「我消~ン」

 「観音力」 玄侑 宗久著 より引用・掲載致します ⇓

 観音さまの特徴は何かといいますと、三十三に変化することと云われています。三
十三という数字は、象徴的な数でありまして、「無限に」という意味です。

 よく観音さまって男か女かって試かれるんですが、無限に変化する以上そんなこと
は問題になりませんよね。『法華経』には阿弥陀卸来の長男とも書いてあるんですが、
同じ『法華経』の第二十五章「観音普門品」には、観音さまは婦女に対しては婦女に
変身して説法すると書かれていますから、結局どちらにもなれるんです。

 (中略)

 それはともかく、観音さまはどうして変化するのかと申しますと、相手に応じるため
です。この応じて変化する力を「応化力」というふうに云いますが、「観音力」というの
は、まさにこの「応化力」です。相手に応じて変わる。相手が望む状態になるんです。
これは、なかなか難しいことですね。

***********************************************************

 さて、観自在菩薩、アヴァローキテーシュヴァラという方の、「アヴァ」というのは、先ほど
申し上げましたように、「Away」という意味ですね。何かから離れて見るんです。では、何
から離れて見るのかなと考えますと、これはおそらく「私」というものだろうと思います。

 「私」とは何かと申しますと、生まれたときに、われわれは「いのち」として生まれます。
「いのち」そのものであるときには、まだ「私」はいないのです。ところが、だんだんとこの
「私」が出来てきます。

 どういうふうに出来てくるかと申しますと、最初、「物心がつく」なんて申しますね。「物心
がつく」というのは、社会心理学の言葉ですけれども、一つ饅頭が載った皿と二つ載った
皿と「どっちがいい?」と試いたときに、迷わず二つのほうに手を出したら、「この子は物心
がついた」と云うのです。

 (中略)

 要するに「私」というものは、生まれた「いのち」がどんどん物心がついて、知恵づいて、
いろいろな見方を学んでいくわけです。そういう学び取った分別・常識から離れて見なさ
いというのが、「観自在」ということです。

 皆さんの中にもそういう見方が蓄積されてきてるでしょう。もう物心ついてますしね、知
恵づいてもいますし、分別もあるわけです。ところが、仏教というのは、分別も捨てなさい
、知恵づいたっていう、そういう知恵も捨てなさい、そこを離れなさいというわけです。

***********************************************************

 「念彼観音力」というお題ですが-そういえば、ぜんぜん、云いませんでしたけども-彼
の観音カを念じて、それが発揮されれば、いろいろと信じられないことが起こって自分の
往む世界を変えてくれると、『観音経』には書かれています。

 「観音力」というのは、自分の中に眠っている他人との共振力、コミュニケーションをする
力ですね。それに何度も呼び掛けるわけです。

 本来そういうものが我々の中にはあるわけですから、それが出て来さえすれば、いろいろ
なことが変わっていく。邪魔してるのは「私」ですから、それを時々、ちょっとどかすようなこ
とをやっていただきたい、ということなんですね。

 どかす、というより、溶かすのなら、なお結構ですね。

***********************************************************

 ⇑ 以上、引用終わり。

 今年、初詣に参って「自分の内を観る」とか「腑に落とす」のが下手だなあと感じました。

 ご挨拶の時、ハッとし、

 慌てて「目を閉じて」、自分を取り戻した感じです。

 「我消」しつつ、丹念に自分を観て行こうと思いました。 

***********************************************************

 (参考)
  「信心決定」

 バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
[PR]
by cute-qp | 2015-01-06 00:00 | 温故知新