"集中力"と"波紋"

 桜井章一氏著より「集中力と波紋」についての部分を引用・紹介させて頂きます↓

 その流れの中で、「ここが勝負のポイントだ」というときが必ずある。そのポイントで
集中力を発揮で計るかどうかが、勝敗に直結する。

 まあ、そんなことは、今さら私が言うまでもなく、勝負事の周辺では、昔から誰でも
言っていることだ。
 ところが、「集中力をつけたい」とみんな言うわりには、なかなか集中力を身につけ
られないようだ。

 「私の会社では、社員に集中力をつけさせようと思って、セミナーを実施しているん
ですが、一向に成果が出ないんです。どうも集中力というのは、『ある人間』と『ない
人間』が最初から決まっていて、訓練して身につくものではないような気がしてきま
した」ある会社の経営者が私にそうこぼしていた。

 そこで、私はこう答えた。

 「そもそも、集中力というものを勘違いしているのですよ。『よし、集中するぞ』と言
うとき、みんな眉間にシワを寄せて一点を凝視するようにするでしょう。それじゃあ、
いつまでたっても集中力なんて身につきません」集中というのは、じっと一点を見つ
めることではない。

 集中とは、全体の真ん中に自分の身(あるいは目)を置いて、全体を見通せるよう
にすることだ。

 麻雀は、相手が3人いて、目の前で牌がどんどん流れていく。ひとりの相手、ひと
つの瞬間、ひとつの牌だけをじっと見つめていたら勝負にならない。常に複数のこと
を視野に入れておかなければ勝てないものだ。

 ひとりの相手やひとつの瞬間やひとつの牌にとらわれてしまうような人は、決して
強くなれない。同時に起きているいくつもの事柄に対処していく能力が問われるのが
麻雀なのだ。

 実は麻雀以外のこと、世の中のあらゆることもそれと同じだ。

 ひとつのことにとらわれてそこだけをじっと見つめていたら、決して強くはなれな
い。

 いくら本人が「俺は今、これに集中しているんだ」と言って、そこだけを凝視して
いても、その人を取り巻く世の中では、いくつものことが同時に起きている。
 それなのに「俺は集中している」と言って、たったひとつのことしか見ていない
(あるいは、やっていない)のは、本当の集中ではない。

 それは単に視野が狭いだけなのだ。

 もっと簡単に説明しよう。

 テーブルの上にリンゴとミカンと柿を並べておいて、そのうちのリンゴだけを凝視
していると、ミカンと柿は視界に入らなくなる。
 そうではなくて、その全体の真ん中に目を置いて、目を少し細めるような感じで全
体を見ると、全体が見えてくるようになるはずだ。

 実は、これが集中なのだ。ひとつつけ加えるならば、私の「集中」のイメージは、
「波紋」である。

 池に小石を投げ入れると、石を中心にして波紋ができる。その中心に自分の身
(目)を置いて全体を見通し、それが無限に広がる感覚。

 それが「集中」である。

 一点凝視が集中だと思っている人は、集中しようという意識が強ければ強いほど
、肩にカが入り、やがて心身ともに硬くなってしまう。
 視野が狭いうえに硬くなっていたら、強くなれないどころか、できることさえできな
くなってしまう。

 頭にも体にも柔軟性がないからである。

 特に、「ここが勝負どころ」というときは、誰でも緊張するものだ。そこで「緊張しな
いようにしよう」と思うと、人間はますます硬くなってしまう。

 緊張感自体は悪いことではない。勝負どころで何より大切なのは、緊張を突きつ
めた緊迫感なのだ。

 そのとき、まばたきもせずに目を見開いて集中しようとするのではなく、むしろ薄
目を開けるような気持ちでいれば、波紋の中心から全体を見通すことができるはず
だ。

 一点を凝視して肩にカを入れたような「片寄った集中」には持続カはない。

 「集中力を持続させるにはどうすればいいか」という話にしても、そもそも間違った
集中をしていたら持続などできないのである。

 波紋の中心から全体を見渡すことが集中だという意味がわかれば、おのずと集中
力は持続できるのだ。

 ↑以上、引用終わり。ちょっと「集中力」のイメージが変わる?かもしれません。
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by cute-qp | 2009-01-10 00:00 | 温故知新