「打太刀の心」

 観照塾から帰宅し、約15年程前、剣術を学んでいた頃の記録を調べてみました。

 たった3年程の間に、数えて110程の型(杖や居合を除いて)を経験していました。

 当時は、覚えられたのですね...。

 お陰様で、「基礎」や「身体作り」、「型の意味合い」は「形骸化」、

 「覚えられるから、こなせるから」と伝位が上がって、詰め込まれ過ぎ、

 とうとう「パニック」で休会に至りました。

 最近、ようやく「剣術」、そして「学んだこと」に意味合いが観えて来たのですが、

 そこに至るまでのスランプが15年程あったと言うことになります。

 どん臭いこと限りなしですが、私には本当に「地獄」でした。

 それだけ、「型」の稽古は一歩間違えれば方向性を見失い、形骸化し易いです。

 一歩一歩、型の意味合いを踏まえ、地道な努力が必要だと思います。

 そんな経験を通し、「打太刀」の立場となって、

 その「役割」や「意味合い」を深く捉え、「準備」と「稽古」に専念しています。 

 
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 ある意味、「打太刀」に取り組む様になってから、「剣が観えて来た」とも言えます。

 この型は「何を要求している(学ばせたい・表現したい)のか?」

 それには「何が必要で、何が足らないのか?」など、

 「使太刀」の学習ポイントや教育指導要領的側面を踏まえ、

 個々人に型をどの様に「体験」、「感じ」、「表現」させ、

 学ぶ「勇気」と「喜び」を引き出し、

 「型の世界観」や「意味合い」に触れさせるか?

 そこを意識し、自分が稽古しておく必要があるからです。

 この経験と工夫自体が、「付ける」とか、「色に付け色に従う」、

 「懸待表裏」に触れ、感じ、理解出来る大きな切っ掛けだと感じています。

 この一連の教育を「鳥飼い」とか「非切り」と言いますが、

 打太刀にとっても、流派の最も本質的な部分を学び、

 「非切り」をする稽古だと思います。


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 ふと、ダンスで想えば、

 「打太刀」は「リード」ですね。

 「型」だけ覚えるのは「振付」でしょうか?


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 ちなみに、今も身に残っている「型」は「燕飛」

 うろ覚えの「相雷刀八勢」、「中段十四勢」に至っては、

 「剣のメニュー」や「体術」のスパイスとして意識している感じです。

 尚、「体術」との関連において、「居合」や「杖術」は欠かせません。

 個人的趣味で「天狗抄」も好きです。


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 バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
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by cute-qp | 2014-03-02 01:00