますが、

 「本や資料から学ぶ」と言う事も、その「文字面」や「論理」ではなく、

 著者の工夫や意図の「残留想念」から学ぶと言う事だと思います。

 実際、そうやって学ばれている師匠が我々の身近にいる訳です。

 ところが、何年か掛けて得たもので、私は「経験した」・「買っておいた」・「知っている」...

 そんな、「コレクター」っぽい所で自己満足していたんだと思います。

 しかも、コレクトした「サンプル」を器用に模写することで「自己暗示」に掛かっていたとも。

 そこから本質的な稽古なんですけれど。

 30年前、S老師が教えて下さったことは当時本当に不可解でした。

 皆さんの様に格好良い型を教えて貰えず、

 自分だけ、何故「下働き」や「農作業」みたいな稽古をするのだろう!?

 しかし、一切、不信はありませんでした。

 訳が分からないまま、病弱が健康に、周囲より強くなっていたからです。

 嬉しかった...でも「?」がいつまでも付きまといました。

 この度、それらを総ざらえする中、

 K野先生やS老師、気功のY先生などに初めて出会い、

 よく分からぬまま夢中に稽古していた時・世界に戻り、没頭している自分がいました。

 昔は今になり、ひとり、師の残像と語り泣き笑い。
 (周囲はさぞ気持ち悪かったと思います。落語のひとり稽古みたいでした。)

 ちょっと先生方の想いに触れた気がしました。

 これが稽古なんですね...恥ずかしい。

 ここまで長い文章を読んで下さり感謝します。

 面倒ですが、ここで再度、成瀬先生の文章を読み返して頂ければ嬉しいです。

 私の恥ずかしさも成仏することと思います(笑)。


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(参考)
 「探訪の旅」

 バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
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by cute-qp | 2015-02-09 00:00