『最初の太陽の光』 ~ 年始のご挨拶にかえて~

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 明けましておめでとうございます。
 旧年中は当ブログをご愛顧頂き誠にありがとうございました。
 本年もどうか宜しくお願い致します。


 お陰様で、今年も無事に「元旦」を迎えさせて頂きました。
 これも一重に皆様のお陰でございます。
 心より御礼申し上げます。


 ちなみに、元旦の「旦」の字の下線は地平線を表わしているそうで、この字の表わす
ところは、「地平線から昇りつつある太陽」...そして、人々は太陽の日の出を「惠の源」
として拝みました。

 従いまして、本来の「元旦」の意味は「元日の『最初の太陽の光』」となります。

 さて、この「新しい年」...そして、春風堂にとっても重要な時期の「前半」に当たり、そ
の「指針」を見据える上で、この年末年始は「骨盤時計」の復習や「ミルトン・エリクソン」
、「野口晴哉」の著作を読み返しております。

 そこで今日は「大弦小弦」からの一節を引用させて頂き、「一年の計(は元旦にあり)」
とさせて頂こうと思います↓。

 鷺谷道場は十六歳の自分には負担だった。

 松井さん、広木さん、石井さん、有馬さん等が、桑嶋老人や板垣氏をけしかけ
て、やっと開館への運びとなったが、自分の懐中には二円三十六銭しかない。

 「これでは無理ですな」と初めての日に桑嶋老人は言った。

 そう言われたら急に気力が湧いて、「ここまで来たらやるだけ、念ずれば現ず」
と私は言った。

 自分の心以外に全く頼るものはない。その心を不安のままにして、どうして満足
なことができる。何より自分の心を明るい方向にむけ、健康を開拓する歩みへ導
かねばならぬ、天行が健ならば、ここに至ったことはこの後の歩みを決めるもの
、ただ自分の心を拓いてゆけばよいんだ、と自分は思った。

 それが「念ずれば現ず」という言葉になったのだと思うが、桑嶋老人は黙ってし
まった。しかしその時、私の目が輝いたそうだ。その輝きを見て、「これはやれる
と思った」と後年、他の人に語っていた。

 自然健康保持会というのは私がつけた。桑鴫老人は自然健康増進会とすべし
と言った。私は自然の健康は促進また増進されるものに非ず、人が自然に動け
ば自ずと至る。
 考えて創ったり、或る方法で獲得すべきものではない。それ故、保持会がよい
として自然健康保持会と決まり、自然活元運動という名称もその時決まった。

 自分で自分を健康に導くには如何にしたらよいか、その為の方法を霊掌医法
という説も出たが、「医法に非ず、心の体育也」と言って野口法とした。

 話がまとまって印刷物をつくろうとしたが金が無い。「困りましたね」と板垣氏
や桑嶋老人が言ったが、「念ずれば現ず」と再びくり返した。翌日実現した。
 活元運動実習者の中に、印刷屋さんがいて寄付してくれた。看板も坐布団
も操法用の布団も、額も、下駄箱も皆で持ち寄ってくれた。

 いよいよ道場らしくなった。会員の大工さんが「この壁を抜いてしまいましょう」
と言って二カ所抜いて、二十六畳の室ができ上がった。床の腐っていた倉も、
床がついて更衣室になった。倉の前の板の間には蓄音器をおいて、階下全部
を道場にした。これでどんな自然活元運動でもやれるぞと思った。

 (中略)

 それから一週間して木村政次郎さんが見えた。「こう繁昌しているのでは金
はあるまい」といきなり言われた。ピックリして「その通り」というと、「技術のある
ところには自然に集まる。決して貯めるな、キレイに使っておれば腕は上がる、
金が貯まれば腕は落ちる」と言った。
 その如しと、私は以来、金は貯めるものに非ず、使うものなりと考え、実行し
て、三十六年たった今でも金が無いのは、木村さんのせいである。

 金より腕、どんな良いことがあったとしても、技術が落ちるならそのことに近づ
くまいと思った。

 ↑以上、引用終わり。

 同時に「朴歯の下駄」も読み返している途中でございますが、今年も一年しっか
り、自分を見据えて頑張ろうと思います。
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by cute-qp | 2009-01-01 00:00 | お知らせ