自分にとっての「世界」とは!?

 昨夜に続きTHE HIDEN 10/4より成瀬正春先生と苫米地英人先生の対談を引用・ご紹介致
します↓。

成瀬 要は瞑想能力が大切だよ、という話ですよ。瞑想能力というのはイメージカではなく意識
   力。自分がどのくらいリアルに意識出来るかという。だからいま僕はコップを持っている
   けど、例えば実際に持っていなくても、コップを持っている感触があれば同じなんです。
   だけど人生で一度もコップを持っていない人にそれをやれと言っても出来なかったりする。
   体感がないから。だけど1回触れば判るからできる。だからイメージじゃなくて意識する。
   意識というのは自分の身体で本当に体感すること。瞑想で「宇宙の果てに行って戻ってき
   た」というのは本当に体感しているんですよ。宇宙の果てなんて現実には行けない。とこ
   ろが瞑想だと行けるわけです。「どうしてそんな事が言えるの」と言えば、その人が本当
   にそこを体感するからですよ。そこには自分のなかでは嘘はなく本当に体感している。だ
   から三田光一が月の裏側を念写した写真が、その後飛んだアポロが撮影したものとほと
   んど同じだったという話があるじゃないですか。事の真相は別にして、少なくとも彼の
   なかでは本当に体感出来ていた。だから重要なのは体感出来るか出来ないか。それを練
   るには例えば素振りを何万回やるとかが必要かもしれないし、瞑想能力を高めるのも必
   要かもしれない。実感することが重要。その枠をどこまでも広げていければ良いわけで
   すよね。


- その自分の実感がどうして他者に影響を与えられるかが分らないのですが?

成瀬 いまの苫米地君の話の繋がりを貰うとすると、世界とか宇宙というのは全部自分中心に
   回っているんですよ。例えば今僕が目を閉じれば世界は無くなっちゃうんですよ。僕のな
   かで目を閉じた瞬間にこの部屋や全てが無くなればOKなんです。でもほとんどの人は目
   を閉じた時に「本当は有るけれど見えないだけだな」と思っているから甘いんです。

- なんとなくは分ります。

苫米地 それは概念を使って説明しているわけであって、それそのものが宇宙そのもののこと
    だから。プラーナを存在させられるんだったら宇宙は存在させられる。だから人間は
    生まれながらにしてプラーナを扱っているということですよ。つまり「物が見えてい
    る」「音が聞こえている」ということは、全ては心のなかの世界ですよ。プラーナも
    心のなかの世界。ところが「物理的に存在している物は物理の世界で、イメージする
    ものはイメージの世界で」とどうしても分けて考える癖がついている。そうではなく
    て、実際には物理的な存在も脳が認識して情報処理している情報で、脳のなかでは全
    く同じでしょ?映画「マトリックス」で脳幹にインターフェースを付けているように
    全部データで、全部心の中で処理されている。その心のなかの世界をリアルにして互
    いで共有する。そこには共有する術が必要でしょ?それがプラーナですよ。視覚情報
    だってプラーナ。だからプラーナで伝える。プラーナという概念をわざわざ利用して
    もしなくても良いわけです。

成瀬 あとは知識。もちろんあっても良いんだけど、大抵の人は知識に惑わされちゃう。だから
   いま「僕が目を閉じたら見えないでしょ?」と言った時に、「でもいまここに居るよな」
   と思うことは知識なんですよ。この知識を取っ払った途端に誰も居なくなっちゃうんで
   すよ。知識を取っ払うとね。重要なのは知識じゃなくて自分のスタンス。自分が今どう
   なのか?自分は何なのか?自分は何を感じているのか?

- 先生が目を閉じて先生のなかで完璧に世界が無くなるというのは分かります。だけど外の
  人間にそれがなぜ繋がり共通認識となるのかが分からないんです。

成瀬 ちょっと待って、共通認識で繋がるというのはさっきの話?

― 例えば苫木地先生が仰った「こいつの人生は全部俺の掌のなかにあり、俺と試合をするの
  も、目の前で転けるのも決まっている」と。先生がそういう世界観で断定するのは分かり
  ます。でもどうして、その世界の外に居る人、この場合対戦相手にそれが伝わるのかが分
  からないんです。

苫米地 その世界じゃない人は居ないですよ。全部その世界の人。そうじゃない人は情報に鈍
    感なだけ。だから鈍感な人には無理矢理伝えなければいけない。そのために五つの型
    を覚えるのも自由。相手が鈍感な場合はね、それは鈍感用の技だから。ただそれを無
    理矢理敏感にしてあげる方法が有ると成瀬先生が「目を瞑れば世界が無くなる」と言
    われているのは、先生は本当に目を瞑った瞬間に死ねるからなんですよ。皆さんは目
    を瞑っても消えないでしょ?死んでないから。耳が動いちゃってるし、臭いを嗅いじ
    ゃっているし(笑)。見えなくても「世の中あるじゃん」と思っちやうでしょ?ヨ
    ーガの達人は目を瞑った時に本当に死んでいるんですよ。だから自分が死んだと思っ
    た時に本当に宇宙は消える。相手が「いや俺は消えていない!」といくら死人に言っ
    たって、死人は納得してくれないでしょ、判る?だから目を瞑って死ねる修行をして
    いるわけです。簡単に言えば「死ねる」という言い方かもしれない。要するに自分の
    感覚を完全にコントロールするということ。生きたまま感覚をシャットアウト出来る
    のであれば、死んだ人のようにシャットアウト出来るし、目を開くのであればまるで
    その人の体の中にいるかのように見ることも出来る。本当に見えて、本当に見えない
    と自由自在にコントロール出来ることがまさにヨーガの修行なんだよ。


- 感覚をコントロールする。

苫米地 それはどういうことかというと、逆に無いものを見せることも出来る。催眠の幻覚と
    同じだよね。ただ方法論が暗示ではなく、相手の五感そのものに入り込んで見せて
    あげる訳で。だから鈍感な人には本当に見せてあげるし、それを無理矢理敏感にする
    方法論もあるわけ。それは方法論の話。結局宇宙は全て情報なわけですよ。で、恐ら
    く重要なメッセージになるのはほとんどの人は光を見ず光の反射しか見ていない。例
    えば映画館で光を見た時に見ているのは光ではなく埃ですよ。

- なるほど。

苫米地 宇宙空間に行くと太陽の光は真っ暗なんですよ。でも光そのものが見えるようになる
    。光の反射じゃなくて、存在そのものを見る。ブッダが悟りの世界に触れたことを、
    法華経でも般若心経でも上座仏教でも何でもいい、それぞれが色々な言い方で悟り語
    り指差している。でも、それは「全部私の指しか見ていない」という。法華経で見る
    、密教で見る、般若心経で見る、現代科学で見る。だけどそれは埃を見ているのと同
    じ。「私の指を見るな、私の指差しているところを見ろ」と。それが悟りの世界。光
    を見ているようで光を見ていない。光の反射を見て光を見ているようなつもりになっ
    ている。光そのものを見る。目を瞑り、目を開けるというのはまさにそういうことで
    す。「何を悟ります、何か見えてます?」本当に見える人には見えている。

成瀬 だから感じるしか無いですよ。真理を語ると真理じゃなくなるからさ。真理というのは
   語った時に真理じゃなくなる。じゃあ、どうすれば良いの?となったら自分が納得する
   しかない。


苫米地 だから「指先を見るな。指している所を見ろ」で、指している所が何かは一度も言葉
    にしていない。

成瀬 「これが真理ですよ」と言った途端真理じゃなくなる(笑)。

苫米地 オカルト的な意味ではなく、見える感じる以上の宇宙が存在していて、それは広大で
    、全ての人が共通して持っているんだけど、鈍感な人はいくらやってもそれを感じら
    れない。折角色々なことをしても感動しない。「ああ、もったいない」と。だから折
    角技を掛けたのに飛んでいかないというのはもったいないんですよ(笑)。鈍感だと
    言うことでしょ?仕方ないから物理抽象度まで下げてあげるわけで。武道の本質って
    そうでしょ?相手が敏感だったら「ほら君たち死ぬよ」と教えてあげるだけで「すみ
    ません」と納得して帰るわけでしょ?鈍感だから殺すしかない。

― ただ現在武術をやっている方の多くは型を信じて、指先で指している物ではなく、そこに
  至るルートを気にして頑張っている人が多いように思います。

苫米地 それはそれで何の問題も無いですけど、その先があるということを知らないと。ヨー
    ガもアーーサナで終わりじゃない。成瀬先生が出来る不思議なポーズが全部出来るよ
    うになってもそこで終わりじゃない。それは悪いことじゃなくて、その為の方法論が
    伝わっているわけで、それぞれの流派の方法を否定しているわけではないですよ。た
    だし流派の本音で言うと「やり方を限ってくれると楽だな」という宗家の本音という
    のが絶対あるんですよ。一方でそれを信じてやるというシステムも出来上がっている
    のだからそれは何の問題も無い。ただその先があるということ。物理空間の先の情報
    空間。人間は足の裏は物理で足から上はほとんどが情報空間に存在しているんだから
    。その情報空間を知らないと。

- プロセスを越えて真理に辿り着けと。

苫米地 武道だって皆そうで、私が仲良くしている前田(日明)だってそうで、武道でも格闘
    技でもある程度徹底的にやると最後は情報空間の方へ興味を持つでしょ?それを歳を
    とってからではなく、最初から若い頃からそれを思いながらやることの方が全然上達
    が早い。もちろん先生の言われたことを確実にこなすのは大事だけど先があるという
    ことですよ。

成瀬 最近僕の所にも随分格闘家の人が来ているけど、そういう風になってきているね。

苫米地 格闘技も「何の為に?」という部分があるじゃないですか。取り敢えずプロのリング
    で勝って食えればいいやというレベルと、人生のなかの重要な役割としてやるのとで
    は意味が違うでしょ?それに「食えればいいや」というレベルでやっている人こそ辞
    めた後、急に本物の武術に興味を持ち始めるのが多い。だったら最初から両方やりな
    さいということで。

 ↑以上、引用終わり。

 それにしても、これだけ端的に言葉にされるお2人はやはり只者ではありませんね。

 そう言えば...身体のお仕事をして想うのが、所詮、人間は「自分の経験した範囲」でしか
「推し量れない」と言う事...その「範囲」が自分にとっての「世界」なんですね。

 しかも、「ただ何となく経験した」事と「意識して経験した」事では、その世界観に大き
な隔たりがあったりして。

 クライアントさんを拝見し、「う~ん良く観えて来ないな~」と思う所は往々にして、自
分が見えていない部分でもある訳で(笑)。

 論文を書いていた頃、教科書の平面図の様にしか見えていなかった身体が、最近、とても
立体的に見えたりもして。

 そう想うとお2人の対談の中に沢山のヒントを見る気がしています。
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                         瞑想中?
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by cute-qp | 2010-04-01 00:00 | 温故知新