日本人の身体技法 (3)

 今日は、「日本人の身体技法」の最終回。引き続き、矢田部英正氏 著「たたずまいの
美学」より引用・掲載させて頂きます↓。

腰の姿勢保持機能

 こうした兵法の構えにおける足腰意識は、武蔵においては「兵法の目付け」に
までも重要な役割をはたしていることが説かれている。

 すなわち武蔵は敵の太刀の動き見極めるに際して、肉眼で見る「見の目」と
にて見る「観の目」とを区別し、この「観見」の技法については、「精神腹に治めて
強くなる気を発して観るもの也
」と説く。この記述からは、逸話として伝えられる
心眼」というものが、腹部一帯中心とした感覚操作によって、修錬するもので
あることを推察することができる。

 兵法における専門的な技法は、われわれの日常にとっては直接縁のあるもの
ではないかも知れないが、しかしその「構え」や技法の基礎的な部分にかんして
は、われわれが日常的に体験するであろう「腰入れ」の技法からまったく逸脱し
ていない。それどころか「締め方」や「下腿への力感」、「ぬき方
などは、和装の様式が本来要求していた身体技法を、武術の専門性において
研ぎ澄ましていったもののようにさえ思われるのである。

 武蔵は兵法の目付けに「おいて観見」を説き、世阿弥が自らの後ろ姿を「離見
によって観知したのだが、およそそれらの知覚は可視的な認識によらず、一定の
熟練した集中のなかに身を投じたときにはじめて訪れる、眼に見えない「気配」や
印象」の身体的認識なのである。

 それと同様、服飾様式においても、日本人は眼に見える肉体の造形表現よりも
むしろ、印象世界として形成される「しぐさ」や「」の美感にこそ重きを置いていた。
そこでは脚の細さやウエストの細さ、乳房の大きさなどは服飾表現上まったく重要
な問題ではなく、人間の姿勢動作のなかから無言の表出される内面印象
世界にこそ、和装における美感の真骨頂があったと言える。

 「締め方」は着付けの問題であり、「ぬき方」は体衣の成型手法
密接に関連した問題であり、また「からへのの入れ方」は、「はきもの」と
歩行様式の問題である。これら和装における一連の様式性は、詰まるところ「
入れ
」の技法へと収赦されてゆく。この骨盤中心とした体と体の拮抗関係
こそが、日本人の身体技法を根底のところで支えていた文字通りの「要」であると
、結論を下すのははたして軽率であろうか。

 「腰を入れる」という言葉は現代のわれわれの日常においてもしばしば使用され
、「力強い」「本気である」「ねばり強い」「集中力を出す」といった、身体精神
積極的な状態に用いられている。これに対して「腰が抜ける」という言葉は、およそ
消極的な意味しか連想させない。しかしながら、この「腰を入れる」という表現が、
そもそもどのような技法に基づいて構成されているのか、ということは必ずしも明確
ではなかったし、学術的にはほとんど手着かずの状態であった。

 「腰入れ」の技法は、「禅」や「武術」に限らず「書」や「茶の湯」、日常の「食作法」
や「生産労働」における身体技法にも共通に見られるものであり、この技法を支え
装身具として 「」は、和服の着装様式における「」としての役割をはたしてい
た。「腰を入れる」という骨盤操作の技術は、日本の服飾様式、生活上の作法、武芸
の型など、近代以前の日本文化に普遍的に共有される技術であり、日本人の身体
技法に一連の体系的秩序を形づくる中心要因として位置付いていたものであると
考える。
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by cute-qp | 2008-12-19 00:00