日本舞踊と身体 (1)

 演劇出版社刊 「日本舞踊入門」より「日本舞踊と身体」を2回に分けて引用・掲載させ
て頂きます。

ナンバ

 ナンバは、右手と右足、左手と左足がいっしょに動くことをいうが、ナンバという言葉自体
はそう古い言葉ではないようだ。ナンバは、南蛮とか難波・なにわ、からきたという説もあ
るが確かでない。

 現実に、上方の舞い方では、右手と右足、左手と左足がいっしょに動くことが普通で、
その逆の方をナンバという。(S56・9国立劇場舞踊鑑賞教室、吉村雄輝の発言より)

 一体、人間が歩く時、右手と左足が前へ、進むというのも疑ってみてもいいと思う。

 歩くということを意識的に教えられるのは、幼児教育の”行進″であろう。よく、幼児は
、右手と右足をいっしょに動かす。これをあやまりとするのは教育の問題で、右手と右足
をいっしょに動かしても悪いことはないと私は思う。

 多田道太郎著の「しぐさの文化」の中でも江戸時代には、いったいどう歩いていたのか
を問題点にしている。

 右手と左足を前にする歩き方は、ごく平凡で、生活のゆとりを感じる。弛緩された動作で
あるといってもいい。
 何かに危機を感じたり、攻撃をしたり、情緒をあらわす動きはすべて、右足と右手はいっ
しょに動く。ナンバの動作である。

 洋舞は、ナンバではないというが、表現の質で使いわけていて、感情を込めた動きはや
はり、皆、ナンバ足といっていい。

 志賀山流にナンバ足が多いというのも、舞踊の表現としては、当然そうなるべきであって
、近代の流れとともに、自由さとか解放とかが尊ばれ、ナンバ足をきらう傾向になったとい
える。

 すぐれた、クラシックバレエは、ナンバ足を見事に使っているし、モダンダンスでも同じこ
とがいえる時が多い。
 要するに、舞踊表現は、身体と心が不即不離の状態であって、心を表現する時には、
身体が緊張し、すでに、表現がナンバになっているわけである。

 剣や刀をもつた状腰、作業をする時、愛を表現する時、すべてが、ナンバの状態にある
のである。

 かぶきの、六方や丹前の伊達な歩き方も、身体の緊張した状態をいっているので、これ
はまさしくナンバ歩きであるし、走るという動作にしても、表現はナンバの方がカが出ている
ようにみえるのである。

 徒競走では舞台に、その表現は残らない.

腰を入れる

 腰は運動の基本である。舞蹄でも腰は最大のポイントである。

 「腰骨入れる」ということは、洋舞でも邦舞でもやかましくいわれる。日本舞踊で、「腰を落
とす」 という口葉を使うが、これは、見た目からの判断で、舞踊としては、「腰を入れる」と
いう言葉の方がいいと思う。

 腰を入れるということは、舞踊の基本的な姿勢を作るということにもつながってくる。

 能の舞の美しさの原点は構えであり、この腰を入れる修業は厳しい。バレエでも同じこと
がいえる。

 腰を入れるには、二つの作業があると思う。一つは、身体を足から上に引き上げる空間造
りである。
 身体を引き上げる空間造りは、洋舞、邦舞、全く同じといっていい。つまり、「腎部の筋肉
を上げる」とか「肛門を締める」とかいった表現で訓練される。この辺は、筋電図を使って証
明する必要があろう(その必要はないと思います。それを感じられれば:春風堂)。

 身体を安定させる空間造りは、呼吸法とも深いつながりがあると思われるが、下腹部への
カの入れ方である。
 日本舞踊では、下腹部でも下の方の丹田にカを入れるが、洋舞では、下腹部の上の方の
横隔膜にカを入れる。

 能の構えの厳しさというものは、この下からの空間と上からの空間の接点のさぐり具合に
あるよう思われる。

 能の伝承芸能としての、かぶき(日本舞踏)は、その点、甘い面があるが、構えを造る空間
を吹き抜けて、振の展開を重要視したからに他ならない。

 振の展開を重要視することも多いが、構えの厳しさというものに目を向ける必要があると思
われる。

 ″舞踏″の面白さの一つに、構え造りがあると思われる。

 日本人は、上体に比べて、足腰が強いといわれるが、それは、農耕民族特有の粘り強さの
足腰であろう。遊牧民族の足腰は、また違った力強さを持っている。

 舞踊を作る時、自身の身体的特長を充分把握してとりかかる必要がある。
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by cute-qp | 2009-02-17 00:00 | 温故知新