"意味"や"原因"を"どこに"観る?

 昨夜の先ずは自分自身を感じることから...と関連し、少しお話申し上げます。

 唐突ですが...例えば、私達は物事を伝える「手段」や「道具」、「情報」として「言葉」を持
っています。

 そして、「言葉」には「辞典」や「辞書」にある様に、それが「通用する」為の「"ある"定義
付け」や「ある"約束"」があります。

 ところが、同じ「言葉」を用いても、その「定義」や「約束」の捉え方が異なれば、全く話
が噛み合いません。

 その酷い例が、「メール」で、会って話せば「分かる」・「推し量れる」内容が、単純な
「文字の羅列」になり、話が噛み合わないだけでなく、時折、もめ事の種にもなりかねま
せん。

 ところが、これが「手紙」になりますと、問題件数が減ります。

 同じ「間接的通信」にも関わらず、「どこが異なっているのか?」と申しますと、「手紙」
が送られて来る「状況」や「時間」、手紙にする「行程」、「筆跡」など、送り手が「心情」を
込められる「作業」や「過程」があり、その「心情」や「背景」を受け手である私達が「推し
量る」からだと私は感じています。

 それが「メール」では「無機質」なお互いの「一方通行」なのです。

 従いまして、「文字」の"意味"を私達がどこに感じているか?観ているか?と言うと、
「辞書」に書いている様な「定義」ではなく、その「文字」が使われる「状況」や「背景」、
「コミュニケーション」の中に観ていると言えるのではないか?と思っています。

 そこを見詰めて「初めて」、自分の中に「推し量れる」ものや「映ってくる」ものがある訳
で、単なる「文字面」の「データ」や物質的に見た「心や身体」、「過去」だけで何かを判断
したとしても、往々にして「群盲象を撫でる」になりかねません。

 例えば、「臨床検査」と言うものがあります。これを行う事は勿論、無駄ではなく、大切な
事だと思いますが、それは私達の「ある"日"のある"瞬間"」の情報で、検査結果を聞く時
の私達ではなく、何より大切なのは、それを参考にしつつ「今の私」を観て頂く事と思いま
す。

 ちなみに、身近で良く聞く話としては、「検査前だけ節制する」(笑)と言うのもあるそうな
ので、それでは意味ある「検査」も「無意味」になってしまいますね。

 従いまして、そこを見詰める「方向性」が「解決志向アプローチ」、その「能力」が「イメー
ジ力」
で、だと春風堂は考えています。

(おまけ) 「群盲象を撫でる」(「この世はすべて催眠術」より)

 こう聞くと「ゾウ」という「客観的に正しい世界」がどこかにあるような印象をうけるが、
これは間違いなのである。じつは、「客観的に正しい世界」なんて、どこにもないのである。

 もし、それが確かに存在するならわたしたちは、「ゾウという正しい全体」を、それぞれの
立場でまさぐって

 「ゾウはヒモのようなものだ」
 「ゾウは太い柱のようなものだ」
 「ゾウはザラザラしたカベのようなものだ」

 など、各人のデータを持ち寄り、それを総合することによって、「ゾウという正しい姿」に
到達できるハズである。

 だが、わたしたちは、世界を、無意識の働きによって、「じぶんの解釈したいように解釈」
してしまう。

 そのように「無意識によって選びとられたもの」が、その人にとって(全世界)なのである。
 だから「世界は人の数だけ無数にある」。

 それ以外に「客観的な正しい世界」というものが、人間の手にふれないようにサランラ
ップか何かにくるまれて、神様の大金庫にこっそり蔵われているということは、ナイ。

 そんなものは、どこにもない。ただ"解釈"だけがあるのだ。

 どう解釈するかによって、人はいいヒトにも、わるいヒトにも怒る。あの娘は美人にも
ブスにもなる。

 さて、このように、出来事を解釈し、その人なりの「世界」をつくっていくのは無意識の
役割りである。

 「晴れたね」・「腫れたね」・「バレたね」・「揆ねたね」

 たくさんあるイミのなかから「これでいこう!」と、たった1つのイミを選び出してくるのは
無意識のはたらきによっている。

 このことは少し考えてみると、すぐわかることだ。あなたは「ハレたね」のイミを読みとる
場合、どんな手順でそうするだろうか。

 あらかじめ考えうるかぎり多くの「ハレたね」のイミをリストアップし、それを1つ1つ、じっ
くり比較検討したうえで、「うん、やっぱり、ハゲたね、にしよう」といって決めるだろうか。

 そして、「これは、どうも私を侮辱しているようだ」と感じ、ケシカラン、では……と、おもむ
ろに″怒る″ことにするだろうか。

 だれも、そんなややこしい手順をふんだりはしない。1つのイミだけが、直観的に与え
られるのである。そのイミを選びとったのは無意識なのである。無意識のなかにある「コ
トバの素」(文法)の作用によって、意味を選びとっているのである。

 無意識の働き方、情報処理のしかたは人によってちがう。だから、「人がもっている世
界も、人それぞれちがう」ことになってくるのだ。

 その違いを無視して、いくら恋をささやき、セールス活動を展開しても、、イスカのくちば
し、ボタンのかけ違い、徒労と感情の行きちがいに消耗するだけである。

 したがって、人と良好なコミュニケーションをむすぼうと思ったら、まず、相手の無意識
が、どのように世界を解釈するのか、そのパターンを識ることが先決である。

 それが分かれば、次は、その無意識パターンに合わせた働きかけをすればいいのだ。
相手の無意識があなたを受け入れれば、相手は自分でも気づかないうちに変わってしま
うのだ。

(参考)
 「正しい・正しくない」でなく、「感じる・感じない」
 センタリング呼吸法HP 考え方と生き方を変える
 センタリング呼吸法HP 地頭力は日々の問題を解決する力
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by cute-qp | 2008-12-09 00:00 | 春風堂の想い