資料 「正體術」

 先日の身体の使い方の調子発見法を受け、今日も「正體術」より引用・紹介致します↓

一番、手首(春風堂註:絵の下段は失敗例です。)
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 うつむきに寝て二、三回呼吸し、落ちついたところで、意識を手首に置き、両手首をあげようと
して見る。それにつれて思わず他の部分も動作し、図に類する形をとり得るようならば、この場
合手首が諸動作の先頭に立つことが判明する。これに反し、他の部分が動かず、息をつめて
努力しなければならないようならば、手首はこの際決して動作の指導者とはなり得ない証拠で
ある。依って一休みして次に移る。

二番、腰
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 うしろ腰の腰椎の部分を、下に押しつける気持ちで図の姿勢をとって見る。窮屈を感じる場合
には次に移る。

三番、肘
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 軽く肘を伸ばすような気持ちで上げようと試みる。他の部分がこれに伴わなければ中止。

四番、腹
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 臍と恥骨との間を、下に押しつけてこれを前後に押し伸ばすような気持ちでやって見る。
足も胸も首も手も、これにつれて自然に図の形になるようならば、今日一日はここに意識
を置けばよい。歩くにも立つにも坐るにも、常にここを念頭におけば、一切の動作が驚くば
かり軽快になり、気分も爽快を感ずるに違いない。

五番、足首
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 つま先に力をいれず、足首をギュッと曲げて、床から上げようとして見る。ここが中心に
なっていない時には殆んど上げることができない程の窮屈さを感ずるであろう。

六番、脊
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 脊をそらすようにして上げて見る。息をつめなければ此の姿勢が保てないようなら早速
やめなくてはならない。

七番、腰
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 軽く膝を伸ばす気持ちで、わずかに膝の火に力を入れて膝を床から離して見る。思わず
全身がこれにつれて図のような形になり、平静な呼吸がつづくようならば、この際この膝が
全身的活動の首導者となっているわけである。依って常に膝を念頭に置いて行動すれば、
正しいからだの使い方が自然に行われることになる。

八番、頭または首
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 頭を頸椎と一直線にして、顔は下をむいたままの形で、床から上げて見る。顎をひく位
にした方が良い。足も手も丁回に行動を共にしないようなら、ここは今日の中心ではなか
ったわけである。

九番、臀
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 臀のふくらみを下に押しつける気持ちでやって見る。窮屈ならば中止する。

十番、胸
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 胸を床から上げようとして見る。妙に肩に力が入ったり、胃の部分を堅くしなければこれ
が出来ないようなら、すぐ中止した方が良い。

適用法解説

 図版によって第一から第十までの正体術を一通り試みて見た場合、人によってそのい
ずれもが多少の窮屈さを伴い、幾分無理な努力を加えなければ、図に示すような形にま
ではならない人があるかもしれない。

 これは本来無数といって良い程の調子発見法の中から、特に著者が十種だけを撰び
出し、これで恐らく一般的な場合は概括することができると信じ適当に組み合したもので
ある。しかし多数の中には、この十種以外の別の調子発見法が適する場合も在り得るは
ずである。
 こういう場合、もしその人が著者を訪ねて直接相談せられれば、その都度適当な特殊
な調子発見法を、その人のために見出して上げることは決して困難ではない。

 しかし地方在往者のため、直接指導の機会が得られない場合には、やはり本書に掲げ
た十種を順々に実行して見て後、よく落ちついてその難易の度合を反省し、いずれも完全
には行かないまでも、せめて五分通り乃至七分通り程度まで苦労なしに実行できて、例
えば足だけは上がらなかったが、他の部分の形は楽に図の形に適合できたとしたら、そ
れを先ずその時、その人に適したものと、決定すべきである。

 こうして例えば腹を主とし、腹に意識を置いた場合に最も基本の形に近かったとすれば、
一切の行動をここを中心とし、ここのみを意識して行えば、他のどの部分を主とする場合
よりも気安く、のびのびと楽に行動できることに、自分白身でも気づくはずである。

 正体術の基本の形に、からだを適合させることは、最初は馴れない仕事だけに、どこを
中心としてやって見ても、何となく勝手が違い同じ楽さ加減を感ずることが、例えば第一
と第五と同様で、自分では区別つけにくい場合があるかも知れない。

 しかしこの場合にも、他の日常の行動をその各々の部分に意識を置いて、行動しくらべ
て見れば、馴れた仕事だけに、忽ち難易の差がはっきりと自覚される。

 (中略)

 本来からいえば、人の行動動作には、それぞれ正しい自然の基本型があって、からだ
が正体になっていて何の言い分もなければ、その人の動作は常に無意識にこの基本型
に適合しているものである。従って或る部分を意識しそこを行動の先頭に立てるという注
文は、要するに其の場合の基本型に適合するように、その部分を持って行こうとすれば
良い。

 (中略)

 意識の置き場所により、果してそれ程までに同一行動に難易の差が生ずるものかしら
と、もし不審に思われる人々があったら、試みにその時中心とすべからざる点を、無理に
行動の中心として実験して見ることを御すすめする。

 それには十種のうち最もやりにくかった部分を特に意識して、わざと行動の先頭にして
見るが良い。どことなくギゴチなく、時には筋がつれたり意外の部分に痛みを感じたり、
とかく行動の円滑を欠くに違いない。しかもこうしたために生じた凝りや、痛みは、一旦
適合する部分を中心として行動すれば、一切の苦痛の箇所が忽ち解消してしまう。これ
は実に驚くべき事実であり、実験して見て、その意外の効果に、著者自身も目を見張っ
た程である。

 この原理に心づかない以前には、いかに矯正法に苦心して見ても、その場だけでは
見事になおりながら、今度来た時にはいつか再びもと通りの悩みを訴えていた。折角
の苦心が後から後から裏切られるような不愉快さは、到底堪え得られるものではなか
った。

 それがこの原理発見後に心づいて見ると、使い方を改めない限り、いかに姿勢や骨格
や重心の偏倚をその場でだけ矯正しても、使わない問こそ其のままでいたにしても、動
作すれば忽ちもと通りになってしまう。さりとて、からだの使い方を一々傍に随行してい
て指導するわけには行かない。

 即ち十種のためし方を創案して、各自にその時に必要なからだの使い方のコツを発見
させようと思い立った次第である。依って今度の方法は、従来のように各自がただからだ
を著者のところに運んで来ただけで、万事を任せ切りにして、こちらの忠言通りにすれば
良いという万法ではない。好む好まぬに拘わらず、ともかく各自が自分自身のからだの
調子を研究実行しなくてはならない。最初は面倒に感じられる人々も絶無とは言い兼ね
ようが、要するに各自の生活上の最も根本的な欠くべからざる責務といえよう。同じ働く
にしても、終日使いにくい思いをしながら、苦しみ悩みつつ、しかも能率の低い仕事しか
出来ないのと、最初ただ十番の簡単な調子発見法を行うだけで、あとは終日意のまま
に能率高い仕事を疲れを知らずに行いつづけ得るのに比べたら、恐らく誰一人これを面
倒がり捨て去る人はあるまいと思われる。

 況や正しい使い方によってのみ、人のからだは一層健康に進み、誤れる使い方によっ
て百般の不幸と苦痛とがつきまとう。しかもその正しい使い方は時により人により、決し
て一様ではない。ただ常にどこか一箇所が全行動の先頭に立ち他はただこれに追従し
てのみ全身の共同動作が可能である。その先頭の一箇所を探知するのが前記十番の
方法である。

 ↑以上、引用終わり。

 今までに復刻された「正體術大意」が大正15年、「正體術矯正法」が昭和2年、「から
だの使い方」が昭和3年、そして、この「正體術」が昭和11年発行となり、時系列でみて
行きますと著者の苦労や工夫を垣間見る事が出来ます。

 私の大切な本の一つです。
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by cute-qp | 2009-08-01 00:00