「感応」と「意識」

母親が感じる不思議な現象こそテレパシー 中央アート出版「新アダムスキー全集11」より

 子供を孕んだ母親は、ときおりある特殊な食べ物をむしょうに食べたくなります。なぜな
ら、それは母親の体内の赤ん坊が必要としている特殊な栄養を補うためなのです。

 また赤ん坊は母親の体内で体の向きを変えるとき、「ママ、体の向きを変えるよ」とは言
いません。しかし母親は赤ん坊が体の向きを変えることを前もって知っています。いったい
どのようにしてそれがわかるのでしょうか。

 さて、ここで非常に重要なポイントにさしかかっています。母親はおそらく「私はそのフ
ィーリングが起こった、なんとなくそう感じた」と言うでしょう。

  それこそが「宇宙の言語」として知られている声なき言語なのです。それは創造主があ
らゆる物に語りかけるときに用いる言語です。それと同じ言語を用いて、母親の体内の赤ん
坊は体の向きを変えるつもりであることを母親に伝えたわけです。それはこの世界では「テ
レパシー」または「予感」などと呼ばれています。それを何と呼ぼうと問題ではありません。
とにかくそれが創造主の知っている唯一の言語なのです。あらゆる生物はこの言語を知って
いるのですが、人間だけは知りません。

テレパシーとは何か 中央アート出版「新アダムスキー全集12」より

 たとえば私は今自分か考えていることを話しているわけですが、それらの想念は、最初は
「印象」として私にやってきます。つづいて私はそれらに音を与えます。そのようにしてそ
れらを表現するわけです。その結果、皆さんは私の考えを知ることができるわけです。私が
そうしなければ、皆さんはそれを知ることができません。なぜならば、皆さんが聞くことの
できるのは音のみだからです。皆さんが音に波長を合わせているからです。ですから私は自
分の想念に音を与えねばならないのです。

 でも、もし皆さんが、より高い振動数を持つ「印象」に波長を合わせていたとしたら、私
は自分の想念を音なしで、そしておそらく音を用いたときよりもずっと明瞭に皆さんに伝え
ることができるはずです。そのとき皆さんは私が考えていることを静かに受け取ります。印
象、あるいはフィーリングとしてです。皆さんはそれを、直感、ひらめき、あるいはその他
、どんな名前で呼んでもかまいません。ただし最近は一般にそれを「テレパシー」と呼ぶこ
とが多くなってきています。そして自然界の万物がそれを活用しています。ですから、皆さ
んが、それを応用したならば自然界のいかなる物とも、花や鳥その他のいかなるものとも、
会話することができるのです。

 皆さんは、木の年齢を知るために、それを切って年輪を調べたりする必要は、本当はない
んです。皆さんを遥じて流れているのと同じ英知が、本を通じても、その植物の生命を通じ
ても、異なったレベルではありますが活動しているのです。

 皆さんはそのように作られているのです。ですから皆さんの英知あるいは、皆さんを通じ
て英知が表現できるものには限界というものがないのです。

 皆さんはちょうど、ヴァイオリンのようなものです。あるヴァイオリンは、ひどい音しか
出せないかもしれません。皆さんはどんなに質の高い感覚を持っていても、そのできの悪い
ヴァイオリンでは、自分のその感覚を表現できません。でも、もし皆さんが、そのヴァイオ
リンを改良するための努力を粘り強くつづけたならば、それはやがて言葉では表現できない
ほどの深い感覚を表現できるようになるでしょう。そしてその表現された感覚が、おそらく
他の多くの人々を感動させることになるでしょう。

 皆さんは、いわば楽器のようなものなのです。そして皆さんは今、自分の楽器である肉体
を進歩させようと努めています。それをハイレベルの印象の数々が通過できる状態に、つま
り、それらの印象が皆さんを通じて、それら自身を表現することができる状態に高めようと
しているのです。

 その質の高い印象、すなわちフィーリングをどれだけ受け取り、表現できるかで、皆さん
の進歩レベルが決まります。ただしそのフィーリングは、やはり皆さんの「自分自身」であ
り、あの「意識」にほかなりません。

 フィーリングとは、何かに気づいている心の状態です。皆さんは、ハイレベルのフィーリ
ング、つまり「意識」を通じてもたらされるフィーリングが得られるようになることで、以
前には気づかなかった何かに気づくことになります。それは常に静かにやってきます。それ
は、いかなる音も伴っていません。音楽も鳴らなければ、ラッパの音も聞こえません。生命
の本質は常に静かなのです! しかしそれは、心の中に、皆さんがこれまでに聞いたどんな
雷鳴をもはるかにしのぐ振動を引き起こします。しかもそれは決して停止しません。決して
動きを止めません。生命は決して死ぬことがないのです。それは死ぬことはできません。も
し死んだりしたら、生きることができないからです。

花に呼びかければ動く理由 中央アート出版「新アダムスキー全集12」より

質    問 それは自由意思によって可能になることなのですか?
アダムスキ- もちろんです。あらゆる生命体がそれを持っています。その程度はそれぞれ
       異なってはいますがね。それぞれが異なった奉仕をするために存在している
       からです。
 
       たとえば、植物を考えてみて下さい。我々と植物との違いは、植物は我々と
       追って自由に歩き回ることができないという点だけです。もし機会があった
       らぜひ試してみて下さい。植物に話しかけてみるのです。そうすると、植物
       はきっと皆さんに答えるはずです。すぐにはうまくできないかもしれません
       が、何度も試みているうちに、きっと皆さんもできるようになるはずです。

       もし皆さんが特定の花に「こちらに顔を向けて下さい」とお願いしたならば
       、命令するのではなく、お願いしたならばです。我々はどうしても命令した
       くなってしまいますが、それではだめです。人間に対するのと同じようにお
       願いするのです。そのようにしてお願いしたならば、何度か試みているうち
       に、それはきっと答えてくれるはずです。自分は人間に向かって話している
       と信じるのです。そしてさらに、その植物が皆さんの話を理解し、それ自身
       の意思で皆さんに答えるということを信じることです。そうすれば、その植
       物はいつかきっと皆さんのほうに顔を向けてくるでしょう。

↑以上、引用・掲載終わり。

 野口晴哉先生が「逆子」を「君、逆さまだよ」と語りかける事で対処した...そのエピソー
ドを彷彿とさせる内容です。

 そして、どちらも「だからこそ!自他の”潜在意識”と”どう向き合うか?”」をテーマ
にされています。

 同じ事を違う個性が異なる立場や切り口から違った表現しているのですね(ミルトン・エ
リクソン先生も然り)。

 アダムスキーの場合、自分自身を良く見つめ、その「心(欲求や思い込み、知識)」で
なく、「意識(感じる・湧き起こる感覚)」で生きる事を第一に考えている様です。

 その為、「自分の想念を記録する方法」を提唱されています。

 しかしながら、この方法では余りにストイックになり過ぎ「ヒステリー」など「心の
魔境」に入る人も多い様です。

 春風堂の個人的な感覚や感想で申し上げますと、それこそ、アダムスキーが述べる様に
、今自分が想い・感じた事を先ず「触覚」で意識し・感じてみる。

 そして、感じたまま、何らかの行動を起こしてみる。

 その感受したものからの「選択」をまた「感じて」みる。

 すると、「結果」は「明確・明白」に出て来ますので、その中から「素直」で「良さげ」
な「経験」や「感覚」を積み重ねる...そうしますと「意識」が語りかけるものか?段々と
分かって来る様に感じています。

 私も最初の頃は不思議だったのですが、「頭でこう!」とある選択をしていながら、無
意識に「独り言が違う選択を語っていた」経験がとても多くありました。

 結果、「独り言」の選択は100%無難でした。

 以後、その「触感」を大事にしています。

 バランス運動療法(Balance Movement Therapy) 春風堂

(参考)
 「人間の感覚」と「触覚の本質」
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by cute-qp | 2010-08-16 00:00