絵手本に見る愉しいバランス

 昨夜の"書"のイメージと"呼吸"・"バランス"とお隣のブログの基本練習を受け、また以前
ご紹介致しましたキャラクター"丸論"と"センタリング"的な意図も加味しながら、今日は「北
斎の絵手本」をご紹介致します。
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 「北斎の絵手本 1」  永田生慈 監修解説 岩崎美術社 1986年6月発行

 北斎と言えば、皆様ご存じの浮世絵画の大家ですが、絵を楽しむ人の為に、「絵描き歌」
や「文字」、「図形」、「幾何学的」なバランスやラインを用いた、超おちゃめで素晴らしい本
です。
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 残念ながら、現在、書店では購入できませんが、古書店ではまだリーズナブルな価格
で手に入れる事が出来ます。

 一応、北斎の経歴など↓

 北斎は、宝暦10年(1760年)、江戸本所に生まれ、安永8年(1779年)、勝川春朗の画
号をもって浮世絵画壇に登場、以降約15年間、役者似顔絵、肉筆美人画の名手・勝川春
章の元、役者絵や美人画、戯作の挿絵などに専念します。

 後に、勝川派から離脱した北斎は、寛政6年(1794年)、俵屋宗理と号し、自らの個性を
自由に表現、特に美人画では、憂いを含んだ宗理様式と称される画風を完成し、狂歌絵本
や摺物に佳作を遺しました。

 寛政10年(1798年)、宗理の号を門人に譲った北斎は、北斎辰政と号し、以降どの画派
にも属することなく、独立の画業を全うしました。
 享和年間(1801~1803年)から洋風画の制作を試みた北斎は、文化年間(1804~18
18年)に至ると、長編小説の読本挿絵に筆を揮い、馬琴作「椿説弓張月」など近世文学に欠
くことのできない作品を数多く手がけています。
 この時期の肉筆画は、北斎の生涯中、美人など最も多くの風俗画を描いている点でも注
目されます。

 読本挿絵と肉筆画の分野に傾注した北斎は文化7年(1810年)、画号を戴斗と改め、文化
11年(1814年)「北斎漫画」初編を版行しました。
 これを期に北斎は、集中的に様々な内容の絵手本を発表しました。絵手本への傾注は、
人気の高さから私淑者や門人が多数存在していたことを窺わせます。

 文政3年(1820年)正月の摺物に、北斎は北斎改為一と署名しています。天保4年(1833
年)まで続く為一号の年代には、生涯のうち最も錦絵に傾注しました。
 「富嶽三十六景」、「諸国瀧廻り」、「千絵の海」、「詩歌写真鏡」など北斎の代表作とされる
風景版画や花鳥画などは、その大半がこの年代に刊行されたものです。

 この時期の肉筆画は寡作といえますが、独特な花鳥画に加え、美人画のほぼ最後を飾る
優品ぞろいの年代といえます。

 北斎75歳の天保5年(1834年)、風景絵本の傑作「富嶽百景」初編を上梓します。この書
中に画狂老人卍と署し、百有十歳までの長寿と、それに伴う作画への情熱を跋文で表明し
ています。

 北斎はこれ以降、木版画界では絵本や絵手本を除き、錦絵の分野から急速に遠ざかり、
最晩年の精力を、動植物や宗教的題材、あるいは和漢の故事古典に基づく歴史画や物語
絵など、肉筆画の分野に注ぎました。
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by cute-qp | 2009-01-20 00:00 | 本・CD・映像のご紹介