身体の"響き"を観る ~ツボの取り方 ②~

 昨夜に引き続き、増永静人先生 著 「経絡と指圧」より引用・掲載致します↓。

 経絡が生命に固有のものと考えるならば、それは細胞にみられる原形質流動の発展
したものと考えるのが適当だろう。

 細胞が分化するとき外胚葉は皮膚・神経系となって外と内とを連絡した。内胚葉の内臓
もやはり外界との適応・交流のために原形質流動を経絡系凝として連絡に当てたとみる
のである。
 この交流・適応ののぞき穴が、皮膚の感覚器のように経穴として開孔していると考えて
よかろう。

 感覚器のように分化していないで、気孔のように開閉して適応交流しているものであろ
う。生体の歪みに対して、経穴は内臓へ向って液性伝導を行うのであるが、これを人為
的に代行したとき、経絡のヒビキがおこると考えるのが妥当であろう。

 代行の仕方は人為的といっても自然に近い生命的なものでないといけない。

 経絡を上手に捉えられたのはこの東洋の自然生命観からの必然の帰結であったのだ
ろう。私はこのような東洋の心がツボをとらえるためには一番大切だと考えている。

 ツボをとるときには探ってはいけない。盲人が手さぐりするのは触覚を鋭敏にし、物を
判別しようとするからだが、その疑いの心から科学は発達し得ても、生命を掴むことは
できない。
 生命には生命でもって対しなければならないのであって、ツボを知るのは原始感覚に
よって感じとるのである。

 患者の身になってというが、病苦に悩む心を知るのは生命共感のスキンシップである。

 スキンタッチは皮膚接触と訳されるが、生命共感のタッチとは深く挿入される接合であ
る。皮膚にくい入る安定庄であり、しっかり抱き合う皮膚密着でないといけない。

 これを端的に示すのが握手である。握手は手の感触を判別するのでなく、手を通して
心を感じ合うのである。このような皮膚結合によって生命共感は得られ、その原始感覚
を通してツボは実感される。

 指はツボをおさえるのでなく、ツボに受取られて自づとツボにはまるのである。
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by cute-qp | 2009-03-10 00:00 | 温故知新