身体の"響き"を観る ~ツボの取り方 ⑤~

 今日は最終日。増永静人先生 著 「経絡と指圧」より引用・掲載致します↓。

 どのように相手を助けようとする好意に出たものであっても、それを相手に押しつけては
、やはり受け取りにくゝ抵抗感をおぽえるものである。
 それが、してあげるのでなく、させて貰うのだという態度で、相手に受けとって貰う謙虚さ
があると先方も喜んでこれを受け入れるものである。

 押すのでなく、相手にもたれるようにして自分を支えるときに、相手もこれを支えて受け
入れてくれる。

 精神療法の根本は、相手を矯正しようとする態度でなくて、相手を理解しようという気持
だと説かれている。もたれるとは相手に持ってもらうということなのであって、そうした気持
のあるところに、もちつもたれつの状況が生れてくる。

 これが生命的な一体感である。
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 絶海の孤島に置かれたとき、これは人間同士でなくとも、生きたもの同士の感情として動
物との交流できることを小説が教えている。
 医者と患者の人間関係も、病気という苦悩に対面して互に助け合う生命の共感がないと
いけない。医者自身も明日をも知らぬ生命をもったものであり、そのはかない生命をもった
もの同士の一期一会の人生に、医療を通してかかわりあっているのが医者と患者の人間
関係なのである。

 絶対の権威をもって優者として患者に対して振舞うなどという態度は、医者にとって許され
ないばかりか、神からみれぽまさに愚かしいことであろう。
 この指が、またはこの鍼が、薬が、相手の病気を治してやるのだといった押しつけがましい
態度で医療が行われたとき、いったい人間ひとりのカがそのような大それたことを為し得ると
誰が保証しているのか。科学が何十%の治癒率を誇るといっても、この病人を救えるという
保証はどこにもないのである。

 治療が成功するというのは、患者の生命がこの自然の法則にのっとって、治癒カの働く方
向に働いたというにすぎない。

 その治癒カの一つである経絡の動きを、われわれはそのツボでつかむのである。

 そのツボをおさえて、生命の躍動をヒビキとして感じるとき、その病気が治ってゆくにすぎな
い。私が病気を治したのではない。治るべき病気に手助けをしたにすぎないといった名医の
言葉は、経絡治療をしているものにとって、いつも実感として迫ってくる。
 
 指が経絡のヒビキをとらえる、そのことによって病気が治ってゆくのである。

 経路をみるには、相手と共にこの自然の中で一体になるという気持が必要である。病人の
身になってというが、本当に相手と一つになったとき、相手の苦痛がそのまま自分に感じら
れて、それが自分の前に投影されているような気持になる。
 自分の悪いところなら、手はおのずとその悪い所に当るように、術者の手が患者の悪いとこ
ろに自然にひきつけられてゆくのである。

(参考)
 筋肉は「感覚系」?!
 野口三千三先生語録
 "バランス感覚"としての"ニ点圧迫"
 "バランス感覚”としての"虚実" (1)
 "バランス感覚”としての"虚実" (2)
 心と身体の響きを通じて... ~春風堂の大切にしたいもの~
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by cute-qp | 2009-03-13 00:00 | 温故知新