「実修実験のこころ」

 「実修実験」を受けまして、

 「修験のこころ」 五條順教 ・ 塩沼亮潤 著 より引用・掲載致します ⇓

五條  修験道の実修実験ということですが、これは、山に入って、行に入ることによって
    実際に身をもって体験し、体得していく。山だけとは言いませんけれど、良いと思
    ったことを実修することによって宗数的に高まっていく、体得することによって自分
    を高めていく、ということです。

     よく修験の行を通して霊感を得たり、また不可思議な力を得て、その力でもって
    衆生を救済していくなどと言われますね。その言い方も修験に対する誤解を与え
    るものです。

     不思議な力を得るということではなしに、実修実験というのは、自分が実修する
    ことによって体得していく、体験していく、体をもって理解していく、体でもって安心
    を得ていく。修行でもって安心を得る、ということではないでしょうか。安心が大事
    だと思います。霊感を得るなどということは修行における付随的なことで、それが
    目的ではありません。

塩沼  そう思います。私たちは行者という定めを持って生まれてきておりますので、山の
    行をします。そして山で得たものを時代に応じ随所において、上求菩提・下化衆生
    のこころを終始一貫して示していかねばなりません。

     しかし山で行ずることだけが素晴らしいと、山の行を現代人に強要したところで
    何の意味もありません。みんなが行者になったら社会が成り立ちません。それぞれ
    が与えられた今ある環境が、人生の行場です。大都市のまん中でも、コンクリート
    のかたまりの中であろうと、目をつぶり、耳をすまし、深呼吸をして、こころをおだや
    かにすれば、すでに今いるところが大自然です。言いかえれば人は皆、人生の修
    験者です。

五條  ええ、それを我々の仕事や生活の上で生かしていくのが、「里の行」ということに
    なるのでしょう。

塩沼  そうですね、人生という里の行も、山の行と同じで雨の目もあれば嵐の目もあり
    、決して思い通りになりません。

五條  日常の生活においても、それを行としてとらえて、実修していく。そしてまた家庭
    生活においても、ただ家庭を自分の気ままなことができる場所としてではなしに、
    お互いに高めあっていくような環境にしていく。それが実修実験であり、里の行に
    つながっていくのではないでしょうか。

塩沼  人生における自分をとりまく環境というのは、思い通りにならないように設定され
    ているように思います。その中からいかに感謝の心を導き出してくるかどうかです。
    人は一人では磨かれません。山ではいろいろな気づきがあります。それを実修体
    験する場所が、家庭であり社会です。

五條  ええ。家庭が良くなっていけば、社会が良くなっていきますからね。やはりそうい
    う場として、とらえていくことが大事です。お互いに相手の立場を尊重して大事にし
    ていく、そういうことですね。
 
     家庭や社会のおり方が、今の時代は問われていると思います。実修実験の精神
    が、決して牽強付会(こじつけ)ではなく結びついていくような感じがしますね。
  
     ですから、行といえば山、山から下りてきたら、もうだらっとしているというようなこと
    では、行者として満足なものではないと思います。「山の行より里の行」なのですか
    ら、里の行のできない者はだめですね。

塩沼  行に終わりはありません。ごはんをいただくこと、人と話すこと、一挙手一役足の
    すべてが行であります。自分の行いを見たければ、お天道様のあたるところで陰を
    見ればいいのです。しかし、自分で確かめられない場所があります。それは後ろ姿
    です。いくらうまく立ち回っても後ろ姿はごまかせません。

 ⇑ 以上、引用終わり。

 日々、「実修実験」と「初心の積み重ね」ですね。

 最近、じんわり身に染みて来ました。


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by cute-qp | 2013-12-15 01:00 | バランス運動療法・調整法