"バランス感覚"としての"ニ点圧迫"

 先日、東洋医学についてご紹介致しましたので、今日は、増永静人先生著「スジと
ツボの健康法」より引用・掲載させて頂き、「バランス感覚としてのニ点圧迫」について
ご紹介致します。少々、長いですが、お付き合い下さい↓。

ニ点圧迫

 いま誰かに前腕を出してもらって、この実験を始めてください。着衣のままでもよいの
ですが、素肌の方がはっきりするでしょう。なるべく腕にカを入れないで、またこれから
やる実験を見つめないように頼みます。皮膚感覚の実験ですから、視覚が邪魔しない方
がやりよいからです。

 あなたは両手でこの腕を軽く支えるように握り、両拇指を同じ筋肉に沿って五センチ以
上の間隔に並べます(図1)。両拇指頭で少し強く押してみて下さい。あなたが指圧と思
う押さえ方でよいのです。このとき押された柏手に明らかに判別性感覚の圧覚を働かせ
るため、痛くしないように気をつけて下さい。痛覚は原始感覚に属すると言われているか
らです。
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 こうすれば相手ははっきりと二点の圧迫を感じるはずです。前腕で四十ミリというのが
二点弁別の閾値ですから、これ以上離れた二点は二点と弁別できるのが当然でしょう。
そこであなたは拇指のカをゆるめるのでなく、今まで指先にカを入れるという意識で押さ
えていたのを、腰の方に気を集めて、全身一様に静止した感じ、筋トーヌス状態にかえて
みて下さい。筋トーヌスというのは、無意識的に静止したり、機械的な動作をくり返すとき
の状態です。たとえば、鞄を手にもっているとすると、鞄をもち上げるときのような意識的
なカでなく、ただ持っている、持っていることさえ忘れても決して落とさないという筋肉の働
きのあることはよく知っておられるでしょう(図H)。立っているときでも、足にカを入れて地
面を押しているのでなく、ただ自分を支えてじっとしているだけのとき、無意識的に筋トー
ヌス状態になっているのです。
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 指先でなく、体全体の筋トーヌスで前腕を握っている感じになったとき、相手にはこの拇
指の二点がいつの間にか、一点というか、同じ面の圧迫というか、二点弁別と明らかに異
なった感覚が生まれてくるはずです。これは時間がたって感覚がにぶくなったのではあり
ませんから、改めて指先にカを入れてごらんなさい。明らかにもとの二点弁別が働いて、
二点圧迫の感じが出てくるはずです。もう一度全身の筋トーヌスに変えれば、また二点が
失われて線状または面のヒビキに変わってくるでしょう。そのうちにこのヒビキは拇指の二
点の範囲をこえて上下に広がっていくように感じるはずです(図K)。
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 この実験は、スジとツボを生かす健康法の基礎になるのですから、是非成功させないと
いけません。失敗の原因に、相手の意識が余り前腕に集中しすぎていることもありますか
ら、他の腕や下肢にしてもよいし、他の人にかわってもらってもよろしい。そしてなるべくぼ
んやり感じるという態勢をとってもらって下さい。しかし失敗の大半は押さえる側にあります。
それもこれまでに指圧をやったことがあるという人ほどこの傾向が強くなります。指圧は指
で押すものという考えが頭にあるからです。両手で剣をもつときでも、素人は指先にカが入
るので、ちょっと叩かれると剣を落としてしまいます。手は軽く肘に力を入れるようにすると
よいので、剣を振るときは腰で切れともいわれています。そうすれば手先でなく全身にカが
入るからです。

腰の働き

 二点圧迫も全く同じ要領で、腰を中心に全身にカが入ったとき、相手は体の芯にヒピクよ
うな一体感をおぼえるのです。これまでの指圧は、両拇指を重ねて一点を押す方法が流行
しているので、この一体感が生まれにくく、また指先にカが入って、本当にツボが生かされ
ていませんでした。ツボにはまった押し方か、ただ力まかせの指圧かを見分けるには、この
二点圧迫をやらせれば明らかですから、指圧の心得があると思っている人は是非やってみ
て下さい。今まであまり指圧の効果のあがらなかった原因がはっきりします。本当にツポに
はまった押し方をしていなかったからです。

 私も最近までこんな便利な方法があることに気づきませんでした。私はもともと両手陰陽
操法の指圧を提唱し、両手を陰陽に分け、補波による漢方的指圧教えてはきましたが、これ
までの指圧の差を簡単に示せる方法にまで思い到りませんでした。経路指圧の講習をして、
その流れを講習生に教えているとき遇然発見したことなのです。それは心理学の二点弁別
の実験とまったく逆の形になっていますが、それが無意識のヒントになっていたのかもしれ
ません。

 腰にカを入れ、全身に均等なトーヌス状態を作るとき、その動作自然になります。日本の
あらゆる芸能、作法もすべてこの原理を採用しています。肩や手足、足先にカの入った動
作はギコチナク、固くるしいものです。芸の習練はこのような偏ったカを抜くことを点に行な
われています。そして動作が流れるように自然になったとき、そこに美しさが感じられるの
です。スポーツでも同じことが言われています。相撲は手先で押して駄目で腰で押すのだ
といいます。野球でも、うまく投げよう打ってやろうと意識すると手にカが入って腰がまわら
なくなり体がちぢまってしまうから、無欲でのびのびやらないといけないと聞いています。
指圧も健康法も同じことで、小手先の技巧では生命の流れるスジとツボを生かすカは生ま
れてこないのです。

生命共感

 二点圧迫が一体になって感じられるような押さえ万ができるようになったら、こんどはタテ
の線を少しずらせて、筋肉のスジが合わない二点にして圧迫してみて下さい。こんどはスグ
には一体感が生まれてこないはずです。これは圧し方が異なったためでなく、圧したツボが
、同じスジに属していないためにおこる現象です。しかしそのまましばらく同じ圧し方をつづ
けていれば、先と同じような一体感がでてきます。さらに練習を積めば、柏手の感覚が判別
性感覚(二点弁別)から原始感覚(一体感)に変化する瞬間も自分にわかるようになります。
そして自分の両拇指そのものが、二つでありながら一つになっているという感覚が生じてき
ます。一つといっても重なるというのでなく、両拇指の間にヒビキというか流れのようなものが
感じられて、別々でないという感じです。そしてその流れは両拇指から自分の申の流れにな
って、相手の体を通って一つのサークルになってきます。そうすると自分の両拇指を接点と
して、相手との間に同じサークルに包まれている一体感が生まれてくるのです。相手が二点
を一点に感じるようになるとき、自分はその二点を介して相手と一体になるというこの不思議
な感覚を、私は生命共感と呼んでいるのです。

 いのちは一つになることで維持されているとお話ししましたが、一つとはいろんな形で一体
になることです。一つの生命体は、部分がバラバラでなく全体として一つであることです。ま
た生命体は環境と切り離されることなぐ、互いに交流して一つになっていないといけません。
さらに生命体は分裂することでふえていくのですが、この分裂は同じ一つの形になることで
半分になるのではありません。また生命体は進化するにつれて、同じ一種に属しながら少し
異なったところが出てきます。その最も対照的なのは雌雄です。ところが雌雄に分かれたと
いうことは実は、再び雌雄一つになることで新しい生命を生むというためにあるのです。

 生命とは何かという疑問は古代からいろいろな学問が考えてきましたが、「それは生命を
対象として研究することです。生命が何かを感じるのはこの一体感にほかなりません。一つ
になったと感じたとき、そこにいのちがあるのです。いのちが本当に健全であれば、私たちは
からだを一つとして感じています。ところが具合が悪くなると、胃が、頭が、手や足が、自分と
離れて意識されてきます。「腹も身の内」と心得て大事にしていればよいのですが、口ばかり
可愛がって腹のことを忘れていますと、オレも仲間だぞと暴れるので、「アッ、胃がイタッ(居た)」と気づきます。そして自分の心得ちがいを忘れて「胃が悪い」と責任を胃になすりつけます。痛みを忘れようと薬でゴマかしたり押えつけていると、ついには胃に穴があいて、「いっそ
切り取ってしまえ」と、自分から分離される結果になるのです。

 手や足を切り離したいぐらいダルイという訴えもよく聞きますが、切り離したら自分の手足
ではなくなるのです。「わがものと思えば軽し傘の雪」という句がありますが、いつも着ている
服や持っている鞄は自分と一つなので、ものという意識は少なくなります。夫婦や家族も一つ
であれば、生き生きした生活があります。一体感が失われてくると相手の欠点というより自分
との違いが意識されて、スキ間が出てきます。恋人同士があのように求めあって一つになろう
とするときは、いのちが燃えているのですが、さて本当に一体感が得られるかどうか、これは
なかなか難しいことです。しかしいのちを感じるとは、一つになろうとすることであり、一つに感
じるとき、そこにいのちがあるということは事実です。

 一つであるとは無意識的な感じですから言葉ではないのですが、これを説明して一般に理
解しやすいよう「生命共感」と名づけます。

 ↑以上、引用終わり。こんな感じでしょうか?↓

握手の感覚
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by cute-qp | 2009-01-16 00:00 | 温故知新