沈黙の泉

b0159328_2110423.jpg

 本日は『沈黙の泉』をご紹介致します。これは、師と弟子との間にかわされる218の対
話からなり、「教えを諭すためではなく、自らを悟りをひらくように」と意図されたものだそう
です。
 
 CHAPTER 1―奇跡,成人,感受,不条理,透明,宗教,霊聖 他
 CHAPTER 2―アイデンティティー,差別,オートメーション,崇拝 他
 CHAPTER 3―あるがまま,表現,発見,受容性,回心,因果 他
 CHAPTER 4―釣り合い,分離,変化,認識,看波,自立,免疫 他
 CHAPTER 5―思想,啓示,善特,罪,癒し,教養,信念 他
 CHAPTER 6―世評,偶像崇拝,栽培,移りゆき,擬似体験,秘宝 他
 CHAPTER 7―弱点,反対,無限,迫害,表裏一体,超越,悟り 他

 参考にその一節を引用・ご紹介いたします↓

 発見

 「神を見いだす手助けをしてください。」
 「そればかりは、だれも手を貸してやることはできない。」
 「なぜですか?」
 「魚が海を見いだすのに、だれも手助けできない。それとまったく同じことだ。」

 動き

 弟子たちは何かにつけて、先生に知恵のことばを所望した。
 すると、師は言った。「知恵とは、ことばに表れてくるようなものではない。むしろ
 行為のうちにおのずと姿を現してくるものだ。」
 ところが弟子たちが真っ先に活動に走ろうとする様子を見て、師は大声で笑った。
 「そんなのを行為とは呼ばない。それはただの動きというものだ。」

 意識

 「救いが得られるのは行いによるのですか?それとも黙想をとおしてですか。」
 「どちらでもない。救いは見ることによってやってくるのだ。」
 「見るって、何をです。」
 「どうしても欲しいと思っていた金の首飾りが、現に自分の首にぶらさがっている
 こと」また、恐れていた蛇が、実は地面に落ちているロープにすぎないことを見る
 のだ。

 無知

 ある若い弟子には並はずれた学問の才があった。それで全国から学生たちが助
 言を求めてやってきては、その学識に驚嘆した。
 あるとき、助言を探していた知事が師のところへやってきて、こう言った。
 「どうか本当のことを教えてください。あの若者は、世間で言われているほど学識
 があるのでしょうか?」
 「実のところを言うと」師は皮肉をこめて言った。
 「彼はまことによく本を読む。いったい物事を識る暇をどうやって見つけるのか、わ
 たしにもわからないほどだ。」

 散漫

 弟子たちの間に、激しい議論がもちあがった。次の3つのうち最も難しい仕事はど
 れか、という議論であった。
 すなわち、聖典として神が啓示されたことを書きとめること。
 次に聖典のうちに神が啓示されたことを理解すること。
 第3に、聖典を理解した後、ほかの人々にそれを説明することであった。
 師はそれについて見解を求められると、次のように答えた。
 「この3つの仕事よりもっと難しいのを私は知っている。」
 「何ですかそれは?」
 「おまえたちのようなマヌケどもに、現実をありのままに見させようとすることだ。」

 ↑などなど...最初、読んだ時、一種、シニカルな小咄に思えました(笑)。そして、キリ
スト教系の出版物としては大変珍しく、面白い本だと思います。

 著者紹介
 アントニー・デ・メロ(Anthony de Mello)
 1931年 ボンベイに生まれ。
 1947年 イエズス会に入会。
 1961年 司祭に叙階。
        スペインで哲学、アメリカで心理学を学び、インドに帰って東洋と西洋の
        霊性の統合、心理学とイグナチオ的霊性の統合を試み、プーナ市で
        司牧カウンセリング研究所「SADHANA(サダーナ)」を主宰。
        神父はこの研究所で祈りのセミナーを開催したり、インド国内ばかりでな
        く、各国に招かれ黙想指導、祈りのセミナーなどを中心に活動。
 1987年 ニューヨークで客死。

 主な邦訳著書:

 『心の泉』
 『蛙の祈り』 他
[PR]
by cute-qp | 2009-01-24 00:00 | 本・CD・映像のご紹介