「イメージを受け取る・再現する」

 「萬斎でござる」野村萬斎 より引用致します↓

 稽古では、このように、せりふや、発声の基礎、ことばの抑揚、表情、所作などのすべてを
、師匠から一対一で教えられ、師匠の型をコピーして身につけます。これを「口伝」といいま
す。

 「口伝」は、理論や理屈を伝授するものではありません。稽古のしかたは、ほぼひとり立ち
した現在でも、基本的には変わりません。子どものうちは時間をかけてみっちり稽古できます
が、舞台に上がる回数が増えたいまでは、台本を見ないと追いつきません。ただし台本には
抑揚のつけ方などは書いてありませんから、それは父がやって見せるのを自分で書き留めて
覚えることになるのです。

 年遅くはじめたり、センスのない人というのは、外形しか見ないことが多いような気がしま
す。しかし、「口伝」とは、インスピレーションのような形で転写するもので、形をコピーす
ればよいというものではありません。人間の体型はまちまちですから、たとえ親子でも、まっ
たくそのままをコピーするというわけにはいかないのです。

 そこで何か重要になってくるかというと、イメージを受け取るということだと思います。父
と私にしても、腕の長さも脚の長さもちがう。しかし父の構えたときのたたずまいを、まさに
イメージとして取り入れて再現する。父と同じ角度で腕を構えさえすればよいというのでは
なく、その型を自分用のものに再生しなくてはいけないのです。小さいころには、腕の角度の
ような外見的なものばかりを気にして、自分ではそっくりに構えているつもりなのに、父から
は直されるということの繰り返しでした。何度も何度もイメージトレーニングを絞り返すよう
なものです。

 また、せりふや所作などの外面的なことだけではなく、まさにそこにある「気」、「エネル
ギー」、あるいは「血流」といった、身体の内部に起こる瞬発的な力のようなものまで含めて
伝授することが、「口伝」の意味だと思います。ですからどうしても、手取り足取り、口移し
で教えるということになるのです。

 そういう意味では、親子で伝承することの強みもあると思います。生活もいっしょ、半分同
じ血が流れていて、父のテンションが上がったときには自分の血も騒ぐといった、ことばては
説明しにくい感覚があるからです。狂言の世界では、代々こうして芸を継承してきました。自
分が子どものころにはいやがっていたものを、同じやり方で子どもに伝えていく。親と手の根
くらべです。そのあたりは昔から同じ。パターンの繰り返したったにちがいありません。

 一人前の狂言師として認められるようになると、いわゆる台本のほかに、家に代々伝わりく
る台本、「六義」を見られるようになります。それは野村家に伝わる和綴じの本で、一子相伝
とまではいいませんが、門外不出の貴重なものです。見られるようになったのは、芸の基礎が
できたと認めてもらえるようになった、二十次代の後半になってからのことです。主宰してい
る狂言の会「ござる乃座」などで演出的な立場をつとめるようになり、上演される頻度の少な
い曲を掘り起こしてやることも増えました。そうした機会には、伝書たる「六義」に記された
、昔の上演記録を調べながらやることになるのです。

 ↑以上、引用終わり。

 最近、どうしたら先生や先達の様に出来るのか?工夫するのが面白い。

 彼らがどう言う系譜・経歴・進化をたどってきたか?

 何をどう考え表現・工夫しているか?

 私なりにそれをどうトレース、表現するか?

 その辺のところをず~っと妄想・できるかな?している。
b0159328_2012740.jpg

 バランス運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
[PR]
by cute-qp | 2011-04-02 00:00 | 温故知新