意拳論 抄 (2)

 昨夜に引き続きお送り致します。

九、不動の動

 不動の動は、外形が動いていないほど、その内部では速く動く。外部の動きが大
きければ、内部の動きは遅くなる。その原因はうまく動けないからであって、いわゆ
る動けるということは、動く、止まるのなかで掌握できることであり、動は即ち静、静
は即ち動の原則に基づいている。

 動きの下手な人は、初心のころはもっと動けない。不動の動こそ生き生きとした
動である。動けば真の動を破壊する。

 もし、巧みに動ける人であるなら、内部の動きはもっと速いのではなかろうか。こ
れはどういう見方をするかである。
 もしも仮借の動が可能ならば、頭、足、手、体、肩、肘、腕、寛骨、膝など、すべて
仮借、神動、意動、力動が可能であるが、形のうえでは現われない。

 そのようなカは最大といえる。

 形のうえから見るのではなく、これも動と静が互いに関わりを持っているということ
である。
 動と静について研究するならば、尽きるところがなく、これを応用しようとするなら
ば、複雑きわまりない。

十、斜正互参

 「斜正互参」とは、斜と正は互いにまざっているという意味だが、斜面は正面であ
り、正面も斜面である。支える面が異なれば、全身の関節のカに異なった影響を及
ぼすが、極力円滑に入れるようにする。
 ひとたび動けば横であり、横はつまり正面であるから、その作用はまた斜面に及
ぼす。しかし、作用するさいに人には見えず、ただ正面と斜面の位置がずれるだけ
である。

十一、多面の螺旋

 全身の各部位がわずかでも作動すれば、蝶旋のカが働く。

 この種のカが成り立つ原因は、ふつう作動するとき、全身の大小の関節が支える
力となって、すべての部位に正三角形をかたどる。このときに膨張する力と収赦す
るカが働く。

そのため全身に蝶旋状のカが働き、腿から下もそうした状態になる。

 この種の力は電気と同じで、人がこれにぶつかれば遠くまではじき跳ばされる。こ
の種の力を使うときは全身を必ず正三角形にする。

 そのあと突然方向を変換し、爆発するようにして、蝶旋状のカを発する。

十二、面積の虚実

 面積の虚実は「表面はなく、それぞれ体に角度がある」、固定的でないという言葉
で解釈するだけでは十分でない。

 要するに全身の筋肉を「盆の中の珠のように、永久に転がり、止まるところを知ら
ぬ」状態に保持させることをいっている。

十三、形曲力直

 「形曲力直」とは、形が曲がっていなければ、力は真っ直ぐではなくなる、つまりカ
を実っ直ぐに入れることはできない、ということである。

 形が曲がっていれば、前後左右にカが入る。カをどこに入れようと自由である。

 形が曲がっていないと体は形がくずれており、力の出る方向が自然と明らかにな
ってしまう。この種の力は使いどころがなく、ひいては使い道がないばかりか、人に
壊されてしまう。
 形が曲がっていれば、カに方向がなく、四方にすべて用いることができる。石を措
くことにたとえるならば、ただ丸く措くだけでは面白くない。平らでなく、凹凸をつける
のがよい。

 総じて平面ではカがない。大きな作用を及ぼすことはできない。

 「起伏、昇降、進退、呑吐」。虚実の大意を表現する。カが真っ直ぐであることは
形容しがたい。カが実っ直ぐということは各方面にすべて力が向かうといえるし、カ
を真っ直ぐに出したとしても、そのなかには螺旋状の力も含まれているから、波状に
前進するともいえる。

 表面的には分かりにくいが、あるいは一筋の直線の力が旋回しているともいえる。
旋回と直線は矛盾の統一でもある。練功にさいしては具体的に分析しなければなら
ないが、力がなければうまくゆかない。

十四、神鬆意緊

 「神鬆意緊」の「神鬆」(精神的にゆるめる)は理解しやすいが、「意緊」(意を引き
締める)は鍛錬のなかで求め、身につけてゆかねばならない。
 具体的にいって、「神」と「意」の違いはどこにあるのか。「神」は第一の信号系統
である。
 例えば、驚くと「神」(心)が動く。「意」は第二の信号系統である。これも驚くと、
どうしようかと考える、神は本能の反応であり、意は即ち主観的能動性を含んでいる。

 「神鬆」とは、すなわち全身が緩み、体中緩まない部位はなく、筋肉、毛髪、気血
の運動は支障がない。
 「意緊」とは、意を導くことであり、さらに意が緊張してはじめて気血の運行をいっそ
う早くするのである。

十五、剛柔相済

 剛柔相い助ける。剛は硬いということではない。また柔は柔らかいということでは
ない。

 百煉の鋼は、指に巻けるほど柔らかく、そうであってこそ鋼であり、柔らかいのが
真の鋼である。百煉の鋼は骨の髄まで入る柔かい鋼であり、鍛えられて初めて真
の鋼となる。

 表面的に硬くてもぶつけて砕けるような鋼は真の鋼ではなく、ただ硬いというだけ
である。百煉の鋼は、いかなる挫折にもめげず、人をして捉えようのないものであ
る。

 これが剛柔相い助けるである。
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                     意拳創始者 王郷斎先生
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by cute-qp | 2009-02-04 00:00 | 温故知新