意識の「尻落」

 「群盲象をなでる」...

 ふと、このことわざを顧みる事があり、「象」と言う「客観的に正しい定義」があると思って
いる事自体、大きな間違いだな~と思いました。

 大体、そんなものどこにも存在していない。

 私達は「象」を見て、それぞれの「立場」や「視点」に引きずり込み、

 「象は長いものだ」
 「象は太い柱の様なものだ」
 「象はサラザラした壁の様なものだ」

 など、と感じる。

 それは、所詮、私達の「主観」の中で、世界を「自分の解釈したい様に解釈している」に過ぎ
ないのだと思います。

 唐突ですが...私は「骨盤時計」の動きの中で「反らす」のがとても苦手です。

 そんなある日...補助を受けて上手く動けた時、「あ...」と思いました。

 「お尻ってそこまでお尻だった」...正に意識の「尻(欠)落」。

 途端に、動きと感覚が変わり、「自分の世界を縛っていた自分」に内心、恥ずかしいやら、
嬉しいやら。

 同じく、患者さんの「お尻感」を観察すると、人それぞれに「身体感覚・意識」が全く違う。

 「教科書」や「学問」は「ソケイ部」や「殿(尻)部」などと色々分類・定義するけれど、
全部「骨盤」を構成する一部を表しているに過ぎない。

 ひいては、身体の部位に「同じ漢字」を使う国家間でその部位や感覚が全く異なる(例えば、
日本と中国では「腰」を意味する部位が異なる)。

 結局、「世界は人の数だけ無数にある」。

 その「世界観」をどう見据え、どれだけ、「連想ゲーム」出来るか?
 その為に、自分をどれだけ「多角的」に見られるか?
 
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 バランス運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂

(参考)
 「連想ゲーム」
 「パズルと連想」、「呼吸力」
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by cute-qp | 2011-01-19 00:00