平田内蔵吉先生に学ぶ (1)

 今日は平田内蔵吉先生の著作より、そのお考えを学ばせて頂ます。以下はその
引用です↓。

静座法の医学的点検

 ・・・それは静坐(岡田式静座法)において、両足の裏を深く重ねることの生理的
に有害であることの発見である。

 私の処に来る多数の患者の内に、静坐を長く行われた方に屡々接したので、
特に注意して腎臓の強弱を調査したのであるが、尽く多少の腎臓障害を認めた。
 …次に静坐をしていた人々は、腹が前には充分出ているが、腹を充分引きこめ
る力が足らないことにも気がついた。

 これらは、静坐によって上から下への横隔膜の圧迫によって、気管支、食道、
心臓、腎臓、その他の上から下への伸展弾力は増すが、下から上への挙上弾力
が障害される。

 故に胃腸には大変宜しいが、気管支、腎臓には悪いことがあることを注意すべ
きである。

 現に永らく静坐をつづけ、実に立派な腹をしておられるS氏は激しい喘息にかか
られ、静坐によって癒そうとする努力によって益々悪化するので、私自身も色々
と研究した結果、この点に注意し、腹を凹ませる練習をし始めてから漸次症状は
好転して来た。

 腹式呼吸の主唱者、二木謙三博士はさすがに医者だけあって、よくこの腹を凹
ます点に注意しておられ、還暦を越して益々壮健である。
 また息心調和法の藤田霊斎氏もまた、腹を凹ます点に注意されているが、老い
て益々元気である。
 川合式強健術の肥田春充氏もまた同様で、特に氏は一切の名聞利達を顧ず、
悠々として伊豆八幡野の山奥に隠れていられるが、その生気澱刺たるものがある
という。

 私は岡田先生の静坐は、形式上、以上の二点に欠点があり、生活上は過労に
陥ったという欠点と相まって(特にその欠点が腎臓に影響が強いという点によって
)、岡田先生の犬死が顕れたと判断する。
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                       岡田虎二郎先生

(春風堂:実際、K野先生のアシストしている時、一生懸命やっておられるにも関わら
ず「腎虚証」になってしまわれたケースに数回遭遇致しましたが、平田先生のご考察
そのままでした。)

人体の正中心

 人体の全体的中心は、前では臍と恥骨との等分点であり、後では、第一二胸椎と
仙骨末端との等分点である。(第四-五腰椎間)。横では腸骨側面の中心である。

 この三中心の中心は下腹の内部中心になって、そこから手足の末端までは正常
なる人では等距離である。

 そこには、迷走神経と骨盤神経と、交感神経の最も複雑な交錯がある。また腹部
毛細血管も、この部に最も緻密に分布している。
 外には動物性神経が最も強く発達しているところで、内外共に臍下丹田から、腰
にかけての部位が全身神経及び血管の末梢の中心になっている。
 ちょっと考えると神経の中心は脳髄であり、血管の中心は心臓であるように考え
るであろう。

 しかし、それは人間だけを見て、自然を観ないことから起る間違いである。

 人間と自然との連絡部こそ真の中心である。人間はその中心に於て自然とかか
わっているのである。

 その意味に於て、自然と連続して考え、自然と連続して感じ、自然と連続して行動
するためには、臍下丹田を徹底的に鍛練しなければならない。
 臍下丹田の鍛練というのは、しかし、只腹を固くすることではない。腹を固くすれば
かえって腹は弱ってくる。
 本当の丹田鍛練法は、先づ、全身の経状線(編者註-経絡のこと)、帯状線(帯
状反応部位の境界線)を綜合的に統制して、臍下丹田に於て全身の平衡を採るよ
うに鍛練することと、次に屈線の運動時は腹部に、伸線の運動の時には腰に、うん
と気合の篭る練習をすることである。
 また第三には、臍下丹田と腰には力を入れれば鉄よりも固く、カを抜けば綿よりも
軟くすることが必要である。
 第四に、腰に力の入ったときは、足首、膝、肋骨下線、首、肩、肘、手首がしっか
りと伸びること、腹に力が入るときは、肩、首、鳩尾の力はすっかり抜け、腰、膝、
足首だけはしっかり固定していることの練習が必要である。
 第五に、両方の場合を通じて、眼は、ぱっと見開いて空間を見て、一カ所に視点
を定めないで、しかも眼を動かさぬ練習が必要である。
 またこの際、唇はしっかり結んでいる。以上の練習が出来れば、吾々の心身の
中心はしっかりと定まる。

 この中心の定まっていない人は、心も身体もたえずぐらぐらしていて、心身共に、
病むに到る。心と身体とを綜合発展せしめる中心は、実に臍下丹田である。

 吾々は真の新陳代謝をもこの臍下丹田に於てなすことが出来る。血液の新陳代
謝は肺でもなされるけれども、腹部の全静脈毛細管が、横隔膜の圧下によって完
全に心臓に静脈血を還流して、始めて肺における呼吸作用も意味を生じてくるの
である。

 吾々は自然と吾々人間とを連ねる中心としての丹田を体験しなければならない。
気力ここに湧き、精力此処に興り、真気此処に従い、精気ここよりほとばしるので
ある。また部分的にもわれわれは中心を認め得る。

中心運動法

 中心運動法の中心目的は、勿論心身の中心を得る事にあるが、それ自身として
八つの間接目的を有する。

 それは一、関節の自由、二、動作の敏活、三、気合の充実、四、姿勢の整正、
五、内臓の強健、六、精神の統三、全体の均衡、八、感覚の覚醒、である。
 これらの目的を達するために、中心運動法は、人体に於ける一二の反応線
(管理人:敢えて、解説を加えませんので、興味のある方はどうかご自身でお調
べ下さい)の、一つ一つを鍛練し、全部で一二の運動形式よりなる。
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 その形式は、今迄のあらゆる運動法を弁証法的に整正したものである。

 ・・・これに要する時間は五分。器械は不用。場所は毎時 間は食前食後一時間
を除けば何時でも宜しい。
 回数は一日一回男女共通である。しかし効果は如何なる運動法にも優ることを断
言し得るのである。
 現代の西洋式の体操や、強健術や運動法の根本的欠陥を一言で言えば弁証的
で無いことである。
 一方に偏するか、或いは時間、場所、その他の制限がある。この中心運動法は、
武術の要義に合し、生理、解剖の原則に背かず、心身一如の活動を鍛練する上に
おいて絶好無比の方法である。

 而して吾々は疾病の回復に止らずして、更に積極的鍛練に進むことが出来
るのである。

 平常は、腰に力を入れる時間と腹にカを入れる時間をなるべく平等に行くよ
うに注意し、且時々気合を入れる練習と眼をもって空間を射通す練習をすれ
ば宜しい。
 全て身体を伸ばした時には身体の平均が力学的に得られるように、身体を
屈した時は、気合が腰にこもるように練習鍛練すれば良いのである。
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by cute-qp | 2008-12-22 00:00 | 温故知新