「無形の学び」

 「大事なことは、一番最初に学んでいる」

 目の前に差し出されたこのことに、なかなか気づけない。

 与えられることの多い世に育った身には、

 まず、学び方・工夫・モノの見方から学ぶ必要がある。

 しかし、「与えられることに慣れている」が故に、

 その枠からなかなか抜け出せない。

 そんな「自分自身」に気づき、

 ああかな、こうかなと、ひつこく、

 いつ分かるかの保証はないけれど、

 諦めず、飽かず、腐らず、

 ひたすら、つづける、進む内、

 最初に頂いたものの「片鱗」が観えるかもしれない。

 稽古中「何故そうおっしゃるのか?」

 古人や先生、先輩の教えの中には「妙」がある。

 「何故そうするのか?」

 彼らが行う「稽古」に「ヒント」がある。

 自分がそれをやってみて、上手くいかないことも多い。

 経験や能力、個性が異なる為、

 同じ原理も感じ方、体得の仕方、表現方法が異なるからだろう。

 だから、真面目に(悪く言えば、単調・愚直)稽古するだけでなく、

 可能な限り、彼らの原点(原典)を探り、

 別途、様々なアプローチをしながら、

 その「妙」を抽出する(自分に手繰り寄せる)。

 それを繰り返す内、「最初」に行きつく「機会」が訪れるかもしれない。

 そこからが本当のスタート。

 まだ、入口にいた訳だから。

 どん臭い分、時間が掛り過ぎるほどかかった。

 が、自分の立ち位置が明確になり、

 視界が開ける感動は、かかった時間分、大きい。

 その感動の瞬間、「押し寄せる」課題にボーっとしている暇はなく、

 都度、自分なりの稽古法・ものの見方を編み出して行くことになる。

 当然、話し様も、書き様もない(ブログも進まない:笑)

 聴く人に、日々、如何に正確に技を掛けるか?

 多面的にヒントを見出せるか?で、

 お互い「切磋琢磨」・「互助精神」で行こうと思う

 新陰流流祖、上泉伊勢守は伝書でこう語る。

 「上古、流(兵法流儀)あり。中古、念流、新当流、また陰流あり、そのほかは

 計るにたえず。予は諸流の奥源を極め、陰流において別に奇妙を抽出して、

 新陰流を号す。

 予は諸流を廃せずして、諸流を認めず。まことに魚得て、筌(ビク)を忘るものか」

 自分を作って行くということはこう言うことなのかもしれない。

 そんな彼が伝えた「無形の位」

 「無形の学び」なくして、感じられるものではない様だ。 

 (参考)

 「感性の優れた方と」
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 バランス☆運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
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by cute-qp | 2013-03-03 12:00