「息と間の稽古」

 「柳生新陰流道眼」柳生延春 著 より「しゃうがの事」について引用させて頂く↓。 

 「しゃうが」は「声雅」と普通書く。太刀を無拍子に色なく斬り出すことはなかなか困難で、
その時の心持ちとして心得ねばならぬ大事なことである。敵の太刀の働きが細やかで、容易
に調子をとりにくい時は、自分の口の中でその調子に合わせ、口拍子の中に一つ拍子をぬき、
半の間の調子で斬り込むと無拍子の斬りができる。多くの場合、敵の拍子が細かく、なかなか
斬り出せない者に対し、わが方から無理に斬ろうと思うと、早くもその斬ろうと思う萌しの色
があらわれ、敵は斬られまいと用心するし、またその斬ろうとする色を反対にとがめてくる。
このようにならぬためには、前述の如くわれはロ拍子をとり、その半の間の調子をとらえて斬
り出せば、色もなく少しも萌しがあらわれずに、催すことのない斬りが出せるものである。こ
れは何としても斬り込むぞという気負いの心を止めて、口拍子の処に心が集中するので、斬ろ
うとはやる気がそれて、その口拍子の半の間が能く無拍子の斬りとなるのである。これを「没
茲昧の打」ともいう。

 さて、またこの「声雅」を別の意に解した口伝もある。「申楽の舞も謡も、声雅を知らなければ
囃すことはできない。兵法にも声雅がある。敵の働きはどうであるか、また捌きはどうかと疾く
見てとり承知してしまうのは、丁度舞や謡の声雅を知っているようなものだ。敵の働きを能く
知れば、わが方の仕かけが自由にできるようになる。」と。

 これは敵に応ずる拍子の根本をいったもので、敵の構、太刀筋、拍子を前もって知れば、敵
の働きに応じてよい拍子で斬り込むことが自在にできる。それは舞の声雅を知ってその拍子を
打つようなものだ。例えば、敵が車(脇構)に太刀を構えれば、車の構から斬り出す太刀筋、
拍子がある。撥草に構えれば、撥草から斬り出す太刀筋、拍子がある。すべての構も皆然り。
これをよく弁え敵に応ずるのを、声雅を知って拍子を打つという。

 截相に於いては、誰でも相手の勤きに捉われ、その動きの発する内なる心の調子、それが外
に現われた拍子の微妙なる関係に意を充分に尽くさないのを強く訓戒しているのである。

 ↑以上、引用終わり。

 「声雅」とあるが、雅楽の「唱歌」のことだと思う。

 邦楽の譜面は西洋の楽譜の様に絶対的な音(ドなら間違いなくド)と律動的なリズムを合理
的に表記したものではなく、「イメージ譜」。

 リズムよりも、音と音との「間」を重要視し、その間にも音の微妙な移行、変化がある音楽
は、成り立ちの異なる西洋楽譜で表記し切れない。

 曲の味わい、ニュアンスをカタカナの「歌譜」にし、それを「口伝」で伝え、学ぶものはひた
すらそれを歌って自らの血肉とする。

 昔の教え方では、楽器を持つ前に数年、もっぱら「唱歌」に打ち込んだとか。

 これを歌うことで、「笛を吹く身体」と「音楽感」が鍛えられるのに気付いた。

 治療や武術、芸術も、まずは、「身勢」・「息と間」の稽古。

 そう言われている気がする。
b0159328_01847.jpg
b0159328_0154329.gif

        龍笛譜                       能管の譜

バランス運動療法(Balance Movement Therapy)春風堂♪
[PR]
by cute-qp | 2011-04-15 00:00 | バランス運動療法・調整法