「呼吸」は「私」と「心と身体」を結ぶ

 カンジヤマ・マイム著「おしゃべりなパントマイム」から抜粋・掲載致します。

ゼロのポジション

 ゼロとはどういうことでしょう。

 何もしない状態のこと?いいえ、あなたがもし女性ならば、お化粧をする前のことを考えて
みてください。さて、どうしますか。まずは、汗ばんでよごれた顔を水で洗うことからはじめ
るでしょう。もし、そのままメークしたらどうなるでしょう。お化粧のノリもよくないし、第
一お肌によろしくないですね。そうです、全ては汚れ、かたよりのない白紙の状態ではじめね
ばなりませんね。

 かたよりのないニュートラル(中立、白紙)の状態。それがゼロのポジションです。人間は
年月の流れのなかで、それぞれの生き方、経験、環境などによって、その人の顔や身体が何も
しないうちに既に何かを表現してしまっていんです。かんたんにいえばクセが身についている
のです。ただ歩くだけでも、無意識のうちにあるみたいに左右に揺れながら歩く人、うつむい
てもうしわけなさそうに歩く人もいます。またある人は、とくにクラシックバレエ経験者は、
足先が外へ向いています。

 これはおとなだけにかぎりません。子どもでも、もうすでにこういうクセが身についている
場合があります。電車のなかや街角であらためて、立ったり歩いている人々をよく見て下さい。
ただし、あまりジロジロ見ちゃいけませんよ。無表情、無表現であるはず(と本人が思ってい
ても)顔や身体はいかに多くのことを物語って、主張していることか。平常でもそんな状態で
すから、緊張が高まるととうぜん、その人のクセは総出演しはじめます。うそだと思うなら結
婚式のスピーチや、慣れないカラオケを歌っている人などをビデオに撮り、早送りで再生して
みれば、その人のクセのしぐさが何度もくり返して行われていることが分かりますよ。

 では、どのようにしたらゼロの状態に近づけるのか。

 まずは、鏡の前に立ってみて下さい。さあ、あなたは今何かを表現していませんか?つまら
なそうな顔をしていませんか。にやけていませんか。胸をはりすぎていませんか。おしりがつ
きでてはいませんか。なにも表現していない白紙、中立の状態になれますか。

 これが、ゼロのポジションです。

身体の中心を知ろう

 まずは自分の身体の中心をととのえることから始まります。

 これはたやすいことではありません。でも不可能でもありません。大切なことは、自分を絶
えずチェックする習慣をつけることです。

 街を歩いているとき店のウィンドウに映った自分の姿をチェックするのもよいし、ビデオの
中の自分を見てみるのもいいでしょう。

 そのほか日常生活のなかでできることは、いつもの生活の中で行っている行為や動作を、か
ならず身体の反対の部分でもやってみるという習慣をつけることです、右利き、左利きという
ように、利き腕、利き足がある以上、気付かないうちに身体のどちらかばかり使って生活して
いるものなのです。たとえば電車に乗ってつり革につかまったとき、どちらかの足に体重がか
かる人、いすに座ったとき、どちらかの足をうえに組む人、正座をくずしたとき、右か左に決
まって身体をずらす人、などなどです。これらを日常のなかで認識し、意識的に反対側の部分
を使ってやってください。

 さらに、右利きの人は左手ではしが使えるようにし、歯も左手でみがけるようにしてみまし
ょう。ただし、なれないうちは歯ぐきを傷つけない程度にしてくださいね。

心の中心を知ろう

 なにかを表現するのが「身体」であれば、その表現を創りだすのが「こころ」です、人は何
かを表現するまえに、「こころ」でものごとを観察し、なにかを感じます。

 この「こころ」とは不思議で、しかもやっかいないものです。なぜならば、「こころ」がい
ったん、これはこうだと思いこんでしまうと、そうではないものまでそう見えてしまうからで
す。たとえば、ただの縄ですら、ヘビだと思いこめばそう見えてしまうことがあります。みな
さんも経験があるでしょう。この「こころ」しだいで人間は悪魔にも天使にもなります。

 ですから「こころ」もまずはゼロ(白紙)の状態にできるようにしなければなりません。ゼ
ロと言っても「何も考えるな」ということではありません(もっとも、なにも考えないでいる
というのは至難のわざですが)。さきほどの身体の場合と同様に、私たちのこころも毎日の生
活のなかで相当にクセがついてしまっているのです。そのクセを別の言葉でいうと、「先入観」
とか「固定概念」あるいは「損得勘定」とかいうもので知らぬまにものごとを見ているという
ことです。これがあると、パントマイムでもっとも重要な、「ものごとのエッセンス、本質を
とらえること」ができなくなります。

 ところで、インド人のヒンズー教徒の額(眉間)には「ティッカー」と呼ばれるほくろのよ
うなものがついています。みなさんも写真などで見たことがあるでしょう。これは第三の目を
象徴していて、仏教の開祖のお釈迦様の額についているものと同じです。この第三の目とは、
ものごとを奥深く見通す、自分の内側に向けられた「こころの目」で、すべての人々が持って
いるといわれています。つまり先入観や固定概念にとらわれずに、あるがままにものを見られ
る力のことです。

 さあ、みなさんもこの第三の目を見開いてものごとの神髄を見すえてください。今までの日
常生活のなかで、あたりまえと思いこんでみすごしてしまっていることをもう一度よーく見つ
めなおして確かめてください。かならずや、みなさんの世界がまたひとつ広がって、深まって
いくことと信じています。

 インドの話題がでたついでにもうひとつお話します。さきほどの「身体の中心」の項で私た
ちはみなさんにヨーガをおすすめしました。このヨーガもパントマイムと無縁のものではな
いのです。 ヨーガという名前はもともとサンスクリット語で「YUJI」(結びつける)
という意味からきています。つまり、ヨーガの目的とは、たんに身体の健康増進だけでなく、
「こころをしっかり自分につなぎとめておく」ことなのです。ですから、ヨーガもこころの中
心を知るためにはとてもよい訓練となると思います

 ↑以上、引用終わり。

 何もない空間に立ち、何も持っていないパントマイミスの表現に我々が「何か」を見るの
は「物事の本質を見据え、ありのままみる」練習をしているからかもしれません。

 その基本として、「自らの心と身体を観察し、それを自分に繋ぎ止めておく」のが大切
だと仰っている様に思います。

 「センタリング呼吸法」や「バランス運動療法」ではその基本を私達の最も身近で、目に
見えず、形のない「呼吸」を中心に行っていきます。

 不可視で無形な呼吸のバランスを整え、より良い形で行う事でそれが「美容と健康」、
「表現の向上」などの「目に見えるもの(結果)」として現れて来ます。

 例えば、「肩で息をする」姿は余り健康的でなく、美しくありませんね。対して、「下腹
に呼吸が満ちる」姿は健康的盤石さを感じます。

 なので、正確には、「呼吸」は自分を「感じ・観察」する事で「感じ・観える」ものだと
言え、その「入れ物」が「私達」なのかもしれません。

 余りにも身近過ぎて「灯台もと暗し」になる「呼吸」を感じ考え、変えてみる...それが
「私と心と身体を結び」、「日常を生き生きと作りだす」鍵なのだと思います。

 自己反省を込めて。

 バランス運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂
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by cute-qp | 2010-09-03 17:00