「コツコツ自灯明」

 「遠回り」を苦にせず、コツコツ行こうと思っています。

 それしかないと思うんです。

 若い時は、パッパと早く出来る様になりたくて、

 年を取ったら取ったで、遠回りが面倒、おっくうになります。

 でも、「積み上げて歩かない限り」、

 何も始まらないし、

 どこまで逃げて、見ない様にしても、

 「課題」と「後悔」が山積します。

 「遅く」ても、「今から」でも良いから「自分のペース」で、

 「美容や健康」の維持や、

 「目標や夢へ」一歩一歩。

 「急がば回れ」って本当だと思います。 

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 「実修実験のこころ」に引き続き、

 「修験のこころ」 五條順教 ・ 塩沼亮潤 著 より引用・掲載致します ⇓

 五條  今は二十一世紀といいますが、いつの時代でも本当の仏教ということを心がけ
     ていかなければいけません。仏教の真髄というものを一言で言うと、「自灯明、
     法灯明」
ということになると思います。お釈迦さまの最後の説法といわれてい
     ますが、とても深い意味があります。自分を灯とせよ、そして法を灯とせよと。

      この自分を灯とするということは難しいのです。この頼りない自分というものは、
     そんな灯になるような自分ではありません。その頼りない自分を、灯になるような
     自分に変えていくのは自分自身しかありません。誰も変えてはくれない。自分を灯
     になるような自分に変えていきなさい、そして法を灯としていきなさい。お釈迦さま
     は亡くなる前に、そういう説法をされました。

      これがお釈迦さまの仏教の真髄だと思います。一言で言うと、人を頼るなというこ
     とです。自分を頼れ、法を頼れと。人を頼るなということですね。ですから、修験道
     の教えと合致するわけです。

      修験道では、山に入るのも行をするのも、全部自分の責任で行ないます。いわゆ
     る自灯明です。自分が苦行する、難行をすることによって、自分の心を変えていく。
     そして自分自身が、自分自身の灯になるような自分に変えていくということです。
     それが修験の教えであり、修行なのです。

      ですから、お釈迦さまの最期の説法と合致する面がある。まさしく釈迦の教えそ
     のものですね。これからそういうふうにしていかなければいけない。そういうふうな
     人間になりなさいということです。まず自分で自分を変えていくということですね。

      これからの仏教というのは、そのようなことを目指していく必要があります。ただ
     「南無阿弥陀仏」で頼るだけではなしに、自分を自分が変えていくということです
     ね。南無阿弥陀仏がどうこうと言っているわけではありません。そうではなく、そ
     れが修験道の道であるということです。それが本当の仏教です。お釈迦さまの最
     期の説法はそれですからね。

      「自灯明、法灯明」と声高に叫びたい思いです。

 ⇑ 以上、引用終わり。

 「照顧脚下」...その足元を照らすのは、「自灯明、法灯明」と言うことなんでしょうね。

 ハッとしました。

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 バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
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by cute-qp | 2013-12-17 00:00 | バランス運動療法・調整法